山林被害200億円超 生乳廃棄20億余に 北海道地震
2018年、戌年、長月9月17日(月)、曇り後晴れ。金沢の最低気温は22度、最高気温は25度。
今朝の散歩は、生ごみ捨てのコース、バス停の方向へ向かった。永安町からやってくる秋田犬とミニプードル連れの親父さんに「お早うございます」。ステーションの前の畑、
アサガオとニラの花がきれいだ。先客ナシ、シートを広げて入れて、バス通りの横の道から辰巳へのバス通りの中間、道心の四つ角を、左折した。
島さんちのピインクと白のバラがいい。ひょっとこ丸は、まだ出られていない。対面の松浦の爺が畑に来ておらず。北さんちの前、稲穂が垂れている徳田さんの田圃は倒れていた。
その前の空き地ではノバトが9羽来ていてしきりに地面を啄んでいた。
京堂さんち前を渡って、三叉路は左折。清水の御婆さんちの畑には、里芋の葉が大きくなっていた。みすぎ公園まえ、プランターの深赤のサルビアが消えた。
ごみ出しに来られた御婆さんに「お早うございます」。
ムクゲの花の少なくなった浅加さんちの前辺りから、三叉路は右折した。清水の婆さんや土谷さんち前を過ぎて、駐車場になっている三角の空き地では、アケビならぬムベの
実が10センチぐらいになっていた。
松葉ボタンの綺麗な吉井さんちやガーデンパラソル、ノーゼンカズラ、ほうずきのある松本さんちまえから、石鎚ボタンの花も消えた坂本さんち過ぎた。柿の葉のきれいな徳田さん
ちの三叉路は左折。湯原さんちの庭、薄紫のムクゲに、バラ、ハマナスが実を付けて花が、3輪咲いていた。
樹齢100年は越すというU字型のヒバを見つつ歩いた。
土村さんちの庭ではピンクのアサガオが無数に咲いていた。納屋に入る土村さんに「お早うございます」。神社の手前、清水の御婆さんち畑、でっかい赤い花、タイタンビカスが
幾つも咲いて、玄関先の朝鮮アサガオが5輪余り咲いていたが後は萎んでいた。
田畑さんの車は自宅のガレージに停まったままで、プランターのアサガオが1輪咲いていた。土谷さんち、納屋の裏の松葉ボタンは元気で、谷口の御婆さんち、赤のセージが
目に入る。辰治さんちの納屋のアサガオが10輪余りになっていた。
花の桶を洗っていた御婆さんに「お早うございます」。出荷する赤ずいきが洗った並べられて「ほがらか村へ出荷するという」。
徳中さんち風車は、回っておらず。ガレージのチョウチン草は元気だ。
ペンキ屋さんち過ぎて、対面の土井さんち、内装工事だが大工さんはまだだ。なかの公園の手前は左折するが、清水さんちの親父さんに会い「お早うございます」。
宇野さんはまたで、Dr小坂は出掛けていない。
三叉路は左折。型枠工場では、ボンゴタイプの車が出て行ったようだ。対面の空き地ではコスモスが無数に咲いていた。墓場の辺りの空き地、虫の音が大きい。西さんちや
山津さんちの前の四つ角過ぎだが、西さんちのムクゲは3輪咲いていた。
深紅のバラが消えた槌田さんち、アサガオは3輪咲いていた。ガーデンパラソルの花が消えた上村さんち前、辻さんちの三叉路は左折。二宮さんちの塀には空色のアサガオが
10輪余り咲いて待っていてくれた。紙谷さんち、竹塀の上から濃い紫が1輪咲いて、白のアサガオも3輪、後は萎んでいた。
この辺りを一回りした。四つ角には、涌波の親父さん来ておらず。才田さんち、玄関先の紅く色づいたザクロが7ヶ目に入った。隣の納屋の前、鉢植えには白とピンクの
でっかい花、ガーデンパラソル2輪と水色のアサガオ5輪が咲いていた。
中村さんちのブランターの薄水色の琉球アサガオの花は1輪になっていた。朝日さんちの前の畑には、スイレンが朽ちて、1輪のひまわりも朽ち始めてホウセンカ、庭には
アサガオが5輪さいて、シュウメイギクもいい。
畑に居た御婆さんに「お早うございます」。崖の坂道を行くと、「ウ、ウー」と唸るセバードは、今朝は鉄の檻にいた。
戸田さんち、栗とシークワーサーの木が元気だ。中村さんち前のお宅、プランターのゴーヤの横でアサガオが無数に咲いていた。
高台にある雀のお宿、越野さんち、餌台に雀たちは群がってらず。階段の脇ではアサガオが、上の生垣の金網にも白のアサガオ、それぞれ5輪が咲いていたのが目に入る。
バス通りへの角では金木犀の香りがしたので上を向くと花も黄色くなっていた。いよいよ秋本番か。
体育館の駐車場には車は15台。寺津用水、濁っていて、水量も少ない。
小屋では、朝飯の後、茶にカフェを立てて、時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。
たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
橘曙覧 (1812〜1868)
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
昭和24年 長崎の鐘 作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 唄:藤山一郎
日本列島。今回の北海道地震、林業では、厚真町、安平町、むかわ町でそれぞれ発生した土砂崩れによる山林の被害が合わせて225億円となっているほか、林道の被害が
48億円に上っているという。
農業では、農地への土砂の流入や用水路が壊れたことで93億円、停電による生乳の廃棄が21億円に上ったほか、畜舎の崩壊で家畜が死んだ被害もあったという。
さらに水産業では、漁港施設の被害が10億円に上るほか、養殖の魚やウニが死んだり、冷凍していた水産物が溶けて廃棄せざるをえなかったりした被害もあったという。
北海道は、まだ全容は把握できておらず、産業全体の被害はさらに広がる見通しだという。
北海道電力は、地震で損傷した苫東厚真火力発電所1号機(厚真町、出力35万キロワット)を18日にも再稼働させる方針を明らかにした。
主力電源の一角である苫東厚真1号機の再稼働により供給力が増すことになる。北海道電力は当初、1号機は9月末以降の運転再開を見込んでいたが、被害が比較的軽かったため
修理が早く済み、前倒しでの稼働となった。
苫東厚真は道内電力の半分に当たる165万キロワットを供給していたが、6日に起きた震度7の地震で1、2、4号機の3基でボイラー管が破断したり、出火したりした。
敬老の日、総務省の統計によると、9月15日現在、65歳の高齢者人口は3557万人。このうち女性は2012万人で、初めて2000万人を超えた。
男女を合わせた高齢者の割合は28.1%でやはり過去最高。他の国との比較でも、2位のイタリアを大きく引き離しての1位です。また、70歳以上の人口も初めて20%を
超えた。一方、高齢者の就業者数は2017年時点で807万人と14年連続で増加していて、高齢者の就業率も主要国では最高となっている。
