怒り込めて 雨の沖縄県民大会「知事の遺志継ぐ」
2018年、戌年、葉月8月12日(日)、晴れ。金沢の最低気温は24度、最高気温は33度。
涼しかったが次第にむし暑くなっきた。朝の散歩は、何時ものコース、真柄の寮前の空き地にはヒルガオが咲いていた。寺の駐車場下の崖のアジサイの上に、白赤の夾竹桃が
幾分朽ちたようだ。
道路脇の寺津用水、澱みや泡は、少しあり、水量も少ない。体育館に車は2台。バス通りの四つ角を渡って坂道は右折、角にはホタルブクロが咲いて、その上には赤のムクゲ。
赤白のセージの咲いている石田さんち、過ぎて、雀のお宿の越野さんち、雀は周りの木々に群がっておらず。階段には3輪のアサガオが咲いていた。
左の空き地から、イチジクの香り。実が大きくなっていた。
その奥の高台には赤白のムクゲが見え隠れした。角家の四つ角は左折。生垣には、薄い橙色のノーゼンカズラが咲き誇っているが、朽ちて散らばっているのが目に入った。
戸田さんちの崖、栗の木に5センチぐらいのイガが目に入る。草刈された跡が見えた。
シェパードのお宅、シェパードは檻の中におらず。ティプードルの散歩を終えた娘さんに「お早うございます」。朝日さんちの崖で、ヒルガオ。道路下にはホタルブクロ、
鉢のアサガオが5輪さいていた。
目の前の畑では、ハスの花が枯れ始めて、ホウセンカが咲いていた。ひまわりは10輪。中村さんち、自宅に立てかけた網に大きな薄い水色の琉球アサガオが3輪咲いていた。
種なしで挿し木で増やすそうだ。
才田さんちの庭で、樹齢100年という、ザクロの実が大きくなっていた。玄関先でアサガオが1輪と白と赤のガーデンテラス2輪が目に入る。
ここを過ぎて、四つ角は右折。涌波からの親父さんが畑に来ておらず。
紙谷さんち、竹の塀の中からのアサガオが白、濃い紫のがそれぞれ1輪顔を出していた。この辺りを一回り。三叉路の手前、生垣には3輪の朝顔、そして村上さんちの生垣、
ピンクのガーデンテラスが目立つ。
深紅のバラも消えた槌田さんち、鉢植えのアサガオが5輪咲いていた。山津さんちの四つ角、きのふ、薪割されて積んであった。西さんち、ムクゲがいい。左の空き地には
ヒルガオが無数に咲いていた。
清水の婆さんちの畑を過ぎ、墓場で、夫妻が墓参りに来られて、「お早うございます」、母娘が墓参りに来て車から降りるのが目に入った。松本さんが畑におられて「お早う
ございます」型枠工場はお休みで静かだった。
型枠工場を過ぎて軽4の湯原さんに会い手を挙げて朝の挨拶。Dr小坂、宇野さんはまだだ。対面の土井さんち、花壇の紫のアサガオは無数に咲いていた。
広場にテントや櫓が組まれたなかの公園では、後始末をしている男の姿が目に入る。
手前は右折したところで、背後から「お早うございます」の声で振り向くと宇野さんで「お早うございます」。清水さんちの百日紅はいい。
修平さんちの実家、納屋の脇ではタチアオイが、朽ちてたと思っていたら、更に咲いて10輪。
白のザクロやヒオウギの花も枯れ始めていたペンキ屋さんち前、土井さんちの敷地には、上屋根瓦もふかれて内装中だが大工さんはお休みのようだ。
徳中さんちの庭、ノーゼンカズラの花が落下して風車は回っておらず。
柴犬のいる小原さんちの納屋の中から、「ワン、ワン」と吠えたが、姿は見えず。ここで、朝の散歩始めたという松本さんに「お早うございます」。辰治さんちの納屋の横では
アサガオが10輪余り咲いていた。土谷さんちの松葉ボタンは、元気だった。
谷口の婆さん宅、キキョウが咲いていた。田畑さんの車は相変らず停まっていた。玄関先に無数に咲き始めているムクゲとプランターのアサガオが3輪咲いていた。
神社前の清水ち玄関先には朝鮮アサガオが3輪咲いて、裏の畑、タイタンビカスが、赤いでっかい花を付けていた。
湯原さんちの庭、たわわに実っているブラックベリーも枯れ始めた。ハマナスは花が5輪咲いて実がなっている。アリストロメリア、篝花や野萱草、百日紅、ムクゲ が咲いて、
オオバギボウシはいい。
庭に居た御婆さんに「お早うございます」、そのうち墓場から帰ってこられた爺さんに「お早うございます」、「札を掛けるところを付けるのを忘れていたので付けてきた」と。
坂本さんち、庭のナナカマドは実を付けて、石鎚バラが、10輪花を付けて他につぼみもある。
ピンクのガーデンテラスやアジサイ、ホウズキにユリ、ノーゼンカズラも咲いている松本さんち、「まぁ、一服しませんか」と熱い緑茶をご馳走になった。深謝して、
みすぎ公園を一回りした。
京堂さんちの裏の白赤の百日紅を見つつバス通りを経てコンビニの裏通りへ。途中の三叉路では左前方に、柴犬連れた高瀬さんと津のお孫さん、それにシュナイダー連れの
井上さんが目に入った。谷口横の清水さんが持ち主の納屋の前、百日紅が目に入る。
北さんちの四つ角の手前では、三丁目のミニダックスを連れた御婆さんに「お早うございます」。ここを過ぎて空き地では無数にヒルガオが咲いていた。ひょっとこ丸は
出られた後。稲穂が垂れている徳田さんちの田圃も過ぎた。
藤田さんちの四つ角の手前 北さんちの畑のでっかいヒマワリが殆どうつむいていた。四つ角で、松本さんと別れたが、道中は台湾にシークワサーやバンシロウなんて
ありましたか、また八方尾根や白馬登山の話など。
藤田さんちのバラにユリ、深紫のアサガオがいい。小林さんち、赤の百日紅がいい。その横の畑、92歳の辻の爺さん来ていて「お早うございます」。
飯田さん、秦さんち横の畑で草むしり中で「お早うございます」。飯田さんちの玄関前の松葉ボタンやバラ、奥村さんちの白のでっかい百日紅、瀬戸さんちの畑のムクゲと
ゴーヤの花にトマトが待っていてくれた。
たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
橘曙覧 (1812〜1868)
桝井さんちの四つ角で2匹のダックス連れの鈴木さんに会い「お早うございます」。
小屋に戻って、朝飯を終えて、茶のあとカフェを飲む時が至福のひと時である。
