辺野古移設条件付きで受け入れて20年、7つの条件は反故に 沖縄・名護
2019年、亥年、師走12月29日(日)、曇り後晴れ。金沢の最低気温は2度、最高気温は11度。
朝の散歩は何時ものコースで、冷たい風あり。体育館には管理人も来ておらず1台の車も居なかったが、赤い簡易除雪車が緑の中型車と共に鎮座していた。
体育館の裏では一匹の野ラ猫も桝谷さんちの玄関に居なかった。
四つ角を渡って、右折すると八重澤さんちの白の山茶花がいい。対面の御宅の山茶花の生垣や2軒目の横山さんの生垣では、白や赤の山茶花がいい。雀のお宿の越野さんち、雀はまわりの木々におらず。
坂を登りきった角の五ノ田さんち前に菊畑があり、黄色のがきれいだ。
下って行くと角のシェパードのお宅、訓練に出かけたのか車もシェパードも目に入らず。
玄関先の庭にピインクのバラが4輪咲いていた。朝日さんちの崖には、橙色の烏瓜がいくつもぶら下がっていた。赤白の山茶花にカエデの紅葉がいい、
玄関前には葉牡丹、右手の畑では白と黄色の菊に黄色のロウバイが咲いていた中村さんち過ぎて、四つ角の手前、才田さんち、玄関前の古木のザクロの実は朽ちてしまった。
ナンテンの赤の玉がいい。斎田のおばあさんちの生垣には小さい葉牡丹が10ケ植えられているのがいい。4差路は右折。
生垣の山茶花の奇麗な浅野さんち過ぎて、紙谷さんちの玄関前のツワブキに、ナンテンの紅い実がいい。三差路の前、上村さんちの玄関前から深紅のバラが消えた槌田さんち過ぎて、
山津さんちの四つ角、白の椿が咲いて、朽ちたのが、さらに増えて5ケ落下していた。
四差路を経て次の三叉路は右折。岡本さんちを左折すると、白の椿と小粒の白バラに、山茶花が咲いていた。対面のスウェーデンハウスはほぼ出来上がった。
玄関先にバラや赤の山茶花の咲いている金子さんちの前、型枠工場では2台のレッカー車をはじめほかの車も鎮座して、若い衆も休みのようだ。
三叉路、Dr小坂、宇野さんは御休みだ。なかの公園手前の四つ角は右折。修平さんちの実家、納屋の角に椿が咲いて、玄関前では山茶花が見事に咲いて、ツツジの狂い咲きが白と薄いピインクが目立つ。
ぺンキ屋さんちの、ヤツデの白い花にナンテンの紅い実がいい。小粒の薔薇は3輪、白や黄色の小菊、狂い咲きの白のツツジが咲いていた。
徳中さんちの風車は、回っていた。土谷さんちの納屋の裏のマツバボタンは1輪咲いていた。
御隣、清水さんちのでっかい柚子の木を見つつウメモドキが咲いて、玉柚子の谷口の御婆さんち過ぎた。吉田の爺は一服で玄関さ先へ出てきて、そこへ散歩に出られた松本さんに「お早うございます」、
で、同行された。松本さん、きのふの夕方にエンジンがかかって台所の掃除をしていたら夜になってしまった、と仰る。
湯原さんちの庭、ウメモドキなどの雪つり、ミカンの木に掛けられている弧もがいい。
玄関前にはツツジに狂い咲きの花が5、6輪咲いていた。三差路の大筆さんちの白のサザンカがいい。坂本さんちの庭を過ぎて、松本さんちの前庭では、紅い実のナンテンや狂い咲きの白のツツジの5輪も愛嬌がある。
三差路の調整池の前を過ぎて、今は亡き清水の御婆さんち、玄関前に赤いチョウチン草が咲いていた。
中村さんちの玄関先のシクラメンがいい。三叉路はVターン。福田さんちの玄関先では ベコニアにシクラメンが咲いていた。
公園の入り口過ぎて清水の御婆さんの畑。ネギ、シュウメイギクの他、玉柚子が実っていた。松本さん、正月は息子と孫の夫婦が来られるそうな。
玉柚子の実っているペンキ屋さんちの畑を過ぎて四つ角は右折。京堂さん前からバス通りを経てコンビニの裏通りへ。角地の新築住宅へ大工さんが来ていた。北さんち過ぎて
ひょっとこ丸は御休みだ。雪つりのある谷内江さんち過ぎて、藤田さんちの四つ角で過ぎて、小林さんちの横、辻の爺さんちのダイコンや白菜が少なくなり、ネギが元気に育っていた。
瀬戸さんちの畑のピインクのバラ3輪と赤のシュウメイギクに小菊、水仙、本田さんちのプランターのサルビアと葉牡丹が待っていてくれた。
鱒井さんち脇の水仙も咲きだしていた。
朝の歩数は5570歩、距離は4キロ、消費カロリーは100kcal、脂肪燃焼量は7g。
朝飯の前に、緑茶、カフェを点てて飲む時が至福のひと時である。
♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
日本列島。例年のことながら、年末年始の帰省ラッシュが始まっている、新幹線や各地の空港、高速道路は早朝から混み合っている。
最大で9日間の大型連休。新幹線や空の便は前年同期を上回る好調な予約状況となっており、下りや出国の混雑は年末ぎりぎりまで続くとみられる。
新幹線の下りの自由席の乗車率は東海道・山陽新幹線では、午前6時、東京発博多行きの「のぞみ1号」で最大180%に達するなど多くの列車で100%を超えたほか、北陸新幹線も
午前8時44分発、東京発金沢行きの「はくたか555号」で最大120%に達した。
国内の空の便も混雑が続き、羽田や大阪から各地に向かう便が終日、ほぼ満席になっている。
元名護市長岸本建男君が1999年12月に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の受け入れを表明してきのふ27日で20年が経過した。
岸本は当時、15年間の使用期限など7項目の条件を提示し、満たされない場合は「容認を撤回する」と強調していた。だが、20年たった現在、岸本の条件は満たされないまま
辺野古の米軍キャンプ・シュワブでは埋め立て工事が進む。
岸本の示した条件は(1)15年の使用期限と日米地位協定改善、(2)シュワブ内ヘリポートの代替施設への移設など既存米軍施設の改善、(3)基地使用協定の締結、(4)環境への配慮―など。
移設受け入れを表明した99年12月27日の会見で岸本は「私の人生で最も困難な選択だ」と吐露した。
当時の知事稲嶺恵一も代替施設の15年の使用期限と軍民共用化を主張しており、“共同戦線”を張っていた。岸本の容認を受け、政府は99年12月28日に政府方針を閣議決定。
普天間飛行場の名護市辺野古移設を打ち出した。岸本らの条件への対応も示されたが、使用期限については「米国政府との話し合いで取り上げる」との表現にとどめ、確約はしなかった。
新基地の使用協定については2002年に名護市と県、国で「供用開始までに締結する」との基本合意書を締結している。
