※能登や加賀、金沢、全国各地や海外の様子などは、ブログや掲示板などに。現在は、 迷惑・有害サイトの浸入があり、休止中。
【回天蒼生塾】
【東風に吹かれて】
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海外では七番目、ブラジル龍馬会誕生!
〜全国龍馬社中 近畿北陸ブロック会議から〜
全国各地は梅雨入り、沖縄は梅雨明けしたが、みちのく岩手や宮城の震災も惨く、何ともうっとうしい日が続いています。
会員各位や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様にはお変わりなく御元気でご活躍のことと思って居ます。
全国龍馬社中、近畿北陸ブロック会議は、去る6月22日午後四時から京都駅前のハトヤ瑞鳳閣で、開かれ、参加しましたので概要をお知らせします。
出席は、全国龍馬社中会々長の橋本、副会長で京都龍馬会々長赤尾、龍馬縁の「酢屋」女将の中川敦子 会員の片岡幸嗣、お龍、全国龍馬社中会理事で、兵庫龍馬会長の楠本、
近畿北陸ブロック長で越前龍馬会長の牧田活宣、会員の西村和修、広報担当の林清美らに金沢龍馬会事務局長の福野。
会議は、近畿北陸ブロック長(越前龍馬会長)の牧田さんの司会で進められた。冒頭挨拶に立った橋本会長は、四国土佐高知から、ブラジルで、龍馬会結成という大仕事を終えて、この19日に帰国したばかり。
まだ時差ぼけと笑わせて「龍馬のお陰で、多くの会員と交流できるのは最大の喜びだ。点から面へ。各龍馬会の地域の活動と共にとにかくブロックの会議を充実させたい」と挨拶。
次いで議題に移った。
◎近畿北陸ブロック会議について
牧田さんから、今年3月、全国龍馬社中から、メールで、各動き等々の連絡体制の強化を申し合わせたが、出来なかった。御詫びしたい。今後、絡を密にしていきたい。
◎福井大会について
牧田さんから、以下について概要の説明あり。
○タイトル
竜馬がゆく 越前へ往こう 春嶽に逢おう!
〜 第20回全国龍馬ファンの集い福井大会〜
主催 第20回全国龍馬ファンの集い福井大会実行委員会 福井県 福井市
主管 越前龍馬会 共催 全国龍馬社中会
○開催場所 ・福井市 福井県民ホール (JR福井駅東口 アオッサ8F)
・2008年務10月25日(土)〜26日(日)
○開会式 10/25(土)13時〜
○大会プログラムについて
シンボジュウム
第一部 〜春嶽を巡る人々〜
・進行は四戸友也(福井新聞論説委員長) パネラーは、岡崎誠也(高知市長) 坂本登(坂本家9代目当主) 小曾根吉郎(長崎で龍馬支援 小曽根家17代当主) 舟沢茂樹(福井藩研究家) キャセリン青木(ソニー龍馬会) 酒井哲夫(元福井市長)らを予定。
第二部 〜龍馬も食べた?!福井のご馳走(ごっつお)〜
・パネラー 岡崎誠也 坂本登 小曾根吉郎 舟沢茂樹 他を予定。
○アトラクション 13時30分〜
・ 大会会場 土佐直伝 英信流居合
・ 懇親会場 楽衆玄達 越前馬威太鼓
○報告会 ・各龍馬会から
・大会旗引継ぎ式 福井→高知
○交流会 ・18時〜
・場所 福井繊協ビル8階ホール
・アトラクション 越前馬威し太鼓 楽衆玄達ユニット(JUN田崎他)
○10/25(日)エキスカーション
A 龍馬ウォーク B幕末史跡 C越前史跡 D若狭史跡の各コース
★(B C Dは食事つき)
○その他 準備検討中は
・郷土歴史博物館 松平春嶽生誕180年記念行事との連携調整
・大会誌 企画・作成 大会プログラム
・大会チラシ ポスターの企画 作成
・県や市、各種団体、報道関係、各企業への広報及び協賛等々
・大会案内状の企画 作成
・大会案内状の送付
・大会参加者の受入 宿泊関係 旅行社との調整
・観光コースの企画 調整
◎10月24日(金)は、前夜蔡。第七回全国龍馬社中会総会、懇親会
期間中は、福井市郷土歴史博物館で、「春嶽をめぐる人々特別展」開催予定。
牧田さんは、「昨今の経済情勢で、大会開催の財政がきびしいので、四苦八苦しています。いろいろ予定の変更もあるが、今後の開催地のこともあり、全国の見本になればと手作りで進めている。
8月には、概要が確定するでしょう。パンフも出来上がり、各龍馬会に報告できると思う、期待してください」と報告。
◎各龍馬会の動き
・京都龍馬会 龍馬、お龍縁の地で石碑をたてよう運動を展開中
目下 楢崎将作次郎跡、楢崎龍居住地
今後の予定には、龍馬お龍内祝言挙式之地 金蔵寺等々
・富山龍馬会 総会 6/22
・金沢龍馬会 福井大会の取り組みなど総会は7/5(日)など。
・酢屋 龍馬と海援隊隊士をかくま った京の町屋。一階は「創作木工芸酢屋」、龍馬をかくま った二階は「ギャラリー龍馬」、京都へ来られたらお気軽に来てください。龍馬に関する新しい資料も展示中。
◎その他
1) 全国龍馬社中の橋本邦健さんのブラジル報告(要旨)。
南米にも龍馬の志を伝えよう、と全国の龍馬ファンを束ねる橋本邦健さん。ブラジル関係者に呼び掛けで連絡をとり、去る6月10日からブラジルへ渡っていたが14日、現地サンパウロ市のホテルで、龍馬ファンらが旗揚げし、今後の活動へ夢を広げた。
現地邦字紙「ニッケイ新聞」の社長高木ラウルや自営業者ら三十人が会員として集まった。14日に開かれた発足式には、高知県ブラジル訪問団に同行した橋本会長らを含め40人が参加。
会員それぞれに龍馬への思いを語り、「龍馬に関する本のポルトガル語版を出したい」、「桜を植樹して『龍馬の森』を作ろう」などと早速、今後の活動のアイデアが出た。
初代会長に就任したアラゴアス州マセイオ市のホテル経営者、谷広海さん(68)。彼は自身は宮崎市生まれだが、両親が四国高知は室戸市出身。
1964年(昭和39年)に移住する時に持ってきた『竜馬がゆく』を読んで勇気づけられ、今も大事にしている。高知には愛着があり、
この話が来た時、これも何かの縁と思いお受けした」と挨拶。橋本会長は「龍馬が世界の海援隊をつくっていたらサントス港に来ていただろう。
日本人移民百年の年に発足できたことは感無量。次の二百年に向けて頑張ってほしい」とエールを送ってきたという。これで、龍馬会は127番目、海外で7番目の龍馬会で、南米では初めてだ。
2)全国龍馬社中役員会は、8月2日に開催。
来る10月の福井での全国大会を前に、龍馬に5000両を貸した松平春嶽やブレーンとして彼を支えた横井小楠、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文を書いた由利公正ら
越前福井とはどんなところか、全国の役員らに知ってもらおうと8月2日、福井市で開催の予定。時間、その他は未定。
引き続き、懇親会に移り、全国大会への取り組みの質疑に、今年はとりあえず東京や大阪、名古屋で実施される龍馬検定や
龍馬カード、各龍馬会の動向などが話し合われた。検討課題としては龍馬社中の財政の確立が上げられ、引き続き検討していくことを確認した。20時終了。
なお、詳細については、来る7/5の金沢龍馬会(金沢市役所前 石川県広坂庁舎2号館2階 懇親交流会は片町の「鰯組」 )の総会で、報告の予定です。
新たに会員になりたい方も、また旅の途中で、金沢へ来訪予定の全国各地の龍馬会会員も、万障繰り合わせてご出席下さい。お待ち致しております。
2008 6 23(ふ)
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回天蒼生塾
東風に吹かれて
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結成5周年記念総会、来る7月5日(土)に!!
〜金沢龍馬会から〜
沖縄や九州、四国は梅雨入り。中国四川省の大震災やミャンマーのサイクロンも何とも惨いですね。ガソリンの相次ぐ値上げや平成の姥捨て、御年よりの医療費など国内政治も混沌としています。
お隣越前福井で「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」、また、姉乙女に「今一度日本をせんたくしたく申候」としたためた坂本龍馬。
今こそ龍馬の心意気が欲しいところです。
国会の「せんたく議員連盟」の面々に、より活動して欲しいものです。会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様には、その後もお変わりなくお元気でご活躍のことでせう。
南国、薩摩鹿児島の薩摩郡薩摩町に龍馬会が、近く誕生して、仲間が増えるようです。さて、金沢龍馬会の結成5周年記念総会、懇親交流会は、
来る6月22日京都で開かれる近畿北陸ブロック会議を経て、7月5日(土)の午後に予定しています。ご案内しますので、万障繰り合わせてご出席下さい。
◇日時 2008 7 5(土) 13時30分〜15時
◇場所 金沢市広坂2丁目1番1号 金沢市役所前 石川県広坂庁舎2号館2階 TEL 076-223-9558
◇来賓 越前龍馬会会長の牧田さん。
◇議題 ・ 一年間の活動報告 近畿北陸ブロック会議報告 会計報告
・ 今年度の活動方針 全国大会(福井 10/24〜10/25)の取り組みなど
総会終了後、場所を文豪・室生犀生も遊んだウグイや鮎も飛び跳ねている金沢犀川のほとりの金沢龍馬会会員東さんの「鰯組」に移動して懇親交流会を開催します。あわせてご参加下さい。
◇懇親交流会
場所: 鰯組 金沢市片町1−7−13 犀川大橋近く
電話 076-224-1493
時間: 15時30分〜17時30分
会費: 3000円 恒例によって、差し入れ大歓迎!
秋10月、越前福井で開催予定の龍馬ファンの全国大会も越前龍馬会(HP 参 http://www1.fctv.ne.jp/~shinji-s/ryoma.htm)が、歓迎の準備を着々と進めており、迫ってきました。
出会いの神、龍馬に習って知人や友人、新たに会員になりたい方もお誘い合わせの上是非ご参加下さい。前回の花見の宴にこられなかった方も、
積もる話しに新しい話し等々、談論風発。更に新たに参加される方も必ずや楽しい豊かな出会いもありませう。お元気なお顔を見せてください。待っています。
この時期に北陸へ旅している龍馬ファンの飛び入り参加も大歓迎!。
遠慮しないで、お気軽にどうぞ。待っています。新たな出会いもありませう。
2008 5 29 (ふ)。
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6月7日は、北の大地に集まれ!!
〜北海道龍馬会から〜
連休も終わりましたが、会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様にはお変わりなく
お元気でご活躍のことでせう。
北の大地、北海道龍馬会から、以下の案内がありましたのでお知らせします。
6/7(土)はイベント企画中で、幕末ファンや何らかの関心のある方は、札幌全日空ホテルに集合です。
◇定期総会:15時〜15時30分 会員のみ参加
◇記念講演:16時〜17時30分
○合田一道さん(ノンフィクション作家、当会会長代行)
演題「龍馬と同時代の遺墨たち」
○五味澄子さん(勝海舟の曾孫)
演題「祖母が語った勝海舟」
◇懇親会:18時10分〜20時頃
○立食パーティ、ワンコイン抽選会
◇遺墨展:「石狩尚古社」開館20周年を記念して、龍馬と同時代の人物に焦点を当て、その遺墨を公開展示いたします。石狩を離れて出品されるのは初めてです。
その独特の筆遣いから、その時代を駆け抜けていった一人一人の人物を想起することができます。 出展は勝海舟をはじめ、
高橋泥舟や山岡鉄舟の「幕末三舟」の書をはじめ、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、吉田松陰、山田顕義、河野広中など九幅の書が並ぶ。
幕末ファン必見、感動!
遺墨展の観覧時間:14時30分〜15時
15時30分〜16時 記念講演で合田一道先生の講演は遺墨の解説になります。
懇親会での鑑賞も出来ます。
◇開催日:平成20年6月7日(土)
◇場 所:札幌全日空ホテルB1階 あさひの間(札幌市中央区北3条西1丁目)
◇会 費:記念講演については 会員無料、一般資料代300円。懇親会は、3,500円(ワンコイン抽選会含む)
◇申込方法:記念講演・遺墨展は直接会場へ。
懇親会の参加を希望される方は、北海道龍馬会事務局長の南雲富男さん(携帯090-1648-7014)にご連絡ください。
この時期は、北の大地は、花が咲きほころぶなど最も気候がいい時期です。
機会を作り、北の大地の素晴しい自然や食に触れたり、各地の龍馬会の会員等と交流を深めるのもいいでせう。
時間を見て、各地を訪ねるもいいでせう。
2008 5 7 (ふ)。
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花見懇親交流会盛会に終わる!!
〜金沢龍馬会から〜
桜、桜。雪柳に木蓮等々、春爛漫。兼六園では、三分咲き。金沢龍馬会の観桜、花見懇親交流会は、浅野川の大橋のたもとに4月5日(土)13時に集合。
で、地元東山在住で、副会長山田(友)さんの案内で卯辰山山ろく、東山界隈の歴史散策。先月末に渡り初めが行われたばかりの天神橋との間にかかる「梅ノ橋」へ。
「梅ノ橋」は、長さ66メートル、幅4メートル80センチの歩行者専用の橋で、明治43年に最初の橋がかけられてから金沢の観光名所として親しまれてきた。
現在の橋は昭和53年に架けられたものだが、30年が経って老朽化してきたため、金沢市が8500万円かけて、耐震補強や欄干を取り替える工事を行ってきた。
完成した橋は周囲の景観にあうように欄干には県産の木を使っているほか、橋の支柱と欄干をつなぐ部分には地震で橋にかかる力をやわらげる設備が取り付けられている。
地震対策は理解できるものの、橋の上は板なら分るが舗装されてるとはこれ如何に。何とも無駄なことしていると皆で話しながら渡って、東山歴史散歩。
浅野川河畔の桜見物のあと、袂で、数年前に火事で焼けた料亭「清風荘」跡に建てられた徳田秋声記念館の前から、先ずは、寿経寺(じゅきょうじ)へ。
七稲地蔵(なないねじぞう)として知られているが、通りに面した境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。この前の坂道を歩けば、卯辰山の中腹の菖蒲園にたどり着く。
今を遡ること150年、1858年(安政5年)、金沢でも地震や長雨による凶作が続き、米価が暴騰。飢えた民衆が、当時前田の馬鹿殿が町人入山禁止だった卯辰山に入り、
対面の城に向かって「ひもじい、ひもじい」と、加賀藩主に米が高くて食べられないと直訴したいわゆる「泣き一揆」が起こった。
7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったものである。金沢の忘れてはならない歴史の一こまである。次いで、山田さんの別邸にある「龍馬博物館」にて小休憩。
茶を戴きながらぐるり見渡すと、あるはあるは数多くの龍馬に関する本やライターから50センチぐらいの龍馬像等々、珍しいグッズに一同感心。
ここで、プランナーの吉田さんが飛び入り参加。更に、茶屋街のそばにあり、卯辰山への入り口に鎮座する節分祭に艶やかな芸妓たちが豆まきをする行事で知られる卯多須神社へ。
卯辰毘沙門と呼ぶが、境内は桜が見事に開花していた。ここで、記念写真。
はゝこひし 夕山桜 峰の松
幼少期に母を亡くした泉鏡花。終生、摩耶信仰したが、母親の思い出については、後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、卯辰毘沙門などを巡ったことなどが折にふれて作品のなかに登場する。
ここから観光客で賑わう東茶屋街の裏通りの紅殻格子の茶屋や新たに出店したお土産屋さんや、焼飯で知られる自由軒、更に国道を渡り、川沿いから中の橋を経て「空海」へ。
14時半〜17時、移転新装なった主計町・空海にて小宴会開催。今回出席したのは、五年前は学生で、設立時は会員で後に脱藩、今はアフリカジンバブエから一時帰省した山岡志帆さん、
また会友で、今回飛び入り参加したプランナーの吉田、市議の山野、玉井、IOデータを脱藩して目下素浪人という室岡、加茂、宮島、中川、斉田夫妻、山田(友)、武内、福野の面々。
差し入れは県会議長に就任したばかりの紐野、中川、山田(友)、武内さんからそれぞれお酒やワイン、焼酎などの差し入れがあったことを報告。有り難う御座いました。
まず、会長の武内さんは冒頭、「(会員の)空海さん、(移転新装開店)おめでとう。ますますの発展と会員や会友の更なる発展を期そう」と乾杯。
この日天候もよく、空海の対面、浅野川沿いの桜は開花しており、春爛漫の一日になった。
敗戦直後には五十五軒の料亭がひしめき合い、「男の遊び場」として栄えた主計町界隈。町の中心部が繁華街となった片町や香林坊に移ったものの、
黒瓦の家々が並ぶ通りは、繁栄の名残に金沢の情緒を今も残している。ビルが乱立している犀川のほとりの片町や香林坊から、今後は再び栄えるだろう。
去年の犀川に次いで、今年で二回目の観桜会。会員や会友、龍馬会と何らかの縁ある方のご栄転やご家族の進学就職等々、あわせて共に喜こんだ。
今回は山岡さんのアフリカジンバブエの生活、中川さんのオーストラリアでのホームスティのミニ講演に談論風発が続いた。山岡さんは現在無国籍という。中川さんは、親日に驚いたらしい。
“日に進まざれば、日に退く”と言う先人の言葉の通り、先を見据えることも大事。龍馬に学び、龍馬の精神を各々の血とする為に、龍馬を巡って、それぞれに積る話も時間一杯、延々五時まで披露。
空海の斉田さん、15年住んでいるが、一階のみを改装したという。二階を案内してもらったが、昔の茶屋そのものが残っていた。最期に、加茂さんの一本〆でお開き。
さて、来る10月25〜26日(土・日)に、お隣越前福井で全国大会が開催されることになっており、越前龍馬会で、準備が着々進められている。で、マイクロバスで参加することも検討された。
また、明日6日(日)は、であい・ふれあい・まなびあいをテーマに、越前龍馬会恒例となっている「湊さくら祭」と紹介した。時間は10:00〜16:00。
場所は、福井市照手の木町桜並木通り(三秀プール前通り)。今年は龍馬縁の松平春嶽生誕180年記念で、盛り沢山。当日は楽市・秋吉、フリマ、たこ焼き、ビール、京物産、龍馬弁当などの出店など。
一方、お遍路の四国伊予愛媛。東温市の「坊っちゃん劇場」で、坂本龍馬を主人公にしたミュージカル「龍馬!」の上演が、始まっている。
幕末の志士、坂本龍馬を主人公にしたミュージカル「龍馬!」の上演は、平成21年の3月までおよそ260回の公演が予定されており、春休みに出かけるのもいい。
今回、やむを得ない事情で参加できなかった方も、次回六月に予定している結成五周年記念総会には知人や友人、新たに会員になりたい方もをお誘い合わせの上是非ご参加下さい。
2008 4 5(ふ)
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日蘭修好150周年記念「屏風〜将軍からの贈り物〜」開催!
〜長崎龍馬会から〜
立春が過ぎても寒い日が続き、三寒四温といいつつ啓蟄の頃に。瀬戸内からクギ煮、春告げのウグイスの便り等も届き、春の淡雪の候です。
会員や会友、金沢龍馬会と何らかの縁がある各位には、その後もお変わりなく、御元気で、ご活躍のことと思っています。
長崎龍馬会から日蘭修好150周年を記念した「屏風〜将軍からの贈り物〜」長崎の港から長崎へ150年、特別展のご案内が、ありましたのでお知らせします。
・期 間 :2008年3月5日(水)〜3月31日(月)
・開館時間:8:30〜19:00(最終入館 18:30)
・観覧料 : 大人 800円 高校生 600円 小学生 400円
・場 所 :長崎歴史文化博物館
長崎市立山1-1-1 Tel: 095-818-8366
JR「長崎駅」から路面電車「桜町電停」下車〜徒歩5分
・主 催 :長崎歴史文化博物館 日本経済新聞社 長崎新聞社
・共 催 :三菱重工業 長崎造船所
・特別後援:オランダ王国大使館
・後 援 :長崎県 長崎市 長崎県教育委員会 長崎市教育委員会 KTNテレビ長崎 NIB長崎国際テレビ NCC長崎文化放送 NBC長崎放送 NHK長崎放送局 長崎ケーブルメディア エフエム長崎
・特別協賛:大和ハウス工業
・協 賛 :九州電力 JR九州
・協 力 :日本航空
以上。
鎖国時代から西欧に、唯一開かれた窓口として栄えた長崎。出島と唐人屋敷を設けて西洋の国では、唯一オランダと交易した長崎は
長い間日蘭交流の場となったが、幕末になると海外列強のアジア進出にともなって、日本とオランダの関係にも変化が生じて、1844年(天保15年)には、
オランダ国使節コープスが、国王ウィルヘルム2世からの開国勧告の国書を持参して来航。それに対して、幕府は鎖国を固持することを表明したが、
承知のように、その後、ペリーが浦賀に来航するなど、武力による開国を迫られて、「日米和親条約」が結ばれると、1855年(安政2年)には「日蘭和親条約」が締結された。
この間、長崎にはオランダの援助を受けて「長崎海軍伝習所」が創設され、その様子や出島で行われたオランダとの貿易など長崎ならではの海外交流の歴史や文化を身近に学ぶことができる街となった。
日本各地の英才たちが、蘭学や医学等々を学びにやってきて、各藩に伝えて、私塾等々で教えてきたことも忘れてはならない史実である。
米国のペリーが浦賀に来航した2年後、1855年(安政2年)に長崎海軍伝習所が出来た。龍馬の師匠で、オランダ語が非常に堪能だった勝海舟の
長崎海軍伝習所の初代の練習船観光丸(スームビング号)をオランダから献上された。時の13代将軍徳川家定が、その返礼として、狩野派や住吉派など、
狩野派一門を代表する狩野董川中信を「頭取」として幕府御用絵師たちが手がけた当時としては最高水準の絵師に描かせた絢爛豪華な屏風10双を贈り、
それらは「贈蘭屏風」と呼ばれている。普段はオランダの「ライデン博物館」にあるものだが、この屏風は、江戸で描かせた後に、長崎まで船で運び、
出島から小舟に乗せて沖に停泊中のオランダ船に乗せた。長い航海の後にオランダに送られた曰く因縁のあるものだ。それが今回、長崎に150年ぶりに帰ってきた「屏風〜将軍からの贈り物〜」特別展である。
また、練習艦としてオランダ国王ウィレム3世から江戸幕府13代将軍へ贈呈された軍艦は、幕府初の木造蒸気船で、オランダ名スームビング号である。
長さが29間(52.7m)、幅5は間(9m)、150馬力、大砲6門、排水量400トン。
時を経て、復元された観光丸は、長崎のハウステンボスで就航している。復元に際しては、オランダのハウスデン市にあるフェロルメ造船所に発注した。
当時の設計図面になるべく忠実に造船を行ったといわれている。建造費に12億円をかけて進水したのは1987年(昭和62年)のことだった。
ハウステンボスの観光丸(スームビング号)もいい、幕府御用絵師(狩野派等)に描かせ、当時のオランダ国王に献上した屏風は見事だと思う。
8双2隻が、初めて出航地長崎に里帰り。他に珍しいものも多く展示してあるので、グラバー亭など龍馬縁の長崎ぶらぶらとあわせて長崎龍馬会の皆さんと交流を深める機会でもあります。
この春休みには、機会を作り、行って見るのもいいでせう。
まだ、寒さは残りそうです。ご自愛ください。
2008 3 5(ふ)
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第8回「寺子屋・龍馬」開催!
〜京都龍馬会から〜
三寒四温。梅の便りに、雪が降ったり止んだり、吹き荒れたりと刻一刻と春めいてきました。各位にはその後も御元気でご活躍のことでせう。
京都龍馬会から『戊辰戦争で焼けた伏見寺田屋〜どうして伝説は生まれたか』をテーマに勉強会を開催する旨の案内がありましたので、お知らせします。
・日時:平成20年3月15日(土)18:00〜19:00
・場所:龍馬
京都市中京区木屋町三条下ル材木町184、都会館1階
・講師:中村武生(歴史地理研究者、佛教大学・同志社大学の非常勤講師)
・テーマ :『戊辰戦争で焼けた伏見寺田屋〜どうして伝説は生まれたか』
・参加費 : 1000円(お茶とお菓子がでます)
※限定15名(予約制)
※終了後、たこ焼きパーティがあります。
(参加自由。飲み放題 3000円)
・申込問合先 : NPO法人京都龍馬会
〒604-8017 京都市中京区木屋町通三条下ル材木町184
都会館1F114「龍馬」 TEL/FAX : 075-211-3666
▼ 今後の予定
第9回:平成20年4月15日(火)18:00〜19:00
『なぜ河原町三条付近に幕末史蹟は多いのか〜京都市教育会の建碑』
第10回:平成20年5月15日(木)18:00〜19:00
『龍馬はなぜそこに住んだ?〜幕末志士居所論』
第11回:平成20年6月(開催日未定)18:00〜19:00
『先日大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これあり〜天誅組の乱と龍馬』
千葉房総半島沖で、海上自衛隊の潜水艦が、ちっぽけな漁船に衝突するなど時あたかも国の危機管理が問われています。
折角の機会です。お時間を作って、春の京都観光等々も日程に入れて、参加されるのもいいでせう。
出合いの達人、龍馬も待っていることでせう。
金沢龍馬会の、花見懇親交流会は4月5日土曜日、浅の川河畔の主計町で、移転オープンする「空海」で予定しています。
その際は、はゝこひし 夕山桜 峯の松 と詠った作家泉鏡花の自筆の句碑など卯辰山や山ろくの寺院群について、地元の山田(友)会員による「東山歴史散歩」も予定しています。
まだまだ、寒さは残りそうです。ご自愛ください。
2008 2 23(ふ)
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新年懇親交流会、盛会に終わる!
〜金沢龍馬会から〜
会員、会友、金沢龍馬会や回天蒼生塾と何らかの接点や縁ある方へ。
立春が過ぎても寒い日が続き、けふの石川県内は大雪。各位には御元気のことと思っています。
暖冬気味の冬だったが、終日雪が舞い、雪かきする人も見られるなど久々の大雪。奥能登輪島では、山盛りのご飯をお腹いっぱい食べ、収穫に感謝する伝統行事、
「もっそう飯」が久手川町で行われた。もっそう飯は、年貢の取立てが厳しかった江戸時代に、農民が、隠し田で作った米を年に一度お腹いっぱい食べたことが始まりとされている。
この日の当番、中本貞一さん(82)の家では、朝早くから輪島塗りの朱塗りの碗に、円筒状の木枠で、高さが15センチもあるご飯、およそ5合のご飯を山盛りによそい、近所の人に振舞った。
犀川べりでは、ネコヤナギが、花をつけ始めた金沢では、午後三時から、平成の志士、10人のサムライが各地から集い、金沢龍馬会の新年懇親交流会が開かれた。
2/16(土)○場所 金沢野町、青柳にて。
○時間 午後三時〜午後六時。
○出席 小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島 国友 室岡 徳田 武内 福野
差し入れは 会友で、健康食「ケンタくん 白山店」の藤田さんから松任の銘酒「天狗舞」、武内さんの故郷、土佐高知の「ダバダ火振り」、山田(友 )さんの「ふぐなどの珍味」、
また「鰯組」東さんから会場へ届いた中能登の銘酒「池月」、宮島さんの麦水等々の紹介で、おぉっと冒頭から盛り上がった。本当に有難う御座いました。
まず、欠席会員の動向などに続いて、武内会長が「皆さん、御元気で何よりでした。今年の秋(10月25〜26日)は、お隣越前福井に於いて『全国龍馬ファンの集い』が、開催されます。
地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。出会いの達人、龍馬の志を支えた越前福井での大会に、
積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。そんなことも討議したいと思います」と乾杯。
続いて、初めて参加した羽咋の吉野さんが紹介され、恒例により、近況なども交えてそれぞれが自己紹介。ここで、仕事を終えてきた徳田君も入って、宮島さんの手作り、盛りだくさんの肴で、懇親が続いた。
事務局長福野から、去る九日、京都で開催された全国龍馬社中役員会や、翌十日越前龍馬会の総会や講演会に出席した各地の龍馬会の動きなどについて、
京都や大阪、兵庫、滋賀、和歌山、奈良、福井、石川、富山にまたがる近畿北陸ブロックの活動の強化。また、
この秋に東京や名古屋、大阪で実施予定の龍馬検定、更に越前福井の全国大会の進行状況などについて報告。(別紙 参)。
この日、不参加の予定だった金沢市議の山野さん、前の会合が予定より早く終わったのでと駆けつけた。で、折角の機会でもあり、
後に、名高裁金沢支部、裁判に負けた市長山出の心中など今、市民の関心事、問題となっている金沢市議会の政務調査費の返還について裏話なども交えて話して戴いた。
会員の室岡さんが「高杉晋作と小栗上野介」と題したミニ講演。高杉は辞世の句として「面白きこともなき世を面白く」と詠った。
室岡さんは、晋作が金沢など北陸へ来たことや、騎兵隊の活躍について彼の日記などをもとに触れた他、小栗が、世界一周した後を辿って、
米国の公文書館へも足を延ばして、米国での足跡なども探りたいと、抱負を披露。それにしても、数え年にして29歳、27年と8ヶ月の短い生涯だった晋作の謎も残る。
懸案となっていた副会長人事。提案された山田(友)さんの副会長就任も全員一致で、了承された。なお就任は6月にも予定されている定期総会で正式決定の運びとなる。
福井の全国大会も迫っており、懸案となっている法被については国友さんに試作品を急ぐようにと要請。また、金沢龍馬会のオリジナルグッズについても検討していくことを確認した。
武内さんから、先刻母上の13回忌で、帰省した折、龍馬の土佐高知も高速道の4車線で、瀬戸大橋を通れば近くなった。また教え子たちが、この20日、金沢市文化ホールで開かれる仁愛短大の定期演奏会の案内、
画家の国友さんは「一創会」の無鑑査になったことを共に拍手で祝った。で、来る28日から開催の東京都美術館で、出品されていることが報告された。
あっというまに二時間が過ぎて、山田(友 )さんの中締め。このあとも、龍馬のグッズや晋作、小栗等々を巡って話題は尽きず。また、吉野さんによる北陸の曹洞宗の寺院など宗派の史実。
更に、龍馬ファン、福井の全国大会ではどのような応援が出来るか。半島震災に遭った国友さんの奥さんの実家、門前町での田植えも会員が応援に出かけることなども話題にあがり、談論風発が続いた。
会員各位のミニ講演は続けていくことなども申し合わせて、次回花の咲く頃にも、また元気に会おうと、午後六時過ぎにお開き。
今回、やむを得ず参加出来なかった方は、次回三月末に浅の川沿い主計(かずえ)町に新装移転する「空海」で、開催を予定します。
で、新たに金沢龍馬会に参加したい方にも呼びかけて、是非参加してください。
又あふと思う心をしるべにて
道なき世にも出づる旅かな
龍馬
お疲れさまでした。会員や会友、金沢龍馬会と何らかの縁ある方々におかれましては、
次回もお元気な顔を見せてください。
金沢は朝から深々と降り続く雪で、積雪は10センチ。1メートルを超える白山麓の白峰で、伝統的な町並みを光で包むライトアップが初めて行われた。
山岸家をはじめとする歴史ある町並みが、静かに降り積もる雪とともに光に照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出した。金沢の冬は今日のような雪が似合って居るのかも知れない。
明日は東京マラソン、越前福井では、江戸時代から300年続く「牛蒡お講」が各地で行われる。
二回も越前へやってきた龍馬も戴いたのだろうか。
各地では、まだ、寒さは残ります。ご自愛ください。
2008 2 16(ふ)
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近畿北陸など各ブロックの活動強化を!!
