沖縄県民投票、「尊重を」68%世論調査、内閣支持率は43%

 2019年、亥年、弥生3月10日(日)、晴れ後曇り。金沢の最低気温6度、最高気温は17度。

 何時ものコースで、冷たい風が頬を撫でた。境内下を流れる寺津用水は流れはなくて底の枯葉などが目立つ。

 体育館の花壇に時々見かける親父さんが牛乳を置いてパンを食べていて「お早うございます、朝食ですか?」に藁って答えず、。ここには管理人が来ておらず一台も停まっていなかった。  何時ものバス通りを渡って、坂道は、右折。雀のお宿、越野さんちの方向へ向かった。エサ台のまわりの木々に、雀たちは集まっていた。

 ここは登り切って左折。セバードのお宅、見えなかった。朝日さんち横の坂道を降りて行くと左の崖にマンサク、右手の崖に水仙が待っていてくれた。

 中村さんちの畑のローバイはくたびれているが庭の白の馬酔木は元気だ。

 小津さんちの水仙は元気。中村さんちの庭のリュウキンカの茎も伸びていた。才田さんち過ぎて4差路は右折、浅野さんちの葉牡丹がいい。紙谷さんちのまわりを一回り。三差路の角、白のクロッカスが

 咲きだした上村さんちを過ぎ、槌田さんちのナンテンや白のバラも、山津さんちの赤のナンテンに八重の椿もきれいだ。

 大柳さんちの前は右折し、岡本さんち前は左折。白の椿と小粒の白いバラ、それに黄色と紫のクロッカスが待っていてくれた。

 型枠工場のレッカー車が、1台は既に出てもう1は動き出したが、構内は静かだ。三差路、Dr小坂、宇野さんもお休みだ。宇野さんの兄貴さんちのローバイはかなりくたびれてきた。

 なかの公園の手前の葉牡丹に水仙がきれいな清水の爺さんち、過ぎて神社の方向へ向かった。

 修平さんの御婆さんち、角地のピンクの椿、生垣の山茶花やナンテンがいい。徳中さんちの風車は回っておらず。右手前方の毎田のリサイクル施設から、ブルの稼動している音が聞こえず。

 スイセンのきれいな辰次さんち前過ぎて、土谷の御婆さんち前へ。御隣清水の御婆さんち、咲きほころぶ水仙に黄色のクロッカスが芽を出していた。

 神社横の吉田さんち過ぎて、ミカンの木菰が、またウメモドキには雪つりが施されている湯原さんちの前庭では黄色のクロッカスに紫色のも咲き始めていた。

 三差路過ぎて坂本さんちの庭では、可憐で清楚な薄紫の寒アヤメは、今朝も9輪が待っていてくれた。

 山本さんちの馬酔木の大木や松本さんちの椿や赤の馬酔木も元気だ。「今から散歩」という松本さんに「お早うございます」、「同行します」という松本さんち桝井さんちの四つ角まで

 同行された。吉井さんちの角の三差路を過ぎて真っ直ぐ行く。土谷さんちの庭では雪つりの縄などが外されてすっきりしていた。

 みすぎ公園を一回りしたが、手前のアパートのクーパーは暫く見当たらず、引っ越しされたのかも。次の三叉路は左折した。中村さんちや藤田さんちのシクラメンは元気だった。

 公園入り口の細長いプランターのカラフルなパンジーがいい。

 ぺンキ屋さんち過ぎて、京堂さんちの前からバス通りを渡ってコンビニの裏通りへ。清水さんちの納屋の庭では白梅に紅梅が綺麗だ。

 北さんち過ぎて、ひょっとこ丸はお休みだ。 藤田さんちの四つ角を過ぎて山本さんち、タイヤ交換されるのか玄関先に4本が転がっていた。畑ではカリフラワーの黄色の花は顔を見せていた。

 庭に椿の咲いている奥村さんち前過ぎて、大田さんちの玄関先の葉牡丹やヤツデの花もいい。瀬戸さんちの畑や鱒井さんちの水仙は待っていてくれた。

 小屋では、取りあえず、何時ものように茶を入れて、後にカフェを点てた。これが至福のひと時である。

 ここで、松本さんと別れた。

 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
                        橘曙覧 (1812〜1868)

 ♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
氷融け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空
 春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か
       1913年(大正2年) 早春賦 作詞:吉丸一昌 作曲:中田章

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、7割超が反対した2月実施の県民投票結果を政府は「尊重すべきだ」とした回答は68・7%に上った。

共同通信社が9、10両日に実施した全国電話世論調査による。「尊重する必要はない」は19・4%。

 1月の景気動向指数で後退局面に入った可能性が示されたことに関連し、景況感を尋ねると、景気回復を「実感していない」は84・5%だった。「実感している」は10・1%にとどまった。

 安倍内閣の支持率は43・3%で、前回の45・6%から2・3ポイント減。不支持率は40・9%だった。

 大阪都構想を巡って大阪維新の会の大阪府知事松井一郎と大阪市長吉村洋文が辞職し、入れ替わりで出馬する4月7日投開票の知事・市長のダブル選に、自民党が俳優の辰巳琢郎(60)を

 知事選候補として擁立する最終調整に入った。

 自民は、維新に対抗できる候補としてテレビ出演などでも知名度の高い辰巳に白羽の矢を立て、他党にも連携を呼びかける方針。

 自民党本部の幹部らは一昨日辰巳と面会して出馬を要請。政策面での意見交換も始めており、数日内にも表明する方向で詰めの協議を行っている。

 松井や吉村は大阪市を廃止し、特別区に再編する大阪都構想を進めるため、「もう一度、民意を問う」として異例のダブル選に踏み切る。これに対し、自民は「選挙の私物化だ」と批判し、

 ダブル選を「維新に終止符を打つ選挙」と位置づける。公明や立憲民主、国民民主、共産の各党も都構想に反対し、維新の手法に反発している。

 維新は党勢が低迷しているとはいえ、2017年衆院選での府内比例代表の票は自民と拮抗。

 自民は、政党色が薄く、幅広い支援を得られる著名人らを念頭に、候補者の選定作業を進めていた。市長選候補についても擁立を急いでいる。今月7日、新聞毎日に辰巳は打診を認め、「光栄な話で、

 真剣に聞くつもりだ」と話した。

 吉村や松井は、過去2回のダブル選で、自民が国政では対決姿勢にある他党の支援・協力を受けたことを「野合・談合」と批判。辰巳はテレビ小説や、頭脳派のタレントとして

 クイズ番組などに多数出演しており、自民は識見、知名度ともに高い辰巳に期待を寄せた。

 政界関係者にも幅広い人脈があることから、出馬要請してきたという。自民府連は、前回15年のダブル選でも辰巳に知事、市長のいずれかで出馬を打診したが、その際は番組出演との兼ね合いから実現しなかった。

