【編集前記】
弊塾の未熟な宣伝部長曰く、書くことは恥を晒すものだが、恥は一時と書き殴った。
また本作りについても、全くの素人。
まさに0からの出発だった。この一冊を生み出すまでには、一々お名前はあげませんでしたが、様々な方々の
激励叱咤でようやく完成。サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman 1840〜1924)は、ドイツ・ヘッヒンゲン出身の
米合衆国の詩人で、教育者。ウルマンのいう、優れた想像力、逞しき意思、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
そして、安易を振り捨てる冒険心。こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚にしわを増やすが、
情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や不安恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く
人を老いさせ精気のある魂をも芥に帰せしめてしまう。それゆえ、これ一冊を読まずして“能登や加賀を語ることなかれ!
と、生意気に書き綴っている。どこから読んでも、それぞれの故郷を思い出し、人生に何らかの影響を与えてくれた
地域のことなどが分かる!皆人間らしく生かし、生かされ、生きているのか。国内各地やアジアの山々や
その麓を歩いた経験などから、時にはメディアなどを切り、現代を模索探索、知を深める試みを発信…。
ピアニストで、土佐は高知出身、金沢龍馬会の会長武内紘一さんから「日本中をひとりで歩いた足裏の痛みから、
郷土への感謝と誇りが滲む。昔も今も変えてはならない自然と人の関わりを混迷の平成に問いかけ、そこに生きる
一人ひとりを励ます…」なんて、身に余る推薦も戴いた。
また、金沢百万石のロータリークラブから応援するとの力強いメッセージ。2007年1/19 金沢兼六園下、
賢坂辻の街作りのサポーターズ倶楽部主催の出版記念講演会も扇町、旧国立病院下の西方寺で開催された。
19時30からおよそ一時間、今何故東風の風か、これからのまちづくりを巡って、道路が広ければいいのか、
兎に角顔が見える地域にするべきではないかなど各地の例をもとに話した。のち、質問や出席者同士の談論風発。
本音をぶつけ合った活発な討議で、予定時間をはるかにオーバーして22時半に終わった。身近で、
埋もれている“老人パワーを生かすべきではないか“など貴重な意見も出た。
生かすも殺すもそこに住む人たちの意気込みにかかっていると思う。2/3の金沢龍馬会の新年会でも、
「能登加賀 東風に吹かれて」を披露して、母校羽咋高校の図書館へ寄贈。2/18は恒例となっている白山麓尾口の
重要無形文化財、木偶の舞文弥人形へ。さてもその後。妙法蓮華経観世音菩薩・・・と大夫が語る「出世景清」。
終わったあとは去年の「木偶のつぶやき」同様に甚一さんら懐かしい顔ぶれの歓待を受けた。
泊まりは、甚爺、元村長の北出甚章宅。行き帰りの鶴来街道、河内、吉野谷、ここでは山田千代さんと再会。
尾口でも披露して、甚一さんの厚情で、近く北の大地、北海道の空知地方なども五冊の駄文が旅立つことになった。
帰路、鶴来の小堀酒造のオーナー、小堀甚九郎大先輩にお会いした。で、日本酒ならぬ梅酒を戴いて帰途に・・・。
3/4は、名古屋在住羽咋高校同窓会。前日の3日に白山麓から、越前勝山、越前大野、美濃白鳥、
郡上八幡、各務原、江南経由で名古屋へ。江南では同期一姫君の誘いで、ご当地の定番、モーニングなるものに
案内された。名古屋駅前のホテルの二階「桃園」では、京都や沼津から駆けつけてくれた友人に、
45年振りに会う同期らと久々に会った。昔も今になすよしもかな。髭さん持参のアルバム。青春の欠片(かけら)
集めたアルバムか。この日の名古屋は22℃を越えて夏のようだった。
翌日は、かつての仕事仲間にも披露して、雨が降りしきる中、美濃焼や瀬戸焼の瀬戸、多治見、刀の関、
大野勝山から濃霧の谷峠、白峰経由で帰還す。
また、5月に上京すれば、山や旅の仲間らから出版記念激励会も開くと有り難い連絡あり。手元には残り少なくなり、
増刷も検討することにした。千里の道も一歩から。朝の来ない夜はない。さすれば、後悔先に立たず、
またまた行脚となる。5月の17日は、東京丸の内で学生時代の山旅仲間、翌18日は大隈タワーの
15階「西北の風」で、ゼミの仲間たちの激励会で、久々の江戸へ。
【編集中記】
読まれた方々からの一部をご紹介。「知友の方々との交流や地域の情報を足で集められた状況も紹介されています。
ふるさとの歴史を知るガイドブックにもなり得ています。時代の流れもつかめるので重宝します」。
また「郷土に『そうなんだ・・・』『知らなんだ』ことがあることの、喜びの出会いをしてくれています」。「一冊の本が
