昭和天皇、戦争への「反省」表明望む 首相吉田茂が反対

 2019年、亥年、 葉月8月19日(月)、曇りのち晴れ。金沢の最低気温25度、最高気温は31度。

 今朝の散歩は生ごみ捨てのコース。台風が去り、朝は涼しい。越田さんち前で、アパートの住人の親父さんに「お早うございます」。河田さんの庭では、ユリがいい。

 畑ではナンバの赤が目にはいる。道下さんちの前過ぎて、荒木、西野さんちの松葉ボタンは萎んでいたが西野さんちのユリがいい。

 ステーションの前の親父さんに「お早うございます」。バス停に近い突き当りの深紅やピインク、白のバラがきれいな島さんち過ぎて、藤田さんち前の4差路は左折してコンビニの方向へ向かった。

 北さんちの畑、ヒマワリがうつむいていた。ひょっとこ丸はまだだ。

 右手、戸室から朝陽が登ってきたので眩しい。コンビニの裏通りからバス通りは横切って、京堂さんち前の調整池は左折。ぺンキ屋さんちの畑では、無花果と薄紫の百日紅が目に入る。

 三叉路は右折。清水の婆さんちの畑、今は田上に居る甥の爺さんの他に軽4で来ている御婆さんが一人いる。

 ゴミ捨てを終えた御婆さんに「ようございます」。公園入り口のゴミステーション前過ぎてムクゲの御宅の、朝香さんちは、3分の2の花が散っていた。ここを経て 、三差路は右折した。

 角の細川さんちの生垣の下にはヒルガオ、二軒目の宮本さんちの、ギボシがいい。

 清水の婆さんち前過ぎて、三差路では亡くなった吉井爺さんちのマツバボタン、更に松本さんちのパーラや色づいたホウズキを見つつ、行くと、坂本さんちの庭、イシヅチバラ(十六夜バラ)が朽ちてギボシ゛待っていてくれた。

 三叉路は左折。工場へ向かう徳田さんに「お早うございます」。弟さん夫妻が長靴を履いておられたので「おようございます、田圃ですか」、「稗取りです」なんて。

 湯原さんちの庭では、赤の鹿の子や白のユリ、ハマナス、バラ、ブラックベリーの実などがいい。

 神社前の清水さんち、裏の畑にはでっかいアメリカ芙蓉は2輪咲いて、玄関先には10輪余りの朝鮮アサガオが咲いていた。土谷さんちの松葉ボタンは萎んでおり、辰次さんちの納屋の横の

 アサガオは15輪余り咲いていた。

 徳中さんちの風車は回っておらず、庭のノーゼンカズラは1輪のみ残っており深紅のグラオラスがいい。

 ペンキ屋さんち、無花果の実が大きくなって、ピンクのバラやヒオウギの朱色が生き帰った。修平さんの実家、ムクゲが消えていた。四つ角のなかの公園。

 ラジオ体操の子どもたちが集まっていた。宇野さんの兄貴さんち庭のアルストロメリアは元気だ。宇野さん、Dr小坂はまだ出られていない。

 三叉路は左折したが、型枠工場では2台のレッカー車は鎮座していて、従業員は来ており間もなく出発で「お早うございます」。

 バラの咲いている金子さんちの対面の姉妹もラジオ体操で「お早う、行ってらっしゃい」。

 湯原さんちの畑前の基礎が完成した新築現場では、材木が積み上げられて近く棟揚げがされそうだ。

 岡本さんち、ザクロ、キスゲにオニユリ、薔薇の花も咲いてきれいだ。柿の畑には大型のユンボが入っていた。地面を掘り返して埋め立て工事なのかな。

 大柳さんちの三叉路は、左折。四つ角で、山津さんちの大きくなった花梨が目立つ。

 櫛田さんちの玄関脇のアサガオ5輪が咲きだしていた。バラやパーラの咲いている上村さんちの三叉路は左折。このあたりは一回りしたが、中宮さんち薄い空色のアサガオが2輪咲いていた。

 尾山さんちの前、白のユリが朽ちた紙谷さんち、アサガオが1輪咲いていた。

 浅野さんちのジャスミンの香りをかぎつつ角を過ぎると、涌波の親父さんが来ていた。舘山町へ向かう。才田さんちの庭、樹齢100年と言うザクロの実も大きくなって、葭簀に空色のアサガオが2輪咲いていた。

 中村さんちの、琉球アサガオが6輪咲いていた。畑に居た御婆さんに「お早うございます」。

 朝日さんちの畑では百日草やヒマワリ、赤のグラジオラスや江戸菊、ダリア等々がいい。2匹のトイプードル連れた若夫妻に「お早うございます」。

 御宅の崖のストロメリア等が草刈りでバッサリ、枯葉で一杯だ。

 坂道上の鉄格子の犬小屋、「う、うー」とうなるセハードは見えず。落しものや尿など動物特有のいやなにおいが毎回漂う。

 坂道の角家、五ノ田さんちの裏ではノーゼンカズラが満開で、落下しているのも目立つ。

 左のキク畑を見つつ下って行くと、宮田さんちブドウの棚が目に入る。対面のイチジクの畑では、実が大きくなって、網紐が張ってあった。

 その奥の崖地では芙蓉にムクゲが一杯咲いていた。雀のお宿、越野さんちの前、朝日さんちの薄黄色のアジサイも弱ってきた。越野さんち、エサ台の近くに雀どもが集まっておらず。