♪卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来 鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして 玉苗 植うる 夏は来ぬ
1896年 夏は来ぬ 日本の唱歌 作詞:佐佐木信綱 作曲:小山作之助
日本列島。名古屋気象台は午後、名古屋市、春日井市、日進市、小牧市などに大雨洪水警報を出した。
低い土地の浸水や河川の増水に警戒するよう呼びかけている。
♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
群馬。520人が犠牲となった日航機墜落事故からけふ12日で33年経つ。
墜落現場となった御巣鷹の尾根(群馬県上野村)のふもとの神流(かんな)川で、昨夜、恒例の灯籠流しが行われた。大切な人を失った人たちが集い、思いを込めた灯籠を
水面に浮かべた。
参加者らは、一昨日10日に群馬県の防災ヘリ「はるな」の墜落で9人が死亡するなど航空事故が後を絶たない現状の改善を願い、再発防止の活動を続けると誓った。
日航機事故の遺族でつくる「8・12連絡会」などが主催。
参加者全員が河原で黙とうし、墜落時刻の午後6時56分が近づくと、メッセージを記した灯籠を川に浮かべた。
標高1539mの墜落現場「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)には、早朝から多くの遺族らが花束や線香などを手に、慰霊登山に訪れた。遺族の高齢化が進む中、
今年は、登山道の階段の段差が大きい箇所に補助階段が取り付けられた。
午前6時過ぎ、登山口にシャトルバスの第1便が到着。犠牲者の家族や親族、友人らは険しい山道を登り、それぞれの故人の名前が記された銘標を目指した。
「御巣鷹の尾根」は近年、大震災(2011年)や御嶽山噴火(14年)などの犠牲者の関係者が集う「聖地」となっており、この日も多くの関係者の姿がみられた。
早朝から遺族や関係者が集まり、山道を登った。尾根の斜面に点在する犠牲者の墓標や、「昇魂之碑」の前で手を合わせた。
東京都の滝下政則さん(78)は、次男の裕史君(当時11)を亡くした。野球少年で、運動会では応援団長もする活発な子だった。夏休みだったあの日。親戚宅に遊びに
行きたいという裕史君を、滝下さんは、大阪行きの飛行機に1人で乗せた。羽田空港でせがまれてコーラを飲ませ、夫婦で見送ったのが最後になった。
毎年8月12日は、夫婦で尾根に登り、墓標のそばの木に赤いパーカを着せた。裕史君が大好きで、いつも着ていたから。最初は子供服のサイズだったが、月日とともに成長を
想像しながら、SからMへと大きくしていった。
生きていれば44歳になる。体の成長は想像できるが、面影は11歳のままだ。どんな大人になり、どんな人と結婚したのか。それを見られない悔しさが募る。
けふ12日、墓標にそばの木に新しい赤いパーカを着せた滝下さんは、手を合わせて、目を閉じた。「冬は寒くなるから、あったかい気持ちでいてね。また来るよ」
今夕には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が予定されている。墜落時刻の午後6時56分、参列者は黙とうをささげる。
♪やさしさと かいしょのなさが 裏と表に ついている そんな男に 惚れたのだから
私がその分 がんばりますと 背(せな)をかがめて 微笑み返す 花は越後の 花は越後の 雪椿
夢にみた 乙女の頃の 玉の輿には 遠いけど まるで苦労を 楽しむように
寝顔を誰にも 見せないあなた 雪の谷間に 紅さす母の 愛は越後の 愛は越後の 雪椿
昭和62年 雪椿 作詞:星野哲郎 作曲:遠藤 実
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子(もとこ)
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。
時折激しい雨が降る中、多くの人が会場を埋めた。きのふの米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する県民大会。
直前に急逝した知事翁長の追悼ムードに包まれ、登壇者も参加者も、辺野古移設に反対し続けた「知事の遺志を継ぐ」と口をそろえた。「自分たちで声を上げることが必要だと
思った」、参加者たちは那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場に、辺野古の海をイメージするブルーの服や帽子を身につけて集まった。
翁長を悼んで黙?しながら、肩を震わせたり、涙をぬぐったりする人もいた。
あいさつに立った翁長の次男で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)は「残念な結果となりました」と言葉を詰まらせ、「父は生前『沖縄は試練の連続だが、ウチナーン
チュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うとき、想像するよりも大きな力になる』と何度も言っていた。
辺野古新基地建設が止められたと父に報告できるよう頑張ろう」と呼びかけた。
名護市の学童指導員比嘉陽子さん(40)は娘の中学2年陽華(ひなか)さん(14)、小学5年仁紅(にこ)さん(10)と初めて県民大会に参加した。
「私たちの気持ちを代弁してくれた知事翁長が亡くなり、自分たちで声を上げることが必要だと思った」。
美しい辺野古の自然は、一度奪われれば元には戻せない。一方で2月の名護市長選では、移設を事実上容認する候補が当選した。周囲には「反対しても意味がない」と
無力感を語る人もいる。陽華さんにも「別にいいじゃん」と語る友人がいるという。
だが、会場に来て「こんなに声を上げる人がいると思わなかった」と驚いた。「自然を守っていくため、こういう動きが広がってほしい」、読谷村(よみたんそん)の
福祉相談員大城貴子さん(58)は、翁長への弔意を示すため黒いシャツとズボン姿で参加した。