福岡市東区の老人ホームで暮らす国内最高齢の田中カ子さんは、明治36年生まれの115歳で、敬老の日のけふ、福岡県知事の小川が田中さんのもとを訪れ、「日本一の
ご長寿おめでとうございます」と声をかけた。
田中さんは一日3度の食事のほかにおやつを欠かさず食べ、最近は炭酸飲料や缶コーヒーのカフェオレが好きだという。ほかの入所者と毎日ゲームを楽しんでいるほか、
算数の計算問題を解くことが好きだという。田中さんは「まだ死ぬ気がしません。せっかくここまで生きたから、まだどうもないです」と。
♪やさしさと かいしょのなさが 裏と表に ついている そんな男に 惚れたのだから
私がその分 がんばりますと 背(せな)をかがめて 微笑み返す 花は越後の 花は越後の 雪椿
夢にみた 乙女の頃の 玉の輿には 遠いけど まるで苦労を 楽しむように
寝顔を誰にも 見せないあなた 雪の谷間に 紅さす母の 愛は越後の 愛は越後の 雪椿
昭和62年 雪椿 作詞:星野哲郎 作曲:遠藤 実
北の大地。胆振(いぶり)東部地震の発生から10日が経ったきのふ16日もなお、1200人が過ごす6市町24カ所の避難所で、支援内容に格差が生じている。
最も避難者が多い厚真町では民間などの炊き出しがある一方、道内最大規模の断水が続く日高町内や小規模な避難所は炊き出しがほとんどなく、「支援物資がない」との声もある。
行政もニーズの把握に苦慮している。
「もう少しこちらに目を向けてほしい思いはある」、日高町の避難所に6日から避難する女性(73)が遠慮がちに話した。
日高町は地震による死者はいなかったが、きのふ16日午後3時現在、自治体別で最多の822戸で断水が続く。ただ、町は自衛隊の炊き出しを受けておらず、厚真町内のように、
民間の炊き出しでうどんや豚丼など毎日違う食事が提供されることもない。寒さをしのぐ段ボールベッドもない。
女性は1人暮らし。床にござとマットを敷いて寝るが、寒さが身にしみる。「体中が痛む。1食がパンのみの時もある。温かい食事が恋しい」と漏らす。
日高町の避難者は一時、避難所6カ所で300人超を数えたが、きのふは1カ所6人に減った。
ただ、避難所は落ち着かないとして断水が続く自宅で暮らす人も多い。自宅が昨夜まで断水していた女性(70)は、ペットがいるため避難所で寝泊まりせず、トイレは
車で7〜8分かけて避難所などへ通った。「隣のむかわ町はボランティアも多く、活気がある。日高の被害はまるで忘れられたようだ」。
一昨日15日に逝った女優・樹木希林さんが出演したCMで、一気に知名度が上がった貼り薬「ピップエレキバン」。
CMの舞台となったのは、北海道比布(ぴっぷ)町(人口3800人)のJR宗谷本線比布駅だ。注目を浴びたあのCMから40年近くが経った。樹木さんの死去を機に調べて
みると、樹木さんと駅は、CMの後も続いていた。
比布駅は、大正時代に木材輸送の拠点として発展したものの、その後石北線の開通で産業が衰退、長く閑散としていた。一躍脚光を浴びるようになったのは、1980年8月。
「ピップエレキバン」のテレビCMが全国放送されたのがきっかけだった。
CMはプラットフォームの駅看板を背に立つのは、樹木さんとピップエレキバンの製造会社の会長横矢勲(故人)。「とうとうここまでやってきましたね」と会長と握手した
樹木さんが「何か来ないうちにおっしゃったらどう?」と促し、会長が「ピップ...」と何か言い始めた途端、列車が大きな音をたてて通過。声がかき消されてしまう。
過ぎ去った後、「聞こえた?」と聞く会長に「ううん、なんにも」と樹木さんがとぼける。
町広報誌「広報ぴっぷ」の2016年8月号の特集によると、以前から個性的なCMを流していたピップエレキバンと同じ冠名の比布駅を、旅行中の大学生が見つけ、ぜひ
ここでCMを、と79年に署名活動を展開したのがきっかけとされる。
CMは80年6月に撮影。午前中唯一の急行列車が駅を通り過ぎるのを狙って撮影したという。もしうまく撮影できなかった場合、次は夕方まで待たないといけない、緊張感
あふれるものだったという。このCMが大当たりし、全国から観光客が押し寄せた。入場券が1日1000枚も売れる日もあったという。
84年、駅が無人化になった後も駅の事務所が喫茶店となり、CMの舞台を見に、多くの観光客が訪れたという。
2015年には駅舎の老朽化による建て替えで、旧駅舎を取り壊すことに。その際、樹木さんは報道機関へのコメントとして撮影当時を振り返り、「列車通過のシーンで
私の顔が真剣だったのが今も笑えます」、「古い比布駅さまお疲れ様でした」と述べていたという。
新しい駅舎は、2016年9月4日に再オープンした。その際も、樹木さんは次のような自筆のお祝いメッセージとイラストをしたため、駅関係者に送っていた。
「比布グランドオープンめでたいわぁ〜あの頃 ぴっぷなんて地名があるのにビックリ!駅もあり神社もあり、おかげで面白いCMになったかなあ。(おばあさんのイラスト
とともに)わたしは、こんなになったけど駅はこ〜んなになったようで 嬉しいような淋しーーいような マ、いいか
平成28年9月4日 当時ピップエレキバンCMガール 樹木希林 」(ハフポスト日本版から)
♪哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
♪島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。
沖縄県知事選(30日投開票)。琉球新報は沖縄テレビ、JX通信と3社合同で14〜16日の3日間、県内全域の有権者を対象に電話世論調査を実施した。
調査結果によると、県政与党が支援する無所属新人で前衆院議員の玉城デニー(58)と、無所属新人で前宜野湾市長の佐喜真淳(54)=自民、公明、維新、希望推薦=が
接戦を繰り広げている。一方、投票先を決めていない有権者も一定数おり、その投票動向によって情勢は流動的な要素がある。
調査で投票先を決める際に重視する政策について聞くと、「基地問題」が41・6%と最も高く、基地問題への関心の高さがうかがえた。最大の争点となっている辺野古新基地
建設の是非に注目が集まっているとみられる。次いで「経済、景気、雇用」が26・7%、「医療、福祉」が13・0%、「教育、子育て」が7・5%と続いた。
地域別では、那覇市や沖縄市など都市部で玉城が知名度を生かす展開で、佐喜真は南部や先島などで着実に票を固めている。
年代別では、玉城が比較的高い年代で先行しているのに対し、佐喜真は20〜30代で勢いがある。
支持政党別に見ると、佐喜真を推す自民の支持層の7割以上が佐喜真に投票すると答えた。前回知事選では自主投票で、今回佐喜真を推薦した公明は7割以上、維新は6割以上が
佐喜真を支持している。
