2007年3月25日に能登半島地震。豪雨。ようやく台風が過ぎ去ったと思った途端に、7月16日には柏崎を中心とした中越沖地震。半島震災から時を経て、2009年4月30日に仮設住宅にいたお年よりも自宅や復興住宅に入った。これまでのご支援やご声援有り難う御座いました。(&半島地震義援金の記事 2007 7 14日付け「最近の動き」。「嶽龍かわら版」(越前龍馬会発行 2007 11月号掲載)
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金沢龍馬会 最近の動き

 

会長に中川、事務局長に吉田さんら、新役員決まる!
〜金沢龍馬会総会〜

 秋らしい涼しい日が続いています、皆様にはいかがお暮しでせうか。

 会員、会友各位には、お変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 さて、平成15年創設の金沢龍馬会も今年10月で10年を迎え、更なる飛躍が期待されています。高知の全国大会も近づいてきました。

金沢駅前の桜はなびで、9月21日(土)、午後3時から 武内会長辞任に伴う役員改選を含め、今年度の総会を開催しました。

 出席は中川 山田友 国友 吉田 玉井 佐藤 染谷 青柳 蛭子 宇賀 守山 会友の油谷 会友の冨来 会友の高崎 会友の紐野 会友の上村 会友の西 福野 18名。

 総会議題、武内会長辞任に伴う会長選任など役員改選 活動報告(別紙 HP参)、会計報告(別紙参)、新会員(富木 油谷 高崎 紐野さん)加入報告承認。

 当日の会費納入は、中川 山田友 国友 吉田 玉井 佐藤 青柳 蛭子 宇賀 守山 大坪 油谷(新会員) 冨来(新会員) 紐野(新会員) 高崎(新会員) 福野の16名

 会費振り込みは福井さん(9/2)。

 新役員は顧問に山野 不破 武内 会長に中川 副会長に山田 国友 事務局長に吉田 理事に佐藤 蛭子 福野 監事に 小屋氏選任など議題はすべて承認された。

   続いて、中川新会長は「楽しみながら磨こうをキャッチフレーズに会を盛り上げていきたい」とあいさつした。この後、会友も加わり、国友さんの乾杯で懇親会交流会が開かれた。

 それぞれ、しばらくぶりでお会いしたので、話は弾み、2時間の時間いっぱいに談論風発が続いた。

 差し入れは紐野 武内 山田さんからいただきました。大変有難うございました。

 来る10月12〜13日に、高知で開催予定の全国大会には、今のところ、金沢から会旗持参で、佐藤、吉田、蛭子、お龍 江戸の福井さんが参加予定です。

 今回やむを得ず参加できなかった方は、次回ぜひ御出席ください。

      又あふと思う心をしるべにて
           道なき世にも出づる旅かな
                 龍馬

                        2013 9 21 事務局(ふ)

 

来る11月16日、龍馬慰霊祭 提灯行列!

 京都龍馬会から 龍馬慰霊祭 提灯行列の案内がありましたので、お知らせします。

 ◇主催:特定非営利活動法人 京都龍馬会
 ◇名称:第20回 坂本龍馬慰霊祭 提灯行列

 ◇開催日時 2013年11月16日(土) 午後3時30分 受付開始
 ◇午後4時受付終了 集合写真撮影後 午後4時30分スタート

 ◇集合場所 京都市役所前広場
    京都市営地下鉄 東西線 京都市役所前駅下車

 ◇行列順路
   京都市役所前→坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地にて黙祷→四条河原町→円山公園(銅像前で記念撮影)→高台寺公園→霊明神社参拝 (村上繁樹神主による講話)

 ◇参加費 一人 3,000円 (京都龍馬会会員は無料 受付で会員証をご提示ください)
 ◇着物割引 着物でご参加の方は 一人 1,500円
 ◇着物レンタル着付け 参加費込  一人 4,800円 (10月15日までにお申し込みください)
 ◇着付け場所:着物レンタル41
      京都市中京区四条通河原町西(高島屋西どなり)シカタビル5F

 ◇京都龍馬会創立20周年記念祝賀会
     Nero PASSO(ネロ パッソ) 午後8時〜10時
                  京都市中京区新京極四条上ル中之町557
 ◇参加費 一人 8,000円

 ◇申込方法 申込書をFAX、郵送または同内容をEmailの上、11月9日までに下記口座に参加費をご送金ください。

   ◇送金先 郵便振替:00900-2-242819
     ゆうちょ銀行  099店 当座0242819
     名義:特定非営利活動法人 京都龍馬会

 ◇お問い合わせ・参加申し込み先
     特定非営利活動法人 京都龍馬会
      〒604-8017 京都市中京区木屋町通六角下ル材木町184
      都会館1F「龍馬」
        TEL/FAX 075−211−3666

 幕末の京都は激動の中心地であり、日本の夜明けは京の都から始まった。

 龍馬は新しい国のかたちを見ることもなく慶応3年(1867年)11月15日京都河原町蛸薬師「近江屋」で凶刃に倒れた。

 17日に葬儀が行われ「近江屋」から東山霊山まで海援隊士らが葬列を連ね沿道には多くの人々が見送ったと伝えられている。

 霊山墓地では「霊明舎」が葬儀を司った。京都龍馬会はこの史実を顕彰し、例年、葬儀が行われたとされる11月17日に近い土曜日に「坂本龍馬慰霊祭提灯行列」を主催している。

   龍馬の直筆署名と血判が見つかる!

 土佐高知の県立坂本龍馬記念館は7月24日、坂本龍馬が砲術を学んだ流派の起請文(きしょうもん 誓約書)に、龍馬の直筆署名と血判が見つかったと発表した。

 現存する龍馬直筆の史料としては2番目に古く、血判が確認されたのは初めて。

 幅20センチ、長さ13・4メートルの巻物で、土佐藩で西洋砲術「高島流砲術」を教えていた徳弘孝蔵(1807〜81年)が門下生に書かせたものとみられる。

 流派の技術を外に漏らさないことを誓う文とともに、龍馬のほか、武市半平太、岡田以蔵、龍馬の兄権平ら216人分の署名と書き判が記され、血判が押されている。

 龍馬の名前は196人目にあり、1859(安政6年)9月20日に署名している。龍馬は前年9月に江戸での修行を終えて高知に帰り、その後に徳弘を訪ねたとみられる。

 起請文は高知市内の徳弘家に保管されていた。1981年に徳弘家が火事に遭い、行方が分からなくなっていたが、今月、所有者が連絡し、確認された。

 京都国立博物館の企画室長宮川禎一さんは「筆遣いに若い頃の龍馬のまめな性格が表れている。書き判もめったに書かないので貴重だ」と話している。

 25日から8月31日まで記念館で展示する。
                2013 7 24 事務局(ふ)

 

第25回全国龍馬ファンの集い高知大会、来る10月12〜13日開催!
〜世界翔ける龍馬精神〜

 風薫る5月、会員会友各位にはお元気のことと思います。土佐高知の事務局から概要が届きました。

 龍馬精神の次代への継承を願い、龍馬を愛する青年に龍馬の生誕地の高知でその思いを全国の龍馬ファンに披露いただきたいと考えています。

 たくさんの応募をお待ちしております。

 ◇開催日時募集期間:2013年5月1日(水)〜6月30日(日)
        対象:20〜33歳までの青年で10月22日に高知で発表できるひと。
     申し込方法:龍馬への思いを1200〜2000字にまとめ、住所、氏名、年齢、職業、電話番号記入の上送ること。
      決果発表:8月T日社中HP 観光協会HPにて
        発表:高知大会にて 8〜10分  旅費 宿泊費は大会実行委員会が負担する。

 ◇高知大会開催日:10月12日(土)開催場所  高知市高知県民ホール
                    時間  13時半〜
                  特別講話  ロバ−ト・キャンベルさん(東大大学院教授)

                   交流会  ザクラウンパレス新阪急高知
                    開宴  18時半〜
                    会費  7000円

 ◇エクスカ−シヨン:10月13日(日)開催場所 ゆかりの地巡りなど

   ◇問い合わせ先窓口:(公社)高知市観光協会内
               全国龍馬ファンの集い高知大会事務局
        住所: 〒780-0862 高知市鷹匠町2-1-36
        電話: 088-823-4016 fax 088−823−9275
       e-mail: ryomafan@welcome-kochi.jp
2013 5 28(ふ)

三吉慎蔵の子孫が、龍馬からの手紙などを寄付!

 三吉慎蔵は長府藩の藩士で、幕末の激動期に坂本龍馬と行動をともにした。特に龍馬が襲撃されたいわゆる「寺田屋事件」では薩摩藩邸に駆け込んで

 助けを求めるなど龍馬の盟友として知られている。慎蔵は1866年1月、薩長同盟をまとめようとしていた龍馬とともに下関を出て京都入り。同盟の成立直後、

伏見の寺田屋に宿泊した2人は幕府役人の襲撃を受けるが慎蔵はやりで応戦、負傷した龍馬を救出した。

寄託史料は、龍馬が寺田屋事件を機に親交を深めた慎蔵に幕府や京都などの最新動向を伝えた書状や、事件の経緯を記録した慎蔵の日記、龍馬の写真原板など。

高杉晋作や西郷隆盛、勝海舟らの書も含まれている。5月10日は慎蔵のひ孫にあたる長野県上田市の三吉治敬さん(75)が下関市役所を訪れ、

「展示や研究に活用してください」と目録を市長中尾友昭に手渡した。資料は先月、市が預かったものを含めあわせて396点にのぼる。

 このうち龍馬が慎蔵にあてた手紙は、龍馬が乗っていた船「伊呂波丸」と紀州藩の軍艦が衝突したいわゆる伊呂波丸事件のあとに書かれたもので、

 「自分は事件の処理で忙しいので下関に置かれた役所に役人に自分の関係者を会わせてほしい」という依頼が書かれている。

   下関市ではこれらの資料を8月ごろをめどに市内の長府博物館で展示する。
2013 5 10(ふ)

 

「寺田屋」の女将、「お登勢」の生家を記録した文書が見つかる!

 坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件の舞台として知られる京都・伏見の宿「寺田屋」の女将で、龍馬ら幕末の志士を支援した「お登勢」の生家を記録した文書が大津市で見つかった。

 大津市歴史博物館では「生家を確定できる意義ある資料だ」としている。

 見つかったのは1847年(弘化4年)の宗門人別改帳。お登勢は、現在の大津市中央1丁目に当たる丸屋町の宿「升屋」を経営した重助の次女で、当時18歳と記され、4人のきょうだいがいたことも分かった。

 宗門人別改帳は、江戸時代の領主が村ごとに作成させた戸籍簿的な帳簿。宗門人別帳ともいう。幕領では毎年3月に新たに作成して代官所へ提出すべきものとされた。

 家ごとに戸主を筆頭に家族成員や奉公人、下人などが記載されている。各人ごとに檀那寺が記され、その寺の証印があり、これによってキリシタンでないことが証明されている。

 戸主名の脇にその家の持高が記される場合も多い。また戸主名の頭に〈百姓〉〈水呑〉などの身分も記されている。帳面の末尾にその村の戸数、人口合計(男女別区分)が記される。
                           2013 2 24(ふ)

  「寺田屋」の女将だった「お登勢」が育った大津市の実家の正確な場所がわかり、跡地で石碑の除幕式!。

 「お登勢」は、これまで大津の旅館の出身であることは知られていたが、正確な場所がわからなかったため歴史研究家が当時の戸籍などを調べたところ、

 大津市中央1丁目の商店街にある菓子店がお登勢の実家があった場所だったことが分かった。これを受けて、坂本龍馬を慕う人たちの団体、京都龍馬会や近江龍馬会などが

 この菓子店(京阪浜大津駅徒歩5分 丸屋町商店街内)の角に石碑を作り、関係者ら100人が集まって石碑の除幕式が行われた。石碑は高さ1メートル20センチで

 「寺田屋お登勢実家升屋跡」と刻まれている。

 石碑の除幕にあわせて、跡地の菓子店、光風堂菓舗では、これを記念し、「お登勢」などの文字を焼き印にした「お登勢せんべい」(10枚525円)の販売を始めた。

 石碑を作った団体の1つ、京都龍馬会理事長の赤尾博章さんは「長年探していた場所が見つかり、石碑が出来たのは喜ばしい。お登勢が若い頃住んでいた街として、多くの人たちが来てほしい」と話している。

                             2013 5 25(ふ)

 

ふくい春まつり〜越前時代行列〜、4/13開催!

 ♪春は名のみの風の寒さや 時にあらず…。

 なかなか春は来ませんね。会員や会友各位には、お変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 越前龍馬会から、下記の案内がありましたのでお知らせします。

 1.開催日   平成25年4月13日(土)雨天決行

 2.コース   福井城址→福井駅前電車通り→中央大通り→九十九橋→足羽河原

 3.その他   龍馬、おりょう、橋本左内、由利公正に越前龍馬会の面々が扮します。また春嶽公の山車を龍馬会で引っ張ります。

 4.懇親会   越前龍馬会主催で18時より開催 参加費5000円

 折角の機会です。この機会に、福井を訪ねて参加、見てみるのもいいでせう。

 参加、懇親会参加の方は事務局へご一報ください。
                           2013 2 23(ふ)

富山での北陸3県懇親交流会、盛会!

 各地から蝋梅や梅の便り…。三寒四温で春の兆しが感じられるこの頃です。

 各位にはお元気でご活躍のことでせう。今年で二回目の北陸三県龍馬会の懇親交流会が、富山で開かれましたのでご報告します。

 ◇15時〜16時30分
        富山県民会館7F701号室にて、講演会。

        〜龍馬の妻お龍さんの生涯〜
           講演 龍馬研究会岩崎義郎さん

        お龍さんの出自からエピソードまで、淡々とした飾らない口調で90分の予定を越しての講演。
        参加者は40名、この時期恒例行事として七年めの講演。

 ◇17時〜
        富山駅前 富山エクセルホテル15F リコモンテにて 北陸3県龍馬会懇親交流会

        講演会終了後、会場を移し、夕焼けに紅く染まる立山を眼前に、三県交流会、34名の参加。
        賑やかに、和やかに開催。北陸社中の結束を確認した。

 ◇出席    金沢龍馬会から 武内 山田 佐藤 蛭子 宇賀の5名

        来年の三県交流会は、越前福井で開催予定です。今回やむなく参加できなかった方は来年はぜひとも参加してください。
                         2013 2 10(た)

金沢龍馬会、新年会は盛況!
       〜金沢龍馬会から〜

 明日は大寒。雪のシーズンまっただ中。

 連日、降ったり止んだり、北陸特有の天候が続いています。

 会員、会友各位にはお元気でご活躍のことでせう。

 金沢龍馬会の新年会は1月19(土)、午後三時から、金沢・片町の鰯組(会員 東さんの店)で開催し、盛況に終わりました。

 出席は(順不同) 宮島 ひもの県議(会友) 油谷(会友) 玉井 竹内 宇賀 蛭子 蛭子友人の田野中夫妻(初) 済田友人の福田秀樹(初) 大坪 島津 佐藤 中川 済田 吉田(初 前長崎龍馬会事務局長) 山田 武内 福野の19名でした。

 司会進行は監事の佐藤さん。武内会長の「今年は設立11年目にふさわしい活動を期待しています。10年を振り返れば、龍馬精神の懐の深さ、普遍性をあらためて学び、

 一人ひとりの個性、出会いの大切さを実感しました…」との挨拶のあと、中川顧問の乾杯、そして自己紹介。

 久々に出席した済田君、五郎島に負けぬ「大徳金時」を生産しているとかで、チラシと見本を皆さんに配り、代議士秘書からのユニークな転職を披露した。

 また今回初めて参加した福田さんはかぼちぁに取り組んでいるという。それぞれしばらくぶりでお会いしたので、話は弾み、2時間の時間いっぱい談論風発。

 最後は全員で、海援隊旗に武内さんへの激励の一言を書き、贈呈。山田副会長の一本締めで終わった。差し入れは山田、武内、中川、吉田さんらからお酒戴きました。有難うございました。

 今回止むを得ず参加できなかった方は6月に予定されている総会にぜひご出席ください。

 なお、来月9日、富山で開催されます北陸3県交流会の出席は、今のところ、武内、山田、佐藤、蛭子、宇賀の5名が予定されています。
                                     2013 1 19(ふ)

 

越前龍馬会、忘年会は盛大に開催!

 越前龍馬会では師走1日の午後6時から、龍馬ゆかりの莨屋旅館跡地にある「よしだ」で、忘年会、30数人が参加して大交流会を開催した。

                         
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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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第19回 坂本龍馬慰霊祭 提灯行列盛会!
〜京都龍馬会から〜

 大変寒くなりましたが、会員会友各位にはお元気でせうか。

 坂本龍馬(1835〜67)の誕生日にあたる一昨日の15日、高知市内では巨大ケーキが用意され、市民やファンらがちょうちん行列やよさこい鳴子踊りなどで

 177回目のバースデーを祝った。また、その名を冠した「第27回龍馬賞」の表彰式も行われた。

 上町の生家跡に立つ記念碑前では、地元住民らが主催する「第34回龍馬誕生祭」が開かれた。県内外から100人のファンらが駆け付け、肖像画が飾られた碑に玉串を奉納した。

 慶応3年11月15日に暗殺された龍馬の葬儀は17日の夜、 内々にとりおこなわれたが、どこから聞きつけたのか沿道では沢山の人々が 龍馬を見送ったと伝えられている。

 その当時の正確な資料は残っていないが、京都龍馬会では17日(土)夜、葬列を再現すべく龍馬慰霊の提灯行列を行った。この日に限り霊山護国神社墓所の夜間参拝が可能で、

 龍馬を偲びつつ、慰霊祭を行った。

 ◇とき ところ 2012年 11月17日(土) 16:30〜19:00 三条大橋

 ◇受付開始   15:30 16:00受付終了 集合写真撮影後 16:30スタート

 ◇集合場所   京都・三条大橋下 鴨川西岸の河川敷

   ◇行列順路   三条大橋→酢屋→坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地にて黙祷→四条河原町→円山公園(銅像前で記念撮影?)→高台寺公園
         (午後6時頃解散)→有志にて霊明神社参拝

 ◇懇親会    ホテルりょうぜん にて

                        2012 11 17 金沢龍馬会(ふ)


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第24回全国龍馬ファンの集い下関大会、盛会!
       〜龍馬が創ろうとした日本 我々が目指す日本〜

 寒くなりました。会員会友各位にはいかがお暮しでせうか。

 1861年の秋、坂本龍馬が山口に来て萩往還を通り、久坂玄瑞に会いに行った年から150年を迎える今年、全国の坂本龍馬ファンが集い、龍馬への思いを語り合って

 交流を深める催しが20日、龍馬が暮らしたことのある下関市の海峡メッセ下関で開かれた。

 「全国龍馬ファンの集い」は、龍馬ファンの交流を目的に龍馬の誕生日で命日でもある11月15日を前に、毎年、全国から開催地を選んで開かれている。

 龍馬が愛妻のお龍と暮らした町、下関市での開催は今回が初めてで、会場には全国各地からおよそ1100人のファンが集まった。

 「集い」では、下関市立長府博物館の館長古城春樹や京都国立博物館の企画室長宮川禎一、長崎シーボルト記念館の館長織田 毅さんら3人の研究者が意見を交わし、

 当時の下関が、土佐や薩摩から多くのスパイが送り込まれるほど注目を集めていたことや、龍馬と長府藩は、互いに支え合う関係だったのではないか、などと議論した。

 また、この中では、龍馬が狙われた寺田屋事件で、龍馬を助けた長府藩士三吉慎蔵は護衛のために龍馬についていたわけではなく、2人は日頃からかばい合う関係だったという

 意見も出された。更に、自民党の総裁安倍晋三も講演し、龍馬が起草した国家構想「船中八策」を引き合いに出し、「現代に通じるところがたくさんあると、

 幕末と現代を対比していた。この後、大会旗は来年開催の高知に渡されて、夜は懇親交流会が開かれ、各地の会員が久々に会い、交流を深めた。

 明日は、参加者が龍馬ゆかりの地や幕末・維新の史跡などを巡ることになっている。

 なお土佐高知では、桂浜にある坂本龍馬の銅像の隣にやぐらを組んで、龍馬像と同じ視線で太平洋を眺める催しが始まった。

 この催しは、龍馬の誕生日と命日にあたる11月15日を前に、毎年開かれていて、今年はけふから始まった。高さが13メートルある龍馬の銅像のすぐ隣に、

 ほぼ同じ高さのやぐらが組まれ、やぐらの上から龍馬像と同じ視線で太平洋を眺めることができる。訪れた観光客らは、次々にやぐらに登り、龍馬の横顔を写真に撮ったり、

 打ち寄せる波の音を聞きながら雄大な眺めを楽しんだりしていた。この催しは、11月25日まで開かれる。
                         2012 10 20 金沢龍馬会事務局(ふ)

   「下関大会」に参加した佐藤さんからです。

 金沢龍馬会からは、東京在住の福井会員と佐藤が、それぞれ会友を伴い4名の参加となりました。早々、会場の受付に山野市長揮ごうの金沢龍馬会旗を掲げさせていただきました。

 大会は、内容も充実した大会でした。特に、時の人である安倍晋三自民党総裁の特別講演は、その時代が求めるリーダー象の違いについてを解説され、尖閣問題、

 日本の周辺情勢の分析、外交問題等、いずれもユーモアを交えた分かり易い内容でお話いただき会場をわかせました。大会前日に下関入りし、龍馬や盟友高杉晋作に関わる

 旧跡を散策するなど、海峡と数々の歴史舞台となった街への旅は、天候にも恵まれ有意義な旅となりました。(10/22 記)

 同じく福井さんからの報告です。

 会場のホールには、一人一人空港の金属探知機のようなゲートをくぐって入場。第二部の講師が政治の表舞台に復帰したことの関係でしょうが、少々戸惑いました。

 そのゲート手前の受付コーナーには、「長州龍馬会」の旗と並んで、佐藤さんが金沢より持参した我が「金沢龍馬会」の旗が実に堂々と!とっても目立ちました!

 全ての放送局のカメラでの取材が来ていました。第一部の鼎談は、3氏独自の歴史観が披歴され、「気付き」と「発見」がありました。ただ、お互いがマイルドに

 意見を述べ合う展開となり、進行役の長府博物館・古城館長が最後に述べた様に、意見の相違がバトルと化すような熱い所がもっともっと聞きたかったと、感じました。

 第二部の安倍さんの講演は、尻上がりに白熱した所で「はい、お時間」という面白さ。江戸二百数十年と戦後六十数年の共通点を「平和ボケした太平の世」と断じ、

 黒船と尖閣によって問われた「日本人の国家観と」に言及。「船中八策」と自説を結び付けての展開は巧みで、賛否は別にして、聴衆を惹きつけた。

 露骨な政治的発言はほとんど無く、その割り切りは見事。ちなみに氏は晋作ファンとのこと。これが、選挙区を意識しての、一番政治的な発言だったかもしれませんね!

 午後6時からの懇親交流会には、関係者含め凡そ400人が参加。金沢龍馬会の法被姿で、私と佐藤さんが出席し、越前龍馬会、富山龍馬会と共に、全国の仲間たちとの

 出会いと再会を楽しみました。長崎龍馬会&金沢龍馬会の吉田さんにも、古い友の様に接して頂き、感激!翌日は、ユニオン号で参戦した小倉襲撃を龍馬が図説した

 あの「海戦図」を手に、龍馬が登った火の山公園の展望台(256メートル)へ(21世紀人はレンタカーで)。馬関海峡に長州と幕府の船が繰り広げた海戦を、しば〜し、夢想。

 その後、松下村塾、高杉晋作や桂小五郎らの生まれた萩の城下町へ。短時間でしたが、初めて訪れた長州で密度の濃い時を過ごしました。(10/22 記) 

       
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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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金沢龍馬会、懇親交流会は盛況!
〜金沢龍馬会から〜

 朝夕は涼しくなったというより、寒くなりました、皆様にはいかがお暮しでせうか。

 会員、会友各位には、お変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 さて、下関の全国大会も近づいてきました。金沢龍馬会各位の出席確認を含めて、金沢駅前の桜はなびで、去る9月30(日)、午後3時から懇親交流会が開かれました。

 ◇とき  2012年9月30日(日) 15時から17時

 ◇ところ 金沢市本町1-3-32 金沢駅 東口 徒歩3分 りファーレ隣
          「桜はなび」(会員の店)にて。電話 076-221-8100

 開会直前、急きょ欠席連絡の中田を除いて、出席は 守山 柳生(中川友人)、油谷(中川友人) 不破 玉井 佐藤 国友 中川 山田 武内 福野の11人。

 はじめに、自己紹介の後、武内会長が「平成15年創設の金沢龍馬会も来年で10年、皆さまのお力添えで成長してきました。私事ですが、金沢遊学40年の武内は、

 土佐藩より帰国のお達し、国元で奉仕するか、脱藩するかの準備も含め潮時と考え、初代会長を辞したく、お伝え申し上げます。本日は久し振りの不破県議も含め、

 年齢幅の広い少数精鋭としか云いようのない参加人数ですが、なごんだ集いとなりますようよろしくお願い申し上げます」と挨拶。

 前日の29日は、京都伏見のかき仙にて、近畿北陸ブロック会議が開催され、福野が出席しました。で、当日は、龍馬社中や各龍馬会の動きなども報告した。

 当日は、龍馬社中の牧田副会長をはじめ兵庫、大阪、浪速、京都、祇園、近江龍馬倶楽部、越前、金沢の龍馬会のほか、今月結成されたばかりの平成龍馬会の三人が

 オブザーバーとして出席した。各龍馬会の動きや全国大会の出席状況、また、近畿北陸ブロック長はこれまでの楠本さんに代って祇園龍馬会会長の片岡幸嗣さんが選ばれたことなど。

 ついで、中川顧問の乾杯で、終始和やかなうちに懇親会交流会が開かれた。積もる話もあり、大いに龍馬を語った。席上、不破さんは、来年の参院選に出馬の意向を

 明らかにし、皆さんの暖かい声援を受けた。

 なお差し入れは、中川友人の柳田、守山、山田、武内さんからお酒戴きました。有難うございました。

 下関での10/20の全国大会は、今のところ、江戸に居る福井さん、金沢の佐藤さんが出席の予定です。

      又あふと思う心をしるべにて
           道なき世にも出づる旅かな
                 龍馬

、                                 2012 10 1 事務局(ふ)

  10/1現在 会費納入 玉井 齊田夫妻 山野 奥田(新) 大坪(新) 守山(新) 藤田(新 奥方辞退で12 13年度分) 玉井 宮島 蛭子 宇賀 中野 中田 中川 小屋 山田 武内 福野

  (振込) 6/25 中山、7/4 今村(11 12 13年度分)、7/7 福井 *今年度から復藩です。7/11 佐藤。


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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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第20回龍馬からの手紙、募集!
〜海援隊京都本部・酢屋から〜

 猛暑、セミがこれでもか、これでもかと、鳴きじゃくっています。各位には夏バテせず、頑張っていることでせう。

 来る11月15日は龍馬の誕生日、そして命日です。

 海援隊京都本部・酢屋から以下の案内が届きましたのでお知らせします。

 第20回 龍馬からの手紙展

 現代の龍馬を募集します!龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。

 龍馬からの手紙展は、龍馬と同じ年齢の方々に、未来の日本の姿を考えていただく公募展です。
龍馬になったつもりで、あなた自身の意見を書いてください。

 【作品応募規定】

○ 作品  A4判用紙一枚以内(便箋でも可)手書き メールでも可 未発表の作品
○ 一人一点に限る 作品の返却は致しません
○ 別紙に住所・氏名(フリガナ)・年齢・職業・電話番号を必ず明記してください
○ 締切日 平成24年9月30日(日) ※当日消印有効

○ 応募資格 33才までの人
○ 応募方法 郵送、FAX、メールにて応募できます
○  賞 ・最優秀賞 1点
     ・優秀賞 2点
     ・入選 10点
      (最優秀賞:5万円 優秀賞:1万円
        入選:酢屋オリジナル木工品)
○ 発表  平成24年10月末日 入選者に直接通知します 
 ※応募作品の一切の権利は主催者に帰属します

○ 応募先 京都 酢屋
   〒604-8031 京都市中京区河原町三条下ル一筋目龍馬通
         電話(075)211-7700 FAX(075)256-6066
        suya-k@mbox.kyoto-inet.or.jp
○ 主催  海援隊京都本部 京都酢屋

【第27回】龍馬追悼展

 ◇平成24年11月1日(木)〜12月2日(日) 午前11時〜午後5時
 会期中無休

 ◇一般:600円 大・高生:500円 中・小生:無料
 ◇詳しいお問い合わせはこちらまで
 suya-k@mbox.kyoto-inet.or.jp

 ◇龍馬遺品・海援隊文書・酢屋文書展示。
なお、龍馬の命日である11月15日(火)には、祭壇を設けます。

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 【第20回】龍馬からの手紙展

 ◇平成24年12月6日(木)〜12月10日(月)
 午前11時〜午後5時

 ◇一般:500円 大・高生:400円 中・小生:無料

 ◇龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。
毎年全国から公募された龍馬からの手紙の受賞作品、ならびに全作品を展示致します。

 この機会に、龍馬ゆかりの京都を訪ねてみるのもいいでせう。
なお、追悼展・手紙展の招待券三枚(一枚で二人可能)が事務局に届いていますので、ご希望の方はご一報ください。
                       2012 7 28 金沢龍馬会事務局(ふ)


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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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 金沢龍馬会、総会は盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 桜の季節から、眩しい新緑の季節。そして、梅雨。皆様にはいかがお暮しでせうか。

 会員、会友各位には、お変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 先般は初の3県龍馬会交流会が、金沢で盛大に開かれ、お互いに交流を深めたと思います。

 金沢龍馬会の今年度の総会は、梅雨のまっただ中、金沢浅野川河畔で、7月8日(日)、21名が参加して開催されました。

 総会の前には講演会、後には懇親交流会をして、研鑽、交流を深めました。

 ◇とき  2012年7月8日(日) 15時から17時

 ◇ところ 金沢市主計町3−10  浅野川河畔 空海(会員の店) 電話 076-261-9112

 ◇出席  奥田(国交副大臣) 山野(市長 顧問) 紐野(自民党県連幹事長) 新会員の大坪(加能人) 新会員の守山(桜はなび) 同じく藤田夫妻 竹内(会友) 永原(会友) 市川(会友) 玉井 宮島 蛭子 宇賀 中野 中田 中川 小屋 山田 武内 福野 計21人

 ◇会長挨拶 武内さんは「五月の三県合同懇親会で得たものを大切に、より充実した龍馬会になるよう、頑張りましょう」と挨拶。

 中川顧問が、金沢でも歴史が古く、ヒット作品を出版されている能登印刷の会長能登さんを紹介して、総会は始まった。

 ◇講演  「古都昔日〜金沢の明治・大正・昭和〜」 講師 k・k能登印刷会長 能登隆市さん。

 プロジェクターを用意されて、古き金沢の歴史を今に伝える貴重な写真と解説に皆、懐かしく見たり聞き入った。

 講演の後、各自自己紹介して、議題に入った。

 ◇議題  議事進行は事務局長。

      ・2011年度の経過報告
        (初の北陸3県龍馬会交流会など hp参)

      ・2011年度の会計
            (別紙 当日回覧)

     ・2012年度の活動方針
        (下関の全国大会出席 懇親交流会など 別紙参)

       等々は、全員一致で了承され、今後の活動を確認した。

 ◇懇親会 差し入れは 鰯組の東 武内 山田 桜はなびの守山 永原さんほか。有難うございました。

 飛び入りで、参加された奥田副大臣の乾杯で懇親会は始まった。市長山野、県議の紐野さんも参加されて、近況などひとくさりして盛り上がりました。また、新しい顔ぶれも交わり、それぞれ、龍馬を巡って、時間いっぱい、風論談発が続きました。

 予定より時間は30分余りオーバーしましたが、〆は監事の小屋さん。次回は全国大会の前に、参加確認の意味もあり、9月末に予定しますので、入会ご希望の知人友人をお誘いあわせの上、ぜひご参加ください。大いに龍馬を語りませう。
 なお、江戸に遊学中の福井さん、仕事で滋賀大津へ行っている国友さんから皆さんによろしくとの伝言ありましたことを申し添えます。
                      2012 7 8(ふ)

 7/8現在 会費納入 山野 奥田(新) 大坪(新) 守山(新) 藤田(奥方辞退で12 13年度分) 玉井 宮島 蛭子 宇賀 中野 中田 中川 小屋 山田 武内 福野

          (振込) 6/25 中山
              7/4  今村(11 12 13年度分)
              7/7  福井 *今年度から復藩です。
              7/11 佐藤

 7/20現在 新会員に名簿送付済。


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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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   第1回北陸三県交流会、盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 鶯の初鳴きから、花吹雪を経て、新緑の季節。会員や会友各位には、お元気で、ご活躍のことと思います。

 歴史に学び、政治を憂い、時をつなぎ、人を想い、心をつなぐ…。念願の北陸三県初の懇親交流会は風薫る5月13日(日)午後3時から、金沢駅前の「さくらはなび」で

 44人が参加して、盛大に開催された。時間の許す限り、龍馬を巡り、談論風発。次回の再会を期してお開きとなった。今回止むを得ず参加できなかった方は次回をお楽しみに。

◇とき 2012年5月13日(日)
      午後3時から午後6時(ただし 午後3時〜午後4時は大会挨拶 金沢市長ら 卓話の講師は全国龍馬社中副会長牧田活宣さん)

◇ところ 金沢市本町1-3-32 金沢駅 東口 徒歩3分 りファーレ隣
          「桜はなび」にて。電話 076-221-8100

◇交流会
 会場には、越前龍馬会の会員作成のパネルに、新しく出来上がった金沢龍馬会ののぼり旗も展示されて、それなりの雰囲気が出た。

 開会の辞(金沢龍馬会副会長)の後、主催県を代表して、金沢龍馬会の会長武内紘一は「龍馬脱藩150年、それぞれの龍馬あるでせう。忌憚のない意見を出し合って有意義なる三県の龍馬会にしたい」と挨拶。

 続いて「龍馬脱藩!! そして幕末福井藩の人々」と題して、全国龍馬社中副会長牧田活宣さんが卓話。

 この中で、牧田さんは「幕末の富山藩の設立から加賀藩の12、13代の前田、その家老にの功績」について触れ、更に「福井の松平春嶽、横井小楠、橋本佐内、由利公正の功績」に触れて、山本龍二、渡辺剛八ら海援隊のメンバーについても触れた。

 また、この場をお借りして、金沢龍馬会新会旗が披露され、会旗を揮ごうした金沢市長で、顧問の山野さんから武内会長に新会旗が手渡された。山野さんは「これから、いろいろな場所で利用してください」と挨拶。

 続いて、 参加者が一人ひとりが、自己紹介し、越前龍馬会会長の前田さんが乾杯の音頭。で、懇親交流会が始まった。この後、ご厚志など披露<され、それぞれ時間の許す限り、名刺交換などして懇親交流を深めた。

 中締は富山龍馬会会長の杉田さんが「次回は、三県の美味しいお酒のパネルも用意していただき、更に交流を深めたい」と、万歳三唱。

 会員各位が互いに交流を深め、自分たちが、地域に何ができるのか、何をするのか等々、龍馬を巡って、時間いっぱい談論風発が続きました。

 出席は、越前龍馬会から、牧田活宜、前田弘美、佐々木健治、保田實、西村和修、林清美、竹下邦忠、池田武、北野七右衛門、松下敬一、伊藤俊輔、小倉正司、竹村美智子、野地秀男 、木下晃、白崎裕嗣、吉田孝顕。参加17人。

 富山龍馬会から、杉田欣次、堀沢祐一、丸山治久、大塚研吾、石野まり子、鯨岡みや子、山地 優、片野 彰、武内宏治、辻隆、高橋 正、宮西恒次。参加12人。

 なお遠路、長崎龍馬会からは 吉田さんが、東京から脱藩中の元会員福井さんが参加された。

 金沢龍馬会から、宮島、蛭子、宇賀、中田、今村、山野、佐藤、国友、玉井、小屋、山田、武内、福野。参加13人。参加総計44人

                               2012 5 13(ふ)
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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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ont size="+2">震災義援金、送る!
       〜金沢龍馬会から〜

 あちこちから花の便りも聞かれるなど、ようやく春めいてきました。会員や会友各位には、その後もお元気で、ご活躍のことと思います。

 大震災から一年が経ちましたが、復興にはまだまだ時間がかかりそうです。被災され、避難されている方々には心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

 金沢龍馬会では、とりあえず、震災直後から、大地震の義援金の受付を開始していましたが、このほど締め切りました。

 皆さまからお寄せいただきました暖かい義援金に金沢龍馬会の分と合わせて三万円を、巖手一関龍馬会へ、お送りしました。

 お寄せくださった皆様、有難うございました。取り急ぎ一言ご報告まで。

                                 2012 3 30 事務局(ふ)

 一関の巖手一関龍馬会会長の佐藤さんから。義捐金をいただきまして本当にありがとうございます。過日、執行部で総会に向けての会議の席上、義捐金の使途について

 話し合いをした結果、八月の高知龍馬倶楽部主催で行われる被災地3県の孤児を各県5人高知に招待する計画の様ですので、寄付金集めの基の資金とさせて頂く事を

 決定いたしましたので、ご了承下さい。尚、総会で発表させていただきます。ありがとうございました、なんてお便りをいただきましたことをご報告します。
                                 2012 3 31 事務局(ふ)

 
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【東風に吹かれて】

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 〜龍馬 ハネムーンウオーク in霧島〜
3月17日(土)〜18日(日) 龍馬とお龍 新婚旅行の地を訪ねる

 ♪花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは桜島…

 今年で16回目を数える龍馬 ハネムーンウオークin霧島は、来る3月17日(土)〜18日(日)開催されるとの案内が実行委員会からありましたのでお知らせします。

   ◇公式URLはhttp://www.ryoma-walk.com/です。
          クリックしてみてください。趣旨やコース、参加料、申し込み方法、宿泊等々詳細が分かります。

   ◇お問い合わせ、申し込みは霧島市霧島田口2459−6
              龍馬 ハネムーンウオーク実行委員会(霧島市観光案内所内)
               п@0995−57−4072 fax 0995−57−3882

   この機会に、菜の花がいっぱい、温泉も楽しめる南国霧島を訪ねて、薩摩龍馬会の皆さんと交流を深めるのもいいでせう。
                     2012 3 3(ふ)

 今年も多くの方々の参加があり、無事終わったそうです。
                     2012 3 20(ふ)

 
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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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 〜龍馬がゆく!「大洲」150年記念〜
えひめ肱川紀行について!

 浪速大阪の音楽家岳人山さんから、以下の案内がありましたので、お知らせします。
大会のテーマ曲は金沢龍馬会会長の武内紘一さんプロデュースした「風」が採用されました。

尺八の音がいいですね
龍馬、時代の風になる!!

●平成24年3月26日:河辺郷にてオープニングイベント
 受付開始 10時30分(ミニウォーク参加者)
 式典開始 11時00分(茂本ヒデキチ ライブパフォーマンス:墨絵ライブ)
 昼食開始 12時00分(ふるまい龍馬シャモ鍋)
 龍馬の風を感じる旅(脱藩の道ミニウォーク)榎ヶ峠〜御幸の橋

●平成24年4月20日、21日、22日:メインツアー「龍馬の風を感じる旅」二泊三日
 4月20日(金) 軽めのウォーキング、夜は話題の「山鳥坂夜神楽」の舞。河辺郷泊、鹿野川荘泊
 4月21日(土) 12qのウォーキング
         夜は大洲城で「龍馬の風を感じるコンサー」、いもたき、大洲市内泊、鹿野川荘泊

 4月22日(日) 大洲市長浜町白滝〜長浜町江湖港まで屋形船遊覧、昼食、解散。
 ※二泊三日ツアーには「温泉パック」と「リーズナブルパック」があります。

 ※このほか、一泊二日のメニューもご用意しております。
 ※お申込は先着順となります。で お早めにお申込いただきますようご案内申し上げます。
 ※宿泊部屋割の都合で、お客様にお部屋の入れ替え変更等のご協力をお願いする場合がございます。

●受付窓口、総合案内 問い合わせなど。
 旅行企画実施 株式会社フジトラベルサービス
協力 株式会社ジェイティービー 株式会社ジャルパック ANAセールス株式会社

 総合案内窓口 株式会社おおず街なか再生館(大洲市街づくり会社)
  〒795-0012 愛媛県大洲市大洲649-1
  電話  0893-24-7060

●イベント企画制作チーム
 広告広報プロモーション 株式会社エス・ピー・シー/印刷協力 佐川印刷株式会社
 総合プロデュース 株式会社おおず街なか再生館(大洲市街づくり会社)

●平成24年5月以降12月まで
 「肱川街道紀行“ぶらり大洲旅”」を展開いたします。
  大洲市における主だったイベントや催事を龍馬を辿るたびにセットしてツアー募集予定です。

 他、現時点での情報は上記マップをクリックして「イベント通信=PDF版」をご覧ください。
 なお、イベント通信は、随時更新いたします。

 今を去る145年前、1867年5月26日(慶応3年4月23日)23時頃に、伊予国大洲藩所有で海援隊が借り受けて長崎港から大坂に向かっていた「いろは丸」と、長崎港に向かっていた

 紀州藩の軍艦「明光丸」が、備中国笠岡諸島(現 岡山県笠岡市)の六島付近で衝突した。「明光丸」は、英国で建造され長さ42間、幅6間、深さ3間半、150馬力、887トンの蒸気船。

 「いろは丸」は大破し、自力航行不能となって、船舶の修理施設の整った近くの備後国沼隈郡鞆の浦へ「明光丸」により曳航される途中に、鞆の南10km付近にある

 沼隈郡宇治島沖で沈没した。搭乗していた坂本龍馬はじめ海援隊士ら「いろは丸」乗組員は明光丸に乗り移ったあと鞆の浦に上陸した。

 龍馬は紀州藩の用意した廻船問屋の升屋清右衛門宅や対潮楼に4日間滞在し、賠償交渉を開始したが、交渉がまとまらぬうちに「明光丸」が長崎に向けて出港し、再交渉を行う為に後を追った。

 長崎奉行所で海援隊・土佐商会および土佐藩(参政 後藤象二郎)は紀伊藩(勘定奉行 茂田一次郎)と争った。土佐側はミニエー銃400丁など銃火器3万5630両や

 金塊など4万7896両198文を積んでいたと主張し、明光丸の航海日誌や談判記録を差し押さえ事件の原因を追及した。紀州藩側は幕府の判断に任せるとしたものの、

 龍馬は「万国公法」を持ち出し紀州藩側の過失を追及した。更に、民衆を煽り紀州藩を批判する流行歌を流行らせた。この事故は、日本で最初の海難審判事故とされている。

 事故から1か月後に紀州藩が折れ、賠償金8万3526両198文を支払う事で決着した。江戸時代後期の一両は、現在の価値に換算すると米価から計算して3万円から5万円となり、

 8万3526両198文は25億円から42億円に当たる。承知のように、脱藩の際は梼原、野村、河辺を経て、肱川を舟下り、長浜の港から出たように、伊予と龍馬との関わりには

 こんないきさつもある。この機会に、伊予大洲へ旅されるのもいいでせう。新たな出会いもありませう。
                        2012 2 15(ふ)

 特別講演会盛況!
〜富山龍馬会から〜

 降ったり止んだり、何とも寒い中、会員会友各位には、いかがお暮しでせうか。

 お隣富山龍馬会の「特別講演会」は、2月12日(日)15:30〜17:00、富山市民交流館(富山駅前CiC3階 学習室1〜3)で、開催されました。

 富山龍馬会の会員や一般も含めて80人の参加がありました。以下、参加された小屋さんから報告ありましたので、概要についてお知らせします。

 テーマは、〜幕末最大のミステリー「龍馬暗殺の謎」〜。
        講演者は、龍馬研究会会長の岩崎義郎さん。

 金沢龍馬会からは、今回で3回目の佐藤正樹さんをはじめ蛭子政喜さん、宇賀恵子(お龍)さん、それに小屋忠男の4人でした。越前からは、会長の前田弘美さん、

 顧問の牧田克宣さんらも参加されました。

 岩崎さんは、大まかにつぎのように分けられてお話をなされました。1、龍馬死亡前の行動 2、暗殺の模様 3、駆けつけた者と慎太郎の言葉 4、実行犯新選組説

   5、高台寺党の新選組説 6、近藤 勇聴取と斬首 7、遺留品の謎 8、見廻組説 9、今井信郎の自白 10、谷 干城の反論 11、渡辺 篤の遺言

 12、暗殺指令者は誰か、と12の項目に分けて判り易くお話をなされました。時間を遥かにオーバーしそうで、熱気むんむんの講演会でした。

 龍馬の暗殺の状況を様々な角度から考察され、岩崎さんならではの独特のお話は実に面白くワクワクしながら聴き入りました。

 勿論、結論が出る話ではありませんが岩崎流の朴訥とした語り口は説得力があり、富山に行って良かった、を痛感いたしました。
                           2012 2 12 小屋忠男


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【金沢龍馬会の入会について】
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  龍馬脱藩150年記念「龍馬飛騰ウオーク」、開催!
〜高知県ウオーキング協会から〜

 来る3/24(土)〜26(月)、土佐高知で、 坂本龍馬脱藩150年記念「龍馬飛騰ウオーク」が開催されますので、ご案内します。

 文久2年(1862年)3月24日、28歳の龍馬は坂本家の守護神である和霊神社に向かったという。故郷や家族との永遠の別れを覚悟し、水杯で脱藩の決意を確たるものにした。

 3月22日に澤村惣之丞とともに高知を出発した龍馬は、いくつもの険しい山道を越え、翌25日に梼原町に到着。ここで龍馬たちに宿を提供したのは勤王の志士、那須俊平・信吾の父子であった。

 夜道し酒を酌み交わしながら時局を談じた後、那須父子の案内で維新回天を夢見て土佐を脱藩…。この脱藩により、龍馬は「土佐人」から「日本人」へと大きく飛謄していった。

 平成24年は、龍馬が幕末維新への偉大な一歩を踏み出してから150年の節目の年。脱藩にかけた龍馬の志を追想し、自らの志を見つめ直す旅がここにある。

 さあ、我こそは現代の龍馬たらん!。

◇定員200名 

◇3/24(土)  参加費無料
          11:00 JR高知駅出発→はりまや橋→龍馬生誕地→龍馬の生まれたまち記念館(8キロ )
          13:00 和霊神社(しゃもふるまい)

◇3/25(日)  参加費 3000円(25 26日2日間 宿泊費別)
           8:00 JR佐川駅出発 朽木峠〜津野町役場まで(12キロ )

◇3/26(月)  参加費 3000円(この日のみ 宿泊費別)
           7:00 梼原町役場出発 韮ケ峠まで(11キロ)
               終了後、高知市内へはバスで17:00到着予定。

◇問い合わせ 高知県ウオーキング協会
            高知市南久保13−17
            TEL・FAX 088 879 5500

                 歩いて、学んで、龍馬飛謄の時に浸る!!

                       2012 1 30(ふ)


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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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   年始交流懇親会、盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 新年おめでとうございます。

 あの三月十一日の大震災が、私たち日本人に問いかけたものが大きかっただけに、人と人とが支えあう喜びや絆の大切さを胸に、畳んで、決して薄めてはならないでせう。

 お待たせ、金沢龍馬会の新年交流会は、1月22日(日)15時から、以下の日程で、越前龍馬会の牧田顧問も参加されて盛大に開催されましたので報告します。

 ◇時     2012年 1月22(日) 15時〜17時。
 ◇ところ   金沢野町1-3-59 青柳(金沢龍馬会会員の店) 野町駅から300m 電話 076-242-4014
 ◇出席    牧田(越前龍馬会) 山野 蛭子 杉浦 玉井 折戸 中川 竹内(会友) 不破 島津 佐藤 中田 今村 武内 山田(友) 小屋 国友 福野。

 はじめに武内会長から「健康で新年を迎えられたこと、皆さんで喜びたいと思います。今年もがんばりましょう」の挨拶に続いて、不破会員(県議)の乾杯で、幕を開けた。

 この中で、不破さんは「去年、初めて龍馬の高知へ行ってきました。全国の自治体議員の中で、龍馬プロジェクトあり、2/28富山で、全国大会を開くなどこれから活動を

 活発化していく」と述べた。越前龍馬会の顧問牧田さんは「来る5月の3県合同交流会を成功させましょう。2月の全国社中でご報告します」と挨拶。ついで、中川顧問の

 カナダ訪問記、この中で、中川さんはカナダ人に、「ロータリーにはノーがない」ことを説明して、喜ばれた逸話を披露した。続いて山田副会長から来る5/13(日)金沢で、

 初の北陸三県合同懇親交流会開催について、説明あり了承。また、新たに佐藤会員の監事選出も満場一致で、了承された。その後、佐藤監事の土佐高知の全国大会についての

 報告もあった。また、山野会員(現 顧問)も市長に、不破会員も県議に当選されて一年になり、山野さんから「皆さんの支援でここまで来ました。龍馬会の会員として

 恥じないように頑張りたい…」。このあと、それぞれ、積もる話に花が咲き、時間いっぱい龍馬を巡って、風論談発が続いた。小屋さんの中締め、山田さんの一本締めで

 お開きとした。なお、差し入れは牧田、武内、山田(友)、東、国友、竹内さん。本当に有難うございました。

 今回やむを得ない事情で参加できなかった方は、四月の花見懇親交流会のほか、5/13(日)午後三時から、初めての北陸三県懇親交流会も検討しています。

 会費や場所等が決まり次第、お知らせしますので、ぜひ、新たに会員になりたい方も誘って、出席してください。
               2012 1 22 事務局 (ふ)
 
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【金沢龍馬会の入会について】
【東風に吹かれて】

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富山龍馬会特別講演会について(ご案内)
〜富山龍馬会から〜

 富山龍馬会から以下のご案内がありましたのでお知らせします。

 新春の候、皆様方におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 さて、このたび下記のとおり「富山龍馬会特別講演会」を行いますので、ご案内いたします。

                 記

1.名  称  富山龍馬会特別講演会
2.講  師  岩ア義郎氏(龍馬研究会会長)
3.演  題  幕末最大のミステリー「龍馬暗殺の謎」
4.日  時  平成24年2月12日(日) 15:30〜17:00
5.場  所  富山市民交流館(富山駅前CiC3階)学習室1〜3  076-444-0640 
6.後  援  北日本新聞社
7.参 加 費  無料
8.問合せ先  富山龍馬会事務局 大塚さん  090-3760-9985(携帯)

 ◆講師プロフィール

 岩ア義郎(いわさき よしろう)
 高知市在住。平成元年、龍馬研究会に入会、理事等歴任の後、平成20年2月より会長に就任。現在に至る。また、土佐観光ガイドボランティア協会創立に携わり、

 同協会会長等を歴任(現在は顧問)する。著書に「高知城を歩く(高知新聞社)」、「土佐人の銅像を歩く(リーブル出版)」、「山内一豊のすべて(共著)(新人物往来社)」、

 「高知県の不思議辞典(共著)(新人物往来社)」、「龍馬・お龍・土佐 − 土佐語り部の秘録(リーブル出版)」などがある。

 なお、講演会終了後、富山エクセルホテル東急15Fリコモンテにおいて、講師を囲んで懇親会を催します。参加費は5,000円です。まだ若干余裕があると思いますので

 参加希望者はお早めにご連絡願います。(大塚さん宛)

                     2012 1 10(ふ)

 1/22現在 参加者
 小屋 蛭子 お龍 山田(友) 佐藤


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新春のお慶びを申し上げます
〜金沢龍馬会から〜

 全国の龍馬会、会員会友も希望に満ちた新年をお迎えのことと思います。

 去年三月の東日本大震災において、お亡くなりになられた方々、そのご家族や親類、知人友人の方々には心よりお悔やみ申し上げます。

 また、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。そして、福島原発の被災した方々、各地へ避難されている方々にも

 お舞い申し上げ、ご健康と笑顔が戻る日をお祈り申し上げます。

 金沢龍馬会は、今年の秋、結成9年を迎えます。今年も龍馬の志を忘れず、出会いの達人龍馬を見習うべく、22日の新年懇親交流会を皮切りに、北陸3県交流会、

 会員拡大など多彩な活動をしたいと思っています。よろしくお願い申し上げます。
                      2012年 辰年元旦
                                金沢龍馬会会長 武内紘一


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 越前恒例年末大交流会、盛会!

 師走に入り、何かとあわただしい中、会員や会友各位にはお変わりなく、お元気のことと思います。

 越前龍馬会恒例の年末大交流会が、12月3日(土)、18時半から福井市照手1丁目の吉田屋で開かれ、副会長の山田(友)さんが、小屋さん、蛭子さんと出席しました。

 以下、山田さんの報告です。指定された座席は元福井市長の酒井さんのお隣で、越前の皆さんの心遣いがひしひしと伝わりました。交流会は43名が出席し、

 いつもの吉田屋の二階で、今回は中央にも席が設けられており大盛況でした。会の途中で、自己紹介があり、副会長として来年は3県交流会を開催したい旨を皆さんに宣言し、

 皆さん方にもご賛同を頂きましたので実現に向けて、努力しましょう。宴会の後は保田さん達と一軒、続いて牧田顧問、前田会長達と1軒。ホテルに戻ったのは

 今日になっていました。小屋さんと蛭子さんは10時頃の電車で帰沢されました。いずれにしても最初から最後まで越前の皆さんのおもてなしの心が伝わる一日でした。
                                                                            以上。
                       2011 12 4 副会長 山田(友)

 越前龍馬会の皆さんと親しく交流を深めたのは、金沢龍馬会の今年度の活動としても特筆される出来事です。

 この輪が、次年度は更に広がることを期待したいですね。

 なお、越前龍馬会の前田会長から。おかげさまで42名の参加があり賑やかでした。山田(友)さんと小屋ちゃん、蛭子さんには師走のご多忙の中遠路お越しいただき

 ありがとうございました!金沢と越前が今後ますます仲良く互いに切磋琢磨しながら頑張っていけるよう、また富山も一緒に北陸ブロック団結していきましょうね!、なんて便りをいただきました。(12/4 ふ)

 ところで、越前龍馬会主催の11月15日(火)の坂本龍馬生誕追悼祭は、前田さんによると、福井市毛矢町2丁目の龍馬歌碑前に集合して、19時に10周年記念に

 建てた歌碑を出発。坂本龍馬と書いてある提灯を七人が灯して歩いた。堤防沿いを西に進み九十九橋(旧北国街道)を渡り莨屋旅館跡へ。

 雨天でしたので、手を合わせて、近くの本楽寺に移動。越前龍馬会の会員でもあるお上人の梶川さんに本堂でお経をあげてもらい、皆が焼香しました。

 そして、お供え物を分けて解散。参加者は全部で20人。グループで、二次会へ行かれたり、帰宅しゆっくり飲む等それぞれ龍馬さんを偲んだ一日でした。
                       2011 11 19 事務局 (ふ)

   なお、金沢龍馬会の新年交流会は、年明け1月22日(日)15時からを予定しています。
 場所等詳細が決まりましたら、ここでお知らせします。お楽しみに。
                       2011 11 9 事務局 (ふ)
 
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   高知で、「龍馬誕生祭」!

 けふ15日生まれで、奇しくも命日でもあるのが、土佐高知出身の江戸末期の志士、坂本龍馬(1835〜1867)。

 生誕地の高知市では、龍馬をしのんで誕生日を祝う催しが開かれた。

 「龍馬誕生祭」と呼ばれるこの催しは坂本龍馬の生誕の地、高知市上町周辺の住民らが毎年企画しているもので、生誕地に設けられた記念碑の前では

 県内外から150人余りの龍馬ファンが集まった。はじめに、神事が行われ、参加者が記念碑に玉串をささげて龍馬をしのんだ。このあと、龍馬の妻、

 お龍の子孫にあたる東京の守谷恭子さん(78)が「龍馬さんとお龍が結婚期間が短く、一緒にいられたのはわずかな間でしたが、今は横須賀市にある

 信楽寺(しんぎょうじ)の本堂で、木造坐像として仲良く寄り添っていると思います」とあいさつ。また、地元の小学生たちが龍馬にあてた手紙を読み上げ、

 「龍馬さんのように思いやりの心を持ち続けます」などと龍馬へのあこがれの気持ちを披露した。このほか、高知では、県立坂本龍馬記念館は、

 開館20周年を迎え入館料を無料にするなどさまざまなイベントが行われた。

 記念館は坂本龍馬の生きざまや思想を多くの人に知ってもらおうと、高知県が平成3年に高知市の桂浜に建設した。けふ15日で開館20周年を

 迎えたことから、通常500円の入館料を無料にした。記念館では明治16年に坂崎紫瀾が書いた坂本龍馬を初めて題材にした小説「汗血千里駒」の

 朗読リレーが行われた。「汗血千里駒」は1883年(明治16年)1月から高知の自由民権派の新聞「土陽新聞」に連載された。坂崎は前年の政事講釈が

 不敬罪に問われて保釈中で、刑が確定した6月から3ヶ月は休載している。物語は龍馬暗殺とその後日談まで描いており、一応完結しているが、最終回に

 次回を予告する文言が入っているので、厳密には未完である。

 発行停止などの弾圧をたびたび受けていた「土陽新聞」は、1883年(明治16年)に一般大衆向けに紙を刷新し、大阪から絵師山崎年信を招聘して

 挿絵つきの続き物を掲載し始めた。「汗血千里の駒」はその第1弾であった。社説等で自由民権思想に基づく論説を直接発表しない代わりに

 「汗血千里の駒」にその内容を託したとされ、その意味で政治小説と見なされている。幕末の坂本龍馬の行動を、土佐藩で激しかった武士階級内での

 差別を生む構造との戦いとして描いている点や、龍馬の遺志を継ぐものとして、連載当時の代表的自由民権運動家坂本南海男(後の直寛、龍馬の甥)を、

 登場させているところでもその意図は明らかである。明治維新の理想を継承しているのが自由民権運動であるという主張を読み取ることもできる。

 それでも政治小説色はそれほど色濃くなく、坂本龍馬とその周辺の人々の魅力で読ませる作品になっている。

 朗読リレーは記念館の職員や訪れた人などが交代で小説を読み上げるもので、龍馬に思いをはせながら順番に読んでいた。

 けふは龍馬を題材にしたカルタ大会や花火大会なども開かれた。

 一方、京都河原町三条の龍馬通り、酢屋の表では、龍馬の誕生日であり、命日で、酢屋では龍馬の素晴らしさを今一度振り返り、現代に生かそうと追悼した。

 午前10時30分頃から、祭壇を設け、土佐(高知)からのお花や数々のお酒などをお供えして、ファンらが献杯をして龍馬を偲んだ。

 高知桂浜。先の県立坂本龍馬記念館が開館20周年を記念して発注した「シェイクハンド龍馬像」が出来上がり、小中学生らが像と握手した。

 像は、龍馬とほぼ等身大で茶色のブロンズ製。長崎での写真を基に作られ、左手を腰にあて右手を差し出しており、入り口で実際に握手できる。

 修学旅行でおと連れた東京青梅市の中学3年生鈴木美里さん(15)は「思ったよりごつごつしていました。本物もこんな大きな手だったのでしょうか」。

 今夜は、同志中岡慎太郎とともに、1867年京都近江屋で暗殺されされた龍馬、二人の功績を称えて陵内に銅像が立っている京都の霊山護国神社では、

 墓前祭などが行われ、金沢龍馬会の島津会員も参詣した。

 また、高知市中心街は龍馬一色℃s民や観光客が坂本家の家紋が入った袴などで街を練り歩く提灯行列、中央公園では176個のキャンドルが

 きらめく大バースデーケーキなどが披露された。会場では、よさこい鳴子踊りが披露され、30チームが、夏のよさこい祭りのきらびやかな衣装のまま

 鳴子を打ち鳴らして躍動感溢れる踊りを披露し、生誕祭を盛り上げた。訪れた人たちは踊り子たちの熱演に見入ったり拍手を送ったりした。

 また、桂浜では手筒花火と和太鼓の演奏が披露され、訪れた人たちが幕末の英雄龍馬に思いを馳せた。浜松市の三ケ日町手筒保存会の花火師たちが、

 高知県で初めて披露した手筒花火。龍馬を偲ぶとともに、東日本大震災で犠牲になった人たちへの鎮魂の願いも込められた。太鼓の演奏が響く中で

 降りかかる火の粉をものともせず仁王立ちする花火師の姿に観客は大きな歓声を送るなどさざまなイベントを通し、幕末の偉人に思いをはせた。
                      2011 11 15 事務局 (ふ)

 
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  金沢龍馬会の幟や法被、高知の全国大会に!