〜全国龍馬社中から〜
各地では雛飾りが話題になっている。
吹雪の舞う京都で、連休初日の2月9日、全国龍馬社中の役員会が開かれたので、概要をご報告します。
北は北海道から、岩手や東京、横浜、土佐高知の梼原、南は長崎、鹿児島に、地元京都龍馬会の会員らオブザーバーら全国各地から30人余りが出席。
地元京都や大阪、兵庫、滋賀、和歌山、奈良、福井、石川、富山にまたがる近畿北陸ブロック龍馬会のうち、北陸からは越前龍馬会会長の牧田さんに代わって山本さんに金沢龍馬会の福野が出席した。
駅近くの会場ハトャ瑞鳳閣は、新撰組が最後の屯所としていた跡地。思いがけない降りしきる雪で、足下も悪く、会議は30分余り遅れた。
橋本邦健会長は、冒頭「龍馬会は全国で124となったが、点から面への活動はされていると思う。今年6月には移民100年を記念してブラジルなど、幾つか龍馬会の発足が予定されている。
各龍馬会が、それぞれの地域で何が出来るか自問しながら、各ブロックの積極的な取り組に期待したい」と挨拶。
議題に先立ち、前回の去年秋の高知から検討課題になっていた龍馬カードの件は、検討の結果中止することになったことが報告された。
議題
1)全国龍馬社中ブロック大会の充実について
九州では、年四回開催しているなども報告されたが、強化策には、東北ブロックの岩手、厳手一関龍馬会の桜の並木一万本の植樹や長崎の音楽祭、
薩摩の霧島ハネムーン龍馬ウォークなど事業の継続や発展に繋がることが先決。で、年に二回のブロック大会の開催や具体案は各龍馬会にゆだねられた。
また、連絡網の強化も挙げられ、4月までにブロックで、まとめて事務局へ報告することなども了承された。
2)龍馬検定(仮称)について
土佐高知の県立坂本龍馬記念館や兵庫の検定とダブルことが、懸念されたものの、一応了承された。具体的には「第一回坂本龍馬幕末歴史検定」(案)の概要やスケジュールについて
主催:全国龍馬社中 共催:日本出版販売株式会社(ニッパン)
後援:高知県 高知市 マスコミ各社他
協力:高知県立坂本龍馬記念館他
告知:三月下旬 公式テキスト問題集発行:新人物往来社 テキスト問題集発行:3月発売 検定申し込み日:春 検定日:秋 検定試験場:東京、名古屋、京都 ランク:初級、中級
なお、検定問題は、歴史家で、全国龍馬社中副会長の小見濃さんら13人で、一人20問を作成して、3月下旬発行をメドに調整している。
2)その他
龍馬社中副会長で、熊本荒尾市の一期一会会長の平川さんから提起されていた理念の追加など規約改正について、現状でいいとか、「龍馬である」とか、全国にまたがる会員もあり、必要がないなどとなかなかまとまらず。
厳手一関の小野寺さんから、組織が大きくなると、理念も必要で、対外的にも必要でないかとの提案もあったが、残念ながら次回へ持ち越しになった。
なお、席上、龍馬を慕う女性の団体「龍馬108(ぼんのう)女人会」の会長小沼さんから、去る1月22日、地震に遭ったジャカルタのジョクジャカルタのバントゥル県で、
金の繭が取れる野生の蛾が育つカシューナッツの木を108本植林して「龍馬の森」と名付けたことなども報告された。
近畿北陸ブロック、越前龍馬会の山本さんは、龍馬検定(仮称)について、単に紙切れの検定賞でなく、金銀のメダルかバッジを与えてはどうかと提案。
老いドンは、各ブロックの活動の強化は勿論だ。が、社中事務局の強化が求められているのかと指摘するも、事務局は観光協会が代行しており、難しいと。
ならば、財政の強化策こそ緊急の課題と思う。そんなことから、遅きに失したが、龍馬検定になったと思う。ま、やるからには是非成功して欲しい。
◇全国龍馬社中、今後の予定
・「龍馬108女人会」の発会 東京 3/2
・関東ブロック大会 東京 3/2
・JALウォークin高知 高知 3/9
・龍馬ハネムーンウォークin霧島 霧島 3/15〜16
・ミュージカル「龍馬」 愛媛 東温市 3/22〜
・龍馬脱藩祭 高知 3/23
・全国龍馬社中役員会 福井10/24
・全国龍馬ファンの集い 福井 10/25〜26
・坂本龍馬誕生祭 高知 11/15〜16
・龍馬ゆかりの路ツーデーウォーク 高知 11/15〜16
・第35回龍馬祭 高知11/16
他
以上。
この会でも、再会の方もあり、お陰様である。出合いの達人龍馬の習いで、桜並木に取り組む厳手一関龍馬会会長の小野寺、築地龍馬会の会長で、人祭り総長の平石、ソニー坂本龍馬研究会副会長の古居、
龍馬が脱藩の際、韮が峠から出発した梼原(ゆすはら)、土佐高知の梼原龍馬会会長下元、鹿児島龍馬会の会長で、薩摩の味作りの馬場、長崎龍馬会事務局長で、龍馬が愛したカフェが売り金子さんらとの出合いもあった。
帰路、福井で、途中下車。市内湊公民館で開催された越前龍馬会の定期総会に参加。今年秋の全国大会に向けて、前市長の酒井、衆議院議員の山本さんらも出席するなど燃える総会だった。
大会開催費は総額800万円。その捻出に各方面に後援や寄付等々に出歩いている。近くポスターも完成するが、メインの講演講師が難航している等々の報告もあった。
で、ブロック内の各龍馬会の各位にカンパを呼びかけたい。また、越前龍馬会会長で、莨屋塾代表の牧田活宜さんの「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」と題した講演会などの模様については、
全国龍馬社中の様子や雪の舞う京の都でのことなどと共に、来る16日の金沢龍馬会の新年交流懇親会や「東風に吹かれて」で、触れたい。
2008 2 10(ふ)
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「龍馬108女人会」の発会、3月2日(日)!
〜江戸、深川から〜
暦の上では春ですが、名のみで、寒さは変わりません。
会員や会友、金沢龍馬会や回天蒼生塾 と何らかの接点、縁のある皆様には、いかがお過ごしでせうか。
2月16日に開催予定の金沢龍馬会の新年懇親交流会も迫ってきました。
今回は、龍馬108女人会の会長、小沼百合子さんから以下のご案内がありましたので、お知らせします。
この度、全国龍馬会の皆様のご協力とご支援により「龍馬108女人会」を発会することになりました。
振り返ってみますと、龍馬会とのご縁は2004年11月11日、京都龍馬会との偶然の出会いに始まります。
まずは活動の一歩として1月18日から23日までインドネシア、ジョグジャカルタを訪問して、記念植樹を行ってまいりました。
これはロイヤルシルク財団のご招待により、ジョグジャカルタ王室グスティー・パンバユン王女が主催。州知事や政府関係者多数の参加により「ジャワ鎮守の森」記念式典が行われました。
私たちは108本のカシューナッツの苗木を寄贈し、「龍馬の森」植樹支援をスタートさせました。これからも私たちの活動が少しでも社会に貢献できますように、又皆様と共に龍馬顕彰のために尽くさせていただければ幸甚に存じ上げます。
最後になりましたが、
今後に向けてご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げるとともに、本発会式にご参会の程お願いいたします。
【日時】 平成20年 午後3時から発会式
・記念講演 龍馬社中会長 橋本邦健さん
午後4時〜午後6時
・懇親会
【場所】 深川富岡八幡宮
東京都江東区富岡1-20-3
TEL 03-3642-1315
【会費】 五千円 当日受付にて申し受けます。
*連絡先*
龍馬108女人会事務局
潟nンズハウス内
〒112-0011 東京都文京区千石4-46-7
TEL:03-5940-3441 FAX:03-5940-3447
以上。
インドネシアは赤道直下、東南アジアからオセアニアにかけて広がる世界最大の多島国家。2008年は、日本とインドネシアの友好条約発効50周年に当たる。
インドネシアの古都ジョグジャカルタに本拠を置くロイヤル・シルク財団は、2005年に設立されて、天然の黄金色、現地特有のワイルドシルク(野蚕)であるクリキュラやアタカスの生息環境を保全しようと植樹活動に取り組んでい.る。
折角の機会です。梅の開花の頃で、春休みです。出張とか、何かの折に、江戸へ出かけた際に、歴史のある深川富岡八幡宮の発会式に参加されるのもいいでせう。
ご承知のように、 富岡八幡宮は1627年(寛永4年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た。
世に「深川の八幡様」といわれるように、今も昔も変わらぬ信仰を集める江戸最大の八幡様である。江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外、尊崇した将軍徳川の手厚い保護を受けた。
明治維新に際しては朝廷が准勅祭社に治定して、勅使を遣わして幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念したという経緯もある。
また、庶民の信仰は江戸の昔から歴史の変転を経て、現代に至まで変わることなく篤く受け継がれている。
今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せている。このほか、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬の銅像が、境内大鳥居横にある。
測量開始から200年余りを迎え、50歳を過ぎてから天文学や測量術を学んだ忠敬が注目を集めているが、忠敬は深川黒江町(現 門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず富岡八幡宮を参拝していたという。
このことから縁りの地である八幡宮に銅像が建てられている。
歴史の一端に触れて、 出会いの達人龍馬に習い、参加されれば、また新たな出会いもあると思います。
来る2月16日午後3時から、金沢野町「青柳」で開催される金沢龍馬会の「新年懇親交流会」では、室岡会員による「高杉晋作と小栗上野介」の話しも予定しており、
越前龍馬会の講演会「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」への参加や「龍馬108女人会」の発会など、諸々話題になればと思います。
2008 2 3 節分(ふ)
2/12現在 金沢龍馬会の新年懇親交流会 出席
小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島 国友 室岡 徳田 向山 武内 福野
欠席連絡
中川 山田(省) 齊田夫妻 加茂 東 諸橋 済田ゆうじ 不破 大P夫妻 有重
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第7回越前龍馬会定期総会は、2月10日(日)開催!
〜越前龍馬会から〜
会員、会友、金沢龍馬会と何らかの接点や縁ある各位へ。
寒さもひときわ厳しくなりました。寒中お見舞い申し上げます。その後もお変わりございませんか。
今年の秋(10月25〜26日)、越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」を開催する、お隣の越前龍馬会。第7回越前龍馬会定期総会と講演のご案内がありましたので、お知らせします。
◎時・平成20年2月10日(日)
午後1:30から(受付1:00から)
◎所・福井市湊公民館
福井市学園1−4−8 TEL0776−22−0032
◎・特別講話
時・午後2:00から
「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」
講話は越前龍馬会会長で、莨屋塾代表の牧田活宜さん。
◎入場は無料です。
以上。
お隣越前福井藩出身の海援隊士、渡辺剛八(1842〜?)。彼について、これまで明らかにされているのは、没年不祥。別名は大山重、変名は大山壮太郎、柴田八兵衛。
社中の時代から海援隊に参加していたようだが、名前が出てくるのは龍馬の「三吉慎蔵宛書簡」 (慶応二年7月28日)である。
このころ、亀山社中は持ち船の「ワイルウェフ号」を失って、亀山社中の困窮期で、龍馬も一時は解散を決意した程だった。
先の「三吉慎蔵宛書簡」によると、伊予大洲藩の依頼で、同藩の「いろは丸」乗組員として渡辺剛八を初め菅野覚兵衛、橋本久太夫らを派遣し、急場を凌いだという。
渡辺はこの後も、いろは丸との関係が続き、翌三年まで機関方を務めた。慶応三年四月に海援隊が「いろは丸」を大洲藩より借り受けることに成功、
渡辺も引き続き同船へ乗り組み、銃器商品を満載して長崎を出航。瀬戸内海を航行中の4月23日深夜、紀州藩船「明光丸」と衝突し、沈没する事故に遭遇した。いわゆる「いろは丸事件」である。
その後も事件解決のために行われた長崎での紀州藩との交渉には、同船の運航の当事者として出席し、解決に向けて力を尽くす。
慶応三年(1867年)5月29日、龍馬から渡辺と小谷耕蔵に宛てた書簡では、紀州藩との交渉が成立し、そのことを隊士一同に知らせるよう依頼してきたもの。
これから分かるように渡辺は留守がちな龍馬に代わって、幹部の菅野覚兵衛と二人で海援隊を仕切っていたようだ。
また、七月六日に長崎港に停泊していたイギリス軍艦イカルスの乗組水兵だったロバート・フォードとジョン・ハッチングスは泥酔して丸山の路上で寝ていたところを、何者かに殺害された。
この「イカルス号事件」では、渡辺と菅野覚兵衛は共に最後まで自説を曲げず、長崎奉行所の役人を手こずらせ、胆力・気骨のあるところをみせている。
十一月十五日午後九時過ぎ、龍馬は京都・近江屋で、惨殺刺客にされたことを長崎で知った渡辺は激昂し、単身でも上京して敵討ちすると息巻いたが、
土佐藩大監察・佐々木高行に制止されて思い止まった。その後、渡辺は翌慶応四年1月に勃発した長崎奉行所占拠事件で、沢村惣之丞と共に海援隊士を引き連れて参加している。
また、慶応四年4月、菅野覚兵衛と楢崎将作の三女で、龍馬の妻お龍の妹・起美との結婚に際して、仲人役を務めていた。
その後、海援隊は解散し、渡辺は長崎で組織された長崎振遠隊の幹部として、奥羽地方の内戦の鎮圧に向かった。
この長崎振遠隊は渡辺をはじめ、菅野覚兵衛、石田英吉、野村維章らの元海援隊士が軍監となって率い、荘内・仙台連合軍との激戦に戦功を立てている。
維新後、諸役を歴任して屯田事務局に出仕。班次である準陸軍大佐兼開拓少判官に任ぜられ蝦夷地開拓に従事した。
だが、この後の消息はまったく分かっていない。没年も不明。龍馬の蝦夷地開拓の夢に自分の夢を重ねて、渡辺はその地で果てたのだろうか。
また、越前藩士佐々木栄(生没年月不詳)についても、慶応三年の夏頃に海援隊へ参加している。渡辺剛八らと長崎奉行所占拠事件に関与して、長崎の治安維持に努めている。
「横笛丸」の船長だったが詳細は不明である。先に触れた長崎の英国軍艦「イカルス号事件」。事件直後に長崎に来着した英国特派全権公使パークスは、
6日夜長崎港を出帆した土佐藩帆船「横笛丸」の乗組員の犯行と疑って、長崎奉行に抗議し、外交問題へと発展した。 事件の顛末情報を風説から得たパークスは
激怒し、三回に亙り長崎奉行徳永主悦と会談し抗議。パークスは「横笛」が下手人(土佐海援隊士)を乗せて港外に出て、海上で下手人を「若紫」に移乗させ、
「横笛丸」は何も無かったように長崎へ戻ったのではないのか、というものであった。長崎奉行は土佐藩士犯人説は風説であり、証拠が無いと反論。
パークスは政府(幕府奉行)にて手を下すことを恐れ猶予しているのではないか。幕府が藩に対して実力を行使できないのなら英軍によって解決する他ない、
直接幕府に談判すると大変な剣幕。パークスは三回目の会談を終えるや、その日7/20のうちに大坂へ向かい長崎を出港。パークスに責め立てられた長崎奉行は、
夜になって「横笛丸」の船長佐々木栄及び乗組員などを召還して訊問するも、証拠はつかめなかった。で、「横笛丸」が奉行からの出港差し止め命令を無視して長崎出港、
鹿児島へ向っている。詳しくは今回の講演に期待したい。龍馬縁の海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実が、出たようです。またとない折角の機会です。
越前龍馬会のご好意に甘えて、この機会に 是非興味のある方や新たに龍馬会に参加したい方も、お誘い合せの上参加されてはいかがでせうか。
私事になりますが、老母鬼籍への際は、いろいろご配慮を戴き有り難うございました。この場を借りてひと言御礼申し上げます。合掌。
2008 1 21 大寒(ふ)
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新年懇親交流会は、2月16日に開催!
〜金沢龍馬会から〜
会員、会友各位、金沢龍馬会と何らかの接点や縁ある方へ。
寒中お見舞い申し上げます。年末年始はいかがでしたか。久々にゆっくりされましたか。御元気でいい年を迎えたことと思っています。
つきましては、来る2008年、二月十六日(土)の午後三時から、金沢龍馬会の新年懇親交流会を開催します。
会員や会友相互で、積もる話や提案したいこともあるでせう。で、これまで来られなかった会員も万障繰り合わせの上、ご参加下さい。
その際、知人友人に、新たに龍馬会に参加したい方にも是非呼びかけて、参加してください。
以下、時ところです。
2008年2/16(土)、場所 金沢野町、青柳(野町APAホテル前 モシモシ076−242−4014)。時間は午後三時から、午後五時。会費は3000円。いつものように、差し入れは大歓迎です。
会場の都合もあり、出欠の連絡は2/10日までに事務局へ下さい。
今年の秋(10月25〜26日)は、お隣越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」が、開催されます。地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。
出会いの達人、龍馬の志を支えた越前福井での大会に、積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。
そんなことも討議したいと思います。
自分が住む地域や金沢龍馬会で、また越前で何が出来るのか。何をしたいのか、出来るのか。誰のためなのか。活動をより活発にするために、会員の拡大や法人会員の拡大等々についても話しませう。
また、2/9、京都で開催される、全国龍馬社中役員会に出席予定の事務局長福野から、全国龍馬社中の動きや全国各地の龍馬会のご報告等々も出来ませう。
当日会場で、待っています。お元気な顔を見せてください。
2/12現在 出席連絡
小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島 国友 室岡 徳田 向山 武内 福野
欠席連絡
中川 山田(省) 齊田夫妻 加茂 東 諸橋 済田ゆうじ 不破 大瀬夫妻 有重
以下はご承知でせうが、余談です。
龍馬と陸奥宗光(1844〜1897)の関係などについては参考までに。
宗光は、紀州紀伊藩 (和歌山)の出身。龍馬の海援隊に加わって活躍、明治維新後は兵庫県知事や神奈川県令などをつとめたが、西南戟争の際、反乱をおこそうとしたため、投獄された。
出獄後は米国駐在公使、山県有朋内閣の農商務大臣を経て、第2次伊藤博文内閣の外務大臣となって日清戦争前後の外交を指導。
条約改正交渉の成功や下関条約の調印、三国干渉への対応など、大きな功績をあげたことは承知の通りである。
さて、龍馬と陸奥宗光は8才の違い。が、いまだ若輩、修行中の宗光。勝海舟の建議で創設され、龍馬が実質の運営と監督にあたった神戸の海軍操練所も長くは続かなかった。
頃は文久3年(1863年)。8月18日、中川宮朝彦親王や近衛忠煕など公武合体派の皇族や公卿、薩摩、会津藩中心に企てられた政変の結果、
三条実美をはじめとする尊攘派の公卿、長州の勢力が京都から一掃された。翌、元治元年(1864年)、6月には池田屋事件。
久坂玄瑞、高杉晋作を称して松陰門下の三秀という。その一人長州の吉田 稔麿(としまろ)、肥後の宮部鼎蔵、土佐出身の操練所塾生望月亀弥太も斬殺された。
7月、長州は「君側の奸」打倒を目指し京都に攻め上るが、薩摩や会津に封じられ京の三分の一を焼き尽くす甲子の戦争、いわゆる「禁門の変」。
この時、長州を蹴散らしたのは3月に、薩摩の久光に赦免され京に上って薩摩の出先を仕切っていた西郷吉之助だ。
長州はこれで朝敵の烙印を押され、朝命を受けた幕府によって、第1回長州征伐、このような時勢の中、幕府内も保守派の台頭で
11月、勝は軍艦奉行を解任され江戸に召喚、二千石から百俵の身分に。尊攘派の避難所と、にらまれた海軍操練所も閉鎖されてしまった。
しかし、勝の依頼を受けた薩摩藩は塾生の保護に回り、龍馬らは大坂の薩摩藩邸に匿われる。このなかに宗光も居た。
明けて慶応元年(1865年)の4月、龍馬らは、対幕府政策の協議のため国元に帰る西郷と小松帯刀に同行、鹿児島に向かう。次に、汽船「開聞丸」購入の藩命を受けた小松に連れられて、5月には長崎についた。
この長崎で、龍馬は、自分自身と彼に従うおよそ20人の自活と自衛のため、海上運送や商取引の仲介、一種の貿易商会である「亀山社中」を起こす。
薩摩藩も政治的保護、資金の援助を与えた。彼らにとって、この時代は長崎ほどすばらしい場所はなかったろう。源二郎と名乗っていた宗光は、陸奥の姓を使いはじめている。
長崎には、のちに宗光と征韓論政府転覆で行動を共にする土佐の大江卓や中江兆民も遊学中で、龍馬の知遇もえていた。
そのときの兆民は「予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も、彼が純然たる土佐訛りの言語もて、
『中江のニイさん、タバコ買ふて来てオーせ』などと命ぜらるれば、欣然として使ひしこと屡々なりき」と述懐している。この頃土佐では容堂によって武市瑞山が切腹、
龍馬と目指す方向は、分かれたが、綽名で呼び合う仲だった。今連れている同志は瑞山のもとで育ってきている。しかし、龍馬に感傷に浸っている時間はなかった。
亀山社中が最初に行った商業活動は、幕府の監視と封鎖をかいくぐって長州藩のために、武器を購入することであった。
これは、のちの薩長同盟の重要な礎石の役割を果たす。
慶応元年7月、亀山社中はイギリス商人トーマス・グラバーから薩摩藩名義で、購入したミニエー銃4300挺、ゲヴェール銃3000挺を、長州を代表して購入に来た伊藤俊輔(博文)や、
井上聞多(馨)に渡して、12月には、長州は同じ手でグラバー商会から、汽船「ユニオン号」を購入できている。米英仏蘭の四カ国連合艦隊の砲火で深刻な打撃を受け、
今また幕府の第一次征討軍に包囲された長州に救援の手を差し伸べようとしたのは、龍馬だけではなかった。薩摩もまた、傍観。長州見殺しが自藩の利益にならぬことに気づき始めていた。
龍馬は薩摩の側から「戦の一字」の中岡慎太郎は長州へ。それぞれ両藩の間を周旋し調停に当たった。二人の奔走も実って薩長同盟(薩長連合)の密約がなったのは慶応2年(1866年)1月、京都の薩摩藩邸であった。
一介の脱藩の志士にすぎない龍馬は薩長という二大雄藩の密議に同席して、なおかつ保証人の役までを務めた。翌23日、寺田屋に直行、勿論お龍に会うため。
お龍の風呂の窓越しに見えた抜き身の長槍、ここをお龍の機転で捕方百人の包囲から脱出。京の薩摩屋敷に戻り、西郷と松立会いのもとで正式に祝言。3月には日本初の新婚旅行?霧島などの新婚旅行へ旅立つ。
慶応2年6月に再開された第二次長州征討では、6月16日龍馬らを乗せ下関に到着した「ユニオン号」は、直ちに奇兵隊参謀と海軍総督を兼ねていた高杉晋作の指揮下に入り、下関海峡の戦いに参加。
幕府の勢威回復のもとに始められた第二次征討も幕府側が敗退を重ねたあげくの権勢失墜。家茂も急死で、9月に休戦。12月には慶喜が15代将軍職を継ぐ。
この月には孝明天皇も天然痘にて急没した。さまざまな屈折を経過しながらの維新の舞台劇もいよいよ大詰めにさしかかろうとしていた。
この頃の宗光は、何をしていたのだろうか。寺島宗則は最初の薩摩藩英国留学からの帰途で、上海から乗り継いだ英国船上で、陸奥に出会ったという。
寺島は後の1878年(明治11年)、外務卿(外務大臣)に就任し、樺太・千島交換条約や日朝修好条規の締結などの外交交渉を担当していた人物。
龍馬は宗光の勉学好きと才能を惜しむとともに自負心の強いことも配慮し、他の同志とはかなり違った動きをゆるした。宗光も、ひたすら航海術や英語・海外の新知識の吸収に務めていた。
この勉学は、翌3年に結成された海援隊の活動で見事に開花してゆく。龍馬は、薩長連合で再び時流の先頭に立った両藩の間で、にわかに声望を高めたのは慶応3年初頭のことである。
薩長両藩の上に緊密な関係を作り上げた龍馬、中岡の存在が土佐藩の指導者の目に大きく映りだしてきた。龍馬の3歳年下の上士階級出身の
参政・後藤象二郎は、前藩主山内容堂、武市派に文久2年斬殺された参政吉田東洋の立場に近かった。が、いまや「薩長土」連合戦線形成のため、慶応3年1月、脱藩した浪人の龍馬と直に会談する。
4月に、龍馬や中岡は脱藩の罪もとかれて、土佐藩に復帰、長崎での後藤、福岡孝悌の協議で、海援隊と陸援隊が設置され、二人はそれぞれの隊長に任命された。
海援隊は、出身地の藩籍や身分の如何を問わず、佐幕・倒幕の政治的立場の相違も超えて、新しい時代に生きようとする青年に学問と修行の場を提供しようという理想の実現をめざした。
以前にも触れたことがあるが、海援隊の約規の冒頭には「一、凡そ嘗て本藩(土佐)ヲ脱スル者、及、他藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者、此の隊ニ入ル。
運輸、射利(営利)、開拓、投機ニ臨ミ本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。今後自(藩)他(藩)ニ論ナク、其志ニ従テ撰入之‥・」
海援隊には、亀山社中以来の同志含めおよそ50人。このなかに陸奥源ニ郎の名もあった。龍馬によれば、海援隊の精神とは「国を開らくの道ハ、戦するものハ戦ひ、
修行するものハ修行し、商法ハ商法で名々かへり見ずやらねバ相不成事故、小弟出崎(長崎にゆくこと)の上ハ、諸生の稽古致す所だけハしておき候まゝ、御稽古ハでき候べし」
龍馬の思考と行動は、既に狭い藩の枠をはるかに超えたものであった。明治維新後、逆に薩長などの藩閥専制、縁故の世の中になる。宗光は旧藩に縛られた人間と仕組みを終生嫌悪したという。
海援隊は波乱の船出、伊予大洲藩から借りていた「伊呂波丸」が、讃岐の箱の沖で大船「明光丸」に衝突されて、龍馬以下35人は救助されたが、船はあっけなく沈んでしまった。
長崎から大坂に運ぶ途中の銃器弾薬などの積荷もろとも失った龍馬は、大藩相手に「万国公法」を持ち出し損害賠償交渉。で、八万三千両を得て勝利した。
大藩とは、悪いことに宗光の紀州藩、またまた他の隊士からイジメにあった。めげずに宗光は「商法の愚策」を書き、海援隊の商事部門をやる意欲満々。
薩長土肥、更に越前までを股にかけた龍馬の東奔西走の日々の中、宗光は田辺、仙台藩などとの取引など、次第に大きな商談の裁量も任されるようになっていく。
土佐藩のためには、オランダ商人・ハートマンからライフル銃1300挺を調達したり、このころの宗光の鞍馬天狗のような写真、どう見ても伊達者!?か蕩児の風采!?。
慶応3年(1867年)6月、「伊呂波丸事件」を乗り切った龍馬は、後藤象二郎とともに土佐の藩船「夕顔」で長崎を離れ、海路京に向かう。
が、すでに京都では、5月21日夜、中岡慎太郎の周旋によって、土佐藩から乾(板垣)退助や谷干城、それに毛利恭助、薩摩から
西郷隆盛、小松帯刀。吉井幸輔にて、倒幕の戦端が開かれた際の両藩協力の密約が成っていた。後藤象二郎は、武力倒幕に組みしない山内容堂から上京を要請されていた。
後藤の船に便乗して、6月12日兵庫についた龍馬は、この航海途中に、王政復古の私案「船中八策」を後藤に示していた。
これは、勝海舟や大久保一翁、横井小楠などとの接触を通して、龍馬が次第に組み上げてきた合議政体の思想が、この航海に同行した海援隊士・長岡謙吉の筆で文書となったもの。
維新後の日本の政治社会を支配する諸理念が、ことば使いも含めてほとんど出揃っている。あるものは明治元年(1868年)「五箇条のご誓文」に、こだまして、
また、あるものは明治7年の板垣や後藤の「民選議員設立建白書」の文面に蘇る。しかも、これは合議政体に平和的に移行する可能性を充分に考慮した提案でもあった。
しかし、10月3日、「船中八策」に起因する合議政体の採用と内政と外交の刷新を訴えた土佐の山内容堂からの「大政奉還建白書」は後藤象二郎を介して将軍慶喜に提出され、いよいよ最後の局面を迎えた。
この間、龍馬は懸命に後藤の背中を押しつづけ、後藤もまた決死の思いを政権返還にかけた。後藤からの急報で、将軍慶喜の決意を聞いた龍馬は傍らに居た海援隊士中島作太郎(宗光の義弟)に
「よくも断じ給えるものかな、余は誓ってこの公のために一命を捨てん」と、感動にことばをふるわせながら語ったという。
10月14日、慶喜は大政奉還を上表、朝廷はすぐさま15日にこれを受理。しかし、このあとすぐに王政復古、平和裡に合議政体樹立まで、一直線とはならなかった。
いったん慶喜に機先を制せられた薩摩の西郷や大久保、岩倉具視などを中核とする武力倒幕派は、宮廷革命の方式にて政権返還派の動きを封じ、
一気に幕府勢力打倒の方向に向かったからである。そんなこともあった。
2008 1 10(ふ)
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全国の会員、会友各位へ
〜金沢龍馬会から〜
2008年の幕が明けました。
謹んで新年のお喜びを申し上げます。
昨年は、全国の会員や会友、ゆかりのある方々に、半島震災募金などでお世話になり有り難うございました。
今年もよろしくお願い申し上げます。
金沢龍馬会は、お陰様で、2003年(平成15年)の10月13日の創立以来、今年で5年目を迎えます。以来、越前龍馬会や富山龍馬会、近畿北陸ブロック会議や全国大会など種々の催しに参加させて戴きました。
また、金沢龍馬会も歴史散歩花見会や講演会などの活動もそれなりに行ってきました。
今年も龍馬の志に学び、敵、味方関係なく、逢うべき人との出会いのために、会員は頑張る決意を新たにしています。
躊躇無く自分の足を使った龍馬。
21世紀の我々に、あらためて脱藩の意味を問いかけていると思っています。
紛争の絶えない世界、みどりの星の喜びのカケラもない地球汚染、堕落した政官財商、格差社会・・・。
頑な心からの脱藩、体制からの脱藩を問われているように思えます。
「今一度日本をせんたくしたく申候」といった龍馬。今、自分に出来ることは何かを考え、龍馬に笑われないよう、ひとり一人が自分の信念を大切にし、行動すべきではないのか。
今年は、お隣越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」が開催(10月25〜26日)されます。全国の地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。
龍馬の志を支えた越前福井での大会に、積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。
なお、事務局管理の金沢龍馬会HPも2万超のヒット、衷心より感謝申し上げます。
これからもあらゆる声を、交流のキッカケの場としてお届け下さい。
HP管理者の金沢龍馬会事務局長で、ドキュメンター作家、随筆家(酔筆家?)の福野は全国龍馬会社中においても献身的な奉仕をすると思います。何なりと申しつけ下されば幸いです。
本年が、会員や会友各位に、健やかで充実した年であるよう祈念いたします。
2008年 戊子 元旦
金沢龍馬会 会長 武内紘一
2008 1 1(ふ)
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「幕末写真館」展
〜゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!〜
会員、会友各位へ
その後も皆様にはお変わりございませんか。
土佐の「高知県立坂本龍馬記念館」から「幕末写真館」〜゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!〜展の案内がありましたのでお知らせします。
会期は12月17日(月)〜2008年3月20日(日)
大きな写真館として゛今回は幕末の雰囲気作りを企画しました。
ペリーの黒船と伴に運ばれてきた新時代の追い風は、戊辰戦争を経て明治維新を迎えるわずかな15年の間に、風の吹き溜まりの如くいくつかの事件を引き起こした。
カメラはその事件に焦点を合わせる。事件周辺の人々の表情も、現場の風景、人々の生活ぶりも被写体となる。人物の中に龍馬がいる。ひときわ異彩を放っている。
時代の最先端を走る竜馬。カメラはその足跡を追う。
いや、時にカメラそのものが龍馬に、龍馬がカメラそのものになってしまう錯覚を覚えるはずだ。
会場のあちこちに、時代を動かした人物が土佐和紙に映し出されて登場する。等身大である。龍馬も、慎太郎も、勝海舟、桂小五郎、高杉晋作‥‥
どこかで見慣れた人たちの表情から、新しい時代を創る時代の“エネルギー”を感じて欲しいと思う。混迷を深める現代、龍馬と伴にシヤッターチャンス。
この機会に、是非、土佐高知へ。
入館料は大人500円、高校生以下は無料。20名以上の団体は一人400円。
お問合せ先 高知県立坂本龍馬記念館
高知市浦戸城山830 〒781-0262 電話088-841-0001
以上。
英国人のF・ベアが撮影した生麦事件の現場(東海道生麦付近)の珍しい写真も展示して在ります。
承知のように、文久2年(1862年)に薩摩の島津久光はこの年3月、1000人の武士を率いて京都に上り、公武合体のために活動を始め、4月23日には寺田屋事件を起こして自藩の尊皇攘夷派を切った。
5月には公家大原重徳を勅使にたてて江戸へ向かい幕府に種々の改革を迫った。幕府に対する攘夷の決行や一橋慶喜(徳川慶喜)の将軍後継職任命、
越前福井、第14代藩主松平慶永(よしなが 春嶽) の政事総裁職任命して、両名の幕政参加を老中の板倉勝静や脇坂安宅らに迫った。