一方、玉城は社民、共産、社大、自由、国民民主、立憲民主などの票を8〜9割近く固めた。無党派層では玉城が浸透し、佐喜真に勢いがある。
一方、知事選の最大の争点となる普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題については「県外に移設させるべきだ」の割合が最も高く28・1%、「国外に移設させるべきだ」が
21・2%、「無条件に閉鎖し撤去するべきだ」が19・7%と続いた。
これに対し「辺野古に移設させるべきだ」は17・1%、「辺野古以外の県内に移設すべき」は4・3%だった。分からないは9・7%。7割が辺野古移設に反対の意見だった。
他に立候補している渡口初美(83)と兼島俊(40)は支持を伸ばし切れていない。
きのふ16日、告示後初の日曜日を迎えた。
自民、公明両党と日本維新の会などの推薦を受ける前宜野湾市長・佐喜真淳(あつし)(54)の那覇市での街頭演説には官房長官菅、自民党の筆頭副幹事長小泉進次郎が
駆けつけた。菅は「沖縄の未来を左右する極めて大事な、大事な選挙だ。一緒に沖縄のまちづくりを実行に移したい」と訴えた。小泉も「(県民所得向上など)課題を乗り越えた
先に夢が広がっている。全力を尽くすのが佐喜真さんだ」と力を込めた。
立憲民主、共産、社民各党などが支援する自由党幹事長の前衆院議員・玉城(たまき)デニー(58)は、那覇市でのLGBT(性的少数者)の啓発イベントに登場。
参加者と同じピンク色のTシャツで「デニーのDはDiversity(多様性)のDです」などと語った。また、市内の団地などで遊説し、「所得が不十分な方や住まいに
困っている方に公的な住宅を提供し、安心して暮らせる環境をつくりたい」と訴えた。
きのふ16日に引退した歌手の安室奈美恵さん(40)。一昨日15日夜に宜野湾市で音楽祭に出演した安室のライブ写真がきのふ、各社に提供された。
安室は「Hope」など8曲を歌い、うち4曲は他の歌手とコラボした作品。平井堅と「グロテスク」、山下智久と「UNUSUAL」、ジョリン・ツァイと「I’m Not
Yours」、DOUBLEと「BLACK DIAMOND」を披露した。最後は「How do you feel now?」で締めくくった。
音楽祭は午後6時から2時間半行われ、平井堅、MONGOL800、BEGINが演奏した後、安室が登場した。
舞台転換の間には、ファンがアプリで投稿したメッセージがスクリーンに映し出された。「同じ時代に生きてる感謝!」、「ライブが生き甲斐(がい)でした」、「安室ちゃんは
私の居場所でした」、「人生にトキメキをありがとう」……。それを見て涙ぐむファンもいた。
また、昨夜には宜野湾市で花火大会があり、安室の楽曲13曲に合わせて1万2千発が打ち上げられた。安室自身も浴衣姿で花火を観覧した。
♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、一昨年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにもあったのは今さら言うまでもない。
安倍政権の製造物責任は「私にある」と前首相野田佳彦は、ここにきて初めて本音を喋った。
政府が安全保障関連法の施行で可能となった「国際連携平和安全活動」を初適用し、エジプト・シナイ半島でイスラエル、エジプト両軍の停戦監視活動をする「多国籍軍・監視団」
(MFO)に、陸上自衛隊員の派遣を検討していることが、分かった。
政府は年内にも首相官邸、外務省、防衛省による現地調査団を派遣。安全が確保できると判断すれば、年明け以降に司令部要員として陸自幹部数人を派遣する意向だ。
「積極的平和主義」を掲げる安倍政権は、目に見える「国際貢献」として、自衛隊の新たな海外派遣先を模索していた。
防衛省が海上自衛隊の潜水艦を南シナ海へ極秘派遣し、東南アジア周辺を長期航海中の護衛艦の部隊と合流させて、13日に対潜水艦戦を想定した訓練を実施したことが分かった。
海自の対潜戦訓練は通常、日本の周辺海域で行われており、中国が軍事拠点化を進める南シナ海に潜水艦を派遣して実施したのは初めて。
南シナ海は日本の商船も行き交う重要な海上交通路だが、中国が軍事力を背景に複数の岩礁を埋め立てて人工島を造成し、軍事拠点化や実効支配を強めている。今回の訓練は
秘密裏に行われたが、事後的に実施を発表する方向で検討している。公海の「航行の自由」を強くアピールし、中国を牽制する狙いがあるとみられる。
政府関係者によると、派遣したのは海自の潜水艦「くろしお」と、護衛艦「かが」「いなづま」「すずつき」の計4隻。
くろしおは8月27日に海自呉基地(広島県)を出港。東シナ海から台湾、フィリピン間のバシー海峡を通って南シナ海に入った。防衛省はこれまで、くろしおの動向について
一切公表していない。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
自民党総裁選(9月7日告示、20日投開票)。総裁選挙の投開票を20日に控え、首相安倍は青森市のホテルで開かれた集会で演説し、北朝鮮による日本人拉致問題の
解決に向けた日朝首脳会談の実現に重ねて意欲を表明した。元幹事長石破は東京・銀座で街頭演説し、平壌に日本の、東京に北朝鮮の連絡事務所を開設することを通じて解決を
目指す考えを改めて示した。
安倍は「私自身が朝鮮労働党委員長金正恩と向き合い、拉致問題を解決しなければならない。日本の国益を守り抜くため、全力を尽くす決意だ」と述べた。米大統領トランプが
6月の米朝首脳会談で拉致問題に言及したとし「日本の考え方を伝えてくれた」と説明。高齢となった拉致被害者の家族に触れ「ご家族が全ての肉親を抱きしめる日が来るまで
私の使命は終わらない」と強調した。
石破は連絡事務所に関し「北朝鮮の言っていることが本当なのか、一つ一つ検証する仕組みをつくらなければならない」と訴えた。ミサイル防衛の推進と同時に、避難場所となる
シェルターの国内整備を急ぐ必要性も指摘した。
エネルギー政策を巡っては、再生可能エネルギーを主力電源化し原発依存度を低減させる政府の計画について「前倒ししていく。原発は限りなく減らさなければならない」と語った。
首相安倍「私が視察をした際、若い工員さんが私にこう言っていたんです。『安倍さん、給料が上がったからさ、発泡酒がビールに変わったんだよ』とうれしそうに語っていました。
この会社、ずっと成績が良くて、連続で給料を上げたそうです」、首相安倍は青森市で自民党員らを前に、これまでのアベノミクスの成果を強調した。
元幹事長石破は「企業の利益は史上空前の利益を上げました。働く人たちの報酬も史上空前にならなければおかしいのではないか。私はそう思っています。一人ひとりの人々に