 実りの秋、紅葉や黄葉も見ごろです。会員や会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことでせう。

 脱藩中の福井さんから、大会に参加した感想が届きましたので、ご紹介します。

 お陰さまで、高知での集いに参加し、多くの収穫がありました。驚いたことに!金沢龍馬会のHPに大会の詳細が既にアップされているんですね!!

 大会に登壇したそれぞれの方は語りたい多くのメッセージをお持ちでしたが、私は特に、全国龍馬社中会長の橋本さんのユーモアと裏話、

 京都酢屋十代目の中川さんの真摯な語り口が、印象に残りました。三枝さんは、龍馬話を取り込みながら尽きること無き創作への情熱を聞かせてくれました。

 佐藤さんと2人で法被を着て、金沢龍馬会の幟を受け付けの一角に立てました。越前新会長の前田さんや林さん、長州龍馬会の皆さんのご協力のお陰です。

 また、長崎龍馬会の吉田さんにもお会い出来、蛭子さんの顔の広さにも感服しました。

 懇親会では、越前龍馬会の牧田前会長が多くの方たちに引き合せて下さいました。感謝。坂本家の九代目と十代目、幕末史研究会の小美濃さん、

 前田霧島市長、蓑宮ソニー龍馬会長、島原龍馬会、品川龍馬会、乙女さんや那須父子の末裔などなど・・・。

 宇賀さんは、勝手知ったるホームタウンで、2次会・3次会とリードしてくれ、夜の街で、見知らぬあまたの「いごっそう」や「はちきん」と酔っ払いながら

 会話した次第。翌日は、ボランティアガイド氏と1対1で午前の3時間、その後、一人で17時まで、市電・タクシーと徒歩(歩数計で25,000歩)で、

 高知の街をどこまでもひたすら探訪!龍馬が、武智が、長次郎・平井兄妹・以蔵が、容堂・東洋、後藤・岩崎・板垣、坂本家の人たちが夢や希望を抱いて

 生きていたあの時代に、思いを馳せました。金沢龍馬会の皆さんとご縁があって本当に良かった。江戸に戻ってからも、夢まだ醒めぬ、心持です。

 遅くなりましたが、拙いながらも、高知の集いの報告でした。ありがとうございました!
              2011 10 24 江戸 脱藩中 福井

 ◇お知らせ

 金沢龍馬会では、引きつつき大震災の義援金の募集を続けています。

 郵便振込先は、金沢龍馬会口座番号 :00780-5-38627

 空欄には、東北関東大地震の義援金と書いてください。集まれば、巖手一関龍馬会経由で、被災者に届ける予定です。

 
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土佐に集い 龍馬の素顔に迫った!

 全国の坂本龍馬ファンが一堂に集う「第23回全国龍馬ファンの集い高知大会」が22日、高知市の県民文化ホールで開かれ、全国各地や海外から

 53団体400人が集って、出会いや再会の喜びを分かち合った。

 大会は、能楽「龍馬飛天」で幕開け。米ロサンゼルス龍馬会が「2年以内に日本人街に龍馬像を建てたい」などと活動報告し、

 下関、長崎、京都、高知の龍馬ゆかりの地の人は、リレートークで「龍馬の素顔に迫る」と題して、討論会が開かれ、幕末に龍馬をかくまった

 京都の材木商「酢屋」の現在の当主中川敦子さんは「龍馬をかくまった当時の当主のあたたかい気持ちを受け継いぎたい」と思いを述べた。

 米国の「ロサンゼルス龍馬会」からも参加したが「龍馬が生まれた高知はみなさんとても熱心ですね」とか「これからは若い人にも積極的に参加してほしい」などの

 意見が出された。今回は東日本大震災を受けて「全国龍馬社中」が集めた100万円を超える義援金の目録が、社中の東北ブロック代表者に手渡された。

 記念講話では、開館20周年を迎えた高知市の「坂本龍馬記念館」について、建設運動の中心となった全国龍馬社中・橋本邦健会長が当時の苦労話を披露、

 参加者にエールを送った。最後に、落語家の桂三枝(68)が「龍馬先生から学んだこと」をテーマに講演。

 「他の人になんと言われようとも、自分の道を突き進んだ龍馬先生の精神で、これまで創作落語を作ってきた」と、高知県観光特使も務める三枝。

 かつて自分が創作した落語「ゴルフ夜明け前」の裏話披露。「新作落語というのは、落語の中では評価が低いでんねん。と言いますのも、新しいものほど

 古くなってしまう。私は何とか時代を超えて10年、20年と自分ができる落語を作りたいなあ、と思い、創作落語をやってました」。

 坂本龍馬が西郷隆盛にゴルフを教え、近藤勇と一緒にプレーするという「ゴルフ夜明け前」を書いたのは39歳のとき。それが40歳のときに

 「文化庁芸術祭大賞」を受賞して。これで私の人生が変わったんです。(私の創作落語について)いろんな人がいろんなことをおっしゃいましたけど、

 やっぱり私は龍馬さんの言葉を信じて、やってきました。扇子に書いてきたこれ、「世の人は われを何とも言わば言へ わが成すことは 我のみぞ知る」です。

 周りが何と言うても、自分が信じた道を行くのが一番だ、と。先生の言葉を心に刻み込み、230作余りの創作落語を作ってきました。

 歴史の中のことを落語にすると、古くならないんですね。新しいものは時代の変化とともにどんどん古くなるんですね。龍馬さんという人を出してくると、

 300年は古くならない。だから皆さんには、いつまでも龍馬さんが人気のある人でいるようにしてもらわないと、あきまへん。

 「落語に龍馬先生を登場させれば古くならない。今後何百年も通用させるために、皆さんは一層魅力を伝えてください」と締めくくった。

 ♪誰が切れよか 恋の糸 たぐり寄せれば あかね空 淡い初恋 あの方は いつかは時代を 変える人
ついて行けない 行かれない 肌に冷たい 肌に冷たい 土佐の風 

 空の雲さえ すれ違い まして浮世の 色恋は たとえ一緒に なれずとも 私はひとりを 守りぬく
女だてらの 剣さばき 泣いて見ている 泣いて見ている 江戸の月

 維新海原 船出して 夢の途中で 死ぬもよし そんなあなたの 生き方に 連れ添う女の せつなさよ
せめて二人の 肩に散れ 京都伏見の 京都伏見の 桜(はな)ふぶき
          維新の華  作詞?菅麻貴子  作曲?コ久廣司

 この後は、来年の開催地、下関へ大会旗が手渡されて、土佐高知の山海の珍味をもとに懇親交流会が盛大に行われ、龍馬談議に花を咲かせた。

 このイベントは23日も行われ、3つのグループに分かれて龍馬の誕生地や脱藩の道、梼原などをめぐった。

 金沢龍馬会から、佐藤夫妻に蛭子、宇賀会員、五月に脱藩した江戸の福井さん、それに金沢出身で長崎龍馬会の吉田さんが参加した。

 また、越前龍馬会からは前田会長らも。全国や海外各地の龍馬会会員や会友との交流を深め、はるか太平洋の彼方を見つめる龍馬像や

 龍馬ゆかりの地を訪ねるなど成果が期待されている。
               2011 10 23事務局(ふ)

 江戸の福井さんから。折に触れ金沢龍馬会のHPで、皆さんの元気な活躍ぶりを拝見しております。明日は、9時15分に高知龍馬空港着の予定です。

 現地で佐藤さんご夫妻と合流、懇親会では蛭子さん、宇賀さんにも。越前龍馬会の前田会長ほかの皆さんとも再会できそうです。

 長崎龍馬会の吉田さんとお会いするのも楽しみです。見聞と人とのつながりを広めて参ります!、なんてお便りをいただいています。
              2011 10 21事務局(ふ)

 
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 酢屋龍馬祭のご案内

 龍馬ゆかりの京都酢屋、中川さんから、以下の日程で龍馬祭りを挙行するので
参加されませんかと案内がありましたので、お知らせします。

 ◆日時 11月15日(火)午前10時30分頃から30分

 ◆場所 京都酢屋の表 祭壇前(参加 無料)
        中区河原町三条下る一筋目(龍馬通り)

 11月15日は龍馬の誕生日であり、命日です。酢屋では龍馬の素晴らしさを今一度振り返り、現代に生かすべく追悼として、

 毎年祭壇を設け、土佐(高知)からのお花や数々のお酒などをお供えしています。今年で、24年になりました。

 ささやかではございますが、献杯をさせていただきますので、ご参加ください。

 併せて、10月22日〜10月30日は「龍馬からの手紙展」、11月3日〜11月30日「龍馬追悼展」も開催されます。

 龍馬は「才谷さん」と呼ばれ、酢屋二階の表西側の部屋に住んでいた。2階は現在ギャラリー龍馬として資料が展示されている。


 当時の面影を残す二階の品格子より龍馬は向いの舟入にむけてピストルの試し撃ちをしたという。龍馬はここに海援隊京都本部を置き、

 陸奥宗光、長岡謙吉等数多くの志士が投宿していた。龍馬遭難直後の天満屋事件もこの二階の一室に隊士が集まり事件が起った。

 維新後、陸奥宗光は「酢屋」の家を訪れる時、当時を思い、感慨にむせんだと言われている。

 この時期、京都も紅葉も見ごろでせう。せっかくの機会、一度参加されてみるのもいいでしょう。

 なお、二名様ご招待券が二葉、事務局へ届いていますので、必要な方はご連絡ください。
                               2011 10 11事務局(ふ)

 ◇金沢龍馬会2011年度年会費納入
        9/28 振込 室岡
       10/11 振込 恩地
       10/1  納入 紺谷 杉浦 山野 宇賀 蛭子 宮島 玉井 佐藤 山田友 小屋 武内 斎田夫妻 中田 福野
              未納の方は 振込でお願いします。

 ◇金沢龍馬会では、引きつつき大震災の義援金の募集を続けています。

  郵便振込先は、金沢龍馬会口座番号 : 金沢中央郵便局 00780-5-38627 です。空欄には、東北関東大地震の義援金と書いてください。

  集まれば、巖手一関龍馬会経由で、被災者に届ける予定です。

 ◇去る9日に触れたが、米国のニューヨークで、龍馬ゆかりの人たちによる坂本龍馬の志を米国で発信するフォーラム「Why Ryoma Now

 (今、なぜ龍馬)?」が14日(日本時間15日未明)、開かれたのでお知らせします。今年11月に開館20周年を迎える高知県立坂本龍馬記念館と、

 日米交流団体ジャパン・ソサエティーの共催。現地の高校生や、ニューヨーク総領事の総領事広木重之が出席した。


 幕末に活躍した坂本龍馬や勝海舟、ジョン万次郎の子孫らが高知県の高校生と共に米ニューヨークを訪れ、日本を学ぶ米国の高校生に講演した。

 龍馬の兄の子孫で坂本家の9代目にあたる坂本登さん(74)、勝海舟の玄孫にあたる高山(こうやま)みな子さん(49)、ジョン万次郎研究家の

 北代(きただい)淳二さん(79)が先祖への思いを語り、ニューヨーク市内など6つの高校の生徒176人が話に聴き入った。

 坂本龍馬は米国の「自由・平等」に憧れ、33歳で暗殺されるまで渡米を望んだという。坂本さんは「龍馬が命がけで憧れた米国を(龍馬の死から)

 144年後に訪れ感動している。龍馬は自分の信念である自由と平等が否定されると敢然と対抗した。それが(日本での)人気の原因」と語った。

 講演後、日米の高校生が「明治時代まで龍馬が生きていれば、どのような活躍をしただろう」、「何が歴史を動かしていると思うか」などと

 互いに質問しながら交流を深めた。
             2011 10 15事務局(ふ)

 
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近畿北陸ブロック会議から

 大震災、台風12、15号と、多くの人命や財産を奪う災害が相次ぎました。亡くなられた方や被災された方々のご冥福をお祈りし、お見舞い申し上げます。

 木々の葉も色づき始め、陽射しにも風にも秋の気配を感じる季節になりましたが、会員や会友各位には、いかがお過ごしですか。

 会議は、10/2(日)午後2時から、京都伏見・寺田屋近くの龍馬通り商店街「かき仙」で開催された。

 出席は、ブロック長で、兵庫龍馬会会長の楠本、龍馬社中副会長の牧田、浪速龍馬会長の竹原、近江風の丘倶楽部の関島、越前龍馬会会長の前田、金沢龍馬会から福野が出席した。

 以下、概要を簡単に報告します。

 議題に入る前に、冒頭、全国龍馬社中の設立に深くかかわり、龍馬ファンのみならず土佐のトップリーダーであり、全国の龍馬ファンと交流のあった

 前高知市長松尾徹人さん、全国龍馬社中の監事を永年務めたSONY龍馬会・古居さんに黙とうをささげた。

   議題は、
  ■本年度社中会費徴収(3000円)。
    ・会場にて支払済み 2010 2011年度分
    ・来年から本部へ直接振り込みで支払

  ■全国龍馬社中の現況
    ・10/22(土) ファンのつどいは13時〜高知県民文化ホールで開催。交流会は18時半〜三翠園で(7000円)
        23(日) エクスカーションは8時〜3コース

    ・来年の大会は下関で開催(詳細は後日発表)
    ・牧田副会長は、2月社中役員会で、橋本会長指名で決定。担務は、メディアの竜→龍変更、海外支部結成。

  ■本年度の龍馬ファンの集いについて
    ・既報の通り、10/22〜23 高知で開催

    ・交流会参加者は、人数把握のため、事前に大会事務局へ電話を入れて欲しい(088−823−9457)

  ■各龍馬会の現況報告(ブロック内)
    ・近畿北陸では、13団体あるが、連絡が取れないなど冬眠団体も見受けられるので整理中(楠本)

    ・和歌山、奈良、三重に支部結成検討(楠本、竹原、牧田)

    ・越前から、HPを新たにしたこと、「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末」、7/16は由利公正の宅跡に設立10周年記念龍馬歌碑の除幕式、12/3は年末交流会開催

    ・全国に元気出してもらうのに150周年記念行事をタスキリレーしていったらどうか?越前でいえば、龍馬さん来福から再来年で150年です。来年の脱藩150年の檮原はじめ亡くなるまで、全国には幾つも該当する地区があると思うから社中で取り上げていただきたい。

    ・近江から、震災応援コンサートを関島さんが東北各地で、開催。10/16水害の被災地和歌山で、11/15龍馬夢らいぶは伏見の龍馬通り、龍馬ホールで実施する

    ・浪速から、北里大の獣医さんによる被災地の現況講演会を開催した。来年は歴史に輝いた人発掘したい、
          テーマは誇れる日本

    ・兵庫から、高知龍馬記念館や福島で、作家10人でコミック展覧会開催など
          今年 結成10周年ですが、来年1周年記念行事を検討中

    ・金沢からは、懇親交流会や芋煮会、富山の講演会に出席などこの1年間の行事報告
           その他、ブロックの連絡体制を密にすること提案

  ■ブロックの運営について
      ・ブロック連絡網の充実に、HP掲示板作成検討中(楠本)

 ♪僕らはずっと忘れない。今日の悲しみも、悔しさも 怒りも、絶望も、そして感謝と希望も‥

 いつかきっとと故郷へ帰る。取り戻す。復活するその日まで‥
    2011 6 11 がんばる君のために〜復活への約束〜 関島秀樹

 ブロックの連絡を密にして、結束していこうと確認した会議終了後は、簡単な懇親会。のち、神戸の楠本、近江の関島、越前の牧田、前田さんらと伏見、

 寺田屋浜(寺田屋向かいの河川沿い 三十石船のりば)に出来たという『龍馬とお龍、愛の旅路』ブロンズ像を見て来た。途中にある寺田屋は、幕末の坂本龍馬の

 定宿宿として知られ、大阪と京都の淀川舟便(三十石舟/高瀬舟)の乗り換え船宿であった。京都伏見の京橋には江戸時代に大きな船宿が寺田屋を始めとして6軒あった。

 寺田屋は早くから薩摩藩の指定宿となり繁盛していた。この寺田屋の前の川が寺田屋浜で、京都と大阪を結ぶ船着場であり、現在の船のターミナルだった。

 「お登勢」が宿の主人で、そこで雇われている娘が後に龍馬の妻となる「お龍」である。この寺田屋の近くには月桂冠の工場や情報センター、酒蔵オフィスがあり、

 さらに北側には龍馬通りがある。龍馬ファンなら一度は来ているに違いない。寺田屋は人気があり、建物を撮影するファンが目に入った。

 観光客を乗せた三十石船が通り過ぎたが、先月の6日、京都桃山ライオンズクラブ結成50周年記念事業として、建てられたと書いてあった。
                        2011 10 2 事務局(ふ)

 なお、全国龍馬ファンの集いで配布される大会冊子について、事務局(高知市観光推進課)?から、活動内容を掲載したいので、と原稿依頼あり

 金沢龍馬会の設立年月日等とともに、送付しました。
                        2011 10 3 事務局(ふ)

 又あふと 思ふ心を しるべにて 道なき世にも 出づる旅かな
                           龍馬

 お知らせです。
 ◇米国で坂本龍馬に関するフォーラムを開く高知県立坂本龍馬記念館の関係者が、9日、日本を出発した。

 一行はハワイ・ホノルルとニューヨークで、龍馬の子孫らを交えて龍馬の目指した「自由と平等」を訴える。

 ◇幕末の志士、坂本龍馬が土佐藩を脱藩したときに通った愛媛県との県境の町、梼原町で、「龍馬脱藩マラソン」と名付けられたマラソン大会が、開かれた。

 大会は、龍馬の脱藩の道をPRして町の活性化につなげようと梼原町の住民らでつくる実行委員会が初めて開いた。梼原町役場前には26の都府県から

 18歳から89歳までの900人のランナーが集まり、10キロ、ハーフマラソン、フルマラソンの3つのコースに分かれてタイムを競った。

 フルマラソンのコース途中にある龍馬が脱藩したときに通った県境にある韮ヶ峠では、ランナーたちは急な上り坂に息を切らせながらも

 脱藩した志士たちに思いをはせながら力一杯駆け上った。完走したランナーには「脱藩認定書」が贈られた。

 ◇京都伏見の竜馬通り商店街で、11月13日(日)10:00 縁日屋台などのイベント開始。13:00 京阪電車「伏見桃山駅」前より

 オープンパレードスタート。地元の京都すばる高校のブラスバンド部を先頭に、人力俥、京都龍馬会会員らが大手筋〜納屋町〜竜馬通りを行進する。
                             10 9 事務局(ふ)

 長崎県文化振興課から下記の案内がありましたのでお知らせします。

 第五回ながさき地域発見大学開催のお知らせ
 〜暮らしながら学び遊ぶ〜
    海道を行く、日本の歴史は長崎の海で動いた

 長崎は海に育まれ、海とともに発展してきた港町です。長崎は日本の最西南端に位置し、海の道は上海、香港、広州、釜山、淡水、トンキンといった

 東アジアのみならず、インド、アフリカ、ロシア、オランダ、ポルトガルといった地球の裏側の「世界」の港につながり、おながさきには異文化の「世界」が

 凝縮している。海の道から仏教や黄檗文化が伝わり、鉄砲や南蛮料理店キリスト教が伝わり、ヨーロッパの新知識を伝えた蘭書は、日本の歴史を動かしました。

 坂本龍馬が、「偉人」と接触し、世界に眼を開き、変革を志し、梅谷庄吉が孫文とで会い、辛亥革命を支援したのは、世界をうかがえる長崎でした。

 対馬、五島、壱岐を始め大小600ある長崎の島は海道の駅でした。文明を仲介する交差点でもありました。ハイヤ(南の風)は島伝いに日本に伝わり、

 遣隋使や遣唐使、朝鮮通信使は島を駅にして海を渡った。長崎の海道と島には日本の歴史を動かす謎が秘められ、世界を発見する面白さに満ちている。

 一緒に五感を研ぎ澄まし、学び、そして長崎の旅で楽しく学びましょう。

 【講師】
 ・古写真に見る長崎の海外交流史 長崎大学教授姫野純一、・古事記から壱岐をよむ 長崎大学教授勝俣 隆、

 ・島旅の作法 長崎大学准教授深見 聡、・循環型社会と島の漂着ごみ 長崎大学准教授中村 修、長崎大学学生西浦あさみ、

 ・五島の歴史 活水女子大学教授細井浩志、・長崎県の島々 元長崎県立図書館副館長本間貞夫、・ふるさと対馬を撮る 対馬日韓交流写真協会顧問仁位孝雄、

 ・対馬の朝鮮通信使と琉球使節 長崎歴史文化博物館主任研究員深瀬公一郎

 【募集要項】
  ●募集人数/40名程度 *先着順につき定員になり次第申込を締め切ります。
  ●最少実施人員/10名
  ●開催期間/平成23年11月17日(木)〜21日(月)5日間
  ●開催場所/長崎大学環境科学部、長崎歴史文化博物館
  ●集合解散場所/長崎大学環境科学部
  ●申込締切日/10月31日(月)

 【旅行代金】
   Aプラン:105000円(プログラム参加+ホテル4泊)
        Aプランで2名1室お申込みいただけたら、5000円割引。
             宿泊ホテル J九州ホテル長崎
                 п@095ー832ー8000
                 長崎市尾上町1ー1

   Bプラン: 69000円(プログラム参加のみ)
        *上記詳細旅行内容はパンフレットをご確認下さい。また、長崎までの交通機関のご相談や
         格安航空券手配、及びパック商品等手配ご希望の方は遠慮なくご相談下さい。

 【申し込み先】ながさき地域発見大学受付デスク(JTB九州長崎支店内)
          長崎市大黒町14−5 ニュー長崎ビルディング(ホテルニュー長崎内)
                     TEL:095−824−2400 FAX:095−825−0221

 
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【金沢龍馬会の入会について】

【東風に吹かれて】

    ∴・-----------------------------------------------------
   金沢龍馬会の総会は10月1日(土)、盛会!

 秋も深まりました。会員や会友各位には、その後もお元気で、ご活躍のことと思います。

 此のたびの東日本における未曾有の大震災で、ご親族、友人、知人が災害に遇われた会員も、おられると思います。

 心よりお見舞い申し上げます。金沢龍馬会では、引きつつき義援金の募集を続けます。

 今回は、秋の全国大会に向けての総会です。

 その取り組みが議題と成りました。

 ◇日にち 時間   10月1日(土)午後2時半から
 ◇場所       金沢片町 犀川河畔 鰯組
 ◇総会       午後2時半
 ◇出席       紺谷(会友 当日入会) 杉浦 山野 宇賀 蛭子 宮島 玉井 佐藤 山田友 小屋 武内 福野

 山田副会長の開会の辞のあと

 武内会長は「全国大会へは4人出席と聞いています。明日は、京都で近畿北陸ブロック大会、先般の懇親交流会には、福井から5名が来てくれました。

 12/3は福井で、年末交流会、国友さんの個展といい、8年から9年目に入り、ますます活動の輪が広がっており、喜ばしいことです。頑張りましょう」と挨拶。

 ◇議題(事務局長から説明)
   1)経過報告(ホームページ参) 
     ・福井さん脱藩
      紺谷さ入会 承認
     ・室岡さん しばらく活動 停止
     ・中川さん 10/5まで 在カナダ
     ・国友さん 10/7まで 個展(金沢下堤町 ギャラリーアルトラ3f)

   2)会計(回覧資料参)
   3)役員 監事に 小屋さん推挙 拍手で承認
   4)その他
     ・年会費 当日納入 紺谷 杉浦 山野 宇賀 蛭子 宮島 玉井 佐藤 山田友 小屋 武内 斎田夫妻 中田 福野

     ・法被  佐藤会員へ手渡し 他は会長に託した。

       ・土佐高知の全国大会に向けての取り組み、会員の佐藤正樹さんが、奥方と高知へ。

     ・また、江戸の福井慎二さんも会員の蛭子さん参加。

     ・年始の交流会は、年明け2月の初旬に検討。それまで、震災の募金活動は継続します。

     ・12/3の福井での懇親交流会
           出席まとめ 11/20まで 蛭子

 閉会の辞 小屋監事 

 総会の後は、いつものように、懇親交流会。龍馬や土佐高知、越前福井等々を巡り、にぎやかに、時間いっぱい風論談発となりました。

 席上、武内会長から全国大会に出席される佐藤さんに、金沢龍馬会旗が手渡された。

 最後は杉浦会員の記念撮影、山田副会長の一本締めで閉会。
 差し入れは、中野、武内、山田友さんから、有難うございました。

 今回、やむを得ない事情で参加できなかった方は、次回万難を排して参加されることを期待しています。

 尚、近畿北陸ブロック会議は、10/2(日)午後2時から、京都伏見・寺田屋近くの龍馬通り商店街「かき仙」で開催され、事務局長が出席予定です。

      議題は、
      ■全国龍馬社中の現況
      ■本年度の龍馬ファンの集いについて
      ■各龍馬会の現況報告(ブロック内)
      ■ブロックの運営について
      ■本年度会費徴収(3000円)します。

     「今年度の金沢龍馬会の会費」は 郵便振込でお願いします。

      小生の入院に最して、皆様にご心配や多大なご迷惑をおかけしました。
      あしからず お赦しください。
             2011 10 1 事務局(ふ)

 お知らせです。

 江戸の福井さんからです。10月22日の高知市での全国龍馬ファンの集いに参加しようと計画しております。2年前は、仕事と重なり不参加。

 今回は今のところ土日2日間に休みを確保。思いを果たす予定です。金沢龍馬会のHPで、佐藤正樹さんが全国大会への連れを探していると知り、

 先日連絡を取りました。佐藤さん以外に金沢からの参加者がおらず、奥様と参加されるとのことで、現地で合流することに致しました。

 6月まで金沢龍馬会に所属していたが転勤で「脱藩の身」云々との口上を、他の方たちとのやり取りの中で使わせて頂こうと思います。

 もちろん、金沢龍馬会のPRにも努めますのでよろしくお願い申し上げます。10月1日の総会が盛会でありますことをお祈り致します。

 ◇会員の国友 博画伯の個展〜トロイメライ−夢〜は、今月27日〜10月5日、金沢下堤町のギャラリーアルトラ3Fで開催です。

  時間は11時〜18時、会期中無休。お時間を見て、ぜひご覧ください。

 ◇12月3日(土)に越前龍馬会では、恒例の年末大交流会を予定しております。

 莨屋旅館跡の「よしだや」にて(例年ですと)午後6時半から会費五千円。
        10/1現在 出席

           武内 山田友 小屋 蛭子

 又あふと 思ふ心を しるべにて 道なき世にも 出づる旅かな
                           龍馬

 
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【金沢龍馬会の入会について】

【東風に吹かれて】

    ∴・-----------------------------------------------------
   龍馬を語ろうのつどい、盛況!
〜君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末〜

 幾分、涼しくなりました。会員や会友各位には、その後もお元気で、ご活躍のことと思います。

 今回は、金沢龍馬会の小屋忠男さんのお世話で、8月27日(土)午後6時より、主計町「空海」で、「大いに龍馬を語ろうのつどい!」が、盛大に開かれた。

 午後4時、浅野川河畔の交番前に集まり、山田副会長の案内で、東山散策と「金沢東山龍山博物館」を見学後「空海」へ。

 集いの出席は越前龍馬会会長前田弘美、越前龍馬会前会長の牧田活宜、西村、林、中島の会員、金沢からは山田友、中川、その友人の山本忠嗣、宮崎女史、

 武内、小屋 今村、今村長男の一也 、中田俊郎、その友人の紺谷、々上野達夫、々牧野晶幸、々河合健吉、国友、加茂、佐藤、杉浦、中野、島津、折戸、徳田 

 恩地、越前龍馬会会員でもある蛭子、野々市の野村、津幡町からは野村友人の竹内、福野。

 司会進行は、監事の国友さん。過日脱藩し江戸に居る福井慎二さんの金沢龍馬会に寄せる熱いメっセージが披露された。

 会長の武内さんは「今日は、事務局長の退院を祝い、大いに龍馬を語ろうのつどい!にご参集くださり、感謝申し上げます。

 天国と云う宇宙にて死の淵を旅し、「はやぶさ」のごとく無事地球に帰還、今日はその旅行記を酒の肴にする会です。

 三月の大震災により、春の金沢龍馬会懇親会は自粛とさせて頂きましたが、被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げる次第です。

 その頃から福野の闘病生活が始まりました。5月5日の「港の駅たき」正式オープンを終えた後、再入院、手術でした。

 手術直前の写真が北國新聞に掲載されたのもこの時期でした。入院中の励まし、お見舞いに関して金沢龍馬会からも篤く御礼申し上げます。

 退院後、中川顧問からの温かい激励、小屋さんの丁寧な連絡、山田副会長の篤いおもてなし、空海はじめ、みなさまのご協力で

 今日の集いに至りましたこと、感謝申し上げます。その間、7月には越前龍馬会創設10周年記念行事が行われ、高知産の石に刻んだ

 「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末」の歌碑を建立しました。本日お越し下さった越前龍馬会前田会長、

   初代会長で社中副会長の牧田、会員の西村、林、中島様にはその話も是非御聞かせくださる様お願い申し上げます。

 10月1日は金沢龍馬会総会、22日〜23日は全国龍馬ファンの集い高知大会が控えています。詳細は総会でご案内申し上げます。

 今日のような集い、土佐では「おきゃく」と呼び、返杯やら箸拳で盛り上げます。どうか健康を祈念して、たのしいひと時をお過ごし下さい」とあいさつ

 また、福野は、「おかげ様で、こうして皆様に顔を見せられるのもこれまでの叱咤激励、お見舞いの賜物です。有難うございました‥」。

 越前龍馬会の前田会長は「福井は10週年を迎えました。富山、石川、福井はお互いに連携を深めて、龍馬会を盛り上げていきましょう」と挨拶。

 この後、中川顧問の乾杯のあいさつで、宴が始まった。この中で、中川さんは、金沢出身の不屈のジャ−ナリト桐生悠々と作家、徳田秋声に触れた。

 秋声(1871〜1943)が竹馬の友と慕い、信濃毎日新聞の主筆として戦前、堂々と紙上で軍部批判を繰り広げたジャーナリスト、桐生悠々(1873〜1941)の

 生涯をたどる企画展「徳田秋声と桐生悠々−−反骨の人」が、浅野河畔の金沢市東山の「徳田秋声記念館」で、11月25日まで開かれている。

 記事を巡って社主と対立した悠々は一旦、社を追われるが、1928年主筆に復帰。1933年(昭和8年)、関東一帯で行われた防空大演習について、

 各紙に賞賛の記事が並ぶ中、評論「関東防空大演習を嗤(わら)う」を掲載した。

 「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである(中略)。実戦には、何等の役にも立たないだろう」。

 演習の非現実性を看破し、注目を集めたが、軍部の弾圧を受け、悠々は信濃毎日新聞社を退社した。

 企画展では、悠々が執筆した新聞記事や信濃毎日新聞を退社後創刊した個人雑誌「他山の石」、悠々に言及した秋声の回想録などを展示している。

 会員の紹介で、初めて出席された方もかなりおり、およそ二時間、それぞれ積もる話を思い思いに龍馬を語った。

 風論談発。話は尽きなかったが、来る10月1日(土)の総会での再会を期して 午後八時半、国友さんの一本〆で、お開き。

 このあと、駅前の会員、「お龍」の店で、11時くらいまで、越前の御一行、中川、山田、蛭子、小屋の諸氏で過されたとのこと。山田さんには、越前の4時前の到着から

 11時過ぎのお見送りまで、面倒をおかけしました。福井のみなさん有難う御座いました。

   差し入れは、越前龍馬会、中川、武内、山田友の皆さんで、有難うございました。

 又あふと 思ふ心を しるべにて 道なき世にも 出づる旅かな
                           龍馬

              2011/8/28 (ふ)

 
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「港の駅 たき」、5月5日オープン!

【金沢龍馬会の入会について】

【東風に吹かれて】

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第23回全国龍馬ファンの集い高知大会!
〜テーマ「集え土佐へ 龍馬の素顔に迫る!」〜

 会員や会友各位には、その後もお元気で、ご活躍のことと思います。

 秋の全国大会の概要が、明らかになりましたのでお知らせします。

 主催:第23回全国龍馬ファンの集い高知大会実行委員会・高知市・(社)高知市観光協会
 共催:全国龍馬社中・全国龍馬社中高知ブロック
 後援:高知県・高知県教育委員会・(財)高知県観光コンベンション協会・高知市教育委員会・高知商工会議所・高知新聞社・朝日新聞高知総局・読売新聞高知支局・毎日新聞高知支局・産経新聞高知支局・NHK高知放送局・RKC高知放送・KUTVテレビ高知・KSSさんさんテレビ・KCB高知ケーブルテレビ・エフエム高知

 ■本大会(参加費:無料)
   日時:平成23年10月22日(土)
   会場:高知県立県民文化ホール(グリーンホール)定員500席
      12:30 受付開始
      13:00 歓迎の能楽「龍馬飛天」
      13:30 開  会
        主催者挨拶 実行委員長 浜口 収
        高知市長 岡ア誠也
        全国龍馬社中 会長 橋本邦健
        来賓挨拶  高知県知事 尾ア正直

      13:50 参加龍馬会紹介
      14:00 龍馬道〜龍馬記念館開館20周年にあたって〜
            全国龍馬社中会長 橋本邦健
      14:45 海外龍馬会活動報告 ロサンゼルス龍馬会,ブラジル龍馬会,台湾龍馬会,大連龍馬会(予定)

        15:25 休  憩
      15:40 パネルディスカッション
       「龍馬の素顔に迫る」パネラー 京都 酢屋十代目  中川敦子
                      長崎 史跡料亭花月 加藤貴行
                      下関 長州龍馬会長 村上博史
                      コーディネーター高知市長 岡ア誠也 (予定)

      16:50 休  憩
      17:00 特別講話 講師 高知県観光特使 落語家 桂 三枝
        17:40 次回開催地引継セレモニー
      17:50 閉  会

 ■交流会(三翠園 富士の間)(参加費:7000円)
      18:30〜20:40

 ■エキスカーション10月23日(日)(参加費:検討中)
      @高知市内バスツアー
          8:30〜12:30予定 龍馬誕生地,和霊神社,田中良助邸,坂本家墓所
      A梼原町バス+ウォーク
          8:00〜15:30予定 那須俊平・信吾邸跡,梼原町韮ケ峠,維新の門群像ほか
      B高知市内ウォーク
          8:30〜12:00予定 龍馬誕生地,武市半平太殉節地,近藤長次郎邸跡ほか

  まだ、全国大会に参加されていない方は、この機会に参加されて、龍馬ゆかりの地など、訪ねて見てみるのもいいでせう。

 その他、詳細が決まりましたらお知らせします。
                      (2O11 5 19 ふ)


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「港の駅 たき」、5月5日オープン!
「港の駅 たき」ホームページ(NEW)
【東風に吹かれて】

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  知っちゅう?
震災義援金、募集!
〜金沢龍馬会から〜

 会員や会友各位には、その後もお元気で、ご活躍のことと思います。

 この度の東北関東大地震の震災に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

 我々には、何が出来るのでせうか。ひとりは万人のために、万人はひとりのために…。

 金沢龍馬会では、とりあえず、東北関東大地震の義援金の受付を開始しました。皆さんに呼びかけてください。呼びかけませう。

 郵便振込先は、金沢龍馬会口座番号 : 金沢中央郵便局 00780-5-38627 です。

 空欄には、東北関東大地震の義援金と書いてください。集まれば、巖手一関龍馬会経由で、被災者に届ける予定です。

 ところで、金沢龍馬会、新春恒例の懇親交流会は、お隣り富山、越前龍馬会と合同で、4月3日(日)午後、

 浅野川河畔、居酒屋「空海」にて、予定していましたが、今回、未曽有の東北関東大地震が起き、

 津波による死者行方不明者、原発事故等々で避難されている方が多数出ておる関係で、やむなく中止としますので、

 ご了承下さい。

                                   2011 3 17(ふ)

 
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「港の駅 たき」、5月5日オープン!

【金沢龍馬会の入会について】

【東風に吹かれて】

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  金沢で、龍馬会の不破君が初当選

 注目された石川県議選。定数2超となった金沢市選挙区(定数16)では、市議から転身した新人4人全員が

 現職の壁を打ち破り、初当選を飾った。

 金沢龍馬会会員で、自民党石川県連青年部幹事長の不破大仁は、35歳の若さを武器に同世代をはじめ

 幅広く支持を集め、初陣を飾った。不破は「短い準備期間だったが、皆さんの支えで大きな結果を残せた。

 今からが本当の戦いだ」と表情を引き締めた。

 県議会最大会派の自民が5人全員当選を果たし、メンツを保った一方、民主は県連幹事長を含む

 現職2人が落選し、県都に衝撃が走った。

 金沢市議4期を務めた公明党の増江啓が初陣を飾り、今任期で引退する党県本部代表の県議会議長

 庄源の議席を継いだ。公明党は現職の谷内律夫も再選を果たし、20年前に果たせなかった

 連続2議席を達成した。自民新人の安居知世は金沢市議から県政の舞台に躍り出た。安居は

 「女性の声を届ける県議がほしいという思いが、私に多くの票を与えてくれた。精いっぱい仕事に取り組む」と

 満面に笑みを浮かべた。民主新人の川裕一郎は金沢市議からの転身、労組の組織的な支援に加え、

 若い世代を中心に幅広い支持を集めて初陣を飾った。

 いずれにしてもマンネリズムの谷本県政、「今一度日本をせんたくいたし申候」という坂本龍馬の思想で

 カツ、厳しい目で対応して欲しい。
                                  2011 4 10(ふ)

 役員交代について
〜越前龍馬会から〜

 東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

 一日も早い復興を切に願い、心よりお祈り申し上げます。

 さて、過日行われた、越前龍馬会定期総会に於きまして、会長辞任を承認頂きました。

 設立から10年間、全国の皆様方はじめ多くの関係各位にお世話になり誠に有難う御座いました。

 今後は、全国龍馬社中始め龍馬魂の下、一歩でも前に精進する所存であります。

 本来なら、お一人お一人に御礼と御挨拶を差し上げるべき処、今日のご時世にて遅くなりましたが、

 お許し戴きたく存じます。

 尚、当会の新会長には設立時より参画いただいていた、前事務局長の前田弘美さんに決まりました。

 越前の「いごっそ・お龍=前田弘美」をどうぞ宜しくお願いします。

 平成23年4月吉日 越前龍馬会 牧田活宜


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「港の駅 たき」、5月5日オープン!
【東風に吹かれて】

  新春交流会、盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 年越し寒波の到来で、寒い日が続いていたが、立春で幾分暖かくなった。

 大雪で、北陸線や七尾線も麻痺した。金沢市内では、まだ屋根や歩道にも雪が残っているが、

 会員や会友各位には、お元気で、ご活躍のことと思います。

 会員山野さんの新しい金沢市政も、会員や会友が期待する中、スタートしている。

 歴史に学び、政治を憂い、時をつなぎ、人を想い、心をつなぐ…。山野さんの当選も祝し、

 激励の場にもしたいと、金沢龍馬会、新春恒例の懇親交流会は2月6日(日)午後3時から、盛会に、開催された。

 ◇とき 2011年2月6日(日)
      午後3時から午後5時

 ◇ところ 
      金沢市本町1-3-32 金沢駅 東口 徒歩3分 りファーレ隣
          「桜はなび」にて。

 出席は、山野 福井 染谷 紺谷(会友) 徳田 蛭子 宇賀 加茂 不破 東 加茂 杉浦 佐藤

 今村 小屋友人の牧野 室岡 国友 島津(会友) 山田友 小屋 中川 武内 福野、

 初めての出席は、加茂さんの友人の大野と大家、それに室岡さんの友人の杉山、国友さんの奥さんら。

 駅前で、初めての会場は、龍馬会ののぼり旗も飾られ、会の冒頭、副会長の山田さんから、「龍馬の銅像は

 差し上げられませんが…」と、全員にミニ龍馬も配られて、いい雰囲気で始まった。

 はじめに、武内会長は「創設8年を迎える金沢龍馬会、会員の日頃の活動の成果が具体的になってきました。

 (能登羽咋の)「港の駅 たき」は、事務局長の地域興しの苦労のたまもの。山野さんは金沢市長に当選され、

 それぞれに期待すること大です。龍馬に笑われることのないよう切磋琢磨、なお一層交流を深めて一人ひとりが

 道を拓いていきましょう…」と挨拶。続いて、中川顧問の音頭で、乾杯。

 しばらくして、5日富山龍馬会の講演会、「大政奉還と龍馬・慎太郎」に出席された佐藤さんから、

 龍馬が、勝海舟に入門した文久2年頃から始まり、大政奉還、そして、近江屋で暗殺されるまでを

 慎太郎のあゆみなど、概要を報告して戴きました。

 ほぼ全員が揃ったところで、各自、ユーモアも入れながら自己紹介。桜花火の社長山下さんやシェフの心のこもった料理に、

 久々に会った会員は、それぞれ積もる話や「今一度日本をせんたくいたし申候」という坂本龍馬の思想、

 志についての忌憚のない意見など、風論談発が続いた。

 途中、会員で、金沢市長の山野さんも見えて、拍手で迎えた。「皆様のお陰さまで、当選することができました…」と

 喜びの挨拶。で、事務局長提案、山野さんの顧問推挙も全員の拍手で了承した。このあと、杉浦さんによる

 記念撮影もして、山野さんも交えて、歓談が続いた…。

 開会からたっぷり2時間、金沢市長選挙の話など尽きなかったが、午後五時、山田副会長の一本締めで締めくくった。

 なお、加茂さんの知人で、今回はじめて、交流会に参加された中野さんが、新たに会員になられたのは、

 何とも心強く、会員や会友と共に今後の活躍を期待したい。

 中川、武内、山田さんから、お酒など差し入れを戴きました。有難うございました。

 次回は、春の花見懇親会で、四月(3日予定)に、金沢浅野川界隈で、越前、富山龍馬会に呼びかけて

 合同懇親交流会も検討したい。今回、止むを得ず、参加できなかった方も、.新たに会員になりたい方を

 是非御誘いの上、参加されることを期待しています。

 当日、北陸、金沢や能登を旅している方の飛び入りも歓迎します。
                        2011 兎年2月7日 (ふ)

 なお、杉浦会員の撮影による記念写真は、出席された会員各位にお送りししてあります。

 2/6  2011年会費納入 会員  加茂
        々         新会員 中野雅弘
 2/14   々         会員  恩地
 2/24   々          新会員 島津宇亨

 なお、年会費未納の方は、金沢龍馬会 口座番号 : 金沢中央郵便局 00780-5-38627 へ振りこんで下さい。
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 大阪龍馬会から、坂本龍馬を中心に彼の出来事や、手紙を書いた日、友人達との会談、そして

 様々な事件・・・。坂本龍馬がこの日何をしていたか?龍馬の365日が分かる資料的価値のある

 特製カレンダーを発売中の案内がありました。一本1500円で、送料は本数に限りなく500円。

 カレンダーには付録として、A4判で22頁の人物と事柄の解説書も付いている。

 申し込み先は
     〒573-0084 大阪府枚方市香里ヶ丘12-28-17
   電話 072−853−9669 FAX 072−896−5260
   メールでの問い合わせは koyomi@osakaryomakai.com
   ホームページ http://osakaryomakai.com/reki-2010.html

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 新年明けましておめでとうございます。
益々果敢に諸事に取り組まれているようで、嬉しく拝読させていただきました。

 全国龍馬社中も会員の数から質(活動実態と龍馬精神等)への転換をはかりつつネットワークへの充実を更に努めてまいらなくてはなりません。

 お互いに交流を通じ刺激と学びを享受できる組織を目指して参りたく願っております。

 貴会の益々のご隆昌を心よりお祈りいたしております。
        一月二日 全国龍馬社中 専務理事 宮村耕資
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 知っちゅう
龍馬短信 
  ○ 鹿児島天文館前に、龍馬お龍銅像がお目見え(9月19日)
  ○ 龍馬像、函館の龍馬記念館前に(11月14日)
  ○ 「縁台の龍馬像」、高知の生れたまち記念館前に(11月15日)
  ○ 勝海舟設計の「楠葉台場跡」(大阪枚方市)が、国史跡に(11月19日)
  ○ 脱藩赦免ゆかりの下田、まどが浜海遊公園に、龍馬像(11月28日)
  ○ ドラマ「JIN−仁−」(TBS系列)、12/27 28 19時から再放送
  ○ ドラマ「龍馬伝 総集編」、12/29 30 21時から放送
                            龍馬速報(大阪龍馬会)から
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「港の駅 たき」、準備中!

【金沢龍馬会の入会について】

【東風に吹かれて】

   知っちゅう?
「大政奉還と龍馬・慎太郎」講演会、盛況!
〜富山龍馬会から〜

 お隣り越中富山の富山龍馬会で、下記の要領で「富山龍馬会講演会」が開かれた。

◇日時  平成23年2月5日(土) 15:30〜17:00
◇場所  富山市民交流館
         富山駅前CiC3階 学習室1〜3  076-444-0640 

◇講師  岩ア義郎(龍馬研究会会長)
◇演題  「大政奉還と龍馬・慎太郎」
         〜銃か、言論か−龍馬と慎太郎の考え方と行動を追う〜
◇参加費  無料

  金沢龍馬会の佐藤さんが、きのふ5日(土)、開催された講演会に出席したので、以下その報告の概要です。

 参加者は富山龍馬会の会員を中心に30名でした。講演は、龍馬が勝海舟に入門した文久2年頃から始まり、

 大政奉還、そして、近江屋で暗殺されるまでを慎太郎のあゆみと共に、参考資料を基にお話いただきました。

 現在、岩ア会長は中岡慎太郎について研究中とのこと、会長の慎太郎への評価は高く、お話からは、

 昨年放送のドラマ「龍馬伝」で熱血な好青年として描かれていた慎太郎のイメージはそのままです。

 慎太郎は勉強家で、当時としては海外の情報にも明るく、論文にワシントンの名前を載せたりしているぐらいです。

 また、三条実美と岩倉具視の関係づくりに貢献したことを高く評価されていました。表舞台の龍馬に対し

 黒子の慎太郎といった感じでした。なお、富山龍馬会の大塚事務局長が、皆様によろしくお伝え下さい、とのことでした。

 明日開かれる金沢龍馬会の新年懇親交流会で、その他、報告してもらうことになっているので、期待しよう。

                           2011 2 5(ふ)
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「港の駅 たき」、準備中!
【東風に吹かれて】

  知っちゅう?
恒例の芋煮会、風論談発!
〜金沢龍馬会 回天創生塾から〜

 霊峰白山や立山連峰も冠雪。ダイコンや白菜、ニンジンなど冬野菜の取り入れが始まり、大根や

 蕪すしなどの漬け込み。もはや冬支度へまっしぐら…。能登沖では寒ブリ、富山湾では紅ズワイの水揚。

 鰤起こし、雷さまのお出ましで、荒れ狂う能登の海では、鰤で活気付き、岩のり採りも始まっている。

 会員や会友各位には、その後もお元気でご活躍のことでせう。

 山野さんの新しい金沢市政も、会員や会友が期待する中、スタートした。

 ところで、師走11日(土)11時半から、事務局のある回天創生塾で、恒例の芋煮会を開いた。

 囲炉裏では、南部鉄の大鍋に、白山麓尾口の炭火。趣旨は、龍馬のいう「何の志もないところに

 くずぐずして日を送るは実に天下の大馬鹿ものなり」、龍馬をいかにして越えるか、疲弊している地域、在所起しがテーマ。

 歴史に学び、政治を憂い、時をつなぎ、人を想い、心をつなぐ…。芋は会長の武内さんが

 越前大野から求めてきた上庄の芋。豚は能登産、キノコは回天創生塾の歌人吉永君。白菜やネギなど

 野菜は「日曜テント市」で、二年頑張って来たおねぇらの手作り。能登の潮風に当たった天鼓米のおにぎりなどを

 摘みながら、「今一度日本をせんたくいたし申候」という龍馬の思を巡って、とことんまで風論談発が続いた。

 参加した会員は、武内、佐藤、福井、蛭子、回天創生塾からは折戸利弘、平木の面々。

 残念ながら、副会長の山田、国友、小屋さん、羽咋市議の横山君から、予定も出来て、欠席の旨連絡あり。

 また、羽咋で、午後、無農薬農業塾を開講した高野君や弘前の木村博士はやむを得ない事情があったのだろう、

 姿を見せなかった。話は北の大地、樺太や北海道をはじめ、仙台、越後、越前、土佐高知等々いろいろな分野に広がり、

 それぞれ忌憚のない意見も述べ、楽しいひと時だった。回天創生塾から羽咋大町の御祖酒造の蔵で醸した

 「ほまれ」を出したが、差し入れは、阪神ファンに堪らないという能登飯田の「虎の涙」、鳥取は倉吉で醸した

 「待ッテタヨ」などの焼酎や小樽ワイン、柚子、野菜、柚子味噌など、皆さんから戴いたので、一言御礼申し上げます。

 なお、金沢龍馬会の新年懇親交流会は、年が明けた2月初旬に予定しています。

 詳しいことが決まりましたらお知らせします。

                            2010 12 11 (ふ)

「港の駅 たき」、準備中!
【東風に吹かれて】

   知っちゅう?
龍馬ファン当選したぜよ!

 山野君、金沢市長に当選!
〜金沢龍馬会から〜

 多選、6選を許すか、刷新かと注目された金沢市長選。金沢龍馬会の会員で、前市議の山野之義(48)君が、

 現職の山出保(79)を破って初当選した。やはり、金沢龍馬会の会員で、若手の市議不破君らの奮闘がある。

 任期満了、多選反対か否かが争点の金沢市長選挙は11月28日、投開票が行われた。

 結果は、山野君が、5万8204、現職の山出は、5万5840票と、金沢龍馬会会員の山野君が初当選した。

 過去2回の市長選挙で20%台と低調だった投票率は、35.93%と前回より8.54ポイント上回った。

 立候補したのは、いずれも無所属で、コンサルティング会社代表の米村照夫(71)。社民党、国民新党、

 それに民主党県連、自民金沢支部が推薦する現職の山出保(79)。自民金沢支部推薦の前金沢市議の

 山野之義(48)。共産党が推薦する党金沢地区委員長の黒崎清則(62)。元自営業の沖野正憲(63)の5人。

 今回の市長選挙は、6選を目指す現職の山出と、多選反対、市政刷新を訴えた山野君の事実上の

 一騎打ちだった。それにしても、自民党は、お粗末、二人を推薦する愚を犯した。政党政治の基本が、

 全く分かっていない。多選反対という党是の民主党とて同罪だ。

 玉井会員から。我が龍馬会から市長選出!金沢市民も割合革新的な面があるのには驚いています。

 30歳も若返るこれからの市政、これだけでも役人には緊張感が走るのでは?その行方に注目したいですね。

 加茂会員から。当確が流れた時は思わず娘とガッツポーズしてしまいました!これから大変な重圧の中での

 市政のお仕事が待っているでしょうが、ぜひ頑張って頂きたいと思います!でも、今までのように龍馬会来れるかなぁ…?。

 5期20年、多選の弊害、淀んだ金沢市政、投票率が上がったとはいえ、半分以上の市民が投票に行かず、

 「市政への無関心」が蔓延している。県都金沢も石川県も全国に例を見ない定例会見のない唯一の県だ。

 市民への情報発信を重視し、無関心を一掃することも新市長の役目だ。山野には、山出支援に回った市議は多く、

 今後の議会運営は厳しいものが予想される。障害をはねのけて「市政刷新」を実行できるのか。これから

 手腕が問われることになる。「何の志もないところにくずぐずして日を送るは実に天下の大馬鹿ものなり」

 (慶応元年 姉乙女・乳母おやべ宛の龍馬の手紙から)。龍馬ではないが、淀んだ金沢市政の洗濯、「金沢の洗濯!」、

 金沢龍馬会員の市長山野、市議不破君らの今後の活躍を期待したい。

 1987年、慶大文学部卒。ソフトバンクを経て、95年の金沢市議選で初当選。4期15年市議を務め、副議長などを歴任。金沢市出身。

 年が明けた二月に予定している新年懇親交流会、彼らの叱咤激励の場になろうが、会員や会友ともども楽しみにしたい。
                      2010 11 28(ふ)

 南の大地、肥後熊本、大牟田市の「有明龍馬会」の幸田さんから、誠におめでとうございます。全国には

 市長・議員をされてある方もたくさんおられます。連絡を取られて、市政運営に参考にされる事をお勧めいたします。

 本当におめでとうございます!なんて、お祝いのメッセージが届いた。深謝。
                      2010 11 30(ふ)

「港の駅 たき」、準備中!
 
【東風に吹かれて】

 盛会!秋の懇親交流会
〜金沢龍馬会から〜

 秋も深まり、冬の足音も聞こえ始めた。各位にはその後もお変わりなくお元気で、ご活躍のことでせう。

 15日は龍馬の誕生日であり、命日。今夜は、京都で、提灯行列が行われ、金沢龍馬会の

 佐藤さんも参列した。また、土佐室戸市では、地元の青年会が、坂本龍馬などをテーマにした幕末の群像劇を披露した。

 大勢の地元の人たちが見守る中、2時間近くにわたる創作劇は、龍馬が奉行所の役人に襲われた

 京都の旅館・「寺田屋」を舞台に龍馬や中岡慎太郎ら幕末の志士たちが、当時の身分制に憤って

 海外に渡る計画をするというストーリー。20年前にも一度、上演されたが、龍馬ブームに合わせて、現代風に

 リメークしたという。地元の会社員や小学校の教師らは、仕事が終わったあと1か月にわたって練習を

 積み重ねてきたとあって、熱のこもった演技に目頭を押さえる観客の姿も見られたという。

 明日は北の大地、函館市の北海道坂本龍馬記念館で、高さ3・5メートル余りの龍馬像の除幕式があると聞く。

 天を指さす勇ましい姿の龍馬がお披露目される。龍馬本人は北海道に足を踏み入れていないが、

 北海道開拓を目指した龍馬の精神を伝えたいと、坂本家9代目当主の坂本登さん(73)らが企画した。

 ところで、金沢龍馬会の恒例の秋の懇親交流会、11月13日(土)に開催されました。出席は、

 越前龍馬会から前田事務局長をはじめ、西村、竹下、林の4名、金沢龍馬会の不破、福井、今村、蛭子、

 宇賀、中田、杉浦、山野、国友、玉井、小屋、山田友 武内、福野。また、会友では野々市町議で、

 来春の県議選に出馬する野村、初めての飯倉、常連の北川、小坂、紺谷、島津の面々。

 ◇とき:11月13日(土)午後3時から6時

 ◇ところ:金沢野町、青柳(金沢龍馬会員)にて
       (野町APAホテル前)

 初めに、武内会長は「地元高知で無名だった龍馬、昭和の始めに桂浜に龍馬像を建立した青年有志達は

 凄いです。『春雨じゃ濡れて参ろう!』、京都で活躍したとのことで、半平太が圧倒的に有名でした。

 自分の高校時代、桂浜で相撲を取っていても銅像に興味がなかったです。今では龍馬を知ることで、

 ジョン万次郎の功績も高知で再評価されている様子。更に、研鑽を深めていこう」と挨拶。

 続いて、来賓で、越前龍馬会の前田事務局長から「越前龍馬会は、来年結成10周年を迎えます。

 近いので、連携をより深めていきましょう」とあいさつあり、各自自己紹介。

 乾杯は前田さん、「金沢、越前龍馬会の益々の発展を期して乾杯」と、全員で気勢を上げた。

 そして、副会長山田(友)さんが、前回の総会でも報告された「幕末の加賀藩勤王家安達幸之助について」、

 「大村益次郎と交流のあった安達幸之助をはじめ、小川幸三ら加賀藩にも気骨ある勤皇の志士がいた…」と、

 講演。山田さんは、今後も幕末の研究を続けたいと締めくくった。その努力、今後の活躍に大きな拍手が沸き起こった。

 また、会員で、多選反対を掲げて、金沢市長選に挑戦する金沢市議の山野さんが、熱い胸のうちも披露した。

 料理は解禁されたばかりの香箱かにやズワイカニが盛り沢山、「今一度日本をせんたくいたし申候」という

 龍馬の熱い志をめぐって、時間を忘れて大いに風論談発。会員の市議不破君は「40人の市議の中で、

 わずか5人が山野さんの応援で、日増しに支援の輪が広がりつつある」と、市長選のひとくさり。

 中には、いつまでも会友ではあるまい、早く会員になって皆と研鑽したらどうかとの声も上がった。

 途中、この日京都へ町内会を引率していた越前龍馬会会長の牧田さんから、お祝いの電話も入った。

 話題が尽きず、宴たけなわであったが、小屋さんの中締めで、ひとまず〆くくった。

 差し入れは、越前龍馬会、武内、山田友からお酒や焼酎などをいただいた。深謝。

 帰りは、武内会長が土佐高知の兄夫妻から送っていだ戴いた龍馬のカレンダーが、皆さんに配られた。

 全国社中の橋本会長ではないが、「龍馬は眺めているだけではいけない。追い付き追い越すことに意義がある。

 地域に何ができるか龍馬の精神で考え実行していこう」。来年の全国大会は土佐高知。さ来年の秋は、

 龍馬ゆかりの山口下関です。次回は、犀川河畔での春の花見会。向寒の砌、ご自愛を。
                           2010 10 13(ふ)

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【東風に吹かれて】

  地域に勇気!、「全国龍馬ファンの集い」
〜岩手 巌手一関龍馬会から〜

  みちのく岩手。幕末の英雄、坂本龍馬を愛するファンが、その魅力について語りながら交流を深めようと全国大会が

 一関市で始まった。大会は国内外で活動する龍馬ファンの団体が年に一度集まって交流を深めるもので、

 今年で22回目を迎えた「全国龍馬ファンの集い」は東北地方で開かれるのは初めて。

 一関市の文化センターには北海道や九州、中国の大連から、併せて40団体、龍馬ファン400人が集まった。

 午後二時から、地元岩手の県知事達増拓也、土佐高知の知事尾崎正直らが出席して開会式が行われ、

 龍馬が生まれた高知県知事の尾崎は、「地域、年齢を問わず浸透している龍馬ブームを

 一過性のもので終わらせないようにしたい」とあいさつ。このあと、初日のけふは、京都や長崎など

 龍馬ゆかりの地から坂本家の子孫や研究家を招いて、龍馬についてのパネルディスカッションが行われた。

 この中で、龍馬一族の末裔、坂本登さんは、「少年時代の龍馬に 大きな影響を与えたのは、姉の乙女よりも

 外国の知識が豊富だった継母だったのではないか」と述べた。

 また、全国龍馬社中の橋本会長が、「龍馬は眺めているだけではいけない。追い付き追い越すことに意義がある。

 今回は初めて知事2人が参加した。地域に何ができるか龍馬の精神で考え実行していこう」とあいさつ。

 次期開催地の高知市に大会旗が引き継がれた。全国大会に引き続き行われたパネルディスカッションには

 市民を含め600人が参加。長崎龍馬会龍馬楽校の柴崎賀広校長が「龍馬の死後、戊辰戦争が起きた。

 龍馬が生きていたら戦争のやり方は変わり、東北の農民が兵士に駆り出されることもなかったかもしれない。

 そういう意味で、龍馬と東北の関係を考えた」と話し、会場が沸いた。今夜は、懇親交流会。多くの市民も

 参加して北上コロッケや盛岡冷麺、一関のいわて南牛串焼き、気仙沼ふかひれスープなど「岩手の味」を肴に、

 懇親交流を深めた。大会は明日11日も行われ、3つのグループに分かれ、中尊寺や日本三大渓・猊鼻渓舟下り、

 宮沢賢治と石川啄木ゆかりの地などを訪ねる。

 また、前日に開かれた役員会では仙臺(せんだい)龍馬会の設立を承認した。

 なお、一関市内では、大会を盛り上げようと3日、映画愛好家が集う「竜馬暗殺」を上映。市立一関図書館は

 龍馬に関心を持ってもらおうと、小説のほか解説本、児童書など80冊をそろえ「坂本龍馬展」を開いている。

 龍馬展は10月17日まで。
                            2010 10 10(ふ)

 「港の駅 たき」、準備中!
 