一方、政府は06年5月に日米合意に基づいて辺野古移設などを改めて閣議決定し、使用期限の協議などの項目を削除。1999年の閣議決定は廃止し、岸本が掲げた容認条件は無効化された。
2006年5月。政府は普天間飛行場代替施設について日米で合意した2本の滑走路をシュワブ沿岸に建設する案を基本に「早急に代替施設の建設計画を策定する」と閣議決定した。
閣議決定前の同年2月、退任を直前に控えた岸本はシュワブ沿岸への代替施設建設計画に「滑走路延長線上に民間住宅があり、住民生活への影響を考えても論外だ」と批判した。
それから1カ月余りたったこの年の3月27日、岸本は肝細胞がんで死去した。
岸本の後継として市長に就任した島袋吉和はこの年4月、当時の防衛庁長官額賀福志郎と沿岸案で合意した。島袋は容認の理由について「民間地区の上空を飛行しないことが示された」と説明した。
13年12月に知事(当時)仲井真弘多から埋め立て承認を得た政府は14年7月に陸上部の工事に着手し、17年4月には護岸工事を始めた。
18年12月に埋め立て区域の土砂投入に着手した。後任の名護市長の基地に対する立場は変遷した。
10年に就任した稲嶺進は新基地建設反対の姿勢を明確に打ち出した。18年に就任した現職の渡具知武豊は新基地建設への賛否を明言しない姿勢を取っているが、辺野古移設を
推進する政権与党が選挙戦を全面支援した。
♪やさしさと かいしょのなさが 裏と表に ついている そんな男に 惚れたのだから
私がその分 がんばりますと 背(せな)をかがめて 微笑み返す 花は越後の 花は越後の 雪椿
夢にみた 乙女の頃の 玉の輿には 遠いけど まるで苦労を 楽しむように
寝顔を誰にも 見せないあなた 雪の谷間に 紅さす母の 愛は越後の 愛は越後の 雪椿
昭和62年 雪椿 作詞:星野哲郎 作曲:遠藤 実
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
沖縄は今、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。
辺野古の新基地建設で埋め立て工事に使う土砂や軟弱地盤の改良で使用する砂を巡り、沖縄防衛局は必要な土砂は県内産出分で全て調達可能との調査結果をまとめた。
県外土砂を使用しないことで、工事の障壁となり得る県外土砂規制条例の網をかいくぐる狙いがありそうだ。
政府関係者は「県内で調達できる資材は県内で実施した方が地元業者への配慮にもなる」として、原則県内ですべての資材を集める方針を示した。
沖縄防衛局は「主要資材である石材、海砂、岩ズリの必要量は沖縄県からのみでも調達することが可能」としている。防衛局は県内の資材業者などを調査し、調達可能量を分析。
年間で使用する必要量では「石材」が54万立方m、「海砂」が127万立方m、「岩ズリ」が445万立方mとした。
岩ズリは県内で調達可能量の9割に上り、市場が逼迫(ひっぱく)すると懸念する声も聞かれる。いずれの数値も年間で最大に使用した場合の量を示すという。
防衛省は全体で必要な土砂の量は現時点で明らかにしていない。軟弱地盤の改良工事で使用する砂杭に使用する海砂350万立方mも、県内で調達可能と見込む。
2013年に防衛局が示した計画で土砂の合計は2062万立方mと設定。
調達先は県内に加え、鹿児島県の奄美大島や熊本県の天草などを計画。土砂のうち8割に当たる1600万立方mが搬入される見込みだった。
防衛省は土砂の調達先は「検討中」としているが、土砂の調達先などを変更する場合は、年度内にも県への申請が見込まれる軟弱地盤の改良工事に伴う設計変更時に土砂調達の変更も盛り込む必要がある。
「知らんぷりしていい問題ではない。どうしても基地が必要と言うなら、沖縄の痛みを他の県(本土)も引き受けないといけない。それが嫌だったら、沖縄にもつらい思いをさせてはいけない」―。
辺野古新基地に象徴される安全保障の負担が押し付けられる沖縄の不条理を巡り、きっぱりと語るのは、「国民的スター」と称される女優・吉永小百合(74)だ。
来年1月5日に、音楽家の坂本龍一と共演するチャリティーコンサートを前に、沖縄への思いを熱く語った。
1968年、映画「あゝひめゆりの塔」に出演して以来、沖縄戦の継承、米軍基地の過重な負担にあえぐ基地の島への思いを深め、自らの言葉で発信してきた。
「ひめゆりの塔」の「泣いてばかりいた」演技への反省と、本土の盾となった沖縄戦で多数の県民が犠牲になったことを学び、「沖縄には遊びには行けない」と思い込んでいた、という。
プライベートの沖縄の旅がようやく実現したのは去年の6月。
沖縄中が鎮魂に包まれる初夏、南部戦跡や米軍基地、新基地建設海域などを巡り、あらためて沖縄の現実に息をのんだ。「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形にされていくこと」に胸を痛め、
「(埋め立ては)本当に悲しい」と、沖縄の民意を無視して進む新基地工事に強い疑念を示す。
「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」、原爆詩や福島原発事故被害者の詩の朗読をライフワークとし、反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言をためらわない。
「自分にできることは表現者として声に出して伝えること」、「どう思われようと、自分の思ったことを伝えることが大事だ」。
かれんな笑顔から繰り出される眼光が鋭さを増した。
首里城の焼失に衝撃を受け、県民が切望する再建に向けて「できる限りのサポートをしたい」と支援を誓った。坂本さんも県民へメッセージを寄せ「辺野古の基地建設工事の状況に
ついて、直接お話を伺いたい」と述べた。
首里城火災に伴う那覇市の「ふるさとチョイス」を通じて受け付けている寄付金が、けふ29日、支援者4万9000人余りで、8億4700万円を超えた。
増加のペースは加速、寄付額はさらに増え続けており、支援の輪が広がっている。
クラウドファンディングは首里城焼失の翌11月1日午後2時半に始まっており、11月3日午後6時までに目標額の1億円に達した。市民の関心の高さがうかがえる。募集期間は来年3月31日まで。
【プロジェクトURL】
♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
国の税金を使った首相安倍主催の「桜を見る会」の疑念は消えるどころか、より深まった。