 辰巳は大阪市出身で京都大卒。フジテレビ「辰巳琢郎のくいしん坊!万才」(1991〜93)や、ドラマ「浅見光彦シリーズ」に出演。娘の真理恵さんはソプラノ歌手。

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子(もとこ)

 沖縄は今。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古の埋め立て問題。

 夏の参院選で、社大党(委員長大城一馬)は、きのふオール沖縄会議共同代表で、琉球大学法科大学院教授の高良鉄美(65)に沖縄選挙区から立候補するよう正式に要請した。

 高良は「要請を重く受け止め、検討したい」と述べた。高良は立候補する意向で、15日にも受諾する方針だ。

 大城は、参院選で勝利し、名護市辺野古の新基地建設反対の民意を示すとともに、平和憲法を守る必要があると強調し、要請書を手渡した。高良は今後、社大党に入党し、選挙は

 無所属で立候補する方針。

 与党各党に支援を求め、「オール沖縄」勢力の候補として選挙に挑む考え。政党推薦など支援の形は今後議論するという。一方、大城は引退を求めた現職の参院議員糸数慶子に関し

 「平和の一議席として基地問題をはじめ県政、国政の課題に一生懸命取り組んでもらい高く評価している」と述べ、高良勝利に向け協力を求めていく考えを示した。

 4月21日投開票の衆院沖縄3区補欠選挙に立候補を表明しているフリージャーナリストの屋良朝博(58)は、けふ沖縄市で会見し、公約を発表した。

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設について反対の立場を示し「埋め立て不要の普天間返還プランの策定、実現を目指す」と訴えた。

 辺野古を抱える3区の補選は、県知事に転出した玉城デニーの衆院議員失職に伴い実施される。

 自由党は同党に所属した玉城の後継として屋良を擁立した。自民党公認で立候補を表明した元沖縄北方担当相の島尻安伊子(54)=公明推薦=は、容認の考えを表明している。

 防衛相岩屋毅の国会や会見での名護市辺野古の新基地建設を巡る発言が波紋を広げている。

 「米軍普天間飛行場を返還するため」という目的を説明しようというのが本心とみられるが、現状は辺野古に固執する政府方針と「辺野古反対」の民意との乖離(かいり)を浮き彫りにしている。

   岩屋は、別府市出身、61歳。衆議院議員鳩山邦夫衆議院議員秘書から県議を経て衆院衆院8期目で麻生派に所属。早大の雄弁会出身で、ゆっくりとした語り口が特徴。自民党内で

 国防部会長や安全保障調査会長を歴任した「防衛族」議員だ。

 安保法制の与党協議主要メンバーで法整備を推し進める一方、「自衛隊のリスクは高まる」と、リスク増を認めない安倍政権に異を唱えたこともある。

 大臣就任後、会見などでは想定問答を集めた紙に目を落とさず、自身の言葉で語ることもしばしば。政権にとって重要課題である沖縄に関する答弁も岩屋流だ。「南西地域を守ることは

 沖縄を守ることであり、沖縄を守ることは日本を守るということだ」などの言い回しもある。

 「辺野古反対」が多数を占めた県民投票の結果を受けた2月26日の会見では、「沖縄には沖縄の民主主義があり、国には国の民主主義がある。それぞれに民意に対して責任を負っている。

 沖縄の民意はしっかり受け止めないといけないが、国も民主的に選挙された国会によって内閣が構成され、時の政権は日本の国の安全保障という大きな責任を負っている」と言葉をつないだ。

 「国は強大な力を持っているということを示そうとしているのか」と詰められると、「そういうことではない。沖縄の皆さんにも多くの悩みはあると思うが、国は国で悩み、考えながら

 この政策を進めている」と言葉を選んだ。

 「辺野古に移設し、普天間飛行場を全面返還する」という政府方針の説明を尽くそうとする中、今月5日の参院予算委員会では「かねてより事業を継続させていただきたいと決めていた」と、

 県民投票前に辺野古の工事続行を決めていたと明かし、「あまりにひどい発言だ。直接民主主義の趣旨を理解していない」(副知事謝花喜一郎)と強い反発を買った。

 防衛省関係者は「自分の言葉で伝えようとするのは長く防衛に関わってきた岩屋さんらしい」と評する。事前決定の発言は「一日も早く普天間を返還したいという思いの中での発言だ」と解説した。

 説明する姿勢は見せるも、工事を強行している実態は変わらず民意との乖離が際立つ。

 軟弱地盤の改良工事が必要となり工事は長期化することが確実で、普天間の早期返還も不透明だ。県幹部は「政府は『沖縄に寄り添う』というが、それはまやかしだ」と批判した。

 ♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で、安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにもあったのは今さら言うまでもない。

 安倍政権の製造物責任は「私にある」と前首相野田佳彦は、ここにきて初めて本音を喋った。

 厚労省による毎月勤労統計の不正調査を検証した特別監察委員会の追加報告書をめぐり、与野党や有識者から疑問や批判の声が上がっている。

 主な焦点は「不正の隠蔽の有無」、「部分入れ替え方式の導入」、「検証の第三者性」。監察委や政府の説明に、ほころびも生じている。弁護士や大学教授ら8人で構成する監察委は

 先月27日に公表した追加報告書で、「隠蔽行為」を「極めて不適切な行為を認識しながら意図的に隠そうとする行為」と独自に定義。

 隠蔽の認定要件として「意図の有無」を強調する。厚労省の担当室長らが不正な抽出調査を認識しながら2016年に総務省に虚偽の申請をし、18年1月から本来の全数調査に近づけるデータ補正を

 ひそかに始めたことなども、この定義に照らして「隠蔽行為があったとはいえない」と結論付けた。

 ただ、監察委の委員長樋口美雄は6日の参院予算委員会で、室長らへの聞き取りの際に「(隠蔽の意図は)直接的に質問はしていない。詳細な状況を聞いた結果として判断した」と答弁。

 複数の監察委員も「隠蔽の意図を聞いても『ない』と答えるに決まっている」、「事実関係を積み上げることが重要」と話す。

 これに対し、野党は「隠蔽を認めない目的で作った報告書ではないか」(立憲民主党会派の参院議員小西洋之)と疑念を深める。

 ♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない
絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける

 叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた  ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった
僕は嫌だ

 不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然  支配したいなら僕を倒してから行けよ‥
              歌:「欅(けやき)坂46」の「不協和音」。

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が、選手団参加や入場券配分の手続きを行うために各国・地域の国内オリンピック委員会(NOC)が必要とするIDなどの電子情報を

 北朝鮮NOCにだけ提供していないことが、分かった。

 北朝鮮国籍保有者の入国を原則禁じる日本独自の制裁が背景にあり、北朝鮮に厳しい姿勢を取る首相官邸に配慮した可能性がある。

 北朝鮮側は「五輪憲章の精神に反する」と反発、国際オリンピック委員会(IOC)を通して正式に抗議することも検討しているという。今後、日朝政府間の接触が実現した場合は、