【東風に吹かれて】

全国龍馬社中、改革要!
〜近畿北陸ブロック会議から〜

 龍馬の婚約者で、生涯独身を貫いたとされる千葉佐那(さな 1838 〜1896)が、実は結婚していたとする

 明治の新聞、新史料が見つかった。生涯「独身」を貫いたとされる通説を覆す新説だ。結婚に触れているのは

 107年前の新聞記事。明治期に横浜で創刊された毎日新聞の1903年(明冶36年)8〜11月連載の

 「千葉の名灸」。佐那が、晩年、千住(東京足立区)で営んでいた灸冶院の来歴を描く内容で、佐奈の親族に

 取材して書かれた。1873年(明治6年)に横浜に移り住んだ佐奈。佐那の父親は「北辰一刀流」を開いた

 千葉周作の弟、定吉。定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士山口菊次郎から求婚され、

 暗殺された龍馬の七回忌も済んだことから受諾、1874年(明治7年)7月に結婚したという。

 しかし、菊次郎は佐那の幼なじみに思いを寄せるなど多情で、10年たたずに離縁。その後は再婚しなかった。

 故司馬遼太郎のコラムなどから独身説が広く知られており、通説を覆す内容だ。なぎなたが得意だっという

 佐那の墓は甲府市の日蓮宗清運寺内にあり、「坂本龍馬室」と刻まれている。甲府龍馬会甲斐援隊では、

 毎年、小学生から一般女子剣士の活躍を願って、佐那記念剣道大会を開いている。

 ところで、梅雨の真っ只中、小雨の降る7月3日(土)、午後三時半から京都伏見の龍馬通りの「かき仙」で、

 近畿北陸ブロック会議が開かれて、出席したので、概要をご報告します。

 出席は、高知の全国龍馬社中から副会長浜口、京都龍馬会のお龍、大阪龍馬会の林、浪速龍馬会の竹原、

 兵庫龍馬会の楠本、祇園龍馬会の片岡、伏見龍馬館の南条、越前龍馬会の牧田、前田、金井、金沢龍馬会の福野が出席。

 はじめに、ブロック長で、越前龍馬会の牧田会長から「今春の全国龍馬社中役員総会で、事務運営負担金

 (会費 既報)をお願いする旨、決定に至り、ご協力頂きたいとの要請あります‥」。また、「日本ウォーキング協会

 贈呈のCD販売依頼にも、1龍馬会25枚割り当て(@300円×25枚→7500円)についても、ご協力を

 お願いしたい旨の要請がありましたので、ご検討いただきたい」と挨拶。

 ついで、元高知県庁龍馬会会員で、現全国龍馬社中副会長の浜口収さんが、「去年の南国市での全国大会は

 大変盛り上がり、高知は空前の人出です。去る6月16日、オランダで、社中の橋本会長ら高知から八人が参加して、

 海外八つ目の龍馬会が結成された。今月21日には台湾で、龍馬会が、8月には中国の大連で、

 結成されると聞いています」と、挨拶。

 このあと、会費の件について、浜口さんは「事務局については、これまで、費用など高知市にお願いしてきたが、

 それもままならず、現在『ホテル南水』(龍馬の屋敷跡)さんに世話になっていますので、何とかしたいということで、

 提案しました」と報告。

 この後、質疑に入り、金沢龍馬会から「会費の3000円は概ね了解できるが、決定に至った経緯が不可解、

 脱藩との強硬意見もあり、ブロックに降ろして検討すべきではないか。話は逆である。会計監査もどのようにするのか」と指摘。

 これに対して、浜口さんは「役員会を何度も開いて検討した。払わない会には、今のところ、除名はしない方針。

 何とかお願いしたい‥」と答えた。このあと、牧田さんが、各龍馬会の意向を確認したところ、大半は会費は妥当、

 CD販売協力は出来ないとしたものの、兵庫や福井龍馬会は両方とも支持するとした。ここでも問題を残した。

 社中から送られてきたブロックメンバーの数も何を根拠に算出したのか可笑しいですね、と。

 例えば、CDを作った友誼団体という日本ウオーキング協会が、内部に龍馬会があるが、各県の龍馬会に

 支援を要請したとの話も聞いてない。どこでも同じことだが、組織が大きくなればなるほど、本部社中の役員の責任は

 大きいといわざるをえない。各ブロック代表による検討委員会を設置して、今後の対策を練るべきではないか。

 でないと、組織は膨らむが、まとまった行動は出来ないと思う。

 次いで、各龍馬会からの報告。京都は11月13日提灯行列や講座の寺子屋龍馬は引き続き開催。祇園は、

 出来たばかりで、特に活動はないが、子供たちに自然の楽しさを教える活動をしていきたい。福井は、三国祭りで、

 会長や両副会長、理事会員14名が山車の引き手や龍馬やお龍役に扮して参加。又越前時代行列では、

 松平春嶽隊として、龍馬やお龍、横井(小楠)、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文を書いた由利公正)に扮して、

 全行程1.8K練り歩いた。来年は結成10周年を迎えるので、龍馬サロンの開設や龍馬の歌碑建設を検討している。

 浪速は、畑を借りて子供たちに農業体験を実施、今年は歴史講座を開設したい。

 大阪は、龍馬大学校の開設、兵庫は、子供向けの龍馬の紙芝居を作り、冊子やCD製作もした。金沢からは、

 東山の「龍馬博物館」や総会でのミニ講演開催などを報告。

 その他について。社中は龍馬検定を実施したが、結果について明らかになっていないと質したところ、ニッパンの

 予想4000人に対して1300人と散々たるさまで、今年も実施するとか。これも問題だ。

 また、社中協賛で、ウオーキング協会が実施している各地のウォークラリー。京都〜福井の龍馬ウォークラリーについても、

 概要が今ひとつつかめていないと牧田さんはいう。

 このあと、懇親会に移ったが、社中の役員は各龍馬会の知らないところで、決まったりしているが、

 ブロックの推薦の中から選んだらと言う忌憚のない意見も出た。

 更に、ブロック会議は、京都に固定せず、ブロック内で、足腰を強くするために回り持ちにするとかの意見なども出た。

 龍馬通りにある、四代目伏見龍馬館館長の南条良夫さん(80)から、龍馬が襲われた「寺田屋」事件について、

 お龍の機転で、薩摩藩の「伏見藩邸」から、龍馬が身を隠していた材木小屋まで、元帥大山巌の兄、

 大山彦八も船で救いに来たという話も披露されたこと。また、米国などキリスト国家で、血眼で捜している

 「天下のお尋ね者」オサマ・ビンデランも、見方を変えれば、当時の新撰組が龍馬を探していたことも同様ではないか

 という見方は特筆されよう。

 今回、出席して、感じたことは社中橋本会長のこれまでの功績は認めたいものの、事務局体制が、

 しっかりしていないので、いろいろなところで、問題が起きていると痛切に感じた。一日も早く何とか解決したいと思う。

 余談だが、先の寺田屋事件が起こったのは、1866年(慶応2年)1月23日の未明で、龍馬が尽力したとされる

 「薩長同盟」が締結された翌々日のこと。この時点では、まだ幕府側が薩長同盟の事実を知る由もないが、

 龍馬が長州の桂小五郎と組んで何かを企てているというのは察知されており、天下のお尋ね者となっていた。

 21日、京都二本松薩摩藩邸で、薩長同盟の締結を見届けた龍馬は、翌22日夜、三吉慎蔵の待つ

 寺田屋に戻ってきた。寺田屋に入っていく龍馬の姿を幕吏は確認していたのかもしれない。

 事件は23日の午前3時頃のことだが、幸運だったのは龍馬と三吉が薩長同盟の祝杯だったのか、

 床に入っていなかったことだ。お龍の機転もあって、襲撃までに未然に察知し身を整えることができた。

 寺田屋を取り巻いた幕吏は50人とも100人とも言われる。いくら手練の二人であっても、寝込みを襲われたり

 不意をつかれたらひとたまりもない。この幸運が、龍馬をあと1年10カ月の間生かすこととなる。

 龍馬はこの襲撃の際に、左手の指に傷を負った。この傷は重傷で、生涯負傷した指は自由がきかなかったという。

 この負傷は最初にあびせられた太刀を左手に持っていた拳銃で受け、その際に負ったものだという。

 その後も終始拳銃で応戦して、この北辰一刀流免許皆伝の腕を持つ龍馬が、応戦中一度も刀を

 抜くことがなかったと、三吉の日記に記されている。このエピソードが、のちの物語などにある龍馬の刀に対する

 姿勢のイメージを作ったものだろう。からくも寺田屋を脱出した二人だったが、龍馬は数日前から風邪をひいていて

 熱があり、負傷した指の出血多量による極度の貧血も重なって動けなくなった。やむを得ず材木小屋に潜んだものの、

 もはや逃げられないと考えた三吉は、ここで潔く切腹して果てようと龍馬に進言する。しかし、龍馬の考えは違った。

 「三吉慎蔵日記抄録」によると、寺田屋から500メートル離れた西浜の材木小屋。

 三吉慎蔵が「もはや逃げ道はない。敵の手にかかるより切腹して果てよう」と告げると、龍馬は「死は覚悟のうえ。

 君はこれから薩邸(伏見藩邸)に走ってくれ。もし途中で敵に見つかればそれまでだ。僕もここで死のう」と答えたという。

 このとき、龍馬は出血多量だったに違いない。三吉が意を決して伏見藩邸に駆け込むと、既にお龍が先に

 危急を知らせていた。お龍の急報を受けたのは留守居の大山彦八(成美、大山巌の兄)だった。お龍から

 事情を聞いた大山が龍馬を探しに行こうとしていたところに、三吉がやってきたのである。

 「(2人の)行方がどうなったかと心配しているところだった。これから坂本を無事に連れ帰ろう」。大山は

 力強く請け負い、2、3人の配下を引き連れ、藩邸前の運河から薩摩藩の旗印を掲げた船を出した。

 今年は「寺田屋」は、観光客で一杯とか。去年、この辺りを歩いてみたが、材木小屋は数百メートル離れた

 運河の船入り沿いにあった。

 大山たちは龍馬を発見して、無事藩邸に連れ帰った。三吉は日記に「一同閧然(こうぜん)、愉快の声を発す」と

 そのときの喜びを書き綴っている。

 しかし、伏見奉行所は藩邸に龍馬たちを引き渡すよう要求して来ており、安心できなかった。だが、大山は

 「そのような者は邸内にいない」とはねつけた。京都の二本松藩邸で、急を聞いた西郷隆盛は一小隊の兵士と、

 龍馬の傷の手当てのため、藩医で外科医の木原泰雲を差し向けてくれた。

 龍馬たちが伏見藩邸に匿(かくま)われたのは29日までの5日間。2月1日、西郷の命で龍馬たちは

 二本松藩邸に移されることになった。負傷した龍馬は駕籠に乗せられ、お龍は大山が用意した袷(あわせ)と

 袴を着て男装し、銃を担いで兵士に混じって同行。お龍がお歯黒をつけていたので、薩摩の兵士たちが

 覗き込んで、「お公家さまだ」とからかったと、お龍は回想している(「千里駒後日譚」(明治32年、土陽新聞掲載)。

 それから1カ月後、龍馬夫妻は家老の小松帯刀や西郷吉之助、中岡慎太郎、三吉慎蔵らと薩摩藩船「三邦丸」で

 大坂を出港した。1887年(慶応三年)3月4日大坂を発って、8日には「三邦丸」は長崎に入港して、

 龍馬は、お龍と近藤長次郎の墓参りをした。6月4日、「桜島丸」で、薩摩鹿児島を出るまで、承知のように

 霧島連山高千穂の峰に登り、周辺の温泉や景勝地を訪ねて、保養に専念した有名な日本で初めての新婚旅行だった。

 今回、出席して、龍馬の志とは、一体何だったのか、各龍馬会の力で、理不尽なことが多い社会や

 龍馬社中を変えて、行くべきではないかと改めて思った。

 蛇足だが、明治維新の立役者ながら、政府内での意見対立から下野した西郷は西南戦争に決起するまで

 その思想や哲学を私学校の生徒らに教えた。山形の旧庄内藩の有志がまとめた「南洲遺訓全41条」、「命もいらず

 名もいらず、官位も金もいらぬ人はしまつに困るものなり。このしまつに困る人ならでは艱難(かんなん)をともにし、

 国家の大業はなし得られぬなり」は有名なくだりだ。
                        2010 7 4(ふ)


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「港の駅 たき」、準備中!
【東風に吹かれて】

   総会、6月26日(土)盛会!
〜金沢龍馬会から〜

  このほど、ドイツやフランスに続きヨーロッパで3番目の龍馬会、海外では8番目。全体で138番目の「龍馬会」が

 オランダで発足した。橋本邦健会長をはじめ海外ブロック長の野島さんらが、発会式に参加されたそうです。

 来月には、台湾に龍馬会が発会するが、発起人は、元総統李登輝(87)。「龍馬の『船中八策』は、内戦をせずに、

 日本を平和裏に開国し、欧米列強に負けずに日本を発展させていくことを第一に考えていた。龍馬は地方だったからこそ、

 出てきた。江戸なら出てこなかった。地方の声を聞くことはとても大事。田舎・地方の人民の声を聞いてこそ、

 政治改革ができる」など、度々来日して日本に激を飛ばされた。

 日本の龍馬会も、恥をかかないように、もっと元気を出さないと駄目なようですね。

 ところで、金沢龍馬会の総会ならびに懇親交流会は、小雨の降る6月26日(土)、金沢犀川河畔の「鰯組」にて、

 開催されましたので概要をお知らせします。

 ◆場所 金沢 鰯組 金沢市片町1−7−13

 ◆14時半から15時半 総会

 ◆15時半〜17時半 懇親交流会 

 出席したのは いつもの会友の北川や小坂、初めての紺谷、太田、島津、 新会員の福井、青柳、玉井、

 恩地、杉浦、小屋、室岡、蛭子、宇賀、中田、不破、国友、中川、佐藤、山田、武内、福野。

 はじめに、司会進行の副会長山田さんが、顧問中川さんが、この度叙勲されたことの披露祝辞で開会宣言。

 これを祝って、全員で拍手で、総会は始まった。

 ついで、会長武内さんが「平成15年に結成されて7年、金沢龍馬会は八年目に入る。出会いの神、龍馬の目的、

 手段、条件を勉強して、龍馬に笑われないように精進しよう」と、挨拶。続いて、出席者は各自自己紹介した。

 この中で、中川さんから「馬との付き合いは50年、これからも馬事振興に精進したい」との謝辞。

 議題。事務局長から、この一年の活動報告(別紙 HP参)、会計(別紙)、近畿北陸ブロック会議のこと、

 日本一の桜並木を目指している秋のみちのく岩手、一関での龍馬ファン全国大会開催の件などを報告。

 また、龍馬社中へ年会費の上納の件は、額は一応了解できるものの、来る7月3日の近畿北陸ブロック会議の

 対応で決める、とのことで議題は全て承認された。

 なお、今期の会費納入は当日受付で、青柳 大島 玉井 恩地 杉浦 小屋 室岡 蛭子 宇賀 中田 不破 国友 中川 佐藤 山田 武内 福野。

 続くミニ講演。去る3月、土佐高知やゆ伊予松山へ行かれた中川顧問の「龍馬について学んできたこと」、

 この中で、「明治維新は最小の流血で、最大の改革を成し遂げた。世界史の中での奇跡といいえる。

 封建時代から近代国家への転換を実現した。明治維新は、Maji Restorayion(王政復古)というが、

 Maji Revolultion」と解釈したい旨力説した。

 また、副会長山田(友)さんは「幕末の加賀藩勤王家安達幸之助について」の中で、材木町の静明寺にある

 安達幸之助の墓から、村田蔵六(後の大村益次郎)との関連を調べたら、龍馬の墓がある京都霊山神社霊山に

 加賀勤皇志士として幕末に活躍した三人の墓があり、その一つが安達幸之助だった。安達は明治維新には

 益次郎と共に徴兵令や廃刀令、海軍兵学校新設などの立案に参画。明治2年京都の宿で、刺客に襲われ

 益次郎と共に倒れた。金沢の卯辰山にある豊国神社参道の千杵坂から三の坂を登ると右側に1872年(明治5年)、

 勝海舟の撰文による賛辞「勤皇家安達幸之助君之碑」と刻んだ御影石の碑がある。これからも勤皇派と

 加賀藩とのつながりを調べたいと説いた。

 この後、懇親交流会。「鰯組」の店主で、会員の東さんが「拉致された鶴来の高校期の安達俊之さんの救出に

 カンパ署名の協力をお願いしたいのでよろしく」と挨拶。

 遅れてきた金沢市議で、会員の不破君は「今、地方から日本を変えよう!という地方議員の動きがあります。

 ある地方議員が立ち上げたのが、龍馬プロジェクトです。全国をキャラバンでまわり、地域の「竜馬」を探して行きます」

 なんて一くさりして、あたふたとして、次の会合へ出て行った。

 懇親交流会は、国友監事の乾杯で始まり、龍馬をめぐり、いつものようにたっぷり二時間、テーブルを挟んで

 鰯料理を戴きながら、梅雨を吹き飛ばすように活発な風論談発が続いた。

 〆は室岡監事。差し入れは 焼酎日本酒や龍馬ティッシュなど武内 山田友 国友さんに深謝。

 「何の志もないところにくずぐずして日を送るは実に天下の大馬鹿ものなり」(慶応元年 姉乙女・乳母おやべ宛 龍馬の手紙から)。

 米軍普天間基地移設問題で、辞職に追い込まれた鳩山にもあてはまる。これは、龍馬から我々への叱咤激励でもある。

 止むを得ない事情で、今回の総会や懇親交流会に参加できなかった方は次回、一関の全国大会

 (10月24〜25)を前に開かれる秋の懇親交流会(10月初旬開催予定)には、これから入会したい方もお誘いの上、

 ご参加ください。また、この時期、北陸へ旅されている方もお気軽にご参加ください。お待ちいたしております。

 新たな出会いもありませう。

 最後に、事務局長が能登羽咋で、一昨年の暮れから展開している在所起こし「日曜テント市」から、

 今年の夏「港の駅 たき」のオープン予定について、会長挨拶の中で、触れて戴いたこと、また、副会長山田友さんが、

 資料を各位に配って戴いたことなどを付記します。深謝。
                             2010 6 26(ふ)

 輪島の中山(有重改め)さんから、会費納入あり。
年会費込み口座名: 金沢龍馬会 口座番号: 羽咋郵便局 00780-5-38627
                       2010 7 2(ふ)

 
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   「ながさき龍馬フェスタ2010」、盛会!
〜長崎龍馬会から〜

 長崎龍馬会の吉田さんから、19日20日開催されました「ながさき龍馬フェスタ「について、以下の様に

 報告がありました。

 19日は「長崎龍馬の道」3kmをさるきました。長崎市の田上市長、霧島市の前田市長(前の薩摩龍馬会会長)、

 高知市観光課、越前龍馬会をはじめ市民150人、及び前日島原を出発した元治元年に勝海舟と

 龍馬等がたどった道を歩いてきた人達も合流しました。

 長崎の市中心部は比較的狭いので、この3kmの周辺に如何に龍馬が関係した旧跡が多いかをあらためて

 思い知らされました。いずれも前述の龍馬が、元治元年(1864年)最初に長崎に来てから、翌年「亀山社中」を

 立ち上げ、「薩長同盟」の基礎を作り、次に後藤象二郎や岩崎弥太郎と組んで「海援隊」となり、「いろは丸事件」や

 「イカルス号事件」に遭遇し、最後には外国商社からライフル銃を1,300挺買い付けて、土佐経由京都に

 のぼる慶応3年(1867年)までの4年たらずの期間です。これらは7月18日からはじまる龍馬伝第三部で

 あきらかになるのでお楽しみにしてください。

 20日は朝から土砂降りで、集客に問題が有りましたが、室内で「なりきりコンテスト」、「音楽祭」、

 後藤象二郎役の青木崇高さんのトーキングがあり、室外では龍馬関連食品・グッズ・展示が行われました。

 展示には高知市や薩摩龍馬会、五島龍馬会が参加されました。なりきりコンテストはお龍に扮した島原の

 女性が実に色っぽく審査員の心をとらえグランプリを受賞しました。音楽祭は演歌、ロック、サンバ、フォークと

 ありましたが、千葉県在住の松尾貴臣さんがグランプリを受賞しました。

 今回のイベントは長崎龍馬会が中心でしたが、県や市、NHK、新聞社、JR、及びいくつかの市民団体が

 主体的に協力してくれ、長崎をあげての盛り上がりでした。
                   2010 6 21 長崎龍馬会 吉田。

 以下は、先にお知らせした「ながさき龍馬フェスタ2010」の開催要綱などを、お知らせした時のことです。

 この機会に、長崎の海を見続ける風頭公園に佇む龍馬の立像、港長崎で、種々の催しに参加され、

 丸山界隈などの散策。また、龍馬が、1864年(文久4年)、熊本から船で、勝海舟と初めて長崎へ

 足を踏み入れた島原へ足を延ばして、「島原湊龍馬館」を訪ねて見る。更に、亀山社中の「ワイル・ウェルフ号」が

 遭難し、龍馬も訪ねた上五島の龍馬ゆかりの地で完成する龍馬像などを見てくるのもいいでせう。

 長崎や島原、五島龍馬会の皆さんが迎えてくれます。

 なお、「幕末長崎古写真展〜龍馬と彦馬 維新のまなざし〜」開催中(5/31迄)の「長崎歴史文化博物館」から

 招待券二枚が、事務局に届いていますので、ご希望の方はお立ち寄りください。

 このほど、金沢の今村さんが、武内会長の紹介で、新たに会員に加わりましたのでお知らせします。

6月の総会で、ご紹介出来ませう。
                    2010 4 15(ふ)

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 懇親交流会、盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 金沢龍馬会の会員や会友各位には、その後も、お元気でご活躍のことでせう。

 北陸も、時は移ろい、花見の時期になり、能登は少し遅れるものの、兼六園も間もなく満開です。

 お互いに、龍馬のように元気を出そうと、今年も、「今一度日本をせんたくいたし申候」という龍馬、龍馬を慕う

 金沢龍馬会恒例の懇親交流会、花見会は4月3日(土)の午後、金沢、浅野川界隈で、開催された。

 宴会に先立って、午後1時に、内外の観光客が行きかう、浅野川大橋袂に集合し、恒例の花見散策。

 参加したのは、福井 吉崎 北川 杉浦 蛭子 国友 佐藤 山田(友) 武内 福野の10人。

 で、三〜四部咲きの浅野川沿いを散策、この辺りは、古くは泉鏡花の「義血侠血(滝の白糸)」の舞台となった

 風光明媚なところ。浅野川では、かつては友禅流しも行われていた。

 承知のように、石川県や金沢市の役人のずぼらで、2008年7月28日、堤防切り欠き部から浸水。

 付近一帯の住宅や店舗、マンションが床上、床下浸水し、駐車場の多くの車が、浸水。更に、

 大橋の下流まで水没するなど大洪水となった。堤防が閉鎖されていれば、被害の拡大は防げたが、

 被害は甚大、莫大となった。河川管理者である石川県は、堤防閉鎖の遅れによって、浸水被害が拡大したことは

 認めたものの、翌年3月の第三者委員会の検証が終わるまで、住民への説明も補償も行わないという姿勢。

 そのため、堤防切り欠き部の閉鎖の遅れによって、浸水被害を受けた近隣5町会の被災者が、

 「浅野川水害被災者の会」をつくり、県への謝罪や補償、今後の対策を求めて、石川県知事谷本との

 交渉をはじめたが、らちがあかず、裁判になっている。

 今なお改修工事が行われており、問題の水止めは、鍵がついた鉄で出来たのが取り付けられていた。

 そんなことなども振り返りながら、副会長の山田友さんの案内で、東山では、前田の馬鹿殿の失政で、

 起きた「卯辰山米騒動」で獄死した7人の霊を慰めるために建てられた7体の地蔵が並ぶ「七稲(なないね)地蔵」へ。

 寿経寺のお隣、まずは、副会長山田さんのお宅の玄関先にある龍馬像を見学。また、対面では長年こつこつと

 収集した「金沢龍馬博物館」へ。

 ここでは、珍しい龍馬ゆかりの書画や本、写真など数々グッズ、龍馬の水など、およそ3000点が、整理して並べられている。

 山田さんが、和紙に筆でしたためた直筆の龍馬の志の二幅などや新たに求めた資料に、武内さん差し入れの

 高知の塩けんぴや山田さんから出して戴いた茶やお菓子を戴きながら、木戸銭も払わず、ご好意に甘えて、

 史実に基づいた龍馬のDVDを鑑賞し、理解を深めた。

 深謝。このあと、昔のたたずまいが残る東山の界隈を歩けば、「どこからに」、「フレンチ」という、フランス人らに会い、主計町へ向かった。

 ♪土佐のいごっそ 坂本龍馬 維新の朝を見ないで散った 男のロマンが 
今尚残る 海鳴り吠える太平洋の 月に燦燦 月の燦燦 桂浜
               龍馬節 作詞:河方まさみ 作曲:翔白陽

 後に、花見の宴は午後3時から、浅野川大橋の袂、主計(かずえ)町、「空海」で、行われた。夫妻は

 金沢龍馬会会員で、女将さんが土佐高知出身。斎田ご夫妻も、快く迎えてくれて、今年の金沢龍馬会の懇親交流会。

 出席は、福井 杉浦 蛭子  国友 佐藤 山田(友) 武内 福野に会友の吉田 新たに会員宇賀 山野 

 そして、会友の北 吉崎 北川 名古屋から旅の途中の滝夫妻、西村夫妻が加わった。中田君は何故か無断欠席した。

 まずは、会長の武内さんが、「土佐では、おきゃくという宴を楽しくやろうぜよ、龍馬伝もいよいよ第二部、

 地元では土佐弁を知ってもろうて嬉しいけんど、ぜよ、ぜよと付け過ぎぜよ・・!」と、四万十川べりの

 大正町(現 四万十町)、ふるさとの土佐弁で挨拶。続いて、順に自己紹介しているところへ、飛び入りで

 馳代議士が、入ってきた。で、「金沢龍馬会の更なる発展を」と乾杯の音頭。しばし、懇談の後にもそれぞれ、

 自己紹介、龍馬脱藩の土佐高知の梼原、長崎五島の『ワイル・ウエフ号』殉難者145年墓前祭、

 秋のみちのく一関での全国大会等々の催しや日ごろの積もる話など。

 久々の懇親交流会、龍馬をめぐって、時間一杯午後五時まで、風論談発。

 中には、龍馬の許嫁でありながら一生独身を貫いた女性剣士、千葉佐那の人気が、龍馬をしのぎそうな

 “スピンオフ現象”が山梨県で発生している話も。甲府市の佐那が眠る清運寺の墓には連日、

 2000人近いファンが訪れたという。剣の腕が立ち、いちずに龍馬を思い続ける佐那の生き方が、

 心を揺さぶっているのかも。佐那の墓には「千葉さな子墓」と書かれ、裏側には「坂本龍馬室」の刻字。

 これは甲府市での自由民権運動の中心人物、小田切謙明が腰痛に苦しんでおり、甲府に演説で訪れた

 板垣退助に「(東京の)千住に腕のいい鍼灸師がいる」と佐那を紹介されたことが発端。小田切だけではなく

 妻豊次も佐那の鍼灸院に通い、その治療の際に龍馬のいいなずけだったことを明かされたという。

 1896年(明治29年)に佐那は亡くなり、東京・谷中の墓地に埋葬された。

 その谷中の墓地の区画整理計画が持ち上がり、無縁仏になることを悲観した豊次が、小田切家の

 菩提寺である清運寺に分骨し、「坂本龍馬室」とした墓を建てた。本名の「佐那」ではないのは、

 明治時代に「○○子」という女性の名前が流行したことに合わせたともいわれる。

 また、「龍馬の全国大会を金沢で開催したい」など、威勢のいい話も飛び出して、盛り上げた。

 最期は、会長の武内さん同様、越前龍馬会員でもある蛭子さんの一本締めで、再会や会の更なる活動を祈念して

 閉会した。差し入れは佐藤、北川、紐野さんから酒やワインの差し入れを戴きました。有難うございました。

 今回参加されなかった方は、6月の総会には、新たに龍馬会に入りたい方も誘って、ぜひ参加してください。
                                  2010 4 3(ふ)
                            
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【東風に吹かれて】

  『ワイル・ウエフ号』が、遭難してから、145年!

 龍馬が、1865年(元治2年 慶応元年) 、薩摩藩などの援助によって、龍馬と若者たちを中心に

 日本最初の商社といわれる亀山社中、その亀山社中の専用船『ワイル・ウエフ号』が、1966年4月28日、

 命名式と洋上訓練を兼ねて薩摩鹿児島へ行く途中、暴風雨に遭い、5月2日未明、江ノ浜郷潮合崎において

 座礁転覆、浦田運次郎他3人は救助されたが、船将黒木小太郎や池内蔵太以下10人が溺死した。

 当時、鹿児島で、傷の療養中であった龍馬は、亀山社中の一行と現地を訪れ殉難者の冥福を祈るため墓碑を建立した。

 『ワイル・ウエフ号』が、遭難してから、今年で145年を迎え、慰霊祭を行って、五島に龍馬像が建立された。

 お問い合わせ
       〒857-4211 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷2202
               五島龍馬会 事務局 荒木智資
               Tel/Fax 0959-42-2376 090-2504-6365

 上五島へは、佐世保や長崎からフェリーが出ています。300年のキリシタン禁教令の弾圧に耐えて、点在する教会等々‥

 この機会に五島列島への旅もいいです。九州の龍馬会のメンバーも歓迎してくれるでせう。
                           2010 3 17(ふ)

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【東風に吹かれて】

「激動の幕末、長崎」講演会、盛況!

 金沢市内で、けふ開催された「龍馬が愛した長崎」という物産・観光・文化展に、坂本龍馬と長崎のゆかりや

 幕末の志士たちがめざした幕末の長崎についてのトーク&コンサートが開催され、金沢龍馬会の中川、武内、山田友、

 小屋夫妻、玉井、佐藤会員や市民らで、限定70席の会場は満員盛況だった。講師の本馬貞夫さんの

 ユーモアあふれる話に、金沢ははじめだという永田斉子さん奏でる「月琴」の音色も織りまぜて、長崎の雰囲気に、

 出席した人たちを魅了した。

 ○会 場:金沢 香林坊大和 8階ロイヤルルーム
 ○日 時:平成22年2月27日(土)13:30〜14:30(開場13:00)

 ○テーマ:「龍馬が生きた時代〜激動の幕末長崎〜」
 ○ 講師 本馬貞夫さん
    長崎県立図書館の副館長を経て、県参与 長崎学研究家
        著書に「貿易都市長崎の研究」(九州大学出版会刊 6510円)など。

  本馬貞夫さんは、冒頭、「龍馬伝」で、長崎は燃えている。ドラマはドラマで、楽しく描いているでしょう。

 ところが、ご当地金沢では、加賀藩の御用絵師、九代梅田九栄も天保時代の長崎で、月琴を習ったと、

 梅田の残した「日記」を元に、当時の歓楽街、長崎の丸山で、いかに優雅に20日間、楽しく過ごしたことなどについて、

 金沢在住の末裔の梅田さんを紹介して語った。更に、タカジアスターゼを作り出した若き日の高峰譲吉博士らも、

 長崎に学んでいたことに触れて、龍馬については、当時の地図やゆかりの場所の地図や写真を使って、

 何故龍馬が長崎を拠点にしたのか、龍馬夫妻の面倒を見た小曾根家で、姉乙女に長文の手紙を書いていた。

 それが、京都の国立博物館に残っていること、亀山社中や海援隊の設立、更に、広島は鞆の浦の

 「いろは丸衝突事件」、「イカルス号事件」、龍馬の「船中八策」、岩崎弥太郎のことなど、龍馬が生きた時代、

 「激動の幕末長崎」について、ユーモアたっぷりに分かりやすく語った。わずか一時間講演や

 龍馬やお龍さんも愛したという月琴も、時間がなくて、十分に聞かれなかったのが惜しまれる。

 長崎のことは長崎で聞けの例えあるがごとく、これは、文明の発祥地の長崎へ行くしかないかと思う。

 余談だが、デパートは閑散としていたが、物産展は、長崎ゆかりのカステラや五島列島の海山物などの品々で、

 買い物客で賑わっていた。ところで、代々続く梅田九栄は、江戸時代後期、加賀藩の御用も務める

 狩野派の絵師であり、俳人として芭蕉の教えを守り伝えた俳諧の第一人者だった。

                         2010 2 27 (ふ)

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【東風に吹かれて】

   「龍馬をめぐる女性たち」講演会、満員盛況!
    やったら出来る
やらニァ 何も出来んゼョ!

 北陸など日本海側は、大雪に見舞われたが、紅梅の便りも聞こえています。各位にはお元気で、ご活躍のことでせう。

 名もなき若者は、そのとき「龍」になった。波を作る、風をつくる‥。

 お隣、富山龍馬会では、下記の日程で、講演会が開催され、満員盛況でした。

 ◆日時 2010 2月7日(日)15:30〜17:00
 ◆場所 富山駅前のシックビル3階 富山市民交流館学習室4F TEL 076−444−0640
 ◆講師 岩ア義郎さん
       龍馬研究会会長 土佐史談会理事 土佐観光ガイドボランティア協会顧問
       著書に「追跡!純信お馬 駆け落ち百五十年」(高知新聞社刊 1785円 )など

 ◆演題 「龍馬をめぐる女性たち」

   この日は晴れて、立山など北アルプスの山々は美しかった。富山駅前での講演会は、地元富山県内の市民を始め、

 富山龍馬会の会員、金沢龍馬会からも副会長の山田友さん、越後新潟出身で、新会員の佐藤さん、

 事務局の福野ら30人余りが出席し、満員盛況のうちにおわった。

 土佐高知から列車で、富山入りされた岩崎さんは、冒頭、「龍馬伝」で、高知は賑わっています。脚本家が、

 去年南国市の全国大会でも、話していたが、「龍馬伝」は、史実と余りにもかけ離れているので、

 抗議の電話も殺到したと聞いています。しかし、ドラマなので、面白くし仕掛けたのでしょう。

 回を重なれば、そりなりに評価されるでしょう。また、寺田屋騒動、龍馬殺害時についても、取り締まり側の

 資料が見つかったので、追々解読されれば、新しいことも分かってくるでしょう。楽しみです。また、去年問題となったように、

 寺田屋も一度も燃えているので、龍馬が襲われた部屋の漢詩なども、龍馬は漢詩なんぞ書いておらず、

 これも疑わしいと指摘。で、龍馬を取り巻く女たち、姉留、お乙女、お徳、桧垣須磨、平井加尾、千葉佐那、

 寺田屋・登勢、長崎芸子お元、大浦お慶らについて、史実に基づいてエピソードなどにも触れて、一時間半、

 熱のこもった講演をした。来場した人たちもメモをとるなどして熱心に耳を傾けた。

 終わった後は、富山エクセルホテル東急15Fのリコモンテで、講師の岩崎さんを囲んで、懇親会が開催された。

 ところが、講演会、懇親会の後、地元の北日本放送の取材で、富山龍馬会会員の自宅に行き、事務局長の

 大塚さんが、龍馬のコスプレをしてテレビカメラに向かって、「日本を今一度、洗濯したし申し候」の台詞を言った。

 興味のある方は、10日(水))の北日本放送の18:16からのKNBリアルタイムの中で、放送されるので、見てみるのも良かろう。
                            2010 寅年 2月7日(ふ)

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    新年交流懇親会、盛会!
  〜金沢龍馬会から〜

 やったら出来る
やらニァ 何も出来んゼョ!

 寅年新年。会員や会友の皆さんには、お元気でご活躍のことと思います。

 今年の活動等々をめぐる金沢龍馬会、新春恒例の交流懇親会は、以下の日程で、富山龍馬会の大塚さん、

 新たに入会した恩地さんらもして出席して、開催され、盛会のうちに終わりました。

 ◆日時 2010 1 30(土) 15時〜18時
 ◆場所 金沢駅近く、本町のふらっと通り。金沢龍馬会員の「お龍」。

 ◆出席 富山龍馬会事務局長の大塚さん 代議士の奥田(会友) 友人の西原啓 加茂 上野(会友)  国友 蛭子 蛭子の友人西尾 福井(会友) 福井の後輩安井 室岡 福島 山田(友) 武内 福野

 はじめに、武内会長が「龍馬伝、伝です‥。龍馬に恥じない行動をしよう」と挨拶。続いて、去年の懇親会で、娘さんの結婚について会員全員で

 乾杯した謝辞の後、山田副会長の乾杯。進行は、監事の国友さん。しばらくして、匂いを嗅ぎつけた桑原豊君の友人寺井さんと奥さんが、来訪。

 旦那の知事選出馬予定について、「出馬声明の、前日に聞きました‥」と、一言挨拶された。ついで、代議士の奥田:健さん、続いて

 参院選に出馬予定の西原啓さんも「熱烈な龍馬ファンです‥」と挨拶した。しばし、四万十川ののりや鯨など土佐高知の珍味に舌鼓しながら、自己紹介。

 この中で、富山龍馬会の大塚研吾さんは「金沢龍馬会と同時に設立した経緯があります。これを機に、更に交流を深めましょう。ついては

 2月7日、富山駅前で、『』龍馬をめぐる女性たち』という講演会があるのでご参加ください」と呼びかけた。

 また、事務局長から、新たに恩地さんや中谷さんも入会されたことを報告した。山田(友)さんの企画で、龍馬関係の本、ストラップ等

 二重に買ったものやその他等々、初のオークションも賑やかに行われて、全て完売しました。〆て4000円は金沢龍馬会に寄付して戴きました。

 深謝して、会運営の一助にします。

 混沌とする娑婆、時代の先を見つめ、自らの意思で行動を起こす「今の龍馬」を求めて、去年の土佐南国市の全国大会の模様や

 「今一度日本をせんたくいたし申候」という龍馬やジョン万次郎、勝海舟や横井小楠らの思想や生き方、在所起しなどをめぐって、

 談論風発。また、1月18日の夕方、NHK金沢の「デジタル百万石」で、事務局長が出演した龍馬会、副会長山田さんの浅野川河畔、

 東山にある「金沢龍馬博物館」なども話題になりました。時間を一時間オーバーして午後6時に閉会した。お酒やワイン等々の差し入れは

 富山の大塚、鰯組の東、武内、山田友、蛭子さん。有難うございました。席上、会友の上野、福井さんは、近く入会されることを表明されました。

 次回は、4月初旬の浅野川河畔での花見懇親交流会、6月は総会、秋9月6日から一週間かけて、龍馬が、幕府の海軍操錬所と併せて

 勝海舟の私塾を作る為、越前藩主松平春嶽に5000両を借りに来た史実に基づいて、京都から福井まで、歩く「海軍塾5千両借金200キロ」ウォーク、

 龍馬の全国大会は、みちのく岩手は、一関で、10月24〜25日に開催されるなど行事は目白押しです。

 次回4月初旬の浅野川河畔での花見懇親交流会には、新たに、龍馬会に入会したい方も誘って、お気軽にご参加ください。お待ちいたしております。

 この時期、金沢や能登など北陸へ旅している方の参加も大歓迎です。
                                 2010 1 30 (ふ)

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【東風に吹かれて】

    やったら出来る
やらニァ 出来んゼョ!

全国龍馬ファンの集い、盛会!
  〜土佐・南国市から〜

 龍馬の生き方に学ぼう。「第21回全国龍馬ファンの集い・南国大会」が24日、土佐高知は南国市明見の

 地元高知や発足したばかりの東京の「品川龍馬会」や北の大地から北海道龍馬会、南の大地、薩摩や

 長崎龍馬会などから400人が参加。越前龍馬会から牧田会長をはじめ14人が参加。金沢龍馬会からは、

 武内会長や小屋、杉浦、福野の四人が参加した。

 冒頭、全国龍馬社中の橋本邦健会長は「龍馬の遠祖、才谷。また土佐日記の発祥の地で、全国大会が

 開かれるのは意義があり、龍馬精神に則り、進取の精神で行動すべきでないか。一歩でも龍馬に近づき、

 追い越せ、追い越していただきたい」と訴えた。

 そして、高知県知事尾崎正直は「流れ者の坂本家が、才田谷で、どのように財を蓄積したのか、興味が尽きない。

 紀貫之が、帰京する際、棹させど底ひも知らぬわたつみのふかき心を君に見るかな、の歌を作っている。今、

 龍馬が生きていて、本大会に出ていれば、この様な歌を作ったであろう」と、歓迎の挨拶。

 このあと、あるけあるけ龍馬会や伊豆龍馬会、山梨龍馬会甲斐援隊、五島龍馬会、なんごく龍馬会など

 各地の龍馬会が「あきらめずに挑戦する龍馬の生き方を今こそ」などと決意を込めて活動報告。

 来年のドラマ「龍馬伝」の脚本家、福田靖(47)の「新たな龍馬像を創る」と題した記念講演にも耳を傾けた。

 終わったあとは、次回(2010 10/10〜11)開催地の岩手、大挙して参加した一関龍馬会への引継ぎ式が行われた。

 引き続き懇親会に移り、土佐の焼酎で、シャモ鍋やカツオのタタキなど山海の珍味をつつきながら、

 旧交を温めたり、新たな出会いもあった。

 翌日は、龍馬ゆかりの地を巡るコースなど、三つのコースに分かれて、それぞれ思い思いのコースに参加して、龍馬への思いに馳せた。

 先にも触れたが、若いころの龍馬が過ごしたとされる東京・品川の住民有志が、「品川龍馬会」(浦山嗣雄会長)を結成し、

 高知市のホテルから譲り受けた龍馬像を京急立会川駅そばに建立≠オたことも紹介された。全国の龍馬会との交流や地域振興を目指し、

 「像をシンボルに活性化を」と意気込んでいる。 幕末の品川・立会川地区には土佐藩下屋敷があり、1854年、ペリー黒船艦隊が再来航した際、

 土佐藩は砲台を築いて警護した。当時、龍馬は剣術修行で江戸におり、手紙の中に黒船の警戒に関する記述を書き残していることなどから、

 立会川界隈にいたと推測されている。

 2004年、龍馬研究家の小美濃清明さんを通じて、龍馬と品川の縁を知った地元商店主らが、高知市と交流を開始。

 砲台の一部とみられる石を高知市に贈る一方、高知市のホテル「南水」所有の龍馬像(強化プラスチック製、高さ3メートル)を譲り受けた。

 今年に入り、龍馬会発足の準備を進め、下屋敷跡と砲台跡をつなぐ道沿いにある商店街の関係者や区民ら50人で設立。

 これに合わせ、砲台跡がある勝島運河沿いに建っていた龍馬像は、より人目に付く、京急立会川駅そばの公園に移した。

 下屋敷跡にある中学校で行われた発会式では、坂本家9代目当主の坂本登さん(72)や、勝海舟の子孫ら140人が出席。

 続いて会員や地元住民らが駅近くで龍馬像を除幕し、砲台跡周辺を散策した。

 坂本龍馬とゆかりの深い長崎市など全国9自治体のトップが集う「龍馬伝サミット」が26日、東京都内であった。

 龍馬とのゆかりを地域活性化に生かす目的は共通として、連携を深めようと開催。龍馬が生まれ育った高知や

 活躍した京都、鹿児島、山口県下関などの各市、東京都品川区から市区長が参加し、それぞれの取り組みを説明した。

 長崎市の市長田上は「長崎は龍馬が世界に飛び出す大志を抱き、リーダーシップを発揮した町。自由で伸びやかに

 活躍した龍馬を発信していきたい」とテーマを語った。グラバー園と亀山社中跡を結ぶ「長崎龍馬の道」整備や、

 長崎さるく英雄(ヒーロー)編など今後の事業展開についても紹介した。最後に、観光客誘致のための企画や

 情報発信に向けて連携を強め、一過性に終わらせない取り組みを続けるなど8項目の共同宣言を採択した。

 ところで、龍馬の足跡をたどり、安芸市から長崎市まで500キロを踏破する超長距離ウオーク℃Q加者が今月14日、

 三菱財閥創設者、岩崎弥太郎の生家がある安芸市を出発。16日、高知市上町2丁目にある坂本龍馬の

 生誕地碑前に立ち寄り、高知市長岡ア誠也から長崎市長に手渡す親書を預かって、龍馬が土佐藩を

 脱藩した際に通ったとされる佐川町などを経て愛媛県入りし、23日にフェリーで、三崎港から大分市の佐賀関港に渡った。

九州では、龍馬や勝海舟が長崎に向かう際に利用したといわれる

 豊後街道で熊本市へ。フェリーで島原市に渡り、旧島原、長崎両街道を通って長崎奉行所立山役所跡

 (長崎歴史文化博物館)を目指す。到着は11月3日。歩いてみて、島原の龍馬会も間もなく発足すると思った。

 後に訪ねた長崎では、長崎龍馬会の吉田さんに連れられて、メンバーで、風雲児焼き鳥のオーナー河野健一さんから、

 何とも奇遇で、金沢龍馬会の山田(友 副会長)さんによろしくと伝えられた。

 今回止むを得ない事情で参加できなかった方は、来年10月のみちのく岩手・一関の全国大会に参加し、

 各地の会員らと交流を深めませう。
                                 2009 10 30 (ふ)

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【東風に吹かれて】

秋の懇親交流会、盛会!
  〜金沢龍馬会から〜

 会員、会友、各位へ。

 霊峰白山など各地の山からは冠雪や紅葉の便り。行楽の秋、味覚の秋、キノコなどがうまい時期、各位にはお変わりなくお元気で、ご活躍のことでせう。

 来る10月24日から25日の土佐高知、南国市での全国大会も迫ってきました。

 そんな中、龍馬ゆかり、福山市の「鞆(とも)の浦」の埋め立て・架橋計画をめぐり、住民が埋め立て免許の差し止めを求めていた訴訟で、

 広島県が、知事藤田雄山に免許を交付しないよう命じた1日の広島地裁判決を不服とし、広島高裁に控訴する方針を固めたらしい。

 一度壊された景観は、元に戻すことが出来ず、何とも不可解だ。

 さて、金沢龍馬会の秋の懇親交流会は、10月10(土)午後三時から、金沢野町、青柳にて、この度の政権選択の総選挙で

 当選した奥田代議士が飛び入り、新たに会員に加わった名古屋の黒澤さんや同僚の島村さん、会友の福井、会員蛭子と友人の吉崎、

 会員宇賀と友人小坂、上野、そして杉浦、国友、小屋、室岡、桜井、中川、折戸、武内、福野の面々が出席して開かれた。

 進行は、国友監事。冒頭、武内会長が「全国大会も迫ってきました。皆さん参加しましょう。実りのある懇親会にしたい」と呼びかけた。

 ついで、ロータリーで忙しいと嘯く中川顧問の音頭で乾杯。また、山田友副会長の娘さんの結婚式が、けふということで、

 会長武内さんが再度、「山田さん一家に幸多かれ」と、乾杯で、拍手。ついで、それぞれ自己紹介と近況報告した。

 しばらくして、不肖事務局の福野が、先般みちのく遠野で、体験してきた無農薬無肥料で、取り組んでいる農家や

 在所羽咋の日曜テント市と遠野の道の駅の取り組みを披露した。併せて、「坂本龍馬地図帳」が人文社から発刊され、

 福井龍馬会の会長牧田さんが、福井藩士が龍馬の亀山社中に参加して活躍していたことも寄稿されていることも報告。

 このあと、それぞれ龍馬の「今一度洗濯したい」と言ったことや昨今の政情をめぐり、それぞれ持論を展開して談論風発。会は重ねるごとに

 輪も広がり、それぞれ新たな発見もあり、皆満足した。中締めは杉浦さん、料理は山海の珍味。盛会のうちに予定の時間をオーバーして

 六時過ぎに閉会した。なお、差し入れは、中川、宇賀、吉崎、青柳、武内さんから日本酒や焼酎、奥田さんから温泉卵、

 また、武内さんのふるさとの高知から届いたばかりの梨の「新高」や土佐名物「文旦」の差し入れもあり、南国の香りを嗅ぎつつ舌鼓を打った。深謝。

 止むを得ない事情で、今回欠席された方は、次回は是非参加してください。

 会員の中から、芋煮会の提案もあり、来月、11月には能登羽咋の事務局で開催を予定しています。

 なお、現時点では、土佐高知、南国市の龍馬の全国大会へは杉浦、小屋、武内、福野が参加予定です。
                                   2009 10 11(ふ)

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【東風に吹かれて】

 知っちゅう?
「坂本龍馬地図帳」発刊!
  〜越前龍馬会から〜

 秋も深まり、北からは紅葉の便り、このところ好天が続いています。

 会員や会友各位には お変わりなくお元気で ご活躍のことでせう。

 土佐高知、南国市での龍馬ファンの全国大会や金沢龍馬会の懇親交流会も迫って来ました。

 越前龍馬会会長の牧田活宜さんから、以下の案内がありましたのて゜お知らせします。

 今月下旬に人文社から「坂本龍馬地図帳」が発行されます。

 定価1260円(税込み)・全128P 監修は小美濃清明(東京龍馬会会長 考証・執筆)/
橋本邦健(全国龍馬社中会長)

 協力・全国龍馬社中/(社)日本ウォーキング協会

 で、牧田さんも、特別寄稿(P82)をしており、従来の龍馬本には無い、「越前福井」(p82〜p93)を取り上げています。

 来秋開催の、京都〜福井のウォーキング・ガイドや、福井城下の古地図(慶応年間)、又、これまで調べ上げてきた

 福井出身の海援隊士(未発表)等々、全く違った視点での本と聞いています。

 先日は、龍馬が射撃がうまかったことや妻・お龍との人間関係などこれまで明らかでなかった龍馬の人柄を物語る資料が

 土佐高知、香美市の吉井勇記念館で、資料の整理をしていた坂本龍馬記念館の学芸員が見つけたことは承知でせう。

 見つかったのは、歌人の吉井勇(明治19年〜昭和35年)が、昭和4年3月の月刊誌に執筆した「或日の龍馬」という資料で、

 龍馬は寺田屋事件で負傷したあと、日本で初めてといわれる新婚旅行で鹿児島を訪したが、この旅行に龍馬に

 一緒について行った勇の父の吉井幸藏から聞いた当時の様子、枝に止まっている鳥ならばピストルで十中八九

 射落とすことが出来るなど、射撃の腕が良かったことや、龍馬が、妻のお龍のことを「お龍さん」と呼んでいたことなどが

 綴られていた。また、2人が喧嘩したあと、龍馬が「仲直りしよう」と涙を流しながら謝ったことなど龍馬とお龍の人間関係を

 より深く知ることができる。この資料は、パネルにして近く高知県立坂本龍馬記念館に展示されるので、全国大会へ出席した折、

 見てみるのもいいでせう。読書の秋、この機会に「坂本龍馬地図帳」を一読してみるのもいいでせう。
                              2009 9 24(ふ)

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【東風に吹かれて】

 

 近畿北陸の連携、強化を!
〜近畿北陸ブロック会議から〜

 奄美地方が梅雨明けしたが、梅雨の真っ只中、このところ蒸し暑い日が続いています。各位にはその後もお元気でご活躍のことでせう。

 長崎では、龍馬が作った日本で初めての商社、「亀山社中」として使われた建物が、改修工事を経て、来月一日から3年ぶりに公開されます。

 建物には、龍馬が寄りかかって座っていたといわれている当時の柱が残り、幕末当時の「床の間」や「玄関」が再現されたと聞いています。

 さて、7月4日、維新回天の風雲児、龍馬ゆかりの社中、近畿北陸ブロック会議が京都伏見で開かれましたので、概要についてご報告します。

 ◇日時 2009 7月4日(土) 15時30分〜17時
 ◇場所 京都伏見 竜馬通り  「かき仙」

 ◇出席 京都龍馬会(理事長赤尾 お龍) 祇園龍馬会(会長代行片岡 桑原) 近江龍馬会(副会長斉田 吉村 北村) 浪華龍馬会(会長竹原) 兵庫龍馬会(会長楠本) 越前龍馬会(牧田) 金沢龍馬会(福野)。

 ◇開会の挨拶は全国龍馬社中の橋本会長に代わって、副会長の赤尾さん、「来年の龍馬伝で、にぎやかになってきました。

 近畿北陸もまとまって、龍馬ウィークなんてのも企画したいです」と挨拶。

 以下、進行はブロック長で、越前龍馬会会長の牧田さん

 ◇全国龍馬社中およびブロック事務局の動きについて

 ・去年は福井で、20回全国大会が盛会に開催された。今年は来る10月24〜25日、南国市で第21回大会が開催される。市制施行五十周年記念でもあり

 全国龍馬ファンの集い。市長の橋詰寿人は「全国の龍馬ファンが訪れてくれる機会に、南国市を全国発信したい」と意気込んでいる。

 南国市北部の才谷は龍馬の遠祖、初代坂本太郎五郎ら三代の墓が残る。龍馬も「才谷梅太郎」と変名を使うなど縁が深い土地だ。

 全国龍馬社中には現在、国内外130の龍馬会が所属。昨年十月、福井市で開かれた「集い」には五百人近くが参加。南国大会も

 同規模のファンが集まると予想されている。既に南国市の商工会関係者や行政、龍馬社中の橋本会長らも入った実行委を設置。才谷で龍馬が

 好んだしゃも鍋を振る舞う計画や、南国市内などの史跡ツアーについて話し合われている。案内はまもなく各龍馬会などへ発送される。

 ・大会にあわせて南国市で、5月30日全国131番目の「なんごく龍馬会(会長 野島正夫)」が発足した。

 ・全国龍馬社中と日本ウォークラリー協会がタイアップして、大阪や京都、福井など全国各地で、ウォークラリーが開かれ20万人の参加が見込まれている。

 ・このほか、長崎の佐世保市に全国132番目の佐世保龍馬会(会長中島真澄)も発足した。

 ◇近畿北陸ブロックの活動について

  ・メールや文書に寄る案内をしているが、返事のない龍馬会もあるので、連絡体制を強化したい。

  ・持ち回りで、ブロック大会を開催したい。出来れば、龍馬会同士の交流会の開催も検討したい。

 ◇各龍馬会から

  ・京都 去年に引き続いて龍馬寺子屋の継続、龍馬ゆかりの史跡石碑の建設も、協賛金の協力で取り組む。

  ・浪速 大峰山の歴史登山ツァーなとで、青少年育成運動や歴史講習会の開催など計画し実施。

  ・兵庫 神戸精錬所跡の史跡めぐりや龍馬の紙芝居、高知のよさこい祭りにチームをつくりたい。

  ・祇園 近く設立して、大学との連携で地域活動や学生による清掃活動などを検討している。

  ・越前 去年の全大会は大成功で、そのまとめに取り掛かっている。原点からやり直したい。

  ・金沢 総会を終えたばかりで、会員の拡大や全国大会の参加に取り組み中。他に、副会長山田さんの龍馬博物館についても報告。

 ◇その他

   ブロック会議は関連団体には、これまで同様に議決を要する会議と懇親交流会の案内は、別途とすることが承認された。

   ◇閉会

 とにかく、ブロックの連絡体制は急務で、それぞれの龍馬会が地域で何に取り組むかが課題。日常のトピックスは金沢龍馬会へ知らせてもらえば

 掲示板などに掲載などして周知徹底を図りたい。とにかく結束が大事と不肖福野が締めくくった。

 休憩を挟んで17時半から懇親会。それぞれ、意見交換したり、お龍さんの再婚相手のこと、龍馬をめぐる史実で談論風発が続いた。

 18時半、土佐高知・南国市での再会を期してお開き。

 なお、開会に先立ち、午後一時半からいつものように羽織袴姿、京都龍馬会の理事長赤尾さんによる史跡散歩が行われた。

 まず、「旅籠寺田屋」の看板の掲げられた寺田屋。龍馬の人気は根強い、観光客が多い。三十石船が行き来していた濠川にかかる蓬莱橋。

 寺田屋で、襲われた龍馬が三好慎蔵と裏小屋の納屋を突き破って、竜馬通りに逃げた宇治川の支流沿いの材木屋跡から薩摩藩伏見邸跡や

 松林院にある寺田屋の女将お登勢の墓、「寺田屋事件」で犠牲になった有馬新七や田中顕助ら摩藩士九人の墓のある大黒寺など龍馬ゆかりの地などを歩いた。

 ここへ来るときは、近鉄伏見桃山御陵で下車して、古いアーケードを二つ通って、道幅3メートル、町起こしでの「竜馬通り商店街」を通ってきたが、

 帰路は、反対に蓬莱橋から、中書島駅に向かって歩いた。
                     2009 丑年 7 5(ふ)

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【東風に吹かれて】

 第五回総会、盛会!
〜金沢龍馬会から〜

 沖縄では梅雨明け。マスコミや政府、自治体が大騒ぎした新型インフルエンザ、けふ、金沢でもロシアのスケート選手が持ち込んで大騒ぎ。

 田植えもすでに終わり、蛙の合唱からツバメも飛び、空からのおたまじゃくしやカエル、どぜうなどが空から降ってくるなどの珍騒動。

 梅雨。各地でアジサイが綺麗な頃です。会員や会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。

 近づく解散を前に、早くやればいいのに麻生はぶれて、娑婆は疲弊して政界も相変らず混沌としています。「君がため捨つる命は

 惜しまねど心にかかる国の行末」、また、姉乙女に「今一度日本をせんたくしたく申候」としたためた坂本龍馬。金沢龍馬会の総会、

 懇親交流会は、6月27日(土)の午後、文豪・室生犀生も遊んだウグイや鮎も飛び跳ねている金沢犀川のほとり、金沢龍馬会会員東さんの

 「鰯組」で、盛会に行われましたので、ご報告します。

 ◇日時 2009 6月27日(土) 13時30分〜15時
 ◇場所 鰯組 金沢市片町1−7−13  犀川大橋近く
                          電話 076-224-1493

 ◇出席。宇賀 徳田 玉井 杉浦 桜井(新会員) 室岡 中川 青柳 国友 小屋 中田(新会員) 山野 山田(友) 武内 福野

  ○オブザーバー。小屋さんの友人福井さん 宇賀さんの友人小坂さん 室岡さんの友人楼蘭 中川顧問の友人阿部さん 中田さんの友人山越敏雄さん

  ○会費の徴収。宇賀 徳田 玉井 室岡 中川 青柳 国友 小屋 山野 山田(友) 武内 福野
 新会員の杉浦 桜井 中田さんは、振込み済み。有重会員も振込み済み。

 山田(友)副会長の開会宣言に続いて、

 武内会長は「出会いの達人、龍馬に習い、金沢龍馬会は結成されて間もなく6年を迎える。今年の全国龍馬ファンの集いは、

 龍馬の先祖の才谷家の発祥の地、南国市で開かれますので、ぜひ皆さんとともに参加したい。来年一月から高知で始る「土佐博」も開催され、

 龍馬で燃えています。土佐では、懇親会は「お客」と呼んでいるので、次回からお客としたい」と挨拶。

 続いて、東会員の同級生の安達さんが、白山麓、鶴来高校卒業後、勤め先の同僚と車に乗っていたところ、拉致された事件で、署名の緊急提案。

 東さんは、ことのいきさつを説明し、各自、署名することを申し合わせた。

 続いて、事務局長の福野の進行で、議題に沿って、会議を進めた。

 ◇議題
   ・ 一年間の活動報告 別紙やホームページ参
     米国のロスアンゼルス龍馬会会員で、ノンフィクション作家飯沼信子さんの「龍馬ゆかりの人々」、「龍馬 海を超える」の二つの連載記事を受け取ったことも報告。

   ・ 会計報告 別紙参
   ・ 会員拡大など今年度の活動方針
     全国大会(高知・南国市 10/24〜10/25)の取り組みなどについて、説明したが、参加者が特定出来ず。このため、10月中旬の懇親流会で再度検討することにした。

     活動方針や会計案件は全員一致で承認され閉会。

 ◇懇親交流会
   ・時間: 15時30分〜17時30分
     ・会費: 3000円

      恒例によって、差し入れは、山田さんの珍しい饅頭に焼酎、会長武内さんの焼酎に深謝。

 まず、中川顧問の乾杯で、それぞれ近況など自己紹介。秋10月、坂本家、龍馬の先祖の才谷家の発祥の地、土佐高知・南国市で

 開催予定の「龍馬ファンの全国大会」等々、それぞれに積もる話しに新しい話し等々で、梅雨を吹き飛ばすように談論風発が続いた。

 閉会の挨拶は、監事の室岡さん。次回の参加や全国大会の参加などを申し合わせて、散々号号、散った。

 帰路、野町の「青柳」経由で、片町の「加茂」へ寄ったら、オーナーの中橋さんも金沢龍馬会に加わることになったことを報告します。

 次回、10月の懇親交流会で、来る7月4日に京都で開催される、近畿北陸ブロック会議の模様等々を含めてご紹介します。

 今回やむを得ず参加できなかった方や新たに参加される方も、必ずや楽しい豊かな出会いもありませう。次回は秋10月、全国大会を前に

 開かれる懇親交流会、「お客」を開催します。お元気なお顔を見せてください。待っています。

 この時期に北陸へ旅している全国の龍馬ファンの飛び入り参加も大歓迎!。
お気軽にどうぞ。待っています。新たな出会いもありませう。
                     2009 丑年 6 28 (ふ)