 隣の空き地ではアジサイが色あせた。金子さんち、芙蓉に赤萩が咲いていた。

 角地の八重澤さんちは、芙蓉がいい。草刈されていた奥さんに「お早うございます」。石田さんちの角は左折。バス通りを渡って、体育館の裏、花梨畑に野良犬は一匹見えた。

 体育館には車は1台、横の花壇では松葉ボタンが萎んでいた。

寺の境内下から流れてくる寺津用水、枯れた竹の葉や発泡スチロールなどのゴミがあり゛水量はまずまず。

 崖の上では赤白の夾竹桃はいいがアジサイが色褪せた。配水池の斜面では大型のユンボが駐車中。小屋に近づくとごみ出しに行かれる岡野さんに「お早うございます」。

 何時ものように花に水やりした後、茶を入れて、後にカフェを点てた。これが至福のひと時である。

 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
                        橘曙覧 (1812~1868)

 日本列島。九州の南から四国にかけてのびる前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、西日本を中心に大気の状態が非常に不安定となり、局地的に雨雲や雷雨が発達している。

 前線は、ゆっくりと北上し、明朝には西日本の日本海側から東日本にかかる見込み。

 西日本では、明日にかけて大気の状態が非常に不安定になる見込みで、局地的に激しい雨が降り、落雷や竜巻などの激しい突風のおそれもある。東日本でも、明日は局地的に雷を伴って

 激しい雨が降るおそれがある。

 気象庁は急な激しい雨や落雷、竜巻などの激しい突風に注意するとともに発達した積乱雲が近づく兆しがある場合には安全確保に努めるよう呼びかけている。

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子(もとこ)

 沖縄は今。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古の埋め立て問題。

 沖縄防衛局は、けふ海上での作業と米軍キャンプ・シュワブゲート前からの資材搬入を再開した。台風の接近やお盆期間だったことから、海上作業は3日以降、ゲートからの搬入は8日以降、確認されていなかった。

 辺野古の埋め立て現場では、辺野古崎東側のK8護岸でクレーンを使って消波ブロックを設置する様子が確認された。

 大浦湾側のK9護岸付近の海上では、朝に到着したとみられる運搬船から台船に土砂を積み替える作業が確認された。工事の作業が進められる一方で、海上ではアジサシが優雅に飛び交う姿も確認できた。

 ゲート前には午前9時ごろに工事関係車両が到着。

 新基地建設に反対する市民らが機動隊によって排除された。砕石を積んだトラックを含む工事関係車両106台が基地内へ入った。市民は「民意に従って工事を止めろ」と抗議の声を上げた。

 午後0時20分ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプシュワブゲート前では、市民ら40人がトラックによる資材などの搬入に抗議している。

 晴れ間も出てきたため、「暑いけど頑張るぞ」、「熱中症に気を付けよう」とのシュプレヒコールも飛び出した。

 午後3時ごろ、米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、新基地建設に反対して座り込む市民ら20人が、県警の機動隊員に強制排除された。けふ3回目の資材搬入が始まり、ミキサー車など工事関係車両が基地内へ入った。

 新基地建設に反対する市民らは「美ら海を壊すな」と抗議の声を上げている。

 米国、西部ワシントン州。スポケーンで開催中の国際平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP=平和を求める元軍人の会)」の年次総会は現地時間の17日、辺野古新基地建設に

 反対する決議案が全会一致で採択された。米国政府に対し、独自に大浦湾の実地調査を行うことを求めている。

 VFPの年次総会では毎年、執行委員会と会員が参加するビジネスミーティングが開催され、米軍による環境破壊や他国への軍事介入などに反対する決議案が審議される。

 VFP-ROCK(琉球・沖縄支部)のメンバーが提出した決議案では、大浦湾は軟弱地盤であり、7万7千本もの杭を打ち込む必要があることや、今年2月の県民投票で72%が新基地建設反対の

 意思を示したことなどを指摘した上で、VFPとして米国防省ならびに米連邦政府の調査機関・米会計検査院に対し、大浦湾で独自の実地調査を行うことを求めている。

 審議の結果、決議案は全会一致で採択された。

 辺野古の反対決議がVFP総会で採択されたのは、2016年から4回目。今回の決議案は初めて日本政府を介さずに、米国政府に直接、調査を要請する内容となっている。

 VFP-ROCKメンバーの真喜志好一さんは「これまで何度も日本政府に工事中止を要求してきたが、らちがあかない。VFPの総意として米国政府に直接要請してもらうことで突破口をつくりたい」と語った。

 総会で採択された決議案は、10月ごろにVFPの総意として採択するかどうか全会員による投票が行われる。

 ♪遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で、安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにあったのは今さら言うまでもない。

 異様に暑い夏だ。一昔前はここまでの猛暑は珍しかった。ただ政治の世界、外交の世界は50年前、60年前と何ら変わっていない。

 政治家同士のむき出しの権力闘争、国家同士の国益獲得争いの構図はほぼ一緒だ。

 新聞毎日(7月20日付)で、作家の保阪正康さんが取り上げた元外相藤山愛一郎(1897~1985)の自伝「政治わが道」(76年・新聞朝日社刊)を読むと、それがよくわかる。同じことを人間は繰り返し繰り返しやっていると思う。