「知事翁長は最後の力を振り絞って理不尽を訴え続けた。遺志を無駄にしてはいけない」と話した。地元出版社編集長の新城和博さん(55)は、少女暴行事件に抗議した
1995年の県民大会以降、様々な大会に参加してきた。今回は杖をついた高齢の男や、1本の傘で雨をしのぐ親子連れ、黙?の時に泣く女性など、強い意思を感じさせる
参加者の姿が印象的だったという。「今回は特にしんみりとして、整然と行われたと感じた。沖縄の静かな怒りが込められた大会として語り継がれると思う」と話した。
県民大会には、普天間飛行場に隣接し、昨年12月に米軍ヘリの窓落下事故があった普天間第二小学校に春まで勤めていた教員の姿もあった。
2年生の担任だった仲本喜美子さん(62)。あの日の午前10時すぎ、「運動場に何かが落ちた!」という声で職員室から外に出た。体育の授業中だった2年生と4年生
計60人が、叫びながら校舎に逃げ込んだ。運動場のほぼ中央に落ちた窓は重さ8キロ。「まさか」としか言葉が出なかった。
宜野湾市普天間生まれ。大学卒業後に教員となり、普天間飛行場にオスプレイが配備された翌年の2013年4月に普天間第二小に赴任した。校舎からフェンス越しに銃を
持ち行進する軍人が見え、上空を米軍機が通過する。「異常だ」と感じつつ、それが日常になっていた。
だが、事故によって「魔法が解けた」。事故後に児童が書いた作文を読んだ。「ぼくはあんぜんで、けがのない小学校がいいです」、「どんな国でもこんなあぶないことは
おきないでほしい」……。いてもたってもいられなくなり、地元紙に内容を紹介する手記を投稿した。
「目の前で起きたことと児童の気持ちを、きちんと伝えなければいけない」と思ってのことだ。別の小学校に転勤後も、普天間第二小の保護者らと定期的に会い、どうすれば
子どもたちが安全でいられるか考え続けている。9日には普天間飛行場の移設工事が進む名護市辺野古を見に行った。埋め立て予定地のそばにも、家々や学校があった。
「子どもたちに基地を当たり前の存在と思わせてはいけない。これ以上沖縄に基地を造るのはやめて」。
そんな思いでこの日、「辺野古新基地NO!」のメッセージボードを掲げた。
♪泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2014年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で、安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(民進党→現 無所属)の野田佳彦らにもあったのは今さら言うまでもない。
沖縄防衛局が新基地建設の環境保全策を議論するために設置した環境監視等委員会の副委員長委員だった琉球大学名誉教授東清二さんが「辺野古新基地建設断念を
求める8・11県民大会」に送ったメッセージは次の通り。
「8・11県民大会に寄せて」
私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、今年4月に正式に辞職が認められました。
最初は環境監視等委員会で、ちゃんとした監視ができると期待していました。それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、ジュゴンの食草であるアマもなど海藻の
分布と密度、ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。何も調べていないのです。
委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。発言をしても、こちらの要求までは書いていない。委員会で藻場の
問題も話しましたが、それは議事録には載らない。防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです。委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、
自分らに都合の悪いことは一切書かないで、都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです。そんな委員は意味がありません。
県外からの委員には、沖縄のことはわからないんです。沖縄に来て初めてサンゴを見た人もいたんじゃないでしょうか。とにかく、委員会で何を言っても響かない。
開発一点張りで、サンゴのことだけは答えるが、それ以外のことはまともに答えない。海草藻場のことなどは見ないことにしよう、聞かないことにしようと。工事ありきで、
他の意見は聞かないという態度です。環境監視と言いながら、工事を進捗させるため、何らかの了解を得るための委員会だと防衛省は思っているようでした。工事を進捗させる
ことに関係ないことには耳を貸さないという態度ですね。それじゃあ何の意味もない、何のための委員会かということで、私は2015年3月に辞めると事務局に伝えました。
沖縄防衛局からはこの件で取材があれば、事務局に聞いてくれと答えなさいと言われました。
辺野古、大浦湾の環境は優れています。特に藻場はすごい。あんなに広い藻場は他にないです。それを埋め立てるのは自然破壊そのものです。沖縄本島の山を崩して埋め土を
持って来るのも、自然破壊です。辺野古、大浦湾の埋め立ては、やめさせることです。中止すべきです。沖縄にはもう、これ以上、軍用基地はいらないです。
慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します。東清二
♪僕はYesと言わない 首を縦に振らない 周りの誰もが頷いたとしても 僕はYesと言わない
絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける
叫びを押し殺す 見えない壁が出来てた ここで同調しなきゃ裏切者か 仲間からも討たれると思わなかった
僕は嫌だ