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【東風に吹かれて】

 花見は、4日盛会に!!
〜金沢龍馬会から〜

 春爛漫。会員や会友各位にはお変わりなくお元気のことと思います。

 各地から、花の満開の便りも舞い込んで居ます。また、北朝鮮のミサイルに政府やマスコミにあおられて娑婆は大騒ぎ。こんな時期こそ

 互いに元気を出そうと、今年も金沢龍馬会恒例の花見会を、4月4日(土)の午後、去年大洪水に遭った金沢、浅野川界隈で開催しました。

 午後1時に金沢浅野川大橋袂に集合。で、副会長の山田友さんが、去年の7月浅野川の氾濫の現状、住民が、石川県や金沢市の対応は、

 ひどかったと裁判に訴えたことなどを説明しながら、3〜5分咲きの桜を愛でながら風情のある梅の橋などの界隈を散策。

 ついで、東山では、卯辰山米騒動で獄死した7人の霊を慰めるために建てられた7体の地蔵が並ぶ「七稲(なないね)地蔵」のある寿経寺のお隣、

 山田さんが長年こつこつと収集した「金沢龍馬博物館」をご案内された。

 珍しい龍馬ゆかりの書画や本、グッズ、山田さんが和紙に筆でしたためた直筆の龍馬の志の二幅の書などにも感心した。

 帰路は東山界隈を歩いて浅野川を渡って、花見の宴は午後2時から金沢市主計(かずえ)町、金沢龍馬会会員の斎田ご夫妻、奥方が

 高知出身の店「空海」二階へあがった。ご夫妻も山海の珍味を用意して待っておられた。この日出席したのは、新会員の杉浦、染谷、

 小屋、友人中田俊郎さん、室岡、友人の楼蘭さん、蛭子、知人中谷さんと上野さん、高知出身の宇賀、友人小坂さん、玉井、国友、

 山田(友)、中川、高知出身の武内、福野、遅れて山野、高知出身の加茂、会友で、元代議士の奥田健さんの20人。

 冒頭、差し入れは会長武内、副会長山田さんから土佐高知の酒や焼酎などを紹介して、深謝。会長の武内が、「皆さんお久しぶりです。

 右手の桜を見ながら、とにかく花見酒を楽しみましょう」と挨拶。続いて、顧問の中川さんが、ロータリーの話しを一くさりして、乾杯の音頭。

 暫くして、各自が自己紹介したあと、武内さんが、ミニ講演。この中で、「今年の全国大会は、土佐高知の南国市で、10月2425に開催されます。

 先日、高速が1000円になったのを機会に土佐高知へ行って来ました。京都まで3時間、岡山まで3時間、高知まで時間間はかかります。

 安芸市には高知ICのひとつ手前の南国ICで下りて45分です。早朝4時出発で正午到着むこうを昼過ぎに出て 夜の9時ごろ

 帰着が移動の概要です。春色に染まった山並み、抜けるような青空、紺碧の海・・。歩き遍路の人も汗ばむような陽気、

   一人で、ふたりで黙々と杖を出して前に進んでいます。かの岩崎弥太郎の生家にも行きました。大河が始まると絶対にありえない、

 誰もいない静かなたたずまい。蔵の三菱の家紋はインパクト大でした。また、城址の石垣もなかなかのものでした。安芸は童謡の弘田龍太郎の

 出身地でもあります。阪神のキャンプ地でもあり、ホテルのちりめんじゃこ丼は美味かったです。瀬戸大橋は4050円が1000円は画期的です。

 桜を堪能してきたもので、帰着したら地球が反対に周っている感じです。ぜひ今年の秋は、土佐高知へ行きましょう」と結んだ。

 この後も、遅れてきた市議の山野さん、奥田さんにも5分のミニ講演して頂いたが、奥田さんは、「毎日100軒を目標に歩いています」、

 なんて涙ぐるわしい話で、笑ったり同情した。他に面白い話など、皆が久々に逢ったので、それぞれに、午後の四時まで、風論談発。

 それぞれに積もる話しが続いた。二分前、山田友副会長の一本〆で解散した。解散の後は、歩いたりタクシーで、殆どが、金沢駅前のお龍の店。

 およそ、二時間、ここでも、金沢龍馬会の歌を作ろうなどと度風論談発が続いた。で、6月には「又お会いしましょう」と分かれた。

 今回止むを得ず、参加出来なかった方は次回6月の総会に、新たに参加したい、会員になりたい方もお誘い合せの上、ご参加下さい。

                          2009 丑年 4 4(ふ)

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【東風に吹かれて】

 新年会は盛会に閉幕!!
〜金沢龍馬会から〜

 能登の枯露柿や加賀能登のかぶら、ダイコン寿しが、出回り、まさに寒。政治が行き詰まり、疲弊混迷混沌としている娑婆。会員や会友にはお元気で、

 ご活躍のことでせう。去年は、春は浅野川界隈で花見に始り、秋はお隣越前福井で、龍馬の全国大会。参加された方は、地元越前福井や

 北の大地から南国薩摩、それに長崎、土佐高知など全国各地の会員と交流を深めたことでせう。

 その越前福井藩、外科医の子として生まれた、幕末の勤皇の志士 橋本左内(1834〜1859)は、忘れてはならない人物で、彼は明後日2月2日が誕生日だ。

 松平春嶽が「当藩には残念ながら人物が居らぬ」と嘆いた時、水戸藩の藤田東湖が、「橋本が居るではないか」と、若き左内を洞察していて、公をたしなめた。

 西郷隆盛でさえ、若き左内を対等に処遇し、左内の刑死を知った時、手紙の中で、左内の死について、「橋本迄死刑に逢い候儀案外、

 悲憤千万堪え難き時世に御座候」。そして、彼は城山で自決する時まで左内の手紙をふところに入れており、「橋本先生が生きて居られたらのう」と、云ったと言われている。

 彼は藩の重臣達と共に藩政改革を行い、物産振興の裏打ちによる、積極的開国貿易論を提唱し、攘夷開国論へ導くなど手腕を振るった。

 藩主松平慶永の側近者として京へ登り、将軍の後継ぎ問題や、幕府の外交政策について、大老の井伊直弼に反対したため(一橋慶喜の擁立と、開港説)、

 「安政の大獄」で訊問を受け、身分を越えた行為として死罪を申し渡され、江戸伝馬町の獄舎にて26歳の若さで処刑され、無念の死をとげた。

 いささか横道へ逸れたが、憂国のサムライ、金沢龍馬会の新年会は、けふ1月31日(土)、去る11月に金沢別院通りでオープンした、土佐高知出身で、

 金沢龍馬会会員宇賀さんの店、「お龍」で開かれた。午後三時〜五時の予定が一時間オーバーした。

 皆、ここが初めてだが、迷ったのは、柿本、山野、不破さんの三人。ほかは迷わずに次々と階段を上がってやってきた。宇賀さんも緊張気味で、この日は助っ人二人で対応してくれた。

 出席は、越前龍馬会会員で、金沢龍馬会会員でもある蛭子、また、小屋さんや国友、山田友、室岡、玉井、福島、折戸、杉浦(会友)、

 中川、東、山野、中川友人の柿本さん、不破、武内 福野の面々。

 まず、武内会長から「今年の全国大会は土佐高知、南国市で開かれます。高速料金も2000円で行けます。皆で行きましょう、今年もよろしく」と呼びかけた。

 ついで、年長の小屋さんの乾杯の音頭で開幕。宇賀さんが、この日のために土佐高知から仕入れた山海の珍味で、皆久々に会ったので、

 積もる話しに、龍馬を巡って風論談発。又、米国の国際ロータリー大会に出席して、このほど帰国した顧問中川さん、金沢龍馬会ここにありとPRしたら、サムライといわれた。

 米国のトイレ事情などあれこれの話し、それに不破さんは金沢に過ごす学生を市民社会に何とか組み入れたしたい、山野さんは中国、

 大連や203高地へ行って来たことなどを披露した。またまた談笑が続く。で、玉井さんの中締め、こんなに料理が出されてと一くさり。

 この後も話が続く。柿本さんは金箔を巡る業界の話し。話しは止る事なく続いた。で、午後六時でお開きとして、それぞれが楽しかった新年会をあとにした。

 差し入れは杉浦 山田友 不破 柿本 蛭子 武内さんからお酒等々戴きました。有り難う御座いました。出席の皆さんはお疲れ様。

 今回、柿本、杉浦さんは入会の意向を明らかにされ、また、蛭子さんの知人にも二、三人入会を希望をされていると伺った。

 今何故龍馬会か、次回が楽しみです。今回、何らかの都合で、やむなく出席できなかった方は、次回4月の花見の会に参加してください。お待ちいたしております。

                              2009 丑年 1 31(ふ)

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【東風に吹かれて】

 新年おめでとう御座います
〜金沢龍馬会から〜

 皆様にはいい年を迎えられたことでしょう。東京の日比谷公園では、会社を首になった人たちへ炊き出しがおこなわれるなど

 政治が行き詰まり、疲弊混迷混沌としている娑婆です。誰が世直しできるのでしょうか。今年は龍馬生誕174年、来年は大河ドラマで 「龍馬伝」、

 果たしてどのような展開になるのか、するのか、ロケ地となる高知や長崎は燃えています。

 去年の全国大会はお隣福井で盛大に開催されて、会員相互の交流が深められました。今年は龍馬のふるさと、土佐高知、南国市で開催が予定されています。

 金沢龍馬会は創立6年を迎えました。今年も講演会や各地の龍馬会との交流、花見の会、懇親会など楽しみながら龍馬の志に触れていく行事を実施します。

 ぜひ参加してください。会員の拡大や活発な議論など今年もよろしく御願いします。
                              2009丑年 元旦
                                  金沢龍馬会会長 武内紘一

 なお、事務局長の福野が、地元の若者達と、町起こしとして、毎週日曜日(9時〜12時)に、能登羽咋市の滝港で創生滝・日曜テント市を開催していますので、

 近くを通った方は応援してやってください。新鮮な野菜や魚介類などが並べられています。

                                                      
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【東風に吹かれて】

 芋煮会は、山海の珍味で盛会!!
〜金沢龍馬会から〜

 霊峰白山は冠雪。麓は紅葉。ダイコンや白菜、ニンジンなど冬野菜の取り入れや出荷も始っている。能登の海は時化ている。

 各位には、その後もお元気でご活躍のことでせう。先般、「第20回全国龍馬ファンの集い」は、米国のロスアンゼルスを初め

 北の大地北海道、南は長崎、薩摩龍馬会など全国から500人が越前福井に集い、大会や続く懇親会なとで龍馬ファンと龍馬を巡り、風論談発。

 で、出会いと情報の達人、龍馬に習い、さまざまな出会いもあったことでせう。

 けふ22日(土)は、事務局のある回天創生塾と共催で、芋煮会を実施した。囲炉裏で炭火。在所起しがテーマ。歴史を想い、時をつなぎ、人を想い、心をつなぐことが出来た。

 それぞれに新たな出会いもあった。差し入れは、御酒に野菜等々。更に、逸品は東さん手作りの、メギスの山椒醤油漬けに烏賊の一夜干し。

 当日のシェフは、出汁が自慢の金沢龍馬会の吉野さん。芋は会長の武内さんが越前大野から仕入れてきた上庄の芋。キノコは回天創生塾の歌人吉永君が採ってきた。

 参加したのは気多の麓に居る歌詠みの吉永、UFO博士高野に羽咋飯山の山田、山田友人の塚谷君が根上(能美市)から。更にカメラマン平木、

 姫丸の一夜干しの東、天鼓米の折戸、朱鷺の保護運動の西屋は飛び入り、プランナーの吉田君は松任から。金沢龍馬会から先の吉野、福井から蛭子 武内 福野。

 吉野が著したガイドブック、龍馬や在所起し、師走7日にスタートする日曜市などを巡って予定の時間を越えて、風論談発が夜まで続いた。お疲れ様でした。
                            2008 11 22 (ふ)

                                 【戻る】

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【東風に吹かれて】

 

 全国の龍馬ファン、福井に集う!!
〜福井の全国大会から〜

 出会いや情報の達人゛、幕末に活躍した坂本龍馬(1835〜67年)を慕う人たちが交流する「第20回全国龍馬ファンの集い」が、きのふ神無月25日、

 福井駅前、手寄のアオッサで開かれた。大会は全国各地にあるファン組織「龍馬会」を束ねる「全国龍馬社中」が中心となり、1989年から高知からこうごに毎年各地で開かれている。

 今年は、龍馬と交流のあった福井藩主・松平春嶽(1828〜1890)の生誕180周年を記念し、福井で初めて開催された。

 龍馬は春嶽のもとを2度訪れており、神戸海軍操練所設立の援助を春嶽に申し込み、資金提供を受けたという。また、明治政府の基本方針となった

 「五箇条の御誓文」の原案作成に携わった福井藩士・由利公正(1829〜1909)とも親交が深かった。

 第20回全国龍馬ファンの集い福井大会、金沢からそろいの黒の法被を着た金沢龍馬会の武内、山田(友)正副会長、

 それに室岡、国友の監事、小屋、玉井、吉野、福島、福野ら10人が10時から越前龍馬会の会員等と福井駅、金沢龍馬会の受付などで、

 後に、中川顧問、宇賀会員も加わり、はるか米国のロスアンゼルスから飯沼夫妻を始め北は北海道龍馬会、南は鹿児島薩摩龍馬会や

 長崎龍馬会などの面々を出迎えて、午後一時から全国の龍馬会会員や地元のファンら400人が参加。

 初日のきのふは、大会を主催した越前龍馬会の牧田会長の歓迎の挨拶。ついで龍馬社中会の橋本会長の挨拶のあと、松平春嶽ら幕末福井藩の人物と坂本龍馬の

 関係などについてのシンポジウム。近代日本の夜明けのために東奔西走した龍馬にとって「越前はスタートの地」などと話し合った。

 大会は、故司馬遼太郎の長編小説「竜馬がゆく」で竜馬が京都から福井へ向かう場面の一節から「『竜馬がゆく』 越前へ往こう春嶽に逢(あ)おう」をテーマに開催。

 シンポジウム第1部は「春嶽候をめぐる人々」と題し、高知市長岡崎誠也や元福井市長酒井哲夫、坂本家9代目の坂本登さんらをパネリストに、

 生誕180年を迎えた松平春嶽らと龍馬の関係について話し合った。初めて龍馬が福井に来たのは、勝海舟の助言を受け、海軍塾の

 建設資金を調達するため。龍馬は京都から一晩寝ないで福井へ歩いてきた。このとき春嶽は5千両を用意したとされる。

 こうしたエピソードについて、高知の岡崎市長は「春嶽は人の力量を見抜く力があり、脱藩者の龍馬ともこだわりなく会っている。

 この出会いが日本の夜明けを切り開いた。龍馬は借りたお金で日本の夜明けを切り開いた。まだ返済していないがお許しを」と話し、

 笑いを誘った。坂本さんは「一介の脱藩浪人の龍馬が、春嶽に会えたことで、怒とうのようにいろんな人に会う出会いの達人゛になった。

 越前の地が龍馬のスタートだと思う」と述べた。第2部は、ソバやカニ、へシコ、ソースカツなど「龍馬も食べた越前のご馳走(ごっつお)」を題材に話し合った。

 シンポジュームの後は、場所を移動して、午後六時から懇親会。越前龍馬会も趣向を凝らして、全国各地の皆を迎えて開かれた。

 福井県知事らの歓迎の挨拶もあり、時間を越えて、龍馬を巡り、各テーブルで、風論談発が続いた。

 旧知との再会に新たな出会いもあちこちであった。金沢出身で、長崎龍馬会の金子さん、三年後には金沢に戻るので、是非金沢龍馬会に入りたいなんて話もあった。

 来年の全国大会は土佐高知は南国市。再来年はみちのく、一関か長崎になろう。

 懇親会のあと、地元福井の蛭子さん行きつけの、駅近くの店で、宇賀をはじめ国友、室岡、小屋、吉野、福野で二次会で、反省会。

 けふ26日はJR福井駅西口に午前9時に集合して、エクスカーション(体験型見学会)があり、それぞれが、春嶽が祭神の福井神社や、

 龍馬が由利公正と新政府構想を語り合った莨(たばこ)屋旅館跡、更に福井城址や福井市立郷土歴史博物館など市内のゆかりの地を巡る幕末史跡ウオーキング。

 また、東尋坊や永平寺の観光ツアーなどが、午後の三時半まで続いた。

 今回の大会、やむを得ない事情で、参加できなかった皆さんは、是非来年の参加を期待したい。
                                  2008 10 26 (ふ)

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【東風に吹かれて】

 結成五周年記念懇親交流会、盛会に終わる!!
〜福井の全国大会、近づく 金沢〜

 新米が出回り、あちこちから紅葉やキノコの便り、秋の気配が深まる中、会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様には、その後もお変わりなく御元気でご活躍のことでせう。

 来る10月25日(土)〜26日(日)〜竜馬がゆく 越前へ往こう 春嶽に逢おう!、福井での第20回全国龍馬ファンの集いが、近づいてきました。

 概要につきましては既報(最近の動き)の通りです。今回は、龍馬のふるさとである土佐の高知から、龍馬ゆかりのお隣福井へ。龍馬会の会員にはまたとない機会ですので、

 多くの方の参加を期待しています。この全国大会を盛上げるため、金沢龍馬会では、2008年(平成20年)10月11日(土)、15:00〜17:00 金沢 野町、

 青柳(金沢龍馬会会員 野町APAホテル前)で、新たに会に加わった越前敦賀出身の蛭子、土佐高知出身の宇賀女史ら新会員も迎えて結成五周年記念懇親交流会を開催。

 金沢龍馬会は、2003年10月13日、富山駅前の自遊館で、富山龍馬会と同時に結成されて5年を迎えました。当時、祝福にかけつけたのは

 土佐高知から全国龍馬社中の橋本邦健会長をはじめ、お隣り福井の越前龍馬会牧田活宜会長や坂井会員ら、石川富山福井の北陸三県から40人余りが参加した。

 全国龍馬社中の橋本邦健会長が記念講演。この中で橋本会長は「龍馬の進取の精神と行動力に学び、自ら行動して地域社会に貢献していこう」と呼び掛けたのもついきのふのようだ。

 ところで、今回出席したのは、蛭子 宇賀をはじめ国友 中川 室岡 山野 山田(友) 小屋 山田(省) 折戸 山本(武内友人) 徳田  福島 吉野 杉浦(小屋友人) 武内 福野。

 開会に先立ち、武内会長は「早くも五年が経ち、ますます活動も盛んになってきました。間もなく福井の全国大会です。越前では、全国の諸兄と交流を深めよう」と挨拶。

 開会前には、山田副会長からのぼり旗が寄贈された。また民主党前代議士の奥田健さんも顔を見せ、始ってからは自民党の馳代議士も顔を出して、当面する金融問題について一くさり。

 役員について、新たに中川さんの顧問、また 室岡、国友さんの監事委嘱が全員一致で了承された。完成した法被配布(5500円)は配布、その他金沢龍馬会のオリジナルグッズも検討することなどを決めた。

 で、自己紹介の後、副会長山田(友)さんを講師に「海援隊の長崎を旅して」というミニ講演。この中で、山田さんは長崎の龍馬会の会員と親しくく交流を深めてきたことや、 

 「海援隊の跡地は持ち主と長崎市との話し合いがついて、来年、再開する」との最新の朗報も報告された。懇親会は、何時ものように、

 差し入れ大歓迎で、今回も蛭子、国友、山田(友)さんからお酒や焼酎、シャンペンの差し入れ戴きました。深謝。

 中川顧問の乾杯で、懇親会の始まり。「いそがにゃァ、ならんぜよ、いそがにゃ」と唄うようにいった龍馬に習い、飲むほどに酔うほどに、

 二人の新会員や会友の杉浦、山本さんも交えて、お互いに龍馬の志等を巡り、談論風発が続いた。お陰様で、久々に楽しい有意義な懇親交流会となった。

 今回やむを得ず欠席された方も、新たに会員になりたい方も誘って、次回はお元気な顔を見せてください。

 来る25日から26日は、「長崎さるく」のガイド増田さんではないが、越前へ来ずして龍馬を語るなかれ!出会いに情報の達人、龍馬。折角の機会です。

 全国の龍馬ファンに龍馬が持ち帰った五千両以上のお土産を、今大会を期に何度でも持ち帰っていただくよう、全国の龍馬ファンと交流を深めませう。

 期間中、福井市立郷土歴史博物館では、特別展「福井藩と江戸」を開催。平成20年10月4日(土)〜11月9日(日)で、休館日10月28日(火)。

 江戸の風景を描いた屏風や江戸屋敷の絵図、将軍家からの拝領品を多数展示。また、特別陳列「松平春嶽をめぐる人々」は、平成20年 9月11日(木)〜11月9日(日)で、

 休館日は10月28日(火)。福井市春嶽公記念文庫の資料を中心に、春嶽をめぐる藩外の人々を紹介。前龍馬会では、精一杯おもてなしの心で迎えようと、準備を深めています。

 これを応援しようと、今回の金沢龍馬会の結成五周年記念懇親交流会は、旧交を暖め、新たな出あい、龍馬を巡って時間をオーバーして、盛況のうちに、室岡監事の一本締めでお開き。

 10/11現在 福井の全国大会(参加申し込み) 小屋 山田(友) 中川 室岡 国友 玉井 吉野  宇賀 
                              武内 福野
    々       (10月25日)スタッフ協力  吉野 玉井 室岡 山田(友) 小屋 福島 武内 福野
              ※ 集合時間 10月25日 午前10時 福井駅前 アオッサ8階 大会会場。
                越前龍馬会の担当が待ちます。30分ぐらい説明のあと 越前龍馬会の会員と共に
                  福井駅 バス停前 会場で来客の誘導の案内。全員 金沢龍馬会の法被 着用。
                終了後 大会へ参加。

    々       大会誌広告協力        中川 武内

    々          欠席連絡         山田(省) 有重 不破 東 山野 大瀬 齊田 徳田 折戸

 来る10月25日は、AOSSA(アオッサ8F) 福井県民ホール(JR福井駅東口)前の、「アオッサ(会おうさ)」で、「金沢龍馬会」のぼり旗の下に集まろう。

 皆法被を着て待ってるよ。金沢龍馬会のブースも予定しており、お楽しみに。
                              2008 10 12 (10/17改 ふ)

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【東風に吹かれて】

 

 福井の全国大会、全面的に支援!!
〜金沢龍馬会から〜

 沖縄や九州、四国は梅雨明け。ガソリンなど相次ぐ物価の値上げに猛暑が追い討ちをかけている昨今。国内政治も混沌としている中、

 五日貧困と差別を訴える抗議行動の中、地球温暖化をめぐって七日から北の大地で、洞爺湖サミット。

 お隣越前福井で「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」、また、姉乙女に「今一度日本をせんたくしたく申候」としたためた坂本龍馬。

 今こそ龍馬の心意気が欲しいところ。会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様には、その後もお変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 さて、金沢龍馬会の結成5周年記念総会、懇親交流会は、秋の全国大会に向けて、燃えている竜馬社中近畿北陸ブロック長で、越前龍馬会会長の牧田活宜さんを迎えて開かれた。

 ◇日時 2008 7 5(土) 13時30分〜15時
 ◇場所 金沢市広坂2丁目1番1号 金沢市役所前 石川県広坂庁舎2号館2階
 出席は、折戸 吉野 玉井 小屋 室岡 福島 青柳 山田(友) 国友 武内 福野

総会は、副会長の山田友さんの司会で進められた。

 冒頭挨拶に立った会長の武内さんは「五年前、石川県内の有志が「金沢龍馬会」、富山は「富山龍馬会」と、去る2003年10月13日、富山駅前の自遊館で合同設立総会が、開かれた。

 以来の五年間の歩み、活動を振り返りつつ、ホームページも三万人を超えた。テレビでも話したが、歴史を食べる『史食』を大事にして前進、今年の秋10月、福井での全国大会を成功させよう」。

 また、来賓の越前龍馬会会長の牧田さんは、大会概要資料(6/23日付け 近畿北陸ブロック会議 参)をもとに、「パネラーも龍馬ゆかりの方々で固まりつつあり、手作りの大会に心がけている。

 来月にはほぼ固まるので、全国の仲間へ発信したい。金沢龍馬会の協力も仰ぎたい」と呼びかけた。

 以下の議題については、事務局の福野の進行で、討議検討。
       ・ 副会長に、山田友さんを総会で、正式決定。
       ・ 一年間の活動報告や近畿北陸ブロック会議報告、会計報告は別紙参。
         新規会員は法被と名詞で、5000円。
           会費の未納者には、振り込み用紙を入れて督促。
         納入月年度を明確にしていく。

       ・ 今年度の活動方針
         ・会員の拡大 会員数も力なり。
         ・全国大会(福井 10/24〜10/25)の取り組みなど。
         ・牧田さんから補足説明あり、金沢龍馬会は前面協力を申し合わせ。

       ・その他
           名詞は、デザインを統一するため、国友さんへ依頼。
           法被は、黒色で、白の金沢龍馬会の文字で、ほぼ決定。
           他に、加賀染めの手小拭いなどグッズの開発も検討する。

       ・規約改正について
           理事会を設置して顧問や幹事、理事の選任は会長の一任事項
           又は理事会専決事項にする。

           顧問に中川、幹事に国友、山野さん等々の案が出て、次回に承認へ。

 総会終了後、場所を文豪・室生犀生も遊んだ鮎も飛び跳ねている金沢犀川のほとりの金沢龍馬会会員東さんの「鰯組」に移動して懇親交流会を開催。

 参加したのは、吉野 玉井 山野、不破 室岡 青柳 山田(友) 国友 武内 武内友人の福久に奥谷 福野。

 差し入れは、牧田さんから、銘酒福井藩、会長から焼酎海援隊、副会長からワインの差し入れ。一同深謝。

 久々に参加した市議の不破さん、模擬議会を開催して、市議は何をしているのかという話も出たことなど披露。まさに原点の話。

 また、町会近くに、加賀藩が幕末に作った、明治のはじめに再構築された煙硝跡地については、歴史遺産にしようとの運動に加わっている話なども披露した。

 日ごろ、なかなか会う機会もないので、積もる話しに。また、総会に出た法被の色等々新しい話しなど。

 更に新たに参加した、武内友人の福久、奥谷君も参加。楽しい豊かな出会いもあった。時間一杯、談論風発が続いた。

 牧田さんが中座されるので中〆は山野さん、自転車で転倒して顔に怪我をされたいきさつも披露して、とにかく医者へ行くことですよと。最後は玉井さんの一本〆でお開き。

 この秋10月、北陸では初めて、越前福井で開催予定の龍馬ファンの全国大会に、全員参加を申し合わせた。

 なお、進行の様子は、越前龍馬会(HP参 http://www1.fctv.ne.jp/~shinji-s/ryoma.htm)で、掲載されているので見てください。歓迎の準備状況が分かります。

 出会いの神、龍馬に習って知人や友人、新たに会員になりたい方もお誘い合わせの上是非参加しませう。新たな出会いもありませう。

 ♪竜馬にすべてをかけた恋 燃え尽きぬ思いに心がさわぐ
 切なさ乗り越えのぞみをかける
 そんなおりょうのうれしさは 背負ってくれた霧島の里
 ついて行きますどこまでも ありがとう竜馬のこころのふるさと
          2008 作詞:伊藤龍一 作曲:宮川みゆき

 今回の懇親交流会に参加した福久さん。会長宛に今日は時間を作って参加して本当によかったです。今まで仕事絡みの集いにはさんざん出てきましたが、

 職業も目的も何も掛け値なしの人のおつきあいの、楽しいこと楽しいこと!初めての経験でした。貴重なきっかけを作っていただいた先生に心から感謝しています、なんて便りが届いています。

 猛暑で、ご多忙の中、遠路参加された越前龍馬会の牧田会長ら各位に深謝。今回、止むを得ず参加できなかった方は次回にぜひ参加してください。
                              2008 7 5 (ふ)
 越前龍馬会会長の牧田活宜さんから、今回の参加には、金沢の皆様に大変お世話になり、忙中閑、濃く・楽しいひと時を戴き感謝いたします。

 大会には、色々あると思いますが、どうか宜しくお願い致しますという御礼が届いています。
                              2008 7 7 (ふ)
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 ※能登や加賀、金沢、全国各地や海外の様子などは、ブログや掲示板などに。現在は、 迷惑・有害サイトの浸入があり、休止中。

【回天蒼生塾】

【東風に吹かれて】

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 海外では七番目、ブラジル龍馬会誕生!
 〜全国龍馬社中 近畿北陸ブロック会議から〜

 全国各地は梅雨入り、沖縄は梅雨明けしたが、みちのく岩手や宮城の震災も惨く、何ともうっとうしい日が続いています。

 会員各位や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様にはお変わりなく御元気でご活躍のことと思って居ます。

 全国龍馬社中、近畿北陸ブロック会議は、去る6月22日午後四時から京都駅前のハトヤ瑞鳳閣で、開かれ、参加しましたので概要をお知らせします。

   出席は、全国龍馬社中会々長の橋本、副会長で京都龍馬会々長赤尾、龍馬縁の「酢屋」女将の中川敦子 会員の片岡幸嗣、お龍、全国龍馬社中会理事で、兵庫龍馬会長の楠本、

 近畿北陸ブロック長で越前龍馬会長の牧田活宣、会員の西村和修、広報担当の林清美らに金沢龍馬会事務局長の福野。

 会議は、近畿北陸ブロック長(越前龍馬会長)の牧田さんの司会で進められた。冒頭挨拶に立った橋本会長は、四国土佐高知から、ブラジルで、龍馬会結成という大仕事を終えて、この19日に帰国したばかり。

 まだ時差ぼけと笑わせて「龍馬のお陰で、多くの会員と交流できるのは最大の喜びだ。点から面へ。各龍馬会の地域の活動と共にとにかくブロックの会議を充実させたい」と挨拶。

 次いで議題に移った。

 ◎近畿北陸ブロック会議について
 牧田さんから、今年3月、全国龍馬社中から、メールで、各動き等々の連絡体制の強化を申し合わせたが、出来なかった。御詫びしたい。今後、絡を密にしていきたい。

 ◎福井大会について
     牧田さんから、以下について概要の説明あり。
   ○タイトル
     竜馬がゆく 越前へ往こう 春嶽に逢おう!
       〜 第20回全国龍馬ファンの集い福井大会〜
                    主催 第20回全国龍馬ファンの集い福井大会実行委員会 福井県 福井市
                   主管 越前龍馬会 共催 全国龍馬社中会

   ○開催場所   ・福井市 福井県民ホール (JR福井駅東口 アオッサ8F)
             ・2008年務10月25日(土)〜26日(日)

   ○開会式     10/25(土)13時〜
   ○大会プログラムについて
     シンボジュウム
        第一部 〜春嶽を巡る人々〜
  ・進行は四戸友也(福井新聞論説委員長) パネラーは、岡崎誠也(高知市長) 坂本登(坂本家9代目当主) 小曾根吉郎(長崎で龍馬支援 小曽根家17代当主) 舟沢茂樹(福井藩研究家) キャセリン青木(ソニー龍馬会) 酒井哲夫(元福井市長)らを予定。

      第二部 〜龍馬も食べた?!福井のご馳走(ごっつお)〜
             ・パネラー 岡崎誠也 坂本登 小曾根吉郎 舟沢茂樹 他を予定。

   ○アトラクション 13時30分〜
             ・ 大会会場 土佐直伝 英信流居合
             ・ 懇親会場 楽衆玄達 越前馬威太鼓

   ○報告会    ・各龍馬会から
             ・大会旗引継ぎ式 福井→高知

   ○交流会    ・18時〜
             ・場所 福井繊協ビル8階ホール
             ・アトラクション 越前馬威し太鼓 楽衆玄達ユニット(JUN田崎他)

   ○10/25(日)エキスカーション
             A 龍馬ウォーク B幕末史跡 C越前史跡 D若狭史跡の各コース
               ★(B C Dは食事つき)

   ○その他 準備検討中は
             ・郷土歴史博物館 松平春嶽生誕180年記念行事との連携調整
             ・大会誌 企画・作成 大会プログラム
             ・大会チラシ ポスターの企画 作成
             ・県や市、各種団体、報道関係、各企業への広報及び協賛等々
             ・大会案内状の企画 作成
             ・大会案内状の送付
             ・大会参加者の受入 宿泊関係 旅行社との調整
             ・観光コースの企画 調整

   ◎10月24日(金)は、前夜蔡。第七回全国龍馬社中会総会、懇親会
      期間中は、福井市郷土歴史博物館で、「春嶽をめぐる人々特別展」開催予定。

  牧田さんは、「昨今の経済情勢で、大会開催の財政がきびしいので、四苦八苦しています。いろいろ予定の変更もあるが、今後の開催地のこともあり、全国の見本になればと手作りで進めている。

 8月には、概要が確定するでしょう。パンフも出来上がり、各龍馬会に報告できると思う、期待してください」と報告。

  ◎各龍馬会の動き
       ・京都龍馬会  龍馬、お龍縁の地で石碑をたてよう運動を展開中
                  目下 楢崎将作次郎跡、楢崎龍居住地
                  今後の予定には、龍馬お龍内祝言挙式之地 金蔵寺等々
       ・富山龍馬会  総会 6/22
       ・金沢龍馬会  福井大会の取り組みなど総会は7/5(日)など。
       ・酢屋       龍馬と海援隊隊士をかくま った京の町屋。一階は「創作木工芸酢屋」、龍馬をかくま った二階は「ギャラリー龍馬」、京都へ来られたらお気軽に来てください。龍馬に関する新しい資料も展示中。

     ◎その他
 1) 全国龍馬社中の橋本邦健さんのブラジル報告(要旨)。

 南米にも龍馬の志を伝えよう、と全国の龍馬ファンを束ねる橋本邦健さん。ブラジル関係者に呼び掛けで連絡をとり、去る6月10日からブラジルへ渡っていたが14日、現地サンパウロ市のホテルで、龍馬ファンらが旗揚げし、今後の活動へ夢を広げた。

 現地邦字紙「ニッケイ新聞」の社長高木ラウルや自営業者ら三十人が会員として集まった。14日に開かれた発足式には、高知県ブラジル訪問団に同行した橋本会長らを含め40人が参加。

 会員それぞれに龍馬への思いを語り、「龍馬に関する本のポルトガル語版を出したい」、「桜を植樹して『龍馬の森』を作ろう」などと早速、今後の活動のアイデアが出た。

 初代会長に就任したアラゴアス州マセイオ市のホテル経営者、谷広海さん(68)。彼は自身は宮崎市生まれだが、両親が四国高知は室戸市出身。

 1964年(昭和39年)に移住する時に持ってきた『竜馬がゆく』を読んで勇気づけられ、今も大事にしている。高知には愛着があり、

 この話が来た時、これも何かの縁と思いお受けした」と挨拶。橋本会長は「龍馬が世界の海援隊をつくっていたらサントス港に来ていただろう。

 日本人移民百年の年に発足できたことは感無量。次の二百年に向けて頑張ってほしい」とエールを送ってきたという。これで、龍馬会は127番目、海外で7番目の龍馬会で、南米では初めてだ。

 2)全国龍馬社中役員会は、8月2日に開催。

 来る10月の福井での全国大会を前に、龍馬に5000両を貸した松平春嶽やブレーンとして彼を支えた横井小楠、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文を書いた由利公正ら

 越前福井とはどんなところか、全国の役員らに知ってもらおうと8月2日、福井市で開催の予定。時間、その他は未定。

 引き続き、懇親会に移り、全国大会への取り組みの質疑に、今年はとりあえず東京や大阪、名古屋で実施される龍馬検定や

 龍馬カード、各龍馬会の動向などが話し合われた。検討課題としては龍馬社中の財政の確立が上げられ、引き続き検討していくことを確認した。20時終了。

 なお、詳細については、来る7/5の金沢龍馬会(金沢市役所前 石川県広坂庁舎2号館2階  懇親交流会は片町の「鰯組」 )の総会で、報告の予定です。

 新たに会員になりたい方も、また旅の途中で、金沢へ来訪予定の全国各地の龍馬会会員も、万障繰り合わせてご出席下さい。お待ち致しております。
                         2008 6 23(ふ)

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回天蒼生塾

東風に吹かれて

・∴・---------------------------------------------------------------------------

 結成5周年記念総会、来る7月5日(土)に!!
〜金沢龍馬会から〜

 沖縄や九州、四国は梅雨入り。中国四川省の大震災やミャンマーのサイクロンも何とも惨いですね。ガソリンの相次ぐ値上げや平成の姥捨て、御年よりの医療費など国内政治も混沌としています。

 お隣越前福井で「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」、また、姉乙女に「今一度日本をせんたくしたく申候」としたためた坂本龍馬。 今こそ龍馬の心意気が欲しいところです。

 国会の「せんたく議員連盟」の面々に、より活動して欲しいものです。会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様には、その後もお変わりなくお元気でご活躍のことでせう。

 南国、薩摩鹿児島の薩摩郡薩摩町に龍馬会が、近く誕生して、仲間が増えるようです。さて、金沢龍馬会の結成5周年記念総会、懇親交流会は、

 来る6月22日京都で開かれる近畿北陸ブロック会議を経て、7月5日(土)の午後に予定しています。ご案内しますので、万障繰り合わせてご出席下さい。

 ◇日時 2008 7 5(土) 13時30分〜15時
 ◇場所 金沢市広坂2丁目1番1号 金沢市役所前 石川県広坂庁舎2号館2階 TEL 076-223-9558
 ◇来賓   越前龍馬会会長の牧田さん。

 ◇議題  ・ 一年間の活動報告 近畿北陸ブロック会議報告 会計報告
       ・ 今年度の活動方針 全国大会(福井 10/24〜10/25)の取り組みなど

 総会終了後、場所を文豪・室生犀生も遊んだウグイや鮎も飛び跳ねている金沢犀川のほとりの金沢龍馬会会員東さんの「鰯組」に移動して懇親交流会を開催します。あわせてご参加下さい。

 ◇懇親交流会
      場所: 鰯組 金沢市片町1−7−13  犀川大橋近く
                電話 076-224-1493
      時間: 15時30分〜17時30分
      会費: 3000円 恒例によって、差し入れ大歓迎!

 秋10月、越前福井で開催予定の龍馬ファンの全国大会も越前龍馬会(HP 参 http://www1.fctv.ne.jp/~shinji-s/ryoma.htm)が、歓迎の準備を着々と進めており、迫ってきました。

 出会いの神、龍馬に習って知人や友人、新たに会員になりたい方もお誘い合わせの上是非ご参加下さい。前回の花見の宴にこられなかった方も、

 積もる話しに新しい話し等々、談論風発。更に新たに参加される方も必ずや楽しい豊かな出会いもありませう。お元気なお顔を見せてください。待っています。

 この時期に北陸へ旅している龍馬ファンの飛び入り参加も大歓迎!。
遠慮しないで、お気軽にどうぞ。待っています。新たな出会いもありませう。
                              2008 5 29 (ふ)。
   
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 6月7日は、北の大地に集まれ!!
〜北海道龍馬会から〜

 連休も終わりましたが、会員や会友、金沢龍馬会と何らかの接点のある皆様にはお変わりなく
お元気でご活躍のことでせう。

 北の大地、北海道龍馬会から、以下の案内がありましたのでお知らせします。
6/7(土)はイベント企画中で、幕末ファンや何らかの関心のある方は、札幌全日空ホテルに集合です。

 ◇定期総会:15時〜15時30分 会員のみ参加
 ◇記念講演:16時〜17時30分
         ○合田一道さん(ノンフィクション作家、当会会長代行)
                 演題「龍馬と同時代の遺墨たち」
         ○五味澄子さん(勝海舟の曾孫)
                 演題「祖母が語った勝海舟」

 ◇懇親会:18時10分〜20時頃
         ○立食パーティ、ワンコイン抽選会

 ◇遺墨展:「石狩尚古社」開館20周年を記念して、龍馬と同時代の人物に焦点を当て、その遺墨を公開展示いたします。石狩を離れて出品されるのは初めてです。

 その独特の筆遣いから、その時代を駆け抜けていった一人一人の人物を想起することができます。 出展は勝海舟をはじめ、

 高橋泥舟や山岡鉄舟の「幕末三舟」の書をはじめ、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、吉田松陰、山田顕義、河野広中など九幅の書が並ぶ。

 幕末ファン必見、感動!
  遺墨展の観覧時間:14時30分〜15時
              15時30分〜16時 記念講演で合田一道先生の講演は遺墨の解説になります。
                          懇親会での鑑賞も出来ます。

 ◇開催日:平成20年6月7日(土)
 ◇場 所:札幌全日空ホテルB1階 あさひの間(札幌市中央区北3条西1丁目)
 ◇会 費:記念講演については 会員無料、一般資料代300円。懇親会は、3,500円(ワンコイン抽選会含む)
   ◇申込方法:記念講演・遺墨展は直接会場へ。

 懇親会の参加を希望される方は、北海道龍馬会事務局長の南雲富男さん(携帯090-1648-7014)にご連絡ください。

 この時期は、北の大地は、花が咲きほころぶなど最も気候がいい時期です。

 機会を作り、北の大地の素晴しい自然や食に触れたり、各地の龍馬会の会員等と交流を深めるのもいいでせう。
時間を見て、各地を訪ねるもいいでせう。
                              2008 5 7 (ふ)。
 
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 花見懇親交流会盛会に終わる!!
〜金沢龍馬会から〜

 桜、桜。雪柳に木蓮等々、春爛漫。兼六園では、三分咲き。金沢龍馬会の観桜、花見懇親交流会は、浅野川の大橋のたもとに4月5日(土)13時に集合。

 で、地元東山在住で、副会長山田(友)さんの案内で卯辰山山ろく、東山界隈の歴史散策。先月末に渡り初めが行われたばかりの天神橋との間にかかる「梅ノ橋」へ。

 「梅ノ橋」は、長さ66メートル、幅4メートル80センチの歩行者専用の橋で、明治43年に最初の橋がかけられてから金沢の観光名所として親しまれてきた。

 現在の橋は昭和53年に架けられたものだが、30年が経って老朽化してきたため、金沢市が8500万円かけて、耐震補強や欄干を取り替える工事を行ってきた。

 完成した橋は周囲の景観にあうように欄干には県産の木を使っているほか、橋の支柱と欄干をつなぐ部分には地震で橋にかかる力をやわらげる設備が取り付けられている。

 地震対策は理解できるものの、橋の上は板なら分るが舗装されてるとはこれ如何に。何とも無駄なことしていると皆で話しながら渡って、東山歴史散歩。

 浅野川河畔の桜見物のあと、袂で、数年前に火事で焼けた料亭「清風荘」跡に建てられた徳田秋声記念館の前から、先ずは、寿経寺(じゅきょうじ)へ。

 七稲地蔵(なないねじぞう)として知られているが、通りに面した境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。この前の坂道を歩けば、卯辰山の中腹の菖蒲園にたどり着く。

 今を遡ること150年、1858年(安政5年)、金沢でも地震や長雨による凶作が続き、米価が暴騰。飢えた民衆が、当時前田の馬鹿殿が町人入山禁止だった卯辰山に入り、

 対面の城に向かって「ひもじい、ひもじい」と、加賀藩主に米が高くて食べられないと直訴したいわゆる「泣き一揆」が起こった。

 7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったものである。金沢の忘れてはならない歴史の一こまである。次いで、山田さんの別邸にある「龍馬博物館」にて小休憩。

 茶を戴きながらぐるり見渡すと、あるはあるは数多くの龍馬に関する本やライターから50センチぐらいの龍馬像等々、珍しいグッズに一同感心。


 ここで、プランナーの吉田さんが飛び入り参加。更に、茶屋街のそばにあり、卯辰山への入り口に鎮座する節分祭に艶やかな芸妓たちが豆まきをする行事で知られる卯多須神社へ。

 卯辰毘沙門と呼ぶが、境内は桜が見事に開花していた。ここで、記念写真。

  はゝこひし 夕山桜 峰の松

 幼少期に母を亡くした泉鏡花。終生、摩耶信仰したが、母親の思い出については、後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、卯辰毘沙門などを巡ったことなどが折にふれて作品のなかに登場する。

 ここから観光客で賑わう東茶屋街の裏通りの紅殻格子の茶屋や新たに出店したお土産屋さんや、焼飯で知られる自由軒、更に国道を渡り、川沿いから中の橋を経て「空海」へ。

 14時半〜17時、移転新装なった主計町・空海にて小宴会開催。今回出席したのは、五年前は学生で、設立時は会員で後に脱藩、今はアフリカジンバブエから一時帰省した山岡志帆さん、

 また会友で、今回飛び入り参加したプランナーの吉田、市議の山野、玉井、IOデータを脱藩して目下素浪人という室岡、加茂、宮島、中川、斉田夫妻、山田(友)、武内、福野の面々。

 差し入れは県会議長に就任したばかりの紐野、中川、山田(友)、武内さんからそれぞれお酒やワイン、焼酎などの差し入れがあったことを報告。有り難う御座いました。

 まず、会長の武内さんは冒頭、「(会員の)空海さん、(移転新装開店)おめでとう。ますますの発展と会員や会友の更なる発展を期そう」と乾杯。

 この日天候もよく、空海の対面、浅野川沿いの桜は開花しており、春爛漫の一日になった。

 敗戦直後には五十五軒の料亭がひしめき合い、「男の遊び場」として栄えた主計町界隈。町の中心部が繁華街となった片町や香林坊に移ったものの、

 黒瓦の家々が並ぶ通りは、繁栄の名残に金沢の情緒を今も残している。ビルが乱立している犀川のほとりの片町や香林坊から、今後は再び栄えるだろう。

 去年の犀川に次いで、今年で二回目の観桜会。会員や会友、龍馬会と何らかの縁ある方のご栄転やご家族の進学就職等々、あわせて共に喜こんだ。

 今回は山岡さんのアフリカジンバブエの生活、中川さんのオーストラリアでのホームスティのミニ講演に談論風発が続いた。山岡さんは現在無国籍という。中川さんは、親日に驚いたらしい。

 “日に進まざれば、日に退く”と言う先人の言葉の通り、先を見据えることも大事。龍馬に学び、龍馬の精神を各々の血とする為に、龍馬を巡って、それぞれに積る話も時間一杯、延々五時まで披露。

 空海の斉田さん、15年住んでいるが、一階のみを改装したという。二階を案内してもらったが、昔の茶屋そのものが残っていた。最期に、加茂さんの一本〆でお開き。

 さて、来る10月25〜26日(土・日)に、お隣越前福井で全国大会が開催されることになっており、越前龍馬会で、準備が着々進められている。で、マイクロバスで参加することも検討された。

 また、明日6日(日)は、であい・ふれあい・まなびあいをテーマに、越前龍馬会恒例となっている「湊さくら祭」と紹介した。時間は10:00〜16:00。

 場所は、福井市照手の木町桜並木通り(三秀プール前通り)。今年は龍馬縁の松平春嶽生誕180年記念で、盛り沢山。当日は楽市・秋吉、フリマ、たこ焼き、ビール、京物産、龍馬弁当などの出店など。

 一方、お遍路の四国伊予愛媛。東温市の「坊っちゃん劇場」で、坂本龍馬を主人公にしたミュージカル「龍馬!」の上演が、始まっている。

 幕末の志士、坂本龍馬を主人公にしたミュージカル「龍馬!」の上演は、平成21年の3月までおよそ260回の公演が予定されており、春休みに出かけるのもいい。

 今回、やむを得ない事情で参加できなかった方も、次回六月に予定している結成五周年記念総会には知人や友人、新たに会員になりたい方もをお誘い合わせの上是非ご参加下さい。
                                        2008 4 5(ふ)


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日蘭修好150周年記念「屏風〜将軍からの贈り物〜」開催!
  〜長崎龍馬会から〜

 立春が過ぎても寒い日が続き、三寒四温といいつつ啓蟄の頃に。瀬戸内からクギ煮、春告げのウグイスの便り等も届き、春の淡雪の候です。

 会員や会友、金沢龍馬会と何らかの縁がある各位には、その後もお変わりなく、御元気で、ご活躍のことと思っています。

 長崎龍馬会から日蘭修好150周年を記念した「屏風〜将軍からの贈り物〜」長崎の港から長崎へ150年、特別展のご案内が、ありましたのでお知らせします。

 ・期  間 :2008年3月5日(水)〜3月31日(月)
 ・開館時間:8:30〜19:00(最終入館 18:30)
 ・観覧料 : 大人 800円 高校生 600円 小学生 400円

 ・場  所 :長崎歴史文化博物館
          長崎市立山1-1-1 Tel: 095-818-8366
          JR「長崎駅」から路面電車「桜町電停」下車〜徒歩5分

 ・主  催 :長崎歴史文化博物館 日本経済新聞社 長崎新聞社
 ・共  催 :三菱重工業 長崎造船所

 ・特別後援:オランダ王国大使館
 ・後  援 :長崎県 長崎市 長崎県教育委員会 長崎市教育委員会 KTNテレビ長崎 NIB長崎国際テレビ NCC長崎文化放送 NBC長崎放送 NHK長崎放送局 長崎ケーブルメディア エフエム長崎

 ・特別協賛:大和ハウス工業
 ・協  賛 :九州電力 JR九州
 ・協  力 :日本航空
                                     以上。

 鎖国時代から西欧に、唯一開かれた窓口として栄えた長崎。出島と唐人屋敷を設けて西洋の国では、唯一オランダと交易した長崎は

 長い間日蘭交流の場となったが、幕末になると海外列強のアジア進出にともなって、日本とオランダの関係にも変化が生じて、1844年(天保15年)には、

 オランダ国使節コープスが、国王ウィルヘルム2世からの開国勧告の国書を持参して来航。それに対して、幕府は鎖国を固持することを表明したが、

 承知のように、その後、ペリーが浦賀に来航するなど、武力による開国を迫られて、「日米和親条約」が結ばれると、1855年(安政2年)には「日蘭和親条約」が締結された。

 この間、長崎にはオランダの援助を受けて「長崎海軍伝習所」が創設され、その様子や出島で行われたオランダとの貿易など長崎ならではの海外交流の歴史や文化を身近に学ぶことができる街となった。

 日本各地の英才たちが、蘭学や医学等々を学びにやってきて、各藩に伝えて、私塾等々で教えてきたことも忘れてはならない史実である。

 米国のペリーが浦賀に来航した2年後、1855年(安政2年)に長崎海軍伝習所が出来た。龍馬の師匠で、オランダ語が非常に堪能だった勝海舟の

 長崎海軍伝習所の初代の練習船観光丸(スームビング号)をオランダから献上された。時の13代将軍徳川家定が、その返礼として、狩野派や住吉派など、

 狩野派一門を代表する狩野董川中信を「頭取」として幕府御用絵師たちが手がけた当時としては最高水準の絵師に描かせた絢爛豪華な屏風10双を贈り、

 それらは「贈蘭屏風」と呼ばれている。普段はオランダの「ライデン博物館」にあるものだが、この屏風は、江戸で描かせた後に、長崎まで船で運び、

 出島から小舟に乗せて沖に停泊中のオランダ船に乗せた。長い航海の後にオランダに送られた曰く因縁のあるものだ。それが今回、長崎に150年ぶりに帰ってきた「屏風〜将軍からの贈り物〜」特別展である。

 また、練習艦としてオランダ国王ウィレム3世から江戸幕府13代将軍へ贈呈された軍艦は、幕府初の木造蒸気船で、オランダ名スームビング号である。

 長さが29間(52.7m)、幅5は間(9m)、150馬力、大砲6門、排水量400トン。

 時を経て、復元された観光丸は、長崎のハウステンボスで就航している。復元に際しては、オランダのハウスデン市にあるフェロルメ造船所に発注した。

 当時の設計図面になるべく忠実に造船を行ったといわれている。建造費に12億円をかけて進水したのは1987年(昭和62年)のことだった。

 ハウステンボスの観光丸(スームビング号)もいい、幕府御用絵師(狩野派等)に描かせ、当時のオランダ国王に献上した屏風は見事だと思う。

 8双2隻が、初めて出航地長崎に里帰り。他に珍しいものも多く展示してあるので、グラバー亭など龍馬縁の長崎ぶらぶらとあわせて長崎龍馬会の皆さんと交流を深める機会でもあります。

 この春休みには、機会を作り、行って見るのもいいでせう。
まだ、寒さは残りそうです。ご自愛ください。
                               2008 3 5(ふ)


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第8回「寺子屋・龍馬」開催!
  〜京都龍馬会から〜

 三寒四温。梅の便りに、雪が降ったり止んだり、吹き荒れたりと刻一刻と春めいてきました。各位にはその後も御元気でご活躍のことでせう。

 京都龍馬会から『戊辰戦争で焼けた伏見寺田屋〜どうして伝説は生まれたか』をテーマに勉強会を開催する旨の案内がありましたので、お知らせします。

 ・日時:平成20年3月15日(土)18:00〜19:00
 ・場所:龍馬
     京都市中京区木屋町三条下ル材木町184、都会館1階
 ・講師:中村武生(歴史地理研究者、佛教大学・同志社大学の非常勤講師)

 ・テーマ :『戊辰戦争で焼けた伏見寺田屋〜どうして伝説は生まれたか』
 ・参加費 : 1000円(お茶とお菓子がでます)
       ※限定15名(予約制)
       ※終了後、たこ焼きパーティがあります。
           (参加自由。飲み放題 3000円)
 ・申込問合先 : NPO法人京都龍馬会
           〒604-8017 京都市中京区木屋町通三条下ル材木町184
                都会館1F114「龍馬」 TEL/FAX : 075-211-3666

 ▼ 今後の予定
   第9回:平成20年4月15日(火)18:00〜19:00
       『なぜ河原町三条付近に幕末史蹟は多いのか〜京都市教育会の建碑』

   第10回:平成20年5月15日(木)18:00〜19:00
       『龍馬はなぜそこに住んだ?〜幕末志士居所論』

   第11回:平成20年6月(開催日未定)18:00〜19:00
       『先日大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これあり〜天誅組の乱と龍馬』

 千葉房総半島沖で、海上自衛隊の潜水艦が、ちっぽけな漁船に衝突するなど時あたかも国の危機管理が問われています。

 折角の機会です。お時間を作って、春の京都観光等々も日程に入れて、参加されるのもいいでせう。

 出合いの達人、龍馬も待っていることでせう。
金沢龍馬会の、花見懇親交流会は4月5日土曜日、浅の川河畔の主計町で、移転オープンする「空海」で予定しています。

 その際は、はゝこひし 夕山桜 峯の松 と詠った作家泉鏡花の自筆の句碑など卯辰山や山ろくの寺院群について、地元の山田(友)会員による「東山歴史散歩」も予定しています。

 まだまだ、寒さは残りそうです。ご自愛ください。
                         2008 2 23(ふ)


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新年懇親交流会、盛会に終わる!
  〜金沢龍馬会から〜

 会員、会友、金沢龍馬会や回天蒼生塾と何らかの接点や縁ある方へ。
立春が過ぎても寒い日が続き、けふの石川県内は大雪。各位には御元気のことと思っています。

 暖冬気味の冬だったが、終日雪が舞い、雪かきする人も見られるなど久々の大雪。奥能登輪島では、山盛りのご飯をお腹いっぱい食べ、収穫に感謝する伝統行事、

 「もっそう飯」が久手川町で行われた。もっそう飯は、年貢の取立てが厳しかった江戸時代に、農民が、隠し田で作った米を年に一度お腹いっぱい食べたことが始まりとされている。

 この日の当番、中本貞一さん(82)の家では、朝早くから輪島塗りの朱塗りの碗に、円筒状の木枠で、高さが15センチもあるご飯、およそ5合のご飯を山盛りによそい、近所の人に振舞った。

 犀川べりでは、ネコヤナギが、花をつけ始めた金沢では、午後三時から、平成の志士、10人のサムライが各地から集い、金沢龍馬会の新年懇親交流会が開かれた。

 2/16(土)○場所 金沢野町、青柳にて。
       ○時間 午後三時〜午後六時。
       ○出席 小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島 国友 室岡 徳田 武内 福野

 差し入れは 会友で、健康食「ケンタくん 白山店」の藤田さんから松任の銘酒「天狗舞」、武内さんの故郷、土佐高知の「ダバダ火振り」、山田(友 )さんの「ふぐなどの珍味」、

 また「鰯組」東さんから会場へ届いた中能登の銘酒「池月」、宮島さんの麦水等々の紹介で、おぉっと冒頭から盛り上がった。本当に有難う御座いました。

 まず、欠席会員の動向などに続いて、武内会長が「皆さん、御元気で何よりでした。今年の秋(10月25〜26日)は、お隣越前福井に於いて『全国龍馬ファンの集い』が、開催されます。

 地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。出会いの達人、龍馬の志を支えた越前福井での大会に、

 積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。そんなことも討議したいと思います」と乾杯。

 続いて、初めて参加した羽咋の吉野さんが紹介され、恒例により、近況なども交えてそれぞれが自己紹介。ここで、仕事を終えてきた徳田君も入って、宮島さんの手作り、盛りだくさんの肴で、懇親が続いた。

 事務局長福野から、去る九日、京都で開催された全国龍馬社中役員会や、翌十日越前龍馬会の総会や講演会に出席した各地の龍馬会の動きなどについて、

 京都や大阪、兵庫、滋賀、和歌山、奈良、福井、石川、富山にまたがる近畿北陸ブロックの活動の強化。また、

 この秋に東京や名古屋、大阪で実施予定の龍馬検定、更に越前福井の全国大会の進行状況などについて報告。(別紙 参)。

 この日、不参加の予定だった金沢市議の山野さん、前の会合が予定より早く終わったのでと駆けつけた。で、折角の機会でもあり、

 後に、名高裁金沢支部、裁判に負けた市長山出の心中など今、市民の関心事、問題となっている金沢市議会の政務調査費の返還について裏話なども交えて話して戴いた。

 会員の室岡さんが「高杉晋作と小栗上野介」と題したミニ講演。高杉は辞世の句として「面白きこともなき世を面白く」と詠った。

 室岡さんは、晋作が金沢など北陸へ来たことや、騎兵隊の活躍について彼の日記などをもとに触れた他、小栗が、世界一周した後を辿って、

 米国の公文書館へも足を延ばして、米国での足跡なども探りたいと、抱負を披露。それにしても、数え年にして29歳、27年と8ヶ月の短い生涯だった晋作の謎も残る。

 懸案となっていた副会長人事。提案された山田(友)さんの副会長就任も全員一致で、了承された。なお就任は6月にも予定されている定期総会で正式決定の運びとなる。

 福井の全国大会も迫っており、懸案となっている法被については国友さんに試作品を急ぐようにと要請。また、金沢龍馬会のオリジナルグッズについても検討していくことを確認した。

 武内さんから、先刻母上の13回忌で、帰省した折、龍馬の土佐高知も高速道の4車線で、瀬戸大橋を通れば近くなった。また教え子たちが、この20日、金沢市文化ホールで開かれる仁愛短大の定期演奏会の案内、

 画家の国友さんは「一創会」の無鑑査になったことを共に拍手で祝った。で、来る28日から開催の東京都美術館で、出品されていることが報告された。

 あっというまに二時間が過ぎて、山田(友 )さんの中締め。このあとも、龍馬のグッズや晋作、小栗等々を巡って話題は尽きず。また、吉野さんによる北陸の曹洞宗の寺院など宗派の史実。

 更に、龍馬ファン、福井の全国大会ではどのような応援が出来るか。半島震災に遭った国友さんの奥さんの実家、門前町での田植えも会員が応援に出かけることなども話題にあがり、談論風発が続いた。