議論するための委員会を開かない、やりとりを深めるための資料を示さない、疑惑を向けられた政治家が国会に出てこない――。
9日に閉幕した臨時国会は、三つの「ない」に象徴される安倍政権の立法府軽視の姿勢が、際立った。
カジノを含む統合型リゾート(IR)事業への参入を巡る汚職事件で、収賄容疑で逮捕された衆院議員の秋元司(48)側が、北海道留寿都(るすつ)村でIR参入を目指していた
リゾート施設運営会社の求めに応じ、国交省の空港開設を担当する部署を紹介していたことが、判明した。
運営会社は、贈賄側の中国企業「500ドットコム」とともに空港併設型のIRを計画しており、特捜部は議員秋元側と運営会社のやりとりが記録された資料を入手している模様だ。
空港開設には国交相の許可が必要。議員秋元は当時、航空分野を担当する副国交相を務めていた。
秋元の協力を得て計画の実現を図った可能性がある。秋元は去年の2月、北海道に家族で旅行し、リゾート施設に宿泊してIR誘致の意見交換をした。特捜部はこの際の旅費約70万円相当を
ドットコム社側が負担したとして贈収賄の容疑に含めているが、旅費の一部は運営会社が負担していたことも判明した。
運営会社は米国企業をパートナーに、村内で北海道独自の山岳型IRの設置を模索。ドットコム社も、顧問の紺野昌彦(48)=贈賄容疑で逮捕=らの働きかけで、投資に加わる方向で協議を進めていた。
計画ではカジノに加え、小型ジェット機用の2000m級滑走路を備えた空港を建設し、「海外の富裕層を取り込む」としていた。
運営会社は意見交換の後、議員秋元側に空港開設について改めて相談。秋元側は国交省の担当部署を紹介したという。運営会社は以前にも空港構想を国に持ちかけていたものの
「門前払い」されたといい、秋元側を頼って事態の打開を図ったとみられる。
秋元は去年の6月、国交省職員らと観光施策に関する著書を出版。海外の富裕層の来日を促すため、ビジネスジェット専用の空港が必要だと持論を述べていた。取り組みが進めば、
地方でのリゾート整備が可能になるとも指摘し、「観光地として伸びしろがあるのは北海道だが、広すぎる。だから、プライベートジェットで来ていただいて、楽しんでもらう」などと訴えていた。
運営会社やドットコム社のIR計画と重なる部分があり、特捜部も関心を寄せているとみられる。
♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない
絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける
叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった
僕は嫌だ
不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然 支配したいなら僕を倒してから行けよ‥
歌:「欅(けやき)坂46」の「不協和音」。
自民党の前法相河井克行の妻、案里参院議員(広島選挙区)河井案里が初当選した7月の参院選で、案里が支部長の同党支部が、陣営の一員として選挙運動をした男の会社員に86万円を
支払っていたことが、分かった。男が共同通信に証言した。
公選法で報酬が認められていない運動に従事しており、支払いは同法違反(買収)に当たる可能性が高い。男は「選挙前、克行から直接、支払いの申し込みがあった。選挙中に支持固めを
したことに対する支払いだと思っていた」としている。
河井夫妻を巡っては、同じ参院選で報酬が認められた車上運動員に、上限超の金額を支払った疑いが報じられた。
れいわ新選組の代表山本太郎が次期衆院選に「100〜131人の公認候補を擁立する」と掲げ始めた。
他の野党をけん制し、消費税率5%への減税を柱にした野党共闘を促す狙いが透ける。ただ、立憲民主党などは消費税減税に消極的なため、実際に大量擁立へ踏み切る選択肢も残す。
和戦両様の構えだ。れいわは初陣となった7月の参院選で比例代表2議席を獲得。11月に衆院選候補者の公募を始め、今月17日時点で376人が集まったという。
今月に公表した「候補者擁立内訳」では、比例東京ブロックは9〜25人、南関東は15〜25人と幅を持たせる一方、近畿は17人、九州は13人を示した。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
ソマリア。アフリカ東部にあるソマリアの首都モガディシオで28日朝、爆弾を積んだトラックが検問所で爆発し、少なくとも90人が死亡した。
ロイター通信が報じた。地元救急隊によると、負傷者も50人以上に上っており、犠牲者数が増える可能性が高い。犯行声明は出ていないが、同国ではイスラム過激派シャバブによる
同様の攻撃が相次いでいる。
AP通信によると、爆発は通勤客が多い朝の時間帯に首都の納税施設周辺で起きた。犠牲者の中には、トルコ人2人や大学生も含まれているという。
米ハワイ。カウアイ島の警察は27日、同島を26日に周遊していた観光ヘリコプターが帰着予定時刻を過ぎても戻らず、27日になって同島内で残骸が発見されたと明らかにした。
墜落したとみられる。子供2人を含む乗客6人とパイロット1人の計7人が乗っており、うち6人の遺体が見つかった。
米沿岸警備隊などが、残り1人の捜索を続けている。警察などによると、ヘリは同島東部のリフエ空港を出発して、観光名所になっているナパリコーストを周遊するツアーに出ていた。
26日午後5時半(日本時間27日午後0時半)の予定時間を過ぎても戻らないため、当局が捜索を開始。
ヘリの残骸と遺体は同島北西部のコケエ州立公園の山岳部で発見されたという。7人の国籍などの詳細は明らかになっていない。在ホノルル日本総領事館は「現時点で日本人が巻き込まれたとの
情報はない」と話している。カウアイ島は、ホノルルがあるオアフ島の北西120キロに位置する。
大自然が観光客に人気で、ナパリコーストは映画「ジュラシック・パーク」の撮影でも使われた。
ナショナル ジオグラフィック日本版の『ヒトラー最後の賭け「バルジの戦い」、生存兵が語る地上の激戦』によると、すぐそばの半装軌車がドイツ軍の攻撃を受けて、逃げる米兵。
熾烈を極めたバルジの戦いで、米軍は1万9000人の死者を出した。
1944年12月、ドイツ軍は追い詰められていた。同年6月のノルマンディー上陸以降、連合軍はヨーロッパで快進撃を続け、ドイツ国境まであと一歩というところへ迫っていたが、
その頃はもう何週間もヒトラーの軍と本格的な戦闘を交えていなかった。