春嶽は、後に五箇条のご誓文を書いた由利公正、橋本左内らに補佐され、洋楽所の設置や軍制改革などの藩政改革を行ったが、龍馬に気を許し5000両を貸したは承知の通り。
ところで、8月21日、一通りの役目を終えて京都へ戻ろうとしていた久光の護衛の武士はこの時400人、一行が武蔵国橘樹郡生麦村(現 横浜市鶴見区生麦)にかかった時、
たまたま川崎大師を見物に行こうとしていた英国人4人が乗馬のままこの行列の前を横切った。彼らは大名行列の前を馬に乗ったまま横切ることが、極めて無礼な行為であるということを知らず。
一人の武士が、こんな所を通ってはいけない、と注意したが、気の短い一人の武士は4人に斬り掛かっていく。それに続いていく者も出てきて結局4人のうち1人が死亡、2人が怪我をし、もう一人も帽子と髪の一部を切られた。
命からがら逃げてきた3人から事情を聞いた英国人たちがその大名行列にすぐ報復をという騒ぎになったが、英国代理行使のニールが抑えて外交ルートでの決着を図った。
代理行使のニールは4人が被害にあった場所は英国人が遊歩することを許可された地区であったとして、幕府と薩摩藩に謝罪と犯人の引き渡し及び賠償金の支払いを要求。
これに対して幕府は何とか穏便にと賠償金を支払うが、薩摩藩は犯人は不明であるとして要求を拒否。このため英国は薩摩藩に報復すべく軍艦を派遣、
翌年7月2日、薩摩、錦江湾で直接砲火。英国艦隊と薩摩藩船との激しい戦闘が起きたのが「薩英戦争」。この戦で、英国軍も薩摩の船を拿捕するが、薩摩軍も英国軍の旗艦ユリアラス号に多大の被害を与え艦長を死亡させた。
大勢としては英国の勝利ではあったものの、死者の数は英国63名に対して薩摩はわずか17名。この結果、英国も「薩摩は良くやる」と敵を評価し、両者は急速に仲直りして、維新への流れが加速することになる。
余談だが、彼らの祖国英国では、貴人が馬車や乗馬姿で通る際、下馬して道を譲り、手綱を締め(馬が暴れない様にする)脱帽して片膝を付いて座り敬意を示した上で見送ると云うのが礼儀。
行列を乱さない様に気を使った行動をしたとは云え、乗馬姿で通った行為は、他民族に対し侮辱的で欠礼な振舞いしたとの見方もある。京急本線生麦駅近くに事件の石碑が残る。
動きなよ!ぶれるき!゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!そこに時代の声を聞く。
坂本龍馬が日頃から好物で食べ、最後の食事に蜂吉に頼んだと言われる軍鶏(しゃも)。
龍馬は最後は口にすることは出来なかったらしいが、龍馬の伝記にはよく出てくる一品、軍鶏鍋と、龍馬の功績にちなんでできた土佐の地酒「船中八策」と共に食してみることも、土佐高知の楽しみではないかと思う。
2007 12 28(ふ)
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龍馬の書簡から見た北海道開拓
〜龍馬が行く 夢街道から〜
会員、会友各位へ
寒くなりましたが、その後も皆様にはお変わりございませんか。
北の大地、北海道龍馬会は去る6月に10周年記念総会を開催。ここでも紹介したが、九月には二泊三日の日程で、龍馬を通じて、創造性豊かな青少年を育てようと「世界龍馬塾集中講座」が開催された。
集中講座には、中学生から、大学生、はたまた70年代のお年よりも参加したという。北海道龍馬会の機関紙「龍馬が行く 夢街道から」に、会長代行で、ノンフィクション作家の合田一道さんの講演要旨が掲載されていました。
で、ご参考までにご紹介します。
1864年(元治元年)六月始め、龍馬は京都摂津の浪人ら五十人を「黒龍丸」(筆者注 幕府が12万5千ドルで購入したばかりの米国製)に乗せて兵庫を出帆、十七日に江戸に着いたが、たまたま航海中の五日、
京都で池田屋事件が起き、勝海舟門下の望月亀弥太が殺害されたのを知り、海舟へ難が及ぶと判断して、蝦夷地行きを断念した事実を資料を用いて説明。
次に、薩摩藩の後ろ盾で購入したワイルウェフ号が1866年(慶応二年)五月、五島塩屋崎沖で沈没。また、土佐藩の海援隊長となった直後の1867年(慶応三年)四月二十三日、
大洲藩から借りた「いろは丸」は瀬戸内海の備後鞆の津沖で、紀州藩の「明光丸」に衝突されて、沈没。龍馬は、この出帆の直前に、長州藩の印藤肇に宛てて便りを出し、蝦夷行きへの執念を伝えている。
さらに、薩摩の保証で購入した「大極丸」(注 物資輸送と蝦夷開発のために、プロシヤの商人チョルチから購入。3本マストの風帆船)がイギリス兵殺人事件に巻き込まれて、
龍馬は広島藩の林健三に「やがて方向を定め、シェラか極楽かに御供可申奉存候」と便りを出した。
合田さんは「龍馬は暗殺されたが、後に甥の坂本直寛が北光社を連れて、北見に入植し、その夢を実現させた」と力説した。
&合田一道さん。
北海道生まれ。長く記者として北海道新聞に勤め、編集デスクとしての傍ら主に日曜版のノンフィクション・エッセイは高評を得た。
主な作品に「日本史の現場検証」「裂けた岬」「流氷の海に女工節が聴こえる」など。
以前に少し触れたことがあるが、龍馬が生前夢見た北の大地、新天地での開拓は、承知のように龍馬の姉千鶴(ちづ)の次男(龍馬の甥)で坂本家本家第5代当主坂本直寛(なおひろ)によって実現した。
直寛は1896年(明治29年)北見開拓の視察をする途中、浦臼の聖園農場に立ち寄って、北見地方開拓の協力を求めたことで、浦臼町との関係が始まった。
ここには、同じ高知出身で、キリスト教を信仰する自由民権運動の元代議士、武市安哉(あんさい)が、信仰と教育による理想農園を作ろうと入植した。
が、1894年(明治27年)12月2日に青函連絡船にて脳溢血のため急死。享年48歳。
武市は、土佐高知、長岡郡大村住吉野(現 南国市)生まれ。1879年(明治12年)に、県会議員に当選、二年後には県会議長となり、1885年(明治18年)、キリスト教の洗礼を受け長岡郡一帯の伝道にも力を尽くした。
1887年(明治20年)10月に片岡健吉が元老院に提出した建白書(三大事件建白)、いわゆる外交失策の挽回、地租軽減、言論集会の自由を求める運動をきっかけに政治運動が起きた。
で、大同団結運動と並んで自由民権運動の最後を飾る運動として知られている。
横道に逸れるが、片岡健吉(1844〜1903)は、幕末から明治前半にかけて、自由民権運動の立て役者である板垣退助(1837〜1919)らと共に国会開設に向けて尽力し、国会が開設されると衆議院議長も務めた。
片岡と板垣とは共に龍馬を生みだした土佐高知の出身。片岡がキリスト教信仰を求めたのは板垣の影響だとも言われている。
板垣は西欧の立憲政治がうまく機能しているのは、主としてキリスト教道徳が背景にあるからだと考え、人々にキリスト教の効用を説いた。
片岡はキリスト教信仰を熱心に求め、宣教師ジョージ・ノスから受洗。高知教会の長老となり、同志社学長、東京YMCA理事長、日本基督教伝道局総裁などを歴任してキリスト教界のために業績を遺した。
さて、この三大事件建白運動で、武市は、長岡郡の総代として上京。保安条例による退去命令を拒否して投獄された。1947年(明治22年)、明治憲法発布による大赦令で出獄。
三年後に衆議院議員に当選したが、1893年(明治26年)任期途中で辞職。安哉はキリスト教精神による理想の農村を築こうと北の大地へ渡った。
26人の青年と共に浦臼町札的(さってき)に聖園農場を作り開拓を始めたが、翌1894年(明治27年)に急死して、聖園農場の開拓は一時頓挫した。
翌1895年に、この農場を支援しようと坂本直寛が中心となって、土佐高知で移民団「北光社(ほっこうしゃ)」を設立。
その二年後、1897年(明治30年)5月に、家族など100戸を従えて、北見クンネップ原野へ到着、開拓が始まった。
翌1898年(明治31年)に仲間に後を任せて、妻と4人の子どもを連れて浦臼の聖園農場に入植。
浦臼は樺戸連山と石狩川が流れ、いくつもの川や三日月湖、沼などが点在する平坦な地。近隣のまち同様、水害に苦しめられた。中でも、1898年(明治31年)の石狩川大洪水は、緒についたばかりの北海道開拓に大打撃を与えた。
田畑や家屋は流され、離農する者が後を絶たなかったという。教会では、伝道と青年の指導に励み、当時の大洪水の時などには、知人の板垣退助らに陳情して、資金を出させ災害救済に貢献したらしい。
これが、今日の浦臼のもととなったといわれる。1899年(明治32年)龍馬の養嗣子だった坂本直が前年、57歳で逝った後に、その妻留(とめ)と次男の直衛が浦臼の直寛を頼って移住。
横道に逸れるが、高松太郎(後の坂本直)は、土佐高知、安芸郡安田村(現 安芸郡安田町安田)の郷士、高松順蔵に嫁いだ龍馬の実姉千鶴の長男として生まれた。
彼は、1867年(慶応三年)十一月十五日に、京の近江屋にて刺客の凶刃に斃れた龍馬が暗殺された時は、他の海援隊士と共に、大坂の土佐藩定宿「薩万」に駐在していた。
翌日龍馬の危難を知ると、直ちに川船で京都に急行した。此の頃から小野淳輔と仮称した。維新後は新政府に出仕し、明治元年閏四月、函舘府が設けられると、函舘裁判所権判事として函舘の五稜郭に赴任した。
清水谷公考総督に従って、蝦夷地経営に尽力。1869年(明治二年)、榎本武揚の軍に侵略されて一旦青森まで撤退、四月には江差奪回戦に従軍して、戦功をあげて再び函舘府に勤務した。
だが、十二月には権判事を免ぜられて土佐に帰国する。此の時、嘗ての脱藩罪を問われて、三十日の処分を受けた。
1871年(明治四年)八月、新政府、朝廷の命に依って龍馬の家督を継ぎ十五人扶持を給せられ、名を坂本直と改めている。
家督相続後、東京府に出仕して典事を命ぜられ、更に宮内雑掌、舎人を歴任した。明治二十二年キリスト教を信奉したことで失脚した。
で、非職となって高知に帰郷して、本家筋の実弟・坂本直寛宅に同居した。が、晩年は不遇だったらしい。
さて、直寛は4年間聖園農場にて尽力したが、1902年(明治35年)に旭川へ伝道者として移った。留と直衛はその後、留が69歳で亡くなる1915年(大正4年)まで、浦臼町内で駄菓子屋を経営して生計を立て住んでいた。
が、直衛はその2年後1917年(大正6年)に独身のまま34歳で亡くなってしまう。
このような経緯で、浦臼町札的の墓地に、二人の墓(坂本龍馬家の墓)がある。近くには武市安哉の墓も建っている。
留が1915年(大正4年)に亡くなったときには龍馬の手紙などかなりの数が惜しいことに散逸してしまった。生活が苦しかったがために、留が売ってしまったらしい。
その後、遺品の多くは坂本家の本家第7代当主弥太郎によって買い戻され、現在は坂本の本家で管理されている。
坂本龍馬の養嗣子坂本直寛の孫は、山岳画家の坂本直行(1906〜1982)で、通称「ちょっこう」。釧路で生まれた坂本家8代目当主である。
北大農学部入学後、山岳部にも居た。1936年(昭和11年)から十勝の広尾町に入植して、十勝の大自然を描いてきた。
1965年(昭和40年)から札幌市に住んだが、帯広市に近い十勝の河西郡中札内村に「坂本直行記念館」がある。去年、ふるさとの土佐高知で、遺品展が開かれ、感動を与えたことは承知のことと思う。
中には草花のスケッチや日高の山々を描いた水彩画などが展示されている。建物の外壁には、120年ほど前に建てられたクロアチア古民家のオーク材を再利用して、
周りには画伯が愛した北の草花を植えた野草園が広がっている。
なお、遺品や坂本一族の写真などの関係史料は、札幌から滝川へ行く途中の「浦臼町郷土資料館」に展示されている。
浦臼町郷土資料館
北海道樺戸郡浦臼町浦臼第5町
開館時間 午前9時〜午後4時
休館日 毎週月・火曜日・祝祭日の翌日 12月1日から翌年3月31日
入館料 無料
TEL 0125−68−2237
金沢龍馬会では、年が明けた二月に、懇親新年交流会を予定しています。龍馬を巡る積もる話しもしませう。知人友人をお誘い合せの上ご参加下さい。
春になって、雪の消えた頃、北の大地へ行く機会あれば、十勝の「坂本直行記念館」と共に是非立ち寄ってみたい所の一つである。
さて、来年、龍馬の全国大会が開かれるお隣の越前龍馬会、恒例の第6回年末大交流会が八日40人が参加して開かれた。交流会は、大会旗のもと、開宴。
で、「龍馬大杯・誓いのまわし飲み」、「チャリティーオークション」と続き、。名誉顧問で、前福井市長の酒井夫妻、鹿児島前市長赤崎夫妻、熊本前市長三角夫妻が登場で、一気に盛り上がった。
8時過ぎには、前福井副市長の東村さんが挨拶に訪れ、無事大盛況のうちにお開き。で、10時頃には二次会、三次会で散会。参加戴いた皆様、又、これなかった皆様、1年間有り難う御座いました。
いよいよ、カウントダウン。
来年の全国大会は、どうか宜しくお願いします、とメッセージあり。御成功を期待して、応援したいですね。
また、富山龍馬会では12月15日に、とやま市民交流館で、司馬遼太郎原作「竜馬がゆく〈下〉」 のビデオ上映会。また、忘年会はリコモンテ(富山エクセルホテル東急15F)で、盛大に実施したそうです。
金沢龍馬会では、年が明けた二月に、懇親新年交流会を予定しています。龍馬を巡る積もる話しもしませう。知人友人をお誘い合せの上ご参加下さい。
新たに仲間に加わりたい方も大歓迎です。お気軽にご参加下さい。
向寒の砌、風邪なんぞ引かぬようにご自愛下さい。
2007 12 8 (改12/15 ふ)
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第7回龍馬生誕・追悼祭のご案内!
会員、会友各位へ
霜月も半ばへ。寒くなりましたが、その後も皆様にはお変わりございませんか。
お隣、福井の越前龍馬会事務局から下記の案内がありましたので、お知らせします。
第7回龍馬生誕(172年)・追悼祭(140年)。
時は、2007年(平成19年)11月15日(木)午後8時〜。場所は福井市照手(たばこや旅館跡)。参加費は無料です。
今を去る140年前、1867年(慶応3年)11月15日、京の都は河原町。
近江屋にて刺客の凶刃に斃れた海援隊々長の坂本龍馬。
同日、遭難し、翌16日に亡くなった下僕の藤吉、また17日に亡くなった陸援隊々長の中岡慎太郎。
龍馬は齢33歳、中岡慎太郎30歳、藤吉は齢25歳、新しい時代の礎を築き、その大成を見ることなく、志半ばにしてこの世を去った彼らの遺徳を偲ぶ。
中でも、京の都から三日かけて越前へ。で、1863年(文久3年)5月16日の深夜、福井の三岡八郎邸にて、横井(小楠)、坂本(龍馬)、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文を書いた由利公正)を訪ねた。
三人で、酒を飲みながら、龍馬は声調すこぶる妙に「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」と嘯いた。
志半ばにして倒れた龍馬。
追悼祭は土佐高知や京都でも行われますが、お時間があれば、参加されるのもいいせう。
龍馬が他の志士達と大きく違っていた点は、日本の将来に対する見方でした。他の志士達は、徳川幕府を如何にして倒すか、ということしか考えていなかった。
が、龍馬は幕府を倒した後の日本をどうするかを真剣に考えて具体的に「船中八策」という形で示し、それが後に「五カ条の御誓文」という形で実現されている。
折角の機会です。越前龍馬会の各位と龍馬の志に触れて、新たな出会いもあると思います。
寒いので、暖かくしてご参加ください。
2007 11 12 (ふ)
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秋の懇親総会、盛況に終わる!
〜新たに4人入会、来秋の福井大会へ!!〜
味覚に、読書、芸術の秋。
スポーツの秋、金木犀も咲きほころび、山はキノコに紅葉、まさに錦秋。
そんな中、会員や会友に新たに4人の方々が加わり、金沢龍馬会の秋の総会懇親会は、成功理に終わりました。
で、やむを得ず、今回参加出来なかった方は、次回に是非とも参加して下さい。
懇親総会は、秋晴れの10月13日(土)午後二時から、金沢は、片町。
かの犀星も愛した犀川。その犀川に架かる大橋近く、鰯組で開催。オーナーの東さんは金沢龍馬会のメンバーだ。
出席は、室岡、中川、山野、山田(友)、辰口の山田(省)、徳田、 国友、齊田(眞)、宮島、鶴来の済田(ゆ)、武内、福野。また、今回は、新たに中川友人の諸橋、
更に、徳田友人の米村、済田(ゆ)友人の諸田、有田、鶴来の小堀、不破に、山田(友)友人の高橋と多彩な顔ぶれ。鰯組の東さんを含めて20人が参加。
いつものように、中川先輩や山田(友)、ゲストの小堀、武内の諸兄からワインや麦酒、日本酒、焼酎などの差し入れを戴きました。有難う御座いました。
武内会長は「更なる活動で、来年の福井大会へ多くの参加を呼びかけたい。また、この後に予定している三方の講演にも期待したい」。次いで、初めての方もおり、仕事や目下取り組んでいることなど自己紹介。
続いて中川さんの乾杯の音頭。ついで「金沢龍馬、中川が見た米国」に「辰口龍馬 山田の仏大寺の歴史探訪と史食」「金沢龍馬、国友が見たデンマーク」と題したそれぞれ10分のミニ講演。
この中で、中川さんは行ったときは「9.11」で、米国の様子を見て、バファロー市で開かれた地域経済振興会議に姉妹都市45周年の金沢市の代表として参加。会議には計9カ国、70人が参加。友好を深め、経済発展の可能性を探った。
サンライズRCの例会にも出席、姉妹クラブ10周年を祝い、デラウエア公園の日本庭園を視察、アフリカ・マラウイ国のエイズによる孤児たちの『子供村』が火事で消失したので再建に取り組みたいので協力をして欲しいなどの申し入れがあった。
また、バッファロー・フィル・オーケストラのリハーサルを見学、全米一のピアニスト、Van Clivern氏と対話する機会もあった。三日間の会議のうちノーベル賞を受賞した医学研究者Herbert Hauptman氏の講演も聞いた。
アルブライト・ノックス美術館、オーケストラなどは市民の誇りであり、かつ官でなく民で運営されている。秋の演劇シーズンを告げるカーテン・アップのあったシアーズ劇場、格式高い社交場バッファロー・クラブなど見るにつけ、その富の蓄積、アメリの底力を実感。
紳士淑女のスポーツ?宿願の乗馬も二回、十分に楽しんだ。花火のナイアガラ滝は轟音が滝口にこだまし圧巻だった。またゴアのノーベル賞はブッシュへの当てこすり?などうがった見方にも触れた。
さて、マップ入りのチラシ持参の山田(省)さんがいう仏大寺町は、鏡花ゆかりの辰口、松井の根上、九谷焼きの寺井の3つの町が、合併して出来た能美市にある。市は、現在の人口は4万8千人余り、世帯数は1万5千900戸。
で、74町会のうち、人口は32人、世帯数は11戸。かつての辰口町でも、一番少さな町である。仏大寺を象徴する観音山(402m)に連なり、林野面積は大きく、それ故、自然遺産に富んでいる町といえよう。
20日は、山田(省)さんが、「能美ほっこりまつり」の一環として、午後12時30分から、仏大寺界隈の歴史に触れながら案内するという話を聞いて「のみのほっこり祭」に参加したい、という会員も数人出てきた。
同時に、能美市の博物館が「ノスタルジア能美電〜あの頃をふたたび」と、秋季特別展を開催する。その入場口として、七五年ごろの駅舎の写真から改札口や切符売り場、時刻表などを忠実に再現する。
歴史を今に生かす地域興し。地域貢献。これ、龍馬会会員の社会的活動の一つで、皆で応援しよう。ここでは、事前に連絡はあったが、遅刻早退が常連?の市議山野さんが、入って来たので自己紹介をして貰った。
しばし、待って貰った国友さん。奥方の実家が半島震災に逢ったけれども、金沢で、長年つきあってきたデンマークのモリッツ・絵里子夫妻は、子供の教育はふるさとで受けさせたいと帰国したが、夫妻の家で過ごしたことなど。
デンマークは人口500万人の立憲君主国。日本の小学校・中学校に当たる初等教育および下級中等教育を市が行い、高校に当たる上級中等教育および成人教育を県が行う。
また、職業教育および大学等高等教育は国が行う。教育は基本的に無償である。
紺碧に輝く湖沼が多く、どこへ行っても公園のような美しい景観。平らな国なので、近場は自転車で十分のようだったと、体験などをもとに披露した。
いずれにしても出会いの達人、龍馬に習った話。互いに元気を戴いたことでせう。
ここで、一言、話したいことが有りますと、飛び入りだ。高知の龍馬の龍馬像には間違いが三つあると、エピソードについて詳しい山田(友)さんは、暴力団追放石川県民大会について、ひとくさり。
来る10月17日(水)午後2時から金沢駅前の石川県立音楽堂 邦楽ホールで開かれるので、是非参加して欲しいと。当日は、暴力団の多い大阪。大阪府警の暴力団対策管理官が具体例をあげて記念講演する。
また、金沢東警察署員による寸劇「不当要求対応要領」なども、暴力団に困っている方やこれからの予防の参考になりましょう。更に、県警音楽隊によるドリル演奏も行われる。万障繰り合わせて、参加されては如何ですかと。
次いで、土佐高知での第19回全国龍馬ファンの集いの報告は事務局の福野から。(資料参)
既にHPで、概要は報告済だが、大会は、去る9月の22日〜23日龍馬のふるさと土佐高知。
北はみちのく一関をはじめ、東京や横浜、甲府、京都、大阪、兵庫、岡山、福岡、熊本、南は薩摩龍馬会など全国各地から集まった。
また、長崎の写真家、上野彦馬ゆかりの海援隊龍馬倶楽部会長の海保幸康、龍馬おりょうの新婚旅行ゆかりの地、県議から霧島市長となった薩摩龍馬会会長の前田終止さんら。
又、お隣、越前龍馬会から顧問で前市長の酒井、牧田会長ら17人、富山龍馬会から杉田会長ら6人、金沢龍馬会から福野が参加した。
全国龍馬社中会の橋本邦健会長は「今年は龍馬没後140年。日本全国に、米国やイギリス、フランス、インドネシアなど世界で124に龍馬会が結成された。
次は世界五大陸の一つ、アフリカのコンゴ、そして南米ブラジルにも作りたい」と、点から面へとの活動を呼びかけた。
次いで、作家のジェームス三木が「龍馬と私」と題して、記念講演。一時間余りの中で、ジェームスは「激動の時代を潜り抜けたネットワークの達人龍馬は、混迷の時代にあって、生きる勇気を与えてくれる彼の平和主義は次の時代を訴えている。
彼(龍馬)は、ぼそぼそとしゃべったらしいが、人間の魅力で、訴える説得力があった。松山の坊ちゃん劇場で、来年三月からミュージカル『龍馬!』を一年間上演したい。
彼の商才にも目を向け、タップダンスも取り入れてみたい。高知のあと、全国各地へ回りたい。すべての道は龍馬(ローマ)に通ず!?」と笑わせた。(資料参)
時あたかも、参院選で惨敗した自民党の総裁選の最中で、全国の龍馬会の代表らが「龍馬の魅力とは」「なぜ今、龍馬なのか」のテーマでトークを一時間半余り繰り広げた。
みちのく岩手の一関龍馬会では桜並木に取り組んでいる、山梨龍馬会甲斐援隊では、龍馬の許嫁の千葉にちなんだ「千葉さな子杯」剣道大会を開催して熱戦が繰り広げられたことなど、各地の社会的な取り組みなども合わせて報告された。
越前龍馬会のメンバーは日本海のイメージ、揃いの青の法被を着て、龍馬に5000両を貸した藩主松平春嶽らを全国の仲間にアピール。
来年、2008年秋に福井市で初めて開催される「第20回集い」への参加を呼び掛けた。交流会では、出会いの達人龍馬に習い、それぞれ旧交を温めたり、
更に、新たな出会いに名刺交換、写真に納まったりと親しく歓談する光景がアチコチで見られた。
福井市での集いは、来年2008年10月25〜26日に開かれることが決定しており、現在、集いに向けて「企画」「広報」「招福」など六つの委員会を組織し準備を進め、全国の龍馬ファンを待っている。
♪ええかげんな奴じゃけ ほっといて くれんさい アンタと一緒に 泣きとうは ありません…
金沢龍馬会の会員で、店主の東さんは、知る人ぞ知るギターの名手。場も盛り上がった所へ登場した。
初めての会員や会友らは龍馬の歌、ギター演奏なども聞いて、拍手喝采。盛り上がった。
また、演奏の後、鶴来の高校時代の友人が、拉致被害者。
で、手がかりがつかめず閉口しており、何らかの情報があれば知らせて欲しいと。途中で、用事で退席する会員もおり、中じめは、室岡さんの一本締め。
此の後も、それぞれが、昨今の政治状況や武内さんが作曲したミリオンスターズのCDになった話等々で、話は尽きず。
北信越首位のミリオンスターズ、明日の試合?で優勝か。ところで、今回、出席の返事があったが、やむを得ず欠席したのは玉井に染谷。何かあったのだろうか。気になる。
それぞれ、時間いっぱい、午後五時まで、龍馬の志などをめぐり談論風発。
今回の総会で、新たに諸橋、米村、有田、不破の4人が会員に加わった。今後の活躍を期待し、更なる発展を目指そう。
次回は、目下勉強中という室岡さんの高杉晋作、記者の合間をぬってまとめているという高橋さんの中世史にも期待したい。
又あふと思う心をしるべにて
道なき世にも出づる旅かな
龍馬
”あえの風”という「東(あい)の風」は、老いドンの「能登加賀 東風に吹かれて」でも触れたが、ふきあいの風、すなわち、いろいろなものを吹き寄せる風である。
鰯など魚を吹き寄せ、間もなくブリなど大漁を約束する風、人を呼び寄せる風、ものを運ぶ風、便りを持ってくる風。今回のように様々な出会いをつくる風である。
行きは金木犀の香りにコスモスの花、バスの中は元気な高校生たちのはしゃぐ声、久々の香林坊や片町は若い子らのブーツが目についた。
本屋の中は、土曜日か、意外と人が多い。
香林坊では、おでんの菊一を覗いたら親父さんは元気そうだった。
入れ変わった店もあるなど様変わりしていた。
北陸の湖沼へコハクチョウもやってきた。もう冬への誘い。
帰路は、山田、武さんと片町の交差点のとある店でカフェ。
別れた後は、ほろ酔いで、水留や幸町の佇まいを歩いた。この日の歩数は6700歩余り。
田中真紀子と丁々発止をやった福田何某の言ったように年か?。でも記憶はまだあるけど、やだね。
先日、海の小屋へも、釣り上げた落ち鮎持参で、寄ってくれた江南の同期市姫君は故郷の志賀町で、釣り三昧しているだろう。
「希望は天上にあり、実行は脚下にあり、後生須(すべか)らく実行の人たれ」
司馬遼太郎
2007 10 13(ふ)
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長崎学さるく 坂本龍馬・長崎のすべて!
〜お龍さんの月琴にも会える!!〜
龍馬が、長崎で亀山社中をつくり、暗殺されるまでの2年6か月の間に、長崎でどんな行動をしていたのか?
長崎龍馬会から、以下のご案内がありましたのでお知らせします。
風頭公園の龍馬像や亀山社中跡などをまわってから、龍馬が立ち寄った料亭花月で昼食。後に、龍馬の妻お龍さんが8ケか月滞在した小曽根家までを、バスや電車を使って散策します。
参加された方には
●長崎さるくオリジナルハタ(たこ)を進呈。
●史跡料亭花月での昼食は、卓袱の松花堂風のお弁当。
●史跡料亭花月内の集古館(資料館)では、龍馬直筆の長崎奉行あて差出の草案などを見学。
●龍馬を支援した小曽根家では、17代当主小曽根吉郎さんから、当時の写真の説明やエピソードなど。
●小曽根家では、お龍さんが愛用していた月琴も特別に見学。
●当時のカステラを復元した龍馬カステラをお土産に。
◇実施日時 ※時間は、いずれも10:00〜16:00
10月6日(土) 定員 10名 9月1日(土)午前9時から予約受付。(9/28 満員御礼)
7日(日) 々(9/28 満員御礼)
11月3日(土) 定員 20名 10月1日(月)午前9時から予約受付。
12月1日(土) 々 11月1日(木)午前9時から予約受付。
2日(日) 々
◇ガイド 長崎龍馬会 増田泰之さん、小杉徳寿さん
◇講師 小曽根吉郎さん(小曽根家17代当主)
◇集合場所 長崎出島 ヘトル部屋
◇コース 出島→長崎奉行所西役所→風頭公園→小川ハタ店→龍馬像→亀山社中資料館→亀山社中跡→藤屋跡→上野彦馬写真館→玉川邸跡→中島川界隈→清風亭跡→料亭花月(昼食)
花月内資料館・庭→丸山界隈→薩摩藩邸跡→大浦天主堂→龍馬坂→小曽根宅
◇参加料 小学生以上9,000円 (各施設入館料、昼食代、資料代、お土 産代、保険料を含む)
※コース中の交通費(バス・電車)は、参加料には含まれておりません。各自でご負担ください。
※参加料は、事前に送金をしていただきます。
◇申込予約 問い合わせ先 長崎国際観光コンベンション協会へ電話などでお申し込みください。
〒850−0862 長崎市出島町1−1 出島ワーフ2階
TEL:095−811−0369 FAX:095−824 −9128
または、下記のHPで、空き状況をご確認のうえ、予約申込をしてください。
http://www.saruku.info/saruku_gaku_40.html
定員になり次第締め切らせていただきますので、早めにご予約くださ い。
◇備考 ・ すべて昼食付。
・ 直前のキャンセルは、キャンセル料がかかる場合があります。
・ 最少催行人員に満たない場合、中止になることがあります。
・ 天候や都合により、変更・中止する場合があります。
以上。
「長崎に来ずして、龍馬を語るなかれ!」なんて、長崎龍馬会の増田泰之さんからの便り。龍馬を知る機会です。この時期、長崎へ行かれる方はご参加ください。「さるく」とは、ぶらぶら歩くという長崎弁。
長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた。
今回、案内のある花月(引田屋)は、1642年(寛永19年)に創業という老舗。
かの井原西鶴が著した延宝版「日本永代蔵」では、「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀、無事に帰宅すべし」と当時の繁栄ぶりをうたっている。
江戸の幕末、明治へと長崎を舞台に活躍した国際人の社交場で、文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留したらしい。花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残している。
昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業。集古館には 映画「長崎ぶらぶら節」で有名になった名妓・愛八直筆の歌本や写真、去来の俳句や頼山陽の書、坂本龍馬直筆の書などを展示しており、一見の価値はある。
♪遊びに行くなら 花月(かげつ)か仲の茶屋 梅園(うめぞの)裏門 たたいて 丸山 ぶうらぶら
ぶらり ぶらりと言うたもんだいちゅう
なかにし礼の「長崎ぶらぶら節」の舞台として、また、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にも登場する知られた料亭。
龍馬が傷つけたという柱の傷跡がある。長崎伝統の卓袱(しっぽく)料理にありつけるかどうか。
「わからんまち長崎」をゆっくり歩いてみませんか。長崎ならではの歴史や風物、隠された謎をたんねんに歩く。さるくガイド、長崎龍馬会増田泰之さんらの案内です。港長崎を歩いて龍馬を知ろう、語ろう。
2007 9 10(ふ)
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素晴らしき仲間!!
〜9/10発行の季刊「美しい星」第五号に金沢龍馬会!〜
コスモスが咲きほころび、日本海の底引き漁も解禁、能登や加賀の平野では、稲刈りも盛んに行われています。
この度の強力な台風9号の被害、交通もズタズタ、床上浸水にけが人や死者もでるなど関東圏などは大変です。
当地は、お陰さまで、たいした被害もありませんでしたが、会員各位には、そのごも御元気で、ご活躍のことでせう。
ところで、金沢倶楽部「金澤」10月号別冊、9/10発行の季刊「美しい星」第五号(P88)に、
金沢龍馬会が、 「素晴らしき仲間」として紹介、掲載されましたので、ご紹介します。
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○概要と活動
幕末維新の頃に坂本龍馬が抱いた熱い精神や行動を学び、語り合う、個性豊かな会。
龍馬を慕う老若男女が集い、郷土を見つめ直し、世界を語り、龍馬の懐の深さ、大きさに励まされる交流の場にしたいと2003年10月に発足しました。
仕事や地域、世代の壁を越えた多彩なメンバーが揃い、現会員は30名余。全国の史跡を探訪するなど、各地の龍馬会との交流も盛んです。
○参加について
龍馬が好きで歴史に興味があり、人との出会いを求めるなど、会員と楽しく出来る方なら、いつでも、どなたでも入会できます。入会希望者はまずはメールで。年会費3000円。
○読者へのメッセージ
会員個々の信条、信念が会をより盛上げ、実りあるものにしています。歴史を学び、人との出会いを求める人は、ぜひとも入会しませんか。会長 武内紘一さん。
問い合わせ:金沢龍馬会事務局 Email jr9kml@jasmine.ocn.ne.jp
HP http://www18.ocn.ne.jp/~kml/
と、「美しい星」編集部の取材に応えたもので、去年の福井の歴史散歩の写真とともに、
当金沢龍馬会の会員募集の記事が掲載されました。
本屋さんの店頭で、立ち読みでもしてください。
季刊「美しい星」は「金沢発、50歳からの人生を幸せにする地域密着マガジン」として発行されたもので、今回は能登を味わうなんて特集もある。
豊富な農蓄林水産から、一般に食材王国と言われる能登。「地産地消」や「食育」といった話を求めて、能登の食文化に詳しい方や生産者を訪ねている。
今なお「日本の原風景」が残る能登には、地元の人たちの人情があふれている。
手にされてみるのもいいでせう。
この際、一人でも多くの会員、会友が増えて、活動がより活発になるといいですね。
各位の奮起に期待しています。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上に下し、その使命が終わったとき惜しげもなく天へ召し返した。
この夜、京の天には雨気が満ち、星が無い。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた。
〜「竜馬がゆく」司馬遼太郎〜
では総会で、会いませう。
2007 9 7(ふ)
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全国龍馬ファンの集い 近づく!!
