玉城リード、佐喜真が激しく追う 沖縄県知事選
2018年、戌年、長月9月24日(月)、曇り。金沢の最低気温は21度、最高気温は28度。
今朝の散歩は、生ごみ捨てのコース、バス停の方向へ向かった。河田さんちの畑、コスモスが10輪余り咲いていた。
ステーションの前の畑、アサガオとニラの花がきれいだ。先客なし、シートを広げて生ごみを入れて、カラスがつつので、対面の今西の爺さんが用意されたペットボトルを
シートの隅に4つ置いてきた。
バス通りの横の道から辰巳へのバス通りの中間、道心の四つ角を、左折した。島さんちのピインクと白のバラがいい。畑へ急ぐ辻の爺さんに黙礼。前方コンビニの裏通りを行く
松本さんが目に入る。ひょっとこ丸は、まだだ。
対面の松浦の爺が畑に来ておらず。北さんちの前、稲穂が垂れている徳田さんの田圃は少し刈ってあった。残りはけふでも刈るのであろう。
コンビニの裏を経て京堂さんち前を渡って、三叉路は左折。清水の御婆さんちの畑には、里芋やズイキの葉が大きくなっていた。みすぎ公園まえから、ムクゲの花の少なくなった
浅加さんちの前辺りから、三叉路は右折した。
清水の婆さんや土谷さんち前を過ぎて、駐車場になっている三角の空き地では、アケビならぬムベの実が10センチぐらいになっていた。
松葉ボタンの綺麗な吉井さんちやガーデンパラソル、ほうずきの咲いている松本さんちまえ、庭で草刈りされていた松本さんに「お早うございます」、「今散歩から帰った
ところです」、「先ほど前方に散歩中の松本さんが目に入りましたが遠いのでお声掛けはしませんでした」。
石鎚ボタンの花も5輪咲きだした坂本さんち過ぎた。
柿の葉のきれいな徳田さんちの三叉路は左折。湯原さんちの庭、薄紫のムクゲに、タデ、ハマナスは花と実を付けて、3輪咲いていた。
樹齢100年は越すというU字型のヒバを見つつ歩いた。土村さんちの庭ではピンクのアサガオが咲いていた。
神社の手前、清水の御婆さんち畑、でっかい赤い花、タイタンビカスが幾つも咲いていた。玄関先では朝鮮アサガオが1輪余り咲いていた。御婆さんに「お早うございます」。
田畑さんち、玄関先のムクゲは数輪になっていて、車はガレージに停まったままで、プランターのアサガオが消えていた。
土谷さんち、納屋の裏の松葉ボタンは萎んでいて、谷口の御婆さんち、赤のセージが目に入る。
辰治さんちの納屋のアサガオが10輪余りできれいだ。徳中さんち風車は、回っておらず。ガレージのチョウチン草は元気だ。ちいさなバラが3輪咲いているペンキ屋さんち
過ぎて、対面の土井さんち、内装工事だが大工さんはまだだ。
なかの公園の手前は左折するが、生ごみ出しに来られた宇野さんに「お早うございます」。Dr小坂はお休みだ。三叉路は左折。金子さんち横の新築住宅、大工さんはまだだ。
型枠工場、お迎えのボンゴは出て行ったようで、アーム付きのトラックは型枠を積んで出て行った。
松本さんちの奥さんに「お早うございます」。空き地ではコスモスが無数に咲いていた。虫の音が大きい。西さんちや山津さんちの前の四つ角過ぎだが、西さんちのムクゲは
3輪咲いていた。
深紅のバラが消えた槌田さんち、アサガオは3輪咲いていた。ガーデンパラソルの花が消えた上村さんち前はバラも消えて、辻さんちの三叉路は左折。二宮さんちの塀には
空色のアサガオが10輪余り咲いて待っていてくれた。紙谷さんち、竹塀の上から濃い紫はバッサリ、白のアサガオのみ3輪咲いていた。
この辺りを一回りした。四つ角には、涌波の親父さん来ていたが姿は見えず。
才田さんち、玄関先の紅く色づいたザクロが7ヶ目に入った。隣の納屋の前、鉢植えには白とピンクのでっかい花、ガーデンパラソル3輪のみ咲いてアサガオは消えていた。
中村さんちのブランターの薄水色の琉球アサガオの花は消えていた。
朝日さんちの前の畑には、スイレンやひまわりも朽ちて、ホウセンカ、ケイト、庭にはアサガオが7輪さいて、シュウメイギクもいい。
二匹のティプードル連れて散歩にでるあんちゃんに会い「お早うございます」。崖の坂道の脇にはおぉ珍しいコルチカムが咲いていた。更に行くと、「ウ、ウー」と唸る
セバードは、今朝は鉄の檻にいた。
戸田さんち、栗とシークワーサーの木が元気だ。中村さんち前のお宅、プランターのゴーヤやアサガオは伐採さプランターのみ残っていた。
中村さんちの庭ではブーンと金木犀の香りせず。高台にある雀のお宿、越野さんち、餌台に雀たちは群がってらず。階段の脇ではアサガオが、上の生垣の金網にも白のアサガオ、
それぞれ5輪が咲いていたのが目に入る。
バス通りへの角では金木犀の香りがせず体育館の駐車場には車は16台。裏のコートからラケットの音がした。入り口の歩道で、3丁目の市村の御婆さんに会い「お早うございます」、
「畑ばかりよりも開くのはいいと歩き出しました」なんて。
寺津用水、濁りは無くなったが、水量はきわめて少なかった。小屋では、朝飯の後、茶にカフェを立てて、時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。
たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
橘曙覧 (1812〜1868)
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
昭和24年 長崎の鐘 作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 唄:藤山一郎
沖縄県知事選。投開票前の“ラストサンデー”となったきのふ23日は気温30度を超す真夏日となった。
共に新人の前宜野湾市長の佐喜真淳(54)と前衆院議員の玉城デニー(58)は知事選と同じ30日に投開票される宜野湾市長選の応援演説に駆け付けた後に県内各地で
演説や有権者とのスキンシップを重ね、浮動票の取り込みに汗を流した。
接戦、玉城リードなどと伝えられる中、一票でも支持を広げようと有権者に直接語り掛け、固い握手を交わした。
佐喜真は朝一番に宜野湾市長選の応援に駆け付けた後、浦添市の大型商業施設前で、東京都知事小池と街頭演説し、買い物客などに支持を呼び掛けた。「キャンプ・キンザー、
那覇軍港、普天間飛行場など嘉手納より以南の千ヘクタールの返還、跡地利用は未来の宝だ」と話し、政府が進める米軍基地の統合・返還計画の加速を訴えた。
午後は宜野湾市のビーチで若者たちと交流した後、県庁前、うるま市安慶名交差点、沖縄市役所前で自民党の筆頭副幹事長小泉進次郎と並び街頭演説。
若年層や無党派層の支持拡大を図った。「県民が豊かさを感じられる沖縄にしたい」と訴え、所得の向上や子育て支援を強調し、有権者と笑顔で握手を重ねた。
玉城は午前中、宜野湾市長選の出発式に参加した後、うるま市で街頭演説を行った。午後は浦添市内を回り、スーパーマーケットの前で家族連れや買い物客に支持を訴え、
握手を交わした。夕方は、那覇市安里のさいおんスクエア前で若者らが企画したトークイベントに参加した。DJの軽快なビートが流れる中、若者らが多様性の尊重や人に優しい
社会の実現を要望。LGBTとして生きづらさを抱えてきたという若者は玉城の掲げる「県LGBT宣言」への期待を伝えた。