ベルギーのアルデンヌの森で、仲間とともにいた米軍歩兵のクリス・カラワンは、道に迷ったと思われる2人のドイツ兵を捕らえた。そのうちのひとりは、ほぼ完璧な英語を話した。
「今すぐここを撤退した方が身のためだぞ」、そのドイツ人はカラワンに警告した。「お前らを海へ追い落とそうと準備中なんだ」。
カラワンらはこの警告を上官に伝えたが、取り合ってもらえなかったという。負け犬が大きな口を叩いているだけだと、鼻で笑われた。国境の向こうの森で機械音が鳴り響いていたが、
それは第三帝国(ナチス・ドイツ)が退却する音であり、ヒトラーはもう終わったと考えていたのだ。
そして迎えた12月16日の朝のこと。「まず、強烈な迫撃砲弾の雨が降ってきました」、カラワンはそう振り返る。木々の向こうに隠されていた1900台の迫撃砲による猛攻撃が、90分間続いたという。
「第2次世界大戦のなかでも、最も激しい集中砲火だったと思います」と語るのは、75年前に起こったバルジの戦いを記録した『最も長い冬』の著者アレックス・カーショウだ。
今年94歳になったカラワンは、米サウスカロライナ州コロンビアにある自宅のソファーに座り、反対側に座る74歳の妻アルマさんへ向かって小さく微笑んだ。
しかし、その時カラワンの目に映っていたのは、20歳のあの日に目にした光景だったのだろう。近代戦上、最大規模の激戦を前にして、若い兵士は恐怖に打ち震えていただろう。
「その次は、機関銃掃射の嵐です。ヒトラーの全軍が一斉に森から飛び出してきたように感じました」。
「機関銃掃射の嵐」というカラワンの表現は、あながち間違いではない。森の向こうには、実際に40万人以上のドイツ兵と1400台の戦車が潜んでいたからだ。ソビエト戦線が敗色濃厚となった当時、
ヒトラーはアルデンヌで奇襲攻撃を仕掛けて連合軍を分断し、アントワープの港までの道を確保しようとする賭けに出たのだ。
港まで到達すれば、崖っぷちにあったドイツ軍にとって一番必要な物資が手に入る。事実、戦車の燃料が底を尽きかけていた。作戦がうまく行って連合軍を包囲できれば、ドイツに
有利な平和条約が引き出せると考えていたのだ。
油断していた連合軍は、このとき戦闘準備がまるで整っていなかった。「このときの西部戦線は、イギリス海峡からイタリアまで伸びる長いものでした。連合国側も人員から装備まで
何もかも不足していたのです」と、カーショウは言う。
前線の中央に配備されていた第106歩兵師団の2連隊は、あっという間に壊滅し、生き残った兵士は捕虜として捕らえられた。このとき捕虜となった兵士のなかには、若き日の作家カート・
ヴォネガットもいる。当時の過酷な体験から生まれたのが、有名な『スローターハウス5』という小説だ。
1944年のヨーロッパは記録的な寒さに見舞われていた。戦闘は1カ月以上続き、悲しいほど物資が不足していて、連合国の兵士たちは冬用のコートも靴も与えられていなかった。
夜ブーツを脱いでしまうと、翌朝には凍傷で足がむくんで膨れてブーツに入らなくなってしまうため、ブーツを履いて眠るのが日常だった。
75年が経過した今も、バルジの戦いを経験した兵士の多くが凍傷の後遺症を患っている。
米ペンシルベニア州の炭田からそのまま戦争へ駆り出されたフランシス・チェスコは、ノルマンディー上陸作戦の決行から24時間後にフランスへ到着した。そこからヨーロッパ北部へ
移動し、気づいたときには、自分の部隊と一緒にアルデンヌ行きの列車に乗せられていた。
「休暇に連れて行ってくれるのかと思っていましたが、とんでもない勘違いでしたよ。列車を降りた途端、地獄が空から降ってきたのかと思いました。恐ろしい轟音で、頭のすぐ上で
雷が鳴り響いているようでした」、ドイツ軍の圧倒的な軍事力、そして悪魔のようなずる賢さに舌を巻いたという。
「ドイツ軍は、連合軍の軍服を着たパラシュート部隊を投入しました。道路の標識を逆にするなどして、彼らが仕掛けた罠に我々を誘導しました。また十字路に立って、反対方向を
指すこともあったのです。こうした工作には英語を完璧に話す敵軍兵士が参加していました。でも、さすがの彼らも、連合軍が使う合言葉は知りませんでした。
『小さな』と呼び掛けて、相手が『孤児アニー』と答えられなければ、軍服が同じで上手に英語を話しても敵だと分かりました」。
バーノン・ブラントリー(95)は、運転していたジープがドイツ軍の迫撃砲弾を受けたときのことを思い出していた。「同乗していた3人は車を飛び降りましたが、私はひっくり返った
ジープの下敷きになってしまいました。その時のことは全く記憶していないのですが、あとで聞いた話だと、口や耳、鼻など穴という穴から出血していたそうです」。
ブラントリーは戦場病院に緊急搬送され、その後パリの病院に送られたが、数カ月後には元の部隊に戻っていた。
ブラントリーの旧友で、ともにバルジの戦いを戦ったジェラルド・ホワイト(93)は、18歳で戦場へ送られた。当時「まだひげも生えていませんでした」と話す。
「ジープを運転して、砲弾を積んだトレーラーを牽引していました。そこを攻撃されたら、ひとたまりもなかったでしょう。この任務に就くのは私が3人目だと言われましたが、
前任者の2人がどうなったかは聞かされませんでした」。
ジョー・ワトソンも、アルデンヌの田園地帯でジープを運転し、迫撃砲を運んでいた。運転する兵士は、敵の格好のターゲットだったという。
「迫撃砲を引いて道路を走っていると、すぐ後ろで敵の砲弾が次々に炸裂するんです。ドーン、ドーン、ドーン、というように、本当に映画の一場面のようでした」。
「若い兵士が最高の兵士だと言われる理由はシンプルです。彼らは、自分が死ぬとはつゆほども思っていません。ですから、とんでもないことをやれと命令されても、『実行します』と
答えて出ていくのです」。テレビが置かれた部屋で快適なソファーに収まったクリス・カラワンは、消え入りそうな声で言った。
「仲間といるときは、感情的になりすぎるな、と言われます。でも、無理ですよ」。ある日、カラワンが親友のドイル・グリフィスと上官のハリー・ストーンと一緒に見通しのいい
野原を歩いていると、突然ドイツ軍の戦車が火を噴いた。
「ドイルはもう少しで真っ二つに引き裂かれるところでした」と、振り返る。「倒れたドイルは、しきりに母親を呼んでいました。そこで私は『じっとしていろ』と命じて救急隊を呼びました。
その後の経緯はわかりませんが、ドイルは助かりました。でも、上官は亡くなりました。上官はきっと、自分が何に撃たれたかも分かっていなかったと思います」。