〜新たな出会いと友情を求めて〜
猛暑。会員や会友の皆様にはお変わりなく御元気でご活躍のことでせう。
龍馬の目線で、考えよう!第19回全国龍馬ファンの集いが、近づいてきました。
概要が固まりましたので、お知らせします。今回は、龍馬のふるさとである土佐の高知。来年のお隣福井大会を前にした全国大会です。大会運営も実地で学ぶいい機会です。で、多くの方の参加を期待しています。
◇日時: 2007年(平成19年)9月22日(土)〜23日(日)
◇会場: 高知市 市文化プラザかるぽーと(高知商工会館)
◇本大会: 22日 13:00〜17:00
開会式、記念講演(ジェームス三木)、龍馬トーク、引継ぎ式、閉会式
◇懇親・交流会: 22日 18:00〜20:00
高知市文化プラザかるぽーと(高知商工会館)
参加費 6000円
土佐の高知ではお祝い事など酒宴のことを「おきゃく」という。お酒とご馳走で、心がほぐれ知らない人とも自然と会話が弾んで 本音のお付き合いが深まるコミニケーションの場。
宴も半ばになると、座興のひとつとして「箸拳(はしけん)」という遊びが始まる。
これは二人で行う遊びで、双方3本ずつの箸を隠して持ち、独特のかけ声とともに片方の手を差し出して数の合計を当て合う競技。
負けた方は、中央に置かれた献盃を飲まなければならないルール。で、いやが上にも場が盛り上がる仕掛け。
そんなことにも出くわすでせう。
◇エクスカーション: 23日 1)龍馬探訪の旅
2)龍馬維新街道の旅 梼原方面(脱藩の道)
社中総会・懇親会は、21日夕方開催されます。
◇お問い合わせ
〒780−0870 高知市本町5丁目6番13号 [社]高知市観光協会
電話088−823−4016
http://www.welcome-kochi.jp
主催:高知市 高知市観光協会 全国龍馬社中・高知ブロック
共催:全国龍馬社中
◇参加申し込み: 宿泊やエクスカーションなどすべての参加等々締め切りは8月31日。
申し込み用紙や宿泊先、会費の振込先などの詳細は金沢龍馬会事務局に届いています。
まとまり次第、現地事務局へ連絡しますので、出欠については8月25日までにご連絡ください。
なお、個人で行かれる方は、JTB中国四国 高松支店 「第19回全国龍馬ファンの集い高知大会」 係り 浅津さん 藤原さんへ。電話は088-823-2331です。
また、お隣の越前龍馬会では、バスを貸しきって、高知へ向かう計画を立てています。
概要は、
◎参加費43,000円(交通、宿泊、食事、交流会費込み)
◎出発は21日(金)午後9時です。
午前6時発、先乗りもあります。これには別途 およそ15000〜20000円かかります。
参加の申し込みは、8月25日までに(30名定員 福井交通大型バス)、越前龍馬会(会長 牧田活宜さん my-ryoma@mx2.fctv.ne.jp)へ申し込んでください。
折角の機会です。これまで、各地で開催された「全国龍馬ファンの集い」に参加されていない会員や会友の皆さん、この際一度参加されるのもいいでせう。
月の名所の桂浜や龍馬脱藩の道、梼原(ゆすはら)方面へ歩くのもいい。市内の追手筋のおよそ一キロ余りは、およそ300年続いている日曜朝市。これを覗かない手はない。
早朝から夕方まで、 取れたての魚や野菜等々、土佐高知の人々の暮らしと共に積み重ねてきた歴史も感じよう。更に、日本を代表する清流、四万十川の舟母船に乗って山の風に吹かれるのもよかろう。
全国各地から会員や会友が参加します。新たな出会いもありませう。
また、思いがけない友情も芽生えるかも知れません。
まずは、行動ありき。出会いの達人、龍馬が待っている!!
♪…
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ 来てみいや
じんま(爺さん)も、ばんば(婆さん)も よう踊る よう踊る
鳴子両手に よう踊る よう踊る ほいほい!
…
正調“よさこい鳴子踊り”
それでは、高知で会おう!!
2007 8 15 (ふ)
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龍馬の妻おりょう、晩年は孤独
〜横須賀の鈴木さんが出版へ〜
龍馬は京都近江屋で、中岡慎太郎と共に刺客に襲われて、暗殺されたのは、承知の通り1867年(慶応三年)。没後140年。土佐脱藩浪士の多くは志半ばで非業に倒れた。
最愛のひとを亡くしたおりょう(1841〜1906)は、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して、西村松兵衛と再婚した。
この頃の住まいは、三浦郡深田村(現在の横須賀市米ヶ浜)だったらしい。
晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残るが、再婚相手の松兵衛は近江八幡の西庄(旧蒲生町)の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していた。
が、明治に入り横須賀へ移っていた。
そのいきさつは去年の春、横須賀から梶谷叡正さんという仏師が近江八幡資料館の館長山内美代子さんを突然訪れたことに始まる。
「松兵衛さんの墓がどこにあるのか」と。考古学が専門で、龍馬のことなどは夢にも思わなかった、考えてもいなかった山内さんは、学芸員共々慌てらしい。
図書館や役場で、調べる一方、西村という名前が多い金田村の西村姓を調べるうちに西庄町に西村姓があることを突き止め、円光寺へ問い合わせた。
更に遠戚を訪ねたり、土地台帳などの調査に乗り出して、近江蒲生郡金田村(現 近江八幡市)の西村喜左衛門の次男であることが分かった。
西村家は1894年(明治27年)頃まで、金田村に住んでいたが、宅地を遠戚などに売り渡して京都へ移り住んだらしい。
ご両人の再婚は、お龍の母お貞と近郷であり、幼い頃から知っていたのでないかと推測した。
近くにいた双方の母が昔から顔見知りであったことなどから、再婚に踏切ったのではないかと。
ここまで調べ尽くして、ようやくことの真相が明るみになったらしい。
河内さんは「松兵衛が再婚相手のおりょうさんの墓を作った話といい、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったおりょうを
包み込む度量の大きい何とも優しい、愛の深い男ではないか思います」。
また、知らない他国、何のゆかりもない横須賀に二人が居たことは、横須賀に店を構えていた八幡商人(近江商人)がいたこともあり、
同郷の者がいるという心丈夫があったのではと推測する。
「買い手よし、売り手よし、世間よし」の三方よしの理念で、天秤棒一本の行商から北は樺太、北海道から沖縄など全国はもとより
安南(現 ベトナム)など海外まで羽ばたいていた近江商人ならである。
去年の6月、薬学博士で元金大教授、葦の研究家の西川嘉廣さんを近江八幡に、お訪ねした折、資料館の館長山内美代子さんを引き合わせて戴いた。
この時に、山内さんから伺った話で、この欄でも触れた。
毎日(7月16日)によると、龍馬の妻おりょうが後半生を過ごした横須賀市に住む歴史研究家、鈴木かほるさん(61)が、おりょうの生涯を本にまとめたらしい。
龍馬亡き後のおりょうについてはあまり知られていないが、鈴木さんは「家族を大事にして立派に生きた女性」。おりょうの生涯に焦点を当てた
研究をまとめた単行本は初めてで、11月末ごろ出版予定という。
タイトルは「資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍(りょう)」(新人物往来社)。およそ200ページで、半分を資料の図版約120点が占める。
鈴木さんは、主婦業のかたわら中世史を研究し、4年前に横須賀市からおりょうの資料収集を依頼され、本格的に研究を始めたらしい。
この中で、龍馬と過ごした京都や高知を現地調査したほか、おりょうを取り上げた新聞や論文を網羅。
龍馬の暗殺(1867年)からおよそ4カ月後、海援隊の活動費用として龍馬が残した1000両の受け取りを断った。
また、海援隊の志士が芸者と結婚する際、芸者屋への手切れ金を工面したことなど人柄に迫る逸話を明らかに。
おりょうは龍馬の死後、高知や京都、東京を流転。1875年に商人の西村松兵衛と再婚して横須賀に住んだが、直後に妹の息子を養子にし、大阪にいた母を迎えた。
養子と母の死後は妹を呼び寄せて3人で暮らしたが、松兵衛と妹がともに家を出て独り暮らしとなった。1906年に死去し、墓は横須賀市内の信楽(しんぎょう)寺にある。
鈴木さんは「晩年は酒浸りになったと伝えられるが、そういう資料はない。ただ孤独で、心の頼りは龍馬しかいなかったのでは」と推測する。
2007 7 19 (ふ)
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震災義援金、門前町へ。
今回の沖縄、九州、中四国に集中豪雨、台風四号は残念ながら各地に大きな爪あとを残した。
被害を受けた各地の皆様には、お見舞い申し上げます。
去る3月25日、未曾有の震災に遭った能登半島。
復旧、復興は少しづつ進んでいますが、まだまだ。
震災直後から、金沢龍馬会では義援金を呼びかけていました。
お隣越前龍馬会では、四月の花見のシーズンに市民に呼びかけたところ尊い浄財を戴きました。
また、名古屋や金沢などからも会員や知人、友人から金沢龍馬会へ募金が寄せられて、あわせて10万円にのぼりました。で、今日午前、金沢龍馬会の武内紘一会長と事務局の福野が、被災地で最も被害が大きかった諸岡地区、門前町道下(とうげ)の町会長泉晴郎さんに10万円をお届けしました。
泉さんの向かいや辺りは瓦礫をどかして更地が目立つ。
泉さん宅は「4日前に、やっと修復工事が終わったばかり・・・」という玄関。
諸岡地区、門前町道下では240戸のほぼ半数が全半壊し、55所帯が、今なお仮設住宅に住んでいる。
武内会長は「募金された皆さんのお気持ちを受け取ってください。・・・」と、泉さんに善意の浄財の経過報告とともにお渡しした。
門前へは、羽咋から志賀町を経て、海岸沿いに走った。
お隣柴垣。長手島を見下ろす本成寺や宝泉寺も地震の被害を受け、宗門へ義援金の給付申請をしたと聞いている。
志賀町の市街地から富来の葉タバコ畑を見て、くねくねした山道。
途中、工事中のランプで何回か待機した。家持の歌碑も立つ剣地(つるぎじ)からの海岸では冬の味覚であるぼた海苔、岩海苔の海苔田の隆起が目につく。
かつての天領、黒島では北前船の角海家や民家の倒壊が、なんとも無残。
連休で帰省したのか県外ナンバーも目に付いた。これでは、毎年旧盆に行われている夏祭りは中止となるだろうか。
海磯(かいそ)や曹洞宗の本山・総持寺祖院門前の中心市街や道下地区などは、青いシート。半壊のままで、ブルなどが入り、また荒地となった震災の爪あとが残っていた。
所々に、参院選の立候補者のポスターが目に入るが、なぜか空しい。
彼らは、本当に震災や年金問題を解決しようとするのか。口先だけでないのかなぁ。
また、被災したお年寄りの中には「当時、壊す費用がただと聞いて壊してもらったけど、
今となれば直せばよかったかもしれん」。
しかし、これからのことを考えると「それだけのお金をかけるのも難だし、仮設住宅が良かったのか悪かったのか、分りません・・・」。
今回の義援金については、総持寺祖院の門前の町会長星野さんにも確認して戴きました。星野さん「建物には改めて筋交いの大切さが分りましたよ」確かに諸岡地区へお届けしました。ご安心ください。
受け取られた町会長の泉さんは「仮設住宅におられる方も居ます。貴重な浄財は、皆さんにご報告して、お役に立てたい」と話す。義援金に応じて戴いた多くの皆様に感謝して、ご報告とします。
帰路、あえて門前の商店街を通り、輪島へ向かったが、震災に遭い虫食いのようになった更地。帽子、子ども服、婦人服、靴下…プレハブの仮店舗で営業する衣料品店「シモグチ」も目に入った。
今回の地震でおよそ200平方メートルの店舗兼住宅は全壊。
震災から一ヵ月後に再開したらしい。
輪島では河井町在住の金沢龍馬会会員、漆芸作家の有重さんを訪ねたが、
震災にもめげず、元気そうで一安心。
なお、半島地震の義援金の募集は
当分、継続しますので宜しくお願い申し上げます。
2007 7 14(ふ)
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第15回 龍馬からの手紙
龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。
龍馬没後140年記念、ギャラリー龍馬開設20周年記念の 【龍馬からの手紙展】の案内が龍馬ゆかりの「海援隊京都本部 酢屋」十代中川敦子さんからありましたのでお知らせします。
龍馬からの手紙展は、龍馬と同じ年齢の方々に、激動の中に生きた龍馬を振り返っていただき、広く世界を見つめた龍馬と混迷する日本の今、そして未来の日本の姿を考えていただく公募展です。龍馬になったつもりで、あなた自身の意見を書いて下さい。
【作品応募規定】
○作 品 A4判用紙一枚以内(便箋でも可)手書き ワープロ可 未発表の作品 一人一点に限る 作品の返却は致しません。
別紙に住所・氏名(フリガナ)・年齢・職業・電話番号を明記
○締切日 平成19年9月30日(日) ※当日消印有効
○応募資格 33才までの人
○応募方法 郵送、FAX、メールにて応募できます。
○ 賞 ・最優秀賞 1点
・優秀賞 2点
・入選 10点
(最優秀賞:5万円 優秀賞:1万円 入選:酢屋オリジナル木工品)
○発 表 10月末 入選者に直接通知します。
※応募作品の一切の権利は主催者に帰属します。
○応募先 京都 酢屋
〒604-8031
京都市中京区河原町三条下ル一筋目龍馬通
電話(075)211-7700 FAX(075)256-6066
suya-k@mbox.kyoto-inet.or.jp
○主 催 海援隊京都本部 京都酢屋
この機会に若い人たちは、是非参加されるのもいいと思います。
また、秋11月は、以下の展覧会に参加されるのもいいでせう。
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【第15回】龍馬からの手紙展
龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。
毎年全国から公募された竜馬からの手紙の受賞作品、ならびに全作品を龍馬が寝泊りした部屋で展示公開致します。
・平成19年11月2日(金)〜5日(月)
・午前11時〜午後5時
一般/大・高生:300円 中・小生:無料
【龍馬追悼展】
・平成19年11月10日(土)〜25日(日)
・午前11時〜午後5時
一般:600円 大・高生:300円 中・小生:無料
2007 7 14(ふ)
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22日(日)、京都史跡探訪!!
梅雨の真っ只中。各地の集中豪雨も心配されます。
会員会友の皆さん、その後もお変わりなく御元気でご活躍のことでせう。
去る一日、お隣富山の富山龍馬会も会員も増える中で、総会や懇親会も盛会に開かれました。
すでにお知らせしましたが、来年秋、越前福井で、龍馬ファン全国大会が開催されます。
それに向けて燃えている越前龍馬会から、京都日帰り史跡探訪のご案内がありましたので知らせします。
◇日時: 7月22日(日)
◇集合: JR福井駅東口 6時50分 7時出発
◇解散: 々 夕方の予定
◇参加費: 12000円(昼食付)
当日は
京都龍馬会長の赤尾さんの案内で、龍馬の街・京都の原点を歩きます。
全て、お任せ、特盛コースの企画で、当日は知らない史跡等々があり、期待も出来ませう。
・途中、北陸自動車道のICからの乗車も可能で、希望の方は申し出下さい。
・申込、問い合わせは 越前龍馬会
・締切は、7月12日(木)必着で!
折角の機会です。
越前龍馬会のメンバーとの交流に、京都龍馬会長の赤尾さんの案内で、龍馬の街・京都の原点を歩いてみるのもいいでせう。
以上。2007 7 6 (ふ)
参加申し込みの皆様へ!
大変申し訳ありませんが、催行人数に満たないため、中止延期といたします。
又、企画いたしますので、その時は、宜しくお願いいたします。
2007 7 13 越前龍馬会事務局
余談だが、陸奥宗光。
龍馬暗殺の知らせを受け、暗殺を指示したとみられる人物らの宿に斬り込んでいった明治の政治家で、外交官の陸奥宗光(1844〜1897)。
紀州・和歌山藩士伊達藤二郎宗広の6男として生まれたが、父宗広は幕末、紀州藩の財政危機を救う程の大功績をあげながら、藩内の政争に巻き込まれ、伊達家は一家離散の憂き目をみた。
そのため、彼は藩士の子弟としての教育も受けられず、独学で漢学等の学問を身につけた。のち、外人宣教師宅に住み込み、努力の結果身につけた英語力は、後年英国人をもうならせるほどだったらしい。
後に土佐の坂本龍馬の知遇を得、龍馬が組織した亀山社中に参加して、海援隊に参加。
龍馬にその才能、特に商才を高く評価されて、彼は龍馬から「二本差しでなくても食って行けるのは俺と陸奥のみ」と言われるほどだった。
彼は、河原町の蛸薬師で醤油商も営む近江屋で、龍馬暗殺の知らせを受け、
暗殺を指示したとみられる人物らの宿に斬り込んでいったのもよく知られた史実。
また、明治維新の後には政府に参画したが、薩長閥の専横に抗議、征韓問題で西郷隆盛や板垣退助と共に下野した後、土佐の立志社系の政府転覆運動に参加して5年間、投獄された。
1883年(明治16年)赦免により出獄し、3年余の外国留学の後外務省に勤務。その後駐米公使、山県内閣の農商務大臣、衆議院議員、伊藤内閣外務大臣などを歴任し、日清戦争前後の外交に。
彼は、英国の法学者で、功利主義の主唱者ベンサム(1748〜1832)の立法論を全訳する程、語学力に秀でて、欧州各国の教授と英語で憲法論を論じるほどの高い能力と識見を持ち合わせていた。
その手腕によって、英国との不平等条約改訂や治外法権撤廃を成功させ、独立国日本としての立場を獲得したとされる。
その協調をもとに日清戦争を外交面から支援。このとき遼東半島の割譲を巡り、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉を受けた苦心の外交折衝の経過は、その著「蹇蹇録(けんけんろく)」に記されている。
これが、いわゆる゛陸奥外交゛であり、彼は明治時代の代表的な外交官と言われた。
かつては、間違いなく日本外交が一流だった時代があった。
それが「陸奥宗光とその時代」であるともいわれている。
明日七月七日は彼の命日。
2007 7 6 (ふ)
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全国大会、9月22日。来年は福井で10月2日に!!
6月30日、龍馬縁の京都で開催された近畿北陸ブロック会議で、改めて明らかにされた。
また、全国龍馬社中の橋本邦健会長は、「一昨年、全国のすべての都道府県に龍馬会が出来た。これからは、点から面の行動だ。
少しでも社会が明るくなるように、各地の龍馬会は地域の為に貢献して欲しい。自分が龍馬になった積もりで、自信を持って頑張って欲しい」と力を込めた。
大胆な発想と行動力で、時代を切り開いた幕末の志士坂本龍馬。志半ばにしてこの世を去った。没後140年たった今もなお、彼の魅力は色褪せることを知らない。
彼が歴史にその名を刻んだのは、頭角をあらわし始めた28歳から暗殺される33歳までのたった5年間ほどと言われている。
動乱の時代に彗星のごとく現れ、偉業を成し遂げ散っていった彼の人生は、未だ解き明かされていない多くの謎に満ちている。
梅雨の真っ只中。晴れ間の京都。街の青葉若葉が美しいが、なんとも蒸し暑い。
江戸日本橋から 532キロ。 中山道・東海道の終点の三条大橋は加茂川に架かる三大大橋の一つ。
1590年(安土桃山時代)、秀吉が小田原攻めで、北条氏を滅ぼしたことを記念して架橋されたという。
幕末の志士に影響を与えた勤皇の思想家・高山彦九郎が皇居の方角を向いて、ひれ伏す像が目に入る。
大橋の欄干には十二の擬宝珠(ぎぼし)があるが、西詰め南側には「旅は道づれ世は情け」、弥次喜多さんの銅像が立っていた。
この三条河原には豊臣秀次一族三十九人が処刑され、また天下の盗賊石川五右衛門が釜ゆでにされたという血生臭い歴史も残る。
三条大橋辺りから、河原町や木屋町にかけては、やはり京の都か、
和服姿に若い女性達のノースリーブに短パン姿が目立つ。やはり学生の街かと思う。
時間が、一時間繰り下げされた為、開始の午後五時までに少し時間があった。で、享保6年から現在まで、創業280年続く材木商、龍馬ゆかりの「酢屋」や土佐藩邸跡などを歩いてみた。
そこで、何とも偶然越前龍馬会の牧田会長らに出会った。朝早く「龍馬ゆかりの伏見へ行って来たのです」と。「この近くに『酒場 龍馬』の店が、出来たと聞いたので、確認に来たのです」
「えぇ、そんな店が…」と聞きつつ、すぐ近くにあるという店を案内して貰った。
「それはいいね、京都へ来たら、誰でも気軽に一服も出来るし…」バイクの駐車場は満員。
歩道にもチャリがあふれている。三条や四条などの大通りは別として、狭い通りの京都は自転車とバイクの街ではないかと思っていた。
そこへ、バイクにヘルメット姿、京都龍馬会の赤尾理事長と近江龍馬会のお龍さんこと、錦織さんがやってきた。赤尾さんは、いつも現れるときは着物に袴の龍馬スタイルで、ヘルメットを取るまで分からなかった。
京都龍馬会の事務局も併設されている『龍馬』の店は、今年の3月、オープンしたというこぢんまりした店。店内は10人も入れば一杯になるが、各地の会報に龍馬のグッズ、龍馬縁の名が付けられた各地のお酒も並べられていた。
夜になれば赤くてデッカイ提灯も掲げるそうだ。店を仕切るお龍さんこと、錦織さん「大津と京都は20分で、皆さんの協力で、何とか開店しました」と。酢屋と土佐藩邸の真ん中の木屋通り、高瀬川沿いの都会館の一階にある。
で、冷たい茶を戴いているうちに、常連で有るのか、京都龍会の企画実行委員で、ブラジル籍のパホ マルシオさんらが次から次へと現れて店に入るや、あふれた他の人は中に入ることが出来ず。
時間もそろそろ、近づいた。ここからも近い市役所横、帝国ホテル一角にある桂小五郎の像を見て、高瀬川「一の舟入」の真ん前にある会場の「豆屋源蔵」へ。
土佐高知から朝7時半に出たという全国龍馬社中会長の橋本邦健さんをはじめ、地元京都や各地の龍馬会のメンバーが次々と集まってきた。
この日出席したのは、地元京都の会員に、7月28日発足する堺龍馬会の女性も交えたメンバー、大阪や兵庫、それにお龍さんら近江の和服姿の女性会員や福井、金沢の老いドン等あわせて20人。
会議は、全国龍馬社中の理事で、兵庫龍馬会の楠本剛会長の開会挨拶に続いて 越前龍馬会会長で、牧田ブロック幹事長の司会進行で進められた。
まず、全国龍馬社中橋本邦健会長が、「先般、海外の龍馬会としては米国の三つやフランス、ドイツ、インドネシァに続いて7番目、121番目のロスアンゼルス龍馬会設立総会の為に米国へ行ってきた」
予想を上回る80人の会員を前に「龍馬の精神を汲み、日本人として、ロサンゼルスの為に、米国のために何かを残していこう。今日から龍馬になって」と訴えてきたと。
更に「世界の海援隊をやりたいと言っていた龍馬。その夢を叶うべく、五大陸に設立したいと念願しており、アフリカのコンゴへ行く予定だった。暴動で、外務省から止められて、やむなく行くことは断念した経緯もあるが、いつか実現したい」。
また、「一昨年、全国の都道府県すべてに龍馬会が出来た。幸い北海道、東北、関東、東海、近畿・北陸、中国・四国、九州、高知、海外と8つのブロックも出来たことで、これからは、点から面の行動だ。
少しでも社会が明るくなるように、各地の龍馬会は地域の為に貢献して欲しい。自分が龍馬になった積もりで、自信を持って頑張って欲しい」と、熱のこもった挨拶。
議題2、今年で19回会目を数える龍馬ファン全国大会について
来る9月22、23日高知で開催。交流懇親会は予定していた桂浜貸し切りの案は、雨天でテントを張っても台風のこともあり、会場は高知市文化プラザ「パルポート」に変更した。
また、特別講演は、ジームス三木さんに決定したが、来年4月から松山で、二週間連続で龍馬のミュージカルを予定しており、脚本だけでなく、縁の人たちとのパネルデイスカッションも検討している。
議題3、近畿ブロックの名称の変更などについて
北陸の福井、金沢、富山は近畿としてでなく北陸であり、この際名称を近畿北陸ブロックに変更する件は全会一致で了承された。また、近畿北陸ブロックの副幹事として、金沢龍馬会の事務局長不肖福野を推薦したいとの提案があり了承された。
議題4、2008年第20回福井の全国大会について
現時点で、予定されている概要は以下の通りと越前龍馬会からの報告。
◇日程 2008年(平成20年)10月25日(土)〜26日(日)
◇会場 福井市駅前、アオッサ八階 福井県県民ホールにて
10月24日(金)前夜祭 全国龍馬社中会総会、懇親会
期間中は、福井市郷土資料館にて「春嶽をめぐる人々特別展」
10月25日(土)13時〜開会 アトラクション
13時30分〜記念講演(講師未定)
15時〜分科会予定 ・龍馬と福井藩
・春嶽をめぐる人々
・福井藩出身の海援隊士
16時〜報告会 引き継ぎ式
18時〜交流会(会場未定 二次会までご案内)
10月26日(日)エクスカーション
A 龍馬ウォーキングコース(9:30〜11:30)
B 幕末史跡コース(9:00〜13:30)
C 越前史跡・観光コース(8:30〜14:00)
D 若狹史跡・観光コース(8:00〜15:00 帰路JR敦賀経由福井駅)
(BCDは昼食付き)
議題4、各地の龍馬会の報告から
京都龍馬会の監修で、7月27日 千利休を生んだ堺市の創業が永宝年間という老舗のけし餅舗の隣に、京都龍馬会の法人会員であるサカモトテクノが「Associaton Gallary Ryoma」をオープンさせる。
また、翌、28日堺市で、堺龍馬会の発足総会が開かれるとの報告。
更に、全国龍馬社中会から、ホームページに各龍馬会お薦めのお店紹介ページを作る。
趣旨は、会員が、出張や旅行などに行った時、安心して行けるように、居酒屋・スナックなどを
全国龍馬社中の掲示板に、ご紹介くださいと。第二弾は宿について検討中。
具体的には、各地の龍馬会会員が、経営されている店、龍馬に関する屋号の店、龍馬会に理解がある店、龍馬会価格で飲ませてくれる店など(※各地の龍馬会推薦の店は、全国龍馬社中のHPに逐次掲載中)。
金沢龍馬会からは、先般の総会で、来年福井大会に全面的に協力応援すること、
富山龍馬会は7月1日総会開催を予定していることなどを報告。最後に、今年秋の土佐高知での再会を期して、会議を閉会した。
このあと、懇親会に移ったが、鴨川の川上から吹く風は、何ともいい。。
今回、会議に先立って寄ってきた高瀬川によって運ばれた材木を扱う材木商(現在も営業)酢屋。
龍馬が近江屋で遭難する直前まで身を寄せ、海援隊京都本部が置かれていた酢屋。
入り口に「坂本龍馬寓居の跡」の石碑が立っている。
すき屋風の作りで1階は木工芸のお店。2階には「ギャラリー龍馬」として龍馬の遺品が公開されて いる。
「先祖は、決して匿って居たとは言わなかった・・・」と。その酢屋の十代目中川敦子さん。
挨拶の中で「間もなく祇園祭です。来られたら○○龍馬会と仰れば茶を一服差し上げます」と。
京都人には、「まじかやな」と心待ちにしている祇園祭か。17日には山鉾巡行と続く・・・。疫病払いか。
また、龍馬の定宿、1862年(文久2年)4月23日の薩摩尊攘派粛清事件、「寺田屋騒動」で知られる伏見の舟宿・寺田屋の若きオーナー津幡学さんも参加され「宿泊は、予約有れば6500円で承ります」。
高校生の時、龍馬会を結成して以来20年という会員ら、それぞれ龍馬を巡って、熱い談論風発が定刻21時まで続いた。が、橋本さんの言う京都〜福井のウオーキングを主催したらどうかの提案は傾聴に値したし、福井の越前龍馬会は、アイディアは戴いてもいい。
それは、さる五月に日本ウォーキング協会の中で、高知県ウオーキング協会会長でもある龍馬社中の橋本会長を名誉会長とした「あるけあるけ龍馬会」が発足したこと。
それも、会長は日本ウオーキング協会の副会長の大内さんで、伊能忠敬の道を三年かけて踏破したつわもの。また、龍馬は、信頼する福井藩主松平春嶽に、5000両を借りるために、京都から3日かけて福井まで歩いてきた史実も残るからだ。
日本の夜明けは京都木屋町から始まった!今回の会場は、龍馬ゆかりの地、木屋町。京独特の間口、三間、「涼風河床」鴨川の河床に続く老舗の茶屋旅館が前身の「豆屋源蔵」で、目の下は鴨川で、心地よい風が吹いていた。
終わった後は、中川さんらと高瀬川沿いに歩いた。役人にボーナスも出た土曜日なのか、年配者やチャリの若者らを中心とした人出、コンクリートで風情のない鴨川も涼を求める人で一杯。
♪月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ
夏は河原の夕涼み 白い襟(えり)あしぼんぼりに
かくす涙の口紅も 燃えて身をやく大文字
祇園恋しや だらりの帯よ
鴨の河原の水やせて 咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が 泣くよ今宵も夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ
「祇園小唄」 作詞:長田幹彦 作曲:佐々紅華
久々の京の都だが、満月を見入る余裕どころではなかった。
木屋町から河原町辺りは、江戸の新宿並みの混雑していた。こりぁ、いったい何だ。他の都市と違ってこの辺りが唯一の繁華街であれば仕方がないのか。
それにしても、歴史を感じさせる縁の跡の石柱は多いものの、それが看板の裏にあったりして京都の観光政策も今一。きめの細かい施策が求められる。また、建物などが少ないのは改めてちょっと気になった。
さて、今年の龍馬ファンの全国大会は、9月22日〜23日。
龍馬の志とは何だったのか。♪土佐の高知の播磨や橋で…何とかして、土佐高知へ行ってみたい。
あれは4年前、39年ぶりの四国だった。お世話になった室戸と中村の方を訪ねることを兼ねた15回大会。
国内で唯一、人名が冠された高知龍馬空港、また龍馬記念館オープンした年。
桂浜に龍馬を訪ねて、横井小南、勝海舟、西郷隆盛、龍馬らのひ孫ら親族によるシンポジウム「末裔が語る幕末の志士達」には、感心。アトラクションのよさこい鳴子踊りや山田太鼓にも魅せられた記憶が残る。
今年の前半も過ぎた。誰彼も、分け隔てのない「土佐のおきゃく」は 土佐流の人生の楽しみ方、そんなに触れてみるのもいい。龍馬が待っているぜよ。
この機会に、龍馬脱藩の道、梼原(ゆすはら)などを歩いたり、
日本を代表する清流、四万十川の舟母船に乗って山の風に吹かれるのもよかろう。
2007 7 1(ふ)
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2007年度総会、23日盛会に終わる!!