玉城さんは、多様性のある琉球の歴史や文化を大切にすることや、世界との懸け橋となり平和や基地問題を訴えていきたいと熱く語った。若者らと笑顔で写真撮影に応じていた。
♪やさしさと かいしょのなさが 裏と表に ついている そんな男に 惚れたのだから
私がその分 がんばりますと 背(せな)をかがめて 微笑み返す 花は越後の 花は越後の 雪椿
夢にみた 乙女の頃の 玉の輿には 遠いけど まるで苦労を 楽しむように
寝顔を誰にも 見せないあなた 雪の谷間に 紅さす母の 愛は越後の 愛は越後の 雪椿
昭和62年 雪椿 作詞:星野哲郎 作曲:遠藤 実
北の大地。北海道電力は、地震で停止し21日に試運転を始めた苫東厚真火力発電所2号機(厚真町、出力60万キロワット)について、今週前半を予定していた再稼働を
10月中旬以降に延期すると発表した。
機器の一部に新たな不具合が見つかったため。18万キロワットで試運転を継続しながら修理を急ぐ。北海道では大雪山系旭岳が平年より早く初冠雪するなど、朝晩を中心に
気温が下がっている。北海道電は暖房使用の増加に備え対応を急ぐが、電力不安の解消がやや遠のいた形だ。
北海道電力によると、燃料の石炭を効率よく燃やすため粉砕する「微粉炭機」と呼ばれる機器で異常な温度上昇が起きた。
哀愁を帯びた旋律で知られる民謡「江差追分」の日本一の歌い手を決める全国大会の決選会がきのふ、江差町で開かれた。
会場には地震の義援金の募金箱が設置され、大会長の町長照井誉之介は「鎮魂の歌でもあり、大会を通じて(被災地に)エールを送りたい」と語った。
21日に始まった全国大会は370人が少年、一般、熟年の3部門で競った。一般の部で優勝した北斗市の主婦井上さつきさん(35)は「いろいろな人が今まで支えてきてくれて
優勝できた」と涙。少年の部で優勝した堺市の中学3年今井柚唯子さん(14)は「優勝すると思っていなかったのでうれしい」と語った。
♪哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
♪島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。
沖縄県知事選(30日)投開票。前衆院議員の玉城デニー(58)がリードし、前宜野湾市長の佐喜真淳(54)が激しく追っている。他の2人は厳しい戦い。
これは22、23日、新聞朝日が沖縄タイムス、琉球朝日放送(QAB)と共同で、実施した電話調査に、取材で得た情報と合わせて情勢を探った結果による。それによると、
有権者の3割が投票態度を明らかにしておらず、情勢は変わる可能性がある。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対を掲げた知事翁長(おなが)の死去に伴う選挙。玉城は翁長の後継で、共産や社民といった政党や労働組合、
企業などでつくる「オール沖縄」勢力が支援している。一方の佐喜真氏は、移設実現をめざす安倍政権が強力に後押ししている。
情勢調査と同時に実施した世論調査で、知事選で何を一番重視して投票するかを尋ねたところ「基地問題」が42%で最も高く、「経済の活性化」35%、「人柄や経歴」11%、
「支援する政党や団体」6%だった。
投票態度を明らかにした人で見ると、「基地問題」と答えた人の8割が玉城を支持し、「経済の活性化」を選んだ人の7割が佐喜真を支持する傾向がみられた。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設には「反対」が50%、「賛成」は25%だった。
安倍内閣の沖縄の基地問題の姿勢への評価は「評価しない」が63%で、「評価する」は14%にとどまった。「評価しない」と答えた人の大半は玉城、「評価する」と答えた
人の大半は佐喜真を支持している。
支持政党別では、玉城は立憲民主、共産、社民支持層の大半を固め、自民支持層の2割を取り込む。佐喜真は自民支持層の7割強をまとめ、公明、維新支持層の大方を固めつつある。
無党派層では玉城が7割程度に浸透している。
男女別では、男性はほぼ分け合っているが、女性の支持は玉城が多くを占めている。世代別で見ると、全世代で玉城の支持が多い。
知事選にどの程度関心があるか尋ねたところ、「大いに関心がある」が58%、「少しは関心がある」35%、「関心はない」7%で、知事選への有権者の関心の高さがうかがえる。
【調査方法】
コンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式で、沖縄県内の有権者を対象に調査した。有権者がいる世帯と判明した番号は2118件、
有効回答は915人。回答率は43%。
宜野湾市長選がきのふ23日告示され、いずれも無所属新顔で、前県高校PTA連合会長の仲西春雅(はるまさ)(57)と前副市長の松川(まつがわ)正則(65)が届け出た。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画の是非が争点で、県知事選と同じく30日に投開票される。
市長だった佐喜真淳(あつし)(54)が県知事選立候補のために辞職したことに伴うもの。22日現在の有権者数は7万6610人。仲西は「オール沖縄」勢力の支援を受け、
立憲民主、国民民主、共産、社民、自由、沖縄社会大衆の各党が推薦する。
松川は佐喜真の後継として立候補。安倍政権が推し、自民、公明、日本維新の会の推薦を受ける。両候補とも普天間飛行場について「一日も早い閉鎖、返還」を訴える。
辺野古移設に関しては、仲西が「名護市民に同様の負担を強いる県内移設に反対」と強調。松川は賛否を示さず「基地負担軽減の取り組みを推進する」と主張する。
両候補とも知事選候補者との「セット戦術」を展開。仲西は玉城(たまき)デニー(58)とともに「知事翁長雄志の遺志を継承する」と訴え、松川は佐喜真と「市政の継続を」
と呼びかけている。
♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、一昨年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにもあったのは今さら言うまでもない。
安倍政権の製造物責任は「私にある」と前首相野田佳彦は、ここにきて初めて本音を喋った。
立憲民主党代表枝野は、けふ新潟市の講演で「(金融政策で)日銀まで株を買い、皆さんの年金の金で株を買っているのはご承知の通りだと思いますけれど、株を政府が買い支えを
している。値段をつり上げている。その結果、日本における最大の機関投資家は、日銀まで含めれば政府です。政府が最大の株主である国って、社会主義じゃないですか。
安倍さん、日本を中国にしたいんじゃないかと思います。社会主義化をさせているとしか思えない。それで株は高いんだから、景気がいいという幻想を国民に描いている。
必ず、大きなしっぺ返しを受けます。一日も早くそうした状況から脱却できる状況をつくりたい。税金を納めていただいて、再分配されて、所得の低い人たちの所得の押し上げに