実感をしてもらわなければなりません」、元幹事長石破は銀座で街頭演説を行い、「所得を10年で3割伸ばす」などの主張を展開した。
両候補はこの後、テレ朝の「報道ステーション」で、選挙戦では最後となる討論を行う。
首相安倍と元幹事長石破は、きのふテレビ番組で論戦を交わした。
米大統領トランプとの蜜月をアピールする首相を、石破が「友情と国益は別だ」と牽制すれば、首相は「信頼関係がなければ(外交は)できない」と反論。国会改革などは
かみ合わなかった。
石破は、首相が得意と自負する外交分野に斬り込んだ。「友情と国益は別だ。各国が利益むき出しの時代。いかに国益を守り抜くか」、通商で日本に譲歩を求めるトランプや、
首相と22回の首脳会談を重ねながら、平和条約の年内締結を提案し、北方領土交渉を先送りする考えを示唆したロシアの大統領プーチンへの対応ぶりが念頭にある。
「言うべきことをきちんと言うべきだ」と訴えた。
対する首相は「相手が友人だからといって、国益を削ることはどこもしない」と反論。政権を6年近く継続したことで各国首脳と会談を繰り返すことができたとし、「人間的な
信頼関係がなければ(外交は)できない。決してそれはマイナスにはならない」とした。
プーチンの提案については「一部の発言をもって右往左往するようなことがあってはならない」との認識を強調。北朝鮮についても「トップ同士が決めなければ進んでいかない
ことは私の経験で明らか」と述べ、首脳会談による打開に重ねて意欲を示した。
外交分野では北方領土問題が焦点になりつつあり、石破は「領土を少しでも譲るということは主権を失うこと。あってはならない」と訴えた。
憲法改正では9条2項の扱いが焦点となっている。
「自衛官が誇りをもって任務を全うできる環境をつくっていくことは自民党の責務だ」と訴える首相に対して、石破は参院選の合区の解消や緊急事態条項の創設を優先すべきだ
と主張。「丁寧な説明なく、スケジュールありきでやることはいけない」と述べた。
その上で、9条2項の削除を唱える石破は「自衛隊の行動は、国際的なルールにのっとってやらないといけない」と強調。首相が訴える9条への自衛隊明記を実現させても、
「戦力の不保持・交戦権の否認」を定めた2項がある限り、国際法上の権利に疑義が残るとの指摘だ。
これに首相は「自衛隊には国際法上の権利は当然あるというのが政府の見解。そうでないというのであれば、むしろ直ちに(2項の改正を)やらなければいけないということでは
ないか」と反論した。
国会改革についての議論は深まらなかった。
「国会は法律と予算の審議をしなきゃいかんので、スキャンダルものは別の委員会でちゃんとやる」。国会運営の改善を唱える石破は、森友・加計(かけ)問題などの疑惑追及は
衆参の予算委員会とは別の場を設けるべきだと主張した。筆頭副幹事長小泉進次郎ら党若手議員らも提言している。
しかし、首相は自らが「行政府の長」であることなどから、国会のありようは国会の判断に委ねる方針で、総裁選で触れていない。石破が訴える「防災省」の創設についても、
「プロ集団をスピーディーに糾合できるのは権限を持った首相だけだ」(10日の会見)と否定している。
元幹事長石破(61)は一昨日夜、新聞毎日のインタビューに応じた。
北方領土問題について「経済協力で領土が帰ってくると思ったことは一度もない。信頼関係とかいう話でそんなことが本当にあるのか」と述べ、首相安倍(63)の交渉姿勢に
疑問を呈した。北方領土問題を巡っては、露大統領プーチンが日本政府の立場とは相いれない「前提条件なしの平和条約締結」を首相に呼びかけた。
石破は「周到に計算して言ったと思う。今まで(両首脳間で)積み上げてきたことは何だったのか」と指摘。「日本の立場の正当性を訴えながら、主権を譲ることなく交渉を
続ける以外ない」と主張した。
学校法人「森友学園」「加計(かけ)学園」の問題などに関しては、「この政権になるまでこんなことは起きなかった」と指摘。内閣人事局による省庁幹部人事の一元管理が
一因だとの指摘を念頭に、「どういう人が重く登用されていくのか、基準もなく、検証もされていない。それで官邸が信頼できるとは思わない」と述べ、第三者機関で人事を
検証する考えを示した。
経済政策では「景気の暖かい風がやっと地方に届き始めた」との首相発言に触れ、「うそを言ってはいけない。(東京と地方は)違うメカニズムで経済が動いている」と批判。
「地域の生産性、付加価値を最大限伸ばす」と地方創生を訴えた。
憲法については、9条第2項(戦力不保持)を削除し、自衛隊を戦力と位置付ける改正を改めて主張。「単に憲法に自衛隊を書くことに費やすエネルギーがあるなら、地方創生に
もっと費やしてもらいたい」と述べ、9条第2項を維持しつつ自衛隊の存在を明記する首相案を批判した。
総裁選で首相との地方での合同演説会が4回しかないことについては「議論する機会をみすみす逃したのは非常に党にマイナスだ」と指摘した
♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ
昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生
フィリピン。大型で強い台風22号の被害で、フィリピン国家警察によると、17日、65人が死亡、43人が行方不明になったと発表した。
死者や行方不明者数がさらに増える恐れがある。救助当局は17日も被災地となったルソン島の山間部の土砂崩れ現場で救出活動を続行。しかし山あいで重機などが使用できず、
手作業に頼らざるを得ない状況で難航している。ルソン島北部の山間部にあるベンゲット州に被害が集中した。北東部カガヤン州などでも犠牲者が出ている。
台風は北西に向かい、16日午後、香港・マカオに最接近し、夕方に中国広東省に上陸した。
香港。強い台風22号で、気象当局が16日、警戒レベルを最高に引き上げ、警戒を呼びかけた。
香港で少なくとも213人が負傷したほか、建物の浸水被害が相次いだ。警察官2人が路上に倒れた街路樹を撤去作業中、倒れてきた別の木の下敷きになって負傷。住民1千人超が
避難した。マカオでは15人が負傷し、カジノは15日夜から営業を停止した。
米国。米南東部沿岸に14日上陸したハリケーン「フローレンス」はノースカロライナ州やサウスカロライナ州などで道路の冠水や洪水被害をもたらし、米CNNテレビによると、
16日までに13人が死亡した。80万戸が停電している。
上陸時、規模が5段階のうち最も小さい「カテゴリー1」だったフローレンスは14日夕に勢力が弱まり熱帯低気圧に変わったが、大雨は今後数日続くとみられ、当局は洪水被害が
拡大する恐れもあるとして住民に警戒を呼びかけている。
米メディア大手メレディスは16日、傘下の老舗ニュース雑誌「タイム」を、企業向けクラウド大手セールスフォース・ドットコムの最高経営責任者(CEO)マーク・ベニオフ
