「能登・加賀 東風に吹かれて」は、皆様の叱咤激励を戴き、2006年12月に回天蒼生塾から出版。お陰様で、全国各地へ旅立っています。
2007年の能登半島の震災に際して、石川県内外の皆様から心温まるお見舞いを戴き有難う御座いました。(&義援金の記事 2007 7 14日付け 「最近の動き」 嶽龍かわら版【越前龍馬会発行】 2007 11月号掲載)
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東風いたく吹くらし 奈呉の海人の釣する小舟漕ぎ隠くる見ゆ
大伴家持は、746年(天平18年) 6月、越中守に任じられ、8月に着任。751年(天平勝宝3年)7月に
少納言となって帰京するまでの5年間、越中伏木(現 高岡市)の地に越中国守として在任。
その間、220余首が越中で詠まれている。748年(天平20年)、家持は31歳。
東風 いたく吹くらし 奈呉の海人の釣する小舟漕ぎ隠(か)くる見ゆ
大伴家持 万葉集 巻17 4017
家持が、越中の国司の時に詠んだこの風が吹くと、昔から豊漁や豊作、幸福をもたらすとされ、能登では「あえの風」とか「あいの風」とも呼ぶ。
奈呉の浦は山を一つ越えた氷見のお隣の新湊市(現 射水市)にあった放生津潟あたりだが、今は埋め立てられて放生津八幡宮となっている。
家持が出挙のため伏木から氷見を経て、小久米、床鍋、臼が峰、深谷、下石、子浦と県境を越えて羽咋一の宮の気多大社に参詣、
之乎路(志雄)から直超え来れば 羽咋の海 朝凪ぎしたり 船楫もがも
巻17 4025
臼が峰(270m)は、越中と能登の海を同一地点から見られる分水嶺、家持は当時31歳の若さで馬上豊にこの峰を越えた。
家持の馬いななきて越えにけん雲ゐる峰に時は移ろふ
梶井重雄 「金蘭の花」 1994年
家持は、奥能登の珠洲や輪島へも足を延ばした。舳倉島を沖つ島と呼び、海に潜り、あわび採る海士は家持の目に神々しく見えたのではないかと思ふ。
沖つ島 い往き渡りて 潜くちふ あわび珠もが つつみて遣らむ
巻18 4103
「あえの風」とか「あいの風」は何となく潮の香りが匂う。遥か遠く東アジアの国から海流に乗って、花木や魚介類などと共に渡ってきた人たちが、豊かな風土をつくり、この地ならではの文化を育んできたと思ふ。
余りにも理不尽なことが多い、この混迷する平成の世。諸所に「あいの風」が吹いてくれるだろうか。吹いて欲しい。
時が巡り、激動の幕末を抜群の行動力や独創力で駆け抜けた土佐の龍馬。お隣の越前福井では「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国]の行末」、また姉乙女に「今一度日本をせんたくいたし申候」としたためた坂本龍馬。
海山遊人庵、回天蒼生塾は、根無し草の森羅万象、気の向くまま、自分を見つめ世を眺め、己の来し方行く末を想いつつ、来るもの拒まず、去る者追わず…と。つぶやく。
気多の村 若葉くろずむ時に来て、遠海原の音を聴きおり (迢空 昭和2年 羽咋一宮)
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり (迢空 大正13年 壱岐の島)
能登の一宮から養子として迎えた春洋(はるみ)は、硫黄島で玉砕。羽咋縁の折口信夫(迢空)は、詠った。
一度でもこの地を訪ねてくれた内外の人たち、旅先で会った人など何らかの接点、縁ある方は塾友、会友として
末永くお付き合い戴ければ幸で、お気軽に来て欲しいと思ふ。
目下、ゆかりの能登羽咋に「折口父子記念文学館を!」と、知人友人に呼びかけている。応援してくださる方が
居れば幸いと思う。お時間があれば、この地の客人(まろうど)の歴史に触れたい。
随時、政治や郷土史、町興しのサロンも開いているので、お気軽に立ち寄って欲しい。(ふ)
回天蒼生塾 金沢市土清水2−168/〒920-0955
URL http://www.jr9kml.work
電子メール jr9kml@jasmine.ocn.ne.jp
Handy 090-2372-1789
---↓お知らせ-------------------------------------------●○☆-
『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊!