 会員各位のミニ講演は続けていくことなども申し合わせて、次回花の咲く頃にも、また元気に会おうと、午後六時過ぎにお開き。

 今回、やむを得ず参加出来なかった方は、次回三月末に浅の川沿い主計(かずえ)町に新装移転する「空海」で、開催を予定します。

 で、新たに金沢龍馬会に参加したい方にも呼びかけて、是非参加してください。

 又あふと思う心をしるべにて
      道なき世にも出づる旅かな
                 龍馬

 お疲れさまでした。会員や会友、金沢龍馬会と何らかの縁ある方々におかれましては、
次回もお元気な顔を見せてください。

 金沢は朝から深々と降り続く雪で、積雪は10センチ。1メートルを超える白山麓の白峰で、伝統的な町並みを光で包むライトアップが初めて行われた。

 山岸家をはじめとする歴史ある町並みが、静かに降り積もる雪とともに光に照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出した。金沢の冬は今日のような雪が似合って居るのかも知れない。

 明日は東京マラソン、越前福井では、江戸時代から300年続く「牛蒡お講」が各地で行われる。
二回も越前へやってきた龍馬も戴いたのだろうか。

 各地では、まだ、寒さは残ります。ご自愛ください。
                           2008 2 16(ふ)


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 近畿北陸など各ブロックの活動強化を!!
 〜全国龍馬社中から〜

 各地では雛飾りが話題になっている。
吹雪の舞う京都で、連休初日の2月9日、全国龍馬社中の役員会が開かれたので、概要をご報告します。

 北は北海道から、岩手や東京、横浜、土佐高知の梼原、南は長崎、鹿児島に、地元京都龍馬会の会員らオブザーバーら全国各地から30人余りが出席。

 地元京都や大阪、兵庫、滋賀、和歌山、奈良、福井、石川、富山にまたがる近畿北陸ブロック龍馬会のうち、北陸からは越前龍馬会会長の牧田さんに代わって山本さんに金沢龍馬会の福野が出席した。

 駅近くの会場ハトャ瑞鳳閣は、新撰組が最後の屯所としていた跡地。思いがけない降りしきる雪で、足下も悪く、会議は30分余り遅れた。

 橋本邦健会長は、冒頭「龍馬会は全国で124となったが、点から面への活動はされていると思う。今年6月には移民100年を記念してブラジルなど、幾つか龍馬会の発足が予定されている。

 各龍馬会が、それぞれの地域で何が出来るか自問しながら、各ブロックの積極的な取り組に期待したい」と挨拶。

 議題に先立ち、前回の去年秋の高知から検討課題になっていた龍馬カードの件は、検討の結果中止することになったことが報告された。

 議題
 1)全国龍馬社中ブロック大会の充実について

  九州では、年四回開催しているなども報告されたが、強化策には、東北ブロックの岩手、厳手一関龍馬会の桜の並木一万本の植樹や長崎の音楽祭、

 薩摩の霧島ハネムーン龍馬ウォークなど事業の継続や発展に繋がることが先決。で、年に二回のブロック大会の開催や具体案は各龍馬会にゆだねられた。

  また、連絡網の強化も挙げられ、4月までにブロックで、まとめて事務局へ報告することなども了承された。

 2)龍馬検定(仮称)について

  土佐高知の県立坂本龍馬記念館や兵庫の検定とダブルことが、懸念されたものの、一応了承された。具体的には「第一回坂本龍馬幕末歴史検定」(案)の概要やスケジュールについて

   主催:全国龍馬社中 共催:日本出版販売株式会社(ニッパン)
 後援:高知県 高知市 マスコミ各社他
 協力:高知県立坂本龍馬記念館他

 告知:三月下旬 公式テキスト問題集発行:新人物往来社 テキスト問題集発行:3月発売 検定申し込み日:春 検定日:秋 検定試験場:東京、名古屋、京都 ランク:初級、中級

 なお、検定問題は、歴史家で、全国龍馬社中副会長の小見濃さんら13人で、一人20問を作成して、3月下旬発行をメドに調整している。

 2)その他

 龍馬社中副会長で、熊本荒尾市の一期一会会長の平川さんから提起されていた理念の追加など規約改正について、現状でいいとか、「龍馬である」とか、全国にまたがる会員もあり、必要がないなどとなかなかまとまらず。

 厳手一関の小野寺さんから、組織が大きくなると、理念も必要で、対外的にも必要でないかとの提案もあったが、残念ながら次回へ持ち越しになった。

 なお、席上、龍馬を慕う女性の団体「龍馬108(ぼんのう)女人会」の会長小沼さんから、去る1月22日、地震に遭ったジャカルタのジョクジャカルタのバントゥル県で、

 金の繭が取れる野生の蛾が育つカシューナッツの木を108本植林して「龍馬の森」と名付けたことなども報告された。

 近畿北陸ブロック、越前龍馬会の山本さんは、龍馬検定(仮称)について、単に紙切れの検定賞でなく、金銀のメダルかバッジを与えてはどうかと提案。

 老いドンは、各ブロックの活動の強化は勿論だ。が、社中事務局の強化が求められているのかと指摘するも、事務局は観光協会が代行しており、難しいと。

 ならば、財政の強化策こそ緊急の課題と思う。そんなことから、遅きに失したが、龍馬検定になったと思う。ま、やるからには是非成功して欲しい。

◇全国龍馬社中、今後の予定
  ・「龍馬108女人会」の発会 東京 3/2
  ・関東ブロック大会 東京 3/2
  ・JALウォークin高知 高知 3/9
  ・龍馬ハネムーンウォークin霧島 霧島 3/15〜16
  ・ミュージカル「龍馬」 愛媛 東温市 3/22〜
  ・龍馬脱藩祭 高知 3/23
  ・全国龍馬社中役員会 福井10/24
  ・全国龍馬ファンの集い 福井 10/25〜26
  ・坂本龍馬誕生祭  高知 11/15〜16
  ・龍馬ゆかりの路ツーデーウォーク 高知 11/15〜16
  ・第35回龍馬祭  高知11/16
   他
                           以上。

 この会でも、再会の方もあり、お陰様である。出合いの達人龍馬の習いで、桜並木に取り組む厳手一関龍馬会会長の小野寺、築地龍馬会の会長で、人祭り総長の平石、ソニー坂本龍馬研究会副会長の古居、

 龍馬が脱藩の際、韮が峠から出発した梼原(ゆすはら)、土佐高知の梼原龍馬会会長下元、鹿児島龍馬会の会長で、薩摩の味作りの馬場、長崎龍馬会事務局長で、龍馬が愛したカフェが売り金子さんらとの出合いもあった。

 帰路、福井で、途中下車。市内湊公民館で開催された越前龍馬会の定期総会に参加。今年秋の全国大会に向けて、前市長の酒井、衆議院議員の山本さんらも出席するなど燃える総会だった。

 大会開催費は総額800万円。その捻出に各方面に後援や寄付等々に出歩いている。近くポスターも完成するが、メインの講演講師が難航している等々の報告もあった。

 で、ブロック内の各龍馬会の各位にカンパを呼びかけたい。また、越前龍馬会会長で、莨屋塾代表の牧田活宜さんの「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」と題した講演会などの模様については、

 全国龍馬社中の様子や雪の舞う京の都でのことなどと共に、来る16日の金沢龍馬会の新年交流懇親会や「東風に吹かれて」で、触れたい。
                            2008 2 10(ふ)


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 「龍馬108女人会」の発会、3月2日(日)!
  〜江戸、深川から〜

 暦の上では春ですが、名のみで、寒さは変わりません。
会員や会友、金沢龍馬会や回天蒼生塾 と何らかの接点、縁のある皆様には、いかがお過ごしでせうか。

 2月16日に開催予定の金沢龍馬会の新年懇親交流会も迫ってきました。
今回は、龍馬108女人会の会長、小沼百合子さんから以下のご案内がありましたので、お知らせします。

 この度、全国龍馬会の皆様のご協力とご支援により「龍馬108女人会」を発会することになりました。
振り返ってみますと、龍馬会とのご縁は2004年11月11日、京都龍馬会との偶然の出会いに始まります。

 まずは活動の一歩として1月18日から23日までインドネシア、ジョグジャカルタを訪問して、記念植樹を行ってまいりました。

 これはロイヤルシルク財団のご招待により、ジョグジャカルタ王室グスティー・パンバユン王女が主催。州知事や政府関係者多数の参加により「ジャワ鎮守の森」記念式典が行われました。

 私たちは108本のカシューナッツの苗木を寄贈し、「龍馬の森」植樹支援をスタートさせました。これからも私たちの活動が少しでも社会に貢献できますように、又皆様と共に龍馬顕彰のために尽くさせていただければ幸甚に存じ上げます。

 最後になりましたが、 今後に向けてご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げるとともに、本発会式にご参会の程お願いいたします。

 【日時】 平成20年 午後3時から発会式
                          ・記念講演 龍馬社中会長 橋本邦健さん
             午後4時〜午後6時
                            ・懇親会

 【場所】 深川富岡八幡宮
        東京都江東区富岡1-20-3
          TEL 03-3642-1315
 【会費】 五千円 当日受付にて申し受けます。

  *連絡先*
    龍馬108女人会事務局
          潟nンズハウス内
      〒112-0011 東京都文京区千石4-46-7
            TEL:03-5940-3441 FAX:03-5940-3447

                              以上。

 インドネシアは赤道直下、東南アジアからオセアニアにかけて広がる世界最大の多島国家。2008年は、日本とインドネシアの友好条約発効50周年に当たる。

 インドネシアの古都ジョグジャカルタに本拠を置くロイヤル・シルク財団は、2005年に設立されて、天然の黄金色、現地特有のワイルドシルク(野蚕)であるクリキュラやアタカスの生息環境を保全しようと植樹活動に取り組んでい.る。

 折角の機会です。梅の開花の頃で、春休みです。出張とか、何かの折に、江戸へ出かけた際に、歴史のある深川富岡八幡宮の発会式に参加されるのもいいでせう。

 ご承知のように、 富岡八幡宮は1627年(寛永4年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た。

 世に「深川の八幡様」といわれるように、今も昔も変わらぬ信仰を集める江戸最大の八幡様である。江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外、尊崇した将軍徳川の手厚い保護を受けた。

 明治維新に際しては朝廷が准勅祭社に治定して、勅使を遣わして幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念したという経緯もある。

 また、庶民の信仰は江戸の昔から歴史の変転を経て、現代に至まで変わることなく篤く受け継がれている。

 今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せている。このほか、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬の銅像が、境内大鳥居横にある。

 測量開始から200年余りを迎え、50歳を過ぎてから天文学や測量術を学んだ忠敬が注目を集めているが、忠敬は深川黒江町(現 門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず富岡八幡宮を参拝していたという。

 このことから縁りの地である八幡宮に銅像が建てられている。
歴史の一端に触れて、 出会いの達人龍馬に習い、参加されれば、また新たな出会いもあると思います。

 来る2月16日午後3時から、金沢野町「青柳」で開催される金沢龍馬会の「新年懇親交流会」では、室岡会員による「高杉晋作と小栗上野介」の話しも予定しており、

 越前龍馬会の講演会「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」への参加や「龍馬108女人会」の発会など、諸々話題になればと思います。
                             2008 2 3 節分(ふ)

 2/12現在 金沢龍馬会の新年懇親交流会 出席
        小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島  国友 室岡 徳田 向山 武内 福野
       欠席連絡
        中川 山田(省) 齊田夫妻 加茂 東 諸橋 済田ゆうじ 不破 大P夫妻 有重

 
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 第7回越前龍馬会定期総会は、2月10日(日)開催!
  〜越前龍馬会から〜

 会員、会友、金沢龍馬会と何らかの接点や縁ある各位へ。
寒さもひときわ厳しくなりました。寒中お見舞い申し上げます。その後もお変わりございませんか。

 今年の秋(10月25〜26日)、越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」を開催する、お隣の越前龍馬会。第7回越前龍馬会定期総会と講演のご案内がありましたので、お知らせします。

 ◎時・平成20年2月10日(日)
      午後1:30から(受付1:00から)

 ◎所・福井市湊公民館
      福井市学園1−4−8  TEL0776−22−0032

 ◎・特別講話
    時・午後2:00から

    「越前出身海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実」
       講話は越前龍馬会会長で、莨屋塾代表の牧田活宜さん。

 ◎入場は無料です。

                                             以上。

 お隣越前福井藩出身の海援隊士、渡辺剛八(1842〜?)。彼について、これまで明らかにされているのは、没年不祥。別名は大山重、変名は大山壮太郎、柴田八兵衛。

 社中の時代から海援隊に参加していたようだが、名前が出てくるのは龍馬の「三吉慎蔵宛書簡」 (慶応二年7月28日)である。

 このころ、亀山社中は持ち船の「ワイルウェフ号」を失って、亀山社中の困窮期で、龍馬も一時は解散を決意した程だった。

 先の「三吉慎蔵宛書簡」によると、伊予大洲藩の依頼で、同藩の「いろは丸」乗組員として渡辺剛八を初め菅野覚兵衛、橋本久太夫らを派遣し、急場を凌いだという。

 渡辺はこの後も、いろは丸との関係が続き、翌三年まで機関方を務めた。慶応三年四月に海援隊が「いろは丸」を大洲藩より借り受けることに成功、

 渡辺も引き続き同船へ乗り組み、銃器商品を満載して長崎を出航。瀬戸内海を航行中の4月23日深夜、紀州藩船「明光丸」と衝突し、沈没する事故に遭遇した。いわゆる「いろは丸事件」である。

 その後も事件解決のために行われた長崎での紀州藩との交渉には、同船の運航の当事者として出席し、解決に向けて力を尽くす。

 慶応三年(1867年)5月29日、龍馬から渡辺と小谷耕蔵に宛てた書簡では、紀州藩との交渉が成立し、そのことを隊士一同に知らせるよう依頼してきたもの。

 これから分かるように渡辺は留守がちな龍馬に代わって、幹部の菅野覚兵衛と二人で海援隊を仕切っていたようだ。

 また、七月六日に長崎港に停泊していたイギリス軍艦イカルスの乗組水兵だったロバート・フォードとジョン・ハッチングスは泥酔して丸山の路上で寝ていたところを、何者かに殺害された。

 この「イカルス号事件」では、渡辺と菅野覚兵衛は共に最後まで自説を曲げず、長崎奉行所の役人を手こずらせ、胆力・気骨のあるところをみせている。

   十一月十五日午後九時過ぎ、龍馬は京都・近江屋で、惨殺刺客にされたことを長崎で知った渡辺は激昂し、単身でも上京して敵討ちすると息巻いたが、

 土佐藩大監察・佐々木高行に制止されて思い止まった。その後、渡辺は翌慶応四年1月に勃発した長崎奉行所占拠事件で、沢村惣之丞と共に海援隊士を引き連れて参加している。

 また、慶応四年4月、菅野覚兵衛と楢崎将作の三女で、龍馬の妻お龍の妹・起美との結婚に際して、仲人役を務めていた。

 その後、海援隊は解散し、渡辺は長崎で組織された長崎振遠隊の幹部として、奥羽地方の内戦の鎮圧に向かった。

 この長崎振遠隊は渡辺をはじめ、菅野覚兵衛、石田英吉、野村維章らの元海援隊士が軍監となって率い、荘内・仙台連合軍との激戦に戦功を立てている。

 維新後、諸役を歴任して屯田事務局に出仕。班次である準陸軍大佐兼開拓少判官に任ぜられ蝦夷地開拓に従事した。

 だが、この後の消息はまったく分かっていない。没年も不明。龍馬の蝦夷地開拓の夢に自分の夢を重ねて、渡辺はその地で果てたのだろうか。

 また、越前藩士佐々木栄(生没年月不詳)についても、慶応三年の夏頃に海援隊へ参加している。渡辺剛八らと長崎奉行所占拠事件に関与して、長崎の治安維持に努めている。

 「横笛丸」の船長だったが詳細は不明である。先に触れた長崎の英国軍艦「イカルス号事件」。事件直後に長崎に来着した英国特派全権公使パークスは、

 6日夜長崎港を出帆した土佐藩帆船「横笛丸」の乗組員の犯行と疑って、長崎奉行に抗議し、外交問題へと発展した。 事件の顛末情報を風説から得たパークスは

 激怒し、三回に亙り長崎奉行徳永主悦と会談し抗議。パークスは「横笛」が下手人(土佐海援隊士)を乗せて港外に出て、海上で下手人を「若紫」に移乗させ、

 「横笛丸」は何も無かったように長崎へ戻ったのではないのか、というものであった。長崎奉行は土佐藩士犯人説は風説であり、証拠が無いと反論。

 パークスは政府(幕府奉行)にて手を下すことを恐れ猶予しているのではないか。幕府が藩に対して実力を行使できないのなら英軍によって解決する他ない、

 直接幕府に談判すると大変な剣幕。パークスは三回目の会談を終えるや、その日7/20のうちに大坂へ向かい長崎を出港。パークスに責め立てられた長崎奉行は、

 夜になって「横笛丸」の船長佐々木栄及び乗組員などを召還して訊問するも、証拠はつかめなかった。で、「横笛丸」が奉行からの出港差し止め命令を無視して長崎出港、

 鹿児島へ向っている。詳しくは今回の講演に期待したい。龍馬縁の海援隊士・渡辺剛八と佐々木栄の新史実が、出たようです。またとない折角の機会です。

 越前龍馬会のご好意に甘えて、この機会に 是非興味のある方や新たに龍馬会に参加したい方も、お誘い合せの上参加されてはいかがでせうか。

 私事になりますが、老母鬼籍への際は、いろいろご配慮を戴き有り難うございました。この場を借りてひと言御礼申し上げます。合掌。

                              2008 1 21 大寒(ふ)

 
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 新年懇親交流会は、2月16日に開催!
  〜金沢龍馬会から〜

 会員、会友各位、金沢龍馬会と何らかの接点や縁ある方へ。

 寒中お見舞い申し上げます。年末年始はいかがでしたか。久々にゆっくりされましたか。御元気でいい年を迎えたことと思っています。

 つきましては、来る2008年、二月十六日(土)の午後三時から、金沢龍馬会の新年懇親交流会を開催します。

 会員や会友相互で、積もる話や提案したいこともあるでせう。で、これまで来られなかった会員も万障繰り合わせの上、ご参加下さい。

 その際、知人友人に、新たに龍馬会に参加したい方にも是非呼びかけて、参加してください。
以下、時ところです。

 2008年2/16(土)、場所 金沢野町、青柳(野町APAホテル前  モシモシ076−242−4014)。時間は午後三時から、午後五時。会費は3000円。いつものように、差し入れは大歓迎です。

 会場の都合もあり、出欠の連絡は2/10日までに事務局へ下さい。

 今年の秋(10月25〜26日)は、お隣越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」が、開催されます。地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。

 出会いの達人、龍馬の志を支えた越前福井での大会に、積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。
そんなことも討議したいと思います。

 自分が住む地域や金沢龍馬会で、また越前で何が出来るのか。何をしたいのか、出来るのか。誰のためなのか。活動をより活発にするために、会員の拡大や法人会員の拡大等々についても話しませう。

   また、2/9、京都で開催される、全国龍馬社中役員会に出席予定の事務局長福野から、全国龍馬社中の動きや全国各地の龍馬会のご報告等々も出来ませう。

 当日会場で、待っています。お元気な顔を見せてください。

 2/12現在 出席連絡
        小屋 玉井 山田(友 ) 吉野 宮島  国友 室岡 徳田 向山 武内 福野
        欠席連絡
        中川 山田(省) 齊田夫妻 加茂 東 諸橋 済田ゆうじ 不破 大瀬夫妻 有重

 以下はご承知でせうが、余談です。
龍馬と陸奥宗光(1844〜1897)の関係などについては参考までに。

 宗光は、紀州紀伊藩 (和歌山)の出身。龍馬の海援隊に加わって活躍、明治維新後は兵庫県知事や神奈川県令などをつとめたが、西南戟争の際、反乱をおこそうとしたため、投獄された。

 出獄後は米国駐在公使、山県有朋内閣の農商務大臣を経て、第2次伊藤博文内閣の外務大臣となって日清戦争前後の外交を指導。

 条約改正交渉の成功や下関条約の調印、三国干渉への対応など、大きな功績をあげたことは承知の通りである。

 さて、龍馬と陸奥宗光は8才の違い。が、いまだ若輩、修行中の宗光。勝海舟の建議で創設され、龍馬が実質の運営と監督にあたった神戸の海軍操練所も長くは続かなかった。

 頃は文久3年(1863年)。8月18日、中川宮朝彦親王や近衛忠煕など公武合体派の皇族や公卿、薩摩、会津藩中心に企てられた政変の結果、

 三条実美をはじめとする尊攘派の公卿、長州の勢力が京都から一掃された。翌、元治元年(1864年)、6月には池田屋事件。

 久坂玄瑞、高杉晋作を称して松陰門下の三秀という。その一人長州の吉田 稔麿(としまろ)、肥後の宮部鼎蔵、土佐出身の操練所塾生望月亀弥太も斬殺された。

 7月、長州は「君側の奸」打倒を目指し京都に攻め上るが、薩摩や会津に封じられ京の三分の一を焼き尽くす甲子の戦争、いわゆる「禁門の変」。

 この時、長州を蹴散らしたのは3月に、薩摩の久光に赦免され京に上って薩摩の出先を仕切っていた西郷吉之助だ。

 長州はこれで朝敵の烙印を押され、朝命を受けた幕府によって、第1回長州征伐、このような時勢の中、幕府内も保守派の台頭で

 11月、勝は軍艦奉行を解任され江戸に召喚、二千石から百俵の身分に。尊攘派の避難所と、にらまれた海軍操練所も閉鎖されてしまった。

 しかし、勝の依頼を受けた薩摩藩は塾生の保護に回り、龍馬らは大坂の薩摩藩邸に匿われる。このなかに宗光も居た。

 明けて慶応元年(1865年)の4月、龍馬らは、対幕府政策の協議のため国元に帰る西郷と小松帯刀に同行、鹿児島に向かう。次に、汽船「開聞丸」購入の藩命を受けた小松に連れられて、5月には長崎についた。

 この長崎で、龍馬は、自分自身と彼に従うおよそ20人の自活と自衛のため、海上運送や商取引の仲介、一種の貿易商会である「亀山社中」を起こす。

 薩摩藩も政治的保護、資金の援助を与えた。彼らにとって、この時代は長崎ほどすばらしい場所はなかったろう。源二郎と名乗っていた宗光は、陸奥の姓を使いはじめている。

 長崎には、のちに宗光と征韓論政府転覆で行動を共にする土佐の大江卓や中江兆民も遊学中で、龍馬の知遇もえていた。

 そのときの兆民は「予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も、彼が純然たる土佐訛りの言語もて、

 『中江のニイさん、タバコ買ふて来てオーせ』などと命ぜらるれば、欣然として使ひしこと屡々なりき」と述懐している。この頃土佐では容堂によって武市瑞山が切腹、

 龍馬と目指す方向は、分かれたが、綽名で呼び合う仲だった。今連れている同志は瑞山のもとで育ってきている。しかし、龍馬に感傷に浸っている時間はなかった。

 亀山社中が最初に行った商業活動は、幕府の監視と封鎖をかいくぐって長州藩のために、武器を購入することであった。

 これは、のちの薩長同盟の重要な礎石の役割を果たす。

 慶応元年7月、亀山社中はイギリス商人トーマス・グラバーから薩摩藩名義で、購入したミニエー銃4300挺、ゲヴェール銃3000挺を、長州を代表して購入に来た伊藤俊輔(博文)や、

 井上聞多(馨)に渡して、12月には、長州は同じ手でグラバー商会から、汽船「ユニオン号」を購入できている。米英仏蘭の四カ国連合艦隊の砲火で深刻な打撃を受け、

 今また幕府の第一次征討軍に包囲された長州に救援の手を差し伸べようとしたのは、龍馬だけではなかった。薩摩もまた、傍観。長州見殺しが自藩の利益にならぬことに気づき始めていた。

 龍馬は薩摩の側から「戦の一字」の中岡慎太郎は長州へ。それぞれ両藩の間を周旋し調停に当たった。二人の奔走も実って薩長同盟(薩長連合)の密約がなったのは慶応2年(1866年)1月、京都の薩摩藩邸であった。

   一介の脱藩の志士にすぎない龍馬は薩長という二大雄藩の密議に同席して、なおかつ保証人の役までを務めた。翌23日、寺田屋に直行、勿論お龍に会うため。

 お龍の風呂の窓越しに見えた抜き身の長槍、ここをお龍の機転で捕方百人の包囲から脱出。京の薩摩屋敷に戻り、西郷と松立会いのもとで正式に祝言。3月には日本初の新婚旅行?霧島などの新婚旅行へ旅立つ。

 慶応2年6月に再開された第二次長州征討では、6月16日龍馬らを乗せ下関に到着した「ユニオン号」は、直ちに奇兵隊参謀と海軍総督を兼ねていた高杉晋作の指揮下に入り、下関海峡の戦いに参加。

 幕府の勢威回復のもとに始められた第二次征討も幕府側が敗退を重ねたあげくの権勢失墜。家茂も急死で、9月に休戦。12月には慶喜が15代将軍職を継ぐ。

 この月には孝明天皇も天然痘にて急没した。さまざまな屈折を経過しながらの維新の舞台劇もいよいよ大詰めにさしかかろうとしていた。

 この頃の宗光は、何をしていたのだろうか。寺島宗則は最初の薩摩藩英国留学からの帰途で、上海から乗り継いだ英国船上で、陸奥に出会ったという。

 寺島は後の1878年(明治11年)、外務卿(外務大臣)に就任し、樺太・千島交換条約や日朝修好条規の締結などの外交交渉を担当していた人物。

 龍馬は宗光の勉学好きと才能を惜しむとともに自負心の強いことも配慮し、他の同志とはかなり違った動きをゆるした。宗光も、ひたすら航海術や英語・海外の新知識の吸収に務めていた。

 この勉学は、翌3年に結成された海援隊の活動で見事に開花してゆく。龍馬は、薩長連合で再び時流の先頭に立った両藩の間で、にわかに声望を高めたのは慶応3年初頭のことである。

 薩長両藩の上に緊密な関係を作り上げた龍馬、中岡の存在が土佐藩の指導者の目に大きく映りだしてきた。龍馬の3歳年下の上士階級出身の

 参政・後藤象二郎は、前藩主山内容堂、武市派に文久2年斬殺された参政吉田東洋の立場に近かった。が、いまや「薩長土」連合戦線形成のため、慶応3年1月、脱藩した浪人の龍馬と直に会談する。

 4月に、龍馬や中岡は脱藩の罪もとかれて、土佐藩に復帰、長崎での後藤、福岡孝悌の協議で、海援隊と陸援隊が設置され、二人はそれぞれの隊長に任命された。

 海援隊は、出身地の藩籍や身分の如何を問わず、佐幕・倒幕の政治的立場の相違も超えて、新しい時代に生きようとする青年に学問と修行の場を提供しようという理想の実現をめざした。

 以前にも触れたことがあるが、海援隊の約規の冒頭には「一、凡そ嘗て本藩(土佐)ヲ脱スル者、及、他藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者、此の隊ニ入ル。

 運輸、射利(営利)、開拓、投機ニ臨ミ本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。今後自(藩)他(藩)ニ論ナク、其志ニ従テ撰入之‥・」

 海援隊には、亀山社中以来の同志含めおよそ50人。このなかに陸奥源ニ郎の名もあった。龍馬によれば、海援隊の精神とは「国を開らくの道ハ、戦するものハ戦ひ、

 修行するものハ修行し、商法ハ商法で名々かへり見ずやらねバ相不成事故、小弟出崎(長崎にゆくこと)の上ハ、諸生の稽古致す所だけハしておき候まゝ、御稽古ハでき候べし」

   龍馬の思考と行動は、既に狭い藩の枠をはるかに超えたものであった。明治維新後、逆に薩長などの藩閥専制、縁故の世の中になる。宗光は旧藩に縛られた人間と仕組みを終生嫌悪したという。

 海援隊は波乱の船出、伊予大洲藩から借りていた「伊呂波丸」が、讃岐の箱の沖で大船「明光丸」に衝突されて、龍馬以下35人は救助されたが、船はあっけなく沈んでしまった。

 長崎から大坂に運ぶ途中の銃器弾薬などの積荷もろとも失った龍馬は、大藩相手に「万国公法」を持ち出し損害賠償交渉。で、八万三千両を得て勝利した。

 大藩とは、悪いことに宗光の紀州藩、またまた他の隊士からイジメにあった。めげずに宗光は「商法の愚策」を書き、海援隊の商事部門をやる意欲満々。

 薩長土肥、更に越前までを股にかけた龍馬の東奔西走の日々の中、宗光は田辺、仙台藩などとの取引など、次第に大きな商談の裁量も任されるようになっていく。

 土佐藩のためには、オランダ商人・ハートマンからライフル銃1300挺を調達したり、このころの宗光の鞍馬天狗のような写真、どう見ても伊達者!?か蕩児の風采!?。

 慶応3年(1867年)6月、「伊呂波丸事件」を乗り切った龍馬は、後藤象二郎とともに土佐の藩船「夕顔」で長崎を離れ、海路京に向かう。

 が、すでに京都では、5月21日夜、中岡慎太郎の周旋によって、土佐藩から乾(板垣)退助や谷干城、それに毛利恭助、薩摩から

 西郷隆盛、小松帯刀。吉井幸輔にて、倒幕の戦端が開かれた際の両藩協力の密約が成っていた。後藤象二郎は、武力倒幕に組みしない山内容堂から上京を要請されていた。

 後藤の船に便乗して、6月12日兵庫についた龍馬は、この航海途中に、王政復古の私案「船中八策」を後藤に示していた。

 これは、勝海舟や大久保一翁、横井小楠などとの接触を通して、龍馬が次第に組み上げてきた合議政体の思想が、この航海に同行した海援隊士・長岡謙吉の筆で文書となったもの。

 維新後の日本の政治社会を支配する諸理念が、ことば使いも含めてほとんど出揃っている。あるものは明治元年(1868年)「五箇条のご誓文」に、こだまして、

 また、あるものは明治7年の板垣や後藤の「民選議員設立建白書」の文面に蘇る。しかも、これは合議政体に平和的に移行する可能性を充分に考慮した提案でもあった。

 しかし、10月3日、「船中八策」に起因する合議政体の採用と内政と外交の刷新を訴えた土佐の山内容堂からの「大政奉還建白書」は後藤象二郎を介して将軍慶喜に提出され、いよいよ最後の局面を迎えた。

 この間、龍馬は懸命に後藤の背中を押しつづけ、後藤もまた決死の思いを政権返還にかけた。後藤からの急報で、将軍慶喜の決意を聞いた龍馬は傍らに居た海援隊士中島作太郎(宗光の義弟)に

 「よくも断じ給えるものかな、余は誓ってこの公のために一命を捨てん」と、感動にことばをふるわせながら語ったという。

 10月14日、慶喜は大政奉還を上表、朝廷はすぐさま15日にこれを受理。しかし、このあとすぐに王政復古、平和裡に合議政体樹立まで、一直線とはならなかった。

 いったん慶喜に機先を制せられた薩摩の西郷や大久保、岩倉具視などを中核とする武力倒幕派は、宮廷革命の方式にて政権返還派の動きを封じ、

 一気に幕府勢力打倒の方向に向かったからである。そんなこともあった。
                        2008 1 10(ふ)

                           
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 全国の会員、会友各位へ
  〜金沢龍馬会から〜

 2008年の幕が明けました。
謹んで新年のお喜びを申し上げます。

 昨年は、全国の会員や会友、ゆかりのある方々に、半島震災募金などでお世話になり有り難うございました。
今年もよろしくお願い申し上げます。

 金沢龍馬会は、お陰様で、2003年(平成15年)の10月13日の創立以来、今年で5年目を迎えます。以来、越前龍馬会や富山龍馬会、近畿北陸ブロック会議や全国大会など種々の催しに参加させて戴きました。

 また、金沢龍馬会も歴史散歩花見会や講演会などの活動もそれなりに行ってきました。
今年も龍馬の志に学び、敵、味方関係なく、逢うべき人との出会いのために、会員は頑張る決意を新たにしています。

 躊躇無く自分の足を使った龍馬。
21世紀の我々に、あらためて脱藩の意味を問いかけていると思っています。

 紛争の絶えない世界、みどりの星の喜びのカケラもない地球汚染、堕落した政官財商、格差社会・・・。
頑な心からの脱藩、体制からの脱藩を問われているように思えます。

 「今一度日本をせんたくしたく申候」といった龍馬。今、自分に出来ることは何かを考え、龍馬に笑われないよう、ひとり一人が自分の信念を大切にし、行動すべきではないのか。

 今年は、お隣越前福井に於いて「全国龍馬ファンの集い」が開催(10月25〜26日)されます。全国の地域や仕事、年代、信条を超えて、それぞれの角度、視点から龍馬を語り合う絶好の機会です。

 龍馬の志を支えた越前福井での大会に、積極的な参加、協力をして盛り上げましょう。

 なお、事務局管理の金沢龍馬会HPも2万超のヒット、衷心より感謝申し上げます。
これからもあらゆる声を、交流のキッカケの場としてお届け下さい。

 HP管理者の金沢龍馬会事務局長で、ドキュメンター作家、随筆家(酔筆家?)の福野は全国龍馬会社中においても献身的な奉仕をすると思います。何なりと申しつけ下されば幸いです。

本年が、会員や会友各位に、健やかで充実した年であるよう祈念いたします。
                 2008年 戊子 元旦
                     金沢龍馬会 会長 武内紘一
                                   2008 1 1(ふ)

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「幕末写真館」展
  〜゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!〜

 会員、会友各位へ
その後も皆様にはお変わりございませんか。

 土佐の「高知県立坂本龍馬記念館」から「幕末写真館」〜゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!〜展の案内がありましたのでお知らせします。

 会期は12月17日(月)〜2008年3月20日(日)
大きな写真館として゛今回は幕末の雰囲気作りを企画しました。

 ペリーの黒船と伴に運ばれてきた新時代の追い風は、戊辰戦争を経て明治維新を迎えるわずかな15年の間に、風の吹き溜まりの如くいくつかの事件を引き起こした。

 カメラはその事件に焦点を合わせる。事件周辺の人々の表情も、現場の風景、人々の生活ぶりも被写体となる。人物の中に龍馬がいる。ひときわ異彩を放っている。

 時代の最先端を走る竜馬。カメラはその足跡を追う。
いや、時にカメラそのものが龍馬に、龍馬がカメラそのものになってしまう錯覚を覚えるはずだ。

 会場のあちこちに、時代を動かした人物が土佐和紙に映し出されて登場する。等身大である。龍馬も、慎太郎も、勝海舟、桂小五郎、高杉晋作‥‥

 どこかで見慣れた人たちの表情から、新しい時代を創る時代の“エネルギー”を感じて欲しいと思う。混迷を深める現代、龍馬と伴にシヤッターチャンス。

 この機会に、是非、土佐高知へ。
入館料は大人500円、高校生以下は無料。20名以上の団体は一人400円。

 お問合せ先 高知県立坂本龍馬記念館
         高知市浦戸城山830 〒781-0262 電話088-841-0001
                                                 以上。

 英国人のF・ベアが撮影した生麦事件の現場(東海道生麦付近)の珍しい写真も展示して在ります。

 承知のように、文久2年(1862年)に薩摩の島津久光はこの年3月、1000人の武士を率いて京都に上り、公武合体のために活動を始め、4月23日には寺田屋事件を起こして自藩の尊皇攘夷派を切った。

 5月には公家大原重徳を勅使にたてて江戸へ向かい幕府に種々の改革を迫った。幕府に対する攘夷の決行や一橋慶喜(徳川慶喜)の将軍後継職任命、

 越前福井、第14代藩主松平慶永(よしなが 春嶽) の政事総裁職任命して、両名の幕政参加を老中の板倉勝静や脇坂安宅らに迫った。

 春嶽は、後に五箇条のご誓文を書いた由利公正、橋本左内らに補佐され、洋楽所の設置や軍制改革などの藩政改革を行ったが、龍馬に気を許し5000両を貸したは承知の通り。

 ところで、8月21日、一通りの役目を終えて京都へ戻ろうとしていた久光の護衛の武士はこの時400人、一行が武蔵国橘樹郡生麦村(現 横浜市鶴見区生麦)にかかった時、

 たまたま川崎大師を見物に行こうとしていた英国人4人が乗馬のままこの行列の前を横切った。彼らは大名行列の前を馬に乗ったまま横切ることが、極めて無礼な行為であるということを知らず。

 一人の武士が、こんな所を通ってはいけない、と注意したが、気の短い一人の武士は4人に斬り掛かっていく。それに続いていく者も出てきて結局4人のうち1人が死亡、2人が怪我をし、もう一人も帽子と髪の一部を切られた。

 命からがら逃げてきた3人から事情を聞いた英国人たちがその大名行列にすぐ報復をという騒ぎになったが、英国代理行使のニールが抑えて外交ルートでの決着を図った。

 代理行使のニールは4人が被害にあった場所は英国人が遊歩することを許可された地区であったとして、幕府と薩摩藩に謝罪と犯人の引き渡し及び賠償金の支払いを要求。

 これに対して幕府は何とか穏便にと賠償金を支払うが、薩摩藩は犯人は不明であるとして要求を拒否。このため英国は薩摩藩に報復すべく軍艦を派遣、

 翌年7月2日、薩摩、錦江湾で直接砲火。英国艦隊と薩摩藩船との激しい戦闘が起きたのが「薩英戦争」。この戦で、英国軍も薩摩の船を拿捕するが、薩摩軍も英国軍の旗艦ユリアラス号に多大の被害を与え艦長を死亡させた。

 大勢としては英国の勝利ではあったものの、死者の数は英国63名に対して薩摩はわずか17名。この結果、英国も「薩摩は良くやる」と敵を評価し、両者は急速に仲直りして、維新への流れが加速することになる。

 余談だが、彼らの祖国英国では、貴人が馬車や乗馬姿で通る際、下馬して道を譲り、手綱を締め(馬が暴れない様にする)脱帽して片膝を付いて座り敬意を示した上で見送ると云うのが礼儀。

 行列を乱さない様に気を使った行動をしたとは云え、乗馬姿で通った行為は、他民族に対し侮辱的で欠礼な振舞いしたとの見方もある。京急本線生麦駅近くに事件の石碑が残る。

 動きなよ!ぶれるき!゛龍馬゛が切り撮る幕末の一瞬!そこに時代の声を聞く。
坂本龍馬が日頃から好物で食べ、最後の食事に蜂吉に頼んだと言われる軍鶏(しゃも)。

 龍馬は最後は口にすることは出来なかったらしいが、龍馬の伝記にはよく出てくる一品、軍鶏鍋と、龍馬の功績にちなんでできた土佐の地酒「船中八策」と共に食してみることも、土佐高知の楽しみではないかと思う。
                                 2007 12 28(ふ)

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龍馬の書簡から見た北海道開拓
               〜龍馬が行く 夢街道から〜

 会員、会友各位へ
寒くなりましたが、その後も皆様にはお変わりございませんか。

 北の大地、北海道龍馬会は去る6月に10周年記念総会を開催。ここでも紹介したが、九月には二泊三日の日程で、龍馬を通じて、創造性豊かな青少年を育てようと「世界龍馬塾集中講座」が開催された。

 集中講座には、中学生から、大学生、はたまた70年代のお年よりも参加したという。北海道龍馬会の機関紙「龍馬が行く 夢街道から」に、会長代行で、ノンフィクション作家の合田一道さんの講演要旨が掲載されていました。

で、ご参考までにご紹介します。

 1864年(元治元年)六月始め、龍馬は京都摂津の浪人ら五十人を「黒龍丸」(筆者注 幕府が12万5千ドルで購入したばかりの米国製)に乗せて兵庫を出帆、十七日に江戸に着いたが、たまたま航海中の五日、

 京都で池田屋事件が起き、勝海舟門下の望月亀弥太が殺害されたのを知り、海舟へ難が及ぶと判断して、蝦夷地行きを断念した事実を資料を用いて説明。

 次に、薩摩藩の後ろ盾で購入したワイルウェフ号が1866年(慶応二年)五月、五島塩屋崎沖で沈没。また、土佐藩の海援隊長となった直後の1867年(慶応三年)四月二十三日、

 大洲藩から借りた「いろは丸」は瀬戸内海の備後鞆の津沖で、紀州藩の「明光丸」に衝突されて、沈没。龍馬は、この出帆の直前に、長州藩の印藤肇に宛てて便りを出し、蝦夷行きへの執念を伝えている。

 さらに、薩摩の保証で購入した「大極丸」(注 物資輸送と蝦夷開発のために、プロシヤの商人チョルチから購入。3本マストの風帆船)がイギリス兵殺人事件に巻き込まれて、

 龍馬は広島藩の林健三に「やがて方向を定め、シェラか極楽かに御供可申奉存候」と便りを出した。

 合田さんは「龍馬は暗殺されたが、後に甥の坂本直寛が北光社を連れて、北見に入植し、その夢を実現させた」と力説した。

 &合田一道さん。
北海道生まれ。長く記者として北海道新聞に勤め、編集デスクとしての傍ら主に日曜版のノンフィクション・エッセイは高評を得た。

 主な作品に「日本史の現場検証」「裂けた岬」「流氷の海に女工節が聴こえる」など。

 以前に少し触れたことがあるが、龍馬が生前夢見た北の大地、新天地での開拓は、承知のように龍馬の姉千鶴(ちづ)の次男(龍馬の甥)で坂本家本家第5代当主坂本直寛(なおひろ)によって実現した。

 直寛は1896年(明治29年)北見開拓の視察をする途中、浦臼の聖園農場に立ち寄って、北見地方開拓の協力を求めたことで、浦臼町との関係が始まった。

 ここには、同じ高知出身で、キリスト教を信仰する自由民権運動の元代議士、武市安哉(あんさい)が、信仰と教育による理想農園を作ろうと入植した。

 が、1894年(明治27年)12月2日に青函連絡船にて脳溢血のため急死。享年48歳。

 武市は、土佐高知、長岡郡大村住吉野(現 南国市)生まれ。1879年(明治12年)に、県会議員に当選、二年後には県会議長となり、1885年(明治18年)、キリスト教の洗礼を受け長岡郡一帯の伝道にも力を尽くした。

 1887年(明治20年)10月に片岡健吉が元老院に提出した建白書(三大事件建白)、いわゆる外交失策の挽回、地租軽減、言論集会の自由を求める運動をきっかけに政治運動が起きた。

 で、大同団結運動と並んで自由民権運動の最後を飾る運動として知られている。

 横道に逸れるが、片岡健吉(1844〜1903)は、幕末から明治前半にかけて、自由民権運動の立て役者である板垣退助(1837〜1919)らと共に国会開設に向けて尽力し、国会が開設されると衆議院議長も務めた。

 片岡と板垣とは共に龍馬を生みだした土佐高知の出身。片岡がキリスト教信仰を求めたのは板垣の影響だとも言われている。

 板垣は西欧の立憲政治がうまく機能しているのは、主としてキリスト教道徳が背景にあるからだと考え、人々にキリスト教の効用を説いた。

 片岡はキリスト教信仰を熱心に求め、宣教師ジョージ・ノスから受洗。高知教会の長老となり、同志社学長、東京YMCA理事長、日本基督教伝道局総裁などを歴任してキリスト教界のために業績を遺した。

 さて、この三大事件建白運動で、武市は、長岡郡の総代として上京。保安条例による退去命令を拒否して投獄された。1947年(明治22年)、明治憲法発布による大赦令で出獄。

 三年後に衆議院議員に当選したが、1893年(明治26年)任期途中で辞職。安哉はキリスト教精神による理想の農村を築こうと北の大地へ渡った。

 26人の青年と共に浦臼町札的(さってき)に聖園農場を作り開拓を始めたが、翌1894年(明治27年)に急死して、聖園農場の開拓は一時頓挫した。

 翌1895年に、この農場を支援しようと坂本直寛が中心となって、土佐高知で移民団「北光社(ほっこうしゃ)」を設立。

 その二年後、1897年(明治30年)5月に、家族など100戸を従えて、北見クンネップ原野へ到着、開拓が始まった。

 翌1898年(明治31年)に仲間に後を任せて、妻と4人の子どもを連れて浦臼の聖園農場に入植。

 浦臼は樺戸連山と石狩川が流れ、いくつもの川や三日月湖、沼などが点在する平坦な地。近隣のまち同様、水害に苦しめられた。中でも、1898年(明治31年)の石狩川大洪水は、緒についたばかりの北海道開拓に大打撃を与えた。

 田畑や家屋は流され、離農する者が後を絶たなかったという。教会では、伝道と青年の指導に励み、当時の大洪水の時などには、知人の板垣退助らに陳情して、資金を出させ災害救済に貢献したらしい。

 これが、今日の浦臼のもととなったといわれる。1899年(明治32年)龍馬の養嗣子だった坂本直が前年、57歳で逝った後に、その妻留(とめ)と次男の直衛が浦臼の直寛を頼って移住。

 横道に逸れるが、高松太郎(後の坂本直)は、土佐高知、安芸郡安田村(現 安芸郡安田町安田)の郷士、高松順蔵に嫁いだ龍馬の実姉千鶴の長男として生まれた。

 彼は、1867年(慶応三年)十一月十五日に、京の近江屋にて刺客の凶刃に斃れた龍馬が暗殺された時は、他の海援隊士と共に、大坂の土佐藩定宿「薩万」に駐在していた。

 翌日龍馬の危難を知ると、直ちに川船で京都に急行した。此の頃から小野淳輔と仮称した。維新後は新政府に出仕し、明治元年閏四月、函舘府が設けられると、函舘裁判所権判事として函舘の五稜郭に赴任した。

 清水谷公考総督に従って、蝦夷地経営に尽力。1869年(明治二年)、榎本武揚の軍に侵略されて一旦青森まで撤退、四月には江差奪回戦に従軍して、戦功をあげて再び函舘府に勤務した。

 だが、十二月には権判事を免ぜられて土佐に帰国する。此の時、嘗ての脱藩罪を問われて、三十日の処分を受けた。

 1871年(明治四年)八月、新政府、朝廷の命に依って龍馬の家督を継ぎ十五人扶持を給せられ、名を坂本直と改めている。

 家督相続後、東京府に出仕して典事を命ぜられ、更に宮内雑掌、舎人を歴任した。明治二十二年キリスト教を信奉したことで失脚した。

 で、非職となって高知に帰郷して、本家筋の実弟・坂本直寛宅に同居した。が、晩年は不遇だったらしい。

 さて、直寛は4年間聖園農場にて尽力したが、1902年(明治35年)に旭川へ伝道者として移った。留と直衛はその後、留が69歳で亡くなる1915年(大正4年)まで、浦臼町内で駄菓子屋を経営して生計を立て住んでいた。

 が、直衛はその2年後1917年(大正6年)に独身のまま34歳で亡くなってしまう。
このような経緯で、浦臼町札的の墓地に、二人の墓(坂本龍馬家の墓)がある。近くには武市安哉の墓も建っている。

 留が1915年(大正4年)に亡くなったときには龍馬の手紙などかなりの数が惜しいことに散逸してしまった。生活が苦しかったがために、留が売ってしまったらしい。

 その後、遺品の多くは坂本家の本家第7代当主弥太郎によって買い戻され、現在は坂本の本家で管理されている。

 坂本龍馬の養嗣子坂本直寛の孫は、山岳画家の坂本直行(1906〜1982)で、通称「ちょっこう」。釧路で生まれた坂本家8代目当主である。

 北大農学部入学後、山岳部にも居た。1936年(昭和11年)から十勝の広尾町に入植して、十勝の大自然を描いてきた。

 1965年(昭和40年)から札幌市に住んだが、帯広市に近い十勝の河西郡中札内村に「坂本直行記念館」がある。去年、ふるさとの土佐高知で、遺品展が開かれ、感動を与えたことは承知のことと思う。

 中には草花のスケッチや日高の山々を描いた水彩画などが展示されている。建物の外壁には、120年ほど前に建てられたクロアチア古民家のオーク材を再利用して、

 周りには画伯が愛した北の草花を植えた野草園が広がっている。

 なお、遺品や坂本一族の写真などの関係史料は、札幌から滝川へ行く途中の「浦臼町郷土資料館」に展示されている。

 浦臼町郷土資料館
   北海道樺戸郡浦臼町浦臼第5町
   開館時間 午前9時〜午後4時
   休館日   毎週月・火曜日・祝祭日の翌日 12月1日から翌年3月31日
   入館料   無料
   TEL   0125−68−2237

 金沢龍馬会では、年が明けた二月に、懇親新年交流会を予定しています。龍馬を巡る積もる話しもしませう。知人友人をお誘い合せの上ご参加下さい。

 春になって、雪の消えた頃、北の大地へ行く機会あれば、十勝の「坂本直行記念館」と共に是非立ち寄ってみたい所の一つである。

 さて、来年、龍馬の全国大会が開かれるお隣の越前龍馬会、恒例の第6回年末大交流会が八日40人が参加して開かれた。交流会は、大会旗のもと、開宴。

 で、「龍馬大杯・誓いのまわし飲み」、「チャリティーオークション」と続き、。名誉顧問で、前福井市長の酒井夫妻、鹿児島前市長赤崎夫妻、熊本前市長三角夫妻が登場で、一気に盛り上がった。

 8時過ぎには、前福井副市長の東村さんが挨拶に訪れ、無事大盛況のうちにお開き。で、10時頃には二次会、三次会で散会。参加戴いた皆様、又、これなかった皆様、1年間有り難う御座いました。

 いよいよ、カウントダウン。
来年の全国大会は、どうか宜しくお願いします、とメッセージあり。御成功を期待して、応援したいですね。

 また、富山龍馬会では12月15日に、とやま市民交流館で、司馬遼太郎原作「竜馬がゆく〈下〉」 のビデオ上映会。また、忘年会はリコモンテ(富山エクセルホテル東急15F)で、盛大に実施したそうです。

 金沢龍馬会では、年が明けた二月に、懇親新年交流会を予定しています。龍馬を巡る積もる話しもしませう。知人友人をお誘い合せの上ご参加下さい。

 新たに仲間に加わりたい方も大歓迎です。お気軽にご参加下さい。
向寒の砌、風邪なんぞ引かぬようにご自愛下さい。
                                          2007 12 8 (改12/15 ふ)

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 第7回龍馬生誕・追悼祭のご案内!

会員、会友各位へ
霜月も半ばへ。寒くなりましたが、その後も皆様にはお変わりございませんか。

 お隣、福井の越前龍馬会事務局から下記の案内がありましたので、お知らせします。

 第7回龍馬生誕(172年)・追悼祭(140年)。
時は、2007年(平成19年)11月15日(木)午後8時〜。場所は福井市照手(たばこや旅館跡)。参加費は無料です。

 今を去る140年前、1867年(慶応3年)11月15日、京の都は河原町。
近江屋にて刺客の凶刃に斃れた海援隊々長の坂本龍馬。

 同日、遭難し、翌16日に亡くなった下僕の藤吉、また17日に亡くなった陸援隊々長の中岡慎太郎。

 龍馬は齢33歳、中岡慎太郎30歳、藤吉は齢25歳、新しい時代の礎を築き、その大成を見ることなく、志半ばにしてこの世を去った彼らの遺徳を偲ぶ。

 中でも、京の都から三日かけて越前へ。で、1863年(文久3年)5月16日の深夜、福井の三岡八郎邸にて、横井(小楠)、坂本(龍馬)、三岡(八郎 後に、五箇条のご誓文を書いた由利公正)を訪ねた。

 三人で、酒を飲みながら、龍馬は声調すこぶる妙に「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」と嘯いた。

 志半ばにして倒れた龍馬。
追悼祭は土佐高知や京都でも行われますが、お時間があれば、参加されるのもいいせう。

 龍馬が他の志士達と大きく違っていた点は、日本の将来に対する見方でした。他の志士達は、徳川幕府を如何にして倒すか、ということしか考えていなかった。

 が、龍馬は幕府を倒した後の日本をどうするかを真剣に考えて具体的に「船中八策」という形で示し、それが後に「五カ条の御誓文」という形で実現されている。

 折角の機会です。越前龍馬会の各位と龍馬の志に触れて、新たな出会いもあると思います。
寒いので、暖かくしてご参加ください。
                                2007 11 12 (ふ)

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秋の懇親総会、盛況に終わる!
     〜新たに4人入会、来秋の福井大会へ!!〜

 味覚に、読書、芸術の秋。
スポーツの秋、金木犀も咲きほころび、山はキノコに紅葉、まさに錦秋。

 そんな中、会員や会友に新たに4人の方々が加わり、金沢龍馬会の秋の総会懇親会は、成功理に終わりました。

 で、やむを得ず、今回参加出来なかった方は、次回に是非とも参加して下さい。

 懇親総会は、秋晴れの10月13日(土)午後二時から、金沢は、片町。
かの犀星も愛した犀川。その犀川に架かる大橋近く、鰯組で開催。オーナーの東さんは金沢龍馬会のメンバーだ。

 出席は、室岡、中川、山野、山田(友)、辰口の山田(省)、徳田、 国友、齊田(眞)、宮島、鶴来の済田(ゆ)、武内、福野。また、今回は、新たに中川友人の諸橋、

 更に、徳田友人の米村、済田(ゆ)友人の諸田、有田、鶴来の小堀、不破に、山田(友)友人の高橋と多彩な顔ぶれ。鰯組の東さんを含めて20人が参加。

 いつものように、中川先輩や山田(友)、ゲストの小堀、武内の諸兄からワインや麦酒、日本酒、焼酎などの差し入れを戴きました。有難う御座いました。

   武内会長は「更なる活動で、来年の福井大会へ多くの参加を呼びかけたい。また、この後に予定している三方の講演にも期待したい」。次いで、初めての方もおり、仕事や目下取り組んでいることなど自己紹介。

 続いて中川さんの乾杯の音頭。ついで「金沢龍馬、中川が見た米国」に「辰口龍馬 山田の仏大寺の歴史探訪と史食」「金沢龍馬、国友が見たデンマーク」と題したそれぞれ10分のミニ講演。

 この中で、中川さんは行ったときは「9.11」で、米国の様子を見て、バファロー市で開かれた地域経済振興会議に姉妹都市45周年の金沢市の代表として参加。会議には計9カ国、70人が参加。友好を深め、経済発展の可能性を探った。

 サンライズRCの例会にも出席、姉妹クラブ10周年を祝い、デラウエア公園の日本庭園を視察、アフリカ・マラウイ国のエイズによる孤児たちの『子供村』が火事で消失したので再建に取り組みたいので協力をして欲しいなどの申し入れがあった。

 また、バッファロー・フィル・オーケストラのリハーサルを見学、全米一のピアニスト、Van Clivern氏と対話する機会もあった。三日間の会議のうちノーベル賞を受賞した医学研究者Herbert Hauptman氏の講演も聞いた。

 アルブライト・ノックス美術館、オーケストラなどは市民の誇りであり、かつ官でなく民で運営されている。秋の演劇シーズンを告げるカーテン・アップのあったシアーズ劇場、格式高い社交場バッファロー・クラブなど見るにつけ、その富の蓄積、アメリの底力を実感。

 紳士淑女のスポーツ?宿願の乗馬も二回、十分に楽しんだ。花火のナイアガラ滝は轟音が滝口にこだまし圧巻だった。またゴアのノーベル賞はブッシュへの当てこすり?などうがった見方にも触れた。

 さて、マップ入りのチラシ持参の山田(省)さんがいう仏大寺町は、鏡花ゆかりの辰口、松井の根上、九谷焼きの寺井の3つの町が、合併して出来た能美市にある。市は、現在の人口は4万8千人余り、世帯数は1万5千900戸。

 で、74町会のうち、人口は32人、世帯数は11戸。かつての辰口町でも、一番少さな町である。仏大寺を象徴する観音山(402m)に連なり、林野面積は大きく、それ故、自然遺産に富んでいる町といえよう。

 20日は、山田(省)さんが、「能美ほっこりまつり」の一環として、午後12時30分から、仏大寺界隈の歴史に触れながら案内するという話を聞いて「のみのほっこり祭」に参加したい、という会員も数人出てきた。

 同時に、能美市の博物館が「ノスタルジア能美電〜あの頃をふたたび」と、秋季特別展を開催する。その入場口として、七五年ごろの駅舎の写真から改札口や切符売り場、時刻表などを忠実に再現する。

 歴史を今に生かす地域興し。地域貢献。これ、龍馬会会員の社会的活動の一つで、皆で応援しよう。ここでは、事前に連絡はあったが、遅刻早退が常連?の市議山野さんが、入って来たので自己紹介をして貰った。

 しばし、待って貰った国友さん。奥方の実家が半島震災に逢ったけれども、金沢で、長年つきあってきたデンマークのモリッツ・絵里子夫妻は、子供の教育はふるさとで受けさせたいと帰国したが、夫妻の家で過ごしたことなど。

 デンマークは人口500万人の立憲君主国。日本の小学校・中学校に当たる初等教育および下級中等教育を市が行い、高校に当たる上級中等教育および成人教育を県が行う。

 また、職業教育および大学等高等教育は国が行う。教育は基本的に無償である。
紺碧に輝く湖沼が多く、どこへ行っても公園のような美しい景観。平らな国なので、近場は自転車で十分のようだったと、体験などをもとに披露した。

 いずれにしても出会いの達人、龍馬に習った話。互いに元気を戴いたことでせう。

 ここで、一言、話したいことが有りますと、飛び入りだ。高知の龍馬の龍馬像には間違いが三つあると、エピソードについて詳しい山田(友)さんは、暴力団追放石川県民大会について、ひとくさり。

 来る10月17日(水)午後2時から金沢駅前の石川県立音楽堂 邦楽ホールで開かれるので、是非参加して欲しいと。当日は、暴力団の多い大阪。大阪府警の暴力団対策管理官が具体例をあげて記念講演する。

 また、金沢東警察署員による寸劇「不当要求対応要領」なども、暴力団に困っている方やこれからの予防の参考になりましょう。更に、県警音楽隊によるドリル演奏も行われる。万障繰り合わせて、参加されては如何ですかと。

 次いで、土佐高知での第19回全国龍馬ファンの集いの報告は事務局の福野から。(資料参)
既にHPで、概要は報告済だが、大会は、去る9月の22日〜23日龍馬のふるさと土佐高知。

 北はみちのく一関をはじめ、東京や横浜、甲府、京都、大阪、兵庫、岡山、福岡、熊本、南は薩摩龍馬会など全国各地から集まった。

 また、長崎の写真家、上野彦馬ゆかりの海援隊龍馬倶楽部会長の海保幸康、龍馬おりょうの新婚旅行ゆかりの地、県議から霧島市長となった薩摩龍馬会会長の前田終止さんら。

 又、お隣、越前龍馬会から顧問で前市長の酒井、牧田会長ら17人、富山龍馬会から杉田会長ら6人、金沢龍馬会から福野が参加した。

 全国龍馬社中会の橋本邦健会長は「今年は龍馬没後140年。日本全国に、米国やイギリス、フランス、インドネシアなど世界で124に龍馬会が結成された。

 次は世界五大陸の一つ、アフリカのコンゴ、そして南米ブラジルにも作りたい」と、点から面へとの活動を呼びかけた。

 次いで、作家のジェームス三木が「龍馬と私」と題して、記念講演。一時間余りの中で、ジェームスは「激動の時代を潜り抜けたネットワークの達人龍馬は、混迷の時代にあって、生きる勇気を与えてくれる彼の平和主義は次の時代を訴えている。

 彼(龍馬)は、ぼそぼそとしゃべったらしいが、人間の魅力で、訴える説得力があった。松山の坊ちゃん劇場で、来年三月からミュージカル『龍馬!』を一年間上演したい。

 彼の商才にも目を向け、タップダンスも取り入れてみたい。高知のあと、全国各地へ回りたい。すべての道は龍馬(ローマ)に通ず!?」と笑わせた。(資料参)

 時あたかも、参院選で惨敗した自民党の総裁選の最中で、全国の龍馬会の代表らが「龍馬の魅力とは」「なぜ今、龍馬なのか」のテーマでトークを一時間半余り繰り広げた。

 みちのく岩手の一関龍馬会では桜並木に取り組んでいる、山梨龍馬会甲斐援隊では、龍馬の許嫁の千葉にちなんだ「千葉さな子杯」剣道大会を開催して熱戦が繰り広げられたことなど、各地の社会的な取り組みなども合わせて報告された。