不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ 殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然 支配したいなら僕を倒してから行けよ‥
歌:「欅(けやき)坂46」の「不協和音」。
自民党総裁選をめぐり、首相安倍は、きのふ「6年前総裁選に出たときの志は、みじんも変わるところがない」と述べ、3選に強い意欲を示した。
相次ぐ派閥の首相支持表明や地方議員の囲い込みで、対抗する元幹事長石破茂を追い込むが、参院選を見据えた攻防も続く。
山口市内のホテルで催された「安倍晋三内閣総理大臣を囲む会」。首相は妻の昭恵とともに出席し、憲法改正について、「大きな責任を持っている」と強調した。
来賓からは「あと3年よろしくお願いします」など3選を前提にしたあいさつが続いた。
自民党総裁選に立候補表明した元幹事長石破茂はけふ12日のTBS番組で、首相安陪の森友、加計学園問題を巡る対応を念頭に「正直、公正」な自らの政治姿勢を
対立軸とする考えを強調した。
「政府が国民に信用されなければ何も始まらない。(今の政府は)えこひいきがないだろうか、ということだ」と述べた。
憲法9条改正を巡り、戦力不保持を定めた2項を維持したまま自衛隊を明記する案を首相が提起したことに関し「(2012年の)自民党案と全く違う考えを突然言う。
一体何なんだ。丁寧さがなければいけない」と批判した。
また、元幹事長石破はきのふ、鳥取県米子市での講演で「(首相安倍が掲げる2項を維持した上での憲法9条への自衛隊明記案を念頭に)何も変わらないという憲法改正を
してどうするのか。違憲という学者がいる、それがどうした。違憲ならなんで自衛隊法、防衛省設置法があるのか。国民は違憲なんて誰も思っていない。9条改正は国民の
理解なくして決してできるものではない。改正論者の私であればこそ、そのように思う。(立候補表明した党総裁選について)この戦いは日本のため、次の時代のために
絶対にやらねばならない、絶対勝ち抜かねばならない戦いだ。劣勢です。国会議員の7割は安倍さん支持と言っている。本当に今の政策、今の党のあり方でいいんですか。
野党の時、自民党は地方のおかげで成り立っている政党だと思った。自民党は国会議員のための党ではない。党員のための党だ」と述べた。
旧民進党出身の国会議員グループが夏以降、相次いで合宿を開く。
かつて同志だったメンバーは立憲民主党、国民民主党、無所属へと散り散りになっており、各グループの存在感低下には歯止めがかかりそうにない。
先の衆院選で民進代表だった国民の前原誠司が率いるグループ「凌雲会」(10人)は6、7両日、兵庫県内で合宿を行った。6日夜に懇親会を開き、翌7日には明石市長と
面会し、市が先進的に取り組む子育て支援策について意見交換した。
しかし、参加者は国民や無所属の議員6人にとどまった。民主党政権当時、70人を抱えた会の勢いはもはやない。前原は今後の活動について、「自然体でやる」と語るにとどめた。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
中国。すべての紛争解決を武力や威嚇に訴えないことを確認し合った日中平和友好条約はけふ12日、署名から40年を迎えた。
両国は近年、沖縄県・尖閣諸島の領有権問題や歴史認識を巡って対立。問題の早期解決は見込めないが、世界情勢が流動化する中、ともに関係改善の意識は強まっている。
7月の西日本豪雨の被害拡大が世界に伝わると、中国から義援金とメッセージが届いた。日本政府関係者は関係改善に向けた中国政府の意欲を感じた。
これに先立つ5月、中国の首相李克強が中国首相の公式訪問としては8年ぶりに来日。首相安倍は歓迎式典で「この日をもって協調の時代へ入った」と強調した。
日中平和友好条約は1978年10月23日に発効。
首相安倍は9月の自民党総裁選を経て、10月訪中を探っている。日中外交筋によると、中国側も10月に記念イベントを準備中。この時期に首相安倍を迎え、国家主席
習近平の来年の公式訪日につなげたい考えだ。
2012年12月の第2次安倍内閣発足後、安倍は海洋進出を強める中国をけん制し、13年12月には靖国神社を参拝した。日中関係は長く冷え込んだが、昨年6月、
習が提唱する経済圏構想「一帯一路」に首相安倍が協力姿勢を示したころから、関係改善の機運が生じた。
安倍としては、北朝鮮の核・ミサイル問題に対応するために、重要な隣国である中国の首脳と率直に対話できる環境を整える必要があった。中国側もトランプ米政権との
貿易摩擦が激化し、日本を含む周辺国との関係を重視。習指導部は「質の高い経済成長」に向け、高い技術力を持つ日本との連携に期待する。
ただ、尖閣諸島周辺海域への中国公船の領海侵入は常態化しており、問題解決の見通しはない。
日中は一定の緊張を抱えつつ、双方の国益を追求する新たな時代に入ろうとしている。両首相は12日、条約署名40年を記念して祝電を交換。首相安倍は「年内に貴国を訪問し、
日中関係を新たな段階に押し上げていくために、有益な意見交換ができることを楽しみにしている」と表明し、首相李は「意見の相違を適切にコントロールし、中日関係の
長期的で健全、安定した発展を推進していく」と述べた。
平和友好条約を結んだ78年は日中の力関係が激変した起点といえる。中国は同年12月、改革開放政策を導入し、発展の道を駆け上がり始めた。
76年に文化大革命が終結した後、実権を握った当時、副首相の習近平は78年10月、中国の指導者として戦後初めて公式訪日した。条約発効の批准書を交換するだけでなく、
日本の経験を参考に改革開放政策の青写真を描く目的もあった。
トウは日本記者クラブでの会見で「日本に教えを請う」と率直に語った。それから40年、中国の名目国内総生産(GDP)は225倍に膨れあがり、10年には日本を
抜いて米国に次ぐ世界第2位になった。国家主席習は昨年の党大会で、今世紀半ばまでに「総合国力と国際影響力でトップクラスの国になる」と米国超えを意識した国家戦略を
打ち出した。