夫妻に売却すると発表した。売却額は1億9千万ドル(210億円)。
売買にセールスフォースは関係せず、夫妻が個人的に保有する。タイム誌の日々の運営や編集上の決定には関与しないという。ベニオフはタイム誌について「組織に深い敬意を
抱いており、この象徴的なブランドの世話人になれるのは光栄だ」とツイートした。
米国ではIT業界で財をなした経営者が、不振に陥った伝統メディアを個人で保有する動きが出ている。ネット通販最大手アマゾンのCEOジェフ・ベゾスは13年、米紙
ワシントン・ポストを買収した。
女性誌に強いメレディスは今年1月、タイム誌のほか「フォーチュン」、「ピープル」といった著名雑誌を発行する米出版大手タイムを28億ドルで買収したばかりだった。
ただ、自社の中心読者層から外れるタイム誌などは売却を探っていた。
ロシア。大統領報道官ペスコフは16日放映のロシア国営テレビのインタビューで、大統領プーチンが12日に前提条件なしの年内の日本との平和条約締結を首相安倍に
提案したことに関連し、安倍本人からの反応はなかったと語った。
安倍は16日のNHK番組で、プーチンの提案があった後に2人でやりとりを交わし、北方領土問題を解決して平和条約を締結するのが日本の原則だと直接反論したと明らかに
したが、ペスコフの説明とは食い違うことになる。
ペスコフは、プーチンの提案後に「実際に安倍本人から反応はなかった。東京と外交官から反応があった」と話した。
中国。米大統領トランプが近く中国からの年2千億ドル(22兆円)分の輸入品に対する第3弾の制裁関税の発動を表明する見通しとなったのを受け、米紙ウォールストリート・
ジャーナル(WSJ)電子版は16日、中国側が米国との貿易協議を拒否する可能性があると伝えた。
中国の副首相劉鶴率いる代表団は米財務長官ムニューシンらと27、28の両日に閣僚級の貿易協議をワシントンで開催する予定。閣僚級協議の環境整備のため、今週後半には
中国商務省幹部がワシントンを訪問する計画だが、中国側は、大統領トランプが制裁関税発動を表明すれば「交渉はない」としているという。
タイ。北部チェンライ郊外のタムルアン洞窟に2週間以上閉じ込められ、7月に全員救出された少年ら13人が16日、洞窟近くの寺でそろって会見した。
「(洞窟内で)一時希望を失いかけた」、「どんなときでも諦めないことを学んだ」などとそれぞれの思いを語った。
会見では、救出が世界的に報じられて有名人になったことについて、少年の一人が、「昔よりも自由じゃないと感じることはあるけれど、(注目されるのは)いいことだと
思っている」などと話した。
徐々に普段の生活に慣れてきているというが、1カ月以上学校を休んだため、「宿題がいっぱいあって大変」という少年も。少年らとともに遭難した少年サッカーチームの
コーチの男は7月から9月上旬まで一時的な出家をし、この日は少年らと会見に出席。
「私たちの体力はまだ50%くらいしか戻っていない。以前の状態になるにはもう少し時間が必要」と話した。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
北の大地。厚真町の美しい自然を取り戻したい――。
地震で大きな被害が出た厚真町の自然にひかれ移住したサーファーが、ボランティア活動に奔走している。山の災害からの復旧を目指す「海の男」は、厚真の波に再び乗れる日を
夢見て、地域を支える。
「次、荷物どこに届ける?」、「ポリタンクは、ここに置いとけば良いよね?」、厚真町の中心部から3キロ南にある「ルーラル地区」。大量の食料などが積まれたテントの
並ぶ公園で、日焼けした肌に引き締まった体の男たちの声が飛び交う。ボランティア活動に精を出す「サーファー」たちだ。
輪の中心にいるのは、名古屋市出身の丸山聡史さん(45)と旭川市出身の村上巧さん(48)。2人は、道内有数のサーフィンスポットである厚真町の自然に魅せられて
厚真町に移住してきた。「厚真は安定して波があり、常にサーフィンが出来る。海も山も美しく、移住を決めた」と村上さん。
6日の地震で厚真町の山は土砂崩れを起こし、多くの人が犠牲になった。2人がほれた「自然」が牙をむいた。
ルーラル地区も道路がひび割れ、断水が続き、高齢者の多い住民の大半が避難出来ずにいる。同地区に住む丸山さんら自治会が震災当日からテントを張り、物資を集めるなどの
ボランティア活動に乗り出した。
当初は若い人手が不足したが、丸山さんがサーファー仲間にSNSなどで助けを求めると、1週間で道内から100人以上のサーファーたちが集まった。自宅の片付けが一段落
した村上さんも10日から合流。自治会の会長門脇和雄さん(65)は「若い人の力は、本当に頼もしい」と感謝する。
ボランティアチームは、午前7時から軽トラに積んだ食料などを100世帯以上に配って回り、地域の人の生活を支える。特に、断水の続く同地区にとって水は死活問題だ。
水は、20リットルのポリタンクに入れて運ぶ。200個近くのポリタンクの多くは、サーファー仲間が持ってきてくれたものだ。
「サーフィン後、からだを洗うために海には大体持って行く。サーファーにとって必需品なんです」と、丸山さんは笑った。
ボランティアに奔走し、震災以降、海には入っていない。だが、「安全な生活や美しい自然が早く戻ってほしい」と願う2人は、復興したら再び厚真の波を存分に楽しむつもりだ。
苫小牧市で、きのふアイヌ民族によるカムイノミ(神々への祈り)が行われた。
胆振東部地震の犠牲者に祈りを捧げるとともに、地震がおさまり、再び山津波が起きないように祈った。主催した苫小牧アイヌ協会によると、アイヌ民族はこの世に存在する
あらゆるものに「魂」が宿っていると考え、動植物、火や水や土、天候など人間の力の及ばないものなどを「カムイ」として敬ってきた。
アイヌ語で地震は「シリシモイエ」、山津波は「オキムンペ」。カムイノミは豊穣の秋を祈る儀式で、今年も地震発生前から実施することが決まっていた。
祭司を務めた同協会の会長澤田一憲さん(63)はこれまで、今回の地震で36人が亡くなった厚真町のカムイノミでも祭司を務めてきた。「被災地の一日も早い復興を天に
祈った」と語った。
青森。7月の西日本豪雨で被災地に派遣されていた青森県職員らが任務を終えて帰還し、14日、県庁で知事三村申吾に報告した。
県内からは農林水産部や健康福祉部、危機管理局に所属する県職員のほか、社会福祉士や介護福祉士からなる県災害福祉支援チーム(DCAT)など延べ43人が7月末から
1カ月間、福岡、広島、岡山の3県に派遣された。この日の報告には21人が出席し、それぞれのチームの代表者が被災地の状況や感想を述べた。