 この案件も議題に上る可能性がある。

 ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 フランス。マクロン政権に抗議する黄色いベスト運動のデモが9日、17週連続で行われた。

 地元メディアによると、内務省は全国の参加者が2万8600人だったとの集計を明らかにした。昨年11月に始まったデモで最も少ない数となった。前週2日は3万9300人で、

 減少は2週連続。パリの参加者は3千人で前週の4千人から縮小した。

 おおむね平穏に推移したが、デモ隊から物を投げられた警官隊は催涙ガスで応じ、放水車も出動した。デモを受けてマクロン政権が全国で市民の意見を聴くため1月から取り組んできた「国民大討論」は、

 3月15日に終わる予定。

 南米ベネズエラ。報道によると、暫定大統領就任を宣言した野党連合出身の国会議長グアイドが組織した数千人規模の反政府デモが9日、首都カラカスで実施された。

グアイドは、新たな大規模デモをカラカスで実施するために、国会議員らと全国を行脚して支持者らに結集を呼び掛けると明らかにした。

 7日に起きた全国規模の停電は9日になっても全面復旧に至らず、国民の不安と不満が高まっている。首都での集会でグアイドは「カラカスに結集しよう。団結が必要であり、

そのために全国を回って皆を連れてくる」と述べた。行脚や大規模デモの実施時期は明らかにしなかった。

 ドイツ。東京電力福島第一原発の事故から8年になるのを前に9日、ドイツ各地で環境団体らによる反原発デモがあった。

ドイツ政府は事故後、2022年までの「脱原発」を決めたが、参加者らは世界中の原発の「即時停止」を訴えた。ベルリンでは300人が参加。風力発電をイメージした「かざぐるま」を手に

1時間、市内を行進。福島で起きた事故は「世界のどこでも起こり得る」などと訴えた。

 ドイツ最大級の環境団体「BUND」の代表フーベルト・ワイガーさんはブランデンブルク門前で「脱原発を決めたとはいえ、核廃棄物の最終処分場も決まらない現状で、稼働を続けていいのか」などと訴えた。

 ワイガーは過去に3度、事故後の福島を訪れたという。

 「原発はとてもコントロールできる技術ではない。日本やドイツばかりではなく、世界中の原発の停止を求める」と語った。ドイツ政府は11年の事故後、世論の高まりを受けて、

 いったん延期を決めていた脱原発の方針を復活。原発は当時17基あったが、現在稼働するのは7基となっている。

 ロシア。北朝鮮製の化粧品や健康食品、建築資材などを専門に扱うインターネット通販サイトを開く計画が進んでいる。

 北朝鮮の後ろ盾として、国連の制裁緩和を求めるロシアの北朝鮮支援策の一環。ロ朝貿易を増やして経済関係を密にすることで、国連の制裁に苦しむ北朝鮮の外貨獲得を助ける狙いがある。

 サイトの設立計画を発案した沿海地方朝鮮協会の会長ワレンチン・パクさんによると、ロシア極東ウラジオストクにロ朝の合弁会社を設け、北朝鮮との貿易やサイトの運営などをする。

 ロシア側が官民合わせて計約7割を、北朝鮮側が約3割を出資。大統領プーチンが毎年出席し、9月にウラジオストクで開かれる東方経済フォーラムの今年の開催までに運営を始める目標だ。

 北朝鮮との貿易は国連制裁で厳しく制限されているが、パクさんは「商品は全て国連制裁の対象外」という。

 「品質は非常に高く、需要は見込める。規模は小さいが、北朝鮮の外貨獲得の助けになる」と期待する。計画は、モスクワで4〜6日にあったロ朝の政府間委員会でも話し合われ、

 合弁会社を3月中に設立することに合意した。インタファクス通信によると、同委員会に参加したロシアの極東・北極圏発展相コズロフは「貿易が禁じられていない商品の流通を促し、

 ルーブルで決済する方法を検討している」と話し、国連制裁に触れない枠組みを政府間で協議していることを明らかにした。

 カナダ。首相トルドーが大手建設会社の贈賄事件に介入しようとしたとの疑惑が持ち上がり、苦境に立っている。

 トルドーは「不適切なことはしていない」と否定するが、元閣僚が介入を認め、側近が辞任に追い込まれた。閣僚を男女同数にしたり、難民受け入れに積極的だったりと、リベラルな政策で

 国際的に認知されるトルドー。この問題を受けて支持率は急落し、10月までにある総選挙への影響も必至だ。

 問題になったのは、カナダの建設会社SNCラバランが、2011年まで続いたカダフィ政権下のリビアで贈賄を働いたとされる事件を巡る対応だ。有罪になると公共事業を10年間受注できなくなるため、

 同社は罪を認めて罰金などを払う代わり、裁判を打ち切る司法取引を希望。

 司法当局は裁判を続けることを決めたが、トルドーや首相秘書官らが当局に取引に応じるよう働きかけたとされる。政権にとって大打撃なのは、1月までトルドー内閣の法相兼司法長官を務めた

 ウィルソンレイボールドが「介入があった」と証言したことだ。

 カナダ紙が同氏が事件をめぐって首相から圧力を受けていたと報道。同氏は内閣改造で格下の退役軍人相に横滑りしたが、2月12日にはこのポストを辞任していた。

 同氏は2月末に下院司法委員会に出席し、昨年9〜12月、首相や周辺の計11人から「司法取引をしなければSNC社の経営が悪化し、従業員の雇用に影響する」と働きかけを受けたと証言。

 同社が従業員を多く抱えるケベック州で、トルドーが「選挙が迫っている」と述べたとし、政治目的の介入だったことを示唆した。

 要求に応じなかったため、内閣改造でポストを奪われたとも主張した。

 英国。シリアの過激派組織「イスラム国」(IS)支配地から逃れ、出身地である英国への帰国を訴えていたIS外国人戦闘員の妻シャミマ・ベグムさん(19)が出産した男児が死亡したことが9日までに明らかになった。

 男児は生後3週未満で、肺炎だったという。英メディアが伝えた。

 最大野党労働党などは、ベグムさんの帰国を認めずに国籍剥奪手続きを決めた内相ジャビドに男児死亡の責任があると批判している。

 ベグムさんは2015年にロンドンからシリアのIS支配地域に渡航。妊娠9カ月だった先月、英メディアの取材に応じ、帰国して生まれる子どもと静かに暮らしたいと訴えていた。

 米国。日本の大震災と福島第一原発事故から、まもなく8年。

 福島第一で汚染水処理問題が続く中、カリフォルニア州サンディエゴでは、2つの集団訴訟が却下の憂き目にあっていた。今月4日(米国時間)、サンディエゴにある連邦地裁が、

 「トモダチ作戦」の名の下、被災地の救援活動に従事した420名を超える米兵たちが被曝により健康被害を受けたとして、東京電力と原子炉を設計したジェネラル・エレクトリック社(GE)に対して