使われ、安心感につながれば、結果的に消費が増えてまたもうかる、ということを説明をしながら、税制を抜本的に変えていく方向に進めていきたい」と述べた。
国内の総発電量に占める原子力発電の割合が2050年度には1割未満にとどまるとした環境省の試算が今年2月、経済産業省の反発を受けて公表されずに撤回されていた。
経産省は当時、政府のエネルギー基本計画の改定作業を進めており、将来の原発比率に関する議論に影響することを懸念したとみられる。
基本計画は経産省が想定した通りの内容で固まり、7月に閣議決定された。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、再稼働を進める政権の方針に不都合なデータは極力、
表に出さないという姿勢が浮き彫りになっている。
環境省が経産省に提示した試算を新聞朝日が入手した。それによると、原発が総発電量に占める割合は、30年度は政権の方針と歩調を合わせて21%とするものの、40年度は
11〜12%、50年度は7〜9%に減るとした。
一方、再生可能エネルギーは40年度は57〜66%、50年度は72〜80%に拡大する。試算は温室効果ガスの削減策を検討するため、環境省が三菱総合研究所や有識者と
検討チームをつくってまとめた。
再生エネを最大限導入する一方、原発は新設・増設せず、いまある原発を60年間運転した場合の半分の発電能力を前提に置いた。東京電力福島第一原発事故後、原発再稼働や
新増設が進まない現状を踏まえたとみられる。
これに対し、経産省は基本計画に、30年度の原発の発電割合を30基程度の稼働を意味する20〜22%と明記し、50年度の割合は盛り込まない方向で調整していた。
新増設にも触れず、将来の可能性に含みを持たせていた。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
茨城。ハンコよ、さらば――、茨城県は、これまで紙文書で占められていた県庁の決裁事務について、電子決裁率がほぼ100%に達した、と発表した。
県ICT戦略チームによると、都道府県レベルでは初とみられる。
県庁では年間26万〜27万件の決裁事務があり、昨年度の電子決裁率は11・8%にとどまった。電子決裁のシステムは以前からあったが実施率が低かったのは、「公務員特有の
文書主義が原因」(担当者)という。
しかし、IT企業出身の知事大井川和彦が昨年9月に就任し、4月から電子決裁による作業効率化を高めるよう指示。その結果、7月分の電子決裁率は99・1%を達成した。
残り0・9%(約200件)を分析したところ、いずれも今後は電子決裁が可能だと確認できたという。
電子決裁のメリットは、文書ファイルの検索・再利用が容易となる、ペーパーレス化で書棚スペースを削減できる、出張先など庁外でも決裁作業ができるため在宅勤務を進められる
などだ。
特に期待されているのが、文書保管後の書き換えができなくなり、改ざんを防げることだ。現在開会中の県議会で、大井川は「公文書の適切な管理は将来の説明責任を全うする
ためにも重要。電子決裁率を高めることで、改ざん防止の効果が期待できる」などと答弁し、電子化の推進に意欲をみせた。
♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ
昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生
香港。政府は、香港独立を主張する政党「香港民族党」に対し、国家の安全を損なう恐れがあるとして、関連条例に基づき活動禁止を命じた。
同条例に基づく禁止命令は1997年の香港返還後初めて。中国の習近平指導部の意向をくんだ措置とみられる。香港民主派は「結社、言論の自由の侵害」と反発、反中国的な
他の政治団体への波及を警戒している。
禁止命令を受け、香港民族党は違法団体と認定された。党員らが今後、集会や街宣など政治活動を行った場合、刑事罰に問われる可能性がある。香港メディアによると、同党側は
30日以内に不服申し立てができる。
米国。トランプ米政権は24日午前0時(日本時間午後1時過ぎ、中国の知的財産権侵害に対抗し、2千億ドル(22兆円)相当の中国からの輸入品に10%の追加関税を
課す制裁第3弾を発動し、中国も報復として600億ドルの追加関税に踏み切った。
米国の対中制裁は日用品に対象が広がり、総額は輸入額のほぼ半分となる2500億ドルに達した。
米大統領トランプは中国が報復すれば、全輸入品に25%の制裁関税を課すと表明。世界1、2位の経済大国間の「貿易戦争」は拡大する一方で長期化懸念が強まっている。
3千キロを接する米メキシコ国境を越え、米国に密入国する人々が絶えない。
トランプ政権は越境した親子を引き離して収容し、移民の意欲をそごうとしたが、国内の強い反発を招き、逆に移民支援の動きが広がっている。メキシコ湾にほど近い国境の町、
テキサス州マッカレンのバスターミナル。8月下旬、長距離バスの出発時刻が近づくたびに、大きな封筒をそれぞれ手にした一団が姿を見せた。
封筒の表には「私は英語を話せません。手助けをお願いします」。裏にはこれから乗るバスのルートが記されている。
許可なく国境を越え、入国管理当局に拘束された人々だ。亡命を申請するなどして審査の間は保釈され、ここから身元引受人の親戚らのもとに向かう。中米ホンジュラスから来た
ホセ・アルフレド・パスさん(35)は12歳の娘を連れていた。「コヨーテ」と呼ばれる密入国あっせん業者に5500ドル(60万円)払い、陸路を1カ月。
ゴムボートで国境の川を越えると米当局に捕まり、亡命を求めた。
「母国は犯罪が横行して危ない。親戚が殺され、遺体はゴミ捨て場に捨てられた。警察は頼りにならない」と訴える。ノースカロライナ州の親戚を頼るという。保釈されると
近くのカトリック教会の一時受け入れ施設に身を寄せ、切符などの手配が済むとターミナルに来る。1日50〜150人が各地に散っていく。
「経由地で困ったら、灰色の犬のマークを掲げたカウンターに行きなさい」、ターミナルのベンチで移民に声をかける女性がいた。7月に発足した支援グループ「怒れるおばさん
とおばあさんの会」のエリザベス・カバソスさん(42)だ。
犬とは、長距離バス「グレーハウンド」のトレードマーク。言葉に不自由な移民が乗り換えで間違えないように、との助言だ。カバソスさんは毎日ターミナルに詰め、バスの
切符の確認や身元引受人との連絡を手伝う。無料で依頼できる弁護士リスト、歯ブラシなど生活必需品や軽食を詰めたバッグも提供する。
カバソスさんは交流サイト「フェイスブック」での友人のやりとりを見て参加した。
「表に出るタイプではなかった」というが、ある出来事で、いてもたってもいられなくなった。
米国務省の報道官ナウアートは22日、北朝鮮が制裁逃れのために洋上で荷物を積み替えて密輸する「瀬取り」の取り締まりに関し、国際社会が国連安全保障理事会の決議を
履行するよう求める声明を出した。
米国は「瀬取り」にロシア船が関与したと非難している。27日には北朝鮮問題をめぐる安保理会合が開かれる予定で、制裁緩和の動きを見せるロシアや中国を牽制する狙いが