「なぜ私だけが戦車の攻撃をかいくぐることができたのか分かりません。でも、これだけは言えます。今朝、起きると、ハリー・ストーンのことを思い出しました。私は、こうして
94歳まで生きることができました。バルジ戦で亡くなった多くが20代になったかならなかったかという若者でした。私は、彼らの分も人生を生きたのだと思うことがあります」。
翌45年1月1日までに戦いの流れは変わったが、戦闘は1月24日まで続いた。
この戦いで、米軍には1万9000人の死者が出ている。ドイツ軍は、連合軍の戦線を一部突破したものの、それ以上前進することはなかった。ナチスの勢いは、連合軍の反撃で失速し、
アントワープで手に入れたかった物資を得ることもできず、最後の力を使い果たした。
バルジの戦いは、追い詰められて土壇場で巻き返しを狙ったヒトラーの最大の抵抗だったと、著者のカーショウは語る。
「戦争とは、次に何が起こるのか予想ができないものです。でも、ナチスの作戦はリスクの高い賭けでした。賭けが成功するためには運が味方する必要もありましたが、結局ナチスの
命運は尽きたのです」と。
香港。AFP時事によると、香港で、きのふ中国本土に近い上水のショッピングモールで、本土からの買い物客や観光客に対する抗議デモを行っていた民主派の人々と警官隊が衝突し、
少なくとも15人が身柄を拘束された。
現場にいたAFPによると午後、ショッピングモール内で数十人のデモ隊が店舗の営業や買い物客らの邪魔をしたりしていたところ、警棒を手にした黒いマスク姿の私服警官らが現れ、
デモ参加者らと衝突。そこに警官隊も投入され、警官隊は唐辛子スプレーを用いてデモ参加者や助けようとした住民らを排除した。
私服警官らはデモ参加者14人の身柄を拘束したが、拘束者には14歳の少女が含まれていた。さらに、ショッピングモール内で起きた別の衝突で、男1人が頭が血まみれの状態で警官隊に拘束された。
警官らが去った後、一部のデモ参加者は香港鉄路(MTR)の駅へつながる歩道橋にとどまって、本土からの買い物客とみられる通行人たちにののしる言葉を浴びせるなどした。
上水では近年、租税回避を目当てに中国本土から買い物客や転売業者らが殺到。
地元の店舗が次々と本土の客向け仕様に転換していき、地元住民らは怒りを募らせていた。このほか、九龍湾地区のショッピングモールでも昨夜、デモ隊と警官らとの衝突があり、
複数のデモ参加者が身柄を拘束された。
香港では、民主派の圧勝となった先月の区議会議員選以降の1か月ほど、暴力沙汰や抗議デモはほぼ発生していなかった。しかし、中国政府や香港政府トップらが民主派への譲歩を
拒否したことから、クリスマスをはさんだ3日間にわたり香港各地のショッピングモールや商業地区でデモ隊と警官隊との衝突が再発。
平穏な日々は一時的なもので終わった。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
北の大地。日本製鉄室蘭製鉄所が来年19年ぶりに実施する高炉改修で、8月から3カ月余りの改修期間中、最大1500人規模の増員を予定していることが、分かった。
飲食や宿泊など室蘭の経済にも好影響を与えそうだ。
日鉄室蘭の現在の高炉は、2001年11月に稼働した道内で現存する唯一の高炉。改修には総額350億円を投じて、最新鋭の人工知能(AI)がデータを解析して生産の効率化を図る同社で初の高炉となる。
斜里町は、一般廃棄物処理施設「エコクリーンセンターみらいあーる」(富士)に、地中熱を使ったロードヒーティングを導入するため、年明けから調査を始める。
地下水により地中熱を回収する方法で、灯油ボイラーで温める従来の方式より維持費を7割近く削減できる可能性がある。
有効性が実証されれば、来冬にも地中熱式に転換する方針だ。地中熱式の導入が検討されるのは、処理施設の1階と2階を結び、住民もごみを捨てるために車で通るアスファルトの
スロープ400平方mのロードヒーティング。灯油ボイラーで温めており、年150万円の維持費がかかるという。
地中熱は年間を通じ一定の温度を保つことから、再生可能エネルギーの一つとして注目を集め、道内でも公共施設や住宅などの冷暖房に使われている。
青森。年明け5日の東京・豊洲市場の初競りを前に、大間マグロで名高い大間町の大間漁協では、今冬もはえ縄漁船などが大物を狙い、しのぎを削っている。
きのふは7本のクロマグロが揚がった。築地から豊洲への移転後初で平成最後となった今年の初競りは、重さ278キロの大間マグロが3億3300万円の史上最高値を付けたとあって、
関係者らは「令和初の来年も」と期待を寄せている。
風や波が穏やかで絶好の漁日和となった大間町ではこの日午前10時過ぎ、大間漁協所属はえ縄漁船「第68幸福丸」の238キロが大間港に水揚げされた。これを皮切りに、同漁協所属
はえ縄漁船「あかし丸」の173キロ、同漁協所属はえ縄漁船「第37大輝丸」の250キロが揚がり、漁協職員や海産物卸業者らが作業に追われた。
午後には一本釣り漁船もマグロ4本を揚げた。
組合長の坂三男さんは「(今年の漁が終わる30日までの)3日間はなぎのようだから、まだまだ大物が揚がってくるだろう」と期待を込めた。
年明けの漁は3夜に再開する見通し。初競りには4日朝までに揚がったマグロが出荷される予定。
岩手。台風19号で甚大な被害を受けた第三セクターの三陸鉄道(宮古市)は、きのふ不通となっていたリアス線田老(宮古市)〜田野畑(田野畑村)間(22.9キロ)で運行を再開した。
これにより津軽石(宮古市)〜田野畑間(44.8キロ)がつながった。
田野畑駅には住民30人が駆け付け、大漁旗と小旗を振って列車を歓迎した。羅賀婦人会長の熊谷裕美子さん(61)は「三鉄は通学や通院になくてはならない存在。年内に田野畑まで
運行区間が延びて良かった」と喜んだ。
社長中村一郎は「旗を振って歓迎してもらい、地域の皆さんの期待に応えていかなければならないと改めて思った」と話した。
リアス線は計77カ所で土砂流入や路盤流失の被害があり、全区間のうち7割が不通となった。
来年1月16日には陸中山田(山田町)〜津軽石間(17.3キロ)で運行を再開し、全線運行再開は3月20日の見通し。
山形。きのふの午後1時半前、高畠町亀岡の近野敏美さん(83)の住宅から出火して、3時間後に消し止められたが、木造平屋建ての住宅と隣接する小屋2棟の計3棟が全焼した。
