阪神大震災、発生から24年の朝 命を守る誓い新たに
2019年、亥年、1月17日(木)、曇り時々雨。金沢の最低気温は3度、最高気温は7度。
今朝は、小雨から雨に、寒さはあり。扉の開閉に向かう通いの坊さんが前方に見えた。境内下を流れる寺津用水は汚れたままで、水量は少ない。体育館では車はいない。
バス通りの四つ角から坂道を降りて、右折。
雀のお宿、越野さんちの庭の木々に雀が止まっていた。路はそのまままっすぐ行き、左折。四つ角のシェパードのお宅、裏の檻には居なかった。朝日さんちの前、ティプードル連れて
散歩に出かける若旦那に「お早うございます」。カラスの一群が近くの電線に止まり出した。
中村さんちの畑、レンギョウが咲いていた。ナンテンのきれいな小津さんちの前を経て才田さんち前へ。四つ角は右折して尾山さんちの前から一回り。
浅野さんちの玄関、ハボタンが綺麗だった。四つ角は右折、上村さんち過ぎたところで柴犬連れの高瀬、シュナイダー連れの井上さんに「お早うございます」。槌田さんちのナンテンや
山津さんちの、ナンテンに椿がいい。四つ角のゴミステーション、カラスが生ごみを引っ張り出してくちゃくちゃにしていた。
大柳さんちの前は右折して岡本さんちの角は左折。白のバラと山茶花が待っていた。型枠工場では型枠を積んだレッカー車が出て行った。Dr小坂、宇野さんは出られた後だった。
なかの公園の手前で、玄関の葉牡丹に水仙がきれいな清水の爺さんちの前は右折。神社の方向へ向かった。
新築中の土井さんち、大工さんはまだ来ていないが終ったのかなぁ。徳中さんちは風車は回っておらず。爺さんに会ったので「お早うございます」。小原さんち過ぎたあたりで、前方の
毎田のリサイクル現場からガチャン、ガチャン等ユンボの音が聞こえてきた。辰次さんち前や谷口さんち前も通り過ぎた。吉田さん、玄関の前でタバコをふかしていたので「お早うございます」、
土村さんちの庭の大きな山茶花がいい。ミカンの木にこもがかぶっていて、木蓮がつぼみで、サンシュウに赤い実のなって、水仙の咲いているいる湯原さんち前も、過ぎた。
坂本さんち過ぎてナンテンや椿のきれいな松本さん宅前を経て、今朝はみすぎ公園へ向かわず。
京堂さんち前からバス通りを経てコンビニの裏通りへ。北さんちの四つ角、松浦の爺さんの畑でフキノトウが芽を出していた。ひょっとこ丸は出られた後だ。藤田さんちの4つ角過ぎて、
ゴミステーション横の山本さんちの畑では、カリフラワーの黄色の花がきれいだ。
瀬戸さんちの畑や隣の鱒井さんちの水仙は元気で待っていてくれた。林さんち、玄関前の3個の黄色の花柚子か相変らず今朝も鮮やかだ。
小屋では、取りあえず、何時ものように茶を入れて、後にカフェを点てた。
たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
橘曙覧 (1812~1868)
♪雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ 昔 昔よ 燃えろよペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ 表は寒い くりやくりやと 呼びますペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ じき春来ます 今にやなぎも もえましょペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ だれだか来ます お客さまでしょ うれしいペチカ
1924年(大正13年)童謡・唱歌作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰
6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発生から24年の朝を迎えた。激しい揺れが襲った午前5時46分、各地で追悼行事が営まれ、鎮魂の光や演奏の中で静かな祈りがささげられた。
残り3カ月あまりで幕を閉じる「平成」は、東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)など大災害が相次いだ時代だった。
昨年も大阪北部地震や西日本豪雨など自然は猛威をふるい続けた。阪神大震災を原点に、防災の取り組みや助け合いの心は広がる。市民たちは教訓を引き継ぎ命を守る誓いを新たにした。
鹿児島。今朝9時過ぎ、・口永良部島の新岳が爆発的噴火を起こし、火砕流が発生した。
火口から少なくとも500mまで噴煙が上がったことも確認された。火砕流は居住地域には到達しておらず、噴火警戒レベルは3(入山規制)を維持した。
気象庁は噴火速報を発表した。引き続き火口から2キロ圏で噴火時に飛散する噴石、火砕流に警戒する必要がある。大きな噴石が火口から1キロ飛散し、火砕流は南西と北西に
1・5キロ流れ出た。県などによると、人的被害は確認されていない。
屋久島町は、火口から5キロ離れた番屋ケ峰避難所への避難を呼び掛けたが、解除した。
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子(もとこ)
沖縄は今。名護市辺野古の埋め立て問題。
米大統領トランプに対し、辺野古埋め立ての賛否を問う2月24日の沖縄県民投票まで、埋め立てを止めることを求めている請願署名は開始から30日を過ぎた8日午前9時
(日本時間 8日午後11時)時点で20万2258筆が集まった。
署名は海外のアーティストもSNS(会員制交流サイト)などで署名への協力を求めるなど広がっている。
嘆願書は、ハワイ在住で、母方が沖縄にルーツを持つ作曲家のロバート・梶原さん(32)が提案した。梶原さんは母方が中城(なかぐすく)村出身。同村海外移住者子弟研修に参加した