あるとみられる。
ナウアートは声明で「北朝鮮は制裁逃れのために定期的に偽装手段を使い続けている」と批判。その上で、「米国は、北朝鮮の違法行為に協力した個人、団体、船舶については
いかなる国籍であっても、制裁を科すことをためらわない」と強調した。
米国連大使ヘイリーは17日の安保理会合で、北朝鮮制裁委員会の専門家パネルが8月に作った報告書の原本から、ロシアの制裁違反の証拠に関する記述が、ロシアの干渉で
削除されたと批判。これに対し、ロシアは激しく反発している。
米国は北朝鮮が非核化するまで、安保理決議に基づく制裁を国際社会が維持するように求める立場だ。今回の声明は、改めて米国の制裁履行を求める強い姿勢をロシアや中国に
対して示す狙いがあるとみられる。
インドネシア。来年4月17日投開票のインドネシア大統領選と総選挙の選挙運動が23日、始まった。
運動期間は7カ月にわたり、有権者数が1億8千万人を超える5年に1度の一大選挙。現職大統領ジョコ(57)と最大野党グリンドラ党の党首プラボウォ(66)の一騎打ちは、
2014年の前回選と同じ構図となった。
この日はジャカルタ中心部の独立記念塔(モナス)周辺広場で、選挙運動開始を告げる式典が開催された。特設ステージに登壇したジョコとプラボウォは平和でデマのない選挙を
誓い、ハトを空に飛ばすパフォーマンスを披露。笑顔で握手を交わした。
ドイツ。高級車大手ポルシェは23日、ディーゼル車の販売から撤退すると発表した。
親会社のフォルクスワーゲン(VW)のディーゼル車の排ガス不正問題を受け、ディーゼル車への風当たりが強まっていた。今後は電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)を
増やしていく。独大手自動車メーカーがディーゼル車の販売から撤退を表明するのは初めて。
ポルシェは今年2月からディーゼル車を販売しておらず、今後も売らないことを決めた。17年のポルシェの世界販売に占めるディーゼル車の割合は12%だった。19年に
初のEVスポーツ車「タイカン」を発売するなど、25年までに新車販売の半分をEVかHVにする計画だ。
ディーゼル車をめぐりポルシェは、排ガス検査時に有害物質を抑える不正ソフトを搭載していた疑いがあるとして、独当局から6万台のリコールを命じられるなどしていた。
英国。最大野党、労働党の党大会が23日、中部リバプールで26日までの日程で始まった。
英国の欧州連合(EU)離脱交渉が難航する中、交渉結果について改めて国民投票を行うことを正式な党方針とするよう求める声が党内で高まっており、その是非が議論される。
党首コービンは、国民の意思は前倒し総選挙を通じて示されるべきだとして国民投票の再実施に否定的な立場。
与党、保守党党首の首相メイも2016年の国民投票の結果を尊重すべきだとして反対を明確にしており、現時点で再実施の可能性は低い。ただ労働党が再実施賛成にかじを切れば
大きな後押しになる。
北朝鮮。朝鮮労働党委員長金正恩が、平壌を流れる大同江の水質に懸念を示していたことが分かった。
18〜20日の平壌での南北首脳会談で韓国の大統領文在寅に随行したソウル市長朴元淳が明らかにした。平壌での歓迎夕食会の際、朴が自己紹介したところ、金が水質の問題に
言及した。朴は「(ソウルを流れる)漢江の水質浄化や上下水道整備の経験があるので(水質改善に)協力する」と伝えたという。
韓国メディアは、下水処理施設が不十分なため平壌市が水質悪化に頭を悩ませているとの見方を伝えた。
ナイジェリア。AFP時事によると、西アフリカのナイジェリア沖で、22日スイスの貨物船が海賊に襲撃され、船員12人が拉致された。
船を操業するスイス海運「マッセル・シッピング」が明らかにした。社によると、貨物船「MVグラールス」がナイジェリアの商業都市ラゴスから南部の産油都市
ポートハーコート に小麦を運搬していたところ、ボニー島の南西45カイリの水域で海賊に襲撃された。
海賊たちは長いはしごを使ってグラールスに乗り込み、船内の通信をほとんど全て破壊した後、乗組員19人のうち12人を拉致したという。社は関係当局に海賊襲撃を通報し、
拉致された船員らの安全かつ迅速な解放に向けて専門家らが招集されたと説明したが、拉致された船員たちの国籍には触れなかった。
ナイジェリア沖合は、襲撃の報告が多数あるわけではないものの、昨年60人超の船員が拉致されたとされている。
中国。東北部の遼寧省が、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」に北朝鮮や日本、韓国を組み入れる計画を策定したことが、分かった。
計画では中朝国境の都市、丹東から北朝鮮を経て韓国までつなぐ鉄道建設のほか、中朝間の経済協力を強化するための「丹東特区」建設も明記した。
もともと一帯一路は、中国の西方を意識した構想で、朝鮮半島や日本など東方への延伸を中国の公式文書が明確に示すのは異例。最近の朝鮮半島情勢の緊張緩和や日中関係の
改善を受けた形だ。ただ対北朝鮮制裁が続く状況では中朝間の本格的な経済協力は困難で、実現性は不透明だ。
タンザニア。AFP通信などによると、東アフリカ・タンザニア北部のビクトリア湖で20日に起きたフェリー転覆事故で、死者は子供27人を含む計224人に上った。
犠牲者の埋葬が23日、転覆場所近くのウカラ島で始まった。
フェリーには、定員の101人を大幅に超過する265人が乗船していた。治安当局は、フェリー運航会社の関係者らを逮捕し、事故の原因を調べている。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
北の大地。地震に襲われた厚真町豊沢地区で近隣の住民をまとめ、町の支援だけに頼らない「自活」をリードしてきた女性がいる。
フリーアナウンサーの山内香さん(59)で、1995年の阪神淡路大震災で被災した経験が原動力になっている。最大震度7の地震があった6日、山内さんは自宅で寝ていた。
大きな揺れに目が覚めたが、驚きよりも「何とかしなきゃ」と思った。揺れが収まった後、家の中にあった懐中電灯を何個もつけた。
その後、近所の人たちと一緒に、自分の車の中で一夜を過ごした。みんな一緒になって夜明けを迎えたが、水道管は破裂して断水。電気も通っていない。近くの道路は地割れを
起こして通行止めとなり、少し離れた避難所に水や支援物資を取りに行くのもひと苦労だった。
「行政の助けは待っていられない。自分たちで何とかしよう」と住民たちに「自活」を提案した。住民たちと話し合って、備蓄していた食料や飲み水などを提供するとともに、
住民たちの家の余った食料も集めて分配した。
自衛隊から給水を受けてためておき、知り合いに借りた軽トラックとポンプで「給水拠点」を設けた。庭に穴を掘って「トイレ」も作った。「給水拠点」は、町がプレハブの
物資集積所と仮設トイレを地区に設置した13日以降も続けている。
心配りも欠かさない。給水ポンプには「ちょっと休みましょう!」、玄関前には「ご遠慮なく食べてって!」と書いた貼り紙をした。住民たちをまとめていくうちに、山内さんは