平成の合併がささやかれた頃から、能登の突端からから加賀の端まで、叱咤激励も戴きながら、時にはお隣の越中から越前まで、五年間歩いた。
財政難を理由とした市町村の合併で、統合された新しい市町村名に変えられ、なじみのあったこれまでの地名が消え去った。
自分たちの住む町や村の名前は、その町その村の歴史なのに。
その土地には、先人達が築いてきた文化…。風と土が幾層にも重なり、時代の歴史が刻まれ続けている。
土地に住む人たちの生活に深く溶け込んだ町名を変更すれば、歴史を町や村の人達の記憶から消し去ることになる。
が、人は歴史をも作ることが出来る。
経世済民。政治が何をしてきたのか、何をしていないのか。これは歴史に残して、伝えたい。
民間企業も社会的責任を果たしてきたのか、否か。この国のゆくえ、あの町のゆくえ。
毎月、毎週に渡って北陸のとある民放局のホームページで連載して、好評を戴いた「金沢通信」。
かつて、白山(2702m)山麓を中心に一向一揆に燃えた先人達や日本海で北前船が往き来していた頃、
銭屋五兵衛らが勇躍していた歴史を思い起こして欲しい。あの胸の高まり、躍る血はどこへ流れていったのだろうか。
渤海との交流の頃から、先達がくれた、残した神社仏閣などの歴史的資産も多くある「北陸」の宝物、かつて
この地を訪ねた文人、隠れた人物、地名や地理、その知られざる歴史など。
全国各地を歩いたなどことも触れながら、歴史と文化を凝縮した積もりである。北陸だけでなく、全国各地に住む方にも
是非ご一読戴きたい。目からうろこが出るか、鱗から目が出るか。
経済優先、政治の貧困。昔も今も変えてはならない自然と人の関わりを混迷の平成に問いかけ、今こそ生き生きとした
まちづくりをしようと訴える…。
これをきっかけにして、多くの人たちに能登加賀、北陸のよさや日本の良さが理解され、伝われば必ずや生き生きとした
皆が住む町の再生が可能だと思ふ。
『能登・加賀 東風に吹かれて』は、2006年12月20日に回天蒼生塾から出版。
A5版・280ページ。題字:篠田政憲さん 装幀挿画:相沢まり子さん。表紙のモチーフは能登に古くから伝わる能登上布。
白砂青松、千里浜海岸をイメージして織ったという織り手は羽咋市島出町在住の縄谷外望恵さん。
印刷・製本:栄光プリント 発行・発売:回天蒼生塾。図書コードISBN4−9903333−0−6。
著者:プロフィール。
能登半島の付け根の羽咋で育って、江戸へ遊学。国内の北から南の山々やアジアの山などを彷徨。金沢では、
1969年(昭和44年)開局当初のテレビ局へ。記者やニュースデスク、ディレクター、チーフプロデューサーなど。
時が流れて、社を退いた。依頼があれば各地で政治や文化、民俗などについて講演や卓話に出かけたり、小屋では執筆活動など。
著作には「悲劇の、希望の大地」「北の大地、樺太彷徨」などがある。
メールで、回天蒼生塾へ入れて戴くか、携帯へ申し込み戴ければ、
産地直送でお送りします。定価1500円。送料は、回天蒼生塾(かいてんそうせいじゅく)が負担します。
代金は 回天蒼生塾 郵便振替 00730ー6−75667へ振り込んで下さい。
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NEW!◆『能登・加賀 東風に吹かれて』
ご覧戴けるところ。
江戸の国立国会図書館や金沢市本多町の石川県立図書館、玉川町の金沢市立図書館、松任の白山市立図書館、能美市辰口の辰口図書館、野々市立図書館。
また、内灘町立図書館やかほく市立七塚図書館、羽咋市立図書館、志雄の宝達志水町立図書館、志賀町立図書館、
富来図書館にあります。更に、名古屋市守山区の名古屋市志段味図書館や千葉の我孫子市民図書館、柏市立図書館、東京国分寺市の早稲田実業学校、七尾高校や羽咋高校の図書館などの他、
金沢・久安3丁目の「Books ふかざわ」では常時置いてあります。また、富来 シーサイドビィラ渤海にも置いてあります。是非、お手に取ってご一読ください。
ご一読の上、知人友人らにお知らせ、お薦め下されば幸いです。
弊塾へメールでお申し込み戴ければ、送料弊塾負担でお送りします。
なお、お近くの本屋さんで、『能登・加賀 東風に吹かれて』著者:福野勝彦 発行・発売:回天蒼生塾。
図書コードISBN4−9903333−0−6を伝えますと時間が少しかかりますが、取り寄せてくれるか弊塾へ連絡されます。