中国の発展は、日本に巨大市場というチャンスを生むと同時に、強大な隣国という課題も突きつける。北京大国際関係学院の教授梁雲祥は「中国に『一つの山に2匹の虎は
すめない』との言葉がある。中日は『2強』という難しい時代に入った」と指摘した。
一方で、日中が5月、偶発的な軍事衝突を避けるための「海空連絡メカニズム」の運用開始で合意した点を評価し、「互いの行動や主張を変えられなくとも、危険を回避する
共同措置は取れる。より現実的で、成熟した関係が求められる」と提言した。
フランス。パリのセーヌ川で水質改善計画が進行中だ。
1923年に市民の遊泳が禁止されてから、ほぼ1世紀。過去にも汚名をすすごうとしたことがあるが、挫折を味わった。2024年のパリ五輪の競泳会場に決まったことで、
今度ばかりは後に引けないようだ。数々の名画やシャンソンの舞台になり、河岸がユネスコの世界文化遺産に登録されているセーヌ川。
パリ市民や外国人観光客にとって憩いの場だ。
ところが、河岸に下りてみると、水は緑色に濁っている。木くずやペットボトル、見分けのつかないゴミが水面を漂い、果ては自転車まで投げ捨てられている。
7月下旬、河岸で日光浴をしていたモード・メスニーさん(40)に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。「いくら暑かろうと、今のセーヌ川で泳ごうとは思いませんよ。
病気になるに決まっています」。
国の環境連帯移行省で、水質検査を担当するジュリ・ペルスレさんによると、全長780キロのセーヌ川で一番汚れているのが、パリ付近だという。
最大の原因は、汚水の垂れ流しだ。30万ほどある配管の1割で、下水管が雨水管につながり、汚水がそのまま川に流れ込んでしまっている。ペルスレさんは「戦後直後に
建てられた家に多い工事ミス」という。
北朝鮮。今月、現地当局に拘束された滋賀県出身の映像クリエーター(39)と見られる日本人の男は、北朝鮮西部の南浦(ナムポ)で拘束されていたことがわかった。
男は30代で、海外の旅行会社が企画したツアーで北朝鮮に入ったという。日本政府は外交ルートで北朝鮮側に詳しい経緯の説明を求める方針だ。
関係者によると、男は南浦で複数人で行動中、北朝鮮当局に拘束された。南浦は海軍造船所などがある軍港として知られ、スパイ行為の容疑をかけられた可能性がある。
外務省の邦人保護を担う領事局が引き続き情報収集などをしている。
北朝鮮では1999年、元新聞記者がスパイ容疑で拘束され、2年間抑留されたことがある。政府関係者は「北朝鮮に対してどういう経緯で何の容疑で拘束しているのか
説明を求める必要がある」と話すが、日朝間には国交がないことから、領事面会など通常の邦人保護対応が困難となっているとみられる。
米国。米西部ワシントン州シアトル郊外で起きた航空機墜落から一夜明けた11日、捜査当局が会見し、空港から機体を盗み操縦した男(29)=死亡=について、
航空会社で3年半の勤務歴があったが操縦士免許を持っていなかったと明らかにした。犯行の動機などの解明を急いでいる。
米メディアによると、2001年の米中枢同時テロ以降、安全検査強化などで外部からの不審者に警戒を強めてきた当局の間では、空港で勤務する内部関係者の犯行に衝撃が
広がっており、対策見直しの必要性を訴える声が上がっている。
英国。ノーベル文学賞を2001年に受賞した英国の作家V・S・ナイポールがロンドンの自宅で死去した。
85歳だった。英メディアが12日、家族の話として伝えた。1932年、西インド諸島トリニダード・トバゴ生まれ。インド系移民の3代目として育ち、奨学生として
英オックスフォード大に進学した。第三世界の混乱や矛盾を小説やノンフィクションの形で鋭く描いた。「イスラム紀行」「ある放浪者の半生」などの作品で知られる。
ノーベル賞では「抑圧された歴史の存在を読者に示した」と評価された。
台湾。敗戦からまもなく73年。軍人や軍属として戦争に参加した台湾人の大多数が90代となり、生存者はわずかとなっている。
台湾籍元日本兵・軍属は、戦争中は「日本人」として20万人以上が従軍し、3万人以上が戦死した。
だが戦後、台湾が日本領でなくなったため、十分な補償を今も受けられないままだ。軍属としてミャンマーなどで従軍した南部・高雄市の趙(ちょう)中秋さん(90)に、
に今の思いを聞いた。「僕の話を聞いてください」。趙さんは、何度も何度も繰り返した。すべて流ちょうな日本語だ。
1928年3月生まれ。日本による台湾統治が始まって30年以上がたっており、すでに日本語教育が行き渡っていた。「日本人として、お国のため、天皇陛下のため」と
志願し、軍属として従軍した。43年3月、高雄港を出発し、ビルマのラングーン(現在のミャンマー最大都市ヤンゴン)に着いたのは同年5月末。
ビルマやタイで主に建設工事を担った。ジャングルでの行軍も経験した。「食べ物が本当になくて、栄養失調やマラリア、かっけで同じ部隊の者がバタバタと死んでいった」。
しかし、それ以上に過酷だったのは戦後だった。敗戦後も混乱の中ですぐに帰国することはできなかった。結局、食料がほぼ尽きた状態でタイとミャンマーの国境付近で
3年近く、同じ部隊の数人と共にサバイバル生活を続けた。
食料調達は主に趙さんが担ったという。「姿勢をこうして、魚をこう、投げるわけですよ」。趙さんは、川で大型の魚を見つけた時の奮闘ぶりを、身ぶり手ぶりを交えて
語った。「今、ちょっと年いってるから無理かもしれんが、こうして、サッと! これくらいの早さで」。
90歳とは思えない素早い身のこなしで、魚をつかみ、抱えて放り投げる様子を再現した。山中では動物を探した。「9mある大蛇を穴から引っ張り出して、銃剣で殺して、
腹を割いたら中からアヒルが5羽も出てきた。アヒルも蛇も焼いて食べた。蛇でもトカゲでも口に入るものは何でも食べました」と振り返る。
48年、帰国を果たした。だが台湾は既に「日本」ではなくなり、蒋介石率いる国民党による独裁統治が始まっていた。趙さんら台湾籍の元軍人・軍属はもはや日本人では
なくなったため、日本人の元軍人・軍属が戦後に受給した軍人恩給は受けられなかった。
