大震災から10年 医師鎌田實が続けてきた被災地との交流

 2020年、辛丑(かのとうし)、弥生3月12日(金)。曇り。最低気温は1度。最高気温は14度。

 朝の散歩はいつもとはちと違ってプラごみ捨ててのコースで、冷たい風が頬を撫でたたかみ公園前でいつもジョギングのおばさんに「お早うございます」。

 当番はいなかったが仕分けのケースなどが用意されていた。おぉ、前方から型枠工馬野トラックが出て来たのがめにはいる。バス通りの歩道を歩いたが、Dr木下の横の畑、鈴木のお爺、

 何を植えられたのかビニールがかけられていた。バス通りの四つ角を左折して、2本目を右折した坂道、金子さんちの対面横山さんちの赤の山茶花が目にはいる。

 雀のお宿越野さんちには雀どもは周りに集まっていたが、フィジー島へのサッカー留学を夢見る樫見さんちのあんちゃんは見えず。

 坂道の右手の米田さんちの庭には早咲きの桜が咲いていた。

 五ノ田さんち前。玄関前に水仙が咲いており、左の坂道は、左折してシェパードのお宅の前へ。訓練にまだ出掛ける前なのか、車は玄関前鎮座していた。

 ここの坂道から朝日さんち前へ。崖下の庭には山茶花やユズリハ、大きなスイリュウにマンサク、白梅が満開だ。崖には、水仙が目にはいる。中村のお婆の畑にはかなり花びらが散って少なくなったロウバイが待っていてくれた。

 四つ角へ。前方に柴犬連れの塩崎さんが目に入り、手を挙げて挨拶。舘山会館の前から右折して紙谷さんちから上村さんち辺りを一回り。尾山さんちの玄関の白梅がいい。浅野さんちの生垣の山茶花の赤が目立つ。

 槌田さんち、玄関前の葉ボタンがいい。白のツバキが咲いている山津さんちの四つ角へ。登校の子らに「お早う」、前方に集団登校の子供たちが目に入った。

 次の三差路で、大柳さんちは右折。大友さんちの庭には白のツバキ、黄色のクロッカスが待っていてくれた。

 新築住宅、大工さんはまだ来ていない。金子さんちで玄関先のシクラメンが待っていた。型枠工場ではアーム付きトラックの1台はまただが、ベトナムの青年らは出られたようだ。

 Dr小坂、宇野さんは出られていた。なかの公園手前は右折。徳中翁の風車が回っており、裏のV字谷では、リサイクルセンターは稼働していた。神社の前の清水のお婆宅、玄関前に水仙が咲いて、クロッカスが花が開いていた。

 神社の境内ではリュウキンカが咲いていた。

 玄関前に吉田の爺の姿は見えず。松原さんちの花壇では葉ボタンとパンジーが待っていてくれた。湯原さんちの庭、葉より先に黄色い花をつけるサンシュユの花。他にクロッカスが咲いて木蓮のつぼみが膨らんでいた。

 庭の雪吊りは外されていたが仕事に向かう娘さんに「お早うございます」。三叉路の角、山本さんちの庭では白の馬酔木がいい。右折すると坂本さんちの庭では紫のカンアヤメが咲居ていた。

 松本爺の前からみすぎ公園へは向わず。調整池の前の新築住宅では大工さんはまだ来ていない。

 京堂さんち前辺りで、猪崎さんちの片目のトトロが目に入った。バス通りの7階建てのアパート前過ぎ、コンビニり裏通りから帰還へ。清水さんの納屋の前の紅白の梅花が綺麗だ。

 勤めに出る元ラジオパアソナリティ―のモリカワさんに「お早うございます」。北さんち過ぎてひょっとこ丸は出ける寸前で「お早うございます」。Dr谷内江さんち過ぎて、対面の空き地、撫子が顔を出していた。そのとなりの新築住宅では、大工さんは来ていない。

 藤田さんちの四つ角から山本さんち過ぎて、ミ子ちゃんら仲良し3人組の女子中学生に「お早う、行ってらっしゃい」。飯田さんちのプランタの水仙を見つつ、持木さんちの八重のツバキを見つつ、  鈴木さんちの隣、瀬戸さんちの畑の水仙や本田さんちの葉ボタン、鱒井さんちの軒下の水仙が待っていてくれた。

 朝の歩数は4275歩、距離は2、8km。消費カロリーは123kCal、脂肪燃焼量は8g。

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 大震災から10年が経った。被災地とそこで暮らす人たちとの関わりについて、諏訪中央病院名誉院長の医師鎌田實が振り返った。

 あの日、ぼくはひたすら電話をかけ続けていた。相手は、福島第一原発から20キロ圏内にある、南相馬市立小高病院(当時)の医師遠藤清次である。

 テレビでは、刻々と原発の異常事態が明らかになり、住民の避難が始まろうとしていた。ようやく電話がつながったのは、3月16日未明。「生きていた!」と思わず叫んでしまった。

 遠藤先生は、南相馬にあるもう一つの総合病院に、患者をつれて避難していた。酸素療法に用いる医療用酸素や、病院の生命線である発電機を動かす重油が残り少ないと窮状を訴えた。

 すぐに、内閣府で働いていた厚労省の幹部職員に相談し、自衛隊の支援を受けながら、酸素や重油などを手配し、現地に運んでいくことになった。ここから、ぼくの東北支援が始まった。

 被災地に初めて入る際、避難所ではまだ一度も温かいものを食べていないと聞き、大量のレトルトおでんを持っていった。底冷えのする体育館。熱々のおでんはとても喜ばれた。

 お酒を飲みたい人もいるだろうと思って、飲みたい人に缶ビールを一本だけ出した。津波で船を失った漁師の男たちが涙を浮かべて、「生き返った」と言った、その顔が今も忘れられない。

 避難所には、諏訪中央病院の医師や理学療法士が泊まり込み、朝、「立ち上がってラジオ体操をしよう」と呼び掛けた。避難生活では、それまでの生活リズムが崩れる。それが続くと体調を崩し、高血圧や糖尿病、脳卒中、うつなどのリスクが高くなる。

 それを防ぐためにも、運動で筋肉を動かし、タンパク質や野菜をとることが大事。そのことを明確に意識させられたのは、大震災での支援体験からだった。

 お風呂に入れない人のために「千人風呂プロジェクト」も立ち上げた。石巻に2か所、仮設のお風呂を設営し、被災者に入ってもらった。

 お風呂で体も心も温まれば、悲しみをいやす力もついてくる。このお風呂は1年近く続き、延べ1万人以上の人が利用した。

  お風呂を設営した近くに商店街があった。そこで長年、楽器店を営むサルコヤ楽器店の店主、井上晃雄さんと出会った。彼は、津波で流され、泥水に浸かったピアノを再生しようとしていた。口癖は、「泥に負けて終わる人生は嫌だ。ここで終わってたまるか」