経験があるほか、ハワイ先住民族の活動にも携わっている。共に独立国だった沖縄とハワイがたどった歴史や現状は似ているとし、辺野古での抗議活動にも何度か参加した。
「多文化のバックグラウンドを持ち、英語が話せる自分なら、沖縄と米国の間に橋を架けることができると思った。米国人に訴えるには、彼らが理解できる方法で取り組まなければならない」
と話している。
署名は13歳以上なら誰でもでき、サイトで氏名とEメールアドレスを入力した後に届く確認メールの指定箇所をクリックすると署名が完了する。
サイトのアドレスはhttps://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa
♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で、安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにもあったのは今さら言うまでもない。
安倍政権の製造物責任は「私にある」と前首相野田佳彦は、ここにきて初めて本音を喋った。
厚生労働省が公表する「毎月勤労統計」の不正調査問題で、政府は明日18日にも、厚労省の事務次官鈴木俊彦ら幹部職員を処分する方針を固めた。
この問題を巡っては、雇用保険などの過少給付対象者が延べ2000万人に上るなど社会的混乱を招いた。
政府は厚労省幹部の責任は重いと判断した。懲戒処分などを検討する。不正調査問題の影響で、2019年度予算案を修正し、閣議決定をやり直すという異例の事態になった。
政府への信頼を大きく損なったことも考慮したとみられる。
また、厚労省は不適切な調査が始まった経緯や関わった職員を解明するため弁護士らによる「特別監察委員会」を設置。けふ初会合を開いた。厚労相根本匠は冒頭で「過去の経緯と
原因を究明し、早急に再発防止策をとりまとめ、雇用保険などの追加給付に全力で取り組む」と述べた。
♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない
絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける
叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった
僕は嫌だ
不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然 支配したいなら僕を倒してから行けよ‥
歌:「欅(けやき)坂46」の「不協和音」。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
核なき国を
夢に見て
平和な世界を
願う
広島・三良坂平和公園(三次市)
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
もののふの、八十(やそ)娘子(をとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、寺井(てらゐ)の上の、
堅香子(かたかご)の花 家持 万葉集第19巻 4243
湯涌なる 山ふところの 小春日に 眼閉ぢ死なむと きみのいふなり
夢二
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651~678)
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
わたしはただ一介痩身の無名詩人
樹間に湧く無量 の感に涙しぼり
地に満つる落葉や雑草にも
無情の声を呑み
天かける白雲に
うたた民族流離の歌をきく
よしや骨肉ここに枯れ果つるとも
八月の太陽は
燐として 今 天上にある
されば 膝を曲げ 頭を垂れて
奮然 五体の祈りをこめよう
祖国帰心
五臓六腑の矢を放とう
昭和二十六年八月(断食悲願の詩より)
泉 芳朗
奄美群島は日本の敗戦によって米軍統治下に置かれ、1953年(昭和28年)12月25日に日本に復帰した。
年ごとに語り部の減り原爆忌
身ほとりに どかと居座る残暑かな
初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
軒下の土塊に生れ つくづくし
落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
袋帯 ぽんと叩きて年新た
年の瀬や 独り第九をイヤホーン
おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
思う事多くなりけり 年の暮れ
桜蘂降るを踏みしめ女坂
のどけしや ゆったり動く象の耳
春光に映ゆるステンドグラスかな
耕人の影うごき初む朝まだき
紅椿 一輪部屋を明るうす
突堤に巨船の泊つる晩夏かな
学びたし夏の球児の一途さを
盂蘭盆や 人見て法を説けと母
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
詠み人知らず
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2019年 1月17日(ふ)
・∴・--------------------------------------------------
【戻る】
■ご感想は?。
日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】
【気象情報】
回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