梅雨の晴れ間の金沢。先日の雨で、街の青葉若葉が特に美しい。
この日は、なんと快晴で、少し汗ばむ暑さだ。女性達はノースリーブ姿が目立つ。
半島地震。これまで経験したことのない地震から三ヶ月経ち、被害に遭われた奥能登輪島の会員や会友も、まだ本格的な復興には至らず。
この日、時あたかも、プロレス出身で自民党の参院議員大仁田厚(49)が、参院選比例代表での同党公認を辞退し、政界を引退することを明らかにした。
「投票日が7月29日になったことで(夏休みになり)政治に関心のない若者が投票に行きづらくなった。引退は官邸への異議申し立て」と会期延長への抗議であることを強調。
更に「参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」「(参院が)変わらないような政治では誰も関心を示さない」などと党への不満をぶちまけた。
そんな中、今年度第一回金沢龍馬会の総会は三人のハチキン(高知出身)を含む会員が、友人知人(会友)等あわせて19人が出席して開かれた。皆と会うのは、4月の花見の会以来だ。
今回は、当会の会員で、土方歳三ファンでもある徳田明人さんが講師となり「土方の性格」について話して戴きました。以下、総会の概要をご報告します。
◇総会 6月23日(土)13時30分〜15時
◇場所 空海 金沢文化ホール裏
総会に先立ち、自己紹介したあと。武内会長は「みなさんそれぞれバラバラな生き方をしていますが、今日はまた、バラバラに話して貰いますが、龍馬について更に研鑽を続けていきましょう」と挨拶。
続いて、富山龍馬会、馳代議士から「総会は盛会に…」のレタックス等々披露。
◇講演 〜北の大地に消えた土方歳三〜
「土方の性格」
講師 金沢龍馬会 徳田明人さん
(講演要旨) 土方は武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)の農家に生まれ・・・新撰組では近藤勇と共に京の治安維持にあたったが・・・高杉晋作も織田信長の影響を受けていた・・・
土方の最後の美学には感じるものがある・・・
土方ファンとして日本最後のサムライでありたい。
ついで、議題に移った。
◇半島震災義援金
越前龍馬会から、去る4月8日に開催した第6回越前湊さくら祭で、募金した五万円余。
また、名古屋にいる高校同期の小林さんから二万円、「能登・加賀 東風に吹かれて」の 挿絵装幀して戴いた画家の相沢女史からアトリエ展での募金も寄せられている。
町会や関係する各種団体へ義援金を出したと聞くが、会員の折戸 玉井 宮島 武内 山田(友)東 向山各位からも寄せられた。
・別紙参
・能登震災、金沢龍馬会のHPで、引き続き義援金の募集を継続していく。
・6月23日現在分を〆て、会長と事務局長が被災地へ届ける。
◇この一年間の活動報告 ・当日配布の別紙参(HP)
◇会計報告 ・別紙参
◇今年度の活動方針
龍馬没後140年。今年の全国大会は、秋9月に龍馬の里、土佐高知。交流会は月の名所の桂浜。龍馬が信頼していた越前藩主松平春嶽、二度も訪れたことのあるお隣の越前福井で開催されることになっている。
幕末の越前福井藩は、16代藩主松平春嶽による斬新な藩政改革、つまり能力主義の人材登用、洋の東西を問わない学問の奨励、貿易を中心とした経済政策によって、当代随一のいわば「智藩」として注目された。
この福井藩に興味と期待を抱いたのが坂本龍馬。一度は福井藩の経済力に魅了され、神戸海軍操練所建設資金援助を求めた。もう一度は、福井藩の由利公正と会見し、大政奉還の決したことを伝え、新政府の財政について相談したことがあげられよう。
越前龍馬会では4月に早速と実行委員会を立ち上げて、これまでに三回の委員会を開催するなど着々準備を進めているので、是非応援参加協力していく。
・福井の全国大会の応援協力は、具体化次第参加など検討する
・この機会に法被など検討する
◇会員拡大について
・広報の充実の他、会員各自が、知人友人を通じて広めていく。
◇当面の動き
・2007年6月30日午後4時から 京都中京区 豆腐源蔵にて
全国龍馬社中近畿ブロック会議 会長代理出席 福野
当日出席は、山田(友) 国友 室岡 小屋 徳田 米村(会友) 玉井 中川 金子(会友) 西(会友)齊田夫妻 加茂 大瀬 大瀬美 藤田(会友)宮島 山野 武内 福野
欠席連絡 福島 折戸 山田(省) 向山 東 小阪 有重
◇2007年度会費納入(6/23現在)
山田(友) 国友 室岡 小屋 徳田 山野 玉井 中川 齊田夫妻 加茂 宮島 済田 武内 福野
なお、未納の方は、金沢龍馬会 口座番号 : 金沢中央郵便局 00780-5-38627 へ振り込んで下さい。
その他、動向など連絡事項等々は、すみやかに事務局まで、連絡下さい。
以上。
総会の後、用事のある方は、退席して、引き続いて15時から懇親会。
先の徳田さんの土方を巡って、それぞれが、幕末の高杉晋作、榎本や土方の戦略に歌、更に大仁田の出馬辞退、教育問題等々を巡り談論風発。
定刻の17時が来たので、山田(友)さんの中〆で終了した。が、話が足りない面々は引き続き懇談。なお、今回の懇親会では、中川 山田 武内 それに龍馬会設立時の唯一の女子大生で、脱藩し結婚されたS嬢から吟醸酒や焼酎などの差し入れ有りました。有難う御座いました。
今回、やむを得ない事情で参加出来なかった方は次回、知人、友人、新たに会員になりたい方もお誘いの上ご参加下さい。ご参考までに土方について「北の大地と樺太彷徨」(2005 7 ふ)の抜粋を掲載しました。
…北の大地、江差の沖には、1868年(慶応二年)に、はるかオランダで建造された「海陽丸」が砂に埋まって沈んでいる。およそ一世紀を経た1974年(昭和49年)に本格的な引上げ作業が開始されて、度々発掘調査が行われた。
時を経た1990年(平成2年)には港の横に、原寸大に復元された海陽丸は青少年センターとして、国内やオランダから集めた資料や引き揚げされた遺品などが展示されている。
その海陽丸。
竣工後、イギリス海峡を通り、アフリカ西海岸からインド洋、東南アジアの島々を通り、幕末に日本へ来たが、幕末から戊辰にかけてさ迷う事になる。
ちょっぴり箱館戦争、維新前後の話にも。
慶応から改元されて明治となった1868年10月のことである。会津戦争に敗れて、仙台での奥羽列藩同盟の崩壊をみた戊辰戦争の東軍は、それ以後「徳川脱走兵」として南部松島湾に集結していた榎本釜次郎(武揚)の海軍力に望みを託して、石巻に集結。
この地で事後策を練った彼らは、北海道にわたり、徳川遺臣によって「蝦夷共和国」を建設するという、海外留学経験を持つ榎本らの先進的な考えに同意した。
そして、10月20日(新暦では12月3日)早朝、東軍士官兵士およそ4000人を載せた開陽丸以下7隻の軍艦が、先に触れた函館北方の内浦湾に面する漁港、鷲の木浜に到着。すでにおよそ30センチも雪が積もり、海上には高波と暴風雪が殴り付ける、厳しい寒さの朝であったという。
更に、10月26日には函館・五稜郭を占拠して、函館府知事を追放した。そして、翌27日には松前攻撃に移った。海からは11月1日に軍艦「蟠龍」が松前湾から松前城を砲撃。
陸からは土方歳三率いる陸戦隊700人が知内、福島と占領し、5日に松前に入って激戦の末、松前城東方の馬形(まがど)台地にある法華寺を占領した。
旧幕府軍は海陸から城中へ砲撃し、陸兵が各坂口から進撃。搦手(からめて 裏門)門を攻めてきた土方軍に対し、松前藩兵は門を開くと同時に大砲を発射し、また門を閉じるといった攻防戦だったという。
徳川一門の生計を立てるため蝦夷地を開拓し、新たな領地を開きたいという想いは、新政府としては到底認めることができないものだった。独立共和国を作るつもり?の榎本は、誰のために開陽丸を動かしていたのだろうか。また、勝海舟(1823〜1899)の気持は果たしてどんなであったろうかと思う。
その開陽丸は、1868年(明治元年)11月15日の夜明け前、山々が雪とともに白く浮き上がってきた頃、この江差沖で座礁沈没してしまった。
そのころ、松前から浜路、江差に向かって進撃中の土方歳三の軍勢は、予想を超えた松前藩の抵抗に遭いながらも辛うじてこれを撃破して、江差に到着したのは翌16日であった。
榎本と武蔵の日野出身の土方の二人は眼下で、嵐の中でもがいていた開陽丸を見て、ままならぬ運命に歯ぎしりをしながら、土方は「釜さん、悔しいのぅ」などと呟やいたとか。
無念さは隣にいた榎本も同じで、幕末、新しい世界を北方に賭けた二人は、男泣きに泣き続けたのではないか。そんなことも思った。
その榎本武揚(たけあき 1836〜1908)。江戸は下谷御徒町の直参旗本の家の次男として生まれた。通称は釜次郎。父は、備後(今の広島県)の国の箱田村の出身。
〜略〜
当時の箱館は、ペリーの黒船来航に始まる日米通商条約で外国に開港されている港だった。
彼(榎本)はここで、函館奉行の堀織部正とともに、まだ未開だった蝦夷の大地を探検、蝦夷の地の地理や星、気候などを学んだといわれている。
幕府が長崎海軍伝習所を開くや、箱館から戻った釜次郎も入り、造船や測量、航法、機関などの新しい学問を学ぶ。
帰東してから、かの勝海舟が開いた海軍操練所(神戸 諏訪山公園に碑)の教授、1862年(文久2年)にはオランダに留学生として派遣され、帰国後は海軍奉行に。
戊辰戦争の時は、先に触れた「開陽丸」や旧幕艦数隻を率いて箱館に入り、五稜郭に拠って官軍に抗戦。
また、ロシアとの提携をはかり、北海道に工務授産計画を立てるなど、共和国設立の野望を抱いていた。
が、1869年(明治2年)5月、官軍指揮官・黒田清隆のすすめで官軍に降伏し、江戸で投獄された。黒田らの尽力で、(榎本は)3年後の1872年(明治5年)に特赦で出獄。
釈放されて、北海道開拓使となり、二年後の1874年(明治7年)には海軍中将に。後に、ロシア駐在公使となっていわゆる樺太=千島交換条約を締結、帰路は馬車でシベリアを横断している。
〜略〜
もう少し戊辰戦争を続けよう。
1869年(明治2年)5月11日、函館周辺は既に西軍、つまり薩長軍に陥落され、五稜郭への総攻撃が開始された。土方歳三は函館奪回を目指して、およそ50人の兵と共に五稜郭を出陣し函館に向かった。
函館と亀田村の境界にあった一本木の関門辺りで馬に乗り敵陣に切り込んだ時に銃弾を腹部に受け戦死。享年34歳。死を覚悟していたという土方歳三は、
たとひ身は蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも
魂は東(吾妻)の君や守らむ
という辞世の句を残している。
ご存知、京都で鬼の新撰組副長と恐れられた土方歳三は幕臣としての大儀を、最後迄貫いたといえようか。
函館戦争で戦死した幕府軍幹部は、土方歳三たった1人だった。
以上、抜粋で、ご紹介しました。
次回、会員や会友、或いは、志ある方は日頃思っていることなど皆さんに披露されることを期待しています。
事務局へご一報戴ければ検討します。
2007 6 23 ふ)
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龍馬の曽祖父坂本直躬が書いた手紙!
コウノトリで知られる兵庫県豊岡市、
その竹野町の旧家から、坂本龍馬の曽祖父坂本直躬(なおみ)が書いたとみられる江戸時代の手紙が見つかった。
龍馬の曽祖父である直躬は、土佐で「才谷屋」の屋号で商売を営んでいたことは周知の事実。
筆まめな龍馬の手紙は、分かっているだけで130通余りある。
だが、直躬の書簡はこれまでほとんど見つかっおらず、
商人で、歌人だった直躬が書いたものは、これまで短冊1通しか確認されていないとされる。
朝日や毎日、神戸新聞などによると、豊岡市史料整理室が6日に発表したところでは、直躬が城崎温泉に滞在した際、刃物をとぐ砥石(といし)が但馬では良質なものが手に入りにくい事情を知り、土佐特産の砥石を送り、広く紹介するよう求めている。
手紙には「8月21日」と日付は書かれているが、年号は省かれている。この手紙を見た龍馬の甥坂本直寛の孫で、神戸市須磨区にお住まいの龍馬研究家の土居晴夫さん(84)は、その後に武士に転じた直躬の足跡から、商売をしていた1770(明和7)年ごろまでに書いたのでは、とみているようだ。
家業の才谷屋は質屋や酒造業、呉服屋など手広い商売で、明治時代まで続いたらしいが、土居さんは「直躬はあちこち旅するのが好きだったらしく、城崎温泉へもたびたび湯治に出かけていたようだ」と話している。
手紙に城崎温泉を直接示す表記はないが、「入湯」という記述と、受取人が竹野町の大庄屋だったことから、市史料整理室は「旅先が城崎温泉だったことは間違いない」としている。
手紙は縦35センチ、横50センチの和紙に書かれ、二つ折りにされて、封筒も残されているという。
砥石の売り込みの成否について豊岡市の史料整理室は「商品を売り込む才覚は素晴らしい。
しかし、直躬の狙い通りに土佐の砥石が但馬で売られ、人気を集めたかどうかは手がかりもなく、分からない」と説明している。
交通事情がよくない江戸時代に土佐から海を渡り、但馬へと歩いていたとは。
曽祖父の旅好きな血が、龍馬にも遺伝していたことは、この手紙などで改めて浮き上がった。これは龍馬の関係者にはまたとない資料といえよう。
(2007 6 10 ふ)
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金沢龍馬会、6月23日総会開催!!
青葉若葉が美しい頃になりました。
去る3月25日の半島地震。これまで経験したことのない地震から二ヶ月経ちました。
被害に遭われた会員や会友、またご親戚や知人友人の中に被害に遭われた方もありませう。
畑ではイチゴやたまねぎなども実るなど日常生活は何とかなっているものの、まだ本格的な復興が進んでいません。
皆様にはその後もお変わり無く御元気でご活躍のことと思います。
そんな中、下記の日程で、今年度第一回の総会を開催することになりました。
今回は会員で、土方歳三ファンでもある当会の会員、徳田明人さんに30分話していただくことになりました。
各位には万障繰り合わせて、ご参加下さい。
◇総会 6月23日(土)13時30分〜15時
◇場所 空海 金沢文化ホール裏
総会に先立ち
◇講演 北の大地に消えた土方歳三
講師 金沢龍馬会 徳田明人さん
◇議題
・この一年間の活動報告
・会計報告
・今年度の活動方針他
(福井の全国大会の応援など)
◇懇親会 総会の後、引き続いて15時から17時。会費 3000円
例によって、差し入れ大歓迎です。知人、友人、新たに会員になりたい方もお誘いの上ご参加下さい。時間の許す限り談論風発を期待したいと思います。
※準備の都合もありますので、出欠の連絡は6月15日までに、事務局へ。
龍馬没後140年。今年の全国大会は、秋9月に龍馬の里、土佐高知。交流会は月の名所の桂浜の貸し切り。
来年は、龍馬が信頼していた越前藩主松平春嶽、二度も訪れたことのあるお隣の越前福井で開催されることになっています。
越前龍馬会では4月に早速と実行委員会を立ち上げて、これまでに三回の委員会を開催するなど着々準備を進めています。これも、お隣ですから、是非応援参加したいですね。これを機に、皆さんと共に、同じ志を持つ会員の拡大もしたいです。
今度の能登震災、金沢龍馬会でも義援金の募集を継続しています。
越前龍馬会から、去る4月8日に開催した第6回越前湊さくら祭で、募金した五万円余。また会員各位の中から、折戸、玉井、武内、宮島、片町の鰯組さんからも寄せられています。
また、名古屋にいる高校同期の小林さんから二万円、「能登・加賀 東風に吹かれて」の 挿絵装幀して戴いた画家の相沢女史からアトリエ展での募金も寄せられています。何とも有り難いことです。
これらは、来る6月23日の総会で、報告して、武内会長と共に、今回の震災で一番被害を受けた門前町の町会長さんに届けることにしています。前回やむを得ず参加出来なかった方も総会で是非お会いしませう。
(2007 5 25 ふ)
6/21 現在
出席 山田(友) 国友 山野 室岡 宮島 小屋 大瀬 徳田 米村(会友) 中川先輩 (中川友人の諸橋ら三人?) 武内 福野
総会のみ出席 大瀬美 藤田(会友)
欠席 福島 折戸 山田(省) 向山 東 小阪
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龍馬ファン、交流の場が完成!!
四国土佐高知の檮原龍馬会の西村龍馬さんから
檮原龍馬会のとまり小屋兼事務所完成しましたと案内がありました。
ついに、“完成したでよ、檮原龍馬会事務所“。とまり小屋は5月12日(旧暦3月26日)龍馬脱藩の日に合わせて開所式を行いました。檮原会員と龍馬社中の橋本会長らを迎え大酒が飲めました。
龍馬ファンの皆さん、是非一度脱藩の郷檮原に来た時は、是非とも、お立ち寄り下さい。心よりお待ちしています。大人4人位なら宿泊も出来ます。残念ながら風呂は完備していません。が、檮原には、温泉が有ります。
使用料は、気持ちでお願いします。
龍馬ファンの交流の場所ですので、龍馬ファンよ集まれ!と。
なお、宿泊などの連絡先は、
檮原龍馬会事務局(四万川総合建設内 0889-67-0810)の担当西村さん。
または「喫茶 彩華」0889-67-0022)へ。
以上。
土佐高知の龍馬ファンならでは。折角のご連絡は有り難いですたい。
日本広しと言えど一戸建ての事務局ば持っとる龍馬会は、なかばい。いつかお邪魔するけんね。
会員や会友各位には、この夏の休みや秋の全国大会に参加された折りでも、時間を見ながら、龍馬ゆかりの地を訪ねて見るのもいいでせう。
2007 5 13(ふ)
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長崎龍馬像建立18周年記念講演会開催!!
長崎龍馬会からの案内です。
・日時:平成19年5月20日(日) 13時〜16時
・場所:長崎市風頭公園 坂本龍馬像前
・内容:講演 テーマ「長崎坂本龍馬像建立物語」
講師 柴崎賀広(元龍馬の銅像建つうで会会長)
祝賀会
パネル展(銅像建立の歩み・龍馬の歌音楽祭歌詞など)
・会費:無料
・雨天決行
詳しくは、長崎龍馬会ホームページをご覧下さい。
当日参加も歓迎致しますので、たくさんの皆様のご参加をお待ち申し上げます。
以上。
1967年(慶応三年)、長崎から大坂へ向かう龍馬指揮する海援隊の伊呂波丸と徳川御三家紀州藩の船が瀬戸内海で衝突したことは、以前に触れた。
この時のことについて、後に長崎で、龍馬は海援隊士らと巷に繰り出して
♪船を沈めた その償いは
金を取らずに 国を奪る
なんて、当時流行っていた長崎ぶらぶら節で、即興で三味線を弾きながら歌ったことから長崎丸山の芸妓が殊の外喜んで広めたという逸話も残る。
長崎では、龍馬によって1863年(文久三年)に結成された海援隊の前身である亀山社中も忘れてはなるまい。浪士の結社で貿易結社、つまり商社で、日本初の株式会社とも言われる。
グラバーの助力を得て海外からの武器調達を始めて、幕府との対立で、海外から武器を調達できない長州藩への武器融通を通じて薩摩藩との対立関係を緩和し、いわゆる薩長同盟の実現に道をつけた。
この機会に、何かと話題を呼んだ港長崎、石畳の街を訪ねて見るのもいいでせう。
グラバー邸など龍馬を語るには長崎は切っても切れない縁の地。龍馬も待っているでせう。
2007 5 1(ふ)
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龍馬を映画化 来春公開へ!!
激動の幕末を抜群の行動力や独創力で駆け抜けた土佐の龍馬。
坂本龍馬の生涯を龍馬を支えた女性の視点から描く映画「龍女伝説」(仮題)が制作されることになった。
今年の6〜8月にかけ、龍馬と妻のお龍が新婚旅行で訪れた鹿児島の霧島や長崎、高知、京都、東京などで撮影し、2008年2月に公開する予定。
映画は、龍馬ファンでつくる海援隊龍馬倶楽部(会長海保幸康、本部・東京)を中心とした実行委員会が制作。
総制作費は5億円。
龍馬の数奇な人生を、お龍、婚約者の千葉さな子、
龍馬の姉の乙女などの回想をもとに浮き彫りにするという。
土佐高知市出身の岡田主(しゅう)監督がメガホンを執る。
3月までに脚本を完成させ、主演を含め出演者の第一次選考を進めた。第二次選考が5月4日(金・祝)高知市中央公園で公開オーディションが行われる。
海援隊龍馬倶楽部副会長で、西之表市出身の演歌歌手・小倉新二さん(43)=東京都=は「昨年の龍馬生誕170年を機に制作が決まった。全国の龍馬ファンの支援でここまで来られた。龍馬の人生を知り、心が前向きに変わるような映画になれば」と南日本新聞に抱負を述べて居る。
2007 4 14(ふ)
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初の花見交流会盛会!!
能登の震災から二週間。
開花の話題と共に震災の話が飛び交っているが、能登では震災に遭った人たちは余震の続く中、片付けの毎日。
ソロモン諸島で、2日に起きた地震と津波による死者が少なくとも34人に、また5600人が家を失っているという。地球上どこでも震災があり得ると恐怖を呼び起こした。
震災で通行止めとなっている輪島と珠洲を結ぶ町野町地内の国道249。
崩落した石の除去が一日も早く望まれていたが、ようやく中越地震で活躍した無人の掘削機がようやく出動。
ことほど左様に行政の対応が遅いのは如何なものか。
江戸東京では葉桜だが、北陸はいつまでも寒い。金沢の満開は間もなく、被災の輪島は明日にも開花か。
一体何時になったら春の訪れか、雪がちらついたりなかなかやってこない。
お隣越中富山では、先の白えびの解禁に続いてホタルイカのシーズンを迎え、チンドン祭も始まった。
金沢の兼六園では、七、八分咲きで、観光客の出足もボツボツ目立ちはじめた。
先に、お伝えしていた金沢龍馬会初の花見交流会、
4月7日(土)、15時に犀川大橋集合して開かれた。
片町界隈は午前中に入学式を終えた金大の新入生や小中の入進学のお祝いなのか家族連れが多い。
大橋の袂、交番前に集合。玉井さんの「犀川の川上の桜はまだまだですね」の話しを聞きながら、犀川河畔の桜見物のあと、近くにある芭蕉の句碑へ行くも、看板の墨が消えていたのは惜しい。
次いで、樹齢およそ400年、根元の周囲およそ6メートル、高さが14メートル、昭和18年に国の天然記念物の指定を受けた寺町の大桜へ。ここはちょっと早かった。普段は車、車生活の会員らも、久々に寺町界隈をぶらぶらした。
更に、忍者寺のしだれ桜の見事に咲いているのに目を見張り、近くの小路から願念寺へ案内した。
陸奥からの帰路り芭蕉が、金沢の弟子一笑の死を悼んだ句。
塚も動け 我泣く声は 秋の風
さて、満開かと思われた犀川縁の桜は、このところの冷えで、あいにく、三分から場所によっては七八分咲きだった。寺町台地から犀奥の山々は霞んで今一。後に16時から野町・青柳にて、初の花見交流の小宴会を開催。
席上、国友会員のご結婚を共に喜び、門前の道下にある奥さんの実家が震災に遭ったこと、またそれぞれの震災体験やボランティアの動き、更に家族の健康の有り難み、龍馬の精神を各々の血とする為に、龍馬を巡って、談論風発。予定時間を二時間もオーバーした。
この日参加したのは、室岡、国友、新会員の徳田、折戸(花見)、玉井、染谷、武内、福野の8人
会友で、この3月から松任で、冷凍健康食の宅配をはじめたけんた君(藤田)さんが、仕事の途中と顔を見せた。
彼は、今回の能登震災で、要望あれば300食を無料で提供しますと申し出てくれた御仁、次回は会員となって、参加してくれると思う。
選挙の最中でも出席すると連絡のあった山野さんは、何故か顔出さず。大久保彦左、中川さんは米国から旧友が来沢とかで、急遽欠席の連絡あり。山田(友)、大瀬夫妻らは選挙で欠席。武内さんから越前大野のにごり酒の差し入れを戴きました。有難う御座いました。
それぞれ、夜桜を見ながら帰途に。
今回やむを得ない事情で、参加出来なかった方は、次回は参加して下さい。
総会は、6月に予定しますが、出欠の連絡は必ずして下さい。
さて、統一地方選の前半戦、石川県内でも明日県議選の投票日。
各候補は街頭で「最後のお願い」に力を込めたが、泣くのは笑うのは果たして誰なのか。結果は明日の地方自治を占う。一票は大事に行使したい。
2007 4 7(ふ)
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初の花見交流会開催!!
弥生3月も半ば。梅から桜へ。
開花の話題が飛び交っているが、白山ろくでは流雪装置を片付けた後に思わぬ大雪が降って戸惑っている。
香りのいい沈丁花の便りも各地から届いているが、北陸は三寒四温言うよりも四寒三温という感じの今日この頃。雪のない冬がいいと言うものの、雪国はやはり少しは降らないと風情がありませんね。
お隣越中富山では 北アルプス・立山連峰の立山黒部アルペンルート、
来月17日の全線開通へ向けて除雪作業が着々と進んでいる。
金沢の武家屋敷跡では土塀に架けられていた菰(こも)はずしが始まった。
雪が少なかっためか、東茶屋街でも観光客の出足は例年より早いと聞く。
新年会の後で、検討しますとお伝えしていました金沢龍馬会初の花見交流会、
以下の日程で開催することにしました。
・とき 4月7日(土)
・ところ 15時 金沢・犀川大橋集合
・趣旨 犀川河畔の桜見物のあと、犀星ゆかりの雨宝院や芭蕉の句碑、また樹齢およそ400年、根元の周囲およそ6メートル、高さが14メートル、昭和18年に国の天然記念物の指定を受けた寺町の大桜等々見学。
後に16時〜18時 野町・青柳にて 小宴会(会費 3000円)開催。寝かしてあるものは生かす、例によって差し入れ大歓迎。
晴れていれば満開か、それとも葉桜か。いずれにしても春爛漫の一日になればいいですね。
犀川河畔や寺町台地から犀奥の山々も綺麗です。
会場の都合もあるので、出欠は3月31日までにご連絡下さい。
来年10月25〜26日(土・日)に、福井で全国大会が開催されることに決まったこと、会員のご栄転やご結婚等々、あわせて共に喜びたいと思います。“日に進まざれば、日に退く”と言う先人の言葉の通り、先を見据えることも大事です。
龍馬に学び、龍馬の精神を各々の血とする為に、
龍馬を巡って、それぞれに積る話もありませう。知人や友人等をお誘い合わせの上是非ご参加下さい。
奥能登輪島や珠洲辺りでは、早春の風物詩、カジメ採り。穴水辺りでも、イサザ漁も最盛期を迎えている。
18日は寒さも彼岸まで、能登路に春を告げる羽咋は気多大社のお出で祭りが始まる。
2007 3 15(ふ)
4/3現在
参加 室岡 国友 山野 新会員の徳田 福島(花見のみ)折戸(花見のみ)玉井 染谷 武内 福野
不参加 山田(友) 山田(省) 小屋 棒田 大瀬(九) 大瀬(美) 齊田夫妻 加茂 中西 奥田(会友)
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北の大地で「世界龍馬塾」集中講座開催!!
来る2月24、25日は南国鹿児島、薩摩の霧島で、
新婚旅行に訪れた龍馬をしのぶ龍馬インウォークです。全国各地から多くの人たちが参加されると聞いています。
一方、北の大地での「世界龍馬塾」集中講座は、今年創立10周年を迎える北海道龍馬会が記念行事として自然の中で集団生活をしながら、龍馬の志と行動を新たな視点でとらえ、龍馬を通じて創造性と豊かな心を育もうと計画されました。
講義七回とレクレーション、話し合いなどが中心です。
塾頭は北海道龍馬会理事で、全国龍馬社中副会長の萱場利通さん。また、講師には北海道龍馬会会長の原子修さん(詩人 札幌大学名誉教授)をはじめ、数人の理事らがあたります。
〔講義内容〕
「明治維新と龍馬の生涯」
「龍馬とジョン万次郎」
「龍馬と横井小楠」
「龍馬と勝海舟」
「世界市民 龍馬1」 日本の洗濯論 船中八策 蝦夷地への夢
「世界市民 龍馬2」 無血平和革命と薩長連合〜シンポジウム
「世界市民 龍馬3」 龍馬の志と21世紀の新しい世界秩序を求めて
・対象 全国の中高生や大学生
・日程 9月15日〜17日(二泊三日)
・場所 札幌市 国営滝野すずらん丘陵公園「青少年山の家」にて
・参加費 食費、宿泊費含めて一万円
・申し込み 札幌市白石区北郷2条3丁目11ー3
電話 011ー871ー4331
FAX 011ー632ー5703
龍馬没後140年。
蝦夷地の開拓を夢見ていた龍馬。妻のおりようも龍馬に寄り添い現地の言葉を稽古していたと伝えられるのはご承知でせう。
北の大地、札幌での講座は、
“BOYS, BE AMBITIOUS! 青年よ大志をいだけ”と叫んだウィリアム・S・クラーク博士が赴任していた処。
米マサチューセッツ農科大の学長だったクラークは、日本の要請によって農学や化学、英語教師として。
更に教頭として、北海道開拓の農業技術者を養成する札幌農学校(現 北海道大学)に赴任。
彼がやって来たのは今を去る130年余り前の1876年(明治9年)7月のことで、滞在はわずか八ヶ月。
で、当時の北の大地、札幌は、およそ900戸、人口は3000人足らずでした。
1869年(明治2年)の開拓使設置以来、北海道開拓の拠点として発展し続け、 札幌市の現在は戸数91万余、人口は北海道全体のお
よそ三割、185万人を超える全国5番目の大都市。
さて、此の時期の北の大地の気候は、食べ物も美味しく、爽やかな時期でせう。
いい機会です。ご自身の子弟や友人や知人にもお知らせして、北海道へ送り出すのもいいでせう。
必ず何かをつかんで来るに違いありません。
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なお、「蝦夷(北海道)開拓は1人になっても必ずやり遂げる」と言っていた龍馬の甥で、一家で北海道に移住した自由民権運動家で、キリスト教の牧師だった坂本直寛。直寛は龍馬の姉・千鶴の次男で、坂本権平(龍馬の長兄)の養子となり、坂本家の当主となった。
その孫で、北の大地の十勝にお住まいだった反骨の農民画家・坂本直行(1906〜1982)さん。
坂本直行さんの個展が、龍馬の故郷である高知県立坂本龍馬記念館で来たる3月31日まで開かれています。
また、龍馬の姉、千鶴の子、つまり甥の孫で神戸市にお住まいの土居晴夫さん(龍馬研究会顧問)は龍馬とその一族に関するエピソードをなどを収めた『坂本龍馬の系譜』(新人物往来社 2800円+税)を出版されています。
この機会に、高知へ行って見るのもいいでせうし、龍馬の系譜をご一読されるのもいいでせう。
2007 2 13(ふ)
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「新年交流会」2月3日 盛会裏に終わる!!
去年は福島や宮崎などでの官制談合事件や鳴り物入りで始まった政府のタウンミーティングの「やらせ」が発覚。
と思ったら、名古屋では、またまた地下鉄工事をを巡って大手土建屋の談合事件。
不二屋、ペコちゃんの工場のずさんな食品衛生管理の嘘、いい加減な食品業界に飛び火。
長い間の悪い体質であろう。消費者はいい面の皮だ。
年末の紅白では、裸のような衣装が問題になり、今度は関テレの「発掘!あるある大事典U」納豆データ捏造事件。
「花王名人劇場」などを放送してきた枠だが、スポンサーの花王も落ちる。民放のいい加減さはまだまだ明るみになろう。
まさに、龍馬のいう「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」
「今一度日本をせんたくしたく申候」ではないか。
節分の2月3日(土)、新年の活動などを巡って金沢龍馬会二回目の新年交流会を開催。
前日までの雪が消えた金沢片町の犀川大橋のたもと、鰯組で、15時〜17時半に開催された。
出席は、高知出身で、この日入会したばかりの大瀬(美)さん、設立総会以来の棒田副会長、出席が危ぶまれていた奥田さん、土方ファ
ンの徳田さん、また県議選に出ようと言う金子さん。
はるばる大聖寺から駆けつけた山田(友)をはじめ、
小屋、室岡、齊田ご夫妻、国友、 済田ゆうじ、宮島、中川、山野、武内、福野。
皆御元気なお顔を見せてくれて、武内会長が「金沢龍馬会は今年四年目を迎えます。更に発展させよう」と挨拶したあと、事務局から、
連絡は全てメール、会の動きはHPに掲載されているので、逐次見て欲しいと連絡。
最長老の中川さんの乾杯の音頭で乾杯。
初めての方もおり、それぞれに自己紹介した。
次いで、選挙云々の3方に五分以内で、それぞれの思いを語って貰った。
それに対する質問、それぞれが久々に会ったので、金沢龍馬会のあり方などを巡って、談論風発。
中締めは室岡さん、それぞれやれやれ。
まだ、話し足りなかった気持ちも胸にして解散したが、場所を変えて朝の二時まで互いの意見を戦わせていた御仁も居た。
どこの酒屋さんも今が仕込みの真っ最中。美味しいお酒を差し入れてくれた武内さん、東さん差し入れの能登の銘酒「池月」も会員や会友各位も美味しかったと。有り難う御座いました。
帰路は、犀川大橋へ。川面からの夜風が冷たい。
久々の片町界隈は若者達で一杯だが、あちこち寄り道して駄文を届けた。時折吹雪に雨だったが冬山のことを思えば何でもないと歩いた。
節分や肩すぼめゆく行脚僧(あんぎゃそう)
詠み人知らず
去年は信州上田で全国総会でした。今年は龍馬没140年。
全国大会は、龍馬の里、四国高知で中秋の名月の頃です。
社中総会が9月21日、ファンの集いは高知市文化プラザかるぽーとを会場に22日と23日、
交流大懇親宴会は月の名所の桂浜。
暴風雨でないかぎり、宴会は桂浜で実施するという連絡が全国社中会の橋本邦健会長から入っています。
去年の全国大会に行けなかった方は、今のうちに南国土佐を日程に入れておいて下さい。
残念ながら、今回やむを得ない事情で参加できなかった方は、
次回お待ちしております。龍馬は出合いの達人、友人らを誘って是非出席して下さい。
次回、2月24日(土)の午後四時、ご案内しました富山龍馬会の講演会でお会いしませう。
出席される方は、事務局までご一報戴ければ幸いです。
来年の全国龍馬大会はお隣、越前福井ですぞ。各位、お忘れなく。
各大会や講演会には積極的な参加が望まれます。
2007 2 3(ふ)
「船中八策と国是七条」講演会、富山で開催!!