8月17〜21日に岡山県倉敷市真備町へ派遣されたDCATのメンバーで社会福祉士の高杉勇希さん(39)は、小学校に避難している子どもたちがストレスを抱えていると考え、
他のDCATのメンバーと一緒に、グラウンドの空きスペースで縄跳びやフラフープを使って子どもと遊ぶ時間を作った。
「青森でもし災害が起きたとしても、今回の経験を生かして対応できると思う」と話した。
岩手。JR釜石線(花巻〜釜石)を走る蒸気機関車「SL銀河」の一般公開が、きのふ釜石市のJR釜石駅であった。
乗務員室から車内放送をする車掌体験やSLと客車の連結作業の見学があり、親子連れら600人が集まった。観光を通じて復興に役立てようと、運行が始まった2014年度
からJR東日本盛岡支社が開き12回目。来年3月のJR山田線の三陸鉄道への経営移管と来年秋のラグビーワールドカップを控える中、SL銀河には交流人口拡大の期待が
一層かかる。釜石駅の駅長工藤冨士雄さんは「たくさんのお客さんに乗って頂き復興支援に役立てたい」と話した。
福島。多くの人々に愛唱される「大地讃頌(さんしょう)」を含むカンタータ「土の歌」の全曲を合唱するコンサートが、きのふ浪江町で開かれた。
作詞者はかつて浪江で暮らした詩人。ゆかりのある曲を町民も参加した合唱団が披露、300人が聴き入った。
広島出身の詩人の大木惇夫(あつお、1895〜1977)は戦中戦後の一時期、病気療養や創作のため、自然豊かな浪江に移り住んだ。この地で、広島への原爆投下を知った
とされる。
「土の歌」は62年に誕生。大木が作詞し、東京芸大で教えた作曲家の佐藤眞さん(80)が曲をつけた。7楽章で構成され、原爆や戦争の恐ろしさや人間の愚かさに加え、
反戦の思いや母なる大地への愛と感謝を描いている。安らかな「大地讃頌」は最終楽章だ。
千葉。戊辰(ぼしん)戦争中の1869年、新政府軍の熊本藩士らとともに勝浦市沖で沈んだ米国蒸気船「ハーマン号」(全長71m)の水中調査が着々と進んでいる。
5回目の調査を終えたチームは史跡指定や発掘調査を目指しており、地元でも「熊本や米国との交流拡大や、新たな観光資源につながる」と期待が高まっている。
ハーマン号は、日本に開国を迫ったペリー提督の「サスケハナ号」に迫る当時最大級の蒸気外輪船。いわゆる黒船だ。
榎本武揚ら旧幕府軍の討伐のために借り上げられ、熊本藩士ら350人と米国人船員80人を乗せて函館・五稜郭に向かう途中のこの年2月13日、暴風雨で座礁して沈没。
地元住民が救助にあたったが、230人が犠牲になった。
この沈没船の水中調査を行っているのが、日本水中考古学調査会だ。米国で水中考古学を学んでいた井上たかひこさん(75)が1998年、地元漁協の協力を得て、沖合の
水深10mの海底に沈んでいる船を発見し、ハーマン号と特定。同会を設立して会長に就き、調査を続けてきた。
今年7月下旬には、沈没から150年を前にした5回目の調査を実施。「マルチビーム測深」や「写真測量」といった技術を使い、沈没船や周囲の海底状況などがわかる精密な
立体図を作成するためのデータを収集した。食器の破片とみられる磁器片も新たに見つかったという。
井上さんは「精密な立体図を含む報告書をまとめ、県の史跡指定や、沈没船を引き揚げる発掘調査につなげたい」と意欲を燃やし、「発掘調査が進めば、外輪が付いた船の構造や
積み荷などもわかってくる。『海から見た戊辰戦争』という新たな視点も生まれる」と指摘する。
水中調査の進展に地元勝浦市でも期待の声が上がっており、市観光協会副会長で民宿組合長の江沢修さん(68)は「史跡指定となれば注目度はぐっと増し、新たな観光資源にも
なる。熊本側との交流も進む」と胸を膨らませる。
勝浦市では毎年、犠牲者の慰霊祭が行われ、2012年からは米国大使館員も参加するようになった。これに尽力した勝浦市の海事補佐人、大野幹雄さん(75)も「この地の
人たちが乗組員の救助活動を必死で行った歴史に、光がさらに当てられれば。もっと多くの米国人にも知ってもらい、勝浦を訪れてほしい」と願う。
慰霊祭を主催する「黒船『ハーマン号』を世に出す会」の会長を務める市長猿田寿男も「市としても史跡指定に向けて力を尽くしたい。さらなる日米親善にもつながる」と話している。
東京。目黒区では、きのふ毎年恒例の「さんま祭」が開催された。
今年の「さんま祭」では、一昨日宮城県の気仙沼港で水揚げされた、5000匹のサンマが無料で振る舞われた。女の子は「おいしかった。(どこがおいしかった?)おなか」と。
会場には、開始前から長蛇の列ができていて、朝4時から並んだ人もいたという。
築地市場(中央区)から豊洲市場(江東区)への移転まで、あと1カ月を切った。
地下の汚染問題などで開業が2年遅れ、水産物で世界最大規模の新卸売市場がようやくスタートする。きのふ16日には使い勝手を確かめる習熟訓練も行われたが、慣れ親しんだ
築地市場との違いが大きく、業者からは戸惑いの声が上がっている。
5700億円をかけて整備され、全国の水産物や青果を扱うことになる豊洲市場。利用者らが「駐車場が足りない」と不満を募らせている中、一部の施設の駐車場ではいまも
改修工事が行われている。
きのふは早朝から、仲卸業者や仕入れ業者ら3200人ほどが参加した大規模な習熟訓練が開かれた。工場や倉庫のような施設内で、業者が小型運搬車「ターレット」(ターレ)を
実際に走らせ、荷の流れを確認。施設は温度管理に配慮した構造となっており、新しい水槽の海水を循環させていたエビ専門の仲卸の社長は「衛生面は明らかに豊洲が上だ」と
語った。築地との大きな違いは、その規模だ。
面積は40ヘクタールと、1・7倍に。築地は主に低層の施設がぎゅっと集まっているが、豊洲では水産物と青果の売り場棟が公道で隔てられ、遠い。買い付けに来る客らのための
巡回バスが用意されるほどで、行き来に時間がかかる。
この日は、日曜にもかかわらず駐車場に入る車が連なり、周辺が渋滞。都心と豊洲を結ぶ道路は現在1本だけで、2本目となる環状2号線は開通が豊洲開場の1カ月後になる
見込みだ。仲卸業者の一人は「荷物の出し入れで混雑し、豊洲が『時間が読めない市場』になってしまう」と指摘。
「利用する飲食店やスーパーの営業に直結するため、いずれ消費者にそっぽを向かれないか」と懸念する。7月には業者向けの移転説明会で「駐車場が足りない」といった
意見も出た。
岡山。西日本豪雨で大きな被害が出た倉敷市真備町に、「本日臨時休業」の看板を掲げながら店内で作業を続ける、まちの自転車屋さんがある。
店主は被災した自宅で寝起きし、「被災者の足」を懸命に守っている。
倉敷市真備町有井の自転車・バイク販売店「池野サイクル」に日曜の昼下がり、電話がかかった。店主の池野一馬さん(77)は、その要望に合う自転車を用意し、長男に届ける
よう頼んだ。「旧知の地元の方に頼み込まれると断れない。田舎だから、いつ何かで世話になるかわからないし」。