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◆【編集室から】
『能登・加賀 東風に吹かれて』は、2007年1月19日の毎日新聞をはじめ、1月29日の朝日新聞や
2月28日の読売新聞。また、岩波、角川、新潮と文庫御三家の一つとして知られる新潮社発行の
2007年2月22日号【週刊新潮】の「十行本棚」、2月20日発売の雑誌「金澤」(偶数月刊 K・K金沢倶楽部刊
3-4月号No51「KANAZAWA INFORMAITION」でも紹介されました。
また、雑誌の連載エッセイも下記【石川自治と教育】の一部をご覧下さい。
◆【新聞 週刊誌 雑誌の記事】
◆【石川自治と教育】(石川県自治と教育研究会発行)で、東風に吹かれて 2007年4月号から連載。
◆【石川自治と教育】東風に吹かれて(七)〜朱鷺の舞う客人の里・羽咋〜(2008年10月号)
◆NHK金沢。デジタル百万石(放送 総合 月〜金 午後6:10〜午後7:00)では、毎週月曜日(ろくまる文庫)には、
県内で活躍なさっている方に「心に残るこの一冊」というテーマで本をご紹介いただいています。
子供の頃に読んで感銘を受けた本、また人生に大きな影響を与えた一冊などをスタジオにお持ちいただきインタビューしています。
紹介していただいた本には推薦文を一言お書きいただいたあと、「ろくまる文庫」に登録し、視聴者の皆様に貸し出ししています。
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1月18日 坂本龍馬地図帳(監修・考証:小美濃 清明)について
福野 勝彦さん 金沢龍馬会 事務局長 理想 進取 勇気
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2010年1月18日、午後6時半過ぎから、NHK金沢に出演して、金沢龍馬会の動きと上記の坂本龍馬地図帳について、10分間話す機会があった。
♪君がゆく道は 果てしない遠い
だのになぜ 歯をくいしばり 君はゆくのか そんなにしてまで
君のゆく道は 希望へとつづく
空にまた 陽がのぼる時 若者はまた 歩き始める…
口も荒いが 気も荒い
無法一代 涙を捨てて 度胸千両で 生きる身の 男一代…
海鳴りを聴くともなしに筆運ぶ
友のことども囲炉裏のぬくもり
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◆【編集後記】
『能登・加賀 東風に吹かれて』が、皆様の叱咤激励で何とか一人立ちできれば、その後は北京から
夜行列車で旧満州、中国北朝鮮国境の白頭山(1572m)や長春(新京)などを歩いた「悲劇の、希望の大地」。
また、稚内からサハリンを経てオホーツク、旭川から大雪山(2290m)、北前船の行き来していた江差や
松前の「北の大地と樺太」、壱岐や対馬、遣唐使の道を探って五島列島を歩いた「国境の島々」。
また、北爆後の「ベトナムは今」、東南アジア最高峰のキナバル山(4101m)登頂の「ボルネオ小唄とサンダカン」。
米国の施政権下から都合六回の沖縄。薩摩から奄美群島を経て、最果ての八重山どなん(与那国島)への
「琉球弧の今」。更に、「39年ぶり、龍馬の土佐」、「佐渡、みちのく彷徨」、台湾(中華民国)の最高峰
「厳冬期の新高山(3997m)」、朝鮮半島は南北国境の「雪岳山(1421m)」、東シナ海に浮かぶ
「ハンナ山(1950m)」、白き峰々のネパール「ヒマラヤの暮らし」等々。乞うご期待?!
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気迫を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
「道程」 高村光太郎。
旅は閉ざされた心を開いてくれる。その土地の魅力など新しい世界を見せてくれる。
なぜなら感性が広がる程度において見えないものが見えてくるから…。
しかし、旅人では見えない部分もある。
が、ほんの短い時間でも異文化の懐へ入っていくのもいい。
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◆回天蒼生塾のおすすめ
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