 藤山は財界名門の出(日本商工会議所会頭や大日本精糖などいくつもの企業のトップを務めた。絹のハンカチと言われた藤山財閥の総師だ。

 ♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない
絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける

 叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた  ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった
僕は嫌だ

 不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然  支配したいなら僕を倒してから行けよ‥
              歌:「欅(けやき)坂46」の「不協和音」。

 れいわ新選組の政党支持率が4・3%となり、参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2・1ポイント増えた。

共同通信の世論調査による。野党では、第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で、共産党に並んだ。若者の支持が目立った。れいわの支持層を年代別で見ると、若年層(30代以下)が

 7・4%で、中年層(40~50代)は4・6%、高年層(60代以上)は1・9%だった。男女別では、男が4・1%、女性が4・6%となった。

 れいわと同様に参院選で政党要件を満たしたNHKから国民を守る党の支持率は0・3ポイント増の1・3%だった。

 ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 夏の甲子園、休養日のけふ19日、前日の準々決勝を勝ち上がった4校が西宮市内などで練習した。

 明日20日は履正社(大阪)―明石商(兵庫)、中京学院大中京(岐阜)―星稜(石川)の準決勝が行われる。星稜は準優勝した1995年以来2度目の決勝進出が懸かり、他の3校は

 いずれも勝てば初の決勝進出となる。

 星稜の注目右腕、奥川は投球練習は行わず、軽めのキャッチボールで調整。対する中京学院大中京は、宿舎近くの公園で軽く汗を流した。履正社は4番の井上らが打撃練習で

 体を動かし、明石商は打撃、守備、走塁とみっちりと練習した。

 敗戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。

 昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も

 政治的な意見を首相に伝えようとしていた。宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。

 元長官田島の遺族から文書を提供されたNHKが、けふ一部を新聞毎日などメディアに公開した。

 文書は「拝謁記」と題された手帳やノート。48年から宮内庁や前身の宮内府のトップを務めた田島が、就任の翌年から5年近くにわたって昭和天皇とやり取りした内容を記録していた。

 文書によると、昭和天皇は、独立回復時に国民にメッセージを出すことを望んだ。

 草案作りが本格化した52年1月11日に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島に述べ、この年2月20日には「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民も

 すべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と語ったとしている。

 「下剋上」とは、戦時中の軍に統制が利かなかったことを表現したとみられる。

 「反省」の文字が宮内庁内部の検討で削除されても、戦争を悔恨する一節を入れようとしたが、首相(当時)吉田茂から反対され、最終的には受け入れた。

 式典の草稿が変更されたことは、田島の伝記を出版したフランス文学者の加藤恭子が文芸春秋2003年7月号で発表していたが、昭和天皇の具体的な文言は知られていなかった。

 昭和天皇の「肉声」が記された「拝謁記」には、昭和天皇が米国とソ連(当時)が対立した冷戦下の安全保障環境に危機感を募らせる内容もあった。

 サンフランシスコ平和条約の調印から5カ月後の52年2月11日に「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」と再軍備と憲法改正の必要性に言及していた。

 旧軍の復活には反対し、独立回復後の同年5月8日には「再軍備によつて旧軍閥式の再擡頭は絶対にいやだが去り(原文ママ)とて(ソ連の)侵略を受ける脅威がある以上防衛的の

 新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と述べたという。

 昭和天皇はこうした考えを首相吉田に伝えようとしたが、田島が「それは禁句であります」といさめたという。

 天皇が政治に関われないという新憲法の理念を理解していないような発言から、象徴天皇のあり方を模索していた経緯がうかがえる。

 文書では、48年11月の東京裁判の判決の際にGHQ(連合国軍総司令部)の司令官マッカーサーに天皇にとどまる意向を伝えた後も退位の可能性に言及していたことも明らかになった。

 日本大教授(日本近現代史)古川隆久は「長期間にわたり昭和天皇の本音、肉声が生々しく書かれた超一級の資料。象徴天皇制を始めるにあたり、天皇がどうやってそれを作っていくかを

 模索していたことが手に取るように分かる。また、この時期に改憲や再軍備を求めていたことは知られていなかった」と話している。

 東シナ海の公海上で5月、中国軍の戦闘機が海上自衛隊の護衛艦を標的に見立てて攻撃訓練をしていた疑いの強いことが、分かった。

複数の日本政府関係者が証言した。政府は不測の事態を招きかねない「極めて危険な軍事行動」と判断したが、自衛隊の情報探知、分析能力を秘匿するため、中国側に抗議せず、

事案を公表していない。現場での偶発的軍事衝突の懸念があり、緊急時の危機回避に向けた仕組み作りが急がれる。

 東シナ海では中国によるガス田の単独開発や公船の領海侵入が続き、日本が抗議を繰り返している。今回の中国機の行動は、東シナ海の軍事的緊張の一端を浮き彫りにした形だ。

香港。香港で「逃亡犯条例」改正案を機に大規模なデモが続いている問題で、市民ら170万人(主催者発表)がきのふ18日、香港島中心部の大通りをデモ行進した。

 参加人数は6月のデモの200万人に次ぐ規模。

 中国が隣接する広東省深?に人民武装警察部隊を集結させて圧力を強めるなか、香港市民らは大規模デモを継続するという「決意」を表明した形になった。

 香港警察はこの日のデモについて、香港島のビクトリア公園内での集会のみ開催を認め、公園外での行進は許可しなかった。

 だが、参加者は公園内に入りきれないほど集まり、公園外で隊列を組んで行進を強行。警察の許可がない違法な状態の中、大通りを埋め尽くす形で、香港最大のビジネス街、中環(セントラル)まで4キロを歩いた。