寒の候、去年の豪雪に比べて雪はないものの、もう春を告げるフキノトウが話題になっています。
会員会友におかれましては、お元気でご活躍のことでせう。
さて、お隣越中富山の富山龍馬会から講演会開催のご案内が届きましたのでお知らせします。
折角の機会です、ぜひ出席されるようお願い申しあげます。
1. 名 称 富山龍馬会講演会
2.講 師 岩崎義郎さん(龍馬研究会顧問)
3.演 題 「船中八策と国是七条」
4.日 時 2007年2月24日(土) 16:00〜17:30
5.場 所 富山市民交流館(富山駅前CiC3階)学習室4
076-444-0640
6.参 加 費 無料
7.問合せ先 富山龍馬会(事務局長大塚さんまで)
〒931-8313 富山市豊田町1-7-15
090-3760-9985(携帯)
土佐高知から富山入りされる講師の岩崎義郎さんには『一豊の妻見性院 出自の謎を追う』や『土佐人の銅像を歩く―竜馬・慎太郎から
万次郎へ』(リーブル出版)、『高知城を歩く』『追跡!純信お馬―駆け落ち百五十年』(高知新聞社)などの著作があります。
来る2月3日(土)の金沢龍馬会の新年会でも、ご紹介しますが、龍馬の船中八策を巡る講演。折角の機会です。会員会友各位、知人や
友人らを誘い合わせて是非出席して下さい。2007 1 19(ふ)
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なお2月3日(土)の新年会は15時〜17時半。金沢片町、犀川河畔の鰯組。
新年会の出欠、まだ連絡ない方もいます。会場の都合もありますので、至急ご連絡ください。
当日は、また龍馬を巡って、今日の世情と併せて、それぞれが諸々の話を披露して欲しいですね。
※2007 2/3 現在
出席連絡 山田(友) 小屋 室岡 東 齊田ご夫妻 国友 土方ファンの徳田さん 済田 宮島 中川 中川友人の金子さん 山野 大瀬
(美)武内 福野
欠席 山田(省) 玉井 向山 小阪 大瀬 折戸 渡辺
全国龍馬会会員、会友各位へ
謹んで、新春のお喜びを申し上げます。
昨年は、大変お世話になり有難うございました。
金沢龍馬会はこの秋、結成四年を迎えます。
今年は更なる発展を目指して頑張ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
2007年 丁亥(ひのとい)年 元旦
金沢龍馬会
会長・武内紘一
改年賀事!(慶応3年1月3日の木戸宛の文頭)
改年来夢!(平成19年1月1日かわら版巻頭)
「年改まり、夢来る」いよいよ来年です。
平成20年「第20回全国龍馬ファンの集い・福井大会」
松平春嶽候生誕180年の年に開催されることは、大変意義深く、
全国の龍馬ファンの皆様が愉しめる大会目指して、準備に取り組む所存であります。
どうか、今年一年皆様のご指導、ご支援をお願いすると共に、ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
平成19年・元旦
越前龍馬会
会長・牧田活宜
能登も、穏やかな幕開け、お隣福井の牧田さんから力強い祝辞戴きました。
会員会友相互の親睦を深め、今年は更に飛躍の年にしたいものと思っています。
又あふと 思ふこころを しるべにて 道なき世にも 出ずる旅かな 龍馬
龍馬の命日は三日です。
2007 1 元旦(ふ)
「金沢龍馬会新年会」2月3日に!!
福島、和歌山、宮崎県などで起きた官制談合事件や鳴り物入りで始まった政府のタウンミーティング。
次々と「やらせ」が発覚し娑婆を揺るがせた。
まさに、龍馬のいう「今一度日本をせんたくしたく申候」ですね。
熊の犠牲者も出ましたが、熊も餌もなくて冬眠できずに熊って居るでせう。
信州上田での全国総会や宝塚、宙組のトップスター貴城けいの「維新回天・竜馬伝!」!も盛況のうちに終わるなど度々お伝えしてきた
金沢龍馬会関連、諸々の行事も終わりました。
年の瀬を迎え、会員や会友各位には益々お忙しいと思います。
御元気でご活躍のことでせうか。
つきましては、来る2007年2月3日(土)に、今年の反省をふまえて、新年の活動などを巡って新年交流会を開催します。で、万障
繰り合わせ出席して下さい。
・ところ:鰯組
犀川大橋近く 金沢市片町1-7-13
・とき :15時〜17時半 電話: 076-224-1493
・かいひ:3000円
差し入れ大歓迎
知人、友人を誘ってお気軽に参加して下さい。
ノロウイルスなるものが猛威をふるっています。ご自愛下さい。
新年には皆御元気なお顔を見せて下さい。
2006 12 19(ふ)
「第20回全国龍馬ファンの集い」が福井に!!
朝から雨が降るあいにくの空模様、海も時化て明日は雷雨の予報も出ている。
小屋の白のサザンカは見事に咲き誇っているが、梅田への電車暖房入る頃と、箕面から俊さん。
冬野菜の取り入れに漬け物のつけ込みなど各地から便りあり。刻一刻と冬へまっしぐら。
会員各位にはその後もお元気でご活躍のことでせう。
去る11月10日長野県上田市にて開催された「全国龍馬社中総会」で、
再来年2008年開催の「第20回全国龍馬ファンの集い」が福井市に正式決定しました。
信州上田での全国龍馬ファンの集いは、長崎音楽祭の入賞曲「若人よ旅立ちの時がきた」が披露。
全国龍馬社中会長橋本邦健さんが、全国各地から参加したおよそ250人を前に、福井大会の開催を発表して、越前龍馬会の牧田会長が福
井大会への参加を呼び掛けた。
寺田屋事件で、龍馬を助けた盟友三吉慎蔵を巡る講演会など諸々の行事も成功裏に終わったようです。
愛媛大洲から参加された上岡さんから、大会や東急イン上田での懇親会、別所温泉の宿にも満足。
最後に龍馬が最も信頼した三好慎蔵の御子孫と写真に収まったとのお便りも戴きました。
再来年の「第20回全国龍馬ファンの集い」越前福井に決定!
越前龍馬会のこれまでの活動に敬意を表し、今後福井大会の開催に向けて金沢龍馬会としても応援していきたいと思います。会員各位や会
友のご協力をお願いします。
さて、その龍馬と福井。
龍馬の命日はこの11月15日。ご承知の通り、史実で確認されているだけで、龍馬は二度越前福井を訪れている。
一度目は1863年(文久3年)の春、5月16日深夜、越前福井は三岡八郎邸で横井(小楠)、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文
を書いた由利公正)を訪ねた。
そのとき、龍馬は声調すこぶる妙に「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」と。
又あふと 思ふこころを しるべにて 道なき世にも 出ずる旅かな
龍馬
二度目は暗殺される2週間程まえのことで、1867年(慶応3年)の秋、11月2日。
三岡八郎と、足羽川に近い山町(やままち)の「たばこ屋旅館」(福井市照手1丁目)で、朝の8時から夜中の12時過ぎまで延々16時
間に渡って、日本の将来を語りあっていた…。
議題はおもに新政府樹立後の財政問題であったといわれている。
が、2日の帰り際、龍馬は名刺代わりに自分の写真を取り出し、三岡に差し出した。
三岡は喜んでそれを受け取り、それからというものは、龍馬の写真を持ち歩いて、京都の情勢の変化を楽しみに待っていたという。
ところが13日夜半、足羽川を渡って帰るとき、ふとしたはずみで写真を川に落としてしまった。
ただちに川を探したが見つからなかったという。
三岡は時勢がこれからというときだけに、大いに胸騒ぎをおぼえた。
龍馬が暗殺されるのはそれから2日後の晩秋、11月15日夜、京都近江屋で中岡慎太郎とともに何者かに暗殺された。
奇しくもそれはまた、龍馬の満32歳の誕生日でもあった…。
土佐高知では、この15日龍馬の生誕171年祭や提灯行列なども行われる。
2006 11 13(ふ)
龍馬検定!!
この時期、全国各地から龍馬に関するいろいろな催しの案内が有ります。
ご当地検定は、何処でも競っているが、今回は神戸高知県人土陽会から77周年、喜寿記念の「龍馬 in KOBE」事業のお知らせです。
第4回 龍馬 in KOBE!
龍馬検定・神戸編 パート1《検定試験》
主催 神戸高知県人会土陽会
後援 神戸市・高知県・高知県人会近畿連合会・高知県立坂本龍馬記念館・高知新聞社
日時 平成19年4月15日(日)受付13:00 開始14:00
会場 兵庫県民会館 神戸市中央区下山手通4−16−3
電話078−321-2131
・受 験 料 2,000円 高校生以下は1,000円
・受験定員 200人
・受験資格 龍馬を愛する全国の人はすべて
・出題範囲 龍馬についての基礎知識(50問)
勝海舟との出会いから、神戸海軍塾解散。後に「結構なことでごわす」?と言った薩摩の西郷隆盛を頼りに亀山社中設立
に至る神戸編の50問。
・受験申込 仮登録 2006 11月10日から
・受付 11月15日から
・申込方法 FAX 078−947-7822 TEL 080-5311−3040(事務局 津野さん)
・WEBでの申込は http://homepage2.nifty.com/ryoma-kobe/
ついに登場、坂本竜馬ファン必見!老いも若きにも根強い人気がある坂本竜馬。
港神戸で、挑戦してみようではないか。
ご当地検定は2003年11月、東京観光財団が、観光ガイドなどの養成を目的に行った「東京シティガイド検定」が元祖である。昨
年始まった「京都・観光文化検定」が9800人の受験者を集めて注目を浴びたこともあり、西日本を中心に検定の機運が高まり金沢検定
などもある。
以上。(武)
土佐龍馬の海援隊、初めての仕事として鉄砲や弾薬を満載して航行していた「いろは丸」。
紀州藩の明光丸と備中六島沖で衝突、明光丸がいろは丸を曳航して鞆の浦を目指した…
が、風雨霧強く沈没。
龍馬たちは明光丸で鞆の浦に上陸したことは、以前に触れた。
港神戸の海岸通り、神戸海軍操練所跡は、江戸末期に当時の軍艦奉行並・勝海舟の建言で、神戸に設けられた幕府の海軍教育機関である
。
時は今を去る143年前の1863年(文久三年)4月23日、将軍家茂は大坂や兵庫沿岸の視察を行った。
が、当時軍艦奉行並の地位にあった勝海舟は、順動丸に搭乗して案内に立つ…
かねてから想を練っていた勝海舟は、此の絶妙のタイミングを捉えて、海軍興隆と士官の養成及び、その為の施設である神戸海軍操練所
の創設を説いた。
翌24日、勝海舟の将軍へ熱のこもった直談判が功を奏して、幕府は神戸海軍操練所の創設を決定。
海舟が将軍家茂へ言上したのは、順動丸で和田岬を経由して神戸(神戸村小野浜 神戸市中央区海岸通)に上陸した時である。
「我が国にとって海軍を興すことは当面の急務。江戸には軍艦教授所が有るが、此処摂海は、京都、大坂を控え要衝の地、それ故に此処
兵庫に海軍操練所を創設し、海軍の人材を養成するのが急務。人材は、幕臣を始め諸藩の子弟も含めて広く募集したい」でなかったか。
2006 11 5(ふ)
坂本龍馬慰霊祭提灯行列!!
兼六園では雪吊りも始まるなど北陸は冬えの備えが始まりました。
坂本龍馬慰霊祭提灯行列が、来る11月18日(土曜)に開催されます。
三条大橋下鴨川西岸河川敷にて、当日午後3時から受付開始、午後4時集合、午後4時30分スタートとなっています。
参加費用は、一人3000円です。
コースは、三条大橋→京都酢屋前→坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(現 京阪交通社)にて黙祷
→四条河原町→京都南座前→円山公園(休憩 銅像前で記念撮影)→霊山護国神社にて、霊山の墓前参拝後およそ午後7時ごろ解散の予定。
行列で使用しました提灯は、記念品として、お持ち帰りできます。
龍馬が、慎太郎が、お龍が、藤吉が、幕末が大好き!幕末は知らんけど歩いてみたい!という方であれば、どなたでも、ご参加できます
。
問い合わせ 京都龍馬会会長 赤尾 博章
京都市中京区河原町通六角下ル山崎町256/〒604-8032
TEL 075-211-3666 FAX 075-255-5571
Email:kaientai@ryoma-kyoto.jp
なお、京都霊山神社では霊山祭が11月15日(水)に。
旧土佐藩招魂社祭は午後3時から、また墓前祭は午後3時半よから執り行われます。
当日ご参拝の方には、高知県北川村、京都高知県人会の協賛によって軍鶏鍋が配布されます。
京都龍馬会による龍馬グッズ販売コーナーもあり、午後から京都龍馬会会員有志による奉納居合演武が行われます。
また、霊山歴史館では海援隊結成140年を来年にひかえ特別企画「龍馬と新撰組の時代」も開催。
開催期間は10月18日(水)〜11月26日(日)(休館日:月曜日)。
一般700円/高校生400円/小中学生300円 団体20人以上は各100円引き 友の会会員は無料(会員証提示)
京都の紅葉は今が真っ盛り、東山霊山から観る京都の夜景は、絶景です。
年間に数回かしか墓前には、上がれませんので、この機会に是非参加してみてはいかがですか?
以上。
2006 11 2(ふ)
第33回 龍馬まつりIN桂浜!!
今まさにキノコ採りのシーズン。
広島長崎の被爆は忘れてはなるまい。北の核実験もさることながら、自分たちの持っている核は棚上げ、大国の横暴も許せない。
第三次世界大戦になるかならないのか、今問われている。
日本海を平和な海にすべきだ。カギを握るのは中国、熊には熊も困らないようにご注意。
熊ちゃん、おれんちへくれば裏庭の柿は採ってもいいよ。
秋の金沢龍馬会の総会、土方ファンも参加して盛会に終わった。
出席された会員に、土方歳三ファンも如何でしたか。
やむを得ない事情で、欠席された方は次回はお楽しみに。
土佐高知、高知観光協会から、下記のご案内ありましたので
お知らせします。
おんなじ夢を見てみんかよ。
第33回 龍馬まつりIN桂浜
10月21日(土) 〜 12月10日(日)
会場 高知市桂浜公園(JR高知駅より車で30分)
問い合わせ 社団法人 高知観光協会
電話 088−823−4016
FAX 088−823−9275
http://www.welcome-kochi.jp
心はいつも太平洋
まっこと絶景ぜよ
龍馬に大接近!桂浜の龍馬像横に高さ13メートルの櫓を組んだ特設展望台から
龍馬の目線の高さで雄大な太平洋を眺めよう!
土佐の高知では酒宴のことを「おきゃく」と言うがよ。
夜は寄る。自由で、楽しく、にぎやかで、誰彼も、分け隔てのない「土佐のおきゃく」は 土佐流の人生の楽しみ方ながよ。
動かざる
龍馬の目線
鳥わたる(BS2俳句王国)
以上。(武)
戻る
先の総会でもご案内しました長野は上田での「全国龍馬ファンの集い」も近づきました。
愛媛は大洲からも上岡ご夫妻にお孫さんも参加されます。上田は、龍馬が最も信頼した三吉慎蔵の末裔が暮らしているゆかりの地、是非ご
出席して下さい。
この機会に、龍馬の手紙や三吉慎蔵ゆかりの資料に触れたり、全国の龍馬ファンと親しく交流をされては如何ですか。大会本部から待っ
ていますとの便りもありました。参加希望、別所温泉での宿泊の方は25日まで、事務局で受け付けます。
日程
11月8日(水)〜13日(月)
・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
三吉家に伝わる資料など
10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 17:00〜21:00 上田市民会館
講演 「わが心の龍馬」ジェームス三木さん
コンサート 〜Hungry Kidsのおくりもの〜 白井貴子さん
※指定席 2500円 自由席 2000円 自由席 500円
11日(土)・全国龍馬社中会総会 10:00〜11:30 上田創造館
・全国龍馬ファンの集い 12:00〜受付
※(参加者は事前登録要 会費5000円)上田創造館ホール
13:00〜15:00 上田創造館ホール
基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」
加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)
15:00〜16:30
特別講演 「幕末維新期の写真に見る歴史群像」
〜坂本龍馬・上田藩松平家兄弟と写真師上野彦馬〜 東大大学院教授 馬場章さん
16:30〜17:00
各龍馬会の活動報告 第19回高知大会への引継式
18:00〜20:00
交流会
折角のいい機会です。信州長野はリンゴ、土佐では黒潮の幸で「おきゃく」になるのもいい。どちらも参加してみるのもいいでせう。忙
しい、忙しいと言わずに、お友達を誘って行けばきっといいこともありましょう。
被爆体験はもうこりごりだが、何事も体験してからです。
旧西ドイツの大統領、ワイゼッカーは、「過去に学ばなければ、未来に禍根を残す」と言ったが、わが国は、過去から何を学び、将来に
その教訓を生かすのか、今問われているといえるでせう。
2006 10 20(ふ)
秋の総会、土方ファンも参加して盛会に終わる!!
金沢龍馬会の秋の総会は、去る10月15(日)金沢市文化ホール裏「空海」で、
13時半から開催された。
深まりゆく秋。
この日は、金沢市内ではロードレースも開かれるなど秋晴れの好天に恵まれた。
今年は二年前のアテネオリンピック女子マラソン金メダリストの野口みずき選手も参加したらしい。
終わった後で、同じコースをチャリで、土清水から香林坊へ向かった。旧県庁前ではふらり古本屋さんを覗く。
野町の神明宮では、江戸時代から続くあぶり餅神事が始まった。
文化ホール裏の会場にはオブザーバーで土方歳三(※)ファンという武内会長の知人、野々市の徳田、丸世さんも顔を見せてくれた。金
沢龍馬会は、この日新たに会員に加わった富来の染谷さんを始め、室岡、山田(友)、宮島、山野、中川、久々に辰口から山田(省)、済
田、東、齊田夫妻、加茂、武内、福野が出席(別会合で、途中退席あり) 。
金沢龍馬会の秋の総会。
はじめに、武内会長が「皆、同じ考えというのも考えものだが、龍馬という線で金沢龍馬会の繋がりを大事していきたい」と開会のあいさ
つ。
次いで、東さんから友人の拉致問題を巡る動き、山田(省)さんは炭焼きガマ作りしていて遅れました。一番乗りの染谷さんも金沢龍馬
会に入ることに決めましたと、遅れてきた会員も次々に近況報告。
そして、事務局長福野から懸案事項は特にないが、今回はこれまで違って総会と懇親会を同じ会場にした。
次いで、去る6月の総会以降、先に行われたおりょう没後百年祭等の一連の事業計画について経過報告(資料)。
この中で、来る11月8日(水)〜13日(月)の信州上田の龍馬ファンの全国大会。
1866年(慶応2年)1月23日、京都伏見の寺田屋で、龍馬暗殺の悲報を龍馬の妻おりようへ伝えたともいわれている長州の支藩であ
る長府藩士三吉慎蔵(1831〜1901)ゆかりの地、上田。
はるばる愛媛県大洲から金沢龍馬会へ上岡さんご夫婦にお孫さん三人の申し込みがあったが、金沢からの参加申し込みが今の所ない。大
本部から今月25日まで申し込みは受け付ける旨の連絡があったことなどを報告。
また、9月25日琵琶湖畔、大津市のウオーターステーション琵琶で、琵琶湖歴史倶楽部の16回目の琵琶湖・瀬田川の歴史を語る会
世にも不思議な男「龍馬の謎を探る」について出席したので、概要を報告(資料参)。
語り手は中川新一さん。
京都木屋町、龍馬をかくまっていた酢屋の八代目が叔父さんという末裔で、親父さんや曾祖父から聞いたという話などをもとに二時間。
近江と龍馬の関わりでは、越前福井の横井小楠やと三岡八郎らに会う為など都合五回は行き来していた。また、幼年期の逸話や免許皆伝というものの本当に強かったのか、どうか。
そして龍馬を取り巻く女たち。
才谷屋の乙女や美女のお徳、それに加尾や多鶴、更にお蝶や婚約はしたけれども結婚はしなかった佐那、そして、妻となったおりょうに寺田屋の登世についてだった。
次いで、福井には、高知同様に幕末の志士らの銅像が多いが、福井県が去年、オークションで「五箇条の御誓文」を2388万円余で落札。
その五箇条の御誓文は1868年(明治元年)、政府参与だった越前の由利公正が起草したが、福井では由利公正の功績を顕彰する目的で、福井県立図書館などで展示してある。
横井小楠の「国是七条」は松平春嶽へ
一、将軍が朝廷に謝罪する
一、参勤交代の廃止
一、江戸に居る諸大名の妻子を国許に戻す
一、外様、譜代に拘らない人材の登用
一、公儀政治を行う
一、海防、海軍の強化と設置
一、官における交易を盛んにする
龍馬の「船中八策」は、後藤象二郎から山内容堂へ
一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯及(および)天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
由利公正や福岡高悌が起草して、桂が加筆修正した「五箇条の御誓文」は、
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
一、上下心を一にして盛に経綸を行ふへし(※ 天皇も市民も)
一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦まさらめんことを要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くへし
一、智識を世界に求め大に皇基を振興すへし
諸国未曽有の変革を為んとし、朕躬を以て衆に先し、天地神明に誓ひ、大に国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協
心努かせよ。(※ 原文はいずれも旧仮名遣い)
中川さんは、この「船中八策」と「五箇条の御誓文」は、似てもつわないというのだ。
再度、こと細かく検証してみてはどうか。
この後、葦簀(よしあし)について詳しい元金沢大学の薬学博士西川嘉廣先生を訪ねた。
先生に紹介されて、近江八幡市内で、近江八幡資料館の館長山内美代子さんにお会いした時の話も御紹介しよう。
龍馬が京都近江屋で、中岡慎太郎と共に暗殺されたのは、承知の通り1867年(慶応三年)。
最愛のひとを亡くしたおりょうさんは、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して、西村松兵衛と再婚した。この頃の住まいは、三浦郡深田村(現在の横須賀市米ヶ浜)らしい。
晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残るが、再婚相手の松兵衛は近江八幡の西庄(旧 蒲生町)の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していた。が、明治に入り横須賀へ移っていた。
そのいきさつは今年の春、横須賀から梶谷叡正さんという仏師が山内さんを突然訪れたことに始まる。
「松兵衛さんの墓がどこにあるのか」と。考古学が専門で、そんなことは夢にも思わなかったので、学芸員共々慌てらしい。
図書館や役場で、調べる一方、西村という名前が多い金田村の西村姓を調べるうちに西庄町に西村姓があることを突き止め、円光寺へ問い合わ
せた。更に遠戚を訪ねたり、土地台帳など調査に乗り出して、近江蒲生郡金田村(現 近江八幡市)の西村喜左衛門の次男であることが分かった。
西村家は1894年(明治27年)頃まで、ここに住んでいたが、宅地を遠戚などに売り渡して京都へ移り住んだらしい。ご両人の再婚は、お龍の母お貞と近郷であり、幼い頃から知っていたと推測する。
近くにいた双方の母が昔から顔見知りであったことなどから、再婚したのではないかと言う。
ここまで調べ尽くして、ことの真相が明るみになったらしい。
河内さんは「松兵衛が再婚相手のおりょうさんの墓を作った話といい、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったおりょうを包み込む度量の大きい何とも優しい、愛の深い男ではないか思います」と。
また、知らない他国、何のゆかりもない横須賀に二人が居たことは、横須賀に店を構えていた八幡商人(近江商人)がいたこともあり、同郷の者がいるという心丈夫があったのではと。
世界に羽ばたいていた近江商人ならである。
次いで山田(友)会員の報告。
大阪は住之江区天保山の「なにわの海の時空館」WTCコスモタワーで、去る8月に開催かれた京都龍馬会などの『坂本龍馬と海援隊の海
』に参加したが、今ひとつ盛り上がりに欠けていたとの感想。
この後、中川さんの乾杯の音頭で懇親会に移った。
時あたかも北の核疑惑を巡る世情で、安倍に期待したい。いやそうでない云々。また、龍馬の鉄炮を巡ってのうんちくから民間の交通取り
締まりの矛盾の話へ。
また、国友さんの個展の盛況から外国人との交流、家族を招待して今終わったばかりと。また、毎月一回ぐらい懇親会をしたらどうか。
龍馬と竜馬、司馬僚の「竜馬がい行く」などから、更に馬を巡るうんちくなどに盛り上がり、時間の許す限り龍馬の志などを巡って談論
風発。
予定の午後五時半を過ぎて、終わったのは六時半に。出てきたものはまっこと旨かった、楽しかったぜよ。
差し入れは、中川、山田(友)、東、宮島、武内、染谷さんから、お酒や焼酎に栗、烏賊、蒲鉾、母手作りの漬け物などの差し入れあり。
有難う御座いました。
帰路は夕闇が迫り、灯りがついた長町の用水沿いにチャリを引っ張りながら、今時10円というおばちゃんに会い帰途についた。次回は
来春に新年会を予定しますので、今回出席を予定していた中川さんの友人に奥田、国友さんらやむなく欠席された方も出席して下さい。
又あふと思う心をしるべにて
道なき世にも出づる旅かな
龍馬
※ 土方歳三について。
たとひ身は蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも
魂は東(吾妻)の君やまもらん
ご存じ土方歳三の辞世の句。武州多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)生まれ。
両親と早く死別した土方は、20歳を過ぎた頃から武術を志す。
で、骨折や打身の秘伝薬で多摩川の水辺に野生している牛革草という野草を原料とした家伝の「石田散薬」の行商をしながら、薬箱の上
に剣術道具をくくりつけて、行く先ざきで道場を見つけると他流試合を申し込み剣の腕を磨いたという。
1863年(文久3年)幕府の浪士隊結成に近藤勇らと共に参加上洛し、のち近藤を助けて新選組を組織した。
鉄の戒律といわれた「局中法度」を作って内部粛清を行い、京都守護職会津中将お預りとして不逞浪士の取り調べ。市中見廻りを行ない、西
国浪士たちを震撼させた。
しかし、激動する時の流れは幕軍に利せず、大政奉還、王政復古の大号令へと続く。
1868年(慶応4年)「鳥羽・伏見の戦」に敗れ、近藤勇が流山で捕らえられ板橋で斬首された。
後、新選組の生き残りを率いた土方は、北関東、会津と転戦し仙台にて榎本武揚の艦隊に合流し新天地に希望を求めて蝦夷の地函館に上
陸。
折角の機会、手元にある「北の大地と樺太」から抜粋して、慶応から改元されて明治となった1868年(慶応4年 明治元年)10月
のことについて、触れてみよう。
会津戦争に敗れて、仙台での奥羽列藩同盟の崩壊をみた「戊辰戦争」の東軍、それ以後「徳川脱走兵」として南部松島湾に集結していた
榎本釜次郎(武揚)の海軍力に望みを託して、石巻に集結。
この地で事後策を練った彼らは、北海道に渡って、徳川遺臣によって「蝦夷共和国」を建設するという、オランダ留学経験を持つ榎本ら
の先進的な考えに同意した。
そして、10月20日(新暦では12月3日)早朝、東軍士官兵士およそ4000人を載せたオランダ製の軍艦「開陽丸(1590トン
)」以下7隻の軍艦が、先に触れた函館北方の内浦湾に面する漁港、鷲の木浜に到着。
ご承知のように、1868年(慶応4年)1月 、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が、大阪を脱出、品川に至った開陽丸である。
北の大地は、すでにおよそ30センチも雪が積もり、海上には高波と暴風雪が殴り付ける、厳しい寒さの朝であったという。更に、10
月26日には函館・五稜郭を占拠して、函館府知事を追放した。
そして、翌27日には松前攻撃に移った。
海からは11月1日に、英国のビクトリア王女から贈られたという軍艦「蟠龍(370トン)」が松前湾から松前城を砲撃。陸からは
土方歳三率いる陸戦隊700人が知内(しりうち)、福島と占領し、5日に松前に入って激戦の末、松前城東方の馬形(まがど)台地にあ
る法華寺を占領。
旧幕府軍は海陸から城中へ砲撃し、陸兵が各坂口から進撃。
搦手(からめて 裏門)門を攻めてきた土方軍に対し、松前藩兵は門を開くと同時に大砲を発射し、また門を閉じるといった攻防戦だっ
たらしい。
徳川一門の生計を立てるため蝦夷地を開拓し、新たな領地を開きたいという想いは、新政府としては到底認めることができないものだっ
た。独立共和国を作るつもり?の榎本は、誰のために開陽丸を動かしていたのだろうか。
また、勝海舟(1823〜1899)の気持は果たしてどんなであったろうかと思う。
その開陽丸は、1868年(明治元年)11月15日の夜明け前、山々が雪とともに白く浮き上がってきた頃、江差沖で座礁沈没してしま
った。
そのころ、松前から浜路、江差に向かって進撃中の土方歳三の軍勢は、予想を超えた松前藩の抵抗に遭いながらも辛うじてこれを撃破して、江差に到着し
たのは翌16日であった。
榎本と土方の二人は眼下で、嵐の中でもがいていた開陽丸を見て、ままならぬ運命に歯ぎしりをしながら、土方は「釜さん、悔しいのぅ
」などと呟やいたとか。
無念さは隣にいた榎本も同じで、幕末、新しい世界を北の大地に賭けた二人は、男泣きに泣き続けたのではないか。
江戸は下谷御徒町(台東区)の直参旗本の家の次男として生まれた榎本武揚(たけあき 1836〜1908)については、いずれ触れる
機会もあろう。
榎本は、戊辰戦争の時は「開陽丸」や旧幕艦数隻を率いて箱館に入り、五稜郭に拠って官軍に抗戦。
また、ロシアとの提携をはかり、北海道に工務授産計画を立てるなど、共和国設立の野望を抱いていたが、1869年(明治2年)5月11
日、函館周辺は既に西軍、つまり薩長軍に陥落され、五稜郭への総攻撃が開始された。
土方歳三は函館奪回を目指して、およそ50人の兵と共に五稜郭を出陣し函館に向かった。
函館と亀田村の境界にあった一本木の関門辺りで馬に乗り敵陣に切り込んだ時に銃弾を腹部に受け戦死。享年34歳。
死を覚悟していたという土方歳三は、先の蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも…という辞世の句を残した。
京都で鬼の新撰組副長と恐れられた土方歳三は幕臣としての大儀を、最後迄貫いたといえようか。
函館戦争で戦死した幕府軍幹部は、土方歳三たった1人。
捉えがたき星を捉えようとする道を敢えて選び、心中一点の翳りなく誠に生き、義に殉じたその壮烈な死にざまが、多くのファンを呼ぶ
が、奇しくも近藤勇が斬首されたときと同年であった。
開陽丸は、今なお誰かを待つように江差、鴎島沖の海底に眠っている。
2006 10 16(ふ)
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おりょう没後百年祭!
「よこすか龍馬会」からのご案内です。
幕末の志士・龍馬の愛妻・おりょうさんの没後100年にあたる今年、10月には横須賀市大津の「信楽寺(しんぎょうじ)」で「龍馬
・おりょうの等身大」木彫座像の除幕式がとり行われます。
よこすかで ふたりの等身大座像に会える!!
◇日時:10月1日(日)〜8日(日)
おりようと龍馬展
9時〜17時 大津公民館
1日(日)おりょうと龍馬フォーラム
・基調講演 講師 鈴木かおるさん
13時〜14時 大津公民館
・パネルデスカッション
14時10分〜15時30分 大津公民館
コーディネーター 磯野淑紀さん(よこすか龍馬会会長)
7日(土)・月琴の語りと演奏会(※ 江戸時代に長崎に渡来した中国人が奏でた中国の楽器)
13時30分〜15時 大津公民館
8日(日)・龍馬の妻龍子 墓前祭
12時30分〜13時30分 信楽寺(京浜大津駅下車 歩いて5分)
・記念講演会 「龍馬をささえたおりょう」 講師 龍馬研究家 木村幸比古さん
(京都 霊山歴史館)
14時15分〜16時 大津小学校体育館
主催:大津観光協会 協力:よこすか龍馬会
問い合わせ:大津行政センター 電話 046−836−3531
龍馬の愛したおりょうさん、彼女の没後100年の記念すべき節目の年に、おりょうの再婚相手である西村松兵衛が大津信楽寺に葬られ
ていたことが初めて明らかになった。
よこすか龍馬会では、100年祭を迎えるにあたって、去年の暮れに先に触れた松兵衛が眠る場所が信楽寺であったことで、安らかにと
の思いを込めて、戒名を位牌に刻み開眼供養を行った。
龍馬の愛妻、おりょうさんのお墓のある横須賀市大津町を基点として、何らかの「志」を持っている人たちが集まって「私利私欲を離れ
て、偉大な志を実現させようとした龍馬の精神を21世紀に生かす…」という趣旨で、磯野淑紀さんを会長に五年前の2001年3月に発
足している。
この秋、関東圏へ旅する予定の方は、折角の機会です。講演や珍しい月琴の語り、またペリー率いる4隻の黒船が来航して、近代国家
へ向かうと共にに国際社会へのデビューを飾った第一幕の浦賀の浜、そして軍港横須賀の街…。
米海軍横須賀基地には第七艦隊の極東司令部が置かれている。
ご承知のように、第七艦隊は西太平洋・インド洋海域を担当、東は日付変更線から西はアフリカ東海岸、北は千島諸島から南は南極大陸ま
での広い範囲をカバー。
空母キティーホークを中心に航空団や2隻の巡洋艦、それに4隻の駆逐艦、2隻の原潜、高速支援艦からなる空母戦闘団が、母港として
使用している。2年後には退役するキティーホークに代わって、ジージ・ワシントンが入ってくるとか。
更に、1905年(明治38年)、日露戦争当時に日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」。
英国のポーツマスに保存されている「ビクトリー」や米国のボストンに保存されている「コンスティチューション」と並んで“世界三大
記念艦“として知られる戦艦「三笠」も三笠公園に保存されているので見てみるのもいいでせう。
2006 9 11(ふ)
世にも不思議な男「龍馬の謎を探る」!