「臨時休業」としているのは、自身の店や自宅が被災しただけでなく、修理に使う膨大な部品を流されたからだ。「五十数年かけて蓄積してきた部品をすべて失った。お客さんが
店に来ても、合う部品がなくて修理してあげられないと申し訳ない」と池野さん。
それでも被災5日後から仕事を始めた。通学用自転車を流された高校生に自転車を贈ろうとしたNPO法人「カタリバ」(本部・東京)に協力を求められたのがきっかけだ。
これまでNPOが贈った20台の大半を手配し、町内外の避難所などに散らばる生徒を1人ずつ訪ねて届けた。
市災害ボランティアセンターに自転車メーカーが貸与する自転車20台の維持も引き受ける。町内で自転車を扱っていたホームセンターは、閉鎖中か仮営業で、部品も買えない状態。
店内で作業している池野さんを頼って来る人は絶えない。「高齢者には、歩いて坂を上り下りして配給所に食事を取りに行くのも大変」。
池野さんも被災しただけに、その気持ちがわかる。
7月7日朝、池野さんは隣の集落が泥水につかっているのを見た。午後には南側から水が迫った。近所のブロック塀が水で見えなくなり、長男に促されて車で避難。
薗(その)小学校、真備クリーンセンターの避難所に向かったが、人も車も満杯で入れなかった。
企業の駐車場に入れてもらい、車内で2晩を過ごしたという。水が引いた家に帰ると、どの部屋も物が散乱して手をつけられない状態。水は高さ1・5mに達したという。
店にあった商品の自転車100台、バイク40台は全部泥まみれ。
自転車の大半を廃棄し、倉庫に入れたバイクの修理はこれからだ。「業務用の車や工具は保険金が出るが、商品の自転車やバイクは出ない。洗えば使えるものを中古で売る
しかない」。池野さんもあきらめ顔だ。
豪雨から2カ月が過ぎたが、夜、明かりがつく家は周囲にほとんどない。「多くは高齢者で、避難生活に疲れ切っている。2、3時間も作業すると、避難先へ帰って行く」。
そう言う池野さんの自宅も、ごみをやっと運び出したばかり。被災者を支える責任感で浸水を免れた一間にとどまり、今できることを続ける。
広島。安芸灘に浮かぶ島々の一つ、呉市豊浜町の豊島で15日から16日にかけ、五穀豊穣と豊漁を祈る秋祭りが開かれた。
350年以上前から続くとも言われる祭礼では、櫂や櫓で船が沖に出て、神輿が海につかるなど、かつて水軍が行き交った瀬戸内ならではの行事が繰り広げられた。
祭りがあったのは豊島東岸の小野浦、山崎の両地区。かんきつ栽培や漁業が盛んな1千人ほどの集落に立つ室原神社と胡(えびす)神社、貴布祢(きふね)神社を舞台に、
毎年9月の第3土曜、日曜に執り行われる。
一昨日15日にはまず室原神社の例大祭があった。宮を出た神輿が陸路を行き、数え60歳の還暦の男たちが櫂を取る「櫂伝馬船」と、大厄の42歳が櫓を押す「押し舟」が
漁港を離れ、山崎地区の貴布祢神社へ。神輿を回し、獅子舞を奉納した後、それぞれ折り返す。
愛媛。アフリカ北部モロッコの砂漠地帯が舞台の、世界有数の過酷さで知られるサハラマラソン。
今年4月、遍路の装束に下駄履きで挑み、70時間8分で見事完走して特別賞に輝いたのが、松山市の離島・中島に暮らす清水雄矢さん(38)。日中の気温は40度。
240キロの荒野を走り抜けた下駄は、歯がほとんど削れて板切れのようになった。
下駄履きでマラソンを走り出したのは、初マラソンだった2011年の東京マラソン。その前の愛媛マラソンで、夏目漱石の小説「坊っちゃん」にちなんだ服装に下駄履きで
出場していた男がいて、「これだ」と思った。男にどんな下駄が良いかなど尋ねると、快く教えてくれた。
坊っちゃんの装束に「愛媛産には愛がある」と記されたのぼりも担いでスタート。足の指の皮が鼻緒と擦れて出血したが、沿道からは「下駄がんばれ」、「坊っちゃんがんばれ」
などと声援を受けた。手を振って応えていると、痛みも疲れも吹っ飛び、見事完走した。
この時の楽しさが忘れられず、その後も下駄履きで各地のマラソンに出場するようになった。15年の「四万十川ウルトラマラソン」は13時間56分38秒。下駄履きでの
100キロマラソンのギネス記録も打ち立てた。
清水さんは料理人や高校教諭などを経て、現在は中島で除草剤を使わずミカンを栽培している。ミカンが植わる急斜面を草刈り機を持って上り下りするなど真夏の過酷な除草作業が、
マラソン完走の忍耐力や精神力につながっている。
熊本。県内有数の柑橘産地である宇城地域で、極早生温州ミカン「肥のあかり」の出荷が、始まった。
今月下旬までに関東や東北を中心に650トンの出荷を目指している。肥のあかりは県統一ブランド。JA熊本うきによると、今年は雨が少なかったため、例年に比べ糖度が
高いという。気温が高い状態が続いたが、大きな被害はなかった。
宇城市三角町のJA柑橘選果場では、運び込まれた果実を大きさや糖度で選果。大型トラックに積み込まれ次々に出荷されていった。
宇城地域では肥のあかりを皮切りに、早生、デコポンと来年6月まで柑橘の出荷が続く。きのふ16日は、出発式があり、生産者や運送業者らが出荷開始を祝った。
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
富山。勇壮な踊りで南砺市城端に秋の訪れを告げる城端むぎや祭が行われ、大勢の観客でにぎわった。
麦屋節は、源平の戦いに敗れ、五箇山に逃れてきた平家の落人が都をしのび、唄い踊ったのが始まりと言われている。祭りは一昨日15日に始まり、城端のまちなかや
伝統芸能会館で踊りが披露された。
三味線や太鼓の軽快な調子に合わせて、紋付はかま姿の男は編笠を回す笠踊りを、着物姿の女性はたおやかな手踊りを披露した。また、城端別院善徳寺では、麦屋節の歌い手
日本一を決める大会も開かれ、一般の部では高岡市の中村彩実さん(15)が優勝し、中村さんは来年、民謡日本一を決める全国大会へ推薦される。
福井。福井県は、越前市の飼育施設で育った国の天然記念物コウノトリの雄1羽と雌2羽を放鳥した。
福井県では2011年に飼育を始め、放鳥は15年から4年連続。地元の子どもたちが見守る中、3羽は大きく羽を広げ飛び立っていった。3羽は、県が兵庫県立コウノトリの
郷公園(豊岡市)から借り受けているつがいの雌が今年4月に初めて産んだ有精卵からふ化した。
これまでは有精卵が生まれず、コウノトリの郷公園から有精卵を譲り受けて放鳥していた。県が愛称を募集し、雄は「りゅう」、雌は「こころ」と「ひかり」と命名した。
魚や鳥など人が捕まえた生き物を供養しようと街なかでさまざまな伝統芸能を披露する若狭地方最大の秋祭り「放生祭」が、小浜市で行われた。
「放生祭」は、小浜市にある八幡神社の例祭で、人が捕まえた魚や鳥などを供養する伝統行事で、300年以上の歴史があり、県の無形民俗文化財に指定されている。