いつの間にか「隊長」と呼ばれるようになった。
近所に住む40代の女性も「まとめてくれる人がいて本当に助かっている。いなかったらどうなっていたか」と感謝の言葉が口をついて出た。山内さんは神戸市出身。
23年前、同じく最大震度7の阪神淡路大震災を経験している。その日も神戸市垂水区の自宅にいて、「とんでもなくびっくりした」。
当時はラジオ番組のパーソナリティーだったため、その後はスタジオにこもって防災情報を伝え続けた。
自然豊かな厚真町を「終(つい)のすみか」と思い、2年半前に移住してきた。備えは欠かさなかった。夫と2人で1週間生き延びるために必要な食料や水は常に備蓄し、
電気が通らなくてもいいように屋根をソーラーパネルにして、自家発電できるようにした。
再び地震にあったことは「何かの巡り合わせじゃないかと思う。私がした経験を踏まえて、人助けができるから」と受け止めている。今心配なのは、住民たちの心のケアだ。
「震災が少し落ち着いてから、どうしてこんな目にって思う人もいる。子どもも大人も夜になって急に涙が出てくる」。山内さんは町が設置したプレハブに「ストレスはっさん
ノート」を置いた。住民たちが抱えている悩みなどを共有できる自由帳だ。「はき出すだけでも楽になる」と山内さん。
住民が元の生活を取り戻すまで、こうした取り組みを続けるという。
秋田。今年の新米を使ったきりたんぽ作りが、秋田市大町4丁目の料亭「濱乃家」で始まった。
臼ときねでついた米をおかみらが杉の串に1本ずつ伸ばし、囲炉裏で焼き上げていた。濱乃家は1918年(大正7年)創業の老舗。使うのは味のしみやすいササニシキで、
秋田市雄和の契約農家から入荷した。「秋の味覚が十分詰まった鍋を味わってほしい」と話す。
昨年は20万本を全国に発送した。お歳暮に人気で、生産は12月にピークを迎えるという。比内地鶏や野菜などが入った宅配セットは2人前5724円(税込み)から。
問い合わせは店(018・862・6611)。
岩手。観光客誘致などに取り組む陸前高田市の合同会社ぶらり気仙と広田湾遊漁船組合一昨日、4カ月にわたって海中で熟成させた日本酒やワインの引き揚げ作業を行った。
「広田湾海中熟成プロジェクト」の一環で、参加者20人は新たな地域資源の魅力を体感した。
参加者は陸前高田市米崎町の脇之沢漁港から船に乗り、カキの養殖いかだまで移動。5月に海中に沈める作業を見守った市民らもおり、陸前高田市の酔仙酒造の日本酒と、
神田葡萄園のワインが深さ10m余りの海中から引き揚げられると、歓声が上がった。酒は海に沈めると波の揺れなどで熟成が早まり、味がまろやかになるとされる。
新潟。30日投開票の沖縄県知事選を前に、市民団体「沖縄に応答する会@新潟」が、きのふ新潟市中央区で、沖縄県の米軍基地を本土で引き取るよう求め、デモ行進した。
メンバーは本土の住民も、もっと沖縄の基地問題に目を向けるよう訴えた。
沖縄県の知事翁長の死去に伴う知事選では、米軍基地問題を巡り論戦が繰り広げられている。デモは沖縄に集中する米軍基地の本土引き受けを求める全国組織が呼び掛けた。
デモに先立ち、県立大の准教授福本圭介がJR新潟駅前の街頭に立ち、「米軍基地が必要かどうかの議論をすべきなのは本土だ」と声を上げた。
駅前を出発したメンバー9人は「沖縄の基地は本土が引き取る」などと書かれた横断幕を掲げ、古町地区まで練り歩いた。参加した三条市のパート従業員女性(38)は「基地
問題を国民全体で考えてほしいとの知事翁長の遺志に応えたい」と話した。
日本屈指の豪雪地帯・津南町に全国最年少の女性首長、町長桑原悠(はるか)(32)が誕生してから、けふ24日で3カ月を迎える。
平均年齢54.8歳、人口1万人の過疎地の変革を託された東大院修了の2児の母。数々のしがらみの中で「新しい風を」と町政に取り組む新聞毎日が追った。
町議会9月定例会初日の今月10日。「若者が戻ってこられるような町にしたい」、「『もうかる農業』のため、役場に専門の人材を置きたい」。熱弁を振るう桑原に対し、
ベテラン町議から「具体的に良いアイデアがあるのか」、「そんな人が見つかるめどはあるのか」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。桑原が隣の副町長と少し言葉を交わすと
「聞いているのか。真面目に答えて」と詰め寄る女性町議。
桑原が「金切り声をあげないで、冷静に」と呼びかけると、議場はますます騒然となった。議会終了後、桑原は「また言われた」と顔をしかめながらも「めげてる場合じゃない。
それだけ重い責任を負っているから」と闘志をあらわにした。
「とにかく強い子だと思われたい」。津南町で兼業農家の長女として育った桑原は保育園時代、近所の年下の子供たちを一列に並ばせ、きちんと並べると「よくできました」と
お菓子をあげて従えていたという。
中学生の時に祖父の家で、元国連難民高等弁務官の緒方貞子の本を読み「難民の支援がしたい。国連で働きたい」と憧れた。早大社会科学部3年生の時に米オレゴン大に留学。
オレゴン州で見た「東京一極集中」の日本とは違う「活気ある田舎」に驚いた。果樹農業が盛んで、繁盛する小さな店も多かった。
「こんな豊かな田舎もあるんだ」、思い描いていた「都会でのエリートコース」への憧れは消え「生まれ育った郷土で働く『現場主義』もいいかもしれない」と思うようになった。
もっと地方自治を学ぼうと東京大公共政策大学院に進学後の2011年3月、転機が訪れた。
大震災の翌日、津南町が長野県北部地震で被災したのだ。死者は出なかったが、1000軒以上の家屋が被害を受けた。「誰にもできないことをやってみたい」と思っていた
矢先のことでもあり「今なら地方自治の知識を復興に役立てられる」と、思い切って町議選に立候補した。
町史上最年少の町議候補として話題を集め、25歳でトップ当選した。しかし、すぐに厳しい現実に直面した。町議になった直後の11年末、議会の審議をネット中継する構想が
持ち上がった。先輩議員たちは「1年かけて話し合う」と、のんびり構えていた。
「今はネットの時代。それじゃ遅い」と異論を唱えた結果、ネット中継は3カ月で実現した。しかし、他の議員たちから「皆の前で先輩議員を批判したりするのは生意気だ」と
煙たがられるようになった。その後、町で養豚業を営む夫と知り合って結婚。
15年の第1子出産に伴い、議員の産休制度の創立を提案した。先輩議員たちには「若者が町議になった時点でこうなるとは思っていた」と受け入れられたものの、議会内の
冷たい視線を意識して、結局産休は2カ月しか取れなかった。
「8割は言いたいことを我慢し、自分の良さが殺された日々だった」と桑原は振り返る。「もう耐えられない」との思いが募っていた今年2月、上前町長村憲司が引退の意向を
表明した。「14人の町議のうちの1人じゃなく、町長ならもっと町を変えられるのでは」。
そう考えて翌月、「まだ子供も小さいのに」と反対する家族を押し切り、町長選への立候補を表明した。過去2回の町議選で連続トップ当選を果たしたとはいえ、それは唯一の
40代以下の候補者として若い世代の票の受け皿になったからだった。