 越前龍馬会のメンバーは日本海のイメージ、揃いの青の法被を着て、龍馬に5000両を貸した藩主松平春嶽らを全国の仲間にアピール。

 来年、2008年秋に福井市で初めて開催される「第20回集い」への参加を呼び掛けた。交流会では、出会いの達人龍馬に習い、それぞれ旧交を温めたり、

 更に、新たな出会いに名刺交換、写真に納まったりと親しく歓談する光景がアチコチで見られた。

 福井市での集いは、来年2008年10月25〜26日に開かれることが決定しており、現在、集いに向けて「企画」「広報」「招福」など六つの委員会を組織し準備を進め、全国の龍馬ファンを待っている。

 ♪ええかげんな奴じゃけ ほっといて くれんさい アンタと一緒に 泣きとうは ありません…
金沢龍馬会の会員で、店主の東さんは、知る人ぞ知るギターの名手。場も盛り上がった所へ登場した。

 初めての会員や会友らは龍馬の歌、ギター演奏なども聞いて、拍手喝采。盛り上がった。
また、演奏の後、鶴来の高校時代の友人が、拉致被害者。

 で、手がかりがつかめず閉口しており、何らかの情報があれば知らせて欲しいと。途中で、用事で退席する会員もおり、中じめは、室岡さんの一本締め。

 此の後も、それぞれが、昨今の政治状況や武内さんが作曲したミリオンスターズのCDになった話等々で、話は尽きず。

 北信越首位のミリオンスターズ、明日の試合?で優勝か。ところで、今回、出席の返事があったが、やむを得ず欠席したのは玉井に染谷。何かあったのだろうか。気になる。

 それぞれ、時間いっぱい、午後五時まで、龍馬の志などをめぐり談論風発。
今回の総会で、新たに諸橋、米村、有田、不破の4人が会員に加わった。今後の活躍を期待し、更なる発展を目指そう。

 次回は、目下勉強中という室岡さんの高杉晋作、記者の合間をぬってまとめているという高橋さんの中世史にも期待したい。

 又あふと思う心をしるべにて
      道なき世にも出づる旅かな
                 龍馬

 ”あえの風”という「東(あい)の風」は、老いドンの「能登加賀 東風に吹かれて」でも触れたが、ふきあいの風、すなわち、いろいろなものを吹き寄せる風である。

 鰯など魚を吹き寄せ、間もなくブリなど大漁を約束する風、人を呼び寄せる風、ものを運ぶ風、便りを持ってくる風。今回のように様々な出会いをつくる風である。

 行きは金木犀の香りにコスモスの花、バスの中は元気な高校生たちのはしゃぐ声、久々の香林坊や片町は若い子らのブーツが目についた。

 本屋の中は、土曜日か、意外と人が多い。
香林坊では、おでんの菊一を覗いたら親父さんは元気そうだった。

 入れ変わった店もあるなど様変わりしていた。
北陸の湖沼へコハクチョウもやってきた。もう冬への誘い。

 帰路は、山田、武さんと片町の交差点のとある店でカフェ。
別れた後は、ほろ酔いで、水留や幸町の佇まいを歩いた。この日の歩数は6700歩余り。

 田中真紀子と丁々発止をやった福田何某の言ったように年か?。でも記憶はまだあるけど、やだね。
先日、海の小屋へも、釣り上げた落ち鮎持参で、寄ってくれた江南の同期市姫君は故郷の志賀町で、釣り三昧しているだろう。

   「希望は天上にあり、実行は脚下にあり、後生須(すべか)らく実行の人たれ」
                                司馬遼太郎
                            2007 10 13(ふ)

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 長崎学さるく 坂本龍馬・長崎のすべて!
       〜お龍さんの月琴にも会える!!〜

 龍馬が、長崎で亀山社中をつくり、暗殺されるまでの2年6か月の間に、長崎でどんな行動をしていたのか?
長崎龍馬会から、以下のご案内がありましたのでお知らせします。

 風頭公園の龍馬像や亀山社中跡などをまわってから、龍馬が立ち寄った料亭花月で昼食。後に、龍馬の妻お龍さんが8ケか月滞在した小曽根家までを、バスや電車を使って散策します。

 参加された方には
●長崎さるくオリジナルハタ(たこ)を進呈。
●史跡料亭花月での昼食は、卓袱の松花堂風のお弁当。
●史跡料亭花月内の集古館(資料館)では、龍馬直筆の長崎奉行あて差出の草案などを見学。
●龍馬を支援した小曽根家では、17代当主小曽根吉郎さんから、当時の写真の説明やエピソードなど。
●小曽根家では、お龍さんが愛用していた月琴も特別に見学。
●当時のカステラを復元した龍馬カステラをお土産に。

◇実施日時 ※時間は、いずれも10:00〜16:00
 10月6日(土) 定員 10名 9月1日(土)午前9時から予約受付。(9/28 満員御礼)
    7日(日)   々(9/28 満員御礼)
 11月3日(土) 定員 20名 10月1日(月)午前9時から予約受付。
 12月1日(土)   々    11月1日(木)午前9時から予約受付。
    2日(日)   々  

◇ガイド 長崎龍馬会 増田泰之さん、小杉徳寿さん
◇講師 小曽根吉郎さん(小曽根家17代当主)
◇集合場所  長崎出島 ヘトル部屋

◇コース  出島→長崎奉行所西役所→風頭公園→小川ハタ店→龍馬像→亀山社中資料館→亀山社中跡→藤屋跡→上野彦馬写真館→玉川邸跡→中島川界隈→清風亭跡→料亭花月(昼食)

 花月内資料館・庭→丸山界隈→薩摩藩邸跡→大浦天主堂→龍馬坂→小曽根宅

◇参加料  小学生以上9,000円 (各施設入館料、昼食代、資料代、お土 産代、保険料を含む)
 ※コース中の交通費(バス・電車)は、参加料には含まれておりません。各自でご負担ください。
 ※参加料は、事前に送金をしていただきます。

◇申込予約 問い合わせ先  長崎国際観光コンベンション協会へ電話などでお申し込みください。
               〒850−0862 長崎市出島町1−1 出島ワーフ2階
                         TEL:095−811−0369  FAX:095−824 −9128                または、下記のHPで、空き状況をご確認のうえ、予約申込をしてください。
                       http://www.saruku.info/saruku_gaku_40.html
               定員になり次第締め切らせていただきますので、早めにご予約くださ い。

◇備考 ・ すべて昼食付。
     ・ 直前のキャンセルは、キャンセル料がかかる場合があります。
     ・ 最少催行人員に満たない場合、中止になることがあります。
     ・ 天候や都合により、変更・中止する場合があります。
                                      以上。

 「長崎に来ずして、龍馬を語るなかれ!」なんて、長崎龍馬会の増田泰之さんからの便り。龍馬を知る機会です。この時期、長崎へ行かれる方はご参加ください。「さるく」とは、ぶらぶら歩くという長崎弁。

 長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた。
今回、案内のある花月(引田屋)は、1642年(寛永19年)に創業という老舗。

 かの井原西鶴が著した延宝版「日本永代蔵」では、「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀、無事に帰宅すべし」と当時の繁栄ぶりをうたっている。

 江戸の幕末、明治へと長崎を舞台に活躍した国際人の社交場で、文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留したらしい。花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残している。

 昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業。集古館には 映画「長崎ぶらぶら節」で有名になった名妓・愛八直筆の歌本や写真、去来の俳句や頼山陽の書、坂本龍馬直筆の書などを展示しており、一見の価値はある。

 ♪遊びに行くなら 花月(かげつ)か仲の茶屋 梅園(うめぞの)裏門 たたいて 丸山 ぶうらぶら
ぶらり ぶらりと言うたもんだいちゅう

 なかにし礼の「長崎ぶらぶら節」の舞台として、また、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にも登場する知られた料亭。
龍馬が傷つけたという柱の傷跡がある。長崎伝統の卓袱(しっぽく)料理にありつけるかどうか。

 「わからんまち長崎」をゆっくり歩いてみませんか。長崎ならではの歴史や風物、隠された謎をたんねんに歩く。さるくガイド、長崎龍馬会増田泰之さんらの案内です。港長崎を歩いて龍馬を知ろう、語ろう。
                                       2007 9 10(ふ)

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 素晴らしき仲間!!
 〜9/10発行の季刊「美しい星」第五号に金沢龍馬会!〜

 コスモスが咲きほころび、日本海の底引き漁も解禁、能登や加賀の平野では、稲刈りも盛んに行われています。
この度の強力な台風9号の被害、交通もズタズタ、床上浸水にけが人や死者もでるなど関東圏などは大変です。

 当地は、お陰さまで、たいした被害もありませんでしたが、会員各位には、そのごも御元気で、ご活躍のことでせう。

 ところで、金沢倶楽部「金澤」10月号別冊、9/10発行の季刊「美しい星」第五号(P88)に、
金沢龍馬会が、 「素晴らしき仲間」として紹介、掲載されましたので、ご紹介します。
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○概要と活動
 幕末維新の頃に坂本龍馬が抱いた熱い精神や行動を学び、語り合う、個性豊かな会。
龍馬を慕う老若男女が集い、郷土を見つめ直し、世界を語り、龍馬の懐の深さ、大きさに励まされる交流の場にしたいと2003年10月に発足しました。

 仕事や地域、世代の壁を越えた多彩なメンバーが揃い、現会員は30名余。全国の史跡を探訪するなど、各地の龍馬会との交流も盛んです。

○参加について
 龍馬が好きで歴史に興味があり、人との出会いを求めるなど、会員と楽しく出来る方なら、いつでも、どなたでも入会できます。入会希望者はまずはメールで。年会費3000円。

○読者へのメッセージ
 会員個々の信条、信念が会をより盛上げ、実りあるものにしています。歴史を学び、人との出会いを求める人は、ぜひとも入会しませんか。会長 武内紘一さん。

     問い合わせ:金沢龍馬会事務局 Email  jr9kml@jasmine.ocn.ne.jp
                      HP  http://www18.ocn.ne.jp/~kml/

 と、「美しい星」編集部の取材に応えたもので、去年の福井の歴史散歩の写真とともに、
当金沢龍馬会の会員募集の記事が掲載されました。

 本屋さんの店頭で、立ち読みでもしてください。
季刊「美しい星」は「金沢発、50歳からの人生を幸せにする地域密着マガジン」として発行されたもので、今回は能登を味わうなんて特集もある。

 豊富な農蓄林水産から、一般に食材王国と言われる能登。「地産地消」や「食育」といった話を求めて、能登の食文化に詳しい方や生産者を訪ねている。

 今なお「日本の原風景」が残る能登には、地元の人たちの人情があふれている。
手にされてみるのもいいでせう。

 この際、一人でも多くの会員、会友が増えて、活動がより活発になるといいですね。
各位の奮起に期待しています。

 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上に下し、その使命が終わったとき惜しげもなく天へ召し返した。

 この夜、京の天には雨気が満ち、星が無い。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた。
                                〜「竜馬がゆく」司馬遼太郎〜

 では総会で、会いませう。
     2007 9 7(ふ)


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 全国龍馬ファンの集い 近づく!!
            〜新たな出会いと友情を求めて〜

 猛暑。会員や会友の皆様にはお変わりなく御元気でご活躍のことでせう。
龍馬の目線で、考えよう!第19回全国龍馬ファンの集いが、近づいてきました。

 概要が固まりましたので、お知らせします。今回は、龍馬のふるさとである土佐の高知。来年のお隣福井大会を前にした全国大会です。大会運営も実地で学ぶいい機会です。で、多くの方の参加を期待しています。

 ◇日時: 2007年(平成19年)9月22日(土)〜23日(日)

 ◇会場: 高知市 市文化プラザかるぽーと(高知商工会館)

 ◇本大会: 22日 13:00〜17:00
       開会式、記念講演(ジェームス三木)、龍馬トーク、引継ぎ式、閉会式

 ◇懇親・交流会: 22日 18:00〜20:00
       高知市文化プラザかるぽーと(高知商工会館)
       参加費 6000円

 土佐の高知ではお祝い事など酒宴のことを「おきゃく」という。お酒とご馳走で、心がほぐれ知らない人とも自然と会話が弾んで 本音のお付き合いが深まるコミニケーションの場。

 宴も半ばになると、座興のひとつとして「箸拳(はしけん)」という遊びが始まる。
これは二人で行う遊びで、双方3本ずつの箸を隠して持ち、独特のかけ声とともに片方の手を差し出して数の合計を当て合う競技。

 負けた方は、中央に置かれた献盃を飲まなければならないルール。で、いやが上にも場が盛り上がる仕掛け。
そんなことにも出くわすでせう。

 ◇エクスカーション: 23日 1)龍馬探訪の旅
                  2)龍馬維新街道の旅 梼原方面(脱藩の道)
           社中総会・懇親会は、21日夕方開催されます。

 ◇お問い合わせ
       〒780−0870 高知市本町5丁目6番13号 [社]高知市観光協会
                               電話088−823−4016
                           http://www.welcome-kochi.jp
       主催:高知市 高知市観光協会 全国龍馬社中・高知ブロック
       共催:全国龍馬社中

 ◇参加申し込み: 宿泊やエクスカーションなどすべての参加等々締め切りは8月31日。
            申し込み用紙や宿泊先、会費の振込先などの詳細は金沢龍馬会事務局に届いています。

           まとまり次第、現地事務局へ連絡しますので、出欠については8月25日までにご連絡ください。

  なお、個人で行かれる方は、JTB中国四国 高松支店 「第19回全国龍馬ファンの集い高知大会」 係り 浅津さん 藤原さんへ。電話は088-823-2331です。

  また、お隣の越前龍馬会では、バスを貸しきって、高知へ向かう計画を立てています。
 概要は、
 ◎参加費43,000円(交通、宿泊、食事、交流会費込み)
 ◎出発は21日(金)午後9時です。
   午前6時発、先乗りもあります。これには別途 およそ15000〜20000円かかります。

 参加の申し込みは、8月25日までに(30名定員 福井交通大型バス)、越前龍馬会(会長 牧田活宜さん my-ryoma@mx2.fctv.ne.jp)へ申し込んでください。

 折角の機会です。これまで、各地で開催された「全国龍馬ファンの集い」に参加されていない会員や会友の皆さん、この際一度参加されるのもいいでせう。

 月の名所の桂浜や龍馬脱藩の道、梼原(ゆすはら)方面へ歩くのもいい。市内の追手筋のおよそ一キロ余りは、およそ300年続いている日曜朝市。これを覗かない手はない。

 早朝から夕方まで、 取れたての魚や野菜等々、土佐高知の人々の暮らしと共に積み重ねてきた歴史も感じよう。更に、日本を代表する清流、四万十川の舟母船に乗って山の風に吹かれるのもよかろう。

 全国各地から会員や会友が参加します。新たな出会いもありませう。
また、思いがけない友情も芽生えるかも知れません。

 まずは、行動ありき。出会いの達人、龍馬が待っている!!
 ♪…
 よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
 高知の城下へ 来てみいや
 じんま(爺さん)も、ばんば(婆さん)も よう踊る よう踊る
 鳴子両手に よう踊る よう踊る ほいほい!
 …
          正調“よさこい鳴子踊り”
 それでは、高知で会おう!!

                                          2007 8 15 (ふ)

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 龍馬の妻おりょう、晩年は孤独
            〜横須賀の鈴木さんが出版へ〜

 龍馬は京都近江屋で、中岡慎太郎と共に刺客に襲われて、暗殺されたのは、承知の通り1867年(慶応三年)。没後140年。土佐脱藩浪士の多くは志半ばで非業に倒れた。

 最愛のひとを亡くしたおりょう(1841〜1906)は、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して、西村松兵衛と再婚した。

 この頃の住まいは、三浦郡深田村(現在の横須賀市米ヶ浜)だったらしい。
晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残るが、再婚相手の松兵衛は近江八幡の西庄(旧蒲生町)の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していた。

 が、明治に入り横須賀へ移っていた。
そのいきさつは去年の春、横須賀から梶谷叡正さんという仏師が近江八幡資料館の館長山内美代子さんを突然訪れたことに始まる。

 「松兵衛さんの墓がどこにあるのか」と。考古学が専門で、龍馬のことなどは夢にも思わなかった、考えてもいなかった山内さんは、学芸員共々慌てらしい。

 図書館や役場で、調べる一方、西村という名前が多い金田村の西村姓を調べるうちに西庄町に西村姓があることを突き止め、円光寺へ問い合わせた。

 更に遠戚を訪ねたり、土地台帳などの調査に乗り出して、近江蒲生郡金田村(現 近江八幡市)の西村喜左衛門の次男であることが分かった。

 西村家は1894年(明治27年)頃まで、金田村に住んでいたが、宅地を遠戚などに売り渡して京都へ移り住んだらしい。

 ご両人の再婚は、お龍の母お貞と近郷であり、幼い頃から知っていたのでないかと推測した。

 近くにいた双方の母が昔から顔見知りであったことなどから、再婚に踏切ったのではないかと。
ここまで調べ尽くして、ようやくことの真相が明るみになったらしい。

 河内さんは「松兵衛が再婚相手のおりょうさんの墓を作った話といい、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったおりょうを

 包み込む度量の大きい何とも優しい、愛の深い男ではないか思います」。

また、知らない他国、何のゆかりもない横須賀に二人が居たことは、横須賀に店を構えていた八幡商人(近江商人)がいたこともあり、

 同郷の者がいるという心丈夫があったのではと推測する。

 「買い手よし、売り手よし、世間よし」の三方よしの理念で、天秤棒一本の行商から北は樺太、北海道から沖縄など全国はもとより

 安南(現 ベトナム)など海外まで羽ばたいていた近江商人ならである。

 去年の6月、薬学博士で元金大教授、葦の研究家の西川嘉廣さんを近江八幡に、お訪ねした折、資料館の館長山内美代子さんを引き合わせて戴いた。

 この時に、山内さんから伺った話で、この欄でも触れた。

 毎日(7月16日)によると、龍馬の妻おりょうが後半生を過ごした横須賀市に住む歴史研究家、鈴木かほるさん(61)が、おりょうの生涯を本にまとめたらしい。

 龍馬亡き後のおりょうについてはあまり知られていないが、鈴木さんは「家族を大事にして立派に生きた女性」。おりょうの生涯に焦点を当てた

 研究をまとめた単行本は初めてで、11月末ごろ出版予定という。

 タイトルは「資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍(りょう)」(新人物往来社)。およそ200ページで、半分を資料の図版約120点が占める。

 鈴木さんは、主婦業のかたわら中世史を研究し、4年前に横須賀市からおりょうの資料収集を依頼され、本格的に研究を始めたらしい。

 この中で、龍馬と過ごした京都や高知を現地調査したほか、おりょうを取り上げた新聞や論文を網羅。

 龍馬の暗殺(1867年)からおよそ4カ月後、海援隊の活動費用として龍馬が残した1000両の受け取りを断った。

 また、海援隊の志士が芸者と結婚する際、芸者屋への手切れ金を工面したことなど人柄に迫る逸話を明らかに。

 おりょうは龍馬の死後、高知や京都、東京を流転。1875年に商人の西村松兵衛と再婚して横須賀に住んだが、直後に妹の息子を養子にし、大阪にいた母を迎えた。

 養子と母の死後は妹を呼び寄せて3人で暮らしたが、松兵衛と妹がともに家を出て独り暮らしとなった。1906年に死去し、墓は横須賀市内の信楽(しんぎょう)寺にある。

 鈴木さんは「晩年は酒浸りになったと伝えられるが、そういう資料はない。ただ孤独で、心の頼りは龍馬しかいなかったのでは」と推測する。
                                                  2007 7 19 (ふ)
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 震災義援金、門前町へ。

 今回の沖縄、九州、中四国に集中豪雨、台風四号は残念ながら各地に大きな爪あとを残した。
被害を受けた各地の皆様には、お見舞い申し上げます。

 去る3月25日、未曾有の震災に遭った能登半島。
復旧、復興は少しづつ進んでいますが、まだまだ。

 震災直後から、金沢龍馬会では義援金を呼びかけていました。
お隣越前龍馬会では、四月の花見のシーズンに市民に呼びかけたところ尊い浄財を戴きました。

 また、名古屋や金沢などからも会員や知人、友人から金沢龍馬会へ募金が寄せられて、あわせて10万円にのぼりました。で、今日午前、金沢龍馬会の武内紘一会長と事務局の福野が、被災地で最も被害が大きかった諸岡地区、門前町道下(とうげ)の町会長泉晴郎さんに10万円をお届けしました。

 泉さんの向かいや辺りは瓦礫をどかして更地が目立つ。
泉さん宅は「4日前に、やっと修復工事が終わったばかり・・・」という玄関。

 諸岡地区、門前町道下では240戸のほぼ半数が全半壊し、55所帯が、今なお仮設住宅に住んでいる。
武内会長は「募金された皆さんのお気持ちを受け取ってください。・・・」と、泉さんに善意の浄財の経過報告とともにお渡しした。

 門前へは、羽咋から志賀町を経て、海岸沿いに走った。
お隣柴垣。長手島を見下ろす本成寺や宝泉寺も地震の被害を受け、宗門へ義援金の給付申請をしたと聞いている。

 志賀町の市街地から富来の葉タバコ畑を見て、くねくねした山道。
途中、工事中のランプで何回か待機した。家持の歌碑も立つ剣地(つるぎじ)からの海岸では冬の味覚であるぼた海苔、岩海苔の海苔田の隆起が目につく。

 かつての天領、黒島では北前船の角海家や民家の倒壊が、なんとも無残。
連休で帰省したのか県外ナンバーも目に付いた。これでは、毎年旧盆に行われている夏祭りは中止となるだろうか。

 海磯(かいそ)や曹洞宗の本山・総持寺祖院門前の中心市街や道下地区などは、青いシート。半壊のままで、ブルなどが入り、また荒地となった震災の爪あとが残っていた。

 所々に、参院選の立候補者のポスターが目に入るが、なぜか空しい。
彼らは、本当に震災や年金問題を解決しようとするのか。口先だけでないのかなぁ。

 また、被災したお年寄りの中には「当時、壊す費用がただと聞いて壊してもらったけど、
今となれば直せばよかったかもしれん」。

 しかし、これからのことを考えると「それだけのお金をかけるのも難だし、仮設住宅が良かったのか悪かったのか、分りません・・・」。

 今回の義援金については、総持寺祖院の門前の町会長星野さんにも確認して戴きました。星野さん「建物には改めて筋交いの大切さが分りましたよ」確かに諸岡地区へお届けしました。ご安心ください。

 受け取られた町会長の泉さんは「仮設住宅におられる方も居ます。貴重な浄財は、皆さんにご報告して、お役に立てたい」と話す。義援金に応じて戴いた多くの皆様に感謝して、ご報告とします。

 帰路、あえて門前の商店街を通り、輪島へ向かったが、震災に遭い虫食いのようになった更地。帽子、子ども服、婦人服、靴下…プレハブの仮店舗で営業する衣料品店「シモグチ」も目に入った。

 今回の地震でおよそ200平方メートルの店舗兼住宅は全壊。
震災から一ヵ月後に再開したらしい。

 輪島では河井町在住の金沢龍馬会会員、漆芸作家の有重さんを訪ねたが、
震災にもめげず、元気そうで一安心。

 なお、半島地震の義援金の募集は
当分、継続しますので宜しくお願い申し上げます。
                       2007 7 14(ふ)

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 第15回 龍馬からの手紙

 龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。
龍馬没後140年記念、ギャラリー龍馬開設20周年記念の 【龍馬からの手紙展】の案内が龍馬ゆかりの「海援隊京都本部 酢屋」十代中川敦子さんからありましたのでお知らせします。

   龍馬からの手紙展は、龍馬と同じ年齢の方々に、激動の中に生きた龍馬を振り返っていただき、広く世界を見つめた龍馬と混迷する日本の今、そして未来の日本の姿を考えていただく公募展です。龍馬になったつもりで、あなた自身の意見を書いて下さい。

【作品応募規定】
○作 品     A4判用紙一枚以内(便箋でも可)手書き ワープロ可 未発表の作品 一人一点に限る 作品の返却は致しません。
          別紙に住所・氏名(フリガナ)・年齢・職業・電話番号を明記
○締切日    平成19年9月30日(日) ※当日消印有効
○応募資格   33才までの人
○応募方法   郵送、FAX、メールにて応募できます。
○  賞      ・最優秀賞 1点
          ・優秀賞 2点
          ・入選 10点
               (最優秀賞:5万円  優秀賞:1万円 入選:酢屋オリジナル木工品)
○発 表      10月末 入選者に直接通知します。
                  ※応募作品の一切の権利は主催者に帰属します。
○応募先      京都 酢屋
                   〒604-8031
                 京都市中京区河原町三条下ル一筋目龍馬通
                  電話(075)211-7700 FAX(075)256-6066
                  suya-k@mbox.kyoto-inet.or.jp
○主 催      海援隊京都本部 京都酢屋

 この機会に若い人たちは、是非参加されるのもいいと思います。
また、秋11月は、以下の展覧会に参加されるのもいいでせう。
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   【第15回】龍馬からの手紙展
  龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思い、そして活動するでしょうか。
毎年全国から公募された竜馬からの手紙の受賞作品、ならびに全作品を龍馬が寝泊りした部屋で展示公開致します。
    ・平成19年11月2日(金)〜5日(月)
    ・午前11時〜午後5時
            一般/大・高生:300円 中・小生:無料

 【龍馬追悼展】
    ・平成19年11月10日(土)〜25日(日)
    ・午前11時〜午後5時
           一般:600円 大・高生:300円 中・小生:無料
                                         2007 7 14(ふ)

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 22日(日)、京都史跡探訪!!

 梅雨の真っ只中。各地の集中豪雨も心配されます。
会員会友の皆さん、その後もお変わりなく御元気でご活躍のことでせう。

 去る一日、お隣富山の富山龍馬会も会員も増える中で、総会や懇親会も盛会に開かれました。

 すでにお知らせしましたが、来年秋、越前福井で、龍馬ファン全国大会が開催されます。
それに向けて燃えている越前龍馬会から、京都日帰り史跡探訪のご案内がありましたので知らせします。

 ◇日時: 7月22日(日)
 ◇集合: JR福井駅東口 6時50分 7時出発
 ◇解散:     々    夕方の予定
 ◇参加費: 12000円(昼食付)

  当日は
  京都龍馬会長の赤尾さんの案内で、龍馬の街・京都の原点を歩きます。
  全て、お任せ、特盛コースの企画で、当日は知らない史跡等々があり、期待も出来ませう。

   ・途中、北陸自動車道のICからの乗車も可能で、希望の方は申し出下さい。
   ・申込、問い合わせは 越前龍馬会
   ・締切は、7月12日(木)必着で!

 折角の機会です。
越前龍馬会のメンバーとの交流に、京都龍馬会長の赤尾さんの案内で、龍馬の街・京都の原点を歩いてみるのもいいでせう。
                                              以上。2007 7 6  (ふ)

参加申し込みの皆様へ!
大変申し訳ありませんが、催行人数に満たないため、中止延期といたします。
又、企画いたしますので、その時は、宜しくお願いいたします。
              2007 7 13  越前龍馬会事務局

 余談だが、陸奥宗光。 龍馬暗殺の知らせを受け、暗殺を指示したとみられる人物らの宿に斬り込んでいった明治の政治家で、外交官の陸奥宗光(1844〜1897)。

 紀州・和歌山藩士伊達藤二郎宗広の6男として生まれたが、父宗広は幕末、紀州藩の財政危機を救う程の大功績をあげながら、藩内の政争に巻き込まれ、伊達家は一家離散の憂き目をみた。

 そのため、彼は藩士の子弟としての教育も受けられず、独学で漢学等の学問を身につけた。のち、外人宣教師宅に住み込み、努力の結果身につけた英語力は、後年英国人をもうならせるほどだったらしい。

 後に土佐の坂本龍馬の知遇を得、龍馬が組織した亀山社中に参加して、海援隊に参加。
龍馬にその才能、特に商才を高く評価されて、彼は龍馬から「二本差しでなくても食って行けるのは俺と陸奥のみ」と言われるほどだった。

 彼は、河原町の蛸薬師で醤油商も営む近江屋で、龍馬暗殺の知らせを受け、
暗殺を指示したとみられる人物らの宿に斬り込んでいったのもよく知られた史実。

 また、明治維新の後には政府に参画したが、薩長閥の専横に抗議、征韓問題で西郷隆盛や板垣退助と共に下野した後、土佐の立志社系の政府転覆運動に参加して5年間、投獄された。

 1883年(明治16年)赦免により出獄し、3年余の外国留学の後外務省に勤務。その後駐米公使、山県内閣の農商務大臣、衆議院議員、伊藤内閣外務大臣などを歴任し、日清戦争前後の外交に。

 彼は、英国の法学者で、功利主義の主唱者ベンサム(1748〜1832)の立法論を全訳する程、語学力に秀でて、欧州各国の教授と英語で憲法論を論じるほどの高い能力と識見を持ち合わせていた。

 その手腕によって、英国との不平等条約改訂や治外法権撤廃を成功させ、独立国日本としての立場を獲得したとされる。

 その協調をもとに日清戦争を外交面から支援。このとき遼東半島の割譲を巡り、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉を受けた苦心の外交折衝の経過は、その著「蹇蹇録(けんけんろく)」に記されている。

 これが、いわゆる゛陸奥外交゛であり、彼は明治時代の代表的な外交官と言われた。
かつては、間違いなく日本外交が一流だった時代があった。

 それが「陸奥宗光とその時代」であるともいわれている。
明日七月七日は彼の命日。
                                       2007 7 6  (ふ)

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 全国大会、9月22日。来年は福井で10月2日に!!

 6月30日、龍馬縁の京都で開催された近畿北陸ブロック会議で、改めて明らかにされた。
また、全国龍馬社中の橋本邦健会長は、「一昨年、全国のすべての都道府県に龍馬会が出来た。これからは、点から面の行動だ。

 少しでも社会が明るくなるように、各地の龍馬会は地域の為に貢献して欲しい。自分が龍馬になった積もりで、自信を持って頑張って欲しい」と力を込めた。

  大胆な発想と行動力で、時代を切り開いた幕末の志士坂本龍馬。志半ばにしてこの世を去った。没後140年たった今もなお、彼の魅力は色褪せることを知らない。

 彼が歴史にその名を刻んだのは、頭角をあらわし始めた28歳から暗殺される33歳までのたった5年間ほどと言われている。

 動乱の時代に彗星のごとく現れ、偉業を成し遂げ散っていった彼の人生は、未だ解き明かされていない多くの謎に満ちている。

 梅雨の真っ只中。晴れ間の京都。街の青葉若葉が美しいが、なんとも蒸し暑い。
江戸日本橋から 532キロ。 中山道・東海道の終点の三条大橋は加茂川に架かる三大大橋の一つ。

 1590年(安土桃山時代)、秀吉が小田原攻めで、北条氏を滅ぼしたことを記念して架橋されたという。
幕末の志士に影響を与えた勤皇の思想家・高山彦九郎が皇居の方角を向いて、ひれ伏す像が目に入る。

 大橋の欄干には十二の擬宝珠(ぎぼし)があるが、西詰め南側には「旅は道づれ世は情け」、弥次喜多さんの銅像が立っていた。

 この三条河原には豊臣秀次一族三十九人が処刑され、また天下の盗賊石川五右衛門が釜ゆでにされたという血生臭い歴史も残る。

 三条大橋辺りから、河原町や木屋町にかけては、やはり京の都か、
和服姿に若い女性達のノースリーブに短パン姿が目立つ。やはり学生の街かと思う。

   時間が、一時間繰り下げされた為、開始の午後五時までに少し時間があった。で、享保6年から現在まで、創業280年続く材木商、龍馬ゆかりの「酢屋」や土佐藩邸跡などを歩いてみた。

 そこで、何とも偶然越前龍馬会の牧田会長らに出会った。朝早く「龍馬ゆかりの伏見へ行って来たのです」と。「この近くに『酒場 龍馬』の店が、出来たと聞いたので、確認に来たのです」

 「えぇ、そんな店が…」と聞きつつ、すぐ近くにあるという店を案内して貰った。
「それはいいね、京都へ来たら、誰でも気軽に一服も出来るし…」バイクの駐車場は満員。

 歩道にもチャリがあふれている。三条や四条などの大通りは別として、狭い通りの京都は自転車とバイクの街ではないかと思っていた。

 そこへ、バイクにヘルメット姿、京都龍馬会の赤尾理事長と近江龍馬会のお龍さんこと、錦織さんがやってきた。赤尾さんは、いつも現れるときは着物に袴の龍馬スタイルで、ヘルメットを取るまで分からなかった。

 京都龍馬会の事務局も併設されている『龍馬』の店は、今年の3月、オープンしたというこぢんまりした店。店内は10人も入れば一杯になるが、各地の会報に龍馬のグッズ、龍馬縁の名が付けられた各地のお酒も並べられていた。

 夜になれば赤くてデッカイ提灯も掲げるそうだ。店を仕切るお龍さんこと、錦織さん「大津と京都は20分で、皆さんの協力で、何とか開店しました」と。酢屋と土佐藩邸の真ん中の木屋通り、高瀬川沿いの都会館の一階にある。

 で、冷たい茶を戴いているうちに、常連で有るのか、京都龍会の企画実行委員で、ブラジル籍のパホ マルシオさんらが次から次へと現れて店に入るや、あふれた他の人は中に入ることが出来ず。

    時間もそろそろ、近づいた。ここからも近い市役所横、帝国ホテル一角にある桂小五郎の像を見て、高瀬川「一の舟入」の真ん前にある会場の「豆屋源蔵」へ。

 土佐高知から朝7時半に出たという全国龍馬社中会長の橋本邦健さんをはじめ、地元京都や各地の龍馬会のメンバーが次々と集まってきた。

 この日出席したのは、地元京都の会員に、7月28日発足する堺龍馬会の女性も交えたメンバー、大阪や兵庫、それにお龍さんら近江の和服姿の女性会員や福井、金沢の老いドン等あわせて20人。

 会議は、全国龍馬社中の理事で、兵庫龍馬会の楠本剛会長の開会挨拶に続いて 越前龍馬会会長で、牧田ブロック幹事長の司会進行で進められた。

   まず、全国龍馬社中橋本邦健会長が、「先般、海外の龍馬会としては米国の三つやフランス、ドイツ、インドネシァに続いて7番目、121番目のロスアンゼルス龍馬会設立総会の為に米国へ行ってきた」

 予想を上回る80人の会員を前に「龍馬の精神を汲み、日本人として、ロサンゼルスの為に、米国のために何かを残していこう。今日から龍馬になって」と訴えてきたと。

 更に「世界の海援隊をやりたいと言っていた龍馬。その夢を叶うべく、五大陸に設立したいと念願しており、アフリカのコンゴへ行く予定だった。暴動で、外務省から止められて、やむなく行くことは断念した経緯もあるが、いつか実現したい」。

 また、「一昨年、全国の都道府県すべてに龍馬会が出来た。幸い北海道、東北、関東、東海、近畿・北陸、中国・四国、九州、高知、海外と8つのブロックも出来たことで、これからは、点から面の行動だ。

 少しでも社会が明るくなるように、各地の龍馬会は地域の為に貢献して欲しい。自分が龍馬になった積もりで、自信を持って頑張って欲しい」と、熱のこもった挨拶。

 議題2、今年で19回会目を数える龍馬ファン全国大会について
来る9月22、23日高知で開催。交流懇親会は予定していた桂浜貸し切りの案は、雨天でテントを張っても台風のこともあり、会場は高知市文化プラザ「パルポート」に変更した。

 また、特別講演は、ジームス三木さんに決定したが、来年4月から松山で、二週間連続で龍馬のミュージカルを予定しており、脚本だけでなく、縁の人たちとのパネルデイスカッションも検討している。

 議題3、近畿ブロックの名称の変更などについて
北陸の福井、金沢、富山は近畿としてでなく北陸であり、この際名称を近畿北陸ブロックに変更する件は全会一致で了承された。また、近畿北陸ブロックの副幹事として、金沢龍馬会の事務局長不肖福野を推薦したいとの提案があり了承された。

 議題4、2008年第20回福井の全国大会について
現時点で、予定されている概要は以下の通りと越前龍馬会からの報告。
   ◇日程 2008年(平成20年)10月25日(土)〜26日(日)
   ◇会場 福井市駅前、アオッサ八階 福井県県民ホールにて

    10月24日(金)前夜祭 全国龍馬社中会総会、懇親会
                期間中は、福井市郷土資料館にて「春嶽をめぐる人々特別展」

    10月25日(土)13時〜開会 アトラクション
             13時30分〜記念講演(講師未定)
             15時〜分科会予定  ・龍馬と福井藩
・春嶽をめぐる人々
・福井藩出身の海援隊士
             16時〜報告会 引き継ぎ式
             18時〜交流会(会場未定 二次会までご案内)

      10月26日(日)エクスカーション
              A 龍馬ウォーキングコース(9:30〜11:30)
              B 幕末史跡コース(9:00〜13:30)
              C 越前史跡・観光コース(8:30〜14:00)
              D 若狹史跡・観光コース(8:00〜15:00 帰路JR敦賀経由福井駅)
                              (BCDは昼食付き)

   議題4、各地の龍馬会の報告から
 京都龍馬会の監修で、7月27日 千利休を生んだ堺市の創業が永宝年間という老舗のけし餅舗の隣に、京都龍馬会の法人会員であるサカモトテクノが「Associaton Gallary Ryoma」をオープンさせる。

 また、翌、28日堺市で、堺龍馬会の発足総会が開かれるとの報告。
更に、全国龍馬社中会から、ホームページに各龍馬会お薦めのお店紹介ページを作る。

 趣旨は、会員が、出張や旅行などに行った時、安心して行けるように、居酒屋・スナックなどを
全国龍馬社中の掲示板に、ご紹介くださいと。第二弾は宿について検討中。

 具体的には、各地の龍馬会会員が、経営されている店、龍馬に関する屋号の店、龍馬会に理解がある店、龍馬会価格で飲ませてくれる店など(※各地の龍馬会推薦の店は、全国龍馬社中のHPに逐次掲載中)。

 金沢龍馬会からは、先般の総会で、来年福井大会に全面的に協力応援すること、
富山龍馬会は7月1日総会開催を予定していることなどを報告。最後に、今年秋の土佐高知での再会を期して、会議を閉会した。

 このあと、懇親会に移ったが、鴨川の川上から吹く風は、何ともいい。。
今回、会議に先立って寄ってきた高瀬川によって運ばれた材木を扱う材木商(現在も営業)酢屋。

 龍馬が近江屋で遭難する直前まで身を寄せ、海援隊京都本部が置かれていた酢屋。
入り口に「坂本龍馬寓居の跡」の石碑が立っている。

 すき屋風の作りで1階は木工芸のお店。2階には「ギャラリー龍馬」として龍馬の遺品が公開されて いる。
「先祖は、決して匿って居たとは言わなかった・・・」と。その酢屋の十代目中川敦子さん。

 挨拶の中で「間もなく祇園祭です。来られたら○○龍馬会と仰れば茶を一服差し上げます」と。
京都人には、「まじかやな」と心待ちにしている祇園祭か。17日には山鉾巡行と続く・・・。疫病払いか。

 また、龍馬の定宿、1862年(文久2年)4月23日の薩摩尊攘派粛清事件、「寺田屋騒動」で知られる伏見の舟宿・寺田屋の若きオーナー津幡学さんも参加され「宿泊は、予約有れば6500円で承ります」。

 高校生の時、龍馬会を結成して以来20年という会員ら、それぞれ龍馬を巡って、熱い談論風発が定刻21時まで続いた。が、橋本さんの言う京都〜福井のウオーキングを主催したらどうかの提案は傾聴に値したし、福井の越前龍馬会は、アイディアは戴いてもいい。

 それは、さる五月に日本ウォーキング協会の中で、高知県ウオーキング協会会長でもある龍馬社中の橋本会長を名誉会長とした「あるけあるけ龍馬会」が発足したこと。

 それも、会長は日本ウオーキング協会の副会長の大内さんで、伊能忠敬の道を三年かけて踏破したつわもの。また、龍馬は、信頼する福井藩主松平春嶽に、5000両を借りるために、京都から3日かけて福井まで歩いてきた史実も残るからだ。

 日本の夜明けは京都木屋町から始まった!今回の会場は、龍馬ゆかりの地、木屋町。京独特の間口、三間、「涼風河床」鴨川の河床に続く老舗の茶屋旅館が前身の「豆屋源蔵」で、目の下は鴨川で、心地よい風が吹いていた。

   終わった後は、中川さんらと高瀬川沿いに歩いた。役人にボーナスも出た土曜日なのか、年配者やチャリの若者らを中心とした人出、コンクリートで風情のない鴨川も涼を求める人で一杯。

 ♪月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に
       夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に
          祇園恋しや だらりの帯よ

 夏は河原の夕涼み 白い襟(えり)あしぼんぼりに
       かくす涙の口紅も 燃えて身をやく大文字
          祇園恋しや だらりの帯よ

 鴨の河原の水やせて 咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
       枯れた柳に秋風が 泣くよ今宵も夜もすがら
           祇園恋しや だらりの帯よ
                        「祇園小唄」 作詞:長田幹彦 作曲:佐々紅華

 久々の京の都だが、満月を見入る余裕どころではなかった。
木屋町から河原町辺りは、江戸の新宿並みの混雑していた。こりぁ、いったい何だ。他の都市と違ってこの辺りが唯一の繁華街であれば仕方がないのか。

 それにしても、歴史を感じさせる縁の跡の石柱は多いものの、それが看板の裏にあったりして京都の観光政策も今一。きめの細かい施策が求められる。また、建物などが少ないのは改めてちょっと気になった。

 さて、今年の龍馬ファンの全国大会は、9月22日〜23日。
龍馬の志とは何だったのか。♪土佐の高知の播磨や橋で…何とかして、土佐高知へ行ってみたい。

 あれは4年前、39年ぶりの四国だった。お世話になった室戸と中村の方を訪ねることを兼ねた15回大会。
国内で唯一、人名が冠された高知龍馬空港、また龍馬記念館オープンした年。

 桂浜に龍馬を訪ねて、横井小南、勝海舟、西郷隆盛、龍馬らのひ孫ら親族によるシンポジウム「末裔が語る幕末の志士達」には、感心。アトラクションのよさこい鳴子踊りや山田太鼓にも魅せられた記憶が残る。

 今年の前半も過ぎた。誰彼も、分け隔てのない「土佐のおきゃく」は 土佐流の人生の楽しみ方、そんなに触れてみるのもいい。龍馬が待っているぜよ。

 この機会に、龍馬脱藩の道、梼原(ゆすはら)などを歩いたり、
日本を代表する清流、四万十川の舟母船に乗って山の風に吹かれるのもよかろう。
                                                  2007 7 1(ふ)


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 2007年度総会、23日盛会に終わる!!

梅雨の晴れ間の金沢。先日の雨で、街の青葉若葉が特に美しい。
この日は、なんと快晴で、少し汗ばむ暑さだ。女性達はノースリーブ姿が目立つ。

 半島地震。これまで経験したことのない地震から三ヶ月経ち、被害に遭われた奥能登輪島の会員や会友も、まだ本格的な復興には至らず。

 この日、時あたかも、プロレス出身で自民党の参院議員大仁田厚(49)が、参院選比例代表での同党公認を辞退し、政界を引退することを明らかにした。

 「投票日が7月29日になったことで(夏休みになり)政治に関心のない若者が投票に行きづらくなった。引退は官邸への異議申し立て」と会期延長への抗議であることを強調。

 更に「参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」「(参院が)変わらないような政治では誰も関心を示さない」などと党への不満をぶちまけた。

 そんな中、今年度第一回金沢龍馬会の総会は三人のハチキン(高知出身)を含む会員が、友人知人(会友)等あわせて19人が出席して開かれた。皆と会うのは、4月の花見の会以来だ。

 今回は、当会の会員で、土方歳三ファンでもある徳田明人さんが講師となり「土方の性格」について話して戴きました。以下、総会の概要をご報告します。

◇総会  6月23日(土)13時30分〜15時
◇場所  空海 金沢文化ホール裏
   総会に先立ち、自己紹介したあと。武内会長は「みなさんそれぞれバラバラな生き方をしていますが、今日はまた、バラバラに話して貰いますが、龍馬について更に研鑽を続けていきましょう」と挨拶。
  続いて、富山龍馬会、馳代議士から「総会は盛会に…」のレタックス等々披露。

◇講演  〜北の大地に消えた土方歳三〜
              「土方の性格」
                      講師  金沢龍馬会 徳田明人さん

 (講演要旨) 土方は武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)の農家に生まれ・・・新撰組では近藤勇と共に京の治安維持にあたったが・・・高杉晋作も織田信長の影響を受けていた・・・
土方の最後の美学には感じるものがある・・・
 土方ファンとして日本最後のサムライでありたい。

 ついで、議題に移った。
◇半島震災義援金
  越前龍馬会から、去る4月8日に開催した第6回越前湊さくら祭で、募金した五万円余。

 また、名古屋にいる高校同期の小林さんから二万円、「能登・加賀 東風に吹かれて」の 挿絵装幀して戴いた画家の相沢女史からアトリエ展での募金も寄せられている。

 町会や関係する各種団体へ義援金を出したと聞くが、会員の折戸 玉井 宮島 武内 山田(友)東 向山各位からも寄せられた。
              ・別紙参
・能登震災、金沢龍馬会のHPで、引き続き義援金の募集を継続していく。
              ・6月23日現在分を〆て、会長と事務局長が被災地へ届ける。

◇この一年間の活動報告  ・当日配布の別紙参(HP)
◇会計報告        ・別紙参
◇今年度の活動方針
  龍馬没後140年。今年の全国大会は、秋9月に龍馬の里、土佐高知。交流会は月の名所の桂浜。龍馬が信頼していた越前藩主松平春嶽、二度も訪れたことのあるお隣の越前福井で開催されることになっている。

 幕末の越前福井藩は、16代藩主松平春嶽による斬新な藩政改革、つまり能力主義の人材登用、洋の東西を問わない学問の奨励、貿易を中心とした経済政策によって、当代随一のいわば「智藩」として注目された。

この福井藩に興味と期待を抱いたのが坂本龍馬。一度は福井藩の経済力に魅了され、神戸海軍操練所建設資金援助を求めた。もう一度は、福井藩の由利公正と会見し、大政奉還の決したことを伝え、新政府の財政について相談したことがあげられよう。

 越前龍馬会では4月に早速と実行委員会を立ち上げて、これまでに三回の委員会を開催するなど着々準備を進めているので、是非応援参加協力していく。

              ・福井の全国大会の応援協力は、具体化次第参加など検討する
              ・この機会に法被など検討する

◇会員拡大について
                ・広報の充実の他、会員各自が、知人友人を通じて広めていく。
◇当面の動き
              ・2007年6月30日午後4時から 京都中京区 豆腐源蔵にて
                全国龍馬社中近畿ブロック会議   会長代理出席 福野

   当日出席は、山田(友) 国友 室岡 小屋 徳田 米村(会友) 玉井 中川 金子(会友) 西(会友)齊田夫妻  加茂 大瀬 大瀬美 藤田(会友)宮島 山野 武内 福野
欠席連絡   福島 折戸 山田(省) 向山 東 小阪 有重

◇2007年度会費納入(6/23現在)
山田(友) 国友 室岡 小屋 徳田  山野 玉井 中川 齊田夫妻 加茂 宮島 済田 武内 福野

 なお、未納の方は、金沢龍馬会 口座番号 : 金沢中央郵便局 00780-5-38627 へ振り込んで下さい。
その他、動向など連絡事項等々は、すみやかに事務局まで、連絡下さい。
                         以上。

 総会の後、用事のある方は、退席して、引き続いて15時から懇親会。
先の徳田さんの土方を巡って、それぞれが、幕末の高杉晋作、榎本や土方の戦略に歌、更に大仁田の出馬辞退、教育問題等々を巡り談論風発。

 定刻の17時が来たので、山田(友)さんの中〆で終了した。が、話が足りない面々は引き続き懇談。なお、今回の懇親会では、中川 山田 武内 それに龍馬会設立時の唯一の女子大生で、脱藩し結婚されたS嬢から吟醸酒や焼酎などの差し入れ有りました。有難う御座いました。

 今回、やむを得ない事情で参加出来なかった方は次回、知人、友人、新たに会員になりたい方もお誘いの上ご参加下さい。ご参考までに土方について「北の大地と樺太彷徨」(2005 7 ふ)の抜粋を掲載しました。

 …北の大地、江差の沖には、1868年(慶応二年)に、はるかオランダで建造された「海陽丸」が砂に埋まって沈んでいる。およそ一世紀を経た1974年(昭和49年)に本格的な引上げ作業が開始されて、度々発掘調査が行われた。

 時を経た1990年(平成2年)には港の横に、原寸大に復元された海陽丸は青少年センターとして、国内やオランダから集めた資料や引き揚げされた遺品などが展示されている。

 その海陽丸。
竣工後、イギリス海峡を通り、アフリカ西海岸からインド洋、東南アジアの島々を通り、幕末に日本へ来たが、幕末から戊辰にかけてさ迷う事になる。

   ちょっぴり箱館戦争、維新前後の話にも。
慶応から改元されて明治となった1868年10月のことである。会津戦争に敗れて、仙台での奥羽列藩同盟の崩壊をみた戊辰戦争の東軍は、それ以後「徳川脱走兵」として南部松島湾に集結していた榎本釜次郎(武揚)の海軍力に望みを託して、石巻に集結。

 この地で事後策を練った彼らは、北海道にわたり、徳川遺臣によって「蝦夷共和国」を建設するという、海外留学経験を持つ榎本らの先進的な考えに同意した。

 そして、10月20日(新暦では12月3日)早朝、東軍士官兵士およそ4000人を載せた開陽丸以下7隻の軍艦が、先に触れた函館北方の内浦湾に面する漁港、鷲の木浜に到着。すでにおよそ30センチも雪が積もり、海上には高波と暴風雪が殴り付ける、厳しい寒さの朝であったという。

 更に、10月26日には函館・五稜郭を占拠して、函館府知事を追放した。そして、翌27日には松前攻撃に移った。海からは11月1日に軍艦「蟠龍」が松前湾から松前城を砲撃。

 陸からは土方歳三率いる陸戦隊700人が知内、福島と占領し、5日に松前に入って激戦の末、松前城東方の馬形(まがど)台地にある法華寺を占領した。

   旧幕府軍は海陸から城中へ砲撃し、陸兵が各坂口から進撃。搦手(からめて 裏門)門を攻めてきた土方軍に対し、松前藩兵は門を開くと同時に大砲を発射し、また門を閉じるといった攻防戦だったという。

 徳川一門の生計を立てるため蝦夷地を開拓し、新たな領地を開きたいという想いは、新政府としては到底認めることができないものだった。独立共和国を作るつもり?の榎本は、誰のために開陽丸を動かしていたのだろうか。また、勝海舟(1823〜1899)の気持は果たしてどんなであったろうかと思う。

 その開陽丸は、1868年(明治元年)11月15日の夜明け前、山々が雪とともに白く浮き上がってきた頃、この江差沖で座礁沈没してしまった。

 そのころ、松前から浜路、江差に向かって進撃中の土方歳三の軍勢は、予想を超えた松前藩の抵抗に遭いながらも辛うじてこれを撃破して、江差に到着したのは翌16日であった。

 榎本と武蔵の日野出身の土方の二人は眼下で、嵐の中でもがいていた開陽丸を見て、ままならぬ運命に歯ぎしりをしながら、土方は「釜さん、悔しいのぅ」などと呟やいたとか。

 無念さは隣にいた榎本も同じで、幕末、新しい世界を北方に賭けた二人は、男泣きに泣き続けたのではないか。そんなことも思った。

 その榎本武揚(たけあき 1836〜1908)。江戸は下谷御徒町の直参旗本の家の次男として生まれた。通称は釜次郎。父は、備後(今の広島県)の国の箱田村の出身。

 〜略〜

   当時の箱館は、ペリーの黒船来航に始まる日米通商条約で外国に開港されている港だった。
彼(榎本)はここで、函館奉行の堀織部正とともに、まだ未開だった蝦夷の大地を探検、蝦夷の地の地理や星、気候などを学んだといわれている。

 幕府が長崎海軍伝習所を開くや、箱館から戻った釜次郎も入り、造船や測量、航法、機関などの新しい学問を学ぶ。

 帰東してから、かの勝海舟が開いた海軍操練所(神戸 諏訪山公園に碑)の教授、1862年(文久2年)にはオランダに留学生として派遣され、帰国後は海軍奉行に。

 戊辰戦争の時は、先に触れた「開陽丸」や旧幕艦数隻を率いて箱館に入り、五稜郭に拠って官軍に抗戦。
また、ロシアとの提携をはかり、北海道に工務授産計画を立てるなど、共和国設立の野望を抱いていた。

 が、1869年(明治2年)5月、官軍指揮官・黒田清隆のすすめで官軍に降伏し、江戸で投獄された。黒田らの尽力で、(榎本は)3年後の1872年(明治5年)に特赦で出獄。

 釈放されて、北海道開拓使となり、二年後の1874年(明治7年)には海軍中将に。後に、ロシア駐在公使となっていわゆる樺太=千島交換条約を締結、帰路は馬車でシベリアを横断している。

 〜略〜

 もう少し戊辰戦争を続けよう。
1869年(明治2年)5月11日、函館周辺は既に西軍、つまり薩長軍に陥落され、五稜郭への総攻撃が開始された。土方歳三は函館奪回を目指して、およそ50人の兵と共に五稜郭を出陣し函館に向かった。

 函館と亀田村の境界にあった一本木の関門辺りで馬に乗り敵陣に切り込んだ時に銃弾を腹部に受け戦死。享年34歳。死を覚悟していたという土方歳三は、

 たとひ身は蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも
           魂は東(吾妻)の君や守らむ
という辞世の句を残している。

 ご存知、京都で鬼の新撰組副長と恐れられた土方歳三は幕臣としての大儀を、最後迄貫いたといえようか。
函館戦争で戦死した幕府軍幹部は、土方歳三たった1人だった。

 以上、抜粋で、ご紹介しました。
次回、会員や会友、或いは、志ある方は日頃思っていることなど皆さんに披露されることを期待しています。
事務局へご一報戴ければ検討します。
                              2007 6 23 ふ)


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 龍馬の曽祖父坂本直躬が書いた手紙!

 コウノトリで知られる兵庫県豊岡市、
その竹野町の旧家から、坂本龍馬の曽祖父坂本直躬(なおみ)が書いたとみられる江戸時代の手紙が見つかった。

 龍馬の曽祖父である直躬は、土佐で「才谷屋」の屋号で商売を営んでいたことは周知の事実。
筆まめな龍馬の手紙は、分かっているだけで130通余りある。

だが、直躬の書簡はこれまでほとんど見つかっおらず、
商人で、歌人だった直躬が書いたものは、これまで短冊1通しか確認されていないとされる。

 朝日や毎日、神戸新聞などによると、豊岡市史料整理室が6日に発表したところでは、直躬が城崎温泉に滞在した際、刃物をとぐ砥石(といし)が但馬では良質なものが手に入りにくい事情を知り、土佐特産の砥石を送り、広く紹介するよう求めている。

 手紙には「8月21日」と日付は書かれているが、年号は省かれている。この手紙を見た龍馬の甥坂本直寛の孫で、神戸市須磨区にお住まいの龍馬研究家の土居晴夫さん(84)は、その後に武士に転じた直躬の足跡から、商売をしていた1770(明和7)年ごろまでに書いたのでは、とみているようだ。

 家業の才谷屋は質屋や酒造業、呉服屋など手広い商売で、明治時代まで続いたらしいが、土居さんは「直躬はあちこち旅するのが好きだったらしく、城崎温泉へもたびたび湯治に出かけていたようだ」と話している。

 手紙に城崎温泉を直接示す表記はないが、「入湯」という記述と、受取人が竹野町の大庄屋だったことから、市史料整理室は「旅先が城崎温泉だったことは間違いない」としている。

 手紙は縦35センチ、横50センチの和紙に書かれ、二つ折りにされて、封筒も残されているという。
砥石の売り込みの成否について豊岡市の史料整理室は「商品を売り込む才覚は素晴らしい。

 しかし、直躬の狙い通りに土佐の砥石が但馬で売られ、人気を集めたかどうかは手がかりもなく、分からない」と説明している。

 交通事情がよくない江戸時代に土佐から海を渡り、但馬へと歩いていたとは。
曽祖父の旅好きな血が、龍馬にも遺伝していたことは、この手紙などで改めて浮き上がった。これは龍馬の関係者にはまたとない資料といえよう。
                                      (2007 6 10 ふ)


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 金沢龍馬会、6月23日総会開催!!

 青葉若葉が美しい頃になりました。
去る3月25日の半島地震。これまで経験したことのない地震から二ヶ月経ちました。

 被害に遭われた会員や会友、またご親戚や知人友人の中に被害に遭われた方もありませう。
畑ではイチゴやたまねぎなども実るなど日常生活は何とかなっているものの、まだ本格的な復興が進んでいません。

 皆様にはその後もお変わり無く御元気でご活躍のことと思います。
そんな中、下記の日程で、今年度第一回の総会を開催することになりました。

 今回は会員で、土方歳三ファンでもある当会の会員、徳田明人さんに30分話していただくことになりました。
各位には万障繰り合わせて、ご参加下さい。

 ◇総会  6月23日(土)13時30分〜15時
 ◇場所  空海 金沢文化ホール裏
   総会に先立ち
 ◇講演  北の大地に消えた土方歳三
                           講師  金沢龍馬会 徳田明人さん

 ◇議題
    ・この一年間の活動報告
    ・会計報告
    ・今年度の活動方針他
        (福井の全国大会の応援など)
 ◇懇親会 総会の後、引き続いて15時から17時。会費 3000円
      例によって、差し入れ大歓迎です。知人、友人、新たに会員になりたい方もお誘いの上ご参加下さい。時間の許す限り談論風発を期待したいと思います。
      ※準備の都合もありますので、出欠の連絡は6月15日までに、事務局へ。

 龍馬没後140年。今年の全国大会は、秋9月に龍馬の里、土佐高知。交流会は月の名所の桂浜の貸し切り。
来年は、龍馬が信頼していた越前藩主松平春嶽、二度も訪れたことのあるお隣の越前福井で開催されることになっています。

 越前龍馬会では4月に早速と実行委員会を立ち上げて、これまでに三回の委員会を開催するなど着々準備を進めています。これも、お隣ですから、是非応援参加したいですね。これを機に、皆さんと共に、同じ志を持つ会員の拡大もしたいです。

 今度の能登震災、金沢龍馬会でも義援金の募集を継続しています。
越前龍馬会から、去る4月8日に開催した第6回越前湊さくら祭で、募金した五万円余。また会員各位の中から、折戸、玉井、武内、宮島、片町の鰯組さんからも寄せられています。

 また、名古屋にいる高校同期の小林さんから二万円、「能登・加賀 東風に吹かれて」の 挿絵装幀して戴いた画家の相沢女史からアトリエ展での募金も寄せられています。何とも有り難いことです。

 これらは、来る6月23日の総会で、報告して、武内会長と共に、今回の震災で一番被害を受けた門前町の町会長さんに届けることにしています。前回やむを得ず参加出来なかった方も総会で是非お会いしませう。
                                (2007 5 25 ふ)

  6/21 現在
 出席       山田(友) 国友 山野 室岡 宮島 小屋 大瀬 徳田 米村(会友) 中川先輩 (中川友人の諸橋ら三人?) 武内 福野
 総会のみ出席 大瀬美 藤田(会友)
 欠席       福島 折戸 山田(省) 向山 東 小阪

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 龍馬ファン、交流の場が完成!!

 四国土佐高知の檮原龍馬会の西村龍馬さんから
檮原龍馬会のとまり小屋兼事務所完成しましたと案内がありました。

 ついに、“完成したでよ、檮原龍馬会事務所“。とまり小屋は5月12日(旧暦3月26日)龍馬脱藩の日に合わせて開所式を行いました。檮原会員と龍馬社中の橋本会長らを迎え大酒が飲めました。

 龍馬ファンの皆さん、是非一度脱藩の郷檮原に来た時は、是非とも、お立ち寄り下さい。心よりお待ちしています。大人4人位なら宿泊も出来ます。残念ながら風呂は完備していません。が、檮原には、温泉が有ります。

 使用料は、気持ちでお願いします。
龍馬ファンの交流の場所ですので、龍馬ファンよ集まれ!と。

 なお、宿泊などの連絡先は、
檮原龍馬会事務局(四万川総合建設内 0889-67-0810)の担当西村さん。
または「喫茶 彩華」0889-67-0022)へ。
                   以上。

 土佐高知の龍馬ファンならでは。折角のご連絡は有り難いですたい。
日本広しと言えど一戸建ての事務局ば持っとる龍馬会は、なかばい。いつかお邪魔するけんね。

 会員や会友各位には、この夏の休みや秋の全国大会に参加された折りでも、時間を見ながら、龍馬ゆかりの地を訪ねて見るのもいいでせう。
                2007 5 13(ふ)


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 長崎龍馬像建立18周年記念講演会開催!!