 うち数千人の市民が政府本部前に集結し、レーザーポインターを庁舎に照射するなどして抗議した。

 過去の抗議活動では、デモの終了後、過激化した一部の若者と警察が衝突するケースが常態化している。香港メディアによると、この日も警察は2500人の警察官を配置して警戒に当たっている。

 デモを呼びかけたのは、6月に100万人超のデモを相次いで開催した民主派団体「民間人権陣線」。

 この日も、改正案の完全撤回や警察に対する責任追及など5項目の要求を受け入れるよう、政府に迫った。

 米国。香港の「逃亡犯条例」改正案反対に端を発したデモ拡大を巡り、米大統領トランプは18日、1989年の天安門事件のように中国当局が武力介入すれば、米中貿易協議での

取引も難しくなると述べ、中国をけん制した。東部ニュージャージー州で語った。

香港デモに関してトランプが天安門事件に言及するのは初めてとみられる。条例改正案撤回や警察の「暴力」停止を求めて香港で18日に実施された集会とデモの参加者は「計170万人」(主催者発表)。

6月16日の「200万人近く」(同)に匹敵する規模となり、政府トップに住民が改めて強い不満を突き付けた。

イラン。外相ザリフが8月下旬にも訪日する方向で最終調整していることが、分かった。

 首相安倍や外相河野との会談が調整されており、米国とイランの対立で不安定化している原油輸送の大動脈ホルムズ海峡の情勢などを協議する見通し。イラン側は、海峡の船舶保護を理由とした

 米主導の有志連合構想に反対する考えを伝達する可能性がある。

 イランは同海峡やペルシャ湾の安全はイランや近隣国の責任で確保すると主張し、域外国の関与は必要ないとの立場を明確にしている。ザリフは5月にも訪日した。

 アフガニスタン。首都カブールにある結婚式場で17日夜、爆発があった。

 アフガニスタン内務省は18日、63人が死亡し182人が負傷したと明らかにした。大統領報道官はツイッターで、自爆テロだとの見方を表明。AP通信によると、過激派組織

 「イスラム国」(IS)系の地元組織が犯行声明を出した。式には千人以上が招かれていたとの情報があるという。

 式場はカブール西部にあり、同国で少数派のイスラム教シーア派を信仰するハザラ人の結婚披露宴が開かれていた。ハザラ人は、ともにスンニ派のISと反政府武装勢力タリバンの

 双方から標的とされてきた。

 韓国。元大統領金大中の死去から10年となったきのふ、大統領文在寅はフェイスブックへの投稿で日韓や南北関係での金の功績を挙げ「(朝鮮半島の)恒久平和を実現する道、

 韓日間の協力の道を全て前進させなければならない」と強調した。ソウルでは首相李洛淵らが出席し追悼式典が開かれた。

 文の投稿のタイトルは「歴史を恐れる真の勇気」。これは金が1998年、日本の国会で演説した際に使った表現で「歴史を直視すべきだとの文の対日メッセージ」(聯合ニュース)との

 分析も出ている。

 フランス。AFP時事によるとパリ近郊ノワジールグランの飲食店で16日夜、店員(28)が客の男に射殺された。

 捜査関係者が17日明らかにした。目撃者によると、男は「注文したサンドイッチが遅い」と激怒していた。発砲後、現場から逃走した。 

 タイ。海岸で迷子になって地元当局に保護され、人気を集めていたジュゴンの赤ちゃんが17日、死んだ。

 プラスチックごみの誤飲が死因とみられる。タイのメディアが18日までに報じた。プラごみによる海洋汚染の深刻さを示すとして、タイで大きな反響を呼んでいる。

 地元当局は海洋保全に向けた取り組みを強化するという。

 死んだのは生後8カ月の雌の「マリアム」。4月に南部の浅瀬で親とはぐれているのが見つかった。係員が餌をやる様子などが24時間インターネットで配信され、愛らしい姿から

 タイで一躍人気者になったが、最近衰弱し始めていた。

 アフガニスタン。首都カブールの結婚式場で17日夜に起きた自爆テロを受け、アフガン政府は英国からの独立100周年を記念した19日の記念行事の延期を決めた。

 テロの標的となることを避けるためとみられる。

 テロで犠牲になった63人の多くは18日、カブールの墓地に埋葬された。地元メディアの映像によると、犠牲者の遺族らがシャベルを使って穴を掘り、泣き叫びながら棺を運んだ。