1人しか選ばれない町長になるためには、より幅広い世代からの支持が欠かせない。自身のホームページには元総務相増田寛也や、元首相田中角栄の秘書だった浅賀昭など、
著名人の応援コメントを並べた。増田は東大院時代の恩師、浅賀は町議時代の知り合いだ。
「『こんな人たちが応援しているなら投票しよう』と思ってくれたら」と、自ら支援を依頼して回った成果だった。とはいえ「実際は勝算も何もなかった」と桑原の父雅之さん
(55)は振り返る。
自民党系の前町長上村の後援会は後継候補の擁立を模索していた。共産党の支援を受ける元町職員の半戸哲郎や民間出身の新人男性もすでに立候補を表明していた。
そこに割り込むのは容易ではない。
「悠がそこまで言うなら……」と、半ば「開き直り」(雅之)で親族やその友人から成る選挙スタッフは動き始めた。流れを変えたのは6月17日の告示直前、自民党津南支部
副支部長で、町の有力な建設会社「高橋工務所」の社長、高橋政徳の名前入りで町内の関係者に出回った1枚の文書だった。
そこにはこう書かれていた。「候補を分析した結果、桑原悠候補者を支持する事に決定いたしました」 。
実は前町長上村後援会や自民党による独自候補選びは序盤からつまずいていた。前町長上村は後任に副町長小野塚均を望んだが、小野塚は「町長がそんなつもりだったとは
知らなかった」と固辞。慌てた後援会は自民系町議らに打診したが「町には課題が多すぎる」「とても自分では町政を担えない」と断られた。
実際、課題は山積している。町の今年度一般会計予算は前年度比6.3%減の65億円。人口減で経営が悪化した町立病院は赤字の補填が必要で、財政は火の車だ。
14年度からは町の「貯金」である財政調整基金を取り崩している。人口減は農家の後継者不足、商店街の空き店舗問題にも直結している。
1955年、合併で町が誕生した時に2万1909人いた人口は2015年には1万29人に半減した。総務省から「過疎地域」に指定され、有識者で構成する「日本創成会議」
には「消滅可能性」のある自治体の一つにカウントされた。町を熟知するベテラン政治家ほど、町長が背負う責任の重さを理解していた。
最終的に前町長後援会や自民党津南支部が出した結論は「共産党が町政を担うよりは桑原の方がまだまし」(高橋)だった。
「自民党や町長上村が悠さんを応援するんだって?」、知人からそう問われ、高橋の文書の存在を知った桑原後援会の会長風巻忠義(74)は慌てた。「一党一派に属さない」を
モットーに掲げていたからだ。しかし、保守王国・津南の既存勢力を「敵に回すのもまたリスク」と風巻は熟慮の末、上村の支持者による応援を黙認することにした。
迎えた6月24日の投開票。桑原は2614票を得て当選した。しかし、2422票を集めた半戸に192票差に迫られる薄氷の勝利だった。
桑原に投票したのは「県外へ出た子供の帰郷を諦めている親が多い町。悠さんなら、何か変えてくれるかもしれない」(40代女性)といった町議時代からの若い支持層に加え、
「上村さんが言うなら投票するか」(80代女性)という前町長を支持していた年配の有権者たちだった。
2014年冬には土砂崩れで国道が通れなくなり、集落が一時孤立したこともある。桑原は町長選で「参加できるまちづくり」を掲げたが、前途は多難だ。
前町長後援会や自民党支部の支援を受けたことについて桑原は「どの組織とも等距離を保つのは変わらない。彼らとの関係も津南のためになるのであれば使う」と話す。
そうした姿勢が年配の町議たちには「人に頭を下げない」、「新人らしくない」と映る。町議会での厳しい批判の根底には、積み重なってきた不満がある。
町職員からは「まだ様子見段階」と冷めた声も聞こえる。
「新しい風を吹かせる」と意気込む桑原は、町長室に子供が喜ぶおもちゃを常備し、ドアを開けっ放しにした。町民のアポなし訪問を歓迎する「訪れやすい町長室」を実現したのだ。
「良い試みだと思う。子供を遊ばせる場所が町内に少ないのが気がかりだから、行ってみようかな」、ある30代女性は、保育園脇の公園で子供を遊ばせながらそう話した。
ただ、町民の多くは奥ゆかしい雪国の人らしく、目立つことを好まない。
70代の男は「直接相談しろと言われても、担当課に言わずに町長に伝えれば、後から担当課に愚痴を言われる」と困り顔だ。別の30代女性も「言いたいことはあっても、
面識のない町長には会いに行きづらい」と率直な感想を口にした。
「出向く先々で町民から『町のこと、どうせよく分からないんでしょうけど』と言われる」と桑原は言う。だが、その言葉はこう続く。「『それでもよくやってるわ』と、
いつか言わせる自信があるんです」、故郷の町で踏ん張る理由は何か。そう問うと桑原は、自宅近くの田んぼ道を笑いながら走り回る幼い我が子2人をじっと見つめた。
「この町はこのままじゃだめ。だからこそ、子供にこのままの町を引き継ぎたくない」 。
町の課題や解決策を考える「津南未来会議」(仮称)を創設し、近くメンバーを公募する予定だ。「一緒に頑張れる仲間を見つけたい」と思ったからだという。「一人一人が
パブリックマインド(公共の精神)を持ち、町の未来を考えてほしい。町長の自分も、その一人なんです」。
そして、吹っ切れたような笑顔で言った。「もしかしたら『4年だけいた不思議な町長』になってしまうかもしれない。4年限りだと思って、やりたいことは全部やります」 。
埼玉。さいたま市の人口がこの18日現在で130万40人となり、市誕生から17年で130万人を突破した。
鉄道の利便性が増し、マンション建設が相次いだ結果とみられるが、2030年ごろから減少に転じるとの推計もある。将来に備えた施策が今から求められる。
市長清水勇人は20日の会見で「魅力ある市と受け止められた結果。今後も住みやすいと思ってもらえる街づくりを進めていきたい」と話した。
市は2001年5月、旧浦和、与野、大宮の3市が合併して人口103万人5千人でスタート。05年に旧岩槻市の編入で118万人都市になった後は、年に1万人前後ずつ
人口が増えてきた計算だ。
市域は首都圏のベッドタウンとして発展してきたが、少子高齢化が進む中でも人口が増え続ける主な理由は鉄道網の整備。01年に埼玉高速鉄道が開通、JR湘南新宿ラインの
運行も始まり、その後増発された。
15年にはJR上野東京ラインで、東京・丸の内や新橋などへも時間短縮。ここ5年間でも転入者の6割が20〜30代で、ファミリー層が流入。子どもの誕生にもつながっている。
政令指定都市になった03年以降は全区で人口が伸びている。なかでも、これらの沿線の浦和や南、緑の3区の増加が目立つ。
その結果、国勢調査人口を基に今年3月に公表した国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口では、130万人突破は「2020年以降」だったが、それより早い達成となった。
今後もさいたま新都心駅近くの1400戸の大規模プロジェクトなどマンション建設ラッシュに伴う人口の増加基調が続きそうだ。
東京。今朝5時過ぎ、武蔵野市桜堤にある1階に電器店、2階と3階に住宅が入った建物から火が出て、3時間後に消し止められたが、230平方mが全焼した。