祭りでは、地元の人たちがそれぞれの地区ごとに山車を引いて練り歩いたり、優雅な神楽などを披露したりしたあと八幡神社を訪れ、奉納する。
小浜市貴船区ではきのふ午前9時頃、子どもたちや若者らが山車に乗り込み、笛や太鼓をならしながら市内を練り歩いて八幡神社を目指した。小浜市内では、いたるところで
神楽や獅子舞、それに大太鼓などが披露され、街なかには太鼓や鐘の音が響き渡った。
金沢。人間国宝・松田権六を始めとする漆芸家93人の作品を集めた企画展が金沢の県立美術館で開かれている。
企画展「URUSHI伝統と革新」は漆芸作家の登竜門となっている日本伝統漆芸展の開催35回を記念して開かれた。会場には江戸時代末期から活躍した近代の巨匠から
歴代の人間国宝、そして現在活躍する若手作家まで漆芸家93人の作品137点が一堂に並んでいる。
このうち金沢市出身の人間国宝松田権六が戦時中、遺作となることを覚悟し技術の粋を集めて制作した「蓬莱之棚」と同じく代表作の「鷺蒔絵棚」が同時に展示されるのは
11年ぶりだという。 企画展は来月14日まで開かれている。
加賀。かつて北国街道として栄えた通りの賑わいを再現したイベントが、きのふ野々市市で開かれた。
このイベントは、江戸時代に北国街道として栄えた野々市市の本町通りを会場に毎年開かれており、きのふ500mを歩行者天国とし、ステージイベントや飲食ブースなどが
並んだ。今年のテーマは「街道とこども達」。多くの子どもたちがボランティアで参加しており、地元の伝説「弁慶の力石」にちなみ大きな石を投げて距離を競うコンテストが
行われた。通りには歴史的建造物も多く残っており、訪れた人たちはこの町並みを楽しんでいた。
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく
井上ひさし
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
早いもので、長月17日。月日の経つのはなんとも早い。
午後の散歩はいつものコース。雲行きが怪しいので傘を持って出た。真柄の寮の対面の空き地では、一面にはびこっていた葛、刈りとった葉はしなびていたが虎刈りは虎刈りだ。
寺津用水は濁りなどがあり、水量も少なかった。体育館の駐車場には15台。自転車10台。横の道路ではバスケ、裏のコートからラケットの音がした。
バス通りを越えた坂道は下りて、左折。ヒマワリや薔薇も消えた尾田、ガーデンパラソルが消えて紅いバラが1輪咲いている上村さんち、アサガオが萎んでいる槌田さんちから
山津さんちの四つ角は右折。墓場の手前の対面には老夫妻がボンゴタイブの車て来られて畝を耕していたので「ご苦労様」。
型枠工場では、炉が稼働して型枠を整理している作業員が姿は見えた。金子さんちの対面や横の新築現場では、大工さんや外壁屋さんが入って、横の住宅では4人が一服して
いたので「ご苦労様」。Dr小坂、宇野さんはまだ帰っておらず。
なかの公園は静かだ。四叉路は、右折。土井さんちの新築現場、大工さんは来ていたが姿は見えず。徳中さんち、玄関前の提灯草がいい、風車は回っておらず。半分しぼんでいる
アサガオの辰治さんちの納屋を過ぎて、土谷の御婆さんちの納屋の松葉ボタンや庭のコスモスは元気。
清水さんちの朝鮮アサガオも萎んでいた。
谷口の御婆さんち、赤のセージがいい。田畑さんち、相変らず車は停まったままだが、アサガオは1輪咲いていた。湯原さんちのハマナスの花は3輪咲いて、紅い実を付けていた。
ムクゲは元気で、鹿の子ユリは消えていた。家の玄関先で一服されていた湯原さんに手を挙げて挨拶。
坂本さんちの石鎚バラの花は消えていた。松本さんちの白の百日紅や鉢のホウズキ、ピンクのガーデパラソルも元気だった。みすぎ公園を一回せず。
京堂さんちまえのバス通りを渡ってコンビニの駐車場の横経由で帰還へ。
北さんちの玄関先で、柴犬連れの高瀬、シュナイダー連れの井上さんと談笑しているのが目に入り、手を挙げて「挨拶」。ひょっとこ丸はまだ帰っていない。
北さんちのオクラの花を見つつ、四つ角の藤田さんち前へ。畑におられた神谷さんに「こんにちわ」、「旦那が躓いてアキレス筋を切ってどうもなりません」、「御大事に」、
畑には長野県の道の駅などで売っているという陸ノリが2本植えてあった。
藤田さんちアサガオは殆どしぼんでいたが、ケイトは元気だった。小林さんち横の畑、今年も曼珠沙華二本が花を連れていた。飯田さんちの畑のニラや庭のバラ、マツバボタンは
2輪のバラとともに元気。
奥村さんちのノーゼンカズラは元気で、瀬戸さんの黄色くなったゴーヤにムクゲの花が待っていてくれた。
朝夕の散歩は〆て、1万104歩、距離は7キロ、活動量0Ex、消費カロリーは200Kcal、脂肪燃焼量は17g。
半月を映す浦曲に 夜釣り人
明易や今朝も出会いし老婦人
互いに欺かず 争わず 真実をもって交わる
(雨森芳洲が対馬藩主に宛てた外交指針書「交隣提醒」で説いた教え)
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)
月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ
法然上人 長承2年(1133)〜 建暦2年(1212)
石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鳥狩だにせずや別れむ
万葉集 巻19−4249 大伴家持
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
軒下の土塊に生れ つくづくし
落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
白梅の 白極めたる古木かな(朝日俳壇)
年の瀬や 独り第九をイヤホーン
のどけしや ゆったり動く象の耳
紅椿一輪部屋を明るうす
突堤に巨船の泊つる晩夏かな
学びたし夏の球児の一途さを
盂蘭盆や 人見て法を説けと母
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の能登の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2018年長月17日(ふ)
・∴・--------------------------------------------------
■ご感想は?。
【戻る】
日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】
【気象情報】
回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