趙さんは建設会社などで働き、妻と力を合わせて娘6人を育て上げた。 台湾籍元日本兵らの要望を受け、日本政府は88年度以降、戦病死者らを対象に1人200万円の
弔慰金を支払った。だが、日本人戦死者遺族の受給額とは大きな開きがあった。台湾籍元日本兵らは1人あたり500万円の補償を求めて日本で裁判も起こしたが、92年に
最高裁で敗訴が確定した。
趙さんは語気を強めて「僕は日本人として命がけで働き、日本人としての責任を果たした。軍属として最前線まで行った。兵隊以上の仕事をしてきた。(日本政府は)日本人には
補償をする。台湾人は(日本国のために)尽くさなかったというのですか? 不公平だ。日本として無責任です。僕は何回も何回も日本に行ってお願いした。外務省も行った。
厚生省(現厚生労働省)にも行った。政治家のところにも行った。『政治問題』と言われた。政治と私たち、何の関係がありますか! 憤慨します! なにゆえ、その資格が
ないのですか。僕はあと何年生きられるか分からないけど、こういう人がいるということを、日本の皆さんに話したい。私たちを忘れないでほしい」と。(WEB毎日から)
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
北の大地。長年、札幌市民の足として親しまれてきた路面電車がけふ12日、開業100年を迎えた。
一時は廃止の危機にさらされたが、存続を望む市民の声で生き残ってきた。赤字体質が続く一方、超高齢化社会を見すえ、車に頼らない街づくりを進めるうえで期待も大きい。
市電は赤字体質を抜け出せず、2004年度に存廃議論が巻き起こった。
だが、市民アンケートの結果は存続7割、廃止2割。当時の市長上田文雄は05年に存続を表明した。これを機に、経営効率化や利活用策の検討にかじを切った。
その一つが、15年12月に完成した「ループ化」。かつてつながっていた西4丁目とすすきの(400m)を再び接続し、全体が循環できるようになった。
総工費は30億円。狸小路など一部の電停に、歩道から乗り降りできる「サイドリザベーション」を採用した 。
17年度の1日平均乗車人員(予算ベース)は2万5千人で、14年度から3千人増えた。
岩手。東欧リトアニアで9月上旬、都内や岩手県一関市などの合唱団がコンサートを開く。
第2次世界大戦中にリトニアの日本領事館で「命のビザ」を発給し、多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝(ちうね)をたたえる「杉原ウィーク」に合わせた訪問で、
平和を願い音楽で交流する。
歌声を披露するのは一関市の「一関グリークラブ」や、世界遺産登録をめざして公演活動をした「ミュージカル平泉」のメンバー、東京の「しらたま女声合唱団」の計29人。
今年2月、リトアニア大使の重枝豊英さんから、交流のある一関グリークラブ団長の阿部興紀さん(79)に声がかかり、重枝さんの現地での交渉もあって実現した。
阿部さんら一関の合唱関係者は、重枝さんがドイツ・フランクフルト総領事だった2011年、日独の交流150周年の記念イベントに「ミュージカル平泉」の公演を
はたらきかけたのが縁で、交流を続けている。昨年はリトアニア・カナウスにある旧領事館「杉原記念館」(杉原ハウス)の修繕費に募金を贈った。
群馬。群馬県の防災ヘリコプター「はるな」が中之条町の山林に墜落した事故で、県警は、けふ死亡が確認された乗員9人のうち3人の身元が新たに判明したと発表した。
これで9人全員の身元が明らかになった。
県警によると、新たに身元がわかった3人は吾妻広域消防本部の塩原英俊さん(42)、県防災航空隊長の小沢訓(さとし)さん(44)、県防災航空隊の整備士・
沢口進さん(60)。
きのふ午後4時過ぎ、渋川市で開かれていた「渋川山車まつり」の山車にひかれるなどして妊婦や子どもを含む男女8人が病院に搬送された。
渋川署によると、妊婦は川崎市の34歳で、肋骨を折る重傷を負ったが、胎児への影響はないもよう。ほか10歳未満から60代の7人も命に別条はないという。
警察が詳しい状況を調べている。
東京。日本画家・横山操(みさお)(1920〜73)の未公開作品や愛用品など250点を集めた企画展「横山操展〜アトリエより〜」が、三鷹市のJR三鷹駅前にある
市美術ギャラリーで開催中だ。大作や独自の叙情性で知られる横山の人物像に迫る。
新潟で生まれた横山は10代で上京し、私立の「川端画学校」で学んだ。40年に召集され、中国大陸を経てシベリア抑留を体験。50年に復員してからは日本画団体
「青龍社」を中心に活動する(のちに脱退)。ギャラリーによると、三鷹市には59年に自宅とアトリエを構えた。
このころ、過去の多くの作品を焼却している。新潟県立近代美術館(長岡市)によると、「新しい日本画をつくろう」との思いがあり、焼却したのではないかという。
65年に多摩美術大学講師、翌年には教授に着任。晩年は脳卒中で倒れ、右半身不随になるが、利き手の右から左に筆を持ち替えて「むさし乃」などの作品を制作。
53歳で亡くなった。
ギャラリーによると、2016年に基子夫人が亡くなった後、横山の遺品は三鷹市や多摩美大などに寄贈された。今回展示されているのは、制作途中の絵画やデッサン、
新聞小説の挿絵、画材など。学芸員の大竹ゆきさんは「美術にあまり関心のない人にも来てほしい。市民らに、身近なところにこんなに有名な日本画家がいたのだと
知ってもらえれば」と話している。
午前10時〜午後8時(入館は午後7時半まで)。10月14日まで(休館は原則月曜と、9月18日、25日、10月9日)。一般600円、65歳以上・高校生・
大学生300円。問い合わせはギャラリー(0422・79・0033)。
滋賀。きのふの朝8時過ぎ、草津市志那町の農業用排水路で、首などを切断された遺体の胴体部分、さらに午後6時過ぎ、現場から南南西に350m離れた葉山川左岸の
のり面で、腰から膝の下までなど少なくとも三つに切断された遺体の一部が見つかった。