 泥まみれのピアノは細かいパーツに分解され、きれいに洗われ、組み立て直された。オヤジさんは、ぼくに再生ピアノの物語を絵本にしてほしいと言った。ぼくがぐずぐずしている間に、彼は亡くなった。いつか、約束を果たしたいと思っている。

 震災直後にぼくが電話をかけ続けた遠藤先生は、しばらくして南相馬市小高区の人たちが避難している地区の診療所長になった。会津にある病院の副院長の職を蹴って、被災者の要望に応えたのだ。

 診療所をつくるために、借金も背負っている。彼のすごいところは、院長も看護師も管理栄養士も事務長も、みんな月給20万円と決めたことだ。それは今も続いている。

 仮設のプレハブの診療所はやがて、立派な診療所に建て替えられた。ぼくはこの外来で、何度も講演をした。文化放送のラジオ「日曜はがんばらない」の相方、村上信夫さんを連れて行ったこともある。

 さだまさしさんはNHKの番組で、この診療所から全国に歌を届けた。現在は駐車場に、新型コロナ対応の発熱外来ができた。10年たって、地域の命を守る拠点としてしっかりと根付いている。

 被災地支援で、ぼく個人ができることは限られている。けれど、何かしたいという人はたくさんいて、そういう人たちを被災地に案内するのも、ぼくの役割ではないかと思ってきた。

 病気や障害をもった人たちと毎年、東北支援ツアーを実施した。障害のある人100〜150人、さらに介助をするトラベル・サポーター50人ほどで、東北の観光地を訪ね、温泉に入ったりした。旅行者がまだ少なかったので、とても喜ばれた。

 永六輔さんや加藤登紀子さん、神野美伽さん、梅沢富美男さん、園まりさん、菅原文太さん、柳田邦男さんたちとも被災地を訪ねた。

 福島県田村市から講演を頼まれたとき、ぼくは講演料はいらないと言うと、「このお金で、テレビに出ているようなタレントさんを呼んでもらえませんか」と保健師さんに言われた。

 ピーコさんに相談すると、快諾してくれた。講演料のことを伝えると、「だったら、私ももらえるわけないでしょ」とピーコさん。シャンソンを歌うのでこのお金でピアニストを連れて行きましょうという話になった。

  しかし、そのピアニストも二人がもらわないことを知ると、自分もボランティアで行きたいと言い出した。わらしべ長者ではないけれど、こんな方法をとれば10人くらい有名人を呼べるな、とピーコさんと大笑いした。

 結局、用意されたお金は田村市に寄付をさせていただき、地域の子どもたちのために使ってくださいというお願いをして落ち着いた。

 女子プロゴルフを開催している大王製紙からは、被災地で開催したいという相談があった。専門家がゴルフ場を放射能測定し、安全を確認したうえで、開催されたのが2015年、いわき市でのエリエールレディスオープンである。

 日本女子プロゴルフ協会も積極的に協力してくれたこの大会は、福島県民にとって大きな励みになった。

 こんなふうに10年の歩みを振り返ってみると、その場に行くことができたからできたものばかりだ。10年間、交流を続けた懐かしい人たちに会うために、早く新型コロナに打ち勝って、安心して東北へ行けるようになったらいいなと思っている。(週刊ポスト2021年3月19・26日号)

    ≪ 鎌田實≫1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。

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 総務相武田良太は12日の閣議後の会見で、放送事業会社「東北新社」の衛星放送事業認定の取り消しに向けた手続きを進めると明らかにした。

 総務省による2017年1月の放送事業認定に「重大な瑕疵があった」と述べた。

東北新社が認定を申請した時点で外資比率が20%以上あり、放送法に違反していたと説明。東北新社はミスだと釈明しているという。

 総務省は、東北新社の認定取り消しについての聴聞を17日に非公開で行うと発表。事業を承継した子会社の東北新社メディアサービスに弁明を求める。

公明党の代表山口は12日の党会合で、放送事業会社「東北新社」への衛星放送事業の認定を取り消すことになった政府の手続きの誤りを批判した。

「違法な状態を見抜けずに手続きを進めてしまったことは厳しく問われるべきだ」と述べた。

 同時に「二度とこのようなことが起きないよう、厳正な行政、手続きを求めていかなければならない」と指摘。「そうしたことが正されなければ、行政に対する国民の信頼を保つことはできない」と強調した。

総務省事務方ナンバー2の総務審議官谷脇康彦が8日に更迭されるなど、波紋を広げているの総務省への接待問題。

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 国軍のクーデターに抗議するデモが続くミャンマーで、警察に弾圧をやめるよう懇願したカトリックの修道尼が称賛を集めている。

 地元メディアが12日までに、警察官の前でひざまずき直訴する様子を撮った動画を公開した。

 「誰かを殺す必要があるなら、私を撃って」と訴えたが、しばらくすると銃撃が始まり、デモ参加者2人が死亡した。ロイター通信や英BBC放送によると、北部ミッチーナの修道尼アン・ローズ・ヌ・トーンさんで、診療所を運営している。

 ミャンマーの人権状況を担当する国連の特別報告者アンドリュースは11日の国連人権理事会で、ミャンマーでのクーデター後の抗議デモ弾圧などで「治安当局により少なくとも70人が殺害されたとの信用度の高い報告がある」と明らかにした。

2千人以上が拘束されているとも述べた。

 ミャンマーに対しては米国などが独自制裁を実施。アンドリュースは内政問題として対応に後ろ向きな中国やロシアを念頭に「制裁は一致団結して行わなければ、真の効果が発揮できない。

各国が協調して対応することが最も効果的な行動だ」と訴えた。軍政を正統な政府として各国が認めないよう求めた。

ミャンマー国軍のクーデターに抗議する女性らが、治安部隊の侵入を防ぐため巻きスカート「ロンジー」でバリケードをつくっている。

男が女性用のロンジーに触れたり、干してある下を通ったりすると不運が訪れるという迷信があり、治安部隊に精神的な抵抗感を与えるのが目的だ。

 最大都市ヤンゴンの市街地では、デモ隊が置いたレンガや砂袋の上に色鮮やかなロンジーがぶら下がる。路上の即席バリケードはブルドーザーで容易に取り除ける。

だがロンジーは別だ。迷信を信じやすい治安部隊員は前進できず、つるしてあるひもをいちいち切る手間を掛けている。

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   全日本私立幼稚園連合会(東京都千代田区)で4億円を超える使途不明金が発覚した問題で、連合会側が前会長香川敬(69)らを警視庁に刑事告訴したことが11日、分かった。