 一家14人を亡くしたという新婦の父親は「全ては政府の責任だ」と語り、ガニ政権の治安対策を批判した。

 テロについて、イスラム教過激派組織「イスラム国」系の通信社は18日、「イスラム国」の犯行だと伝えている。

 ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 北の大地。きのふ午後6時過ぎ、長万部町大浜の団体職員・山中則昭さん(64)の住宅から煙が出ているのを向かいに住む人が見つけた。

 火は1時間後に消し止められたが、この火事で木造平屋建ての住宅内部が焼け、中から女性が倒れているのが見つかった。

 女性は搬送先の病院で死亡した。警察は、死亡したのは連絡がとれなくなっている山中さんの妻とみて、身元の確認を進めています。山中さんは妻と二人で暮らしていた。

 秋田。横手市の夏の伝統行事「送り盆まつり」が16日夜行われ、時折強い雨が降る中男衆が豪快に屋形舟をぶつけ合った。

 横手市の「送り盆まつり」は江戸時代に飢饉で亡くなった人を供養するために屋形舟を横手川に流したのが始まりとされている。このひ夜は台風の影響で時折強い雨が降る中での

 まつりとなったが、市内13の町内が参加。男衆が重さ800キロ以上ある屋形舟のへさきを高々と持ち上げ、力強くぶつけ合った。

 雨にも負けない激しいぶつかり合いに会場は熱気に包まれていた。

 福島。檜枝岐村の檜枝岐歌舞伎は、きのふ村の国指定重要有形民俗文化財「檜枝岐の舞台」で鎮守神祭礼奉納として上演された。

 来場者が270年以上の歴史を誇る伝統の歌舞伎を満喫した。

 村民でつくる千葉之家花駒座(座長星昭仁)が年2回、愛宕神、鎮守神両祭礼の日に奉納している。舞台清めの寿式三番叟で開幕した。奥州の豪族安倍一族の再挙などを描いた

 「奥州安達ケ原 袖萩祭文(さいもん)の段」が繰り広げられた。

 座員らは、浮世の義理や再挙がかなわなかった安倍家の無念さなどを迫真の演技で披露し、観客から大きな拍手が送られた。

 新潟。今朝1時半頃、佐渡市小木町の小木みなと公園駐車場から、佐渡市新穂、飲食業本田美穂さん(55)の軽貨物車が海に転落した。

 本田さんは車内から救助されたが、病院で死亡した。死因は溺死。

 佐渡西署によると、車は方向転換をした後に前進し、車止めを乗り越えて海に転落した。目立ったブレーキ痕はなかったという。 公園では、佐渡市などが主催する野外イベント

 「アース・セレブレーション」が16日からきのふの午後11時頃まで行われており、本田さんはイベントに出店した後、片づけ作業などをしていたという。

 茨城。高速道路で車を運転していた男が「あおり運転」をされた上、殴られた事件で、警察が、指名手配されていた宮崎文夫と大阪市内で一緒にいた51歳の女について、昨夜、

 犯人隠避などの疑いで逮捕したことがわかった。

 51歳の女は事件当時、宮崎とともに現場にいて、きのふも大阪市内のマンションから一緒に出てきたため、事情聴取を受けていた。警察は今後、女の身柄を茨城県警に移し、本格的な取り調べを行う。

 東京。国会議事堂(千代田区永田1)内の土産ショップで販売が始まった、自民党の衆議院議員小泉進次郎の結婚を祝うクッキーが早くも人気を集めている。

 国会議事堂に関連した商品を中心にさまざまなグッズを販売している同所。今月8日、小泉とフリーアナウンサーの滝川クリステルさんの結婚を祝ったクッキーの販売を始めた。

 クッキーの表面には、小泉と滝川さんの似顔絵を刻印。クッキーは10枚入りで、うち2枚に2人の似顔絵が描かれている。

 小麦粉、バター、粉砂糖、全卵、生クリームなどを原料とし、手作りで生産しているという。女性スタッフは「毎日完売する人気商品となっている。販売開始当初は1人2個までとしていたが、

 あまりにも人気のため現在は1人1個までとしている」と。

 「朝10時に販売を始めて昼には完売していることもあるため、購入したい方は早めの時間に来店するのがお勧め」とも。

 営業時間は10時~6時30分。土曜・日曜・祝日定休。価格は500円。

 愛知。きのふの午後0時半ころ、豊田市池島町の矢作川で泳いでいた20代くらいの男が行方不明になった。

 足助署によると、男は会社関係の知り合い15人ほどとバーベキューに訪れ、幅15mの川の中ほどを1人で泳いでいたが、沈んで浮き上がってこないため、一緒にいた女性が119番した。

 現場付近の水深は深いところで3m。周辺では、昨年8月にも中学1年の男子と30代男が流され、死亡する水難事故があった。

 一方、きのふの午後3時過ぎには、南知多町の山海海水浴場で、30~40歳ぐらいの男が溺れているのを、他の海水浴客が発見した。

 男はドクターヘリで長久手市内の病院に搬送されたが、意識不明の重体。警察と消防が事故原因を調べている。

 三重。きのふの午後5時半、紀北町上里の路上に駐車中の軽トラック内で、運転席にいた松阪市の男(63)が持っていた狩猟用のライフル銃が暴発し、助手席にいた娘の夫(39)の右膝下に当たった。