うだるような暑さが引いて来た…と思ったら、もう長月に入りました。
一気に年末に突っ込んでいきますね。月が変わってツキが変わましたか?
いいことがあれば良いのですが、娑婆は相変わらず様々な事件も起きています。
来る9月25日午後一時半から琵琶湖畔、
ウオーターステーション琵琶で開かれる「龍馬の謎を探る」をご案内します。
無双の剣術使いでありながら
人を斬ったことが無い
算盤が出来る武士
むさくるしい風体だが、女性にもてた
遠くが見えるのに、近眼
討幕派でありながら、幕閣と親交があった…
主催: 琵琶湖歴史倶楽部
16回目の琵琶湖・瀬田川の歴史を語る会です。
語り手は中川新一さん。
参加は無料ですが、定員が30人なので事前の予約が必要です。
ご希望の方は、金沢龍馬会事務局までご一報下さい。
龍馬が京都近江屋で、中岡慎太郎と共に暗殺されたのは、1867年(慶応三年)。
最愛のひとを亡くしたおりょうさんは、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して横須賀で、海軍の御用商人をして
いた西村松兵衛と再婚した。
おりょうさんは、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残る。
が、この松兵衛は近江八幡の西庄の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していたが明治に入り横須賀へ移って、海軍の御用商人をしていた。
彼の菩提寺が西庄にあり、一族が菩提を弔う為に来ていたことが、近江八幡で今年の春先から話題になっていたことは聞いている。龍馬
の遠い先祖が近江坂本出身と併せ、其の辺りが龍馬の謎解明の一つの手がかりとして話題になりそうだ。
2006 9 1(ふ)
「第18回全国龍馬ファンの集いinうえだ」開催迫る!
蝉の声から虫の音に変わり、朝夕はめっきり涼しくなりました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。
先の総会でもご案内しました長野は上田での「全国龍馬ファンの集い」も近づきました。
上田は、龍馬が最も信頼した三吉慎蔵の末裔が暮らしているゆかりの地です。
今年三月、一市二町一村が合併して新上田市が誕生しました。
概要が決まりましたので、ご案内します。
秋の日程に組み込まれて、是非ご出席して下さい。
この機会に、珍しい三吉慎蔵ゆかりの資料に触れたり、全国の龍馬ファンとの交流をおすすめします。
日程
11月8日(水)〜13日(月)
・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
三吉家に伝わる資料など
10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 17:00〜21:00 上田市民会館
講演 「わが心の龍馬」ジェームス三木さん
コンサート 〜Hungry Kidsのおくりもの〜 白井貴子さん
※指定席 2500円 自由席 2000円 自由席 500円
11日(土)・全国龍馬社中会総会 10:00〜11:30 上田創造館
・全国龍馬ファンの集い 12:00〜受付
※(参加者は事前登録要 会費5000円)上田創造館ホール
13:00〜15:00 上田創造館ホール
基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」
加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)
15:00〜16:30
特別講演 「幕末維新期の写真に見る歴史群像」
〜坂本龍馬・上田藩松平家兄弟と写真師上野彦馬〜 東大大学院教授 馬場章さん
16:30〜17:00
各龍馬会の活動報告 第19回高知大会への引継式
18:00〜20:00
交流会
12日(日)・エクスカーション
信州上田観光巡り
1 小布施町と佐久間象山の足跡、歴史を漂う 参加費 3500円
2 信州の鎌倉塩田平と国宝めぐり 参加費 2000円
3 風林火山ゆかりの地と真田氏発祥の郷散策 参加費 3000円
主催:「全国龍馬ファンの集いinうえだ」実行委員会
米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)長野龍馬会 松本龍馬会 上田市 上田市商工会議所
別所温泉観光協会 信州大学繊維学部 しなの鉄道 上田電鉄 地元ライオンズ ロータリー他
共催:全国龍馬社中東海ブロック
大会幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)
※ 宿泊先等々は、別所温泉で、7000円(一泊一食 4〜5人相部屋 2〜3人は割り増し)
参加 宿泊ご希望の方は 9月30日までに 開催実行委員会へ申し込む必要があり 金沢龍馬会事務局へご連絡下さい。
人数がまとまり次第、開催実行委員会へ申し込みます。少なければ、各自に申し込んで戴くことになります。
ご了承下さい。
1866年(慶応2年)1月23日、京都伏見の寺田屋で、龍馬暗殺の悲報を龍馬の妻おりようへ伝えたともいわれている長州の支藩で
ある長府藩士三吉慎蔵(1831〜1901)。
龍馬の手紙によれば「正月二十三日八ッ時半(※午前三時)頃なりしか、一人の連れ三吉慎蔵と咄して風呂よりあがり、最早寝んと」し
ている時に、風呂に入っていた裸のおりょうが飛び込んできた…。
おりょうの証言によれば、窓に当たる鑓の音に気づいて、捕吏が寺田屋を囲んでいるのが分かったらしい。
おりょうの機転で、龍馬は助けられて、二人は京の薩摩藩邸へ急いだ。
慎蔵は、長府藩士小坂土佐九郎の次男として生まれ、26歳の時三吉十蔵の養子に迎えられた。
文武両道に秀で、藩主の信任厚かった慎蔵は、1863年(文久3年)8月長府藩の青年武士によって結成された精兵隊の監督に。また、
山口在藩役や東豊浦郡代などを歴任し、慶応元年(1865年)には永代馬廻格に遇せられた。
翌1865年(慶応2年)正月に、慎蔵は印藤聿の紹介で坂本龍馬と初めて対面。
藩命を受けて上京、龍馬が桂小五郎や西郷隆盛との調整で、薩長同盟締結直後の1月23日夜、潜伏中の寺田屋で龍馬とともに遭難し、以
後龍馬は慎蔵を最も信頼して、その関係は親密なものとされている。
また、慎蔵は龍馬のみならず、維新の実現に尽くした先の西郷隆盛や中岡慎太郎らとも交流を重ね、維新後慎蔵は、明治の元勲た
ちと交流を続けた。
自ら高位高官を望むことなく、長府毛利家の家扶として亡くなる数日前まで出務し、1901年(明治34年)2月16日病死した。
享年70歳。五年前、長府博物館で、慎蔵没後百年を記念した企画展「三吉慎蔵と坂本龍馬」が開催された。
さて、ご承知の通り、長さが214キロ、藤村が詠った千曲川の流れる上田辺りは、戦国時代の武将真田幸村の居城上田城祉や蔵作りの町並み
が残る旧北国街道、信州の鎌倉といわれるくらい鎌倉期の重文が多い所。
また、塩田平、第二次大戦中に志半ばで戦場に散った画学生の遺作を展示した「無言館」、日本のダボスとも言われる菅平高原や平安時
代の和歌にも詠われる名湯・別所温泉等々見所が多くある。
来年の開催は高知だが、「平成20年の福井開催」は、上田の全国大会で、正式決定の予定。
金沢龍馬会、秋の総会は10月に予定します。日程等決定次第お知らせします。
お隣、富山龍馬会会長の杉田欣次さんから以下のメッセージが届いております。
残暑、お見舞い申し上げます。
設立総会の折には本当にありがとうございました。龍馬とのゆかりが薄い分、活動が難しいですが、何とか細々と続けております。当初は
、京都、福井など研修旅行を実施したり、講師をお呼びしての講演会なども試みて参りましたが、一通り実施し、さてこの次はということ
になると、なか大変です。
しかしながら、初期の思いを忘れず、何とか繋いで行きたいと考えております。
今後とも連絡を取り合って行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
以上。
2006 8 30(一部改訂 9/8 ふ)
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「坂本龍馬と海援隊の海」開催中!
残暑は厳しいですが、処暑も過ぎて、朝夕は幾分涼しくなりました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。
去る6月の総会でも、ご案内しましたが、目下、大阪は住之江区天保山の「なにわの海の時空館」
WTCコスモタワーで、『坂本龍馬と海援隊の海』が開催中です。
内容は、・坂本龍馬パフォーノンス展(参考 図説 坂本龍馬)
・居合い斬り試し斬り、刀剣教室
・日本刀の展示、ゆかりのパネル展・トークイベント
・提灯行列(26日南港、27日天保山にて19時から)など
・入場券 大人:2000円 子供:1000円
・特別入場券 大人:2500円 子供: 1500円
・問い合わせ先 京都龍馬会コンベンションセンター 06−6616−6318
なお「坂本龍馬と海援隊の海」は、27日(日)までです。
京都龍馬会では、特別グッズなどを用意して、皆さんのご来場を待っているそうです。
日も迫りましたが、夏休み最期の土曜日曜、この機会に、足を運んで見るのも一つの手です。
無料入場券二枚、一枚で二人入れる特別優待割引券、グッズ割引券が、事務局にありますので、必要な方はどうぞ。
以上。
もう一つ、お知らせです。
ミュージカル「維新回天・龍馬伝!」〜硬派・坂本龍馬V〜上演近づく!
宝塚歌劇では、晩秋、来る11月3日(金)〜12月12日(火)に「坂本龍馬」を主人公にしたミュージカル「維新回天・龍馬伝!」
〜硬派・坂本龍馬V〜が上演されることになりましたので、ご案内します。
トップスター宙組の貴城けい主演、紫城るいらの共演で、男の友情、男女の愛をテーマに、飛び抜けた行動力と優しさに溢れる人間的な
魅力で、維新の主役となった自由人、龍馬。
味方からも敵からも愛された龍馬の颯爽とした生き様を、激動の時代に若い命を燃やした志士たちや龍馬を愛した女たちとの関わりの中
で描く“痛快娯楽劇”。作・演出:石田昌也。
・前売り券の発売は、9月30日(土)から開始です。
SS席10000円 S席7500円 A席5500円 B席3500円
・予約専用FAX 0797−83−6229
・問い合わせ 0797−85−6750
・東京公演の予定は、2007年1月2日〜2月12日 東京宝塚劇場。
この機会に、宝塚でミュージカル「維新回天・龍馬伝!」を見るのもいいでせう。また、帰路に、紅葉の京の都で、龍馬ゆかりの地を訪ねる
のもいいですね。
以上。
2006 8 24(ふ)
鞆の浦で、龍馬の瓦募金!
残暑が厳しいですね。
ツクツクボーシが、鳴き始めました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。
つきましては、広島県福山市にある龍馬縁の港町、鞆の浦(とものうら)で、歴史的遺産を活用した町づくりをしているNPO法人「鞆ま
ちづくり工房」から「龍馬の瓦募金」についての協力願いが届きましたので、以下お知らせします。
私たちは、主に空家・町家の活用事業に取り組んでおり、空き家となっていた、龍馬がいろは丸事件で紀州藩と談判した部屋が
残る江戸町家「旧魚屋萬蔵宅」の修復事業に取り組んでおります。
三年前、2003年8月、1000万円を借り入れして、購入同時に募金活動を開始しました。翌2004年4月に設計コンペ、11月
ようやく工事着工、そして去年2005年の夏の工事完成を予定しておりました。
しかし、新築と違い修復にかなりの苦難がともない数度となく工事計画が変更となりました。それに伴って、修復費用もかさんできました
。
そこで今回、再度皆様のご協力をあおぎ、貴重な歴史的財産を守る「龍馬の瓦募金」を広く呼びかけることとなりました。
これは、鞆の伝統的な本瓦(丸瓦)葺きの姿を取り戻そうと、竜馬ゆかりの町家の屋根を本瓦葺きにしております。
この機会に、募金にご協力頂ける方々のお名前をこの瓦に書かせて頂きます。龍馬が歴史を刻んだこの場所に、皆さんの歴史も刻んでく
ださい。
なお、「龍馬ゆかりの町家」改修現場にて、募金を受付けます。
日程は、8月12日〜15日と、その後の土日です。また、郵便振込みでも受け付けております。
詳しくは、ホームページ「竜馬ゆかりの町家再生プロジェクト」の瓦募金のチラシをご覧ください。
http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/iroha/iroha.html
ご質問等は「鞆まちづくり工房」へお問い合わせください。ぜひ、お1人でも多くの方々にご協力頂ければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
NPO法人 鞆まちづくり工房 代表 松居秀子
以上。
鞆の浦は、先月の15〜16日に、越前龍馬会から当会へも呼びかけもありご紹介しました。
諸兄が研修旅行(報告は越前龍馬会のHPに掲載)に行ってきたところで、小生もかつて、北前船の寄港地であったことなどと併せて行っ
たことがあります。
龍馬ゆかりの地で、様々なことが思い出される地です。趣旨に御賛同できる方は、是非ご協力下さい。
残暑厳しき折、各位にはご自愛下さい。
2006 8 11 (ふ)
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「龍馬の歌音楽祭」CD発売!
戦後61年目の夏、それぞれに思いはあるでせう。
先日は甲高いヒグラシ、今朝はクマゼミの合唱でした。また、うだるような季節がやってきましたが、お変わり無く御元気でせうか。
長引く梅雨前線の影響で、石川県内を始め長野や九州など、またお隣の韓国や北朝鮮でも大きな爪跡を残して、多くの犠牲者も出ました。
被災した方々には本当にお気の毒なことです。会員や会友各位には、何事もなかったでせうか。
さて、去る5月龍馬ゆかりの長崎で開催されました「龍馬の歌音楽祭2006」のSPECIALオムニバスCDが発売されました。
越前龍馬会からのお知らせです。
◇ ―龍馬の歌〜旅立ち長崎―
・ 幕末の風雲児/森本真輔
・ 時は夜明け、日は旅立ち/田崎純一(準グランプリ受賞曲)
・ 若人よ、旅立ちの時がきた/折原賢児(グランプリ受賞曲)
・ あげは/Za Ryu-Ma(準グランプリ受賞アーティスト)
◇ 以上4曲収録 税込み価格1050円
以前にもお知らせしましたが、越前龍馬会の会員・田崎純一さんが準グランプリを受賞しています。
越前龍馬会会長の牧田活宜さんから、此の機会に是非一人でも多くの人に聞いて戴きたく、販売のご協力を
お願いしますとのメッセージが届いています。
◇ お申し込みは、越前龍馬会事務局あて
メールなどで連絡して下さい。
梅雨明けも間もなくです。龍馬の志に思いを馳せて聞いてみるのもいいでせう。
向暑の砌、ご自愛下さい。
2006 7 26(ふ)
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「龍馬からの手紙」募集!
太平の眠りを覚ますテポドンたった七発で夜も眠れず。
テポドンを巡って、幕末のペリー来航時のような大騒ぎ。台風3号は8日、強い勢力を保ったまま沖縄の南海上を北上した。
夜遅くに宮古島に最接近する見通しだが、沖縄や九州で被害がなければいい。
北陸は相変わらず蒸し暑い日が続いています。会員、会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。
海援隊京都本部・京都酢屋から下記のように、今年で14回を数える「龍馬からの手紙」募集要項が届きましたので、お知らせします。
この機会に、日頃思っていることを書いてみるのもいいでせう。
〜龍馬が生きていたなら、今の日本をどの様に思い、そして活動するでしょうか〜
「龍馬からの手紙展」は、龍馬と同じ年令の方々に、激動の中に生きた龍馬を振り返っていただき広く世界を見つめた龍馬と混迷する日本
の今、そして未来の日本の姿を考えていただく公募展です。龍馬になったつもりで、あなた自身の意見を書いてください。
【作品応募規定】
○作品 A4版用紙一枚以内(便箋でも可)、手書き、ワープロ可。未発表の作品。一人一点に限る。作品の返却はいたしません。
別紙に住所・氏名(フリガナ)・年齢・職業・電話番号を明記
○締切日 9月30日(土) 当日消印有効
○応募資格 33才までの人
○応募方法 郵送、fax、メールにて応募できます
○賞 最優秀賞1点/優秀賞2点/入選10点
(最優秀賞:5万円/優秀賞:1万円/入選:酢屋オリジナル木工品)
○発表 10月末、入賞者に直接通知します
*応募作品の一切の権利は主催者に帰属します
○応募先 京都酢屋
〒604-8031 京都市中京区河原町三条下ル一筋目龍馬通
TEL:075-211-7700/FAX:075-256-6066
※応募者全員の手紙は、下記にて公開される。
「龍馬からの手紙展」
・日時 2006年11月3日(金)〜6日(月) 11:00〜17:00
・場所 ギャラリー龍馬(酢屋2階。海援隊本部として、龍馬が活動に使用した部屋)
・内容 今回の入賞作品を展示し、全作品を公開する。
・入場料 一般、大高生 300円 小中生無料
「龍馬追悼展」
・日時 2006年11月11日(土)〜26日(月)11:00〜17:00
・場所 ギャラリー龍馬(酢屋2階)
・入場料 一般500円 大高生 300円 小中生無料
以上。
ご承知のように、京都河原町三条龍馬通の「酢屋」は店の屋号で、1721年(享保6年)に初代酢屋嘉兵衛が創業し、「木」一筋に28
0年余り続く材木商。現在の千本銘木は町屋造り、酢屋の「木」の仕事を継承して、当主は10代目。
酢屋に伝えられているところによると、幕末当時、六代目の嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉(すみくら)家から大坂、伏見、そして
京へと通ずる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業をも掌握していた。
「京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許さ
れた。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。…」(『高瀬舟』森鴎外 大正5年)。
鴎外の小説でも知られる「高瀬川」は、江戸前期の慶長年間(1596〜1615)、1611年(慶長16年)に、当時の豪商・角倉
了以が物資輸送のために鴨川の水を引いて開いた運河である。この川で用いる舟を“高瀬舟”といった。
二条から五条にかけて7つの舟入(荷物の積み降ろしをする為の船だまり)があり、家の前は高瀬川の舟入で、高瀬舟が出入りしていた
。岸には納屋が建ち、川ぞいには各藩の藩邸が建ち並んでいた。
1867年(慶応3年)6月9日、龍馬は長崎から上京する土佐藩汽船“夕顔丸”の中で、越前福井藩の知恵袋、横井小南の「国是七条
」などをヒントに、かねて練っていた「船中八策」を海援隊の書記長岡謙吉に書かせた。
12日、西回り航路の起点ともいえる加賀藩縁の兵庫津(現 神戸港)から、十里(およそ40キロ)の大坂で一泊して翌14日に京都
へ入った。それで、各藩との折衝や伏見、大坂との連絡にも格好の地であった為に「酢屋」に身を寄せた。
嘉兵衛は龍馬の活動に理解を示し、その活動の援助に力を惜しまなかったらしい。嘉兵衛なくして、龍馬も無かったかもしれない。“捨
てる神もあれば救う神もある”の例えあるごとく人間、その気になれば救う人も現れた見本であろう。
龍馬は、嘉兵衛の家の者から「才谷さん」と呼ばれ、二階の表西側の部屋に住まいしていた。才谷は先祖の豪商「才谷屋」から取った
偽名だろうが、龍馬が寝泊まりしていた部屋は現在「ギャラリー龍馬」として開放されている。
当時の面影を残す二階の出格子から龍馬は向いの舟入に向けて、高杉晋作から貰ったピストルの試し撃ちをしていたらしい。彼なり
に危機管理、一カ所に長く留まることなく居場所を転々として、ここから近江屋に移った10日後に刺客に襲われ命を落とす。
遭難の年1867年(慶応3年)の6月24日には、土佐高知の姉、乙女に宛てた手紙の中で、「今日もいそがしき故、薩州やしきへ参り
かけ、当時(今)私は京都三条河原町一丁下ル車道酢屋に宿申候」と酢屋に投宿している旨を伝えている。
又、ここを屯所(海援隊京都本部)として、隊士や後に外務大臣となる陸奥宗光、長岡謙吉等数多くの志士が投宿していた。
11月15日、龍馬遭難直後、紀州藩の三浦休太郎を龍馬の敵として襲撃した海援隊と三浦を護衛していた新選組が乱闘になった「天満
屋事件」の際も、この二階の一室に海援隊の隊士が集まっていた。維新後、陸奥宗光は「酢屋」を訪れた時、当時を思い、感慨にむせんだ
と言う。
「ギャラリー龍馬」には龍馬の遺品や海援隊の文書、酢屋の古文書などが展示されており、関心のある向きには格好の場所。4条通り
から2条通りまでの高瀬川沿いは今も昔も京都一の繁華街。長州や土佐をはじめ6つの藩邸が立ち並び、尊攘派志士たちの溜まり場になっ
ていた。
池田屋騒動など、尊攘派と新撰組の戦いや尊攘派内部の勢力争いなどテロが横行する一方、若き志士たちが芸者遊びにふけっていた
場でもあった。幕末の歴史が詰まっており、併せて訪ねてみるのもいい。
2006 7 8(ふ)
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越前龍馬会の牧田会長ら迎え盛会!
梅雨の真っ直中、蒸し暑い日が続いています。間もなく霊峰白山(2702m)の山開きなどいよいよ本格的な夏。
会員、会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。ご案内した2006年度第一回総会は、越前龍馬会の牧田会長、田畑副会長も駆
けつけていただき盛会に終わりました。
やむを得ず参加出来なかった方は、次回には是非参加してください。
以下簡単ですが、概要をご報告します。
◇時・所 2006 6月25日(日) 金沢市広坂一丁目 旧県庁県議会棟二階
◇時間 13時〜13時30分会場設営
13時30分〜15時30分 総会
出席 中川 山田(友) 小屋 室岡 斉田夫妻 加茂 玉井 済田 山野 武内 福野
オブザーバー 元小松市長の北栄一郎さん 計15人 (宮島 福島会員は 仕事で途中退席)
開会に先立ち、武内会長は、
「日銀の総裁はあれでいいのと言いたいですね。龍馬が居たら何と言うでせう。龍馬の志に学びたいです」などと挨拶。
また、全国龍馬社中近畿ブロック幹事で、越前龍馬会の牧田会長は、
「会員は160人を数えています。近く『鞆の浦史跡探訪』も計画しており、この機会に是非参加してください。二年後は福井で、全国
龍馬ファンの集いを開催予定で、越前龍馬会は盛り上がっています。皆さんのご協力もお願いしたい」などと連帯の挨拶。
ついで、田畑副会長ご紹介。
以下、事務局長の拙い司会で議事進行。
◇ 議題
◎経過報告報告
・新会員の承認 山野、向山(当日欠席)、済田さん紹介
・各種会議等々
2月4日(土) 新年会(既報)
4月9日(日) 越前龍馬会の桜祭り(既報 山田友 報告)
5月14日(日)長崎で開催された全国「龍馬の歌」音楽祭について(既報 越前龍馬会牧田さん)
6月4日(日) 全国龍馬会中・近畿ブロック大会について (既報 福野報告)
◎会計報告 会費未納 講演謝礼等々で、回覧通り −4686
◎前回からの継続審議
・会費
活動の活発化等々で、かねてから検討されていた年間会費の改訂について、現行1000円→2000〜3000円(全国平
均)に、新たに学生会員1000円の新設を検討。
・名刺の件 室岡会員から国友会員のデザインがすばらしい。希望者は国友さんに申し込む。
◎今年度活動計画
各種会合等々の積極的参加
・7 月15〜16日 広島県福山市「鞆の浦史跡探訪」(既報 当日説明 申し込み7/5まで 越前龍馬会)
・8月23日(水)〜27日(日)の5日間、大阪 住之江区天保山にて
「なにわの時空館」で、『坂本龍馬と海援隊の海』の開催
(一部既報 詳細 当日資料回覧 福野)
出展募集あり 関係団体へ呼びかけ 福野報告
・11月8日(水)〜13日(月)・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 上田市民会館
11日(土)・全国龍馬社中会総会 10:00〜11:30 上田創造館
・全国龍馬ファンの集い 13:00〜17:00 上田創造館ホール(会費5000円)
・基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)
・特別講演 「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」(東大大学院情報学環 馬場研究室)
・各龍馬会の活動報告 17:00〜18:00
・交流会 18:00〜20:00
12日(日)・エクスカーション
・信州上田観光巡り(2コース予定で費用は、およそ2000円)
牧田会長から「平成20年福井開催は、上田の全国大会で、正式決定の予定ですが、皆さんの協力で是非と
も成功させたい」と協力を呼びかけた。※ 開催実行委員会 幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)
・11月12日 龍馬まつり 場所:土佐高知 桂浜公園ほか(既報 坂本龍馬倶楽部他)
◎その他
・会費など会則改訂について。
現行 一般1000→3000円に
(当日納入 中川 山田(友)小屋 室岡 斉田夫妻 加茂 玉井 室岡 国友 済田 武内 福野)
学生 1000円(新設)
・未納の方は、振り込み(口座名:金沢龍馬会口座番号 :金沢中央郵便局 00780-5-38627)
・会員拡大について 各自それぞれに拡大を呼びかけていく。
・会報 年度初めの総会で発行。
・NPO 継続検討。
◎懇親会
上田での全国大会への参加を申し合わせて、総会終了後、17時半〜野町アパホテル前 青柳にて開催。
懇親会の出席は、越前龍馬会の牧田、田畑さんをはじめ 中川に中川友人、山田(友)、初めて参加する小屋に済田、室岡、斉田夫妻、加茂、
玉井、山野、仕事を終えて駆けつけた国友に東、武内、福野。
龍馬の思いなどで談論風発。袖すり会う狭い会場で、三時間余り、アルコールの回るのに従い大声が飛び交い爆笑がはじけた。皆が存分
に友好を深めた様子。
「龍馬が想像した日本はそれから百年たってどうなってしまったのか」とか「龍馬がいまの日本に生きていたらどう言うか、聞いてみた
い」…。混沌とし、閉塞感ただよう日本を憂え龍馬の志をしのび、生かそうという気持ちのあふれる会話等々。また「集う」と「群れる」
ということの差は大きい、と龍馬会の存在意義に迫る発言も。
このほか歴史教育の貧困を指弾したあと、歴史教育は現代から教え始め、時代をさかのぼっていくべきだとの“卓見”など、延々予定時
間をオーバーして、久々に開催された懇親会は盛り上がった。(中川)
差し入れは、越前龍馬会の牧田会長から福井の地酒、山田(友)、東、宮島、武内さんからお酒にワイン、お菓子など。
有り難う御座いました。
※ 会員各位に伝えたいこと、近況などはメールにて送って下さい。事務局で判断してブログに掲載しますのでご了解下さい。
2006 6 25(ふ)
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鞆の浦史跡探訪のご案内!
越前龍馬会から龍馬縁の「鞆の浦史跡探訪」のご案内が届きましたのでお知らせします。
〜鞆の浦史跡探訪のご案内〜
今回下記要綱で企画いたしました。
バス旅行ですが、鞆の浦で懇親の場が持てればと思い若干名お声かけさせていただきますので宜しくお願いしま
す。
◇ 時 平成18年7月15〜16日(土・日)
◇ 集合場所 15日(土)JR福井駅東口
(集合 7:50出発8:00)
◇ 解散 16日(日)夕方の予定
◇ 参加費 39,000円
○ いろは丸展示資料館(大田家住宅)
○ 交渉場所(対潮楼、魚屋萬蔵宅)
○ 龍馬の宿(枡屋)他
※途中乗車(参加)希望の方は、お申し出ください。
(鯖江、今庄、敦賀、小浜等)
※参加希望の方は、7月5日(水)必着で、はがき又は
Eメール、越前龍馬会HP「お知らせ」の参加申し込みで、お願い致します。
越前龍馬会事務局
折角の機会です。ご承知のように、1867年(慶応三年)4月、土佐藩に帰属して「海援隊」として改組されたばかりの頃、伊予大洲
藩の蒸気船「いろは丸(160d)」を一航海500両で借りた初仕事で、土佐藩の荷物を大坂へ運ぶ途中に、讃岐の箱の岬沖で紀州藩船と
衝突。
「いろは丸」は、英国で建造された鉄製の蒸気船。薩摩藩が、龍馬の薦めで長崎のグラバーから七万ドルで買ったものだが、大破して自
力航行不能となり、鞆(とも)港へ曳航される途中に宇治島沖で沈没。
龍馬ら海援隊のメンバーは、福山の鞆の浦に上陸して、龍馬は土佐藩が出入りしていた回船問屋の升屋清右衛門宅で数日間身を寄せた。
鞆の浦は、岡山の牛窓港などと共に北前船も寄港していた古い港町です。古い港町の風情と共に、越前龍馬会の皆さんと交流されるのもい
かがでしょう。
2006 6 16(ふ)
全国龍馬会中・近畿ブロック大会開催!
6月4日(日)大津市の浜大津を11:45に出港した琵琶湖汽船ミシガンの特別室で開催された。
出席は、土佐高知から全国龍馬社中会の橋本邦健会長、高知市観光協会専務理事の島崎豊さん、それに兵庫龍馬会、京都龍馬会、愛知龍馬
会、近江の風龍馬夢倶楽部、越前龍馬会、更に千葉などから近江の風龍馬夢倶楽部、関島秀樹キャプテンのファン、金沢龍馬会福野の37
人。
司会進行は、近畿ブロック幹事で、越前龍馬会会長牧田活宜さん。
◇全国龍馬社中の橋本邦健会長は、
「全国の47都道府県及び海外で116の龍馬会が出来て、全国制覇。各都道府県に点が出来たが、今後その点と点を結ぶ活動、つま
り、面の活動に力を注ぎたい。龍馬の進取の精神を学び、それぞれ地域に貢献できる活動の発展を期したい。
財務官僚を中心とした霞ヶ関にも龍馬会結成の動きがある。又、宝塚歌劇団が11月〜12月15日・『坂本龍馬』を取り上げる」と
最近の動きなども織り交ぜながら挨拶。
◇東海ブロック幹事で、愛知龍馬会の橋詰弥久雄会長は、
龍馬の匂いを嗅ぎにきませんか?をキャッチフレーズに、特別展<幕末の志士坂本龍馬はなぜ上田に!>、三好家に伝わる『龍馬の手
紙三通、龍馬の写真・原板(上野彦馬撮影)』等を来る11月8〜13日に公開。また長野県上田市で開催の『第18回全国龍馬ファンの
集いinうえだ』を11月10〜12日開催(既報で 詳細は略)します。
これについて、「既報のようにジェームス三木の『龍馬を語る』、シンガソングライター白井貴子のコンサートなど盛り沢山な企画で、
全国から多くの方を待っています。また、宿泊についても別所温泉組合の協力で一人7000円程度を予定したい。
また、今年三月、上田市は一市二町が合併して、新生上田市が誕生、城下町映画祭も今年10回目を迎えるので、記念企画として「龍馬」の映画の
上映も検討している」と、会員各位の参加を呼びかけた。
◇京都龍馬会の赤尾博章会長は、
「来る8月23(水)〜27日(日)の5日間、大阪は住之江区天保山の「なにわの時空館」で、『坂本龍馬と海援隊の海』の開催、あわせて
提灯行列なども予定し準備を進めている。
「なにわの時空館」との共催ですが、大阪市や京都府、京都市、高知県人会近畿連合会、京都商工会議所などの後援も予定されており盛
大に開催したいので期待してください」と。詳細については、後日、明らかにされる見込み。
◇事務局から、
高知市観光協会専務理事島崎豊さんは「高知はよさこいの準備が進んでいますので、この夏高知へもどうぞおいで下さい。組織の変更で
、これまで、高知市観光課に置かれていた全国龍馬社中の事務局は、今後、高知市観光協会で承ります」と。
◇越前龍馬会の牧田活宜会長は、
「上田大会での社中総会に於いて「第20回全国龍馬ファンの集い・福井大会」開催決定に向け皆様のご理解とご協力を賜りたい、又7
月15〜16日に広島県福山市「鞆の浦史跡探訪」を計画、ご希望のかたは、鞆の浦で交流しましょう」と報告。
◇13時から、懇親会
近江の風龍馬夢倶楽部の錦織龍子さんの司会で、関島秀樹(歌手)キャプテンの龍馬の歌やトークなどで、会員相互の親睦を深めて、
来る11月8〜13 日長野県上田市で開催の『第18回全国龍馬ファンの集いinうえだ』の再会を期して午後三時過ぎ終了。
2006 6 4(ふ)
「第18回全国龍馬ファンの集いin上田」開催要項決まる!!
新緑が眼にまぶしいですね。街路樹や庭の木々も毎日ぐんぐんと新葉をひろげて、美しい黄緑色であふれています。新緑のマイ
ナスイオンが、身も心もリフレッシュしてくれそうです。会員会友各位には、如何お過ごしですか。
かねて予定されていました「第18回全国龍馬ファンの集いin上田」の開催要項が、決まりましたのでお知らせします。
基調講演の「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」、特別講演の「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」も聞き応えのある
ものと聞いております。
◇11月8日(水)〜13日(月) ・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
◇ 10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 上田市民会館
◇ 11日(土)・全国龍馬社中会総会 10:00〜11:30 上田創造館
◎全国龍馬ファンの集い 13:00〜17:00 上田創造館ホール(会費5000円)
・基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」加野厚志さん(龍馬慕情作者 集英社)
・特別講演 「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」(東大大学院情報学環 馬場研究室)
・各龍馬会の活動報告 17:00〜18:00
・交流会 18:00〜20:00
◇ 12日(日)・エクスカーション
信州上田観光巡り(2コース予定で費用は、およそ2000円)
※ 開催実行委員会 幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)
千曲川の流れる上田辺りは、戦国時代の武将真田幸村の居城上田城祉や蔵作りの町並みが残る旧北国街道、信州の鎌倉といわれるくら
い鎌倉期の重文が多い塩田平、第二次大戦中に志半ばで戦場に散った画学生の遺作を展示した「無言館」、日本のダボスとも言われる菅平
高原や平安時代の和歌にも詠われる名湯・別所温泉等々見所の多い所です。この秋の予定に組み入れて、是非参加してください。
来る6月25日(日)の総会でも、団体で参加するかどうか等々検討したいと思っております。
2006 5 25(ふ)
金沢龍馬会 2006年度第一回総会!!