 同庁が今後、事情を聴くなどして捜査を進めるとみられる。前会長は私的流用を否定しているという。

 連合会によると、2019年度までの3年間で、3億2000万円の資金が不正流出。20年度も前会長香川が昨年11月に辞任するまでの間、8000万円超の現金が口座から引き出された。

関連団体の全日本私立幼稚園PTA連合会(千代田区、会長・元官房長官河村建夫)でも、20年度に4100万円の流出があった。

 通帳の偽造なども確認されており、前会長香川と両連合会などの口座を管理していた当時の事務局長の関与が疑われている。連合会の調査に「前会長の指示で入出金した」と説明している。

 幼稚園連合会は全国の私立幼稚園団体で構成され、7500園が加盟。関係者によると、告訴状は同連合会の会長代行と河村の連名で提出されたという。

 一方、野党は、使途不明金問題を厳しく追及する方針。

   ♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう

 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

 でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

 島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
       1992年 島唄  THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史

 東京都がけふ12日確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は304人だった。

 先週の金曜日と比べて3人増えていて4日連続で前の週の同じ曜日を上回った。感染が確認されたのは10歳未満から100歳以上の304人。直近7日間の1日あたりの平均は前の週と同じ273人で、下げ止まっている。

 年代別にみると20代が最も多い62人で、次いで40代が59人、重症化リスクが高い65歳以上の高齢者は61人。重症の患者は前の日から2人減り37人。

 きのふ11日の感染者は4日と比べて56人増えた。

都の新型コロナウイルスの感染者が3日連続で前の週の同じ曜日を上回っている状況を受けて専門家が今一度、基本的な感染対策を徹底する必要があると訴えた。

 都医師会・副会長猪口正孝は「新規陽性者数は下げ止まりが見られる。今後、変異株等により急激に感染の再拡大が起こる可能性がある」と。

 7日間平均で見ても、前の週と比べて100%前後で推移する横ばいの状態が続いていて、専門家は今後、医療体制が整わないまま再び感染が広がる危険性があると指摘した。

 また、花見や歓送迎会によって人出が増えることを懸念し、マスクの取り外しを最低限にとどめるなど、感染対策を徹底するよう改めて訴えた。

 厚労相 田村憲久は12日の会見で、首都圏1都3県の新型コロナウイルス感染状況について「下げ止まりもしくは増えている兆候がある」と述べ、警戒感を強調した。

1都3県に対し発令されている緊急事態宣言を解除するかどうかに関しては「最終的には専門家の意見を聞き判断する」と語った。

 田村は、コロナ変異株などの対策を徹底する必要性にも言及した。

宣言解除の可否を判断するに当たり「これ以上感染を増やさない態勢を組むことが前提だ」との見方を示した。

♪やさしさと かいしょのなさが 裏と表に ついている そんな男に 惚れたのだから
私がその分 がんばりますと 背(せ)なをかがめて 微笑み返す 花は越後の 花は越後の 雪椿

 夢にみた 乙女の頃の 玉の輿には 遠いけど まるで苦労を 楽しむように
寝顔を誰にも 見せないあなた 雪の谷間に 紅さす母の 愛は越後の 愛は越後の 雪椿
          昭和62年  雪椿 作詞:星野哲郎  作曲:遠藤 実

 月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子

 うちなー。宣言解除の沖縄県はけふ12日、新たに38人が新型コロナに感染したと発表した。

 県内の累計感染者数は8445人となった。在沖米軍関係の感染者はいなかった。累計は963人。

 県はきのふ11日、県内で新型コロナウイルス変異株の感染者を初めて確認したと発表。1月中旬から2月上旬にかけて2種類に計8人が感染したが、全員回復しているという。

 知事玉城は「変異株の感染拡大は確認されず、8人の感染とも収束した。今後も変異株検査を強化し、拡大を食い止める」と述べた。

 同日の県発表では10歳未満から90代の男女29人の感染を確認。感染経路が分かっている11人で最も多いのが、家族内感染の7人だった。10日までの1週間の人口10万人当たりの新規感染者数は沖縄は9・80人で全国4番目。

 最多は東京の13・28人。

   沖縄戦の戦没者の遺骨が残る本島南部の土砂を名護市辺野古の新基地建設に使う計画に対し、自民党県連と公明党県本部の代表らは10日、沖縄防衛局に局長田中利則を訪ね、県民感情への配慮を求める要請書を手渡した。

 要請に対し、局長田中は「遺骨の問題は重要だと認識している。土砂の調達先についてはしっかり検討したい」などと述べた。要請書は「沖縄戦の激戦地であった本島南部地区から

 遺骨混入の土砂が使われることは、人道上許されない」などとしている。

 ♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも  鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ  村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 国の税金を使った首相安倍主催の「桜を見る会」の疑念は消えるどころか、より深まった。

 安倍内閣が決めた東京高検検事長の定年延長への批判は高まり、法相森雅子の不信任案提出に至った。

 菅内閣の発足を受け、政権内の力学は変化しそうもない。

 前政権が残した「負の遺産」の一つは、官僚が首相官邸におもねる「忖度(そんたく)政治」がはびこったことだ。

しかし、首相菅に交代して、この悪弊は改まるどころか、さらに広がるかもしれない。

 忖度の背景には中央省庁の幹部人事を決める内閣人事局が2014年に新設されたことがある。そこで官僚は自らの人事(=生活)を握られて、首相らの顔色ばかりをうかがうようになった。

 そして森友学園をめぐる不可解な国有地売却問題。政治問題に発展するのを恐れた財務省は、前首相安倍の妻・昭恵らの名前を消す公文書改ざんにまで手を染めた。

改ざんを上司に命じられ、苦悩した近畿財務局職員が自殺する悲劇にまで発展しながら、今なお真相は解明されていない。

 官邸に唯々諾々と従う上司も情けないとは思うが、民主政治の基本である行政の公正さや透明性をゆがめているのは間違いない。

 この内閣人事局設置を官房長官として主導し、活用してきたのが首相菅そのものだ。

 ♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない

 絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける

 叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた  ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった

 僕は嫌だ

 不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ

  一度妥協したら死んだも同然  支配したいなら僕を倒してから行けよ‥

 自民、立憲民主両党は12日、総務省が放送関連会社「東北新社」の衛星放送事業の認定取り消し手続き開始を発表したことを受け、同社の社長中島信也を15日の参院予算委員会に参考人として招致することで合意した。

 衆院でも16日の予算委招致を軸に調整が進む見通しだ。東北新社では首相菅の長男正剛が部長を務めていた。野党側は同社による総務省幹部への接待問題についても、衛星放送事業に関連するとみて追及する。

 15日の参院予算委は集中審議の位置付けで、首相も出席する。中島のほかNTTの社長澤田純も参考人として招致される。与党は正剛の招致は拒否する姿勢を崩していない。

 ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
              1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 カナダ。大震災から10年となる今日、私たちは日本の犠牲者に哀悼の意を表します――。

 2011年に発生した大震災から10年となる11日、様々な国が犠牲者を追悼するメッセージを寄せた。カナダの首相トルドーは「10年前、世界で最も大きな地震の一つが日本北東部の海岸で地震が発生し、

 津波が多くの人たちの命を奪いました。ちょうど10年となる今日、私たちは犠牲者に哀悼の意を評します」とツイートした。

 さらにトルドーは声明で、10年前に地震や津波で世界中の人たちがショックを受けたことを振り返りながら「この10年で国を復旧・復興させた、日本の人たちの驚くべき強さや決意に敬意を表します」と述べた。

 また「カナダ政府を代表し、この悲劇で亡くなった方の追悼の輪に加わることを、全てのカナダ国民に呼びかけます。より明るい、そして回復力のある未来のために働く全ての人に心から感謝します」と、カナダの人たちにも追悼を呼びかけている。

 オーストラリア。外務・女性問題担当大臣マリズ・ペインが声明を発表し、「大震災から10年目の今日、友人である日本の皆さんとともに、亡くなった方に思いを馳せたい」とコメントした。

 ペインは、大震災の時にはオーストラリアが都市捜索救助隊や物資を日本に送った一方で、2019-20年のオーストラリアの森林火災の時には日本から自衛隊が派遣されたことに触れ、「困難に直面した時に助け合うことで、

 日本とオーストラリアのパートナー関係は強まっている」と述べている。

 米国。また、大震災の発生直後に「トモダチ作戦」を展開し、捜索や救助や復興支援にあたった米国は、国務省が声明を発表。

 「米国合衆国も日本の人たちとともに、犠牲者やいまだ行方不明の方々を追悼します。そして家や生活やコミュニティを建て直してきた日本の回復力に敬意を表します」と伝えた。

 米国のトモダチ作戦では、最も多い時には2万4000の人員が災害対応や人的支援をした。一方、その前に起きた2001年9月11日の同時多発テロや2005年のハリケーン・カトリーナの時には、日本が米国に救助隊を送っている。

 国務省はそういったこれまでの相互支援を紹介しながら、「今後起こりうる災害などの困難時にも、日本と友人としてともに協力していく」とした。

 タイ。大震災から10年となった11日、タイの首都バンコクにあるクロントイ・スラムで、地域の住民や子どもたちが参加して震災の犠牲者らを悼む催しが開かれた。

この地域では震災の直後に、住民らが募金をして100万円超を被災地に寄付。それを知った日本の篤志家がお返しに1千万円超を地域に寄付するなど、善意の支え合いが続いている。

 募金は震災の翌日、2011年3月12日から始まった。呼びかけたのは、スラムの支援を続ける「プラティープ財団」の事務局長プラティープ。同じくスラムを支援する「シーカー・アジア財団」とともに義援金を集め、

短い間に日本円で100万円を超すお金が集まり、被災地に寄付した。一連の経緯を新聞記事で知った日本人の男(故人)が、お返しをしたいと申し出て、二つの財団に合わせて1千万円超を寄付。

シーカー・アジア財団が地域の子どもたちのために運営する図書館の改修費などにあてられた。

 11日、この図書館に両財団の関係者や地域の住民代表、子どもたちなど数十人が集まり、黙?や僧侶の読経などで震災の犠牲者らを追悼した。子どもたちは、被災地に贈る横断幕にそれぞれの思いで、絵や「がんばろう」といったメッセージを書き込んだ。

 プラティープさんは10年前に募金を呼びかけた時のことを「助けには行けないけれど、地域の住民一人ひとりから励ましの気持ちを何らかの形で届けたい、という思いだった」と振り返った。

04年にタイ南部を津波が襲った際に日本から支援があったことや、日本からのスラムへの支援も長年にわたり続いていることが念頭にあったという。

 そのうえで、いまの被災地の人たちへのメッセージを問われ、「常に励ましあって、ともに生きて行きましょう」と話した。

 米国。日米交流の促進を目的とする団体「米日カウンシル」は10日、大震災10年に際しオンラインイベントを開催した。

日米双方の歴代大使らが震災後の協力を振り返り、改めて「日米の揺るぎない友情」(駐米大使冨田浩司)を確認した。

 震災発生時、駐日大使だったルースは東北入りして「人生の中で見たことのない光景を目の当たりにした」と回想。日本にいる米国民の安全を確保し、対日支援に奔走した日々を振り返った。

 ルースの後任、ケネディは震災後の協力が「日米の友情がかけがえのないものと示した」と強調。日米関係の将来を担う次世代の育成の重要性も訴えた。

 ドイツ。ドイツ北部の町ゴアレーベンに原発はない。

だが、長らく反原発運動の象徴とされてきた。西独時代の1977年に使用済み核燃料など、いわゆる「核のごみ」の最終処分場候補地に選定され、数十年にわたって地元住民の激しい反対運動が続いたからだ。

 「政府は間違った仮定に基づいて候補地を決め、時には力ずくで計画を守ろうとした」。地元環境保護団体の元代表、ケレスティン・ルデックさん(53)は、政府の強行が対立の長期化を招いたと指摘する。

 ゴアレーベンは、地下の岩塩層が高レベル放射性廃棄物の地層処分に適切とされたが、明確な選定基準が示されず、東独との国境に近い過疎地に負担を押しつけていると、不信感を招いた。

 反対運動の末、2013年になって計画は白紙撤回され、候補地選びは振り出しに戻った。17年に改正された処分地選定法では選定基準を明確化。

 選定過程を監視するため、識者や環境団体に加え、無作為抽出された市民が参加する委員会などが設けられた。放射性廃棄物処分安全庁(BASE)の長官ケーニヒは「私たちは失敗から学んだ。