 娘の夫は重傷。尾鷲署によると、2人はサルの駆除を終えた後だった。尾鷲署は、業務上過失傷害の疑いもあるとみて、猟銃の扱いについて調べている。

 男が所属している三重県猟友会や警察によると、男は猟友会の委託で午後5時半ごろから作業を始め、1匹を駆除した。娘の夫は猟友会に所属していないが、同行していた。

 猟銃は男が車内に置こうとした際に暴発したという。現場の南東450mには紀北町立上里小がある。

 大阪。水の都を代表する川の一つ、大川を航走する「KPG RIVER CRUISE(ケーピージーリバークルーズ)」の屋形船で、松茸と黒毛和牛のすき焼き食べ放題コースが今月20日からスタートする。

 同クルーズは、京都「るり渓温泉」などレジャー事業開発をプロデュースする「カトープレジャーグループ」(大阪市天王寺区)が2014年から運営。

 船を貸し切って、コース仕立ての食事を贅沢な気分で味わえるとあって、会社や同窓生での飲み会、女子会などでの宴会・パーティー需要で人気となっている。

 今回は、関西人のごちそうとして人気が高いすき焼きが主役に。霜降り入りの「くらした」と称される牛の肩ロースと松茸とドリンクを好きなだけ楽しめ、前菜盛り合わせ、刺身、

 松茸ごはん付きで12000円(乗船料含む)となる。

 ほかにも「松茸会席」(8000円)、お昼限定の「松茸ランチ」(6000円)もあり、いずれも10月15日まで(乗船予約は合計5万円以上から・繁忙期は変動)。

 これらのクルーズの発着場所は京阪・OsakaMetro谷町線「天満橋駅」近くの「八軒家浜船着場」から。

 岡山。大震災と原発事故で被災した福島県の情報を発信するイベント「福島の今を伝える」が、一昨日岡山市内で開かれた。

 福島から岡山、広島県に移ってきた4人が思いを語り、発生から8年が過ぎた未曾有の災害を「風化させないで」と呼び掛けた。福島を離れ岡山、高梁、尾道市で暮らしている人たちが登壇。

 「放射性物質による汚染状況に今も不安を感じている」、「避難生活が長期化し、子どもたちは岡山が地元になっている。

 福島に戻っていいのか迷いがある」と複雑な心境を明かした。

 「福島の情報が岡山に伝えられなくなってきた」との指摘があり、「被災地に思いを寄せ、原発問題に関心を持ち続けてほしい」との声が上がった。

 イベントは福島で復興支援に当たっているNPO法人「シャローム」と岡山の音楽グループ「SILVER TONE(シルバートーン)」でつくる「福島の今と岡山をつなぐ委員会」が福島県の

 「県外避難者帰還・生活再建支援補助事業」として開催し、70人が集まった。

 シャロームは全国各地でヒマワリの栽培を呼び掛け、種を福島に送ってもらい、障害者の授産事業などに役立てる「ひまわりプロジェクト」を展開。イベントには「ひまわり大使」として

 シャロームの活動に参加している福島の児童生徒4人も参加し「復興が着々と進み、普通に生活ができているのに、風評被害が改善されません。福島の本当の現状を知ってほしい」と呼び掛けた。

 同プロジェクトに賛同している岡山のアーティスト3組による音楽ライブもあった。

 出演したのはボーカルユニットの「SILVER TONE」、真庭市を拠点とする三線の女性アーティスト「hull(ハル)」、“岡山歌っ子”として活躍している倉敷市の8歳の「すずちゃん」。

 それぞれ被災地へのメッセージを込めた歌を披露した。

 愛媛。高校生たちが5・7・5の17音に熱い思いを込める俳句甲子園全国大会の決勝戦が松山市で行われ、青森の弘前高校が初優勝した。

 地区予選を勝ち抜いた29校32チームが出場した俳句甲子園全国大会。決勝戦は、青森の弘前高校と愛知の名古屋高校Bで争われた。試合は5対5の団体戦で俳句の出来栄えと

 相手の句を鑑賞するディベートで争われ、先に3勝したチームが勝利。

 決勝戦の兼題は「新」の漢字を含む俳句で弘前高校が先に2勝し、優位なまま3戦目に突入。それぞれのチームが渾身の一句を披露すると、会場中がその独特の世界観に引き込まれる。

 そして・・・弘前高校が初優勝し全国120チームの頂点に輝いたた。一方、敗者復活戦に臨んだ松山東と今治西は決勝リーグに進むことはできなかった。

 長崎。三菱重工業は、需要増加が見込まれる航空機エンジン事業を強化するため、長崎市の長崎造船所の敷地内にエンジン部品を製造する新工場を建設すると発表した。

 投資額は80億円で、10月に着工し、2020年中の生産開始を目指す。

 船舶用プロペラ工場の跡地に、子会社の三菱重工航空エンジン(愛知県小牧市)の長崎工場として建設する。稼働後は、生産規模を段階的に拡大する計画という。

 新工場では、航空機エンジンの燃焼器部品の加工や組み立てを手掛ける。生産効率を高めるため、最新鋭の工作機械を導入、モノのインターネット(IoT)や人工知能(AI)といった