 起こしていた2つの集団訴訟を却下した。

 1件目の提訴は2012年、2件目は2017年に起きており、それぞれ、医療費など1ビリオンドル以上の損害賠償を求めていた。当時、米兵たちは、サンディエゴを基地にしている

 空母ロナルド・レーガン号に乗船し、韓国に向かっていたが、大地震により津波が発生したため、福島沖から被災地に救援物資を運ぶなどの活動に従事することとなった。

 しかし、米兵たちは、津波がメルトダウンを引き起こしたことや太平洋に放射性雲が広がっていることは知らされていなかった。また、原発事故後最初の一週間は、放射線防護のない状態で、船上で活動した者もいた。

 救援活動にあたった米兵の中には、甲状腺癌、胆嚢癌、脳腫瘍などの癌を発症し、亡くなった者もいるという。また、直腸出血、頭痛、脱毛などの症状が現れたりした者や先天性欠損症のある胎児を身ごもった女性もいるという。

 そんな米兵たちの弁護を担当しているのは、元上院議員のジョン・エドワーズをはじめとする弁護士たち。

 エドワーズは、2004年の大統領選に出馬した民主党大統領候補ジョン・ケリーが副大統領候補に指名した“民主党のホープ”だった。乳がんと戦っていた妻と二人三脚で歩んできたことでも知られていたが、

 2008年の大統領予備選の最中に不倫と隠し子問題が発覚、政治家としては失脚した。

 エドワーズは、その後、弁護士としての活動に復帰、現在、娘のケイト・エドワーズさんらと米兵たちの弁護にあたっている。米兵たちの訴えに対し、東京電力側の弁護士は、米兵たちが受けた

 被曝量はごくわずかで、救援活動に従事した7万人の米兵中300〜400人が健康被害を受けるほどではないと主張。

 救援活動中の被曝と健康被害に因果関係を認めていない。しかし、ケイトさんは因果関係があると主張、2017年11月、弁護士が購読している裁判所ニュースサービスのインタビューで、こう訴えている。

 「なぜ、若く、健康で、鍛えられた人々が癌になるの? 甲状腺の問題を抱えているの?偶然だとは思えない。外的要因がなければ起こり得ないこと。彼らはみな福島で被曝するという同じ体験をしているのよ」

 ケイトさんによると、原告のうち23人が癌に罹患しており、彼らの多くは20代初めに福島の救援活動に従事していたという。

 また、乗船していた米兵の中には手足を自由に動かせなくなったり、背部に問題を抱えていたり、視力を喪失したりなどの変性疾患を抱えている者もいるという。

 米兵の子供や胎児にも影響が見られるようだ。ある米兵の子供は、生後26ヶ月の時、脳腫瘍と脊椎癌で亡くなり、ある女性米兵は妊娠中に先天性欠損症のある胎児を宿していることがわかり堕胎を選んだという。

 米兵たちが受けた被曝量もごくわずかではないかもしれない。『封印された「放射能」の恐怖』(講談社刊)の著者博士クリス・バズビーは、事故後、米国エネルギー省が各地で測定した

 線量データを入手していたが、それによると、福島から500キロも離れた太平洋上の船上でも、大量のヨウ素とセシウムが測定されていた。

 審理では、司法権が日米どちらの管轄になるのかが焦点となった。東京電力もGEも、訴訟は日本の管轄下にあると主張。しかし、エドワーズは、米兵たちの視点から物事を見るべきだとして、

 以下のように訴えた。

 「彼らは米国の海兵隊員であり、米国に仕えている米国の従業員で、同盟国である日本の政府(東電の株の大半を所有している)のリクエストで米国の船に乗船して海外の海に送り出された。

 海外の洋上で、米国の船に乗船しているということは米国の国土にいるということだ。原告の大半はサンディエゴをベースにしており、GEはサンノゼの本社で原子炉を設計したので、

 訴訟はカリフォルニア州で行われるべきだ。彼ら(東電やGE)は日本でなら訴えを消し去ることができると思い、日本での訴訟を望んでいるのだ。それが彼らの戦略だ」

 米兵たちは、日本の司法制度では、公正な裁判を受けられないと感じているという。日本の被災者や遺族が十分な慰謝料を得られていないからだ。

 また、裁判が日本で行われる場合、日本の原子力損害賠償法では、責任が追求されるのは原発を運営していた東京電力で、原子炉を製造したGEに対しては責任が追求されず、GEに対する訴訟は却下されるという。

 “フェアウィンズ・アソシエイツ”のチーフエンジニアを務める原子炉専門家アーニー・ガンダーセンも、GEに対する訴訟については、「格納容器の設計、津波の高さの想定、原発の海抜の高さなど、

 福島第一原発事故の致命傷となったものは、“メイド・イン・米国”なのです。ゆえに、GEは米国で訴えられるべきです」と主張していた(詳しくは、福島原発事故の被害者団体がGEに対して“500ミリオンドルの集団訴訟” 

 ボストンの連邦裁に提訴を)。

 しかし結果的に、判事は、原告にとって日本で訴訟を起こす方がカリフォルニア州で訴訟を起こすより難しいことは認めつつも、原告は日本で訴訟を起こし、日本の法律が採用されるべきだと判断したのだ。

 日本で訴訟する場合、米兵たちは日本に渡航しなくてはならない。日本にいる弁護士を雇い、医療記録を和訳するなどの作業をする必要もある。また、健康上の理由から、日本への渡航が

 困難な者も少なくないだろう。何より、訴えが却下されたことで、原告側から望みが失われてしまったのではないか。

 弁護士団の一人、ポール・ガーナー弁護士は、3月6日(米国時間)、今回却下されたことについて「正義というものを信じられないほど茶番にしている」と憤り、「病気になったり

 死んだりしている米国の人道主義者たちが、日本で意味のある賠償を得られるというのは作り話だ。我々は、クライアントたちが米国の司法制度下で賠償を得られるよう、さらなる

 手段を講じるつもりだ」と控訴する構えを見せている。被曝した米兵たちの闘いはこれからも続く。

 ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 北の大地。胆振東部地震では、商工業を営む人たちも大きな被害を受けた。

 発生から半年。昨年10月に会ったむかわ町の白田忠美さん(61)が営む「白田電気商会」は、60年以上続く「町の電器屋さん」。急な早朝の修理の依頼にも対応してきた。

 昨年9月の地震で店舗は傾き、壁がはがれた。自前でプレハブを借りて営業を続けてきたが、今後は被災業者が集まる仮設施設で営業。

 「多くの人に支援してもらった。お返しのためにも元気な姿で仕事しないと」と話す。むかわ町の生花店「花よし」は、店舗が全壊した。店主の小泉雅美さん(54)と妻の裕美さん(45)は数日後には、

 店舗裏の倉庫で営業を再開。その後は、プレハブで営業を続けてきたが、水を多く使うことなどから、排水設備を整えた店舗を新しく建てることにした。

   10年以上のローンを組み、資金面で不安も残る。雅美さんは「一日一日、するべきことをしていきたい」。

 青森。原発や核燃料サイクル政策に反対する青森市の市民団体は、けふ市内で集会を開き、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)の即時廃止を求めた。