 長崎龍馬会からの案内です。
・日時:平成19年5月20日(日) 13時〜16時
・場所:長崎市風頭公園 坂本龍馬像前
・内容:講演 テーマ「長崎坂本龍馬像建立物語」
     講師 柴崎賀広(元龍馬の銅像建つうで会会長)
     祝賀会
     パネル展(銅像建立の歩み・龍馬の歌音楽祭歌詞など)
・会費:無料
・雨天決行
 詳しくは、長崎龍馬会ホームページをご覧下さい。
 当日参加も歓迎致しますので、たくさんの皆様のご参加をお待ち申し上げます。
                                  以上。

   1967年(慶応三年)、長崎から大坂へ向かう龍馬指揮する海援隊の伊呂波丸と徳川御三家紀州藩の船が瀬戸内海で衝突したことは、以前に触れた。

 この時のことについて、後に長崎で、龍馬は海援隊士らと巷に繰り出して
♪船を沈めた その償いは 
 金を取らずに 国を奪る
 なんて、当時流行っていた長崎ぶらぶら節で、即興で三味線を弾きながら歌ったことから長崎丸山の芸妓が殊の外喜んで広めたという逸話も残る。

   長崎では、龍馬によって1863年(文久三年)に結成された海援隊の前身である亀山社中も忘れてはなるまい。浪士の結社で貿易結社、つまり商社で、日本初の株式会社とも言われる。

 グラバーの助力を得て海外からの武器調達を始めて、幕府との対立で、海外から武器を調達できない長州藩への武器融通を通じて薩摩藩との対立関係を緩和し、いわゆる薩長同盟の実現に道をつけた。

 この機会に、何かと話題を呼んだ港長崎、石畳の街を訪ねて見るのもいいでせう。
グラバー邸など龍馬を語るには長崎は切っても切れない縁の地。龍馬も待っているでせう。
                  2007 5 1(ふ)

   
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 龍馬を映画化 来春公開へ!!

激動の幕末を抜群の行動力や独創力で駆け抜けた土佐の龍馬。
坂本龍馬の生涯を龍馬を支えた女性の視点から描く映画「龍女伝説」(仮題)が制作されることになった。

今年の6〜8月にかけ、龍馬と妻のお龍が新婚旅行で訪れた鹿児島の霧島や長崎、高知、京都、東京などで撮影し、2008年2月に公開する予定。

 映画は、龍馬ファンでつくる海援隊龍馬倶楽部(会長海保幸康、本部・東京)を中心とした実行委員会が制作。
総制作費は5億円。

 龍馬の数奇な人生を、お龍、婚約者の千葉さな子、
龍馬の姉の乙女などの回想をもとに浮き彫りにするという。

 土佐高知市出身の岡田主(しゅう)監督がメガホンを執る。
3月までに脚本を完成させ、主演を含め出演者の第一次選考を進めた。第二次選考が5月4日(金・祝)高知市中央公園で公開オーディションが行われる。

 海援隊龍馬倶楽部副会長で、西之表市出身の演歌歌手・小倉新二さん(43)=東京都=は「昨年の龍馬生誕170年を機に制作が決まった。全国の龍馬ファンの支援でここまで来られた。龍馬の人生を知り、心が前向きに変わるような映画になれば」と南日本新聞に抱負を述べて居る。
                            2007 4 14(ふ)


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 初の花見交流会盛会!!

  能登の震災から二週間。
開花の話題と共に震災の話が飛び交っているが、能登では震災に遭った人たちは余震の続く中、片付けの毎日。

 ソロモン諸島で、2日に起きた地震と津波による死者が少なくとも34人に、また5600人が家を失っているという。地球上どこでも震災があり得ると恐怖を呼び起こした。

 震災で通行止めとなっている輪島と珠洲を結ぶ町野町地内の国道249。
崩落した石の除去が一日も早く望まれていたが、ようやく中越地震で活躍した無人の掘削機がようやく出動。
ことほど左様に行政の対応が遅いのは如何なものか。

 江戸東京では葉桜だが、北陸はいつまでも寒い。金沢の満開は間もなく、被災の輪島は明日にも開花か。
一体何時になったら春の訪れか、雪がちらついたりなかなかやってこない。

 お隣越中富山では、先の白えびの解禁に続いてホタルイカのシーズンを迎え、チンドン祭も始まった。
金沢の兼六園では、七、八分咲きで、観光客の出足もボツボツ目立ちはじめた。

 先に、お伝えしていた金沢龍馬会初の花見交流会、
4月7日(土)、15時に犀川大橋集合して開かれた。

 片町界隈は午前中に入学式を終えた金大の新入生や小中の入進学のお祝いなのか家族連れが多い。
大橋の袂、交番前に集合。玉井さんの「犀川の川上の桜はまだまだですね」の話しを聞きながら、犀川河畔の桜見物のあと、近くにある芭蕉の句碑へ行くも、看板の墨が消えていたのは惜しい。

 次いで、樹齢およそ400年、根元の周囲およそ6メートル、高さが14メートル、昭和18年に国の天然記念物の指定を受けた寺町の大桜へ。ここはちょっと早かった。普段は車、車生活の会員らも、久々に寺町界隈をぶらぶらした。

 更に、忍者寺のしだれ桜の見事に咲いているのに目を見張り、近くの小路から願念寺へ案内した。
陸奥からの帰路り芭蕉が、金沢の弟子一笑の死を悼んだ句。

  塚も動け 我泣く声は 秋の風

 さて、満開かと思われた犀川縁の桜は、このところの冷えで、あいにく、三分から場所によっては七八分咲きだった。寺町台地から犀奥の山々は霞んで今一。後に16時から野町・青柳にて、初の花見交流の小宴会を開催。

 席上、国友会員のご結婚を共に喜び、門前の道下にある奥さんの実家が震災に遭ったこと、またそれぞれの震災体験やボランティアの動き、更に家族の健康の有り難み、龍馬の精神を各々の血とする為に、龍馬を巡って、談論風発。予定時間を二時間もオーバーした。

 この日参加したのは、室岡、国友、新会員の徳田、折戸(花見)、玉井、染谷、武内、福野の8人
会友で、この3月から松任で、冷凍健康食の宅配をはじめたけんた君(藤田)さんが、仕事の途中と顔を見せた。

 彼は、今回の能登震災で、要望あれば300食を無料で提供しますと申し出てくれた御仁、次回は会員となって、参加してくれると思う。

 選挙の最中でも出席すると連絡のあった山野さんは、何故か顔出さず。大久保彦左、中川さんは米国から旧友が来沢とかで、急遽欠席の連絡あり。山田(友)、大瀬夫妻らは選挙で欠席。武内さんから越前大野のにごり酒の差し入れを戴きました。有難う御座いました。

 それぞれ、夜桜を見ながら帰途に。
今回やむを得ない事情で、参加出来なかった方は、次回は参加して下さい。
総会は、6月に予定しますが、出欠の連絡は必ずして下さい。

 さて、統一地方選の前半戦、石川県内でも明日県議選の投票日。
各候補は街頭で「最後のお願い」に力を込めたが、泣くのは笑うのは果たして誰なのか。結果は明日の地方自治を占う。一票は大事に行使したい。
                       2007 4 7(ふ)

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 初の花見交流会開催!!

  弥生3月も半ば。梅から桜へ。
開花の話題が飛び交っているが、白山ろくでは流雪装置を片付けた後に思わぬ大雪が降って戸惑っている。

 香りのいい沈丁花の便りも各地から届いているが、北陸は三寒四温言うよりも四寒三温という感じの今日この頃。雪のない冬がいいと言うものの、雪国はやはり少しは降らないと風情がありませんね。

 お隣越中富山では 北アルプス・立山連峰の立山黒部アルペンルート、
来月17日の全線開通へ向けて除雪作業が着々と進んでいる。

 金沢の武家屋敷跡では土塀に架けられていた菰(こも)はずしが始まった。
雪が少なかっためか、東茶屋街でも観光客の出足は例年より早いと聞く。

 新年会の後で、検討しますとお伝えしていました金沢龍馬会初の花見交流会、
以下の日程で開催することにしました。

 ・とき  4月7日(土)
 ・ところ 15時 金沢・犀川大橋集合
 ・趣旨  犀川河畔の桜見物のあと、犀星ゆかりの雨宝院や芭蕉の句碑、また樹齢およそ400年、根元の周囲およそ6メートル、高さが14メートル、昭和18年に国の天然記念物の指定を受けた寺町の大桜等々見学。

 後に16時〜18時 野町・青柳にて 小宴会(会費 3000円)開催。寝かしてあるものは生かす、例によって差し入れ大歓迎。

 晴れていれば満開か、それとも葉桜か。いずれにしても春爛漫の一日になればいいですね。
犀川河畔や寺町台地から犀奥の山々も綺麗です。
 会場の都合もあるので、出欠は3月31日までにご連絡下さい。

 来年10月25〜26日(土・日)に、福井で全国大会が開催されることに決まったこと、会員のご栄転やご結婚等々、あわせて共に喜びたいと思います。“日に進まざれば、日に退く”と言う先人の言葉の通り、先を見据えることも大事です。

 龍馬に学び、龍馬の精神を各々の血とする為に、
龍馬を巡って、それぞれに積る話もありませう。知人や友人等をお誘い合わせの上是非ご参加下さい。

 奥能登輪島や珠洲辺りでは、早春の風物詩、カジメ採り。穴水辺りでも、イサザ漁も最盛期を迎えている。
18日は寒さも彼岸まで、能登路に春を告げる羽咋は気多大社のお出で祭りが始まる。
                          2007 3 15(ふ)
 4/3現在
  参加     室岡 国友 山野 新会員の徳田 福島(花見のみ)折戸(花見のみ)玉井 染谷 武内 福野
 不参加     山田(友) 山田(省) 小屋 棒田 大瀬(九) 大瀬(美)  齊田夫妻 加茂 中西 奥田(会友)


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 北の大地で「世界龍馬塾」集中講座開催!!

  来る2月24、25日は南国鹿児島、薩摩の霧島で、
新婚旅行に訪れた龍馬をしのぶ龍馬インウォークです。全国各地から多くの人たちが参加されると聞いています。

  一方、北の大地での「世界龍馬塾」集中講座は、今年創立10周年を迎える北海道龍馬会が記念行事として自然の中で集団生活をしながら、龍馬の志と行動を新たな視点でとらえ、龍馬を通じて創造性と豊かな心を育もうと計画されました。

   講義七回とレクレーション、話し合いなどが中心です。
塾頭は北海道龍馬会理事で、全国龍馬社中副会長の萱場利通さん。また、講師には北海道龍馬会会長の原子修さん(詩人 札幌大学名誉教授)をはじめ、数人の理事らがあたります。

     〔講義内容〕
  「明治維新と龍馬の生涯」
  「龍馬とジョン万次郎」
  「龍馬と横井小楠」
  「龍馬と勝海舟」
  「世界市民 龍馬1」 日本の洗濯論 船中八策 蝦夷地への夢
  「世界市民 龍馬2」 無血平和革命と薩長連合〜シンポジウム
  「世界市民 龍馬3」 龍馬の志と21世紀の新しい世界秩序を求めて

  ・対象   全国の中高生や大学生
  ・日程   9月15日〜17日(二泊三日)
  ・場所   札幌市 国営滝野すずらん丘陵公園「青少年山の家」にて
  ・参加費  食費、宿泊費含めて一万円
  ・申し込み 札幌市白石区北郷2条3丁目11ー3
         電話  011ー871ー4331
         FAX 011ー632ー5703

 龍馬没後140年。
蝦夷地の開拓を夢見ていた龍馬。妻のおりようも龍馬に寄り添い現地の言葉を稽古していたと伝えられるのはご承知でせう。

 北の大地、札幌での講座は、
“BOYS, BE AMBITIOUS! 青年よ大志をいだけ”と叫んだウィリアム・S・クラーク博士が赴任していた処。

 米マサチューセッツ農科大の学長だったクラークは、日本の要請によって農学や化学、英語教師として。
更に教頭として、北海道開拓の農業技術者を養成する札幌農学校(現 北海道大学)に赴任。

 彼がやって来たのは今を去る130年余り前の1876年(明治9年)7月のことで、滞在はわずか八ヶ月。
で、当時の北の大地、札幌は、およそ900戸、人口は3000人足らずでした。

1869年(明治2年)の開拓使設置以来、北海道開拓の拠点として発展し続け、 札幌市の現在は戸数91万余、人口は北海道全体のお よそ三割、185万人を超える全国5番目の大都市。

 さて、此の時期の北の大地の気候は、食べ物も美味しく、爽やかな時期でせう。
いい機会です。ご自身の子弟や友人や知人にもお知らせして、北海道へ送り出すのもいいでせう。
 必ず何かをつかんで来るに違いありません。
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 なお、「蝦夷(北海道)開拓は1人になっても必ずやり遂げる」と言っていた龍馬の甥で、一家で北海道に移住した自由民権運動家で、キリスト教の牧師だった坂本直寛。直寛は龍馬の姉・千鶴の次男で、坂本権平(龍馬の長兄)の養子となり、坂本家の当主となった。

 その孫で、北の大地の十勝にお住まいだった反骨の農民画家・坂本直行(1906〜1982)さん。
坂本直行さんの個展が、龍馬の故郷である高知県立坂本龍馬記念館で来たる3月31日まで開かれています。

   また、龍馬の姉、千鶴の子、つまり甥の孫で神戸市にお住まいの土居晴夫さん(龍馬研究会顧問)は龍馬とその一族に関するエピソードをなどを収めた『坂本龍馬の系譜』(新人物往来社 2800円+税)を出版されています。

   この機会に、高知へ行って見るのもいいでせうし、龍馬の系譜をご一読されるのもいいでせう。
                2007 2 13(ふ)

               
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 「新年交流会」2月3日 盛会裏に終わる!!

 去年は福島や宮崎などでの官制談合事件や鳴り物入りで始まった政府のタウンミーティングの「やらせ」が発覚。
と思ったら、名古屋では、またまた地下鉄工事をを巡って大手土建屋の談合事件。

 不二屋、ペコちゃんの工場のずさんな食品衛生管理の嘘、いい加減な食品業界に飛び火。
長い間の悪い体質であろう。消費者はいい面の皮だ。

 年末の紅白では、裸のような衣装が問題になり、今度は関テレの「発掘!あるある大事典U」納豆データ捏造事件。
「花王名人劇場」などを放送してきた枠だが、スポンサーの花王も落ちる。民放のいい加減さはまだまだ明るみになろう。

まさに、龍馬のいう「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」
「今一度日本をせんたくしたく申候」ではないか。

   節分の2月3日(土)、新年の活動などを巡って金沢龍馬会二回目の新年交流会を開催。
前日までの雪が消えた金沢片町の犀川大橋のたもと、鰯組で、15時〜17時半に開催された。

 出席は、高知出身で、この日入会したばかりの大瀬(美)さん、設立総会以来の棒田副会長、出席が危ぶまれていた奥田さん、土方ファ ンの徳田さん、また県議選に出ようと言う金子さん。

 はるばる大聖寺から駆けつけた山田(友)をはじめ、
小屋、室岡、齊田ご夫妻、国友、 済田ゆうじ、宮島、中川、山野、武内、福野。

 皆御元気なお顔を見せてくれて、武内会長が「金沢龍馬会は今年四年目を迎えます。更に発展させよう」と挨拶したあと、事務局から、 連絡は全てメール、会の動きはHPに掲載されているので、逐次見て欲しいと連絡。

 最長老の中川さんの乾杯の音頭で乾杯。
初めての方もおり、それぞれに自己紹介した。

   次いで、選挙云々の3方に五分以内で、それぞれの思いを語って貰った。
それに対する質問、それぞれが久々に会ったので、金沢龍馬会のあり方などを巡って、談論風発。

 中締めは室岡さん、それぞれやれやれ。
まだ、話し足りなかった気持ちも胸にして解散したが、場所を変えて朝の二時まで互いの意見を戦わせていた御仁も居た。

 どこの酒屋さんも今が仕込みの真っ最中。美味しいお酒を差し入れてくれた武内さん、東さん差し入れの能登の銘酒「池月」も会員や会友各位も美味しかったと。有り難う御座いました。

 帰路は、犀川大橋へ。川面からの夜風が冷たい。
久々の片町界隈は若者達で一杯だが、あちこち寄り道して駄文を届けた。時折吹雪に雨だったが冬山のことを思えば何でもないと歩いた。

 節分や肩すぼめゆく行脚僧(あんぎゃそう)
                          詠み人知らず

 去年は信州上田で全国総会でした。今年は龍馬没140年。
全国大会は、龍馬の里、四国高知で中秋の名月の頃です。

 社中総会が9月21日、ファンの集いは高知市文化プラザかるぽーとを会場に22日と23日、
交流大懇親宴会は月の名所の桂浜。

 暴風雨でないかぎり、宴会は桂浜で実施するという連絡が全国社中会の橋本邦健会長から入っています。
去年の全国大会に行けなかった方は、今のうちに南国土佐を日程に入れておいて下さい。

 残念ながら、今回やむを得ない事情で参加できなかった方は、
次回お待ちしております。龍馬は出合いの達人、友人らを誘って是非出席して下さい。

 次回、2月24日(土)の午後四時、ご案内しました富山龍馬会の講演会でお会いしませう。
出席される方は、事務局までご一報戴ければ幸いです。

 来年の全国龍馬大会はお隣、越前福井ですぞ。各位、お忘れなく。
各大会や講演会には積極的な参加が望まれます。
                        2007 2 3(ふ)

 「船中八策と国是七条」講演会、富山で開催!!

  寒の候、去年の豪雪に比べて雪はないものの、もう春を告げるフキノトウが話題になっています。
会員会友におかれましては、お元気でご活躍のことでせう。

 さて、お隣越中富山の富山龍馬会から講演会開催のご案内が届きましたのでお知らせします。
折角の機会です、ぜひ出席されるようお願い申しあげます。

 1. 名  称  富山龍馬会講演会

 2.講  師  岩崎義郎さん(龍馬研究会顧問)

 3.演  題  「船中八策と国是七条」

 4.日  時  2007年2月24日(土) 16:00〜17:30

 5.場  所  富山市民交流館(富山駅前CiC3階)学習室4
           076-444-0640 

 6.参 加 費  無料

 7.問合せ先  富山龍馬会(事務局長大塚さんまで)
           〒931-8313 富山市豊田町1-7-15
            090-3760-9985(携帯)

 土佐高知から富山入りされる講師の岩崎義郎さんには『一豊の妻見性院 出自の謎を追う』や『土佐人の銅像を歩く―竜馬・慎太郎から 万次郎へ』(リーブル出版)、『高知城を歩く』『追跡!純信お馬―駆け落ち百五十年』(高知新聞社)などの著作があります。

来る2月3日(土)の金沢龍馬会の新年会でも、ご紹介しますが、龍馬の船中八策を巡る講演。折角の機会です。会員会友各位、知人や 友人らを誘い合わせて是非出席して下さい。2007 1 19(ふ)

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 なお2月3日(土)の新年会は15時〜17時半。金沢片町、犀川河畔の鰯組。
新年会の出欠、まだ連絡ない方もいます。会場の都合もありますので、至急ご連絡ください。

 当日は、また龍馬を巡って、今日の世情と併せて、それぞれが諸々の話を披露して欲しいですね。
※2007 2/3 現在
出席連絡 山田(友) 小屋 室岡 東 齊田ご夫妻 国友 土方ファンの徳田さん 済田 宮島 中川 中川友人の金子さん 山野 大瀬 (美)武内 福野
欠席  山田(省) 玉井 向山 小阪 大瀬 折戸  渡辺

 全国龍馬会会員、会友各位へ

謹んで、新春のお喜びを申し上げます。
昨年は、大変お世話になり有難うございました。

金沢龍馬会はこの秋、結成四年を迎えます。
今年は更なる発展を目指して頑張ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2007年 丁亥(ひのとい)年 元旦
金沢龍馬会
       会長・武内紘一

 改年賀事!(慶応3年1月3日の木戸宛の文頭)
改年来夢!(平成19年1月1日かわら版巻頭)

 「年改まり、夢来る」いよいよ来年です。
平成20年「第20回全国龍馬ファンの集い・福井大会」

 松平春嶽候生誕180年の年に開催されることは、大変意義深く、
全国の龍馬ファンの皆様が愉しめる大会目指して、準備に取り組む所存であります。

 どうか、今年一年皆様のご指導、ご支援をお願いすると共に、ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 平成19年・元旦
    越前龍馬会
       会長・牧田活宜

能登も、穏やかな幕開け、お隣福井の牧田さんから力強い祝辞戴きました。
会員会友相互の親睦を深め、今年は更に飛躍の年にしたいものと思っています。

又あふと 思ふこころを しるべにて 道なき世にも 出ずる旅かな  龍馬
龍馬の命日は三日です。
              2007 1 元旦(ふ)          

 「金沢龍馬会新年会」2月3日に!!

 福島、和歌山、宮崎県などで起きた官制談合事件や鳴り物入りで始まった政府のタウンミーティング。
次々と「やらせ」が発覚し娑婆を揺るがせた。

 まさに、龍馬のいう「今一度日本をせんたくしたく申候」ですね。
熊の犠牲者も出ましたが、熊も餌もなくて冬眠できずに熊って居るでせう。

 信州上田での全国総会や宝塚、宙組のトップスター貴城けいの「維新回天・竜馬伝!」!も盛況のうちに終わるなど度々お伝えしてきた 金沢龍馬会関連、諸々の行事も終わりました。

 年の瀬を迎え、会員や会友各位には益々お忙しいと思います。
御元気でご活躍のことでせうか。

 つきましては、来る2007年2月3日(土)に、今年の反省をふまえて、新年の活動などを巡って新年交流会を開催します。で、万障 繰り合わせ出席して下さい。

 ・ところ:鰯組
      犀川大橋近く 金沢市片町1-7-13
 ・とき :15時〜17時半 電話: 076-224-1493
 ・かいひ:3000円
         差し入れ大歓迎

 知人、友人を誘ってお気軽に参加して下さい。
ノロウイルスなるものが猛威をふるっています。ご自愛下さい。

 新年には皆御元気なお顔を見せて下さい。
             2006 12 19(ふ)

 「第20回全国龍馬ファンの集い」が福井に!!

朝から雨が降るあいにくの空模様、海も時化て明日は雷雨の予報も出ている。
小屋の白のサザンカは見事に咲き誇っているが、梅田への電車暖房入る頃と、箕面から俊さん。

 冬野菜の取り入れに漬け物のつけ込みなど各地から便りあり。刻一刻と冬へまっしぐら。
会員各位にはその後もお元気でご活躍のことでせう。

 去る11月10日長野県上田市にて開催された「全国龍馬社中総会」で、
再来年2008年開催の「第20回全国龍馬ファンの集い」が福井市に正式決定しました。

 信州上田での全国龍馬ファンの集いは、長崎音楽祭の入賞曲「若人よ旅立ちの時がきた」が披露。
全国龍馬社中会長橋本邦健さんが、全国各地から参加したおよそ250人を前に、福井大会の開催を発表して、越前龍馬会の牧田会長が福 井大会への参加を呼び掛けた。

 寺田屋事件で、龍馬を助けた盟友三吉慎蔵を巡る講演会など諸々の行事も成功裏に終わったようです。
愛媛大洲から参加された上岡さんから、大会や東急イン上田での懇親会、別所温泉の宿にも満足。
 最後に龍馬が最も信頼した三好慎蔵の御子孫と写真に収まったとのお便りも戴きました。

 再来年の「第20回全国龍馬ファンの集い」越前福井に決定!
越前龍馬会のこれまでの活動に敬意を表し、今後福井大会の開催に向けて金沢龍馬会としても応援していきたいと思います。会員各位や会 友のご協力をお願いします。

さて、その龍馬と福井。
龍馬の命日はこの11月15日。ご承知の通り、史実で確認されているだけで、龍馬は二度越前福井を訪れている。

 一度目は1863年(文久3年)の春、5月16日深夜、越前福井は三岡八郎邸で横井(小楠)、三岡(八郎  後に、五箇条のご誓文 を書いた由利公正)を訪ねた。
 そのとき、龍馬は声調すこぶる妙に「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末」と。

 又あふと 思ふこころを しるべにて 道なき世にも 出ずる旅かな
                               龍馬

二度目は暗殺される2週間程まえのことで、1867年(慶応3年)の秋、11月2日。
三岡八郎と、足羽川に近い山町(やままち)の「たばこ屋旅館」(福井市照手1丁目)で、朝の8時から夜中の12時過ぎまで延々16時 間に渡って、日本の将来を語りあっていた…。

 議題はおもに新政府樹立後の財政問題であったといわれている。
が、2日の帰り際、龍馬は名刺代わりに自分の写真を取り出し、三岡に差し出した。

 三岡は喜んでそれを受け取り、それからというものは、龍馬の写真を持ち歩いて、京都の情勢の変化を楽しみに待っていたという。

 ところが13日夜半、足羽川を渡って帰るとき、ふとしたはずみで写真を川に落としてしまった。
ただちに川を探したが見つからなかったという。

 三岡は時勢がこれからというときだけに、大いに胸騒ぎをおぼえた。
龍馬が暗殺されるのはそれから2日後の晩秋、11月15日夜、京都近江屋で中岡慎太郎とともに何者かに暗殺された。

奇しくもそれはまた、龍馬の満32歳の誕生日でもあった…。
土佐高知では、この15日龍馬の生誕171年祭や提灯行列なども行われる。
             2006 11 13(ふ)

 龍馬検定!!

この時期、全国各地から龍馬に関するいろいろな催しの案内が有ります。
ご当地検定は、何処でも競っているが、今回は神戸高知県人土陽会から77周年、喜寿記念の「龍馬 in KOBE」事業のお知らせです。

 第4回 龍馬 in KOBE!
   龍馬検定・神戸編 パート1《検定試験》
 主催  神戸高知県人会土陽会
 後援  神戸市・高知県・高知県人会近畿連合会・高知県立坂本龍馬記念館・高知新聞社

 日時  平成19年4月15日(日)受付13:00 開始14:00
 会場  兵庫県民会館 神戸市中央区下山手通4−16−3 
                   電話078−321-2131
     ・受 験 料 2,000円 高校生以下は1,000円
     ・受験定員 200人
     ・受験資格 龍馬を愛する全国の人はすべて
     ・出題範囲 龍馬についての基礎知識(50問)
勝海舟との出会いから、神戸海軍塾解散。後に「結構なことでごわす」?と言った薩摩の西郷隆盛を頼りに亀山社中設立 に至る神戸編の50問。
     ・受験申込 仮登録 2006 11月10日から
・受付            11月15日から
・申込方法 FAX 078−947-7822 TEL 080-5311−3040(事務局 津野さん)
・WEBでの申込は  http://homepage2.nifty.com/ryoma-kobe/

ついに登場、坂本竜馬ファン必見!老いも若きにも根強い人気がある坂本竜馬。
港神戸で、挑戦してみようではないか。

 ご当地検定は2003年11月、東京観光財団が、観光ガイドなどの養成を目的に行った「東京シティガイド検定」が元祖である。昨 年始まった「京都・観光文化検定」が9800人の受験者を集めて注目を浴びたこともあり、西日本を中心に検定の機運が高まり金沢検定 などもある。
                     以上。(武)

土佐龍馬の海援隊、初めての仕事として鉄砲や弾薬を満載して航行していた「いろは丸」。
紀州藩の明光丸と備中六島沖で衝突、明光丸がいろは丸を曳航して鞆の浦を目指した…

 が、風雨霧強く沈没。
龍馬たちは明光丸で鞆の浦に上陸したことは、以前に触れた。

港神戸の海岸通り、神戸海軍操練所跡は、江戸末期に当時の軍艦奉行並・勝海舟の建言で、神戸に設けられた幕府の海軍教育機関である 。

時は今を去る143年前の1863年(文久三年)4月23日、将軍家茂は大坂や兵庫沿岸の視察を行った。
が、当時軍艦奉行並の地位にあった勝海舟は、順動丸に搭乗して案内に立つ…

かねてから想を練っていた勝海舟は、此の絶妙のタイミングを捉えて、海軍興隆と士官の養成及び、その為の施設である神戸海軍操練所 の創設を説いた。

 翌24日、勝海舟の将軍へ熱のこもった直談判が功を奏して、幕府は神戸海軍操練所の創設を決定。
海舟が将軍家茂へ言上したのは、順動丸で和田岬を経由して神戸(神戸村小野浜 神戸市中央区海岸通)に上陸した時である。

 「我が国にとって海軍を興すことは当面の急務。江戸には軍艦教授所が有るが、此処摂海は、京都、大坂を控え要衝の地、それ故に此処 兵庫に海軍操練所を創設し、海軍の人材を養成するのが急務。人材は、幕臣を始め諸藩の子弟も含めて広く募集したい」でなかったか。
                              2006 11 5(ふ)

 坂本龍馬慰霊祭提灯行列!!

兼六園では雪吊りも始まるなど北陸は冬えの備えが始まりました。
坂本龍馬慰霊祭提灯行列が、来る11月18日(土曜)に開催されます。

 三条大橋下鴨川西岸河川敷にて、当日午後3時から受付開始、午後4時集合、午後4時30分スタートとなっています。
参加費用は、一人3000円です。

 コースは、三条大橋→京都酢屋前→坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(現 京阪交通社)にて黙祷
→四条河原町→京都南座前→円山公園(休憩 銅像前で記念撮影)→霊山護国神社にて、霊山の墓前参拝後およそ午後7時ごろ解散の予定。

   行列で使用しました提灯は、記念品として、お持ち帰りできます。
龍馬が、慎太郎が、お龍が、藤吉が、幕末が大好き!幕末は知らんけど歩いてみたい!という方であれば、どなたでも、ご参加できます 。

 問い合わせ  京都龍馬会会長 赤尾 博章
        京都市中京区河原町通六角下ル山崎町256/〒604-8032
        TEL 075-211-3666 FAX 075-255-5571
        Email:kaientai@ryoma-kyoto.jp

 なお、京都霊山神社では霊山祭が11月15日(水)に。
旧土佐藩招魂社祭は午後3時から、また墓前祭は午後3時半よから執り行われます。

 当日ご参拝の方には、高知県北川村、京都高知県人会の協賛によって軍鶏鍋が配布されます。
京都龍馬会による龍馬グッズ販売コーナーもあり、午後から京都龍馬会会員有志による奉納居合演武が行われます。

 また、霊山歴史館では海援隊結成140年を来年にひかえ特別企画「龍馬と新撰組の時代」も開催。
開催期間は10月18日(水)〜11月26日(日)(休館日:月曜日)。
 一般700円/高校生400円/小中学生300円 団体20人以上は各100円引き 友の会会員は無料(会員証提示)

京都の紅葉は今が真っ盛り、東山霊山から観る京都の夜景は、絶景です。
年間に数回かしか墓前には、上がれませんので、この機会に是非参加してみてはいかがですか?
                    以上。 
                       2006 11 2(ふ) 

 第33回 龍馬まつりIN桂浜!!

今まさにキノコ採りのシーズン。
広島長崎の被爆は忘れてはなるまい。北の核実験もさることながら、自分たちの持っている核は棚上げ、大国の横暴も許せない。

 第三次世界大戦になるかならないのか、今問われている。
日本海を平和な海にすべきだ。カギを握るのは中国、熊には熊も困らないようにご注意。 熊ちゃん、おれんちへくれば裏庭の柿は採ってもいいよ。

 秋の金沢龍馬会の総会、土方ファンも参加して盛会に終わった。
出席された会員に、土方歳三ファンも如何でしたか。
 やむを得ない事情で、欠席された方は次回はお楽しみに。

 土佐高知、高知観光協会から、下記のご案内ありましたので
お知らせします。

 おんなじ夢を見てみんかよ。
第33回 龍馬まつりIN桂浜
 10月21日(土) 〜 12月10日(日)
  会場    高知市桂浜公園(JR高知駅より車で30分)
  問い合わせ 社団法人 高知観光協会
           電話 088−823−4016
           FAX 088−823−9275
           http://www.welcome-kochi.jp

  心はいつも太平洋
     まっこと絶景ぜよ

  龍馬に大接近!桂浜の龍馬像横に高さ13メートルの櫓を組んだ特設展望台から
 龍馬の目線の高さで雄大な太平洋を眺めよう!

土佐の高知では酒宴のことを「おきゃく」と言うがよ。
夜は寄る。自由で、楽しく、にぎやかで、誰彼も、分け隔てのない「土佐のおきゃく」は 土佐流の人生の楽しみ方ながよ。

  動かざる
     龍馬の目線
        鳥わたる(BS2俳句王国)
                   以上。(武)


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先の総会でもご案内しました長野は上田での「全国龍馬ファンの集い」も近づきました。
愛媛は大洲からも上岡ご夫妻にお孫さんも参加されます。上田は、龍馬が最も信頼した三吉慎蔵の末裔が暮らしているゆかりの地、是非ご 出席して下さい。

 この機会に、龍馬の手紙や三吉慎蔵ゆかりの資料に触れたり、全国の龍馬ファンと親しく交流をされては如何ですか。大会本部から待っ ていますとの便りもありました。参加希望、別所温泉での宿泊の方は25日まで、事務局で受け付けます。

 日程
 11月8日(水)〜13日(月)
         ・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
          三吉家に伝わる資料など
   10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 17:00〜21:00   上田市民会館
           講演    「わが心の龍馬」ジェームス三木さん
           コンサート 〜Hungry Kidsのおくりもの〜 白井貴子さん
                     ※指定席 2500円 自由席 2000円 自由席 500円

     11日(土)・全国龍馬社中会総会  10:00〜11:30     上田創造館
         ・全国龍馬ファンの集い 12:00〜受付
                       ※(参加者は事前登録要 会費5000円)上田創造館ホール

         13:00〜15:00 上田創造館ホール
            基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」
                   加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)

         15:00〜16:30
            特別講演 「幕末維新期の写真に見る歴史群像」
                〜坂本龍馬・上田藩松平家兄弟と写真師上野彦馬〜 東大大学院教授 馬場章さん

         16:30〜17:00
            各龍馬会の活動報告 第19回高知大会への引継式

         18:00〜20:00
            交流会

折角のいい機会です。信州長野はリンゴ、土佐では黒潮の幸で「おきゃく」になるのもいい。どちらも参加してみるのもいいでせう。忙 しい、忙しいと言わずに、お友達を誘って行けばきっといいこともありましょう。
 被爆体験はもうこりごりだが、何事も体験してからです。

 旧西ドイツの大統領、ワイゼッカーは、「過去に学ばなければ、未来に禍根を残す」と言ったが、わが国は、過去から何を学び、将来に その教訓を生かすのか、今問われているといえるでせう。
                   2006 10 20(ふ)

 秋の総会、土方ファンも参加して盛会に終わる!!

 金沢龍馬会の秋の総会は、去る10月15(日)金沢市文化ホール裏「空海」で、
13時半から開催された。

 深まりゆく秋。
この日は、金沢市内ではロードレースも開かれるなど秋晴れの好天に恵まれた。
 今年は二年前のアテネオリンピック女子マラソン金メダリストの野口みずき選手も参加したらしい。

 終わった後で、同じコースをチャリで、土清水から香林坊へ向かった。旧県庁前ではふらり古本屋さんを覗く。
野町の神明宮では、江戸時代から続くあぶり餅神事が始まった。

 文化ホール裏の会場にはオブザーバーで土方歳三(※)ファンという武内会長の知人、野々市の徳田、丸世さんも顔を見せてくれた。金 沢龍馬会は、この日新たに会員に加わった富来の染谷さんを始め、室岡、山田(友)、宮島、山野、中川、久々に辰口から山田(省)、済 田、東、齊田夫妻、加茂、武内、福野が出席(別会合で、途中退席あり) 。

 金沢龍馬会の秋の総会。
はじめに、武内会長が「皆、同じ考えというのも考えものだが、龍馬という線で金沢龍馬会の繋がりを大事していきたい」と開会のあいさ つ。

 次いで、東さんから友人の拉致問題を巡る動き、山田(省)さんは炭焼きガマ作りしていて遅れました。一番乗りの染谷さんも金沢龍馬 会に入ることに決めましたと、遅れてきた会員も次々に近況報告。

 そして、事務局長福野から懸案事項は特にないが、今回はこれまで違って総会と懇親会を同じ会場にした。
次いで、去る6月の総会以降、先に行われたおりょう没後百年祭等の一連の事業計画について経過報告(資料)。

 この中で、来る11月8日(水)〜13日(月)の信州上田の龍馬ファンの全国大会。
1866年(慶応2年)1月23日、京都伏見の寺田屋で、龍馬暗殺の悲報を龍馬の妻おりようへ伝えたともいわれている長州の支藩であ る長府藩士三吉慎蔵(1831〜1901)ゆかりの地、上田。

 はるばる愛媛県大洲から金沢龍馬会へ上岡さんご夫婦にお孫さん三人の申し込みがあったが、金沢からの参加申し込みが今の所ない。大 本部から今月25日まで申し込みは受け付ける旨の連絡があったことなどを報告。

   また、9月25日琵琶湖畔、大津市のウオーターステーション琵琶で、琵琶湖歴史倶楽部の16回目の琵琶湖・瀬田川の歴史を語る会 世にも不思議な男「龍馬の謎を探る」について出席したので、概要を報告(資料参)。

 語り手は中川新一さん。
京都木屋町、龍馬をかくまっていた酢屋の八代目が叔父さんという末裔で、親父さんや曾祖父から聞いたという話などをもとに二時間。

近江と龍馬の関わりでは、越前福井の横井小楠やと三岡八郎らに会う為など都合五回は行き来していた。また、幼年期の逸話や免許皆伝というものの本当に強かったのか、どうか。

そして龍馬を取り巻く女たち。
才谷屋の乙女や美女のお徳、それに加尾や多鶴、更にお蝶や婚約はしたけれども結婚はしなかった佐那、そして、妻となったおりょうに寺田屋の登世についてだった。

次いで、福井には、高知同様に幕末の志士らの銅像が多いが、福井県が去年、オークションで「五箇条の御誓文」を2388万円余で落札。

 その五箇条の御誓文は1868年(明治元年)、政府参与だった越前の由利公正が起草したが、福井では由利公正の功績を顕彰する目的で、福井県立図書館などで展示してある。

 横井小楠の「国是七条」は松平春嶽へ
  一、将軍が朝廷に謝罪する
  一、参勤交代の廃止
  一、江戸に居る諸大名の妻子を国許に戻す
  一、外様、譜代に拘らない人材の登用
  一、公儀政治を行う
  一、海防、海軍の強化と設置
  一、官における交易を盛んにする

 龍馬の「船中八策」は、後藤象二郎から山内容堂へ
  一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯及(および)天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 由利公正や福岡高悌が起草して、桂が加筆修正した「五箇条の御誓文」は、
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
一、上下心を一にして盛に経綸を行ふへし(※ 天皇も市民も)
一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦まさらめんことを要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くへし
一、智識を世界に求め大に皇基を振興すへし
 諸国未曽有の変革を為んとし、朕躬を以て衆に先し、天地神明に誓ひ、大に国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協 心努かせよ。(※ 原文はいずれも旧仮名遣い)

 中川さんは、この「船中八策」と「五箇条の御誓文」は、似てもつわないというのだ。
再度、こと細かく検証してみてはどうか。

 この後、葦簀(よしあし)について詳しい元金沢大学の薬学博士西川嘉廣先生を訪ねた。
先生に紹介されて、近江八幡市内で、近江八幡資料館の館長山内美代子さんにお会いした時の話も御紹介しよう。

 龍馬が京都近江屋で、中岡慎太郎と共に暗殺されたのは、承知の通り1867年(慶応三年)。 最愛のひとを亡くしたおりょうさんは、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して、西村松兵衛と再婚した。この頃の住まいは、三浦郡深田村(現在の横須賀市米ヶ浜)らしい。

 晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残るが、再婚相手の松兵衛は近江八幡の西庄(旧 蒲生町)の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していた。が、明治に入り横須賀へ移っていた。

 そのいきさつは今年の春、横須賀から梶谷叡正さんという仏師が山内さんを突然訪れたことに始まる。
「松兵衛さんの墓がどこにあるのか」と。考古学が専門で、そんなことは夢にも思わなかったので、学芸員共々慌てらしい。

 図書館や役場で、調べる一方、西村という名前が多い金田村の西村姓を調べるうちに西庄町に西村姓があることを突き止め、円光寺へ問い合わ せた。更に遠戚を訪ねたり、土地台帳など調査に乗り出して、近江蒲生郡金田村(現 近江八幡市)の西村喜左衛門の次男であることが分かった。

 西村家は1894年(明治27年)頃まで、ここに住んでいたが、宅地を遠戚などに売り渡して京都へ移り住んだらしい。ご両人の再婚は、お龍の母お貞と近郷であり、幼い頃から知っていたと推測する。

 近くにいた双方の母が昔から顔見知りであったことなどから、再婚したのではないかと言う。
ここまで調べ尽くして、ことの真相が明るみになったらしい。

 河内さんは「松兵衛が再婚相手のおりょうさんの墓を作った話といい、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったおりょうを包み込む度量の大きい何とも優しい、愛の深い男ではないか思います」と。

また、知らない他国、何のゆかりもない横須賀に二人が居たことは、横須賀に店を構えていた八幡商人(近江商人)がいたこともあり、同郷の者がいるという心丈夫があったのではと。

 世界に羽ばたいていた近江商人ならである。

 次いで山田(友)会員の報告。
大阪は住之江区天保山の「なにわの海の時空館」WTCコスモタワーで、去る8月に開催かれた京都龍馬会などの『坂本龍馬と海援隊の海 』に参加したが、今ひとつ盛り上がりに欠けていたとの感想。

 この後、中川さんの乾杯の音頭で懇親会に移った。
時あたかも北の核疑惑を巡る世情で、安倍に期待したい。いやそうでない云々。また、龍馬の鉄炮を巡ってのうんちくから民間の交通取り 締まりの矛盾の話へ。

 また、国友さんの個展の盛況から外国人との交流、家族を招待して今終わったばかりと。また、毎月一回ぐらい懇親会をしたらどうか。 龍馬と竜馬、司馬僚の「竜馬がい行く」などから、更に馬を巡るうんちくなどに盛り上がり、時間の許す限り龍馬の志などを巡って談論 風発。

 予定の午後五時半を過ぎて、終わったのは六時半に。出てきたものはまっこと旨かった、楽しかったぜよ。
差し入れは、中川、山田(友)、東、宮島、武内、染谷さんから、お酒や焼酎に栗、烏賊、蒲鉾、母手作りの漬け物などの差し入れあり。 有難う御座いました。

 帰路は夕闇が迫り、灯りがついた長町の用水沿いにチャリを引っ張りながら、今時10円というおばちゃんに会い帰途についた。次回は 来春に新年会を予定しますので、今回出席を予定していた中川さんの友人に奥田、国友さんらやむなく欠席された方も出席して下さい。

又あふと思う心をしるべにて
      道なき世にも出づる旅かな
                 龍馬

※ 土方歳三について。

 たとひ身は蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも
            魂は東(吾妻)の君やまもらん

 ご存じ土方歳三の辞世の句。武州多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)生まれ。
両親と早く死別した土方は、20歳を過ぎた頃から武術を志す。

 で、骨折や打身の秘伝薬で多摩川の水辺に野生している牛革草という野草を原料とした家伝の「石田散薬」の行商をしながら、薬箱の上 に剣術道具をくくりつけて、行く先ざきで道場を見つけると他流試合を申し込み剣の腕を磨いたという。

 1863年(文久3年)幕府の浪士隊結成に近藤勇らと共に参加上洛し、のち近藤を助けて新選組を組織した。
鉄の戒律といわれた「局中法度」を作って内部粛清を行い、京都守護職会津中将お預りとして不逞浪士の取り調べ。市中見廻りを行ない、西 国浪士たちを震撼させた。

   しかし、激動する時の流れは幕軍に利せず、大政奉還、王政復古の大号令へと続く。
1868年(慶応4年)「鳥羽・伏見の戦」に敗れ、近藤勇が流山で捕らえられ板橋で斬首された。

 後、新選組の生き残りを率いた土方は、北関東、会津と転戦し仙台にて榎本武揚の艦隊に合流し新天地に希望を求めて蝦夷の地函館に上 陸。

折角の機会、手元にある「北の大地と樺太」から抜粋して、慶応から改元されて明治となった1868年(慶応4年 明治元年)10月 のことについて、触れてみよう。

   会津戦争に敗れて、仙台での奥羽列藩同盟の崩壊をみた「戊辰戦争」の東軍、それ以後「徳川脱走兵」として南部松島湾に集結していた 榎本釜次郎(武揚)の海軍力に望みを託して、石巻に集結。

 この地で事後策を練った彼らは、北海道に渡って、徳川遺臣によって「蝦夷共和国」を建設するという、オランダ留学経験を持つ榎本ら の先進的な考えに同意した。

 そして、10月20日(新暦では12月3日)早朝、東軍士官兵士およそ4000人を載せたオランダ製の軍艦「開陽丸(1590トン )」以下7隻の軍艦が、先に触れた函館北方の内浦湾に面する漁港、鷲の木浜に到着。

 ご承知のように、1868年(慶応4年)1月 、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が、大阪を脱出、品川に至った開陽丸である。

   北の大地は、すでにおよそ30センチも雪が積もり、海上には高波と暴風雪が殴り付ける、厳しい寒さの朝であったという。更に、10 月26日には函館・五稜郭を占拠して、函館府知事を追放した。
 そして、翌27日には松前攻撃に移った。

 海からは11月1日に、英国のビクトリア王女から贈られたという軍艦「蟠龍(370トン)」が松前湾から松前城を砲撃。陸からは 土方歳三率いる陸戦隊700人が知内(しりうち)、福島と占領し、5日に松前に入って激戦の末、松前城東方の馬形(まがど)台地にあ る法華寺を占領。

   旧幕府軍は海陸から城中へ砲撃し、陸兵が各坂口から進撃。
搦手(からめて 裏門)門を攻めてきた土方軍に対し、松前藩兵は門を開くと同時に大砲を発射し、また門を閉じるといった攻防戦だっ たらしい。

 徳川一門の生計を立てるため蝦夷地を開拓し、新たな領地を開きたいという想いは、新政府としては到底認めることができないものだっ た。独立共和国を作るつもり?の榎本は、誰のために開陽丸を動かしていたのだろうか。

 また、勝海舟(1823〜1899)の気持は果たしてどんなであったろうかと思う。
その開陽丸は、1868年(明治元年)11月15日の夜明け前、山々が雪とともに白く浮き上がってきた頃、江差沖で座礁沈没してしま った。

 そのころ、松前から浜路、江差に向かって進撃中の土方歳三の軍勢は、予想を超えた松前藩の抵抗に遭いながらも辛うじてこれを撃破して、江差に到着し たのは翌16日であった。

 榎本と土方の二人は眼下で、嵐の中でもがいていた開陽丸を見て、ままならぬ運命に歯ぎしりをしながら、土方は「釜さん、悔しいのぅ 」などと呟やいたとか。

 無念さは隣にいた榎本も同じで、幕末、新しい世界を北の大地に賭けた二人は、男泣きに泣き続けたのではないか。

江戸は下谷御徒町(台東区)の直参旗本の家の次男として生まれた榎本武揚(たけあき 1836〜1908)については、いずれ触れる 機会もあろう。

   榎本は、戊辰戦争の時は「開陽丸」や旧幕艦数隻を率いて箱館に入り、五稜郭に拠って官軍に抗戦。
また、ロシアとの提携をはかり、北海道に工務授産計画を立てるなど、共和国設立の野望を抱いていたが、1869年(明治2年)5月11 日、函館周辺は既に西軍、つまり薩長軍に陥落され、五稜郭への総攻撃が開始された。

 土方歳三は函館奪回を目指して、およそ50人の兵と共に五稜郭を出陣し函館に向かった。
函館と亀田村の境界にあった一本木の関門辺りで馬に乗り敵陣に切り込んだ時に銃弾を腹部に受け戦死。享年34歳。

 死を覚悟していたという土方歳三は、先の蝦夷の島根(島辺)に朽ちるとも…という辞世の句を残した。
京都で鬼の新撰組副長と恐れられた土方歳三は幕臣としての大儀を、最後迄貫いたといえようか。
函館戦争で戦死した幕府軍幹部は、土方歳三たった1人。

 捉えがたき星を捉えようとする道を敢えて選び、心中一点の翳りなく誠に生き、義に殉じたその壮烈な死にざまが、多くのファンを呼ぶ が、奇しくも近藤勇が斬首されたときと同年であった。
 開陽丸は、今なお誰かを待つように江差、鴎島沖の海底に眠っている。
                                      2006 10 16(ふ)

  
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 おりょう没後百年祭!

 「よこすか龍馬会」からのご案内です。
幕末の志士・龍馬の愛妻・おりょうさんの没後100年にあたる今年、10月には横須賀市大津の「信楽寺(しんぎょうじ)」で「龍馬 ・おりょうの等身大」木彫座像の除幕式がとり行われます。

よこすかで ふたりの等身大座像に会える!!
◇日時:10月1日(日)〜8日(日)
            おりようと龍馬展
              9時〜17時         大津公民館
1日(日)おりょうと龍馬フォーラム
            ・基調講演 講師 鈴木かおるさん
              13時〜14時        大津公民館
            ・パネルデスカッション
              14時10分〜15時30分  大津公民館
              コーディネーター 磯野淑紀さん(よこすか龍馬会会長)
       7日(土)・月琴の語りと演奏会(※ 江戸時代に長崎に渡来した中国人が奏でた中国の楽器)
              13時30分〜15時     大津公民館
       8日(日)・龍馬の妻龍子 墓前祭
              12時30分〜13時30分  信楽寺(京浜大津駅下車 歩いて5分)
            ・記念講演会 「龍馬をささえたおりょう」 講師 龍馬研究家 木村幸比古さん
                                           (京都 霊山歴史館)
              14時15分〜16時     大津小学校体育館

主催:大津観光協会 協力:よこすか龍馬会
問い合わせ:大津行政センター  電話 046−836−3531

龍馬の愛したおりょうさん、彼女の没後100年の記念すべき節目の年に、おりょうの再婚相手である西村松兵衛が大津信楽寺に葬られ ていたことが初めて明らかになった。

 よこすか龍馬会では、100年祭を迎えるにあたって、去年の暮れに先に触れた松兵衛が眠る場所が信楽寺であったことで、安らかにと の思いを込めて、戒名を位牌に刻み開眼供養を行った。

 龍馬の愛妻、おりょうさんのお墓のある横須賀市大津町を基点として、何らかの「志」を持っている人たちが集まって「私利私欲を離れ て、偉大な志を実現させようとした龍馬の精神を21世紀に生かす…」という趣旨で、磯野淑紀さんを会長に五年前の2001年3月に発 足している。

 この秋、関東圏へ旅する予定の方は、折角の機会です。講演や珍しい月琴の語り、またペリー率いる4隻の黒船が来航して、近代国家 へ向かうと共にに国際社会へのデビューを飾った第一幕の浦賀の浜、そして軍港横須賀の街…。

 米海軍横須賀基地には第七艦隊の極東司令部が置かれている。
ご承知のように、第七艦隊は西太平洋・インド洋海域を担当、東は日付変更線から西はアフリカ東海岸、北は千島諸島から南は南極大陸ま での広い範囲をカバー。

 空母キティーホークを中心に航空団や2隻の巡洋艦、それに4隻の駆逐艦、2隻の原潜、高速支援艦からなる空母戦闘団が、母港として 使用している。2年後には退役するキティーホークに代わって、ジージ・ワシントンが入ってくるとか。

 更に、1905年(明治38年)、日露戦争当時に日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」。
英国のポーツマスに保存されている「ビクトリー」や米国のボストンに保存されている「コンスティチューション」と並んで“世界三大 記念艦“として知られる戦艦「三笠」も三笠公園に保存されているので見てみるのもいいでせう。
                               2006 9 11(ふ)

 

 世にも不思議な男「龍馬の謎を探る」!

 うだるような暑さが引いて来た…と思ったら、もう長月に入りました。
一気に年末に突っ込んでいきますね。月が変わってツキが変わましたか?
 いいことがあれば良いのですが、娑婆は相変わらず様々な事件も起きています。

 来る9月25日午後一時半から琵琶湖畔、
ウオーターステーション琵琶で開かれる「龍馬の謎を探る」をご案内します。

 無双の剣術使いでありながら
人を斬ったことが無い
 算盤が出来る武士
むさくるしい風体だが、女性にもてた
 遠くが見えるのに、近眼
討幕派でありながら、幕閣と親交があった…

 主催: 琵琶湖歴史倶楽部
16回目の琵琶湖・瀬田川の歴史を語る会です。

 語り手は中川新一さん。
参加は無料ですが、定員が30人なので事前の予約が必要です。
 ご希望の方は、金沢龍馬会事務局までご一報下さい。

 龍馬が京都近江屋で、中岡慎太郎と共に暗殺されたのは、1867年(慶応三年)。
最愛のひとを亡くしたおりょうさんは、それから八年後の1875年(明治八年)に「つる」と改名して横須賀で、海軍の御用商人をして いた西村松兵衛と再婚した。

 おりょうさんは、晩年、お酒を飲んで龍馬の思い出話ばかりだったとのエピソードも残る。
が、この松兵衛は近江八幡の西庄の出身で、当初は京都の呉服屋で奉公していたが明治に入り横須賀へ移って、海軍の御用商人をしていた。

 彼の菩提寺が西庄にあり、一族が菩提を弔う為に来ていたことが、近江八幡で今年の春先から話題になっていたことは聞いている。龍馬 の遠い先祖が近江坂本出身と併せ、其の辺りが龍馬の謎解明の一つの手がかりとして話題になりそうだ。
                        2006 9 1(ふ)

 「第18回全国龍馬ファンの集いinうえだ」開催迫る!

 蝉の声から虫の音に変わり、朝夕はめっきり涼しくなりました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。

 先の総会でもご案内しました長野は上田での「全国龍馬ファンの集い」も近づきました。
上田は、龍馬が最も信頼した三吉慎蔵の末裔が暮らしているゆかりの地です。
 今年三月、一市二町一村が合併して新上田市が誕生しました。
概要が決まりましたので、ご案内します。

 秋の日程に組み込まれて、是非ご出席して下さい。
この機会に、珍しい三吉慎蔵ゆかりの資料に触れたり、全国の龍馬ファンとの交流をおすすめします。

日程
 11月8日(水)〜13日(月)
         ・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
          三吉家に伝わる資料など
   10日(金)・前夜祭トークアンドライブ 17:00〜21:00   上田市民会館
           講演    「わが心の龍馬」ジェームス三木さん
           コンサート 〜Hungry Kidsのおくりもの〜 白井貴子さん
                     ※指定席 2500円 自由席 2000円 自由席 500円

     11日(土)・全国龍馬社中会総会  10:00〜11:30     上田創造館
         ・全国龍馬ファンの集い 12:00〜受付
                       ※(参加者は事前登録要 会費5000円)上田創造館ホール

           13:00〜15:00 上田創造館ホール
           基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」
                   加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)

           15:00〜16:30
           特別講演 「幕末維新期の写真に見る歴史群像」
                〜坂本龍馬・上田藩松平家兄弟と写真師上野彦馬〜 東大大学院教授 馬場章さん

           16:30〜17:00
           各龍馬会の活動報告 第19回高知大会への引継式

           18:00〜20:00
           交流会

   12日(日)・エクスカーション
           信州上田観光巡り
            1 小布施町と佐久間象山の足跡、歴史を漂う 参加費 3500円
            2 信州の鎌倉塩田平と国宝めぐり      参加費 2000円
            3 風林火山ゆかりの地と真田氏発祥の郷散策 参加費 3000円

主催:「全国龍馬ファンの集いinうえだ」実行委員会
米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)長野龍馬会 松本龍馬会 上田市 上田市商工会議所 
別所温泉観光協会 信州大学繊維学部 しなの鉄道 上田電鉄 地元ライオンズ ロータリー他
 共催:全国龍馬社中東海ブロック 
大会幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)

  ※ 宿泊先等々は、別所温泉で、7000円(一泊一食 4〜5人相部屋 2〜3人は割り増し) 
   参加 宿泊ご希望の方は 9月30日までに 開催実行委員会へ申し込む必要があり 金沢龍馬会事務局へご連絡下さい。
人数がまとまり次第、開催実行委員会へ申し込みます。少なければ、各自に申し込んで戴くことになります。
ご了承下さい。

   1866年(慶応2年)1月23日、京都伏見の寺田屋で、龍馬暗殺の悲報を龍馬の妻おりようへ伝えたともいわれている長州の支藩で ある長府藩士三吉慎蔵(1831〜1901)。

 龍馬の手紙によれば「正月二十三日八ッ時半(※午前三時)頃なりしか、一人の連れ三吉慎蔵と咄して風呂よりあがり、最早寝んと」し ている時に、風呂に入っていた裸のおりょうが飛び込んできた…。

 おりょうの証言によれば、窓に当たる鑓の音に気づいて、捕吏が寺田屋を囲んでいるのが分かったらしい。
おりょうの機転で、龍馬は助けられて、二人は京の薩摩藩邸へ急いだ。

慎蔵は、長府藩士小坂土佐九郎の次男として生まれ、26歳の時三吉十蔵の養子に迎えられた。
文武両道に秀で、藩主の信任厚かった慎蔵は、1863年(文久3年)8月長府藩の青年武士によって結成された精兵隊の監督に。また、 山口在藩役や東豊浦郡代などを歴任し、慶応元年(1865年)には永代馬廻格に遇せられた。

   翌1865年(慶応2年)正月に、慎蔵は印藤聿の紹介で坂本龍馬と初めて対面。
藩命を受けて上京、龍馬が桂小五郎や西郷隆盛との調整で、薩長同盟締結直後の1月23日夜、潜伏中の寺田屋で龍馬とともに遭難し、以 後龍馬は慎蔵を最も信頼して、その関係は親密なものとされている。

また、慎蔵は龍馬のみならず、維新の実現に尽くした先の西郷隆盛や中岡慎太郎らとも交流を重ね、維新後慎蔵は、明治の元勲た ちと交流を続けた。

自ら高位高官を望むことなく、長府毛利家の家扶として亡くなる数日前まで出務し、1901年(明治34年)2月16日病死した。 享年70歳。五年前、長府博物館で、慎蔵没後百年を記念した企画展「三吉慎蔵と坂本龍馬」が開催された。

さて、ご承知の通り、長さが214キロ、藤村が詠った千曲川の流れる上田辺りは、戦国時代の武将真田幸村の居城上田城祉や蔵作りの町並み が残る旧北国街道、信州の鎌倉といわれるくらい鎌倉期の重文が多い所。

   また、塩田平、第二次大戦中に志半ばで戦場に散った画学生の遺作を展示した「無言館」、日本のダボスとも言われる菅平高原や平安時 代の和歌にも詠われる名湯・別所温泉等々見所が多くある。

   来年の開催は高知だが、「平成20年の福井開催」は、上田の全国大会で、正式決定の予定。
金沢龍馬会、秋の総会は10月に予定します。日程等決定次第お知らせします。

 お隣、富山龍馬会会長の杉田欣次さんから以下のメッセージが届いております。
残暑、お見舞い申し上げます。

設立総会の折には本当にありがとうございました。龍馬とのゆかりが薄い分、活動が難しいですが、何とか細々と続けております。当初は 、京都、福井など研修旅行を実施したり、講師をお呼びしての講演会なども試みて参りましたが、一通り実施し、さてこの次はということ になると、なか大変です。

しかしながら、初期の思いを忘れず、何とか繋いで行きたいと考えております。
今後とも連絡を取り合って行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
                               以上。
                                2006 8 30(一部改訂 9/8 ふ)

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 「坂本龍馬と海援隊の海」開催中!