近野さんは妻と2人暮らしで、出火当時は家にいたが、逃げて無事だった。警察と消防は今朝から、実況見分して出火原因を調べている。
福島。会津若松市では、干支を描いたろうそく作りが最盛期を迎えている。
250年の歴史を持つ会津若松市の老舗絵ろうそく店「山形屋本店」では、2020年の干支を描いたろうそく作りが進んでいる。干支ろうそくは、会津の伝統工芸品=絵ろうそくを
多くの人に知ってもらおうと20年ほど前から作っていて、一つ一つが職人の手描きだ。2020年東京オリンピックが開催されることに因み、干支の子(ねずみ)がトーチを持つデザインだ。
「平和と繁栄を運んできてほしいと願いを込めて、1個1個描いております」(山形屋本店 薄敬治さん)。
干支ろうそくは、市内のお土産店などでも販売されている。
長野。長野市中越のアパートで生活を送る畑山潤一郎さん(78)は、行政が民間の賃貸住宅を借り上げるいわゆる「みなし仮設」で生活している。
「まだ落ち着かないのは事実。ここでの生活は1ヵ月だから」(畑山潤一郎さん)。
浅川の内水氾濫も重なり、深刻な浸水被害が出た豊野町。「水が増えてガラス窓の3分の2くらいまで」(畑山潤一郎さん)。
畑山さんの自宅は高さ4mほどまで水に浸かりました。65年前に父親が建て、15年前から1人で守ってきた家でしたが、取り壊すことを決めた。
「ここからスタートしていますからね。私の人生。ましてや建物もなくなる。住んでいた形跡がなくなる。またさみしくなる」(畑山潤一郎さん)。
被災後、畑山さんは、区が開設した自主避難所に身を寄せていた。指定避難所と違い、食事や寝具はそれぞれが用意しなければならず当初は、苦労の連続でした。ただ、ほとんどが
顔見知りということもあり互いに支えあい、1ヵ月半に及んだ避難所生活を乗り切った。
お別れ会で、「同じ釜の飯を食べて家族みたいに過ごし、励まし優しい言葉、ありがとうございました」(畑山潤一郎さん)。
そして、畑山さんは自宅から7キロほど離れた長野市中越のアパートで再スタートを切った。
25日、畑山さんの姿は豊野町にあった。近所の大日方欣二さんを訪ねるためで、大日方さんも自主避難所で避難生活を送った1人。畑山さんの一番の相談相手だった。
「困った時はなんでも大日方さんと頭に浮かぶから」(畑山潤一郎さん)。
大日方さんも豊野町を離れたが、この日は片付けを行うため自宅を訪れていて、畑山さんが会いにきた。以前に比べ会う機会は減ったが、互いに今も心の支えになっている。
「顔を見れば安心する。普通の話しが出来るもんね。また来てね」(大日方欣二さん)、「ありがとうございます」(畑山潤一郎さん)。
畑山さんが住んでいた地区は、仮設住宅などに移った人が多く災害前のおよそ3割しか残っていません。
「(住民が)表に見えない。どうしてるんかなと。なんと言えないさみしさ」(畑山潤一郎さん)。
自宅を離れ初めて迎える年の瀬。畑山さんは、さみしさを感じながらも「来年こそいい年にしなければ」と自らに誓っている。
「みんなに親切にしてもらって、良かった、ありがたかったという気持ちを持って、来年は、いい年に自分からしないといけない。いいことを見つけて楽しみますよ」(畑山潤一郎さん)。
埼玉。今年3月まで86年間にわたり利用されてきた旧越生駅舎が来月取り壊されるのを前に、駅舎に感謝の思いを寄せる式典が26日、旧駅舎内で開かれた。
越生の玄関口として乗降客を見守り続けてくれた木造駅舎に「長い間、お疲れさま」と感謝の言葉が贈られた。
旧駅舎は来年度、町の交流拠点として生まれ変わる。
JR八高線と東武越生線が乗り入れる越生駅の駅舎は1933年(昭和8年)の八高線開通に伴い建設された。当時の越生町は近隣の商業中心地として栄え、駅舎も最寄りの毛呂駅や
高麗川駅と比べ規模が大きかったという。赤く塗装された切妻屋根が特徴的な木造平屋の駅舎は増改築を繰り返し利用されてきた。
3月16日の駅東口開設に併せ、八高線越生駅が無人化。駅舎を所有していたJR東日本から町に無償譲渡され、土地は約2600万円で町が購入した。町民らでつくる検討委員会は
昨年度末、駅舎は老朽化が進み、現状のまま利用することは困難と判断、「観光案内と待ち合い機能を併せ持つおもてなし施設」に整備する方針を決めた。
一方で「文化財的な価値がある」と駅舎の保存活用を求める町民の署名運動も見られた。
旧駅舎は来月から解体工事が行われ、来年4月から建設工事が始まる。完成は10月の予定。新施設は木造平屋約165平方mで県産材の西川材や越生の建具を用いる。
事業費5千万円で、このうち半分は補助金で賄う。
観光・ハイキング客らが気軽に立ち寄れる交流待合室、移住相談・乗り換え案内スペース、ギャラリー兼会議室で構成する。事務室には町観光協会事務局が移転する。
式典で町長新井雄啓は「保存を求める声もあったが、東口とのバランスもあり、町の新たな中心施設として建て替えることに決まった。
駅を降りた瞬間、越生は素晴らしいと感じてもらえると思う」とあいさつ。近所の町立越生保育園の園児30人が「♪線路は続くよどこまでも」を合唱し、「越生駅舎お疲れさま、
長い間ありがとう」と声をそろえて感謝の気持ちを伝えた。
東京。国内外で39の音楽コンクールに出場し、全て1位――。
渋谷区の慶応義塾幼稚舎2年、吉村妃鞠(ひまり)さん(8)の夢は「世界中の人に音楽を届けること」だ。超絶技巧で知られるパガニーニの難曲を弾きこなす技術と、堂々とした
立ち振る舞いで、国内外の音楽ファンを魅了している。
父は作曲家、母はバイオリニストという環境で、2歳半の頃にバイオリンを始めた。「お母さんが子どもの頃に使っていたバイオリンで遊んでいました」。
周りが驚くほどバイオリンに夢中になり、国内外で著名な指導者にも師事をあおぐなどして腕を磨いた。
4歳でコンクールに出場し、6歳でオーケストラと共演。これまでオーストリアやウクライナなど様々な国で演奏している。本人は「演奏前は緊張するけど、演奏している時は
集中しています」とはにかむ。
愛知。歩いていた男児2人を車ではねてけがを負わせたとして、県警守山署は、瀬戸市北浦町の女(78)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで逮捕した。
女はきのふの午後4時過ぎ、尾張旭市新居で乗用車を運転中、対向車線を越えて歩道に乗り上げ、ともに同市内に住む9歳の小学3年男児の1人に左脚骨折の重傷、もう1人に擦り傷を負わせた疑い。