 同工場は、稼働に向けた原子力規制委員会の審査が大詰めを迎えている。

 団体によると、集会には700人が参加。あいさつした浅石紘爾弁護士は「再処理には将来の展望もなく、危険に満ちている」と主張。「県内の活動から世論を盛り上げることで

 政治家も動く」と声を上げた。参加者は集会後、「核燃サイクル絶対反対」などとシュプレヒコールを上げながらデモ行進した。

 弘前市土手町の「ルネスアリー」の2階に、青森県初の外国人・個人旅行客向け簡易宿泊施設「カフースタイル」が、オープンした。

 1階の飲食店街などとともに中心市街地活性化やインバウンド(訪日外国人旅行)対応の要の一つとして期待されている。

 カフースタイルは、総合広告代理事業や不動産業などを手掛ける「招福」(東京都)の宿泊部門カフーグループが運営。最大定員は72人で、男専用フロアに26人分、女性専用フロアに20人分のカプセルを用意。

 スキーやスノーボード目的で訪れる宿泊者向けに、メンテナンス台なども設置する。

 女性客への配慮から、女性専用フロアは暗証番号式の電子ロックを完備。6人用の個室3部屋、4人用2部屋の準備して、外国人旅行者に和の雰囲気を感じてもらおうと畳敷きの和室仕様。

 英語・中国語の施設案内や土手町マップなども用意。カフースタイルの代表金原俊和さんは、沖縄県でゲストハウスを経営した経験から「カプセルホテルよりもゲストハウスを意識している。

 宿泊客とスタッフが仲良く交流できる空間にしたい」と話している。

 料金は1泊3千円から。弘前市民に限り、部屋に空きがあれば2千円で宿泊できる。金原さんは「ダーツや卓球台などの娯楽もありワイファイも完備しているので、気軽に来てほしい。

 海外や県外にPRするには、まず地元の人に知ってほしい」としている。

 オープン初日は、宿泊料金が千円になるサービスを実施。問い合わせはカフースタイル(電話0172-26-8483)。

 岩手。明日11日で震災から8年を迎える。

 津波で1700人以上が犠牲となった陸前高田市では、今も復興工事が続く。ライトアップされた「奇跡の一本松」の向こうに、建設中の防潮堤と戻りつつある街の明かりが見えた。

 陸前高田市ではかさ上げした土地の造成が続くが、中心部の高田地区や宅地が広がる今泉地区では7割が利用未定のまま。

 今泉地区で新居を構えた男(71)は「新居は天国。でも人があまりいないんだ」と空き地ばかりの造成地を見つめた。

 宮城。大震災は明日11日、発生から8年を迎える。

 8日現在の警察庁のまとめでは、岩手、宮城、福島の3県を中心に死者は1万5897人、行方不明者は2533人に上る。明日11日は午後2時46分の発生時刻に合わせて

 全国各地で追悼行事が行われる。けふ10日も被災地では祈りがささげられた。

 岩手県山田町では震災で犠牲になった消防団員9人の慰霊碑が建立された。宮城県石巻市は被災市町村として最多の災害公営住宅4456戸の整備を終えた。

 福島県では東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除が進むが、依然として第1原発が立地する双葉、大熊両町の全域と、5市町村の一部で避難指示が続く。

 大震災の被害に遭った岩手、宮城、福島3県の市町村が整備した災害公営住宅で入居世帯の28%に当たる5820世帯が高齢者(65歳以上)の1人暮らしであることが、

 共同通信のまとめで分かった。全国の世帯数に占める単身高齢者の割合(2017年)が12%であるのと比べ高い水準。

 入居後に孤独死した人は市町村が把握する範囲だけで55人に上る。高齢者の孤立を防ぐ取り組みが急務だ。

 38市町村が災害公営住宅を整備済みで計画の98%の2万2千戸が完成。2万914世帯、3万9949人が暮らす。入居者の42%の1万6806人が高齢者で、うち3人に1人が1人暮らしだ。

 福島。ふるさとは原発事故で帰還困難区域になった。祖母を亡くしたつらい記憶もよみがえる。そんな妻の、支えになったのは夫だった。

 妻が生まれ育った双葉町の職員に転職し、長引く避難生活で綻(ほころ)んでいく町と妻との間を、新たな糸になって結ぼうと決めた。保育士の白石茉希子(まきこ)さん(27)は

 毎年3月になると祖母の叫び声を思い出す。小学校からの帰り道、毎日のように自宅の隣に住む祖母に会いに行った。

 笑顔でコタツに座る祖母を見ながら、「柿の種」やミカンを食べた。家の前に100本以上のブルーベリー畑が広がっていた。震災の時はバレーボールに打ち込む福島大の学生だった。

 母と姉と3人で単身赴任だった父を頼って千葉県柏市に逃げ、祖母は親戚と埼玉県加須(かぞ)市の廃校していた高校に避難した。

 「おらを捨てに来たのか。双葉に帰してくれ」、軽い認知症だった祖母は地震前後の記憶が抜け落ち、高校の柔道場で大きな声で叫んだ。「ばあちゃん、地震があったんだよ」。

 茉希子さんは毎週のように加須市に通って、抱きかかえるようにして言い聞かせた。しかし、1カ月後に亡くなった。90歳だった。

 年月が経っても、茉希子さんは下宿先のアパートで時々、「ばあちゃんにもっとしてあげられることはなかったのかなあ」と泣いていた。バレー部の二つ下の後輩に電話をして、

 悩みを打ち明けた。ただ静かに話を聞いてくれた。

 その後輩、白石亮佑(りょうすけ)さん(25)は秋田県出身。茉希子さんの卒業後、自然な流れで交際が始まった。亮佑さんも2016年に大学を卒業し、福島市の一般社団法人に就職。

 翌年の元日に2人は結婚した。

 大震災からの復興を願い、支援するためのコンサートが、きのふ相馬市で開かれた。

 イタリアのロッシーニ歌劇場管弦楽団と、日本とイタリアのオペラ歌手らが共演。震災から丸8年となる11日を前に、イタリアの作曲家ロッシーニの名曲が演奏された。

 冒頭、全員が起立して黙とう。バチカンを代表して来日した枢機卿モンテリージが「ローマ法王フランシスコは被災した日本の皆さんと痛みを分かち合い、遺族らのために祈っている」とあいさつした。

 コンサートにはイタリアのミラノを拠点に活動するテノール歌手、榛葉昌寛さんらが出演した。

 新潟。きのふの昼ごろ、佐渡市の沖合で、佐渡汽船の高速船がクジラのようなものと衝突する事故があり、80人がケガをした。

 このうち13人が重傷となっている。

 事故があったのは佐渡市姫崎の4.5キロ沖合い。新潟海上保安部などによると正午すぎ、新潟市と佐渡市を結ぶジェットフォイル「ぎんが」が、水中浮遊物と衝突し乗客が負傷したと通報があった。