 ゴアレーベンの経験が繰り返されることはない」と強調する。

 英国。在英国福島県人会「ロンドンしゃくなげ会」などは大震災から10年の11日、ロンドンから福島の復興を祈念するライブ動画を配信した。

地震が起きた午後2時46分に合わせ、英国時間の同じ時間に黙とうを呼び掛け、犠牲者を追悼した。

 福島の現状を英国など世界に伝えるため司会者が英語で話し、字幕も英語で編集。津波で甚大な被害があった県内の復興状況を映像や住民の話を交えて紹介、東京電力福島第1原発事故の風評被害が残る

福島産の米や果物など農林水産物の安全性もアピールした。

 南米ペルー。検察は11日、元大統領フジモリの長女ケイコを汚職に絡むマネーロンダリング(資金洗浄)などの罪で起訴、同時に禁錮30年10月の判決を求めた。

 被告ケイコは4月11日の大統領選候補。有罪判決が出るまでは出馬は可能なため、選挙運動を続行する。同国メディアが報じた。

 ケイコは2011年と16年の大統領選に出馬、敗退した。起訴内容は、被告が過去に出馬した際にブラジルの大手建設会社から受け取った資金の洗浄罪や組織犯罪主導、司法妨害などの罪。

 被告の夫ら関係者も起訴された。世論調査で、支持率首位はレスカノの13%。ケイコは7%。

 ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 北の大地。雪の重みによる、建物の被害が相次いでいる。

 美唄市では、雑居ビルの屋根が崩れ倒壊の恐れがあるため、ビルに面した国道が一時通行止めとなった。現場のビルは国道12号線に面していて、現在は使われておらずケガ人はいなかったが、

 雪の重みで倒壊の恐れがあるため、両隣の建物を含め解体作業が行われた。この影響で国道の一部区間が通行止めになっていて、11日中に解除された。

 また三笠市では、旧住友奔別炭鉱の選炭施設の屋根が崩れ落ちているのがみつかった。

 この施設は、日本遺産に認定されている「炭鉄港」の構成文化財の一つで、一般の立ち入りは禁止となっていてケガ人はいなかった。

 青森。「真っ黒な水が押し寄せてきて、見る見るうちに水位が上がった」、八戸市津波防災センター館長の細越敬一郎さん(64)は八戸東消防署長消防司令長だった10年前、火災現場へ出動中、

 乗っていた車が大震災の津波に押し流されたが、車から脱出し難を逃れた。一方で、宮城県南三陸町では仲間の消防職員が津波にのまれて殉職、衝撃を受けた。

 1968年(昭和43年)、白銀小学校6年の時には、十勝沖地震の津波が海岸に押し寄せるのを目撃。津波の脅威を身をもって知る者として「大きな地震が来たら、より高い所へ逃げて」と心から訴える。

 八戸市沿岸部の会社で火災発生の通報があった。東消防署から消防隊員15人がポンプ車とタンク車、補給車、指令車計4台で出動。細越さんは指令車に乗り、湊高台から白銀陸橋を下って沿岸部の築港街方面へ向かった。

 すると津波が引いた後の路上に、がれきが散乱しているのが見えた。隊員らは一瞬、次の津波を恐れて現場に行くのをちゅうちょしたが、煙が上がっているのを見過ごせなかった。

 現場では車両周辺が燃えていた。「要救助者はいない。すぐ退避」。津波から逃げるため、すぐに全員が車で現場を離れたが、八戸港湾合同庁舎の近くで急に津波が押し寄せてきた。

 セダン型の指令車は流され、前方に停止した補給車と道路脇の土手にぶつかって止まった。幸い指令車の窓は手動式で、細越さんは窓を開けて車外に身を乗り出し、土手の上にいた消防団員の手を借りて脱出。

 指令車に同乗していた隊員2人と他の消防車両3台の隊員は車両の上によじ登り、津波が引くのを待った。「怖いという気持ちはなかった。隊員たちに何かあったら取り返しのつかないことになる、と考えていた」。

 隊員は全員無事だったが、細越さんにとって苦い記憶として残っている。震災後間もなく、細越さんの元に仲間の消防職員の男が南三陸町で、津波の犠牲になったと連絡が入った。

 細越さんと男は2000年ごろ、東京・消防大学校で6カ月間、研さんに励んだ仲だった。

 男は非番ながら、避難者誘導のため高台の自宅から勤務先の消防署に向かう途中、津波にのまれたという。「非番でも責任を感じて勤務先へ向かったと思う。自分も同じ立場ならそうしていた。

 もし八戸に同じ規模の津波が来ていたら自分もどうなっていたか」。南三陸町は最大20m超の津波が襲ったとされ、津波の規模が細越さんと男の生死を分けた形となった。

 細越さんは、今から半世紀以上前に発生した十勝沖地震での経験も忘れられない。学校からの帰宅途中、高台から白銀の砂浜に津波が押し寄せるのが見え「津波が来るのにまだ砂浜に何人がいて、『逃げろ』と叫んだのを覚えている」と振り返る。

 八戸消防本部消防長を最後に定年退職した17年、細越さんは完成したばかりの市津波防災センター館長に就いた。「変な話、津波に縁がある」と話す。同センターは津波避難ビルとして整備され、

 南海トラフ地震対策を進めている県外自治体からの視察もある。しかし「津波避難ビルはあくまでも緊急避難施設。基本はここ(津波避難センター)ではなく高い所へ避難してほしい。

 想定を上回る津波が来ることもあるのだから」。南三陸の仲間のような悲劇を生まないために、声を大にして訴える。

 岩手。大震災で津波の被害を受けた釜石市で桜を植え続ける住職がいる。

釜石市大只越町にある「仙寿院」の芝崎恵応(えのう)さん(64)。岐阜県本巣市の国の天然記念物「淡墨桜」など、全国から寄せられた苗木を仲間たちと植樹し、その数は1200本以上になる。