この火事で男1人が遺体で見つかったほか、住宅部分に住む世帯主の70代の男と50代の妻、それに30代の娘の3人が煙を吸うなどして病院に搬送された。
火事のあと、世帯主の男の弟で同居していた60代の男と連絡が取れなくなっているということで、警視庁は亡くなったのはこの男の可能性があるとみて身元の確認を急いでいる。
現場はJR中央線の武蔵境駅から1.5キロほど離れた住宅地の一角。
住みたい街の1位にも選ばれる武蔵野市の吉祥寺。
その街の変遷を、江戸時代から現在まで、500点以上の貴重な写真や資料で紹介する「吉祥寺今昔(いまむかし)写真集」が出版された。全172ページ。
地名の由来から、再開発で華やかな人気の街へと姿を変えていく様子が、市民の息づかいとともに伝わる一冊だ。
市民や市、企業などに呼びかけて写真や資料を収集。地元の「ぶんしん出版」が編集した。吉祥寺の地名は、江戸時代、江戸城近くの本郷元町(今のJR水道橋駅付近)に
あった寺院、吉祥寺に由来する。明暦の大火(1657年)で焼け野原になった江戸から、周辺住民が今の吉祥寺に移ったことから名づけられたとされる。
岡山。西日本豪雨の被災者を励まそうと、きのふ歌手のさだまさしさんと医師の鎌田實さんが総社市の総社中を訪問、歌と講演と炊き出しで被災者やボランティアの高校生ら
800人と交流した。
さださんは「案山子」や「無縁坂」、「風に立つライオン」などのヒット曲を披露。これまでの被災地での活動などを語り、巧みな話術に会場は大きな笑いに包まれた。
「つらい思いをしている人の気持ちを本当に理解することはできないけれど、歌はそんな時、隣に腰掛けているようなものだと思う」とステージから呼びかけ、被災者らを力づけた。
鎌田さんは被災地でどのように健康を維持するかなどを話し、体操の実技指導もした。
会場の外ではうな丼やステーキ丼などの炊き出しがあり、さださんらは受け取った人たちと「どれを選んだの」などと言葉を交わしていた。
さださんは「ボランティアをしている高校生から要望があればまた来られるかもしれない。良い動きを手伝えたら最高です。他の被災地にも、徐々に活動を広げていきたい」と語った。
広島。7月の西日本豪雨で、床上2m80センチまで水につかる被害を受けた三原市の「本郷ひまわり保育所」。
通っていた子どもたち100人余りの受け入れ先の確保などの対応に追われた時期もあって、豪雨から2か月半となる今も掃除や片づけができず子どもの受け入れができない
ままになっていた。
この為、きのふは保育所にはボランティアの人ら100人が集まり、子どもたちの受け入れ再開に向けて水につかった備品などを撤去する作業をした。
そして、部屋の中に散乱している机や、いす、それに、絵本や、おもちゃなどを片づけた。この保育所でけふもまた備品の撤去や部屋の清掃が行われる。
本郷ひまわり保育所では「たくさんの方にボランティアに来ていただいてとても感謝しています。ここにまた集まろうという第一歩のようで、うれしい」。
愛媛。プロ・アマを問わず誰でも好きなアートで参加できるイベント「瀬戸内芸術(アート)基地(ベース)」が、伊予市双海町のふたみシーサイド公園で始まった。
22〜24日が初めての開催となるが、10月以降は毎月第2、第4日曜に開いていく。
市地域おこし協力隊員らでつくるグループが、海水浴客でにぎわう夏場以外でもビーチを活気づけたいと企画した。出展者は活動前後にビーチを清掃することを条件に、
使用料を払って自由に表現活動できる。
きのふは5団体以上が参加し、アクセサリーを販売したり腹話術を披露したりしていた。久万高原町で革工房を営む職人の後藤琢郎さん(41)は、牛革を使ってアフリカの
打楽器「ジャンベ」を作る教室を開いた。普段は百貨店へ革製品を出品することが多いといい、「太鼓を手作りできる貴重な機会。革や楽器の魅力にふれてほしい」と話した。
出展の申し込みはホームページ https://s-artbase.club/sab/へ。
福岡。この夏、福岡市の園田孝由(たかよし)さん(56)は航空自衛隊で定年を迎えた。
退職時の階級は、上から2番目の空将補。ほどなく、初めての市民運動に加わった。日本にある米軍基地(専用施設)の7割が沖縄に集中する現状を直視し、本土に移そうという
「基地引き取り」運動の福岡の会だ。
園田さんは現役時代、日本周辺の国籍不明機をレーダーで監視する部門にかかわり、東アジア情勢を肌で感じてきた。米軍将校とも公私に付き合い、40年、国防一筋に生きてきた。
沖縄の現状を目の当たりにしたのは、自衛隊の研修で訪れた30年前。
米国は日本を防衛し、日本は基地を提供する、という日米安保体制は必要との思いは変わらない。ただ、近年「過剰な負担は人々の反発を生み、日米同盟を不安定にする」、
「沖縄の人たちのこれまでの負担と犠牲に応えなければならない」。そんな考えを次第に持つようになった。
メンバーとなった引き取り運動はこの4年、東北から九州まで9の地域でグループが発足。23日には北海道でも動き出す。この日は沖縄県知事選にあわせて、全国一斉に
街頭で呼びかける。1人の会もあれば、数十人規模も。デモや集会とは無縁だった人が少なくない。
沖縄県に過重な負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか――。知事故翁長雄志の問いかけに呼応したいという人もいる。
参加者には名護市辺野古の基地建設に反対の人が多いが、園田さんは「唯一ではないが、現実的な解決策」との考え。その上で、沖縄の負担をどう減らすのか。
各地の引き取り運動は、実際に基地を本土のどこに移すのかという議論以前に「自分事として考えよう」と呼びかけている段階だ。
辺野古への対応が争点の知事選だが、園田さんは言う。「だれが知事になっても、基地が集中している現状に変わりはない」。長い道のりを覚悟している。
熊本。上天草市松島町の合津港一帯で22、23日の両日、天草五橋祭が開かれ、多くの住民らでにぎわった。
1966年の天草五橋開通を祝って始まった恒例行事で、市や商工会などでつくる実行委員会主催。きのふ23日は、呼び物の白龍(ペーロン)船の競漕があり、地域や
職場などでつくった1艇13人の31チームがエントリー。沖合の折り返しで手間取るチームもあり、岸壁から盛んに声援が送られていた。
会場では魚のつかみ取りコーナーや出店も並び、来場者は絶好の行楽日和を満喫していた。
一昨日22日は道中踊りがあり、23団体850人が思い思いの衣装や振り付けでハイヤ節を踊りながら市松島庁舎から同港までを練り歩いた。2千発の海上打ち上げ花火もあった。
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
富山。世相を映したユニークなかかし200体が並ぶ「中田かかし祭」が、きのふ高岡市の中田中央公園周辺で始まった。けふ24日まで開かれている。
今夏の全国高校野球選手権大会で活躍した金足農業(秋田)の選手や東京五輪・パラリンピックマスコットの「ミライトワ」、「ソメイティ」などを題材にした、今年ならではの
かかしが並んだ。