 当時ジェットフォイルには125人が乗っていたが、80人がケガをして、このうち13人が重傷。

 佐渡汽船は、「ぶつかったのはクジラではないか」とみている。船は後ろの部分に15センチの亀裂がみつかったほか、海面の下にある水中翼も曲がっていて、新潟海上保安部などが事故の原因を調べている。  千葉。昨夜9時前、木更津市中央のマンションから「男の人が血だらけで倒れている」と110番があった。

 千葉県警によると、木更津市議の石川哲久さん(71)で、1時間後に死亡が確認された。体には複数の傷があり出血していたが、現場に凶器はなく、県警は殺人事件の可能性があるとみて捜査している。

 石川さんは妻と2人暮らし。昨夜7時半ごろ、妻が夕食後に外出し、午後8時50分ごろ帰宅した際、12階の自室前の廊下にうつぶせで倒れている石川さんを見つけた。

 石川さんは2015年4月から市議で1期目。警察は、この事件に関連して男の身柄を確保し、事情を知っているとみて調べている。

 長野。白馬村の八方尾根の北側斜面で、きのふ9日にスノーボードをしていた東京都町田市、会社員木藤貴之さん(48)ら2人が滑落する事故があり、大町署がけふ県警のヘリコプターで木藤さんを救助したが、死亡が確認された。  同行していた神奈川県茅ケ崎市の会社員児玉丈さん(32)はきのふ救助され右脚骨折などの重傷。

 2人はきのふ入山。スキー場から離れた場所で自然の雪山を滑るバックカントリースノーボードをしていた際にそれぞれバランスを崩し、木藤さんは数百m、児玉さんは数十m滑落したという。

 きのふの9日午後0時過ぎ、目撃した男が110番した。

 東京。福生市の公立福生病院の人工透析中止問題で、昨年8月、医師が腎臓病の女性(当時44)に人工透析治療を中止する選択肢を示していた問題で、外科医(50)は2014年ごろ、

 透析治療中止という方針を院長(当時・副院長)松山健に提案し、院長が了承していた。

 その後、患者に対して治療をやめる選択肢の提示が始まり、昨年8月に亡くなった女性(当時44)以外にも30代と55歳の男ら数人が治療をやめる選択肢を示され、少なくとも2人が死亡した。

 了承した理由について院長は「選択肢を患者に提示することが普通の医療だから」と話している。

 院長松山は先月下旬、病院内で新聞毎日に応じた。昨年死亡した女性を巡っては、外科医と腎臓内科医(55)が昨年8月、「透析を受けない権利を患者に認めるべきだ」とする考えに基づき、

 透析治療の継続と、「死に直結する」という説明とともに治療をやめる選択肢を女性に提示。

 女性は治療をやめる意思確認書に署名したが、「撤回しようかな」などと治療再開の意思を示して亡くなった。院長松山は「いろいろな選択肢を(女性に)与え、本人が(透析治療の

 中止を)選んだうえで意思を複数回確認しており、適正な医療だ」と強調。

 5年前から透析治療中止を容認していたため外科医らから特段の報告はなく、女性のケースを知ったのは亡くなった後だったという。

 病院は、日本透析医学会のガイドラインで設置が望ましいとされている倫理委員会を開かなかった。

 院長は「普通の医療の一環だから」と説明。「(病院全体で)年間200〜300人が亡くなる。毎回開くのは非現実的だ」と話した。一方、病院では13年4月〜17年3月、最初から

 透析治療をしない「非導入」の選択肢を終末期ではない患者計149人に示し、20人が死亡した。末期的な容体に限定している学会のガイドラインから逸脱しているが、院長は

 「非導入の選択肢は必要で、その方が倫理的だ。(他の医療機関は)『非導入の選択肢はない』と表向きは言うかもしれないが、患者を診ていたら(非導入が)あり得ることは医療人の

 誰もが思っていることだ」と話した。

 また、院長は終末期医療について「意識がなく、意思表示が全くできない患者がいる。胃ろうや人工呼吸器は生命的には永らえる。医療費もそれなりに発生するが、それを是とするかどうかだ」と指摘。

 「透析治療を含め、どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」と語った。

 愛知。昨夜10時過ぎ、岩倉市下本町の集合住宅2階の一室から出火し、この部屋が全焼し、焼け跡から男1人の遺体が見つかった。

 住人の男と連絡が取れておらず、江南署が身元を確認している。

 集合住宅は鉄筋コンクリート3階建てで、19室ある。現場は名鉄犬山線の岩倉駅から東へ800mほどの住宅街。

 滋賀。原発再稼働に反対する「原発のない社会へ2019びわこ集会」が、きのふ大津市本丸町の膳所城跡公園などで開かれ、集会やデモ行進などに1千人が集まった。

 市民団体などの呼び掛けで2013年から開催され、今回で7回目となる。

 集会では、元金沢地裁裁判長で、石川県の志賀原発二号機の差し止めを認める判決を下した井戸謙一弁護士が原発の稼働状況などを報告。井戸さんは「将来、多くの裁判所が原発差し止めを

 認める日が来るはず」と訴えた。

 デモ行進は、「危険な原発、今すぐ止めろ」、「再稼働反対」などと声を張り上げながら、公園からOh!Me大津テラスまで1.8キロを歩いた。

 大阪。自分の手で作れるものは自分で作りたい。そんな思いから、大和葛城山のふもとの河南町下河内地区に2018年4月、糀やみそを手作りする工房「下河内糀屋」を開いた。

 大学を卒業した04年、就職したのは大手食品メーカー。

中高時代は千早赤阪村や河南町で過ごし、「都会で働くサラリーマン」にあこがれた。有機農業をしていた母の影響で小さい頃から食に関心もあり、進んだ道だった。

 だが想像とは全く違った生活が待っていた。営業の仕事では生産者や消費者の顔が見えないまま成果を求められた。

連日夜遅くまで働き、帰りに買った弁当を家で食べる日々が続いた。「食卓を提案する仕事なのに、自分で食事を作ることもできない。仕事で食べ物を扱っている実感もない。

何のために働いてるんやろう」。疑問がふくらみ、4年で退職した。

 08年、バックパッカーとして世界一周の旅に出た。行き先は韓国、インド、中東や欧米など10カ国以上。リュック一つで地元のコミュニティーに入り込み、現地の暮らしを体験した。

 旅の最後に訪れた中南米での体験が今につながる。メキシコ南部のチアパス州では電気もなく必要最低限のものだけで2週間滞在した。

キューバの漁村では、とった魚や野菜で自給自足の生活を送った。「みんな食べるために生活している」。会社員時代の自問に答えが出た気がした。「帰国したら自分の力で生きていく暮らしをしよう」。

 理想は農業で生計を立てること。だが子育てをしながらでは難しいのもわかっていた。

 高齢者施設や保育園で調理の仕事を経験し、「子どもからお年寄りまで、安心して食べられるものを作りたい」。そう感じていたとき、友人を通じて三重県伊賀市の糀職人と出会った。