 年月が流れても消えることのない被災者の心の痛み。「桜を見て、ほっこりする時間が必要なんだ」と語る。

 10年前、高台にある境内から豹変した海を見た。「海面が全部上がって上から水が落ちるように流れていった」。眼前の街が一気にのみ込まれていった。

 難を免れた境内には多い時で750人が避難。芝崎さんは寝る間もないほど対応に追われた。遺体安置所にも出向き、身元確認の手伝いもした。

 震災から1カ月がたった日。境内の桜の木に一輪の花を見つけた。寺では250人が避難生活を続けていた。開花を伝えると、人々は涙した。「自然はこんな時でも変わらない。

 希望を失わずに頑張ろうとみんなが思ったんじゃないかな」。その姿が忘れられなかった芝崎さんは、13年に有志と「釜石に桜を植える会」を立ち上げた。

 全国に資金や苗木を募った。

 大震災から10年となったきのふ11日、県内沿岸各地で追悼式が行われた。

 「思い出さない日はない」、「早く帰ってきて」。参列者はこれまでの年月と大切な人に思いを寄せ、静かに手を合わせた。

 県と陸前高田市は、市内2会場で合同追悼式を行った。高田松原津波復興祈念公園の屋外特設会場には、市長戸羽太、知事達増ら80人の来賓が参列。別会場の市民文化会館「奇跡の一本松ホール」には遺族ら400人が訪れた。

 夫を亡くした陸前高田市高田町の金野富子さん(84)は「10年はあっという間。とても優しい人で思い出さない日はない。何をするにしても、『いてくれたら』と思う」と故人をしのんだ。

 一昨日10日午前6時半ごろ久、慈市夏井町の国道395号で、洋野町から来た普通乗用車が対向車線にはみだし7トントラックと正面衝突した。

 普通乗用車には3人が乗っていて、このうち運転していた軽米町軽米の会社員奥勝隆(76)さんが胸などを強くうち、意識がない状態で病院に運ばれ、3時間後に死亡が確認された。

 後部座席に乗っていた70代と40代の男2人も足などにけがをした。大型トラックを運転していた20代男にけがはなかった。

 現場は片側1車線の緩いカーブで事故当時路面は凍結していた。

 宮城。大震災の津波で児童70人が死亡、4人が行方不明となり、教職員10人が犠牲となった石巻市大川小には11日、早朝から多くの遺族らが訪れた。

 遺族会主催の法要は新型コロナウイルスの影響で昨年に続き中止となったが、震災発生時刻には100人以上が集まり、冥福を祈った。

 校舎周辺は震災遺構の整備工事が進み、立ち入りができるのは入り口付近だけ。来訪者は駐車場の献花台に花を手向けたり、入り口近くに設置された大川小の事故を伝える写真パネルを見たりした。

 3年の長男健太君(当時9)を失った佐藤美広さん(59)は「10年たっても息子がいない悲しみは変わらない。多くの人に大川小に来てもらい、ここで起きたことを知ってほしい」と語った。

 6年の次女みずほさん(当時12)を亡くした佐藤敏郎さん(57)は、校舎の裏山に立ち、NPO法人「カタリバ」(東京)の企画でオンラインの防災授業を実施した。

 大川小の児童と教職員が津波襲来直前まで校庭にとどまったことを説明。

 参加した全国の小学生ら2000人以上に「なぜあの時、逃げることができなかったのか」と問い掛け、意見を交わした。

 佐藤さんは「宮城県では災害が起きる想定があったのに対策が不十分だった」と指摘。「震災10年と言われる今は『次の震災前』でもある。何事もない時に備えることが重要だ」と呼び掛けた。

 福島。震災発生から10年。

地震や津波、原発事故で被災した浜通りでは追悼式や慰霊祭が行われ、遺族や関係者らが手を合わせ、花をささげるなどして犠牲者の魂の平安を祈った。

 大熊町と双葉町では震災後初めて町内での式典開催となり、関係者がさらなる復興を誓った。

 きのふ11日午前9時ごろ、福島市町庭坂の森林で、伐採作業をしていた伊達市の会社員の男(66)が倒れた木の下敷きになり、3時間後に死亡した。

 男は3人で赤松の伐採をしていたところ、木の下敷きになったとみられる。警察が原因を調べている。

 新潟。2011年3月12日、大震災の翌日に発生した長野県北部地震から10年。

十日町市と津南町では震度6弱を観測。長野県では3人が亡くなり、県内では45人がけがをしたほか、2400棟の住宅が被害を受けた。

 地震の記憶をつなごうと、十日町市で11日開かれた追悼イベント。毎年開かれているこのイベントも今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、参加者を20人に限定しての開催となった。

 「日本全国あちらこちらで災害が起きているが忘れてはいけない。みんなで復興していくんだという気持ちで追悼した」(参加者)。

 参加した人は灯した炎に追悼や防災への思いを込めていた。

 東京。秘書が選挙区内で香典を配ったなどとして公選法違反容疑で刑事告発され、不起訴(起訴猶予)となった自民党の衆院議員、前経済産業相(東京9区)菅原一秀(59)について、

 東京第4検察審査会は12日までに、起訴すべきだとする「起訴相当」の議決をした。議決は2月24日付。

 愛知。昨夜9時過ぎ、常滑市樽水の谷川誠基さん(66)の住宅から出火して、火は2時間後に消し止めらたが、木造2階建て住宅が全焼し、焼け跡から性別不明の1人の遺体が見つかった。

 この家で1人で暮らす谷川さんと連絡が取れていないことから、警察は遺体は谷川さんとみて身元の確認を進めるとともに、出火の原因を調べている。

 大阪。池田市の市長が市役所にサウナなどを持ち込んでいた問題で、副市長と市長の後援会長が職員を呼び出し、会話の内容を漏らすことを禁止する「秘密保持契約」を結んでいたことがわかった。

 池田市の市長冨田裕樹をめぐっては家庭用サウナなどの私物を市役所に持ち込んでいたとして百条委員会が調査している。

 この問題をめぐり、サウナの持ち込みが発覚した後の去年10月、副市長元平修治と市長の後援会長が市職員を呼び出し、報道機関に情報を提供したのか問い詰めた上で、「秘密保持契約書」に署名させていた。

 市長は先週の証人喚問で「契約書の存在は事後で知った。会合の設定も含めて指示はしていない」と関与を否定していたが、けふ12日の百条委員会に出席した副市長元平修治は「市長が話し合いを指示した」と述べた。

 「(職員と)会えと言ったのは市長」(池田市副市長 元平修治)

 「秘密保持契約書を誰が作成しましたか?」(百条委員会の委員)

 「あくまで推測でしかありませんが、その後援会長だろうとは思います」(池田市副市長 元平修治)

 午後からは後援会長らの証人喚問が行われた。

兵庫。今朝5時過ぎ、猪名川町の県道で19歳の会社員が運転する軽自動車に高齢の女性2人がはねられ、意識不明の重体となっている。

 猪名川町差組で県道を横断していた高齢の女性2人が軽自動車にはねられ、病院に搬送されたが意識不明の重体。

 警察は軽自動車を運転していた伊丹市に住む19歳の会社員の少年を過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕した。少年は出勤の途中で、調べに対し「2人をはねたことに間違いありません」と容疑を認めているという。