県警は死体遺棄事件とみて、草津署に捜査本部を設置した。胴体部分は成人とみられ、頭や両腕などがなく、刃物で切断されたような形跡があった。他の部位も含めて
すべて、着衣はなかった。切断面以外に目立った外傷はなかったが、腐敗が進んでおり、性別や年齢は不明。いずれも死後、数日が経過しているとみられる。
所持品は見つかっていない。県警は、見つかった部位がすべて、同一人物の可能性が強いとみている。
胴体部分が見つかった排水路は幅8m、水深1m。胴体部分は、排水路が分岐する水門の水面付近に設置してある丸太に引っ掛かった状態で、うつぶせで浮いていたという。
県警は、けふ12日に司法解剖して身元や死因を調べる。
現場はJR東海道線の草津駅から北西に5キロの田園地帯。現場付近に目立った血痕などはなく、県警は何者かが別の場所で遺体を切断後、運んできたとみている。
兵庫。きのふの朝8時半過ぎ、加古川市平荘町中山の権現ダムで、透明の衣装ケースに女性の遺体が入っていて、一部がはみ出るかたちになっていた。
また、衣装ケースにはロープのようなものが巻かれ、おもりがついていたという。所持品などから、警察では遺体は大阪市に住む20代の女性と見られることがわかった。
警察は現場周辺を捜索し、遺留品などが残されていないか調べています。女性は、白いTシャツに白い長ズボンをはいていて、今のところ目立った外傷は確認されて
いないという。警察は死体遺棄の疑いがあるとみて捜査するとともに、女性の身元の確認を進めている。
現場は、加古川市中心部のJR加古川駅から北に7キロほど離れた山あいで、ふだんは人が訪れることはほとんどないという。
岡山。小田川の支流として倉敷市真備町地区を流れ、豪雨で堤防が決壊した高馬川を巡り、国交省が「7月7日午前1時34分」と公表した決壊の確認日時が、未確認情報
だったことが、分かった。
国交省が当時、市に派遣した職員(連絡員)が情報を誤って捉え、整備局へ報告したためとみられる。整備局は「連絡員が聞き間違えるなどして結果的に誤った情報を流したと
みられる」(水災害予報センター)として市などから指摘があれば公表した決壊の確認日時を取り下げる方針だが、情報が錯綜した当時の混乱を浮き彫りにするとともに、
有事の情報伝達の在り方が問われそうだ。
整備局によると、倉敷市災害対策本部に派遣していた連絡員から7月7日午前1時34分、電話で「高馬川左岸(東岸)で堤防決壊を確認」との報告があり、同日午後に
発表した上でホームページにも掲載した。市災害対策本部の職員間で交わされていた会話内容から連絡員が「決壊」と独自に判断したという。
市災害対策本部の説明では、本部は7日午前1時半前、現地を確認した市真備支所職員から「小田川北側の高馬川近くで地面から水が湧き出る異常な現象を目撃した」という
趣旨の連絡を受け、堤防決壊の恐れがあると判断。1時半に真備町地区のうち小田川北側エリアに避難指示を出した。
決壊を実際に確認したのは夜が明けてからだった。
高馬川は小田川との合流部付近で東西両岸の決壊が判明している。西岸については7月6日午後11時半〜7日午前0時には決壊していたという住民の目撃情報があるが、
岡山県、倉敷市とも正確な決壊日時は特定できていない。当時は河川の状況把握の一助となる水位計は未設置だった。
真備町地区は高馬川、小田川など4河川8カ所が決壊し、エリアの3割に当たる1200ヘクタールが浸水して51人が犠牲になった。
ところで、岡山県のNPO法人が、被災地で活動するボランティアに無料で宿泊先を提供しようと、ネット上で出資を募るクラウドファンディングを実施している。
ボランティアの活動先も紹介できるとして、夏休み中の学生の参加も呼びかけている。
NPO法人・アースキューブジャパン代表の中村功芳(あつよし)さん(42)は、ゲストハウスという簡易宿泊所を起点にしたまちづくり活動に全国各地で取り組んできた。
豪雨災害を受け、「被災者やボランティアが安心して眠れる場所を提供したい」と「日本ゲストハウス協力隊」を立ち上げた。
フェイスブックで発信すると、各地のゲストハウスから宿泊先提供の申し出があった。今後、岡山や広島などの10カ所で、ボランティアが無料で泊まることができるように
する計画だ。
同時に、クラウドファンディングを行うサイトで、ボランティアを受け入れるゲストハウスへの寄付の出資を呼びかけた。ボランティア1人が1泊するごとに2千円を
支援する構想。寄付は17日まで受け付け、ゲストハウスへの支援を上回る額が集まった場合、ボランティアが活動した自治体に寄付する方針という。
中村さんは「若い世代がボランティアに参加することが将来の災害への備えになる。活動先も紹介できるので、関心のある人は連絡を」と呼びかける。
ボランティアの宿泊申し込みは、メールでアースキューブジャパン(earthcube.jk@gmail.com)へ。クラウドファンディングの受け付けサイトは、
https://motion-gallery.net/projects/guesthouse-skt
広島。豪雨で、広島県内の405地点の雨量観測所のうち、4分の1に当たる101地点で「200年以上に1度」の確率とされる大量の雨量が記録されていたことが、
県の調査でわかった。この101地点を含め、全体の半数に近い184地点で「100年に1度」以上の雨量が記録され、県内の広範囲で異常な雨が降り、甚大な被害に
つながったことが改めて示された。
県河川課によると、県内全23市町にある405地点の雨量観測所を調査。7月3〜8日のうち、各観測所で最も多かった24時間雨量から、どの程度の確率の雨量だったのか、
河川改修の整備などに用いる県独自の計算式で試算した。
「200年以上に1度」の雨量は、大規模な土砂災害が発生した広島市や呉市、東広島市のほか、県北部の庄原市、東部の福山市、尾道市などでも観測。
24時間の雨量で、最も多かったのは、呉市警固屋の430ミリだった。
島根。今朝9時ごろ、大田市五十猛町の国道9号線で、中学2年の男子生徒2人がトラックにはねられた。