 泊まり込みで糀づくりを学びにいくと、大々的な設備があるわけでもなく、そこで見たのは自宅と変わらぬ風景。「うちでもできるやん」と思い立った。

 河南町にある実家の納屋をリフォームし、糀を寝かせる木製の「糀室(むろ)」は昔使っていたタンスを改造して自作。

 地元のお米や有機栽培の大豆を使い、昔ながらの製法でみそ作りを始めた。友人に誘われて16年に河内長野市の手作り市で販売するとすぐに売り切れ、翌年にはリピーターも訪れてくれた。

 「これでがんばっていこう」。心に決めた。

 大手とは違って大量生産はできない。それでも「人の生活のためになっている」と実感する毎日だ。評判は口コミで広がり、作った分は毎回完売。手作りのみそや糀はお客さんの食卓を彩り、

 自分たちの生活の糧にもなる。「手間はかかるし、効率は悪いかもしれない。でも小さい市場を自分で作って生活のために働けている。やりがいはすごくあります」

 《志賀 野恵》1980年、大阪市西成区生まれ。関西大学社会学部を卒業後、大手食品メーカーで勤務。退職後のバックパッカー旅行中に中米グアテマラで出会った日本人の男と結婚し、

 現在3児の母。手作りするみそや糀は、道の駅「ちはやあかさか」(千早赤阪村)など5カ所で委託販売している。

 岡山。夜の倉敷市美観地区一帯を、ろうそくやぼんぼりで照らす「倉敷春宵あかり」が、きのふ始まった。

 16、17日と合わせた計3日間を中心に、白壁の町並みに趣を添え、幻想的な世界を演出する。メイン会場の倉敷川沿いには、120本のろうそくが点灯。大原家旧別邸・有隣荘(倉敷市中央)前には、

 ランプシェードに見立てた和傘が連なった。西日本豪雨災害からの復興へ願いを込めた催しもあり、初日には、甚大な被害を受けた倉敷市真備町地区の住民らでつくる「真備町竹のオーケストラ」が

 町特産の竹製楽器で演奏を披露。16、17日には同地区の児童が復興の誓いなどを記したガラスコップを並べ、明かりをともす。

 倉敷市の女性(85)は「風情ある町並みが引き立つ。大勢の人が倉敷へ来てくれて、復興への後押しにもなりますね」と話していた。

 点灯はおおむね午後6時〜9時。町家、観光施設などの窓に影絵を映し出す「影絵あかり」は17日まで毎日行われる。

 広島。江田島市に残る旧海軍兵学校の下士官兵集会所「海友舎」の一部は、呉鎮守府の施設を移築した?――。

 文献に残るルーツを呉工業高等専門学校の教員と学生が解き明かし、きのふ現地で発表した。

 建物の調査で得たデータを、古い写真や防衛省防衛研究所で見つけた図面と照合。「呉から移築した可能性が高い」と結論付けた。海友舎は2階建てと平屋の建物からなる木造の洋館で、

 旧海軍の士官養成機関だった海軍兵学校に勤務する下士官兵の福利厚生施設として使われていた。

 建物西側の2階建ての棟については、明治末頃の1906年に着工したとする史料がある一方、東側の平屋棟は昭和初期、呉鎮守府の下士官集会所内の「桜松(おうしょう)館」を

 移築したという記録が存在。呉高専の特命准教授谷村仰仕(たかし)と准教授光井周平らが、この平屋棟の移築の裏付けを進めてきた。

 その結果、平屋棟の外周の長さが桜松館とほぼ一致することや、玄関庇(ひさし)や窓、床下換気口などの意匠が著しく似ていることが判明。工法にも共通点があることから、

 「昭和3年(1928年)に桜松館を改築した際、明治期に建った2階建ての棟の裏に移築した可能性が高い」との見方に至った。

 発表会には、海友舎をイベントやギャラリーに活用し、江田島の歴史文化を全国に発信する「ぐるぐる海友舎プロジェクト」のメンバーが参加した。かつて旧海軍の主要港にそれぞれ

 あった集会所も、現存するのは江田島と呉のみといい、代表の南川(なんかわ)智子さん(30)は「海友舎の価値を改めて認識した。今後の活動に生かしたい」と話した。

 愛媛。大震災から8年を迎えるのを前に岩手県の地元紙、岩手日報社の報道部次長鹿糠敏和(39)が、きのふ松前町北黒田の伊予高校で講演し、当時の状況をまざまざと伝えるとともに

 災害への心構えや教訓を訴えた。1、2年生と教職員、地元住民ら600人が聞き入った。

 大船渡市で被災した鹿糠はビルの屋上に到着した1分後に津波が押し寄せるのを目の当たりにし、「来る波以上に引き波が怖い」、「爆撃を食らったよう」。その後の記憶はあやふやになるほどだったが、

 1週間余りで漁業を再開しようとしている漁師に感銘し「記事にしたい」とわれを取り戻したという。

 また日報社は「命を大切にする報道」を心がけているとし、震災後に5万人分の避難者名簿を載せたたほか、3500人の犠牲者の人となりを記事化したと説明。亡くなった人の行動も

 分析しており、「とにかく逃げる。逃げたら戻らない」、「避難場所は安全と思わず少しでも高い場所へ」などと強調した。

 2年の男子生徒(17)は「(被災した)体験が生々しくて体が震えた」。2年の女子生徒(17)は「亡くなった人の教えを生かしていかなければならないということが印象に残った」と話し、

 南海トラフ巨大地震などへの備えの大切さを再認識していた。

 伊予高は教育現場で新聞を活用する「NIE」(教育に新聞を)の2018年度新規実践指定校。講演を踏まえ、生徒は新聞投稿記事づくりにも取り組んだ。愛媛新聞社の担当者から

 「印象に残った内容や言葉を記して」などと教わりながら、講演を記事にまとめていた。

   福岡。外観が左右対称のネオ・ルネサンス様式が特徴で、国の重要文化財に指定されているJR門司港駅(北九州市門司区)が、6年間の改修工事を経て全面開業した。

 1914年(大正3年)の創業時の荘厳な姿に復元され、市長北橋健治は式典で「優雅で幻想的なロマンあふれる駅になった。末永く愛されてほしい」とアピールした。

 木造2階建てで、老朽化のため2012年から耐震補強を兼ねた改修工事が始まった。当時の図面を基に外壁は石張り風のモルタルで覆い、銅やスレートの屋根は天然の石にふき替えられた。