 現場は中央分離帯のある片側2車線で、カーブがあり、女性2人はカーブが終わった辺りを横断していたところ、はねたられたという。

 警察は女性の身元の確認を進めている。

 広島。県内で栽培する柑橘類・ハッサクの多くのルーツとなった木が、東広島市の研究施設に保護の為に移植された。

ハッサクは、広島県が発祥。東広島市安芸津町の研究施設に移植されたのは、現在県内で栽培する多くの木のルーツとなった。ハッサクは、160年前に現在の尾道市因島で見つかった。その後栽培が広がったが、病気が蔓延…。

その最中、免疫を持ったこの木が見つかり、「接ぎ木」で再び栽培を拡大した。移植した木は、手入れが終わる秋以降に公開される。

 高知。13日に卒業式が行なわれる大月町の中学校で、けふ12日、卒業祝いのサプライズとして給食に町の特産品が登場した。

 大月町の大月中学校で、給食の時間に登場したのは、なんと!マグロの頭を丸ごと使った「かぶと焼き」。

 使ったのは、重さ70キロのマグロで、カブトの高さは30センチ!これは、新型コロナウイルスの影響で学校行事などが思うようにできなかった3年生に、思い出にしてもらおうと、学校が卒業祝いとしてサプライズで企画したもの。

 大月町の養殖クロマグロは、2月、全国の品評会で最優秀を受賞するなど町を代表する特産品になっていて、地元の養殖会社から「最後の給食」にと提供してもらった。

 生徒たちは、マグロの頭丸ごとの豪快なかぶと焼きに目を丸くしつつ、食べられる部分を探して箸でとっておいしそうに食べていた。

 明日13日に学び舎を巣立つ3年生41人。「最後の給食」は、心に残る美味しいサプライズとなったようだった。

 長崎。作家の故遠藤周作の妻で、長崎市遠藤周作文学館(東出津町)の建設に尽力した遠藤順子さんが1月16日、心不全のため東京都内の病院で死去したことが、分かった。

93歳。東京都出身。慶応大在学中に周作と出会い、1955年に結婚。以後、夫の作家活動を支えた。

96年に周作が死去した後に執筆活動を開始。周作との思い出をつづった「夫の宿題」はベストセラーとなった。複数の候補地の中から、周作の代表作「沈黙」の舞台、西彼外海町(現長崎市)に文学館を建設することを決定。

遺品や草稿など3万点の貴重な資料を寄託・寄贈した。頻繁に文学館に足を運び、運営について助言したり、イベントで講演したりするなど館の発展に力を注いだ。

 妊産婦らを支援し、胎児の命を守ろうと活動しているNPO法人「円ブリオ基金センター」(東京)の理事長も務めた。長男はフジテレビ社長の遠藤龍之介。

 佐賀。九州電力玄海原子力発電所の3号機と4号機をめぐり、市民団体が運転の差し止めなどを求めた2つの裁判で、佐賀地裁は12日、原告の訴えを退けた。

 この裁判は、佐賀県の玄海原発3・4号機について市民団体が国に設置許可の取り消しを、九州電力に運転の差し止めを求めていたもの。

 3号機と4号機は原子力規制委員会の新しい基準に合格し、3年前に運転を再開。

 原告は、「地震の揺れなどへの想定が不十分」と主張した一方、国と九州電力は「審査に不合理な点はない」と反論していた。判決公判は午後2時半と3時に開かれ、佐賀地裁は

 「審査基準の内容は合理的で、具体的な危険性があるとは認められない」として、国と九電に対する原告の訴えをいずれも退けた。

 4号機は現在、定期検査のためストップしているが、来月中旬に営業運転を再開する予定。

 熊本。阿蘇市で特産の『阿蘇たかな』の収穫が行われている。

 阿蘇市の農家、森下今朝年さんの畑では、40センチほどに育った高菜を茎の根元から手で折って収獲している。森下さんによると、今年は火山灰などの影響が少なく、例年並みの収穫が見込めるという。

 収獲した高菜は、塩もみして唐辛子と一緒に3、4日漬け込み新漬にする。阿蘇地方の高菜の収穫は、4月上旬まで続く。

 鹿児島。沖永良部島と与論島、沖縄本島を結ぶ新航路の開設準備を進めていた日東商船(本社・東京都、社長西田富士雄)が、今年7月にも同航路に小型高速旅客船を就航させる。

1日2往復し、沖永良部島から2時間半、与論島から1時間半で沖縄とを結ぶ。

沖永良部、与論両島から沖縄への日帰りも可能になり、島民の生活利便性の向上と、沖縄経由の交流人口拡大が期待される。

 定期の同航路開設は、与論島出身の社長西田が長年にわたり構想を描いていた念願の事業。同社によると、2019年春から国に新航路の運航許可を申請し、今年2月に許可を受けた。

 沖縄(塩屋漁港)〜与論島(与論港)〜沖永良部島(知名港)を結ぶ新航路。

 初便は知名町の知名漁港を午前6時に出港し、与論港に同7時、大宜味村の塩屋漁港に同8時半に到着。最終便の上りは塩屋漁港を午後6時に出港し、与論港に同7時半、知名漁港に同8時半到着する予定。

 小型旅客船は19トン、定員は最大60人。現在は知名漁港に係留してある。運賃設定は検討中だが、同社は「(同航路を運航する)既存の定期船の旅客運賃に準じた額にしたい」としている。

 那覇港客船待合所までの送迎付きプランなども検討しているという。社長西田は「既存の定期船、飛行機での移動を補完する役割を果たしたい。沖永良部、与論から通院や買い物で沖縄へ行く人は多いが、

 現状は数日間の宿泊が前提。沖縄へ日帰りで移動できれば、島の人の生活の助けになるとの思いがあった。世界自然遺産登録により今後は沖縄本島北部がより注目されていく中、沖縄経由での観光客の誘客にもつながれば」と話した。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くるかみも またいつか見ん この別れ

 富山。高岡市の万葉歴史館で、万葉集にも詠まれているカタカゴの花が咲き始めた。

 カタカゴは、ユリ科の多年草でうすい紫色の花をつける。高岡市万葉歴史館によると、歴史館の春の庭で、今月10日にカタカゴが開花したという。

 奈良時代に、越中国の国守として今の伏木に赴任した大伴家持が、万葉集に「もののふの八十娘子(やそおとめ)らが汲みまごう寺井の上の堅香子(かたかご)の花」と詠んだ歌を残していて、春を告げる花とされている。