女は「事故直前の記憶がなく、気づいたら電柱にぶつかっていた」と話しているという。
男児2人は近くの公園でサッカーの練習を終え、保護者らと駐車場へ向かう途中だった。
大阪。オレオレ詐欺で高齢の夫婦が約1000万円をだまし取られた。
警察が説得したにもかかわらず、被害は防げなかった。今月26日、大阪府に住む80代の夫婦の自宅に、息子をかたる詐欺グループから「会社の人の保証人になった。1300万円が
必要」などという電話があった。
電話を信じた夫婦は、銀行で定期預金1000万円を解約したが、不審に思った銀行員が警察に通報した。すぐに警察が駆けつけて50分間に渡って夫婦を説得したが、夫婦が「預け替えをしたい」などと
頑なに説明したため、捜査を打ち切った。その後、夫婦は帰宅し、自宅の前で詐欺グループのメンバーに現金1040万円を手渡してだまし取られたという。
事件を受けて、警察は「被害を防げず残念。親族に確認したり自宅を訪問したりして被害防止を徹底したい」と話している。
岡山。県警水島署は、一昨日傷害の疑いで岡山市中区の会社員の男(20)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑はこの日午後3時半過ぎ、倉敷市福田町浦田の県道を乗用車で走行中、倉敷市の男の工員(41)の乗用車に追突し、停車後、車外に出てきた男の顔を殴ったり蹴ったりして
けがを負わせた疑い。容疑を認めている。
島根。一昨日27日午後4時半頃、松江市宍道町のJR山陰線の踏切で、近くの自営業、土江博美さん(59)ら4人が、踏切内で脱輪していた軽乗用車を見つけ、運転していた
高齢の女性を避難させるとともに、車を踏切外に出して事故を防いだ。
土江さんによると、市立宍道中学校前の踏切の近くを通りかかった際、車を発見。車外に立っている女性に声をかけると「助けてください」と言われたという。
まず非常ボタンを押した土江さんは、列車が来ていなかったため、通りかかった男と近くにいた女子中学生2人と協力して車を持ち上げた後、女性を踏切外に避難させ、車を運転して
踏切の外に移動させた。「何も考える暇もなく、助けたい一心で体が動いた。事故が起きなくて本当に良かった」と話した。
JR西日本米子支社の担当者は「列車が見えない状態でも、まず非常ボタンを押した行動はファインプレー。もし列車が近づいていた時は、非常ボタンを押した後、速やかに線路外に
避難してほしい」と話していた。
福岡。沖縄の米軍基地問題を通し平和憲法の意義を考えるシンポジウムが、このほど福岡市中央区の県弁護士会館であった。
地元紙・琉球新報で基地問題を取材してきた編集局長松元剛と、米国でのロビー活動を通じ沖縄の現状改善に取り組む東京のシンクタンク「新外交イニシアティブ」代表の猿田佐世
弁護士が登壇。米軍優位の日米地位協定で沖縄県民に過剰な負担がかかっていることを130人に訴えた。
福岡県弁護士会が企画し、北九州弁護士会館(北九州市小倉北区)でもテレビ中継した。松元は基地が住宅に近いにもかかわらず米軍機が未明に飛行して一般生活を脅かしたり、
事故時に報道陣を閉め出して正確な情報を伝えるのを妨害したりしてきたことを紹介。「(日本と同じ敗戦国の)イタリアに駐留する米軍は昼寝の時間すら配慮するが、沖縄では
生活より訓練を重視している。命が軽んじられている」と語った。
猿田は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について本土メディアの世論調査でも反対が多数を占めている現状に触れた。世界的な米軍の展開の中では辺野古移設が
なくとも日本の安全保障に問題がないことを解説し「反対の声に向き合っていない政府は全力を尽くしているとはいえない。軍事力に頼る政治でなく外交力をつけなければいけない」と訴えた。
徳島。沖縄特産の焼酎「泡盛」を飲みながら語り合う「第20回阿波を盛り上げる泡盛の会」が、このほど、徳島市の阿波観光ホテルであり、県内外の企業関係者ら180人が出席した。
会長の田村耕一さん(68)は冒頭のあいさつで、首里城(那覇市)の火災について「沖縄の人の喪失感を思うと心が痛む」と話し、再建に向けた寄付を呼び掛けた。
会からの見舞金を沖縄県人会・徳島の会長金城清秀さん(45)に渡すと、金城さんは「沖縄県にきちんと届けたい」とお礼を述べた。
参加者は沖縄県酒造組合が用意した泡盛を飲みながら歓談。組合から「泡盛の女王」に任命されている那覇市の会社員の砂邊(すなべ)由美さん(24)が会場を盛り上げ、徳島文理大生がエイサーを披露した。/a>
熊本。上天草市龍ヶ岳町の入り江「瀬子浦」で、市が近くの港などでしゅんせつした土砂を投入し、6年以上放置されているとして、地元住民らで作る「瀬子浦の自然を守る会」のメンバーが
25日、市長堀江隆臣に対応を求めた。
市によると、2012、13年に、近くの大道漁港などでしゅんせつした土砂1万3000立方mについて、現地でアサリの養殖を計画していた地元の大道漁協の要請もあり、
瀬子浦の1ヘクタールに投入した。しかし、土砂には岩が多く含まれていたほか、海面上に出た場所もあるなど問題が見つかり、計画が進んでいなかった。
昨年3月、漁協から整備要請があり、土砂を平らにする工事を行うため、市は今年度当初予算で870万円を計上している。
現地は雲仙天草国立公園に含まれるため、市長堀江は「真摯に対応したい。環境省と協議し、どのような対応を取るか地元にも報告する」と述べた。
漁協の組合町尾上徳広さんは「長年、放置したことは反省する。市による整備が終われば、アサリ養殖を目指したい」と話した。
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
富山。魚津港に一昨日、ブリ130本が揚がり、水産物荷さばき施設「魚津おさかなランド」(魚津市)に並んだ。
魚津では過去10年、ほとんど取れなくなったが、今月14日には1135本が水揚げされた。同市の漁業関係者は「氷見をはじめ県西部に比べれば微々たる数字」としながらも、
「魚津にブリが帰ってきたのならうれしい」と話している。
県水産研究所(滑川市高塚)によると、2009〜18年の魚津でのブリの水揚げ量は年平均5・6トンにとどまっている。1990〜99年の年平均は94トンで、中には300トンを超えた年もあった。
今年は、10月から今月20日までに19・4トンが揚がっている。過去5年を見ると、水揚げが100本を超えた日はわずか1日だったが、今年は既に4日となった。