 残暑は厳しいですが、処暑も過ぎて、朝夕は幾分涼しくなりました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。

 去る6月の総会でも、ご案内しましたが、目下、大阪は住之江区天保山の「なにわの海の時空館」
WTCコスモタワーで、『坂本龍馬と海援隊の海』が開催中です。

 内容は、・坂本龍馬パフォーノンス展(参考 図説 坂本龍馬)
     ・居合い斬り試し斬り、刀剣教室
     ・日本刀の展示、ゆかりのパネル展・トークイベント
     ・提灯行列(26日南港、27日天保山にて19時から)など

     ・入場券 大人:2000円 子供:1000円  
     ・特別入場券 大人:2500円 子供: 1500円
     ・問い合わせ先 京都龍馬会コンベンションセンター 06−6616−6318

 なお「坂本龍馬と海援隊の海」は、27日(日)までです。
京都龍馬会では、特別グッズなどを用意して、皆さんのご来場を待っているそうです。

 日も迫りましたが、夏休み最期の土曜日曜、この機会に、足を運んで見るのも一つの手です。
無料入場券二枚、一枚で二人入れる特別優待割引券、グッズ割引券が、事務局にありますので、必要な方はどうぞ。
                                               以上。

 もう一つ、お知らせです。

 ミュージカル「維新回天・龍馬伝!」〜硬派・坂本龍馬V〜上演近づく!

 宝塚歌劇では、晩秋、来る11月3日(金)〜12月12日(火)に「坂本龍馬」を主人公にしたミュージカル「維新回天・龍馬伝!」 〜硬派・坂本龍馬V〜が上演されることになりましたので、ご案内します。

 トップスター宙組の貴城けい主演、紫城るいらの共演で、男の友情、男女の愛をテーマに、飛び抜けた行動力と優しさに溢れる人間的な 魅力で、維新の主役となった自由人、龍馬。

 味方からも敵からも愛された龍馬の颯爽とした生き様を、激動の時代に若い命を燃やした志士たちや龍馬を愛した女たちとの関わりの中 で描く“痛快娯楽劇”。作・演出:石田昌也。

 ・前売り券の発売は、9月30日(土)から開始です。
           SS席10000円 S席7500円 A席5500円 B席3500円
 ・予約専用FAX 0797−83−6229
 ・問い合わせ   0797−85−6750
 ・東京公演の予定は、2007年1月2日〜2月12日 東京宝塚劇場。
  この機会に、宝塚でミュージカル「維新回天・龍馬伝!」を見るのもいいでせう。また、帰路に、紅葉の京の都で、龍馬ゆかりの地を訪ねる のもいいですね。
                                 以上。
                              2006 8 24(ふ)

 鞆の浦で、龍馬の瓦募金!

 残暑が厳しいですね。
ツクツクボーシが、鳴き始めました。
会員、会友各位には、お変わりなく、お元気にご活躍のことと思います。

 つきましては、広島県福山市にある龍馬縁の港町、鞆の浦(とものうら)で、歴史的遺産を活用した町づくりをしているNPO法人「鞆ま ちづくり工房」から「龍馬の瓦募金」についての協力願いが届きましたので、以下お知らせします。

 私たちは、主に空家・町家の活用事業に取り組んでおり、空き家となっていた、龍馬がいろは丸事件で紀州藩と談判した部屋が 残る江戸町家「旧魚屋萬蔵宅」の修復事業に取り組んでおります。

 三年前、2003年8月、1000万円を借り入れして、購入同時に募金活動を開始しました。翌2004年4月に設計コンペ、11月 ようやく工事着工、そして去年2005年の夏の工事完成を予定しておりました。

 しかし、新築と違い修復にかなりの苦難がともない数度となく工事計画が変更となりました。それに伴って、修復費用もかさんできました 。

 そこで今回、再度皆様のご協力をあおぎ、貴重な歴史的財産を守る「龍馬の瓦募金」を広く呼びかけることとなりました。
これは、鞆の伝統的な本瓦(丸瓦)葺きの姿を取り戻そうと、竜馬ゆかりの町家の屋根を本瓦葺きにしております。

 この機会に、募金にご協力頂ける方々のお名前をこの瓦に書かせて頂きます。龍馬が歴史を刻んだこの場所に、皆さんの歴史も刻んでく ださい。

 なお、「龍馬ゆかりの町家」改修現場にて、募金を受付けます。
日程は、8月12日〜15日と、その後の土日です。また、郵便振込みでも受け付けております。

 詳しくは、ホームページ「竜馬ゆかりの町家再生プロジェクト」の瓦募金のチラシをご覧ください。
       http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/iroha/iroha.html

 ご質問等は「鞆まちづくり工房」へお問い合わせください。ぜひ、お1人でも多くの方々にご協力頂ければと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
            NPO法人 鞆まちづくり工房 代表 松居秀子
                                       以上。

 鞆の浦は、先月の15〜16日に、越前龍馬会から当会へも呼びかけもありご紹介しました。
諸兄が研修旅行(報告は越前龍馬会のHPに掲載)に行ってきたところで、小生もかつて、北前船の寄港地であったことなどと併せて行っ たことがあります。

 龍馬ゆかりの地で、様々なことが思い出される地です。趣旨に御賛同できる方は、是非ご協力下さい。
残暑厳しき折、各位にはご自愛下さい。
                    2006 8 11 (ふ)

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 「龍馬の歌音楽祭」CD発売!

 戦後61年目の夏、それぞれに思いはあるでせう。
先日は甲高いヒグラシ、今朝はクマゼミの合唱でした。また、うだるような季節がやってきましたが、お変わり無く御元気でせうか。

 長引く梅雨前線の影響で、石川県内を始め長野や九州など、またお隣の韓国や北朝鮮でも大きな爪跡を残して、多くの犠牲者も出ました。
被災した方々には本当にお気の毒なことです。会員や会友各位には、何事もなかったでせうか。

 さて、去る5月龍馬ゆかりの長崎で開催されました「龍馬の歌音楽祭2006」のSPECIALオムニバスCDが発売されました。
越前龍馬会からのお知らせです。

◇ ―龍馬の歌〜旅立ち長崎―
   ・ 幕末の風雲児/森本真輔
   ・ 時は夜明け、日は旅立ち/田崎純一(準グランプリ受賞曲)
   ・ 若人よ、旅立ちの時がきた/折原賢児(グランプリ受賞曲)
   ・ あげは/Za Ryu-Ma(準グランプリ受賞アーティスト)

◇ 以上4曲収録 税込み価格1050円

  以前にもお知らせしましたが、越前龍馬会の会員・田崎純一さんが準グランプリを受賞しています。
越前龍馬会会長の牧田活宜さんから、此の機会に是非一人でも多くの人に聞いて戴きたく、販売のご協力を お願いしますとのメッセージが届いています。

◇ お申し込みは、越前龍馬会事務局あて 
  メールなどで連絡して下さい。

 梅雨明けも間もなくです。龍馬の志に思いを馳せて聞いてみるのもいいでせう。
向暑の砌、ご自愛下さい。
                      2006 7 26(ふ)

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 「龍馬からの手紙」募集!

 太平の眠りを覚ますテポドンたった七発で夜も眠れず。

テポドンを巡って、幕末のペリー来航時のような大騒ぎ。台風3号は8日、強い勢力を保ったまま沖縄の南海上を北上した。 夜遅くに宮古島に最接近する見通しだが、沖縄や九州で被害がなければいい。

北陸は相変わらず蒸し暑い日が続いています。会員、会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。
海援隊京都本部・京都酢屋から下記のように、今年で14回を数える「龍馬からの手紙」募集要項が届きましたので、お知らせします。
 この機会に、日頃思っていることを書いてみるのもいいでせう。

 〜龍馬が生きていたなら、今の日本をどの様に思い、そして活動するでしょうか〜
「龍馬からの手紙展」は、龍馬と同じ年令の方々に、激動の中に生きた龍馬を振り返っていただき広く世界を見つめた龍馬と混迷する日本 の今、そして未来の日本の姿を考えていただく公募展です。龍馬になったつもりで、あなた自身の意見を書いてください。

     【作品応募規定】
○作品 A4版用紙一枚以内(便箋でも可)、手書き、ワープロ可。未発表の作品。一人一点に限る。作品の返却はいたしません。
   別紙に住所・氏名(フリガナ)・年齢・職業・電話番号を明記
○締切日  9月30日(土) 当日消印有効
○応募資格 33才までの人
○応募方法 郵送、fax、メールにて応募できます
○賞 最優秀賞1点/優秀賞2点/入選10点
   (最優秀賞:5万円/優秀賞:1万円/入選:酢屋オリジナル木工品)
○発表 10月末、入賞者に直接通知します
   *応募作品の一切の権利は主催者に帰属します
○応募先 京都酢屋
   〒604-8031 京都市中京区河原町三条下ル一筋目龍馬通
   TEL:075-211-7700/FAX:075-256-6066
※応募者全員の手紙は、下記にて公開される。

「龍馬からの手紙展」
  ・日時  2006年11月3日(金)〜6日(月) 11:00〜17:00
  ・場所  ギャラリー龍馬(酢屋2階。海援隊本部として、龍馬が活動に使用した部屋)
  ・内容  今回の入賞作品を展示し、全作品を公開する。
  ・入場料 一般、大高生 300円 小中生無料
「龍馬追悼展」
  ・日時  2006年11月11日(土)〜26日(月)11:00〜17:00
  ・場所  ギャラリー龍馬(酢屋2階)
  ・入場料 一般500円 大高生 300円 小中生無料
                           以上。

 ご承知のように、京都河原町三条龍馬通の「酢屋」は店の屋号で、1721年(享保6年)に初代酢屋嘉兵衛が創業し、「木」一筋に28 0年余り続く材木商。現在の千本銘木は町屋造り、酢屋の「木」の仕事を継承して、当主は10代目。

 酢屋に伝えられているところによると、幕末当時、六代目の嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉(すみくら)家から大坂、伏見、そして 京へと通ずる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業をも掌握していた。

「京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許さ れた。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。…」(『高瀬舟』森鴎外 大正5年)。

 鴎外の小説でも知られる「高瀬川」は、江戸前期の慶長年間(1596〜1615)、1611年(慶長16年)に、当時の豪商・角倉 了以が物資輸送のために鴨川の水を引いて開いた運河である。この川で用いる舟を“高瀬舟”といった。

 二条から五条にかけて7つの舟入(荷物の積み降ろしをする為の船だまり)があり、家の前は高瀬川の舟入で、高瀬舟が出入りしていた 。岸には納屋が建ち、川ぞいには各藩の藩邸が建ち並んでいた。

 1867年(慶応3年)6月9日、龍馬は長崎から上京する土佐藩汽船“夕顔丸”の中で、越前福井藩の知恵袋、横井小南の「国是七条 」などをヒントに、かねて練っていた「船中八策」を海援隊の書記長岡謙吉に書かせた。

   12日、西回り航路の起点ともいえる加賀藩縁の兵庫津(現 神戸港)から、十里(およそ40キロ)の大坂で一泊して翌14日に京都 へ入った。それで、各藩との折衝や伏見、大坂との連絡にも格好の地であった為に「酢屋」に身を寄せた。

 嘉兵衛は龍馬の活動に理解を示し、その活動の援助に力を惜しまなかったらしい。嘉兵衛なくして、龍馬も無かったかもしれない。“捨 てる神もあれば救う神もある”の例えあるごとく人間、その気になれば救う人も現れた見本であろう。

 龍馬は、嘉兵衛の家の者から「才谷さん」と呼ばれ、二階の表西側の部屋に住まいしていた。才谷は先祖の豪商「才谷屋」から取った 偽名だろうが、龍馬が寝泊まりしていた部屋は現在「ギャラリー龍馬」として開放されている。

 当時の面影を残す二階の出格子から龍馬は向いの舟入に向けて、高杉晋作から貰ったピストルの試し撃ちをしていたらしい。彼なり に危機管理、一カ所に長く留まることなく居場所を転々として、ここから近江屋に移った10日後に刺客に襲われ命を落とす。

 遭難の年1867年(慶応3年)の6月24日には、土佐高知の姉、乙女に宛てた手紙の中で、「今日もいそがしき故、薩州やしきへ参り かけ、当時(今)私は京都三条河原町一丁下ル車道酢屋に宿申候」と酢屋に投宿している旨を伝えている。
 又、ここを屯所(海援隊京都本部)として、隊士や後に外務大臣となる陸奥宗光、長岡謙吉等数多くの志士が投宿していた。

 11月15日、龍馬遭難直後、紀州藩の三浦休太郎を龍馬の敵として襲撃した海援隊と三浦を護衛していた新選組が乱闘になった「天満 屋事件」の際も、この二階の一室に海援隊の隊士が集まっていた。維新後、陸奥宗光は「酢屋」を訪れた時、当時を思い、感慨にむせんだ と言う。

 「ギャラリー龍馬」には龍馬の遺品や海援隊の文書、酢屋の古文書などが展示されており、関心のある向きには格好の場所。4条通り から2条通りまでの高瀬川沿いは今も昔も京都一の繁華街。長州や土佐をはじめ6つの藩邸が立ち並び、尊攘派志士たちの溜まり場になっ ていた。

 池田屋騒動など、尊攘派と新撰組の戦いや尊攘派内部の勢力争いなどテロが横行する一方、若き志士たちが芸者遊びにふけっていた 場でもあった。幕末の歴史が詰まっており、併せて訪ねてみるのもいい。
                                 2006 7 8(ふ)

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 越前龍馬会の牧田会長ら迎え盛会!

梅雨の真っ直中、蒸し暑い日が続いています。間もなく霊峰白山(2702m)の山開きなどいよいよ本格的な夏。
会員、会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。ご案内した2006年度第一回総会は、越前龍馬会の牧田会長、田畑副会長も駆 けつけていただき盛会に終わりました。
 やむを得ず参加出来なかった方は、次回には是非参加してください。
以下簡単ですが、概要をご報告します。

◇時・所 2006 6月25日(日) 金沢市広坂一丁目 旧県庁県議会棟二階
◇時間  13時〜13時30分会場設営
     13時30分〜15時30分 総会
        出席 中川 山田(友) 小屋 室岡 斉田夫妻 加茂 玉井 済田 山野 武内 福野
       オブザーバー 元小松市長の北栄一郎さん 計15人 (宮島 福島会員は 仕事で途中退席)
   開会に先立ち、武内会長は、
「日銀の総裁はあれでいいのと言いたいですね。龍馬が居たら何と言うでせう。龍馬の志に学びたいです」などと挨拶。
 また、全国龍馬社中近畿ブロック幹事で、越前龍馬会の牧田会長は、
 「会員は160人を数えています。近く『鞆の浦史跡探訪』も計画しており、この機会に是非参加してください。二年後は福井で、全国 龍馬ファンの集いを開催予定で、越前龍馬会は盛り上がっています。皆さんのご協力もお願いしたい」などと連帯の挨拶。
 ついで、田畑副会長ご紹介。
       以下、事務局長の拙い司会で議事進行。
◇ 議題
◎経過報告報告
   ・新会員の承認 山野、向山(当日欠席)、済田さん紹介
   ・各種会議等々
    2月4日(土) 新年会(既報)
    4月9日(日) 越前龍馬会の桜祭り(既報 山田友 報告)
    5月14日(日)長崎で開催された全国「龍馬の歌」音楽祭について(既報 越前龍馬会牧田さん)
    6月4日(日) 全国龍馬会中・近畿ブロック大会について (既報 福野報告)

◎会計報告       会費未納 講演謝礼等々で、回覧通り −4686

◎前回からの継続審議
   ・会費
     活動の活発化等々で、かねてから検討されていた年間会費の改訂について、現行1000円→2000〜3000円(全国平 均)に、新たに学生会員1000円の新設を検討。
   ・名刺の件 室岡会員から国友会員のデザインがすばらしい。希望者は国友さんに申し込む。

  ◎今年度活動計画
  各種会合等々の積極的参加
   ・7 月15〜16日 広島県福山市「鞆の浦史跡探訪」(既報 当日説明 申し込み7/5まで 越前龍馬会)
   ・8月23日(水)〜27日(日)の5日間、大阪 住之江区天保山にて
               「なにわの時空館」で、『坂本龍馬と海援隊の海』の開催
                          (一部既報 詳細 当日資料回覧 福野)
                       出展募集あり 関係団体へ呼びかけ 福野報告
  ・11月8日(水)〜13日(月)・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
      10日(金)・前夜祭トークアンドライブ           上田市民会館
      11日(土)・全国龍馬社中会総会  10:00〜11:30 上田創造館
              ・全国龍馬ファンの集い 13:00〜17:00 上田創造館ホール(会費5000円)
              ・基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」加野厚志さん(「龍馬慕情」作者 集英社)
              ・特別講演 「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」(東大大学院情報学環 馬場研究室)
              ・各龍馬会の活動報告 17:00〜18:00
               ・交流会       18:00〜20:00
        12日(日)・エクスカーション
              ・信州上田観光巡り(2コース予定で費用は、およそ2000円)
                牧田会長から「平成20年福井開催は、上田の全国大会で、正式決定の予定ですが、皆さんの協力で是非と も成功させたい」と協力を呼びかけた。※ 開催実行委員会 幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)
              ・11月12日 龍馬まつり  場所:土佐高知 桂浜公園ほか(既報 坂本龍馬倶楽部他)

◎その他
  ・会費など会則改訂について。
現行 一般1000→3000円に
         (当日納入 中川 山田(友)小屋 室岡 斉田夫妻 加茂 玉井  室岡  国友 済田 武内 福野)
学生 1000円(新設)
・未納の方は、振り込み(口座名:金沢龍馬会口座番号 :金沢中央郵便局 00780-5-38627)
・会員拡大について  各自それぞれに拡大を呼びかけていく。
・会報 年度初めの総会で発行。
・NPO       継続検討。

◎懇親会
上田での全国大会への参加を申し合わせて、総会終了後、17時半〜野町アパホテル前 青柳にて開催。
懇親会の出席は、越前龍馬会の牧田、田畑さんをはじめ 中川に中川友人、山田(友)、初めて参加する小屋に済田、室岡、斉田夫妻、加茂、 玉井、山野、仕事を終えて駆けつけた国友に東、武内、福野。

 龍馬の思いなどで談論風発。袖すり会う狭い会場で、三時間余り、アルコールの回るのに従い大声が飛び交い爆笑がはじけた。皆が存分 に友好を深めた様子。
   「龍馬が想像した日本はそれから百年たってどうなってしまったのか」とか「龍馬がいまの日本に生きていたらどう言うか、聞いてみた い」…。混沌とし、閉塞感ただよう日本を憂え龍馬の志をしのび、生かそうという気持ちのあふれる会話等々。また「集う」と「群れる」 ということの差は大きい、と龍馬会の存在意義に迫る発言も。
 このほか歴史教育の貧困を指弾したあと、歴史教育は現代から教え始め、時代をさかのぼっていくべきだとの“卓見”など、延々予定時 間をオーバーして、久々に開催された懇親会は盛り上がった。(中川)

  差し入れは、越前龍馬会の牧田会長から福井の地酒、山田(友)、東、宮島、武内さんからお酒にワイン、お菓子など。
有り難う御座いました。

      ※  会員各位に伝えたいこと、近況などはメールにて送って下さい。事務局で判断してブログに掲載しますのでご了解下さい。
                                                      2006 6 25(ふ)

           

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 鞆の浦史跡探訪のご案内!

 越前龍馬会から龍馬縁の「鞆の浦史跡探訪」のご案内が届きましたのでお知らせします。

  〜鞆の浦史跡探訪のご案内〜
今回下記要綱で企画いたしました。
バス旅行ですが、鞆の浦で懇親の場が持てればと思い若干名お声かけさせていただきますので宜しくお願いしま す。
◇ 時 平成18年7月15〜16日(土・日)
◇ 集合場所     15日(土)JR福井駅東口
            (集合 7:50出発8:00)
◇ 解散  16日(日)夕方の予定
◇ 参加費  39,000円

○ いろは丸展示資料館(大田家住宅)
○ 交渉場所(対潮楼、魚屋萬蔵宅)
○ 龍馬の宿(枡屋)他

 ※途中乗車(参加)希望の方は、お申し出ください。
 (鯖江、今庄、敦賀、小浜等)
 ※参加希望の方は、7月5日(水)必着で、はがき又は
  Eメール、越前龍馬会HP「お知らせ」の参加申し込みで、お願い致します。
                    越前龍馬会事務局

折角の機会です。ご承知のように、1867年(慶応三年)4月、土佐藩に帰属して「海援隊」として改組されたばかりの頃、伊予大洲 藩の蒸気船「いろは丸(160d)」を一航海500両で借りた初仕事で、土佐藩の荷物を大坂へ運ぶ途中に、讃岐の箱の岬沖で紀州藩船と 衝突。

 「いろは丸」は、英国で建造された鉄製の蒸気船。薩摩藩が、龍馬の薦めで長崎のグラバーから七万ドルで買ったものだが、大破して自 力航行不能となり、鞆(とも)港へ曳航される途中に宇治島沖で沈没。

 龍馬ら海援隊のメンバーは、福山の鞆の浦に上陸して、龍馬は土佐藩が出入りしていた回船問屋の升屋清右衛門宅で数日間身を寄せた。 鞆の浦は、岡山の牛窓港などと共に北前船も寄港していた古い港町です。古い港町の風情と共に、越前龍馬会の皆さんと交流されるのもい かがでしょう。
2006 6 16(ふ)

 全国龍馬会中・近畿ブロック大会開催!

 6月4日(日)大津市の浜大津を11:45に出港した琵琶湖汽船ミシガンの特別室で開催された。
出席は、土佐高知から全国龍馬社中会の橋本邦健会長、高知市観光協会専務理事の島崎豊さん、それに兵庫龍馬会、京都龍馬会、愛知龍馬 会、近江の風龍馬夢倶楽部、越前龍馬会、更に千葉などから近江の風龍馬夢倶楽部、関島秀樹キャプテンのファン、金沢龍馬会福野の37 人。

  司会進行は、近畿ブロック幹事で、越前龍馬会会長牧田活宜さん。
◇全国龍馬社中の橋本邦健会長は、
  「全国の47都道府県及び海外で116の龍馬会が出来て、全国制覇。各都道府県に点が出来たが、今後その点と点を結ぶ活動、つま り、面の活動に力を注ぎたい。龍馬の進取の精神を学び、それぞれ地域に貢献できる活動の発展を期したい。
財務官僚を中心とした霞ヶ関にも龍馬会結成の動きがある。又、宝塚歌劇団が11月〜12月15日・『坂本龍馬』を取り上げる」と 最近の動きなども織り交ぜながら挨拶。

◇東海ブロック幹事で、愛知龍馬会の橋詰弥久雄会長は、
  龍馬の匂いを嗅ぎにきませんか?をキャッチフレーズに、特別展<幕末の志士坂本龍馬はなぜ上田に!>、三好家に伝わる『龍馬の手 紙三通、龍馬の写真・原板(上野彦馬撮影)』等を来る11月8〜13日に公開。また長野県上田市で開催の『第18回全国龍馬ファンの 集いinうえだ』を11月10〜12日開催(既報で 詳細は略)します。
これについて、「既報のようにジェームス三木の『龍馬を語る』、シンガソングライター白井貴子のコンサートなど盛り沢山な企画で、 全国から多くの方を待っています。また、宿泊についても別所温泉組合の協力で一人7000円程度を予定したい。
また、今年三月、上田市は一市二町が合併して、新生上田市が誕生、城下町映画祭も今年10回目を迎えるので、記念企画として「龍馬」の映画の 上映も検討している」と、会員各位の参加を呼びかけた。

◇京都龍馬会の赤尾博章会長は、
 「来る8月23(水)〜27日(日)の5日間、大阪は住之江区天保山の「なにわの時空館」で、『坂本龍馬と海援隊の海』の開催、あわせて 提灯行列なども予定し準備を進めている。
「なにわの時空館」との共催ですが、大阪市や京都府、京都市、高知県人会近畿連合会、京都商工会議所などの後援も予定されており盛 大に開催したいので期待してください」と。詳細については、後日、明らかにされる見込み。

◇事務局から、
 高知市観光協会専務理事島崎豊さんは「高知はよさこいの準備が進んでいますので、この夏高知へもどうぞおいで下さい。組織の変更で 、これまで、高知市観光課に置かれていた全国龍馬社中の事務局は、今後、高知市観光協会で承ります」と。

◇越前龍馬会の牧田活宜会長は、
 「上田大会での社中総会に於いて「第20回全国龍馬ファンの集い・福井大会」開催決定に向け皆様のご理解とご協力を賜りたい、又7 月15〜16日に広島県福山市「鞆の浦史跡探訪」を計画、ご希望のかたは、鞆の浦で交流しましょう」と報告。

◇13時から、懇親会
 近江の風龍馬夢倶楽部の錦織龍子さんの司会で、関島秀樹(歌手)キャプテンの龍馬の歌やトークなどで、会員相互の親睦を深めて、 来る11月8〜13 日長野県上田市で開催の『第18回全国龍馬ファンの集いinうえだ』の再会を期して午後三時過ぎ終了。
2006 6 4(ふ)

 「第18回全国龍馬ファンの集いin上田」開催要項決まる!!

新緑が眼にまぶしいですね。街路樹や庭の木々も毎日ぐんぐんと新葉をひろげて、美しい黄緑色であふれています。新緑のマイ ナスイオンが、身も心もリフレッシュしてくれそうです。会員会友各位には、如何お過ごしですか。

かねて予定されていました「第18回全国龍馬ファンの集いin上田」の開催要項が、決まりましたのでお知らせします。
基調講演の「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」、特別講演の「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」も聞き応えのある ものと聞いております。

◇11月8日(水)〜13日(月) ・特別展「幕末の志士坂本龍馬なぜ上田に!」上田創造館
◇  10日(金)・前夜祭トークアンドライブ            上田市民会館
◇  11日(土)・全国龍馬社中会総会  10:00〜11:30 上田創造館
          ◎全国龍馬ファンの集い 13:00〜17:00 上田創造館ホール(会費5000円)
         ・基調講演 「慎蔵と龍馬二人の友情と幕末情勢」加野厚志さん(龍馬慕情作者 集英社)
         ・特別講演 「商業写真師の開祖上野彦馬が見据えた時代!」(東大大学院情報学環 馬場研究室)
         ・各龍馬会の活動報告 17:00〜18:00
         ・交流会       18:00〜20:00
◇  12日(日)・エクスカーション
           信州上田観光巡り(2コース予定で費用は、およそ2000円)
※ 開催実行委員会 幹事:米熊・慎蔵・龍馬会(信州龍馬会)

千曲川の流れる上田辺りは、戦国時代の武将真田幸村の居城上田城祉や蔵作りの町並みが残る旧北国街道、信州の鎌倉といわれるくら い鎌倉期の重文が多い塩田平、第二次大戦中に志半ばで戦場に散った画学生の遺作を展示した「無言館」、日本のダボスとも言われる菅平 高原や平安時代の和歌にも詠われる名湯・別所温泉等々見所の多い所です。この秋の予定に組み入れて、是非参加してください。
  来る6月25日(日)の総会でも、団体で参加するかどうか等々検討したいと思っております。
                                          2006 5 25(ふ)

 金沢龍馬会 2006年度第一回総会!!

 野山は、百花繚乱。田植えしたばかりの早苗にツバメがスイスイと飛び、みどりも鮮やか。心地よい風もいいですね。山菜取りに出か けた方もありませう。

会員 会友各位には、お元気でご活躍のことと思います。ご案内した総会、下記の日程で開催しますので、これまで参加していない方も万難を排して御出席下さい。知人友人に、これから入会したい方もお 誘いあわせての出席、大歓迎です。

◇時・所 2006 6月25日(日) 旧県庁県議会棟二階(駐車場 金沢城祉側から入る)
◇時間            13時〜16時
◇議題 ・経過報告
・各種会議等々
  2月4日(土)の新年会
  4月9日(日)越前龍馬会の桜祭り
  5月14(日)長崎で開催された全国「龍馬の歌」音楽祭について。

越前龍馬会会長・牧田活宜さんから「『龍馬の歌音楽祭2006』には、全国から53作品が寄せられ10組が予選通過し本選出場。越前龍馬会から出場者を含め、13人が 長崎入り、3日間半日ずつの中身の濃い史跡探訪(長崎龍馬会の増田氏の案内で毎回 およそ15000歩)を敢行しました。そして今回応募した、会員の田崎純一君が見事準グランプリに輝きました。「田崎純一 作詞・作曲他3名の 会員ユニット(全員会員で音楽集団・楽衆玄達のメンバー)「時は夜明け・日は旅立ち」が楽曲部門の準グランプリに選考され、彫刻家の日展作家・山崎和国氏製作の龍馬のブロンズ盾を授賞されました。応援していただいた皆様に は、心より厚く感謝申し上げます」とのメッセージが届いています。

6月4日(日)全国龍馬会中・近畿ブロック大会開催(幹事 越前龍馬会会長牧田活宜さん)
        集合(時間厳守) 6月4日(日)11:30 11:45出港〜15:10帰港 :集合場所 滋賀県大津市浜大津 大津観光船乗り場  京阪「浜大津駅」下車徒歩3分 JR「大津駅」からバス5分 :参加費用 7000円(乗船料、飲食込み) :琵琶湖汽船ミシガンの 特別室貸切で琵琶湖周遊をしながら会議、懇親会。
:幹事龍馬会 近江の風龍馬夢倶楽部 マネージャー 錦織龍子さん 〒520−0047 大津市浜大津2−1−12 RB3F龍馬。 рO77−526−0100 :参加ご希望の方は、金沢龍馬会事務局でまとめて坂本龍馬倶楽部( 高知観光協会)へ申し込みます。締め切りは5月24日、メールにてご連絡下さい。

・新会員の承認 山野、向山、斉田さん紹介
・懸案事項の継続審議
・会費   年間会費未納の方は、振り込み(口座名:金沢龍馬会口座番号 :金沢中央郵便局 00780-5-38627)
           または、当日納入して下さい。
・会計報告
・今年度活動方針
       ◎各種会合等々の積極的参加
 11月12日 龍馬まつり 場所:桂浜公園ほか
    土佐が生んだ維新の英傑、坂本龍馬の偉業を讃え顕彰するまつり。
    龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日前後に開催。龍馬像の立つ桂浜を中心に多彩なイベントが行われ、中でも目玉は「龍馬に 大接近」。高さ13.5mの龍馬像と同じ目線で眺める雄大な太平洋はまさに絶景。その他には龍馬似顔絵コーナーや郷土芸能の披露、龍馬ゆかりの 地を巡るバスツアー、龍馬登場映画会なども予定されています。
◎会員拡大
   ◎その他 除名など会則改訂 連絡事項など
・総会終了後 懇親会は17時半〜野町 青柳にて(会費3000円)差し入れ大歓迎。

  ※ 会場設営等々の予定もありますので、是非とも早めにご連絡下さい。

なお5/13現在の懇親会とも出席のご返事は、大瀬、山田(友)山田(省)室岡 武内さん。
  備考 会員各位に伝えたいこと、近況などはメールにて送って下さい。事務局で判断してブログに掲載しますのでご了解下さい。
                                         2006 5 10(ふ)

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 越前龍馬会の集いと朗報!!

 春爛漫。
花冷えもありますが、各地で満開。会員各位にはその後も御元気にご活躍されていることでせう。
 また、それぞれに桜花を愛でたことでせうか。

 つきましては、お隣の福井。「歴史を街作りに生かそう」と長く越前龍馬会の顧問として、各種の行事や 会合等々に気さくに出席されていた前福井市長の酒井哲夫さん。

 その酒井さんが、今期限りで引退され、その感謝の集いのお知らせが越前龍馬会からありました。酒井さ んは、今後一会員として活動されるそうです。

   この機会に、酒井さんをはじめ越前龍馬会の諸兄諸嬢ら会員各位と親しく交わるのも一つで、行き帰りに 龍馬ゆかりの地を訪ねるのもいいでせう。越前龍馬会の会員に聞けば、親切に教えてくれます。

・日時 4月29日(土) 受付午後6時 開演午後6時30分〜
・会場 福井市照手 「吉田」(龍馬が泊まっていた莨屋(たばこや)旅館跡)
・会費 5000円 申し込み 4月25日必着

 もし参加される場合は、金沢龍馬会事務局で参加者をまとめますので、参加される方は ご一報下さい。
25日までに越前龍馬会の牧田会長に連絡します。

 なお、牧田さんから、以下のメッセージがありました。
「5月14日長崎で開催される全国「龍馬の歌」音楽祭に、予選を通過しました。本選に出場が決定した田崎 君の「時は夜明け 日は旅立ち」の当日、私は審査員として、又、田畑副会長、坂井理事、西村、竹下、林 会員らと共にと長崎へ応援に行きます。
福井県の歴史や自然の良さをテーマに、県内のプロ音楽家等が自主制作にしたCD「楽衆玄達(がくしげん たつ)」のメンバーの中の4名のユニットです。
本選の前に29日、「よしだや」で披露しますが、作詞作曲・歌の田崎、音楽プロデュサーの新保、編曲の 田代、バックの山岸さんたちは皆、越前龍馬会の会員です。応援よろしくお願いします」

金沢龍馬会に朗報が一つ。
去る二月の山野さん、向山さんについで、武内会長の紹介で、鶴来在住の済田さんが、この度金沢龍馬会に 入られました。今後のご活躍が期待されます。
 6月の総会(日時未定)で、皆様にご紹介出来ましょう。

お知らせです。
来る11月11〜12日(土・日)は、「全国龍馬ファンの集いinうえだ」です。今から計画しておいて下 さい。
         ・費用等は 未定
         ・場所は 信州の鎌倉という別所温泉
 季節の変わり目、各位にはご自愛を。
2006 4 18(ふ)

 年明くる龍馬の会の宴ぞよし

 記録的な大雪も、一段落したようだと思いきや、何と横殴りの強風。立春寒波の襲来である。
雪はなんのその、寒風ついてサーフィンに興じる元気のいい若者どころか、氷点下で凍結、各地で追突事 故などが相次ぎ、街をゆく人たちもブルブル。

各位には、その後も御元気でご活躍のことでせう。龍馬の志や娑婆を大いに語ろうと金沢龍馬会の初の新 年会、氷点下の中でも熱気に包まれて無事終わった。

 2006年2月4日(土)15時から18時は、金沢のど真ん中、金沢市文化ホール裏の空海。有り難い 差し入れは、中川大兄のポーランド産のウオッカ、宮島さんの茶にジュースなど。改めて御礼。

 横殴りの強風が吹き付ける大寒波だが、ケヤキ並木の続く香林坊界隈はライトアップされており美しい。 が、市内はどこもかしこも足下が悪かった。

   それにもかかわらず、出席されたのは、会友の奥田建、新会員で、金沢市議のエース 山野、新職場の広 告代理店で張り切る玉井、それに金沢美大を出たばかりで、ほやほやの向山嬢。

 また、おなじみとなった最年長の中川に、国友、宮島、加茂、齊田夫妻、そして武内や福野。で、何かが あったのだろうか無断欠席は室岡さん。

 会は、雪降る中、齊田夫妻の腕により、よりに腕をかけた数々の料理に麦酒に焼酎など。この日入会した ばかりの山野、玉井、向山さんらが、それぞれに近況や龍馬との出合い、自己紹介などをした。

 山野さんは、今話題のライブドアでなく、かつてソフトバンクに勤めていたが、その会社のマークも龍馬 と関係があると知らざる話を一くさり。

 また、列島日本に蔓延る拝金主義を何とかしたい、すべきだ等々龍馬の「今一度洗濯したい」に負けず劣 らず持論の展開の数々。

 今後の会の進め方や若い会員の拡大など寅年生まれの中川さんを中心に様々な分野で談論風発。時には、 大激論となり、進行の武内会長もたじたじの風。

 金沢龍馬会の今後のゆくえについては、更なる研鑽や会員相互の理解を深めつつ、今年は若き会員の拡大 を図っていこうということで衆議一決。

   年明くる龍馬の会の宴ぞよし。

    邂逅に一期一会。会員相互の親睦をより深め、新たな出合いなど意義のあった初の新年会、今後定例化し ていくことになりそう。

 今回、残念ながら止むを得ず参加されなかった方は、6月にも予定されている総会で、新会員と共に御元 気な顔を見せて下さい。

     2006 2 4(ふ)


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      金沢龍馬会の新年会迫る!

大雪も一段落して間もなく立春、記録的な大雪で、雪すかしで腰を痛めた方もいます。
秋田では、高齢者宅の除雪を請け負ったことを契機に、高額の住宅リフォームを持ちかける業者が現れてい るそうです。能登羽咋の一宮海岸では、雪はなんのその、寒風ついてサーフィンに興じる元気のいい若者が 目に付きました。皆様には、その後も御元気でご活躍のことと思います。

龍馬の志や娑婆を大いに語ろうと金沢龍馬会の初の新年会を下記の日程で開催します。

2月4日(土)
 ・15時から18時
 ・場所 空海
     金沢市高岡町17−9(金沢文化ホール裏)
     電話 761−9117
 ・会費 3000円(差し入れ大歓迎)
 ※人数確認の為 1/31までに 必ず出欠をお知らせ下さい。

これまで、総会に出られなかった方は、この機会に是非御元気な顔を見せて会員相互の交流を深めて 下さい。また、これから金沢龍馬会に入会したい、入会を検討している等々のご友人や知人をお誘いくだされば 会は更に盛り上がるでせう。
1/31現在 
出欠の返事 出席 奥田建(会友) 中川 山田(友) 玉井 室岡 国友 向山 宮島 武内 福野
           欠席 小阪 福島 田澤 小屋 山田(省) 有重 中西 渡辺 東 折戸
             

 ※ 越前龍馬会からのお知らせ。

      越前龍馬会第5回定期総会と記念講演

2月5日(日)
 ・福井市湊公民館  福井市学園1−4−6 電話0776−22−0032
 (Pは公民館、湊小学校駐車場を利用)
 ・総会 13:00
 ・記念講演 14:00  「龍馬と八郎、莨屋会見の顛末」
                 講師 福井県文書館 吉田 健さん

  講演は一般公開です。お時間のある方は、金沢龍馬会会員である旨告げて、是非ご参加ください。
                                        (記 ふ)

◎ 龍馬会が、福島最後に空白県消滅し全国114に !

坂本龍馬の思想や生き方に感銘を受け、龍馬を慕う「下総龍馬会」が、さる11月10日、千葉県で発足。
また、27日には「福島龍馬会」が、福島県に誕生した。
これで、龍馬会は全国47都道府県すべてを網羅したことになる。

橋本会長や高知新聞などによると龍馬会づくりに奔走してきた全国連携組織「全国龍馬社中」(事務局 高知市)の橋本邦健会 長(64)は「生誕170年の節目に間に合うた。とりあえず、くつろいだぜよ」と。
しかし「まだ道半ば。世界の海援隊ということで、五大陸制覇もせんとのう」と夢を広げている。

8月末に宮崎で龍馬会が発足して、空白県があと2つとなっていたが、橋本会長は、福井の越前龍馬会の結成5周年大会でも「何が何 でも今年中に」と、人脈を生かして世話人探しを急いでいた。

 千葉県「下総龍馬会」の発起人代表は流山市の松野豊さん(35)。
地域の政策シンクタンク活動をしているNPO法人の役員など、11団体にかかわっている。

 9月半ば、橋本会長の突然の訪問を受けて1時間半の熱弁を聴き、その場で引き受けたという。
松野さんは「私は忙しすぎて無理。誰かにやってもらおうと思ってたんですが。橋本さんの真っすぐな思いに打たれた」。

 俳優の森田健作さんも顧問として参加した。
松野さんから、金沢龍馬会の事務局宛に「今後とも、よろしくお願い申し上げます」とのメッセージが届いている。

 大トリとなった福島県「福島龍馬会」の設立呼び掛け人は、金沢龍馬会の武内会長と同じ高知県大正町出身で、郡山市在住 の司会者派遣会社経営・吉田いくよさん(54)と地元の熱烈な龍馬ファン、三田公美子さん(62)。

福島はご承知のように、会津藩や二本松藩など、戊辰戦争で悲惨な目にあった歴史を持ち、薩長土肥特に長州に対して特別の感情を持つ お国柄だが、吉田さんが高知県人会の世話役をしていることから、橋本会長が白羽の矢を立てた。

 吉田さんは「一番最後というのは、締めくくり。すごく誇らしいこと。龍馬と四万十川は高知の誇りですから、余計に素晴らしい」と抱 負を述べた。

発足式には福島県知事も参加するなど盛大だったが、土佐弁にいう“はちきん”、女の会員だけで龍馬の乙女姉やんにちなんで「乙女会 」を福島龍馬会の中に作るという。

橋本会長は両会の設立総会にも駆けつけて「龍馬の精神を血とし、肉として地域活性化に貢献してほしい」と記念講演も引き受けた。1 981年(平成3年)当時は15団体だった全国の龍馬会は現在、下総龍馬会も入れて全国で114団体に。
国外にはサンフランシスコ、フレスノ、パリ、ハンブルク、バリ島と5つある。

なお、薩摩龍馬会会長で県議の前田終止さんが、さる11月7日、 国分市や溝辺町、それに横川町、牧園町、霧島町、隼人町及び 福山町が合併して出来た「霧島市」の初代市長に選ばれた。

 来年秋、11月11日(土)から12日(日)にかけて信州の鎌倉という別所温泉で開かれる「全国龍馬ファンの集いinうえだ」が楽 しみになった。
2005 11 30  (記 ふ)


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◎ 2005年度第二回、結成3周年記念金沢龍馬会総会終わる !

北の大地では雪、北陸では雪吊りされた兼六園も紅葉が色づきライトアップ。
冬の味覚カニも解禁されて、香箱カニなど口にはいったことでせうか。

 大根も美味しくなり、おでんもいいですね。
冬の足音が次第に近づいてきましたが、そろそろタイヤ交換など備えは大丈夫ですか。先にご案内しました金沢龍馬会の総会が11/1 3(日)会員に会員外の方も出席して盛会のうちに終わりました。

 以下 概要です。
○総会 ・2005 11/13(日) 13時30分から
                                                                                                        ・場所 旧県庁議会棟二階会議室
出席 山野(金沢市議 オブサーバー)中川 山田(友) 室岡 国友 小阪 齊田(隆) 加茂 齊田 山田(省 ) 東 武内 福野

 開会に先立って、武内会長は 「龍馬の生誕170年も間もなくです。土佐では盛大な記念行事もおこなわれることて゛せう。金沢龍馬 会も結成3年目を迎えました。

 龍馬の自由闊達な精神、理想・進取・勇気を忘れず 時代の先を見つめ、社会のために自らの意思で行動を起こそう」と。馳文部科学副大 臣の祝電。

   総会に先立って 記念講演は13時30分から14時30分の予定でしたが、30分も延長する熱のこもったものでした。
   講師は石川県立歴史博物館館長の徳田寿秋さん
   演題は『龍馬の船中八策と加賀藩』 
  《要旨》

(1)船中八策と歴史的意義について
                                                                                                  
    1867年(慶応3年)6月9日、坂本龍馬が起草させた公議政体論にもとづく国家構想の内容 幕政返上や議会開設、それに官制改革や外交刷新、更に法典制定や海軍拡張、親兵設置、幣制整備の八ヵ条だった。この八策にもとづいて 雄藩連合による議会論を内容とする“大政奉還論”を提起。

 すでに、薩摩と長州は薩長同盟を締結しており、武力倒幕を具体化し始めていた頃である。10月14日、武力倒幕派の機先を制して、 土佐藩の進言で将軍徳川慶喜は、大政奉還の上表を朝廷に提出する。

(2)加賀藩が公議政体論的考えを指向していた? 
                                                                                            
 徳田さんは加賀藩が龍馬の公議政体論的考えを指向していたとみる。船中八策から一ヶ月後の7月、イギリス公使ハリー・パークス(1843〜1929)率いる3隻の軍艦が能登の七尾港に入港したことを挙げた。青い目のハリー・パークスは、七尾の艦上での対話や志雄、高松等々で村人の大歓迎を受けながら金沢へ。(今ならヨンさまを見るようなものか)。金沢訪問時の対話から見る加賀藩の公議政体論的な姿勢については、軍制改革や海軍力の増強、金沢の卯辰山開拓、海外留学生の派遣などに見る富国強兵策と“領内自立割拠政策”の推進であったと。

 『一外交官の見た明治維新』 によると、加賀藩は、「薩摩や長州は他の諸藩と連携して、これを廃止すべしといっているようであるが、 それはよろしくない。しかし、同時に、大君の政府の権力に対しては当然制限を加える必要がある」と。

 また「加賀藩は、外国との貿易は望んでいるが、公然と七尾を開港場とすることは望んでいない、それは開港場としたら七尾を天領とし て取り上げるからに違いないからである。

 しかし、七尾を補助港として貨物を陸揚げすることには異存はないから、そうした場合はそれに伴って他の一切も自然に解決するであろ う。

幕府がこれについて意見を求めてきたら曖昧な返事をしておくつもりである。加賀藩の利益を損なうようなことはしない。
江戸へ帰ってからも互いに秘密を守りながら通信をすることを約束した」と。 ※ハリー・パークスは翌月には徳島へも二隻の軍艦で行っ ている。

 ※印(補記 ふ)  通訳のアーネスト・サトウ(別名:佐藤愛之助 1843〜1928)が書いた『一外交官の見た明治維新』 (上下巻 岩波文庫)。
これは幕末・維新の政情の渦中で、「生麦事件」等の血生臭い事件や条約勅許問題等の困難な紛争を身をもって体験したイギリスの青年 外交官アーネスト・サトウの回想録である。

 二度まで実戦に参加、攘夷の白刃に狙われたり砲煙弾雨の中をくぐったサトウの体験記は、明治維新史を知る貴重な史料である。
 サトウは、イギリスは、ロンドンのクランプトンに生まれている。
ユニバーシティ・カレッジで学んだのち1862年(文久二年) に通訳生として横浜に来た。

 日本語をサミュエル・ブラウンから学び、江戸弁や会津弁、候文の読む書きが出来るまでに上達したという。
幕末期には西郷隆盛・桂小五郎・後藤象二郎らと深くつきあっていた。1872年(明治五年)に内縁の妻・武田兼と所帯を持ち、後に長 男栄太郎、次男久吉に恵まれた。

 坂本龍馬とはイカルス号事件の際に「夕顔丸」船中にて対面しているが、そのときの龍馬の印象は、ものすごく悪いものであったらしい 。

 竜馬が、事件における容疑者の姓名を混同して語ったサトウの言い分を笑ったために、サトウは怒り出し龍馬を怒鳴りつけた。
サトウは龍馬のこのときの様子を「悪魔のようなおそろしい顔つきをして黙り込んでしまった…」と。

(3)加賀藩が公議政体論的考え、つまり“領内自立割拠論”に至った経緯について
    @前田慶寧と加賀藩尊皇攘夷派の動きを見る必要がある。
その形成過程については、第14代前田慶寧の人物像をみる必要がある。母は徳川将家斉の娘溶姫であり、側室筆の兄は尊王攘思想家久徳 伝兵衛であった。

また、御表衆(第13代藩主斉泰・守旧派)と御側衆(世嗣慶寧・改革派)の台頭があったが、全国的な尊王攘夷運動のネットワークが 築かれつつあった頃である。

その中で最近公になった『恭敏公勤王一件聞書』(堀四郎左衛門)をみると、「恭敏公水戸候と甚御親しく時事の御話あり、屡々御親書 の往復もありて四郎もこれを拝見せり、今其御文意は確かに記憶せざれども皆国事を御協議遊ハされしものなり、

 又薩州候とも御親しく御交際ありしも幕府に注目せられんことを恐れて甚タこれを秘せられたり、或る日候の御招に応じて其邸へ御出あ りし時、裏門より御入にて直二御居間へ御通り遊ハされたり、

 御座敷の飾附ハ西洋物而巳にて、候より恭敏公へ貴殿ハ果報の方なり、江戸へは近き御間柄、京都へは道程近何事も御自由と遊し申抔と 大に意味深き御話ありしと、公直に四郎へ御話あり」と記していた。

 A前田慶寧と文久3年の尊王攘夷派の動向について
 尊攘派の公武合体運動(文久2年)に藩主斉泰の供奉があり、「どのように 軽く見えても皆人の下には置かぬ 加賀の菅笠」と揶揄し た落首もあるのは見逃してはならない。

 また、幕府の慶寧江戸出府命令と御側衆(世嗣慶寧・改革派)の抵抗も。更に朝廷・幕府の両者からの加賀藩取り込みなどがあり、18 63年(文久3年)8月18日薩摩藩・会津藩の公武合体派が尊皇攘夷派の長州藩などを京都から追放したクーデターの影響もあった。

 B前田慶寧の「禁門の変」への対応ついて 
 慶寧を中心とした御側衆の台頭と幕府の長州征伐反対建白を携えて上洛したこと、また武力衝突と対応、幕府派・長州派・三州割拠派 の3論の対立を見る必要があろう。更に、長州の敗北と大弾圧、それに加賀藩尊王攘夷運動の壊滅も忘れてはなるまい。

※ 加賀藩が幕末期に中央政界で活動するようになったのは、今を去る140年余り前1861年(文久元年)のことである。京都で金 沢町会所の郵便業務をあずかっていた町人・浅野屋佐平や鶴来の医者・小川幸三が、薩長両藩を中心とする京の情報を伝えていた。

  藩当局はこの時初めて、緊迫した京の情勢を知ることになるが、小川幸三が“浪士のスパイ”であるという讒言(ざんげん)を信じて、 幸三を禁固に処した。

 この頃の加賀藩には2つの勢力、つまり世子前田慶寧を取り巻いていた側用人の松平大弐をはじめ、不破富太郎や千葉順之助、それ に堀四郎左衛門、大野木仲三郎ら勤王派としての動きをするグループ。

 もう一方は、父である藩主前田斉泰の周辺を固める佐幕派のグ世子・前田慶寧は病気と称して京を離れ、加賀藩領である近江の海津に 退くがそのことが加賀藩を苦境におとしいれる結果となった。

つまり、加賀藩は朝廷と幕府から嫌疑をかけられることとなり、藩主・前田斉泰は朝廷と幕府の両方に対し陳弁することになる。前田慶 寧を幽し、慶寧の側近の松平大弐を海津で切腹させ、他の勤王派と目される藩士十数名を死刑や禁獄、はたまた流刑とした。

 これが、いわゆる、加賀藩の「元治の獄」(元治の変ともいう)であり、これで加賀藩の勤王派はほぼ全滅した。

 1865年(慶応元年)11月、加賀藩士高田森右衛門とその一派が突如謀反の嫌疑をかけられ検挙されたことがあった。高田らは数 年間拘禁させられた後に釈放されたが、検挙された理由や釈放された背景などがはっきりとはしていない謎の多い事件だ。

第二次長州征伐で幕府軍が敗北して、加賀藩の勤皇派は息を吹き返すかと思われたが、先の粛清で、すでに勤王派には具眼ある人材は見 当たらなかったらしい。

1866年(慶応2年)には藩主・前田斉泰が引退して、世子・前田慶寧が藩主となり、幕末の動乱期にあって加賀藩の舵取りに期待が 高まっていた。

 また、鳥羽伏見の戦いでは、藩主・前田慶寧は勤王寄りだったが、親交あった一橋慶喜(徳川慶喜)との関係に遠慮して、幕府軍に 参戦する予定で出兵。

 しかし、上洛の途中で幕府軍の敗北を知り、慌てて兵を帰す失態を演じる。
変わり身の早い加賀藩はすぐに官軍に恭順し、戊辰戦争では官軍として北越方面に出兵。船を持っていたことから、鳥取藩の兵士40 0名を輸送するために境港に廻航するが、その途中で海難に遭い船を破損してしまった。

藩内革新派である黒羽織の領首・上田作之丞の門下・関沢房清は、前田の八家の一人で年寄・長連弘を補佐していたが、1854年に失 職。後に復職して、元治の変では宮門警備を勤めた。

 また、1868年(慶応4年)の「鳥羽・伏見の戦い」の際は、帰国して藩主・前田慶寧に謁し撤兵や上洛を訴えて、北越方面にお い)ては軍監として転戦している。

 加賀藩は、西南雄藩に比べて危機感がなかったのであろうか、実力に見合う目立った活動はしていなかったと思う。
(※印は 記 ふ)

15時から
 ・経過報告
   ○7/16〜8/28 京都国立博物館の「龍馬の翔た時代 その生涯と激動の幕末」特別展について
                山田(友)会員の報告
 ○8/12〜9/4  福井市立図書館の「五箇条のご誓文と由利公正」取得記念展について
                室岡会員の報告
 ○9/1〜19/30 門前町の門前総持寺祖院の「我逢人」での二人展について
        国友会員の報告
 ○会員証について
    見本は室岡会員の名刺サイズ  各自、国友会員まで連絡する
 ○新入会員         玉井清宏さんの承認
・その他
      ・会則変更   次回の総会で決定する。
               (除名など罰則規定に会費の改定など)
       ・振り込み口座開設
 (金沢中央郵便局 金沢龍馬会 00780−5−38627)
                 会費未納の方は ご利用下さい。(11/13 新たに入会された玉井さんは利用第一号です)
      ・ブログ開設からホームページに移行
 http://www18.ocn.ne.jp/~kml/など。
       ・金沢龍馬会のグッズについて
                 オリジナルシャツなど会員の提案で決定する。
       ・会員拡大について
                会員一人 3人を目標に。
   15時30分 終了
○ 懇親会 総会終了後 17時30分から野町の「青柳」にて
 出席は この日誕生日を迎えた山田(友) そして室岡 国友 中川 小阪 齊田夫妻 加茂 武内 福野の10名。
7月の総会以来で、延々4時間、山海の珍味で議論百出、久々に盛り上がった。

東 宮島 武内会員からお酒に焼酎、また野町の高野医院、高野ドクターから釣ったばかりのグレのお刺身の差し入れも戴きました。有り難う御 座いました。

 やむなく今回出席出来なかった方も次回御元気なお顔で皆と話しませう。会えるのを楽しみにしています。
来年は 年明け二月頃に新年会を予定して、年間スケジュールでバーベキュー大会なども検討しませうか。
季節の代わり目、ご自愛を。
                 2005 11 14(ふ)


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◎ 2005 7.9 総会

○日程 場所
   - 7月9日(土)13時30分〜15時
   - 金沢市広坂 旧県庁議会棟 二階 
○議題
 - 前回の総会以降の活動報告
   ・4月3日  第四回越前湊さくらまつり               山田(友)
   ・5月27〜29日  龍馬像77年記念イベント 高知
   ・6/25(土)
     13時〜14時 全国龍馬社中近畿ブロック会議   葵会館    福野
     14時30分〜 越前龍馬会五周年記念講演会 
              福井市立郷土歴史博物館 二階講堂
              演題 「福井藩・幻のクーデーターと龍馬」
              講師 東京龍馬会顧問 幕末史研究家 小美濃清明氏
               17時半から懇親会(葵会館)      福野
  ○ 会員拡大等について
  ○ その他
               「図説 坂本龍馬」(東京の戎光祥出版)の配布
                 中川可能作さん 入会を承認     
               総会の後 16時から片町の鰯組にて懇親会

  ○今後の予定       
   ・ 8月9〜12日  第52回よさこい祭り  高知 (龍馬連も出場)
   ・10月15〜16日 第17回 全国龍馬ファンの集い 高知 
                     ※ 参加を予定している方は 日程に
   ・11月12〜15日 龍馬生誕170年記念イベント  高知 
              第32回龍馬祭り        桂浜 
                龍馬誕生祭        上町生誕地
                              2005 7 10(ふ)

◎ 2004 11.21 第四回 金沢龍馬会結成一周年記念総会

・とき   2004年 11/21(日)
・ところ  金沢市広坂1−1
       石川県NPO活動支援センター 2号館二階
        会議室(旧県庁 223−9558)
・じかん  13時30分(13時から会場設営)〜15時15分
 開会挨拶  武内会長
・記念講演 13時30〜14時15分
        「幕末加賀藩の草奔の志士たち」
         講師 鶴来町立博物館 学芸員 小阪 大(こざか ゆたか)さん
要旨 後日報告
・祝辞    奥田健衆議院議員
         馳浩  々     (予定されていたが欠席)
・総会   14時40〜
・議題    議長選出       互選

   ◇今年度の活動総括について
       ・北陸の合同交流会 
            3/21 福井市立歴史博物館オープンに伴う一泊二日の合同交流会を開催。 
                   参加 兵庫 高知 大阪 京都 越前龍馬会会員に 高知 福井の市長

          翌日 越前龍馬会の案内で ゆかりの地の見学会。
                   参加 武内 山田(友)福野 当日参加 折戸
  ・富山で 龍馬の手紙を読む講演会           参加 福野 
  ・京都で 龍馬会全国大会(メールにて報告済み)  参加 山田(友)
   ◇その他 前回の総会からの経過継続事項など
       ・会則の変更 追加について          継続
            会として 社会参加の提言有り    要検討
            除名 褒賞等々の規定について     々  
       ・龍馬会会費の納入方法            検討
            臨時会費 値上げ等々について     々
       ・会員異動                    
            岩本会員が転勤 山岡志帆会員は東京への就職で 脱藩。
            第三回の総会で 加茂まゆみさんが 新会員に。
       ・報告                        
            新入会員紹介(藤田 小屋さんの2名だが欠席) 
            10/1〜2京都での全国大会について 参加 山田(友)
2004 11(ふ)

◎ 2003 10.25〜26  全国龍馬ファンの集い 高知大会

 秋の四国路は、金沢から車で和歌山、徳島を経て室戸岬から24日高知市内に入った。爽やかな青空であり、桂浜も凪いでいた。39年ぶりに龍馬像に御対面。

  桂浜の西側の龍王岬、名月をこの岬の上にかかるように見るというのが桂浜での月見の定番だ。
という龍王岬も見つつ。翌25日は、朝早く名物の朝市を見て回り、♪坊さんかんざし買うて……はりまや橋を経て大会会場の高知市文化プラザ『かるぽーと』へ。全国各地から続々と集まった。

♪ …
 よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
 高知の城下へ 来てみいや
 じんま(爺さん)も、ばんば(婆さん)も よう踊る よう踊る
 鳴子両手に よう踊る よう踊る ほいほい!
 …

 と、まずは本場土佐高知の正調“よさこい鳴子踊り”に、山田太鼓で幕開けである。
龍馬脱藩ゆかりの道ビデオが放映された後に、シンポジユム『末裔が語る幕末の志士達』開催。

 コーディネーターは県立坂本龍馬記念館館長の小椋克己さん。
坂本登、五味澄子 、 西郷隆文、横井和子さんといずれも幕末の志士坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛、横井小南らひ孫にあたる末裔のパネリストに 全国龍馬社中会長の橋本邦健さん。

 ひ孫にあたるなど直系のパネリストの面々は、どなたも顔立ちや姿がそっくりには驚いた。
それぞれ陶芸や音楽家など各方面で活躍されているが祖父の膝に抱かれたりして、伝えられる先祖の話や新たな逸話なども披露された。
また、龍馬を巡る話で盛り上がった。

 後、会場をホテル日航に移して懇親会が行われて全国の龍馬ファンと交流を深める。
翌日は、龍馬ゆかりの地の見学会等々があったが、かの四万十川のほとりの大正町や中村市へ向かった。
                                                        (ふ)

◎ 2003 10.13.富山にて設立総会

金沢龍馬会誕生!
 「君のために捨つる命はおしまねども、気に掛かる國の行く末」と幕末の動乱期に「薩長同盟」や「大政奉還」などで活躍した土佐は 高知出身の志士、坂本龍馬(1835〜1867)。

 彼を敬慕、その進取の精神を学び実践しようと石川、富山両県の有志の組織「金沢龍馬会」と「富山龍馬会」の合同設立総会が、10月 13日、富山駅前の自遊館で開かれた。

 会場には祝福にかけつけた土佐高知の全国龍馬社中(事務局 高知市)の橋本邦健会長をはじめ、お隣り福井の越前龍馬会牧田活宜会長 や坂井会員ら、石川富山福井の北陸三県から40人余りが参加した。

    総会では、まず「富山龍馬会」の会長に富山市立図書館長の杉田欣次さんを、また「金沢龍馬会」の会長に、仁愛女子短大の武内紘一 さんを選出。
 規約などを承認した後、全国龍馬社中の橋本邦健会長が記念講演。
この中で橋本会長は「龍馬の進取の精神と行動力に学び、自ら行動して地域社会に貢献していこう」と呼び掛けた。富山、金沢両会の発 足で、全国龍馬社中に加盟する龍馬会はこれで97になった。

会場には、龍馬のふるさと、遙々高知から、高知県名古屋事務所の箭野所長や高知市観光課よさこい龍馬室の松本室長、それに地元富山 から松本、丸山の富山市議会議員らも祝福に訪れた。

今後北陸三県はもとより全国各地の龍馬会との交流を深めていくことや連携強化などの確認をして散会。
                                       (記 ふ)


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