人と人を結び、小さな波紋がやがて大きな波になる─ そんな広がりが生まれる予感に、ワクワクさせられます」
更に「各方面での人脈の広さ、土着の人間を大事にしながら聞き取りされたことから、細部にわたる文献調べまで
念入りに精査された仕事ぶりに敬服します。これが、この著作の支えになっているものと思われます」
また、成田からは 「素晴らしい出来映えだ。装丁もいい、品がある。帯に書かれた、金沢龍馬会会長の
武内紘一さんの推薦文がまたいい。期待していた以上に出来上がっていて、正直びっくりした。
ぎっしり詰まった濃い内容の文章なのでとても一気には読めそうにないが、ゆっくり読ませて頂くとする。
金沢通信で読んだこともあって、その時は正直いって、内容があまりに 詳しすぎて、果たして多くの人が
最後まで目を通してくれるのだろうかと、懸念したりもしたが、こうして一冊の本となって改めて読むと充分納得できる。
一冊の本を世に出すということの大変さが窺がわれて、実現したことの素晴らしさが伝わってきて頭が下がる思いだ」なんて、
何とも面はゆい御感想も戴いた。
また、友人から「輪島出身の東京に住む八十代になる母が完読、懐かしい風景を思い出して喜んでいる」との
電話があったとの便りも戴きました。これも有難いことです。
郷土史家の堀田茂雄さんから「久しぶりに凄い文章に接しました。『博覧強記』というコトバがありますが、
文字通り「目からウロコ」の感慨に浸っています。自然、伝承、歴史はもとより、宗教、民俗、芸能を始め、
料理から魚、鳥、類に至るまで 歯切れの良い文体で、あと味のよい味覚に浸っています」 と、何とも面映い
過分なお褒めの便りを戴いた。
後輩に対する叱咤激励と受け止めた。♪この海が、この川がどこへ流れていこうと、やると思えばどこまでやるさ
それが男の魂じゃあないか…
原点は、お隣越中の売薬屋さんに負けじと、褌しめて、能登の“売本屋”が、背中に背負って
全国津々浦々を歩くことでせうか。
幾山河こえさりゆかば さびしさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく
牧水
「本の出版によって人生が変わる…」と言われる。自分自身の身にも人生を根こそぎ変えると言うより、ものの、
人の見方が少し変わったような気がする。出版以来即、羽咋から志賀、富来や門前、輪島、能登町、
穴水等の奥能登、それに七尾、金丸、中能登、飯山、志雄、押水、宇ノ気。金沢から白山ろくの鶴来、
辰口、川北、美川、松任と歩く。
2/22、羽咋から七尾へ。七尾高校の図書館から一本杉通りへ。老舗の鳥居醤油店から中能登町へ。
旧知の元聞屋道善さんを訪ねた。お元気で、蔵を改造した書庫を見せて戴いたが、珍しい書簡など
すごいの一言に尽きた。3月25日、海の小屋で、震災に遭いましたが幸い命は取られず。
4月に入って、震災の門前や輪島などへ知人友人のお見舞いと共に、江戸から来た友人荻野君等を
震災跡地を案内しつつ、能登を一回りして、翌日は氷見から七尾、能登島も案内、また単独で穴水、
柳田、珠洲の突端、狼煙へ。更に、志賀町や富来の稗造地区。友人谷内君の蔵も半壊していた。
これらは東風に吹かれてで。後には、小松、大聖寺、更に越前あわらへ行ってきたが、富山から
長野経由江戸など。そのうち、道中のあれこれなどは「東風に吹かれて」で、触れたいと思ふ。
おまけとして昔から子どもたちに配られた紙風船は手元にはないし、さて何にしようか。久々に会う方には
「元気かいね」と。歩けば、山あり谷あり、又新たな出合いに知恵も浮かんでくるでせう。
これまでに、友人知人を通じて旅立ったところは、お隣富山や福井、韓国ソウル、ハワイ、カナダへ。
北の大地は札幌や稚内、根室に空知、岩手は滝沢村、秋田の金浦、山形や東根、福島、群馬の大田、
茨城の牛久に鹿嶋市、宇都宮、千葉の成田から煎餅の草加へ。そして、秦野市へ。
また、東京都内や川崎に横浜、沼津、焼津、静岡、天竜、浜松へ。更に名古屋から岐阜、近江八幡、
草津、大津、宇治、奈良京都へ旅立つ。四国は高知の室戸、四万十、高松。九州は宮崎や鹿児島、
奄美群島の沖永良部島、熊本、長崎に壱岐の島、そして佐世保、福岡へ。更に、うちなーの沖縄市、
日本の最果て八重山の石垣島に最西南端の与那国島へも行きたいと思う。
ご覧の上、知人友人にお知らせ、お薦め下されば幸いです。弊回天蒼生塾へメールでお申し込み戴ければ、
送料弊塾負担でお送りします。
なお、お近くの本屋さんで、『能登・加賀 東風に吹かれて』著者:福野勝彦 発行・発売:回天蒼生塾。
図書コードISBN4−9903333−0−6を伝えますと、時間が少しかかりますが、取り寄せてくれます。
-----------------------------------------------------------------------
ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
戻る