魚津漁協の専務理事浜住博之は「久々にたくさんのブリが並んだ。魚津に戻ってきてくれたのならうれしい」と話した。
氷見漁港では今シーズン、1日に1千本を超えるブリの水揚げはまだない。一昨日は796本が揚がった。
福井。今朝1時ごろ、越前市平和町で出火、住宅など複数棟を焼き3時間後に消しとめられた。
越前署は10棟に被害が出たと発表したが、けが人はなかった。
現場は武生中央公園の東側150mの住宅密集地。全焼が住宅兼工場、住宅、小屋の計3棟。半焼は住宅、車庫の計2棟。部分焼は5棟。
付近は停電し一時騒然とした。住民らは「けが人がなくてほっとした」と話す一方で「年の暮れにこんな火事が起きるなんて」と怖そうに消火活動を見守っていた。
金沢。旬の海の幸を特別価格で提供する「大歳の市」が、きのふから金沢港いきいき魚市で始まり、正月用の食材を買い求める人でにぎわった。
年末恒例の「大歳の市」。会場には地元産のズワイガニ、加能ガニや甘エビといった冬の味覚から、正月用の数の子や昆布締めなどが通常より2〜3割安い特別価格で並んだ。
市場によると、きのふはシケのため船が漁に出られなかったというが、けふ29日、明日30日は県産のブリの品ぞろえに期待できるという。
大歳の市は、31日の大晦日まで開かれ新年は1月6日から初売りが始まる。
加賀。きのふの朝9時半過ぎ、白山市相川町を流れる野本川で「川に人が浮いている」と通りがかった男から110番通報があった。
駆け付けた警察と消防が救助したが、すでに死亡していた。遺体は女性で身長165センチ、白色のセーターに紺色のジーンズ、靴は履いていなかった。
年齢は50代から60代とみられているが、身元の特定には至っていないん。死後1日以内と推定されている。
遺体に目立った外傷はなく、警察は女性の身元を確認するとともに事件と事故の両面で捜査している。
「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」「常行一直心(じょうぎょういちじきしん)」、鈴木大拙。
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
師走も29日。晦日や大晦日を過ぎれば新年だ、日に日に寒くなってきた。
午後の散歩は何時ものコース。冷たいか風が頬をなぜた。体育館の駐車場には1台の車もいない。どうも役所と同様、年明け6日から営業開始か、入り口にロープが張られていた。
体育館の裏、野良猫は桝谷さんちの玄関先の花梨畑との境界に2匹がいた。
バス通りを渡り下った中ほど、和田さんち前庭には、葉牡丹やキクがきれいだ。四つ角は左折。尾田さんち庭の八重の椿に雪つりを横に見つつ、行くと用事から帰られた長沢さんの車とすれ違い目礼す。
槌田さんち前では簡易除雪車が鎮座していた。雪つりのある山津さんちの四つ角過ぎた。
Dr小坂の三叉路へ。右手を見ると型枠工場ではアーム付きのトラック1台が構内で荷積みしていた。Dr小坂は休日出勤の様子、宇野さんは枯れ枝の整理中で「コンニチワ」。
なかの公園では低学年の子らがブランコ遊び中だった。公園手前の四差は右折。
徳中さんちの風車は勢いよく回っていて、前方のリサイクル工場も休みのようだ。湯原さんちの庭、モチの木などの雪つりや孤はいい。坂本さんち、庭で冬支度中で「ご苦労様」。
ピンクの紅葉、チシャノキは枯れていた。狂い咲きのツツジのある松本さんち過ぎて、みすぎ公園へ。
清水の御婆さんち前過ぎて、次の次の三差路は逆Vターン。辻の爺さんの軽トラはいなかった。角さんは庭の掃除中で「ご苦労様」。山手ハイツの裏から、ペンキ屋さんちの畑の前を経て、
京堂さんち前からバス通りへ出た。爺さんはタイヤ交換を終えたところで「ご苦労様」。
新築住宅では大工さんが仕事をしていた。隣の新築住宅では、ミニユンボが入って駐車場の用意中で「ご苦労様」。北さんちの四つ角過ぎて、 ひょっとこ丸のオーナーはいたけど
大型ダンプは見えず。
谷内江さんや藤田さんちの四つ角過ぎて修平さんちの息子はサッカーの練習中で「コンニチワ」。奥村さんち、何時ものように娘さんの車が停まっていた。
瀬戸さんちの畑のバラ3輪と水仙や小菊、本田さんちのサルビアに葉ボタンが待っていた。
朝夕の散歩は〆て、1万424歩、距離は7、4キロ、消費カロリーは189kcal、脂肪燃焼量は13グラム。
国会の床きしむほど桜舞う よどむ大気にしず心無し
舩後靖彦
困難に打ち勝つ精神力(Spirit)、相手を思いやる心(Sympathy)、自分を律する心(Self―control)」(金沢桜丘高の「3S歩行」
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
熱燗や肩のふれ合う立呑屋
十能に炭つぎくれし下宿かな
箒目の調ふ寺苑小六月
をんな坂銀杏黄葉の累々と
灘五郷この水ありてこそ新酒
地芝居や昨日弁慶けふ馬脚
大戦を仕掛けし国の敗戦忌
ことのほか浪速の夜の秋暑し
縄跳びす白シャツの児の二人して
花篝 勇の歌碑を照らし居て(吉井 勇の歌碑は京都祇園白川にあり)
落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
袋帯 ぽんと叩きて年新た
年の瀬や 独り第九をイヤホーン
おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
思う事多くなりけり 年の暮れ
桜蘂降るを踏みしめ女坂
のどけしや ゆったり動く象の耳
春光に映ゆるステンドグラスかな
耕人の影うごき初む朝まだき
紅椿 一輪部屋を明るうす
突堤に巨船の泊つる晩夏かな
学びたし夏の球児の一途さを
盂蘭盆や 人見て法を説けと母
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
詠み人知らず
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2019年12月29日(ふ)
・∴・--------------------------------------------------
【戻る】
■お気づきのことなどは?。
日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】
【気象情報】
回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