 新技術も活用する。

 熊本。荒尾市の宮崎兄弟資料館と、宮崎滔天[とうてん]が支援した辛亥革命の主導者・孫文の博物館「晩晴園」(シンガポール)は、共同研究の報告書「宮崎兄弟と孫文と辛亥革命」を作製した。

 資料館や荒尾市立図書館などで閲覧できる。

 資料館と晩晴園は2014年に5年間の姉妹協定を締結。相互にレプリカ資料の提供を通して学術交流を深めてきた。報告書は4部構成。1部はシンガポールの日本人コミュニティーなどについて解説。

 2部は、同国を舞台にした滔天と孫文の交流の歴史をひもといている。3、4部はそれぞれの施設を紹介した。

 執筆者の一人で荒尾市世界遺産・文化交流室の野田真衣さん(30)は「知られていなかった2人とシンガポールの関係を知ってもらうきっかけになれば」と話している。

 B5判、56ページ、250部製作。

 発刊記念として9月1日、荒尾総合文化センターで「宮崎兄弟と孫文の遺産」をテーマにイベントを開催。県立劇場館長姜尚中らが登壇するシンポジウムのほか、地元の小学生が

 宮崎兄弟と孫文の友情を描いた紙人形劇を披露する。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
            昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

 富山。南砺市いなみ国際木彫刻キャンプ2019(実行委主催)はきのふ開幕した。

 28日まで招待作家らが主会場の南砺市北川の井波芸術の森公園で公開制作する。「木彫りを通して世界をつなぐ」をテーマに4年に一度の開催で、今回が8回目。

 初参加の西アフリカのベナン、ポルトガルをはじめハンガリー、イタリア、米国など9カ国の12人と地元の2団体(井波彫刻協同組合、井波美術協会)が、それぞれの伝統や文化を土台に制作する。

 井波総合文化センターで開会式があり、市長田中幹夫が「世界に発信できる文化事業。地域の盛り上げ、まちづくりにつなげたい」とあいさつ。知事石井隆一が期待の言葉を述べた。

 ポルトガルから参加したマリオ・ロペスさん(37)は「暑さは大丈夫。エネルギーの放射を表現した抽象的な作品を手掛けたい」と意欲を話した。

 彫刻家の出身国の料理を楽しむ世界の食文化交流、サロンコンサート、十年ぶりに復活した井波彫刻を施した踊り屋台の披露など、30日までさまざまな関連イベントがある。

 24日午後一時半から同センターで、俳優で画家の片岡鶴太郎さんのトークショーと、片岡さんが描いた作品を井波彫刻師が彫り上げた羽子板三点の発表がある。

 福井。きのふの午前11時半過ぎ、美浜町竹波の水晶浜海水浴場の監視員から、「岩場で数十人が取り残されている」と敦賀海上保安部に通報があった。

 同保安部の巡視船が出動、男女24人を救助した。男1人が足に軽傷を負った。

 岩場は沖合30mにあり、孤立したのは関西などから海水浴に来た7~41歳の男女。浜辺から泳ぐなどして渡ったが、波が徐々に高くなり戻れなくなったという。

 同保安部の潜水士らが浜と岩場を結ぶロープを使い、1人ずつ浜辺に運んで救助した。

 県の防災ヘリが出動したほか、同保安部と敦賀美方消防組合、敦賀署の50人が救助に当たった。周辺は当時、波が高くなっており、同海水浴場を管理する竹波観光協会は午前9時半から

 遊泳禁止とし、遊泳客にスピーカーなどで繰り返し呼び掛けていた。

 また、この日午前10時ごろには同町の日向港沖1キロで、男性2人が波のため水上バイクに戻れず岩場に避難。県防災ヘリが出動し救助した。

 金沢。夏の甲子園、大会第12日のきのふ、準々決勝が行われ、星稜が4本塁打22安打の猛攻で仙台育英(宮城)を17-1で下し、24年ぶりに4強入りを果たした。

 甲子園での1試合17得点は春夏通じ石川県勢の最多記録。

 2番・今井秀輔(2年)は大会史上52本目となる満塁本塁打、三塁打、二塁打と長打3本を放ち、OBの松井秀喜と並ぶ歴代2位タイの1試合7打点を記録した。

 4番・内山壮真(2年)は大会史上41度目の2打席連続本塁打、5番・大高正寛(3年)は9回、内山に続いてソロ本塁打を放った。

 2者連続アーチは大会史上25度目となる。

 投げては、先発の荻原吟哉(2年)が7回5安打1失点と好投し、8回から登板した寺沢孝多(こうた)(3年)が2回2安打無失点で締めた。前日の準々決勝で14回165球を

 投げたエース奥川恭伸(3年)は登板しなかった。

 星稜は明日20日の準決勝・第2試合(午前11時半開始予定)で中京学院大中京(岐阜)と対戦する。

   核なき国を
 夢に見て
 平和な世界を
 願う       広島・三良坂平和公園(三次市)

   Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 もののふの、八十(やそ)娘子(をとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、寺井(てらゐ)の上の、
堅香子(かたかご)の花   家持 万葉集第19巻 4243

 湯涌なる 山ふところの 小春日に 眼閉ぢ死なむと きみのいふなり
                           夢二

 越前龍馬会の前田さんから電話あり「今、漁協の倉庫の前だけど」なんて。「残念…もう、そこにはいません、金沢だけど…」、「夏休み取って気多大社へ行ってきた」、「驚かそうと