 春の庭の斜面には100株ほどのカタカゴが植えられていて、これから来月の初めにかけてかれんな花をみることができる。また、紅白のウメの花も咲いていて、本格的な春の訪れを感じさせている。

 高岡市万葉歴史館は、館内の一部を改装しているが通常通り開館している。リニューアルオープンは、来月2日の予定。

 福井。国の定める運転期間40年を超えて、関西電力が再稼働を目指す、県内3基の原発について、福井県として再稼働に同意すべきかどうか、いま県議会で議論が進んでいる。

11日開かれた特別委員会で、議員側から、論議を深めるために、国や関西電力に直接質問する場を設けるよう提案があった。

 きのふ開かれた県議会の予算決算特別委員会では、質問した9人のうち5人の議員が、運転40年を超える関西電力の美浜3号機、高浜1、2号機の再稼働に同意すべきかどうか、知事杉本の考えを質した。

 この中で、一部の議員からは再稼働に向けた論議を深めるため、原子力政策の方向性や安全対策工事の中身などを、国や関西電力に直接聞く場を設けるよう提案があった。

   こうした声を受けて、県議会の議長畑孝幸はけふ12日の特別委員会最終日での論議を踏まえて、開催するかどうかを判断するとしている。

 一方の知事は「安全性を最優先に県民の利益を考えて慎重に判断したい」との考えを繰り返し、答弁した。

 運転40年を超えた原発の再稼働については、地元の美浜町や高浜町は既に同意する意向を示していて、県議会の論議を踏まえて知事杉本の最終判断を待つ形となっている。

 金沢。金沢市広坂1丁目の県道で11日、車が用水に転落する事故があった。

運転していた新潟県長岡市の会社員(51)は酒気帯びの状態で、警察に現行犯逮捕された。

現場は金沢市役所前で 、午前11時半頃、普通乗用車が道路沿いの辰巳用水に転落した。駆けつけた警察官が車を運転していた男の呼気を調べたところ、規定量を超えるアルコールが検出されたため、酒気帯び運転の容疑で現行犯逮捕した。

 逮捕された新潟県長岡市の会社員(51)で、「飲酒運転をしたことに間違いない」と容疑を認めている。男にけがはなく、同乗者はいなかった。金沢には出張のため、訪れていたという。

 石川県内ではけふ12日、新型コロナウイルスの新たな感染者は確認されず。

 県内では午前10時までに276件の検査が行われたが、結果はすべて陰性。新たな感染者が確認されなかったのはこれで3日連続。

 県内の感染者はあわせて1879人のまま。県では12日午後5時から新型コロナウイルスの対策本部会議を開き、感染拡大警報の解除などについて協議する。

 夢に見て
 核なき国を
 夢に見て
 平和な世界を
 願う       広島・三良坂平和公園

   Do it!(ともかくやりながさい)
  Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 もののふの、八十(やそ)娘子(をとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、寺井(てらゐ)の上の、
堅香子(かたかご)の花     家持 万葉集第19巻 4243

 午後の散歩は運動教室から戻って何時ものコース。寺津用水は水量はまずまずでスムースに流れていた。

 体育館には6台の車に3台の自転車が来ていた。野良猫は匹、桝谷さんちの玄関先にいた。もう一匹は野畠さんちの階段下にいた。

 体育館横と、バス通りの両表さんち、どちらも息子さんがタイヤ交換されていて「御苦労様」。バス通りを渡って坂道を下って左折。長沢さんちの増築工事は大工さんが来ていた。尾田のお婆の庭では白梅に八重のツバキがいい。

 上村さんち前から山津さんちの四つ角過ぎて次の三差路、右手前方、型枠工場では2台とも帰っていた。Dr小坂、宇野さんも帰っていない。なかの公園手前で右折。徳中翁の風車は回っており、ガレージでは提燈草が元気だ。

 グりーンセンターは終わって静かだった。土谷さんち、仕事から帰られた親父さんに「御苦労様」。玄関前で吉田のお爺の姿は見えず。

 雪吊りが外されてすっきりした庭、湯原さんちのサンシュウを見つつ、山本さんちの馬酔木や坂本さんちのカンアヤメも待っていてくれた。

 おとなり二軒の新築住宅は大工さんが帰られたのか車はなかった。みすぎ公園へ向かわず。トトロの片目は相変らず消えて居た。

 京堂さんち前からバス通りを渡って、清水さんち納屋の横の紅白の梅花を見つつコンビニの裏通り経由で帰還へ。ひょっとこ丸は帰っていない。

 瀬戸さんちの畑の水仙や本田さんちの葉ボタン、それに鱒井さんちの水仙を見つつ小屋に戻った。

 朝夕の歩きは〆て9532歩、距離は6、3km。消費カロリーは309kCal、脂肪燃焼量は22g。

   苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 めくるたび 思いわ(は)尽きぬ 朱鷺の保護
         他人わ(は)知りても 知りえずいまも
                 佐渡 高野高治(享年84)

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
           唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

   わたしはただ一介痩身の無名詩人
 樹間に湧く無量 の感に涙しぼり
 地に満つる落葉や雑草にも
 無情の声を呑み
 天かける白雲に
 うたた民族流離の歌をきく

 よしや骨肉ここに枯れ果つるとも
 八月の太陽は
 燐として 今 天上にある
 されば 膝を曲げ 頭を垂れて
 奮然 五体の祈りをこめよう
 祖国帰心
 五臓六腑の矢を放とう
     昭和二十六年八月(断食悲願の詩より)
                 泉 芳朗

 奄美群島は日本の敗戦によって米軍統治下に置かれ、1953年(昭和28年)12月25日に日本に復帰した。

 枯れ葉舞ふ百万遍の交差点 
  なにするも上手き児のゐて木の実独楽
 青葉して一島大きく膨らみぬ
訪ふ家の 標となせり花水木
 いかなごに目あり口あり尾鰭あり
 春場所や大阪駅に力士どち
 年ごとに語り部の減り原爆忌
 身ほとりに どかと居座る残暑かな
 初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
 軒下の土塊に生れ つくづくし
 落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
 袋帯 ぽんと叩きて年新た
 年の瀬や 独り第九をイヤホーン
 おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
 思う事多くなりけり 年の暮れ
 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
            詠み人知らず

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2021年弥生3月12日(ふ)

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