野山は、百花繚乱。田植えしたばかりの早苗にツバメがスイスイと飛び、みどりも鮮やか。心地よい風もいいですね。山菜取りに出か
けた方もありませう。
会員 会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。ご案内した総会、下記の日程で開催しますので、これまで参加していない方も万難を排して御出席下さい。知人友人に、これから入会したい方もお
誘いあわせての出席、大歓迎です。
◇時・所 2006 6月25日(日) 旧県庁県議会棟二階(駐車場 金沢城祉側から入る)
◇時間 13時〜16時
◇議題
・経過報告
・各種会議等々
2月4日(土)の新年会
4月9日(日)越前龍馬会の桜祭り
5月14(日)長崎で開催された全国「龍馬の歌」音楽祭について。
越前龍馬会会長・牧田活宜さんから「『龍馬の歌音楽祭2006』には、全国から53作品が寄せられ10組が予選通過し本選出場。越前龍馬会から出場者を含め、13人が
長崎入り、3日間半日ずつの中身の濃い史跡探訪(長崎龍馬会の増田氏の案内で毎回 およそ15000歩)を敢行しました。そして今回応募した、会員の田崎純一君が見事準グランプリに輝きました。「田崎純一 作詞・作曲他3名の
会員ユニット(全員会員で音楽集団・楽衆玄達のメンバー)「時は夜明け・日は旅立ち」が楽曲部門の準グランプリに選考され、彫刻家の日展作家・山崎和国氏製作の龍馬のブロンズ盾を授賞されました。応援していただいた皆様に
は、心より厚く感謝申し上げます」とのメッセージが届いています。
6月4日(日)全国龍馬会中・近畿ブロック大会開催(幹事 越前龍馬会会長牧田活宜さん)
集合(時間厳守) 6月4日(日)11:30 11:45出港〜15:10帰港 :集合場所 滋賀県大津市浜大津 大津観光船乗り場
京阪「浜大津駅」下車徒歩3分 JR「大津駅」からバス5分 :参加費用 7000円(乗船料、飲食込み) :琵琶湖汽船ミシガンの
特別室貸切で琵琶湖周遊をしながら会議、懇親会。
:幹事龍馬会 近江の風龍馬夢倶楽部 マネージャー 錦織龍子さん 〒520−0047 大津市浜大津2−1−12 RB3F龍馬。
рO77−526−0100 :参加ご希望の方は、金沢龍馬会事務局でまとめて坂本龍馬倶楽部(
高知観光協会)へ申し込みます。締め切りは5月24日、メールにてご連絡下さい。
・新会員の承認 山野、向山、斉田さん紹介
・懸案事項の継続審議
・会費 年間会費未納の方は、振り込み(口座名:金沢龍馬会口座番号 :金沢中央郵便局 00780-5-38627)
または、当日納入して下さい。
・会計報告
・今年度活動方針
◎各種会合等々の積極的参加
11月12日 龍馬まつり 場所:桂浜公園ほか
土佐が生んだ維新の英傑、坂本龍馬の偉業を讃え顕彰するまつり。
龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日前後に開催。龍馬像の立つ桂浜を中心に多彩なイベントが行われ、中でも目玉は「龍馬に
大接近」。高さ13.5mの龍馬像と同じ目線で眺める雄大な太平洋はまさに絶景。その他には龍馬似顔絵コーナーや郷土芸能の披露、龍馬ゆかりの
地を巡るバスツアー、龍馬登場映画会なども予定されています。
◎会員拡大
◎その他 除名など会則改訂 連絡事項など
・総会終了後 懇親会は17時半〜野町 青柳にて(会費3000円)差し入れ大歓迎。
※ 会場設営等々の予定もありますので、是非とも早めにご連絡下さい。
なお5/13現在の懇親会とも出席のご返事は、大瀬、山田(友)山田(省)室岡 武内さん。
備考 会員各位に伝えたいこと、近況などはメールにて送って下さい。事務局で判断してブログに掲載しますのでご了解下さい。
2006 5 10(ふ)
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越前龍馬会の集いと朗報!!
春爛漫。
花冷えもありますが、各地で満開。会員各位にはその後も御元気にご活躍されていることでせう。
また、それぞれに桜花を愛でたことでせうか。
つきましては、お隣の福井。「歴史を街作りに生かそう」と長く越前龍馬会の顧問として、各種の行事や
会合等々に気さくに出席されていた前福井市長の酒井哲夫さん。
その酒井さんが、今期限りで引退され、その感謝の集いのお知らせが越前龍馬会からありました。酒井さ
んは、今後一会員として活動されるそうです。
この機会に、酒井さんをはじめ越前龍馬会の諸兄諸嬢ら会員各位と親しく交わるのも一つで、行き帰りに
龍馬ゆかりの地を訪ねるのもいいでせう。越前龍馬会の会員に聞けば、親切に教えてくれます。
・日時 4月29日(土) 受付午後6時 開演午後6時30分〜
・会場 福井市照手 「吉田」(龍馬が泊まっていた莨屋(たばこや)旅館跡)
・会費 5000円 申し込み 4月25日必着
もし参加される場合は、金沢龍馬会事務局で参加者をまとめますので、参加される方は ご一報下さい。
25日までに越前龍馬会の牧田会長に連絡します。
なお、牧田さんから、以下のメッセージがありました。
「5月14日長崎で開催される全国「龍馬の歌」音楽祭に、予選を通過しました。本選に出場が決定した田崎
君の「時は夜明け 日は旅立ち」の当日、私は審査員として、又、田畑副会長、坂井理事、西村、竹下、林
会員らと共にと長崎へ応援に行きます。
福井県の歴史や自然の良さをテーマに、県内のプロ音楽家等が自主制作にしたCD「楽衆玄達(がくしげん
たつ)」のメンバーの中の4名のユニットです。
本選の前に29日、「よしだや」で披露しますが、作詞作曲・歌の田崎、音楽プロデュサーの新保、編曲の
田代、バックの山岸さんたちは皆、越前龍馬会の会員です。応援よろしくお願いします」
金沢龍馬会に朗報が一つ。
去る二月の山野さん、向山さんについで、武内会長の紹介で、鶴来在住の済田さんが、この度金沢龍馬会に
入られました。今後のご活躍が期待されます。
6月の総会(日時未定)で、皆様にご紹介出来ましょう。
お知らせです。
来る11月11〜12日(土・日)は、「全国龍馬ファンの集いinうえだ」です。今から計画しておいて下
さい。
・費用等は 未定
・場所は 信州の鎌倉という別所温泉
季節の変わり目、各位にはご自愛を。
2006 4 18(ふ)
年明くる龍馬の会の宴ぞよし
記録的な大雪も、一段落したようだと思いきや、何と横殴りの強風。立春寒波の襲来である。
雪はなんのその、寒風ついてサーフィンに興じる元気のいい若者どころか、氷点下で凍結、各地で追突事
故などが相次ぎ、街をゆく人たちもブルブル。
各位には、その後も御元気でご活躍のことでせう。龍馬の志や娑婆を大いに語ろうと金沢龍馬会の初の新
年会、氷点下の中でも熱気に包まれて無事終わった。
2006年2月4日(土)15時から18時は、金沢のど真ん中、金沢市文化ホール裏の空海。有り難い
差し入れは、中川大兄のポーランド産のウオッカ、宮島さんの茶にジュースなど。改めて御礼。
横殴りの強風が吹き付ける大寒波だが、ケヤキ並木の続く香林坊界隈はライトアップされており美しい。
が、市内はどこもかしこも足下が悪かった。
それにもかかわらず、出席されたのは、会友の奥田建、新会員で、金沢市議のエース 山野、新職場の広
告代理店で張り切る玉井、それに金沢美大を出たばかりで、ほやほやの向山嬢。
また、おなじみとなった最年長の中川に、国友、宮島、加茂、齊田夫妻、そして武内や福野。で、何かが
あったのだろうか無断欠席は室岡さん。
会は、雪降る中、齊田夫妻の腕により、よりに腕をかけた数々の料理に麦酒に焼酎など。この日入会した
ばかりの山野、玉井、向山さんらが、それぞれに近況や龍馬との出合い、自己紹介などをした。
山野さんは、今話題のライブドアでなく、かつてソフトバンクに勤めていたが、その会社のマークも龍馬
と関係があると知らざる話を一くさり。
また、列島日本に蔓延る拝金主義を何とかしたい、すべきだ等々龍馬の「今一度洗濯したい」に負けず劣
らず持論の展開の数々。
今後の会の進め方や若い会員の拡大など寅年生まれの中川さんを中心に様々な分野で談論風発。時には、
大激論となり、進行の武内会長もたじたじの風。
金沢龍馬会の今後のゆくえについては、更なる研鑽や会員相互の理解を深めつつ、今年は若き会員の拡大
を図っていこうということで衆議一決。
年明くる龍馬の会の宴ぞよし。
邂逅に一期一会。会員相互の親睦をより深め、新たな出合いなど意義のあった初の新年会、今後定例化し
ていくことになりそう。
今回、残念ながら止むを得ず参加されなかった方は、6月にも予定されている総会で、新会員と共に御元
気な顔を見せて下さい。
2006 2 4(ふ)
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金沢龍馬会の新年会迫る!
大雪も一段落して間もなく立春、記録的な大雪で、雪すかしで腰を痛めた方もいます。
秋田では、高齢者宅の除雪を請け負ったことを契機に、高額の住宅リフォームを持ちかける業者が現れてい
るそうです。能登羽咋の一宮海岸では、雪はなんのその、寒風ついてサーフィンに興じる元気のいい若者が
目に付きました。皆様には、その後も御元気でご活躍のことと思います。
龍馬の志や娑婆を大いに語ろうと金沢龍馬会の初の新年会を下記の日程で開催します。
2月4日(土)
・15時から18時
・場所 空海
金沢市高岡町17−9(金沢文化ホール裏)
電話 761−9117
・会費 3000円(差し入れ大歓迎)
※人数確認の為 1/31までに 必ず出欠をお知らせ下さい。
これまで、総会に出られなかった方は、この機会に是非御元気な顔を見せて会員相互の交流を深めて
下さい。また、これから金沢龍馬会に入会したい、入会を検討している等々のご友人や知人をお誘いくだされば
会は更に盛り上がるでせう。
1/31現在
出欠の返事 出席 奥田建(会友) 中川 山田(友) 玉井 室岡 国友 向山 宮島 武内 福野
欠席 小阪 福島 田澤 小屋 山田(省) 有重 中西 渡辺 東 折戸
※ 越前龍馬会からのお知らせ。
越前龍馬会第5回定期総会と記念講演
2月5日(日)
・福井市湊公民館 福井市学園1−4−6 電話0776−22−0032
(Pは公民館、湊小学校駐車場を利用)
・総会 13:00
・記念講演 14:00 「龍馬と八郎、莨屋会見の顛末」
講師 福井県文書館 吉田 健さん
講演は一般公開です。お時間のある方は、金沢龍馬会会員である旨告げて、是非ご参加ください。
(記 ふ)
◎ 龍馬会が、福島最後に空白県消滅し全国114に !
坂本龍馬の思想や生き方に感銘を受け、龍馬を慕う「下総龍馬会」が、さる11月10日、千葉県で発足。
また、27日には「福島龍馬会」が、福島県に誕生した。
これで、龍馬会は全国47都道府県すべてを網羅したことになる。
橋本会長や高知新聞などによると龍馬会づくりに奔走してきた全国連携組織「全国龍馬社中」(事務局 高知市)の橋本邦健会
長(64)は「生誕170年の節目に間に合うた。とりあえず、くつろいだぜよ」と。
しかし「まだ道半ば。世界の海援隊ということで、五大陸制覇もせんとのう」と夢を広げている。
8月末に宮崎で龍馬会が発足して、空白県があと2つとなっていたが、橋本会長は、福井の越前龍馬会の結成5周年大会でも「何が何
でも今年中に」と、人脈を生かして世話人探しを急いでいた。
千葉県「下総龍馬会」の発起人代表は流山市の松野豊さん(35)。
地域の政策シンクタンク活動をしているNPO法人の役員など、11団体にかかわっている。
9月半ば、橋本会長の突然の訪問を受けて1時間半の熱弁を聴き、その場で引き受けたという。
松野さんは「私は忙しすぎて無理。誰かにやってもらおうと思ってたんですが。橋本さんの真っすぐな思いに打たれた」。
俳優の森田健作さんも顧問として参加した。
松野さんから、金沢龍馬会の事務局宛に「今後とも、よろしくお願い申し上げます」とのメッセージが届いている。
大トリとなった福島県「福島龍馬会」の設立呼び掛け人は、金沢龍馬会の武内会長と同じ高知県大正町出身で、郡山市在住
の司会者派遣会社経営・吉田いくよさん(54)と地元の熱烈な龍馬ファン、三田公美子さん(62)。
福島はご承知のように、会津藩や二本松藩など、戊辰戦争で悲惨な目にあった歴史を持ち、薩長土肥特に長州に対して特別の感情を持つ
お国柄だが、吉田さんが高知県人会の世話役をしていることから、橋本会長が白羽の矢を立てた。
吉田さんは「一番最後というのは、締めくくり。すごく誇らしいこと。龍馬と四万十川は高知の誇りですから、余計に素晴らしい」と抱
負を述べた。
発足式には福島県知事も参加するなど盛大だったが、土佐弁にいう“はちきん”、女の会員だけで龍馬の乙女姉やんにちなんで「乙女会
」を福島龍馬会の中に作るという。
橋本会長は両会の設立総会にも駆けつけて「龍馬の精神を血とし、肉として地域活性化に貢献してほしい」と記念講演も引き受けた。1
981年(平成3年)当時は15団体だった全国の龍馬会は現在、下総龍馬会も入れて全国で114団体に。
国外にはサンフランシスコ、フレスノ、パリ、ハンブルク、バリ島と5つある。
なお、薩摩龍馬会会長で県議の前田終止さんが、さる11月7日、 国分市や溝辺町、それに横川町、牧園町、霧島町、隼人町及び
福山町が合併して出来た「霧島市」の初代市長に選ばれた。
来年秋、11月11日(土)から12日(日)にかけて信州の鎌倉という別所温泉で開かれる「全国龍馬ファンの集いinうえだ」が楽
しみになった。
2005 11 30 (記 ふ)
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◎ 2005年度第二回、結成3周年記念金沢龍馬会総会終わる !
北の大地では雪、北陸では雪吊りされた兼六園も紅葉が色づきライトアップ。
冬の味覚カニも解禁されて、香箱カニなど口にはいったことでせうか。
大根も美味しくなり、おでんもいいですね。
冬の足音が次第に近づいてきましたが、そろそろタイヤ交換など備えは大丈夫ですか。先にご案内しました金沢龍馬会の総会が11/1
3(日)会員に会員外の方も出席して盛会のうちに終わりました。
以下 概要です。
○総会 ・2005 11/13(日) 13時30分から
・場所 旧県庁議会棟二階会議室
出席 山野(金沢市議 オブサーバー)中川 山田(友) 室岡 国友 小阪 齊田(隆) 加茂 齊田 山田(省
) 東 武内 福野
開会に先立って、武内会長は 「龍馬の生誕170年も間もなくです。土佐では盛大な記念行事もおこなわれることて゛せう。金沢龍馬
会も結成3年目を迎えました。
龍馬の自由闊達な精神、理想・進取・勇気を忘れず 時代の先を見つめ、社会のために自らの意思で行動を起こそう」と。馳文部科学副大
臣の祝電。
総会に先立って 記念講演は13時30分から14時30分の予定でしたが、30分も延長する熱のこもったものでした。
講師は石川県立歴史博物館館長の徳田寿秋さん
演題は『龍馬の船中八策と加賀藩』
《要旨》
(1)船中八策と歴史的意義について
1867年(慶応3年)6月9日、坂本龍馬が起草させた公議政体論にもとづく国家構想の内容
幕政返上や議会開設、それに官制改革や外交刷新、更に法典制定や海軍拡張、親兵設置、幣制整備の八ヵ条だった。この八策にもとづいて
雄藩連合による議会論を内容とする“大政奉還論”を提起。
すでに、薩摩と長州は薩長同盟を締結しており、武力倒幕を具体化し始めていた頃である。10月14日、武力倒幕派の機先を制して、
土佐藩の進言で将軍徳川慶喜は、大政奉還の上表を朝廷に提出する。
(2)加賀藩が公議政体論的考えを指向していた?
徳田さんは加賀藩が龍馬の公議政体論的考えを指向していたとみる。船中八策から一ヶ月後の7月、イギリス公使ハリー・パークス(1843〜1929)率いる3隻の軍艦が能登の七尾港に入港したことを挙げた。青い目のハリー・パークスは、七尾の艦上での対話や志雄、高松等々で村人の大歓迎を受けながら金沢へ。(今ならヨンさまを見るようなものか)。金沢訪問時の対話から見る加賀藩の公議政体論的な姿勢については、軍制改革や海軍力の増強、金沢の卯辰山開拓、海外留学生の派遣などに見る富国強兵策と“領内自立割拠政策”の推進であったと。
『一外交官の見た明治維新』 によると、加賀藩は、「薩摩や長州は他の諸藩と連携して、これを廃止すべしといっているようであるが、
それはよろしくない。しかし、同時に、大君の政府の権力に対しては当然制限を加える必要がある」と。
また「加賀藩は、外国との貿易は望んでいるが、公然と七尾を開港場とすることは望んでいない、それは開港場としたら七尾を天領とし
て取り上げるからに違いないからである。
しかし、七尾を補助港として貨物を陸揚げすることには異存はないから、そうした場合はそれに伴って他の一切も自然に解決するであろ
う。
幕府がこれについて意見を求めてきたら曖昧な返事をしておくつもりである。加賀藩の利益を損なうようなことはしない。
江戸へ帰ってからも互いに秘密を守りながら通信をすることを約束した」と。 ※ハリー・パークスは翌月には徳島へも二隻の軍艦で行っ
ている。
※印(補記 ふ)
通訳のアーネスト・サトウ(別名:佐藤愛之助 1843〜1928)が書いた『一外交官の見た明治維新』 (上下巻 岩波文庫)。
これは幕末・維新の政情の渦中で、「生麦事件」等の血生臭い事件や条約勅許問題等の困難な紛争を身をもって体験したイギリスの青年
外交官アーネスト・サトウの回想録である。
二度まで実戦に参加、攘夷の白刃に狙われたり砲煙弾雨の中をくぐったサトウの体験記は、明治維新史を知る貴重な史料である。
サトウは、イギリスは、ロンドンのクランプトンに生まれている。
ユニバーシティ・カレッジで学んだのち1862年(文久二年) に通訳生として横浜に来た。
日本語をサミュエル・ブラウンから学び、江戸弁や会津弁、候文の読む書きが出来るまでに上達したという。
幕末期には西郷隆盛・桂小五郎・後藤象二郎らと深くつきあっていた。1872年(明治五年)に内縁の妻・武田兼と所帯を持ち、後に長
男栄太郎、次男久吉に恵まれた。
坂本龍馬とはイカルス号事件の際に「夕顔丸」船中にて対面しているが、そのときの龍馬の印象は、ものすごく悪いものであったらしい
。
竜馬が、事件における容疑者の姓名を混同して語ったサトウの言い分を笑ったために、サトウは怒り出し龍馬を怒鳴りつけた。
サトウは龍馬のこのときの様子を「悪魔のようなおそろしい顔つきをして黙り込んでしまった…」と。
(3)加賀藩が公議政体論的考え、つまり“領内自立割拠論”に至った経緯について
@前田慶寧と加賀藩尊皇攘夷派の動きを見る必要がある。
その形成過程については、第14代前田慶寧の人物像をみる必要がある。母は徳川将家斉の娘溶姫であり、側室筆の兄は尊王攘思想家久徳
伝兵衛であった。
また、御表衆(第13代藩主斉泰・守旧派)と御側衆(世嗣慶寧・改革派)の台頭があったが、全国的な尊王攘夷運動のネットワークが
築かれつつあった頃である。
その中で最近公になった『恭敏公勤王一件聞書』(堀四郎左衛門)をみると、「恭敏公水戸候と甚御親しく時事の御話あり、屡々御親書
の往復もありて四郎もこれを拝見せり、今其御文意は確かに記憶せざれども皆国事を御協議遊ハされしものなり、
又薩州候とも御親しく御交際ありしも幕府に注目せられんことを恐れて甚タこれを秘せられたり、或る日候の御招に応じて其邸へ御出あ
りし時、裏門より御入にて直二御居間へ御通り遊ハされたり、
御座敷の飾附ハ西洋物而巳にて、候より恭敏公へ貴殿ハ果報の方なり、江戸へは近き御間柄、京都へは道程近何事も御自由と遊し申抔と
大に意味深き御話ありしと、公直に四郎へ御話あり」と記していた。
A前田慶寧と文久3年の尊王攘夷派の動向について
尊攘派の公武合体運動(文久2年)に藩主斉泰の供奉があり、「どのように 軽く見えても皆人の下には置かぬ 加賀の菅笠」と揶揄し
た落首もあるのは見逃してはならない。
また、幕府の慶寧江戸出府命令と御側衆(世嗣慶寧・改革派)の抵抗も。更に朝廷・幕府の両者からの加賀藩取り込みなどがあり、18
63年(文久3年)8月18日薩摩藩・会津藩の公武合体派が尊皇攘夷派の長州藩などを京都から追放したクーデターの影響もあった。
B前田慶寧の「禁門の変」への対応ついて
慶寧を中心とした御側衆の台頭と幕府の長州征伐反対建白を携えて上洛したこと、また武力衝突と対応、幕府派・長州派・三州割拠派
の3論の対立を見る必要があろう。更に、長州の敗北と大弾圧、それに加賀藩尊王攘夷運動の壊滅も忘れてはなるまい。
※ 加賀藩が幕末期に中央政界で活動するようになったのは、今を去る140年余り前1861年(文久元年)のことである。京都で金
沢町会所の郵便業務をあずかっていた町人・浅野屋佐平や鶴来の医者・小川幸三が、薩長両藩を中心とする京の情報を伝えていた。
藩当局はこの時初めて、緊迫した京の情勢を知ることになるが、小川幸三が“浪士のスパイ”であるという讒言(ざんげん)を信じて、
幸三を禁固に処した。
この頃の加賀藩には2つの勢力、つまり世子前田慶寧を取り巻いていた側用人の松平大弐をはじめ、不破富太郎や千葉順之助、それ
に堀四郎左衛門、大野木仲三郎ら勤王派としての動きをするグループ。
もう一方は、父である藩主前田斉泰の周辺を固める佐幕派のグ世子・前田慶寧は病気と称して京を離れ、加賀藩領である近江の海津に
退くがそのことが加賀藩を苦境におとしいれる結果となった。
つまり、加賀藩は朝廷と幕府から嫌疑をかけられることとなり、藩主・前田斉泰は朝廷と幕府の両方に対し陳弁することになる。前田慶
寧を幽し、慶寧の側近の松平大弐を海津で切腹させ、他の勤王派と目される藩士十数名を死刑や禁獄、はたまた流刑とした。
これが、いわゆる、加賀藩の「元治の獄」(元治の変ともいう)であり、これで加賀藩の勤王派はほぼ全滅した。
1865年(慶応元年)11月、加賀藩士高田森右衛門とその一派が突如謀反の嫌疑をかけられ検挙されたことがあった。高田らは数
年間拘禁させられた後に釈放されたが、検挙された理由や釈放された背景などがはっきりとはしていない謎の多い事件だ。
第二次長州征伐で幕府軍が敗北して、加賀藩の勤皇派は息を吹き返すかと思われたが、先の粛清で、すでに勤王派には具眼ある人材は見
当たらなかったらしい。
1866年(慶応2年)には藩主・前田斉泰が引退して、世子・前田慶寧が藩主となり、幕末の動乱期にあって加賀藩の舵取りに期待が
高まっていた。
また、鳥羽伏見の戦いでは、藩主・前田慶寧は勤王寄りだったが、親交あった一橋慶喜(徳川慶喜)との関係に遠慮して、幕府軍に
参戦する予定で出兵。
しかし、上洛の途中で幕府軍の敗北を知り、慌てて兵を帰す失態を演じる。
変わり身の早い加賀藩はすぐに官軍に恭順し、戊辰戦争では官軍として北越方面に出兵。船を持っていたことから、鳥取藩の兵士40
0名を輸送するために境港に廻航するが、その途中で海難に遭い船を破損してしまった。
藩内革新派である黒羽織の領首・上田作之丞の門下・関沢房清は、前田の八家の一人で年寄・長連弘を補佐していたが、1854年に失
職。後に復職して、元治の変では宮門警備を勤めた。
また、1868年(慶応4年)の「鳥羽・伏見の戦い」の際は、帰国して藩主・前田慶寧に謁し撤兵や上洛を訴えて、北越方面にお
い)ては軍監として転戦している。
加賀藩は、西南雄藩に比べて危機感がなかったのであろうか、実力に見合う目立った活動はしていなかったと思う。
(※印は 記 ふ)
15時から
・経過報告
○7/16〜8/28 京都国立博物館の「龍馬の翔た時代 その生涯と激動の幕末」特別展について
山田(友)会員の報告
○8/12〜9/4 福井市立図書館の「五箇条のご誓文と由利公正」取得記念展について
室岡会員の報告
○9/1〜19/30 門前町の門前総持寺祖院の「我逢人」での二人展について
国友会員の報告
○会員証について
見本は室岡会員の名刺サイズ 各自、国友会員まで連絡する
○新入会員 玉井清宏さんの承認
・その他
・会則変更 次回の総会で決定する。
(除名など罰則規定に会費の改定など)
・振り込み口座開設
(金沢中央郵便局 金沢龍馬会 00780−5−38627)
会費未納の方は ご利用下さい。(11/13 新たに入会された玉井さんは利用第一号です)
・ブログ開設からホームページに移行
http://www18.ocn.ne.jp/~kml/など。
・金沢龍馬会のグッズについて
オリジナルシャツなど会員の提案で決定する。
・会員拡大について
会員一人 3人を目標に。
15時30分 終了
○ 懇親会 総会終了後 17時30分から野町の「青柳」にて
出席は この日誕生日を迎えた山田(友) そして室岡 国友 中川 小阪 齊田夫妻 加茂 武内 福野の10名。
7月の総会以来で、延々4時間、山海の珍味で議論百出、久々に盛り上がった。
東 宮島 武内会員からお酒に焼酎、また野町の高野医院、高野ドクターから釣ったばかりのグレのお刺身の差し入れも戴きました。有り難う御
座いました。
やむなく今回出席出来なかった方も次回御元気なお顔で皆と話しませう。会えるのを楽しみにしています。
来年は 年明け二月頃に新年会を予定して、年間スケジュールでバーベキュー大会なども検討しませうか。
季節の代わり目、ご自愛を。
2005 11 14(ふ)
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◎ 2005 7.9 総会
○日程 場所
- 7月9日(土)13時30分〜15時
- 金沢市広坂 旧県庁議会棟 二階
○議題
- 前回の総会以降の活動報告
・4月3日 第四回越前湊さくらまつり 山田(友)
・5月27〜29日 龍馬像77年記念イベント 高知
・6/25(土)
13時〜14時 全国龍馬社中近畿ブロック会議 葵会館 福野
14時30分〜 越前龍馬会五周年記念講演会
福井市立郷土歴史博物館 二階講堂
演題 「福井藩・幻のクーデーターと龍馬」
講師 東京龍馬会顧問 幕末史研究家 小美濃清明氏
17時半から懇親会(葵会館) 福野
○ 会員拡大等について
○ その他
「図説 坂本龍馬」(東京の戎光祥出版)の配布
中川可能作さん 入会を承認
総会の後 16時から片町の鰯組にて懇親会
○今後の予定
・ 8月9〜12日 第52回よさこい祭り 高知 (龍馬連も出場)
・10月15〜16日 第17回 全国龍馬ファンの集い 高知
※ 参加を予定している方は 日程に
・11月12〜15日 龍馬生誕170年記念イベント 高知
第32回龍馬祭り 桂浜
龍馬誕生祭 上町生誕地
2005 7 10(ふ)
◎ 2004 11.21 第四回 金沢龍馬会結成一周年記念総会
・とき 2004年 11/21(日)
・ところ 金沢市広坂1−1
石川県NPO活動支援センター 2号館二階
会議室(旧県庁 223−9558)
・じかん 13時30分(13時から会場設営)〜15時15分
開会挨拶 武内会長
・記念講演 13時30〜14時15分
「幕末加賀藩の草奔の志士たち」
講師 鶴来町立博物館 学芸員 小阪 大(こざか ゆたか)さん
要旨 後日報告
・祝辞 奥田健衆議院議員
馳浩 々 (予定されていたが欠席)
・総会 14時40〜
・議題 議長選出 互選
◇今年度の活動総括について
・北陸の合同交流会
3/21 福井市立歴史博物館オープンに伴う一泊二日の合同交流会を開催。
参加 兵庫 高知 大阪 京都 越前龍馬会会員に 高知 福井の市長
翌日 越前龍馬会の案内で ゆかりの地の見学会。
参加 武内 山田(友)福野 当日参加 折戸
・富山で 龍馬の手紙を読む講演会 参加 福野
・京都で 龍馬会全国大会(メールにて報告済み) 参加 山田(友)
◇その他 前回の総会からの経過継続事項など
・会則の変更 追加について 継続
会として 社会参加の提言有り 要検討
除名 褒賞等々の規定について 々
・龍馬会会費の納入方法 検討
臨時会費 値上げ等々について 々
・会員異動
岩本会員が転勤 山岡志帆会員は東京への就職で 脱藩。
第三回の総会で 加茂まゆみさんが 新会員に。
・報告
新入会員紹介(藤田 小屋さんの2名だが欠席)
10/1〜2京都での全国大会について 参加 山田(友)
2004 11(ふ)
◎ 2003 10.25〜26 全国龍馬ファンの集い 高知大会
秋の四国路は、金沢から車で和歌山、徳島を経て室戸岬から24日高知市内に入った。爽やかな青空であり、桂浜も凪いでいた。39年ぶりに龍馬像に御対面。
桂浜の西側の龍王岬、名月をこの岬の上にかかるように見るというのが桂浜での月見の定番だ。
という龍王岬も見つつ。翌25日は、朝早く名物の朝市を見て回り、♪坊さんかんざし買うて……はりまや橋を経て大会会場の高知市文化プラザ『かるぽーと』へ。全国各地から続々と集まった。
♪ …
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ 来てみいや
じんま(爺さん)も、ばんば(婆さん)も よう踊る よう踊る
鳴子両手に よう踊る よう踊る ほいほい!
…
と、まずは本場土佐高知の正調“よさこい鳴子踊り”に、山田太鼓で幕開けである。
龍馬脱藩ゆかりの道ビデオが放映された後に、シンポジユム『末裔が語る幕末の志士達』開催。
コーディネーターは県立坂本龍馬記念館館長の小椋克己さん。
坂本登、五味澄子 、 西郷隆文、横井和子さんといずれも幕末の志士坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛、横井小南らひ孫にあたる末裔のパネリストに 全国龍馬社中会長の橋本邦健さん。
ひ孫にあたるなど直系のパネリストの面々は、どなたも顔立ちや姿がそっくりには驚いた。
それぞれ陶芸や音楽家など各方面で活躍されているが祖父の膝に抱かれたりして、伝えられる先祖の話や新たな逸話なども披露された。
また、龍馬を巡る話で盛り上がった。
後、会場をホテル日航に移して懇親会が行われて全国の龍馬ファンと交流を深める。
翌日は、龍馬ゆかりの地の見学会等々があったが、かの四万十川のほとりの大正町や中村市へ向かった。
(ふ)
◎ 2003 10.13.富山にて設立総会
金沢龍馬会誕生!
「君のために捨つる命はおしまねども、気に掛かる國の行く末」と幕末の動乱期に「薩長同盟」や「大政奉還」などで活躍した土佐は
高知出身の志士、坂本龍馬(1835〜1867)。
彼を敬慕、その進取の精神を学び実践しようと石川、富山両県の有志の組織「金沢龍馬会」と「富山龍馬会」の合同設立総会が、10月
13日、富山駅前の自遊館で開かれた。
会場には祝福にかけつけた土佐高知の全国龍馬社中(事務局 高知市)の橋本邦健会長をはじめ、お隣り福井の越前龍馬会牧田活宜会長
や坂井会員ら、石川富山福井の北陸三県から40人余りが参加した。
総会では、まず「富山龍馬会」の会長に富山市立図書館長の杉田欣次さんを、また「金沢龍馬会」の会長に、仁愛女子短大の武内紘一
さんを選出。
規約などを承認した後、全国龍馬社中の橋本邦健会長が記念講演。
この中で橋本会長は「龍馬の進取の精神と行動力に学び、自ら行動して地域社会に貢献していこう」と呼び掛けた。富山、金沢両会の発
足で、全国龍馬社中に加盟する龍馬会はこれで97になった。
会場には、龍馬のふるさと、遙々高知から、高知県名古屋事務所の箭野所長や高知市観光課よさこい龍馬室の松本室長、それに地元富山
から松本、丸山の富山市議会議員らも祝福に訪れた。
今後北陸三県はもとより全国各地の龍馬会との交流を深めていくことや連携強化などの確認をして散会。
(記 ふ)
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