 この日駅前で開かれた式典には福岡県出身のタレントのタモリさんが駆け付けた。

 熊本。「おいしかねえ」、益城町にあるテクノ仮設団地で、全国の大学の学生ボランティアが、きのふ「復興食堂」を開いた。

 子どもからお年寄り60人が全国各地の郷土料理に舌鼓を打った。熊本学園大を中心に全国の学生ボランティア20人が集結し、料理を手作りして入居者らに無料で振る舞った。

 神戸の「明石焼き」や福岡の「焼きラーメン」など、熊本ではなじみのないメニューが並び、入居者からは「めったに食べられないからうれしい」と声が上がった。

 イカとニンジンを酢やみりんなどであえただけの福島の「いかにんじん」は特に人気で、団地で毎週開かれる食堂で献立を担当する九郎丸アサ子さん(72)は、「簡単でとてもおいしい。

 めんたいこを混ぜてもよさそう」と絶賛。福島大学1年の竹内瑛祐(えいすけ)さん(20)は「そう言ってもらえてうれしい」と、笑顔でおかわりの要望に応えていた。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
            昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

 富山。多彩なカレーを集めたイベント「第2回なんとカレー愛すフェス」が、きのふ南砺市北川(井波)のいなみ木彫りの里一帯で始まった。

 市内外から訪れた多くの来場者が、井波彫刻師らが作ったカレーに舌鼓を打った。

 恒例の「南砺市アイスフェス」を昨年一新。木彫りの里に巨大木彫像がある七福神の一部がインドに由来することからカレーを集めた「愛すフェス」とした。

 カレーやカレーパンなど10種類を用意。南砺市井波の井波彫刻師の荒城雄山さん(66)は和牛の牛すじをふんだんに使った「牛すじカレー」、砺波市杉木の同じく井波彫刻師の音琴冰春さん(60)は

 鹿肉カレーを楽しみにして来たという砺波市となみ町の大井莉心さん(18)は「癖がなく軟らかくておいしい」と笑顔を見せた。井波彫刻師によるチェーンソーアートの実演や

 大正琴演奏などのステージもあった。けふ10日は、ウコンの染料を使った「華麗染体験コーナー」が設けられたほか、3月10日の「サトウの日」にちなんでコンペイトーが振る舞われた。

 福井。音楽イベントによる敦賀市の活性化を目指し、「敦賀音楽祭 カモメ」が16日正午〜午後8時、敦賀市きらめきみなと館で開催される。

 市民による実行委形式で開く。国内外で活動するアーティストや県内高校吹奏楽部が出演し、8時間にわたり音楽の祭典を繰り広げる。飲食ブースも設置する。

 チケットは一般3500円(前売り3千円)、高校生1千円、中学生以下は無料。市内11の飲食店やチケットぴあなどで取り扱う。ツリーカフェ電話0770(21)3033。

 金沢。金沢市の加賀藩ゆかりの地都市間交流推進事業「高山右近と加賀藩前田家の足跡を巡る」は、きのふ石川、富山両県内で行われ、参加者40人がカトリックの「福者」の称号を

 受けた加賀藩ゆかりのキリシタン大名と、前田家のつながりを学んだ。高山右近記念資料館「ギャラリー・ジュスト」(市内)の館長奈良献児さんが案内役を務めた。

 金沢城公園玉泉院丸庭園では、奈良さんが短冊形の石が縦に三つ置かれた場所が1カ所、横に三つ並ぶ場所が2カ所ある石垣の特徴に触れ「キリスト教徒にとって大切な場所で、

 『3』は三位一体の神を表している」と語った。JR金沢駅発着のバスツアーで、一行は七尾市の本行寺、高岡市の高岡古城公園なども訪ねた。

 核なき国を
 夢に見て
 平和な世界を
 願う       広島・三良坂平和公園(三次市)

   Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 もののふの、八十(やそ)娘子(をとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、寺井(てらゐ)の上の、
堅香子(かたかご)の花   家持 万葉集第19巻 4243

 湯涌なる 山ふところの 小春日に 眼閉ぢ死なむと きみのいふなり
                              夢二

 けふ午後の散歩は、何時ものコースで、体育館には14台の車が停まっていた。体育館の横からバスケの音が聞こえた。バス通り下の坂道の四つ角は左折して、そのまままっすぐ行く。

 尾田さんちの庭に梅の花が咲いて、Dr小坂や宇野さんはお休み。

 売りに出ている元洋菓子屋さんの自宅の横の空き地の横のお宅では沈丁花は間もなく咲きそうだ。右手前方の型枠工場を見ると炉の煙が上がっておらず、レッカー車1台は荷の準備中。

   なかの公園の手前は右折して神社の方向へ。徳中さんちの風車は回っていた。

 土谷さんち過ぎて、鮮やかな黄色のクロッカスにムラサキのが咲きだした湯原さんち、婿さんが冬タイヤの交換中。ここを過ぎて、坂本さんち、紫のアヤメ9輪に雪割草、それに三俣が咲いていた。

 庭先におられた松本さんちでは、白の馬酔木に椿がいい。「こんにちわ」に「一服していきませんか」に甘えて、モーツアルトの肖像が入った丸いチョコレートと茶をご馳走になった。

 奥さん生前の時の介護の話など。帰路はみすぎ公園を一回り。雪つりの縄を外した土谷さんちの庭はすっきりしていた。次の次の三叉路はVターン。右手の白梅林は綺麗だ。

 辻の爺さん、山の畑でいなかった。山手ハイツは裏、川上さんちの庭では、黄色の花が待っていてくれた。コンビニの裏通りから帰還へ。

 コンビニ帰りの大筆の爺に会い「こんにちわ」。清水さんちの納屋の紅白の梅の花がいい。ひょっとこ丸はお休み。

 藤田さんちの四つ角過ぎて、飯田さんち旦那はタイヤ交換、奥さんは花いじり中で「ご苦労様」。家の前で子供たちにキャチボールを指せていた修平さんに「こんにちわ、御婆さんの様子は」に

 「施設に居ると足が弱っているね」なんて。瀬戸さん、鱒井さんちの水仙が待っていてくれた。

 朝夕の散歩は〆て、1万737歩、距離は7、5km。

 早いもので3月は10日だ。

 苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
           唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

   わたしはただ一介痩身の無名詩人
 樹間に湧く無量 の感に涙しぼり
 地に満つる落葉や雑草にも
 無情の声を呑み
 天かける白雲に
 うたた民族流離の歌をきく

 よしや骨肉ここに枯れ果つるとも
 八月の太陽は
 燐として 今 天上にある
 されば 膝を曲げ 頭を垂れて
 奮然 五体の祈りをこめよう
 祖国帰心
 五臓六腑の矢を放とう
     昭和二十六年八月(断食悲願の詩より)
                 泉 芳朗

 奄美群島は日本の敗戦によって米軍統治下に置かれ、1953年(昭和28年)12月25日に日本に復帰した。

 年ごとに語り部の減り原爆忌
 身ほとりに どかと居座る残暑かな
 初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
 軒下の土塊に生れ つくづくし
 落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
 袋帯 ぽんと叩きて年新た
 年の瀬や 独り第九をイヤホーン
 おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
 思う事多くなりけり 年の暮れ
 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
            詠み人知らず

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2019年 3月10日(ふ)

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