かかしコンクールには、団体の部や子どもの部など5部門に130点の応募があった。グランプリ(総合)には、下麻生伸町一区自治会による「鯉さんに恋する庄川太郎」が
選ばれた。体をわらで作り、ロープでうろこを表現したコイにかっぱが抱きつく様子を表現している。
毎年訪れているという富山市四方小学校3年の長岡世真君(8つ)は「大統領トンプのかかしが印象に残っている。どのかかしも似ていてすごいと思った」と興味深そうに見ていた。
地域の活性化につなげようと1983年から、中田地区連合自治会などでつくる実行委が開いている。
福井。中秋の名月(旧暦8月15日)の前日となる昨日23日、福井国体を間近に控える福井運動公園の上にも「待宵の月」が浮かび上がった。
古来、人々が中秋の名月を待ち望み、風情を楽しんだとされる待宵の月。6日後に国体を迎える公園では、一端の欠けた月が、炬火を持つはぴりゅうが付いた出入り口の
特設ゲートを照らした。公園内では、夜になっても会場設営が続いた。
園内のランニングコースで走り終えた福井市大願寺の会社員森川貴文さん(53)は「競技場などがきれいに整備され、月の下、気持ち良く走れた。市内全体が盛り上がってきて
国体が楽しみ」と話した。
園内では、29日に県営陸上競技場(9・98スタジアム)で開会式が開かれるほか、会期中、陸上やバスケットボールなどの競技が繰り広げられる。
金沢。秋分の日のきのふ、石川県内は高気圧に覆われ、午前中は秋の高く澄み渡った空が広がった。
昼すぎには気圧の谷の影響により、雲に覆われる時間帯もあった。金沢の兼六園には、大勢の観光客らが訪れた。心地よい日差しの中、徽軫灯籠のそばの赤く染まり始めた
木々の近くで、記念写真を撮って楽しむ人の姿もあった。
気象台によると、気温は例年より少し高くなり、金沢で27.7度、輪島で26.7度を観測した。
けふ24日は気圧の谷の影響で早朝から曇りとなり、夕方からは所により雨が降る見通し。日中の最高気温は金沢、輪島ともに28度の見込み。
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく
井上ひさし
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
早いもので、長月24日。月日の経つのはなんとも早い。
午後の散歩はいつものコース。寺津用水は濁りなどは消えていたが、水量も少なかった。体育館の駐車場には23台。
ラケットのケースを担いだ女子高校生が体育館から出てきた。バス通り、真如苑の御参りの帰りか、車が多い。坂道は下りて、左折。ヒマワリや薔薇も消えた尾田、ガーデン
パラソルが消えている上村さんち、アサガオが3輪咲いている槌田さんちから、庭木の剪定が終わった山津さんち過ぎて四つ角はそのまま。
左手の徳田さんの二枚の田圃は稲刈りは終わっていた。大柳さんち前を右折して、大友さん前は左折。型枠工場では、炉は稼動して、煙は出ているが作業員の姿は見えず。
見えたのはアーム付きのトラックに型枠を積んでいる運転手のみ。
金子さんちの横の新築現場では、左官屋さんが入っていて「ご苦労様」。Dr小坂はお休みで、宇野さんはまだ帰っておらず。なかの公園は静かだ。四叉路は、右折。
土井さんちの新築現場、大工さんはお休み。徳中さんち、玄関前の提灯草がいい、風車は回っていた。旦那に「ご苦労様」。
アサガオの半分が萎んでいる辰治さんちの納屋を過ぎて、土谷の御婆さんちの納屋の松葉ボタンや庭のコスモスは元気。
清水さんちの朝鮮アサガオは萎んでいた。
谷口の御婆さんち、赤のセージがいい。田畑さんち、相変らず車は停まったままで、アサガオも萎んでいた。湯原さんちの生垣の金木犀を生垣バリカンで整理されて、きれいだ。
ハマナスの花は3輪咲いて、紅い実を付けていた。ムクゲやタデは元気だった。
坂本さんちの石鎚バラの花は2輪になっていた。松本さんちの白の百日紅や鉢のホウズキ、ピンクのガーデパラソル、曼珠沙華も元気だった。庭に梯子が横たわっていた。
清水の御婆さんち玄関前に曼珠沙華が咲いていた。みすぎ公園は一回り。赤萩が待っていてくれた。公園では、42の小学生らがブランコ遊びしていた。
次の次の三叉路は逆Vターン。辻の爺さんの軽4トラックはいなかった。湯涌辺りの実家の畑へ行っているのかも。
白の百日紅はバッサリ剪定した京堂さんち前、御隣もぼうぼうに生えていた草もバッサリ刈られてあって、コンビニの駐車場の横経由で帰還へ。
北さんち過ぎたが、ひょっとこ丸はまだ帰っておらず。谷知江さんちの庭、朝、朝日さんち前で見かけたコルチカムが咲いていた。一年ぶりだ。北さんちのオクラの花を見つつ、
四つ角の藤田さんち前へ。アサガオは殆どしぼんでいた。小林さんち横の畑、曼珠沙華7本が花をつけていた。
飯田さんちの畑のニラや庭のバラ、マツバボタンはともに元気。修平さんが外出先から帰ってきて「こんにちわ」。瀬戸さんしろのムクゲと道路わきのムラサキシキブの花が
待っていてくれた。
朝夕の散歩は〆て、1万723歩、距離は7、5キロ、活動量0Ex、消費カロリーは189Kcal、脂肪燃焼量は13g。
今宵は中秋の名月。空を見上げてみるかな。雨でだめかも。
半月を映す浦曲に 夜釣り人
明易や今朝も出会いし老婦人
互いに欺かず 争わず 真実をもって交わる
(雨森芳洲が対馬藩主に宛てた外交指針書「交隣提醒」で説いた教え)
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)
月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ
法然上人 長承2年(1133)〜 建暦2年(1212)
石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鳥狩だにせずや別れむ
万葉集 巻19−4249 大伴家持
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
軒下の土塊に生れ つくづくし
落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
白梅の 白極めたる古木かな(朝日俳壇)
年の瀬や 独り第九をイヤホーン
のどけしや ゆったり動く象の耳
紅椿一輪部屋を明るうす
突堤に巨船の泊つる晩夏かな
学びたし夏の球児の一途さを
盂蘭盆や 人見て法を説けと母
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の能登の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2018年長月24日(ふ)
・∴・--------------------------------------------------
■ご感想は?。
【戻る】
日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】
【気象情報】
回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