 突然電話しました」と。

 午後の散歩は、何時ものコース。寺津用水の辺りで工事は中断中、だが用水左上の横の斜面の大型のユンボが稼動していて、待ち受けるダンプに土砂を乗せていた。

 用水は、発泡スチロール等々が、あり、水量はまずまず。

 駐車場では4台の車に3台の自転車。花壇で色あせたアジサイと松葉ボタンが開いていた。体育館裏では、野良猫が1匹も居なかった。

 バス通りを渡って、角家の前から和田さんちの玄関前を降って左折。尾田さんの庭のバラがいい。槌田さんちの玄関横のアサガオが萎んでいた。

 山津さんちの四つ角、ピンポン玉くらいのボぼ、実が目に入る。

 ここを過ぎて、元洋菓子屋の御婆さんち過ぎて、Dr小坂や宇野さん出られており、庭の小粒のバラにサルピアは綺麗だ。

 三叉路で、型枠工場では炉の煙が久々に上がっており、構内では2台のレッカー車がまだ帰っていない。

 なかの公園前の4差路は右折。ムクゲが朽ちた修平さんちの実家を過ぎて、戸田さんちの対面、ペンキ屋さんちでは、花は咲くが実のならないザクロやオニユリなどはかろうじて元気。

 徳中さんちの風車は回っていない。辰次さんちの納屋の前、朝顔が萎んでいた。

 玄関前の庭先の徳田さんち、朝鮮アサガオが萎んでいたが、裏のアメリカ芙蓉は3輪は元気に咲き誇っていた。

 湯原さんちのブラックベリーやピンクのハマナスなどが咲いていた。三叉路は右折して坂本さんち、タカネバラは消えて、ギボシは元気だ。

 キスゲやホウズキ、白のユリを見つつ松本さんち前を通り過ぎた。

 みずき公園を一回り。公園に蔓延る紫の花がいい。葛の花踏みしだかれて、色新し。この山道を行きし人あり。超空が壱岐の島を訪れて詠んだのを思いだした。

 井上さんちや清水さんちのユリ元気だ。次の次の三叉路は逆Vターン。高沢さんち畑の夏を思わせる夾竹桃はいい。

 手前では、百日草が待っていた。辻の爺さんの軽トラはいた。

 角の爺さんが鮎の仕掛けを作っていたので「こんにちわ」、「今朝も鶴来の道の駅裏の手取川へ行って来たが20cmのが2匹だった」と。山手ハイツの裏、上田さんちの裏の大きくなりつつある

 アケビやブルーベリーを見つつ、京堂さんち前のバス通りを渡って北さんち前へ。

 実るほど首を垂れる稲穂かな、徳田さんちの田圃の穂もかなり大きくなってきた。ひょっとこ丸はまだ帰っていない。越田さんちのヒマワリ、おおきいのが1輪のみ上向きだった。

 北さんちのヒマワリは全部うつむいていた。藤田さんちの四つ角へ。

 サルビアがくたびれていたが白の水仙は10数輪咲いて元気だ。小林さんちの、百日紅の花を見つつ、バラが消えて松葉ボタンが咲いている飯田さん前へ。

 持木さんち前、鉄骨の2階建てが大型クレーンで棟上げされて、作業員が一服していた。

 瀬戸さんちの畑のムクゲ、本田さんちの真っ赤なサルビアが待っていてくれた。

 朝夕の散歩は〆て8490歩、距離は5、4キロ、消費カロリーは285kcal、脂肪燃焼量は20グラム。

 小屋に戻ったらシャツはびしょ濡れだったので即シャワーを浴びた。

 虫の合唱と蝉しぐれだ。

 明日は午前9時から大学病院で呼吸器科の検診だ。

   苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
           唐代の詩人 劉 希夷(651~678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

   わたしはただ一介痩身の無名詩人
 樹間に湧く無量 の感に涙しぼり
 地に満つる落葉や雑草にも
 無情の声を呑み
 天かける白雲に
 うたた民族流離の歌をきく

 よしや骨肉ここに枯れ果つるとも
 八月の太陽は
 燐として 今 天上にある
 されば 膝を曲げ 頭を垂れて
 奮然 五体の祈りをこめよう
 祖国帰心
 五臓六腑の矢を放とう
     昭和二十六年八月(断食悲願の詩より)
                 泉 芳朗

 奄美群島は日本の敗戦によって米軍統治下に置かれ、1953年(昭和28年)12月25日に日本に復帰した。

 縄跳びす白シャツの児の二人して
訪ふ家の 標となせり花水木
 いかなごに目あり口あり尾鰭あり
 春場所や大阪駅に力士どち
 年ごとに語り部の減り原爆忌
 身ほとりに どかと居座る残暑かな
 初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
 軒下の土塊に生れ つくづくし
 落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
 袋帯 ぽんと叩きて年新た
 年の瀬や 独り第九をイヤホーン
 おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
 思う事多くなりけり 年の暮れ
 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
            詠み人知らず

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2019年8月19日(ふ)

・∴・--------------------------------------------------

【戻る】

■ご感想は?。

日々のことなどは
【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】

【気象情報】

回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