2人は病院に運ばれたが、このうち広島県三次市の永井陸さん(13)がまもなく死亡したほか、もう1人の生徒もけがをして手当てを受けている。現場は日本海に沿って
東西に走る片側1車線の直線道路で、2人はトラックの進行方向から見て道路の左端に立っていたところをはねられたという。
2人は家族どうしで大田市に旅行に来ていたという。警察は、トラックを運転していた会社員の荻野光隆(34)を過失運転傷害の疑いでその場で逮捕した。
調べに対し、「前の車に気付くのが遅れてよけようとハンドルを左に切ったらはねてしまった」と供述しているという。警察は、今後、容疑を過失運転致死傷に切り替え、
事故の状況などを詳しく調べている。
愛媛。雨で被害を受けた宇和島市吉田地域のミカン農家を支援しようと、愛媛県は8月18、19、25、26日、摘果作業や園地片付けなどのボランティアを1日当たり
100人募集している。
豪雨災害で全国有数のミカン産地、宇和島市吉田町は、土砂災害による農道やモノレールの寸断、潅水施設(スプリンクラー)の損傷など、2000カ所以上で被害が生じた。
愛媛県の南予地域柑橘農業復興対策チームによると、農家は、住宅や園地の復旧作業に追われ、ミカン園の管理が十分できない状態。
同チームは「このままでは、産地の維持が脅かされることになる。園地の片づけや摘果などの作業を行ってもらえるボランティアを募集したい。みなさんの力を貸してください」
と呼び掛けている。
■実施日 8月18日(土)、8月19日(日)、8月25日(土)、8月26日(日)
■作業内容及び作業時間 みかん園地での作業 4時間
■作業場所 宇和島市吉田町内の柑橘圃場
■集合時間・集合場所
○ 6:00 松山大学東本館前
○ 6:15 愛媛大学農学部前
○ 6:15 愛媛県庁議会前
○ 6:15 JA えひめ中央 伊予営農センター前(伊予市市場甲 127 番地 1)
■参加費 無料(ただし、昼食代、飲料等は自己負担)
■募集定員 目標:100名/日 ※日程等調整させていただく場合がある。
■締切り 8月18日(土)と8月19日(日)は、8月13日(月)まで
8月25日(土)と8月26日(日)は、8月20日(月)まで
■申込方法 専用フォーム(https://goo.gl/forms/m7vfshTA8wPORc1m1)<問い合わせ先> 南予地域柑橘農業復興対策チーム(愛媛県)
メール:ehime.mikan.shien@gmail.com 電話 089-912-2553(農地・担い手対策室)0895-52-2539(当日連絡先)
熊本。熊本市は、繁華街の中心にあり、混雑時に人があふれてしまう「通町筋」電停の拡幅工事を進めている。
ホームを、バリアフリー法の基準を満たす幅1・5mに広げるほか、熊本城側に9m延ばす。通町筋電停は、上通・下通両商店街の間にあり、1日あたりの乗降者は7400人と、
全35カ所の電停の中で最も多い。
しかし、通町筋電停が現在の形に整備されたのは、1988年。平成になって以来、大規模な改修は行われていない。
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
富山。伝統のおわら踊りを披露する催しが、きのふJR富山駅であった。
胡弓や三味線の音に合わせ、編みがさで顔を隠した踊り手が優美な舞で帰省客や観光客らを魅了した。県民謡越中八尾おわら保存会の会員12人が出演。
同会の演技指導部総括舘谷(たちたに)昭彦さんが踊りの説明をし、男女の踊り手が、ゆったりとした動作で15分間踊った。終了後には、観光客らとの記念写真にも応じていた。
両親と北海道から黒部市に帰省した幼稚園年中の中坂彰ちゃん(5つ)は「初めて見たけど、踊り手の人が格好良くて楽しかった」と喜んでいた。
催しは、帰省客らにおわら踊りを楽しんでもらおうと、富山市とJR西日本がお盆の帰省ラッシュに合わせて昨年から主催している。
9月1〜3日には、富山市八尾町中心部で「越中八尾おわら風の盆」が開催される。
福井。坂井市丸岡町の丸岡城周辺を会場に、きのふ「丸岡古城まつり」が開幕した。
県内ゆかりのアーティストによるライブなど多彩な催しでにぎわった。けふ12日は総踊りや火縄銃演武、お笑いライブなどがある。50回目の今年は、福井国体のため
この時期に変更し、武者行列が練る恒例の「五万石パレード」も真夏を考慮し取りやめた。
きのふは、メインステージからの子ども向けお菓子まきでオープニング。賞金1万円の丸岡城○×クイズでは多くの市民らが知識を競った。県ゆかりのアーティストライブには、
丸岡町出身の宮腰理さん(元CooDoo’s)ら4組が出演し会場を盛り上げた。
丸岡城天守へ続く階段などには千個の竹灯籠が発光ダイオード(LED)ライトをともし、和傘を使った明かりのオブジェや城のライトアップと合わせ幻想的な夜景を演出していた。
けふ12日も、模擬店やお菓子まき(午前10時)、愛知県古銃研究会による火縄銃演武(午後3時20分)、辛みそば早食い競争(午後0時50分)、よしもとお笑い
ライブ(午後2時)、総踊り(午後5時半)などが行われる。
金沢。夏の甲子園、大会第8日のけふ、2回戦が行われ、済美(愛媛)が星稜(石川)に延長十三回タイブレークの末、13―11で逆転サヨナラ勝ちして3回戦に進んだ。
2年連続出場の済美と2年ぶり出場の星稜は、9―9で延長へ。今大会2度目のタイブレークにもつれ込み、9―11の十三回に済美の矢野が満塁本塁打を放った。
2年連続出場の二松学舎大付は、昨夏準優勝の広陵(広島)に5―2で競り勝った。2―2の七回、右田の2点適時打などで3点を勝ち越した。
浦和学院は、仙台育英(宮城)に9―0。
一昨日金沢市内で、知人女性の首を絞め現金を奪ったとして、71歳の男が逮捕された。
強盗殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、金沢市野町2丁目の倉園通弘(71)で、倉園は、一昨日の午前、金沢市内に住む70代の知人女性の首をひものようなもので絞め、
現金1000円と食料品を奪った疑い。女性は首に絞められた跡がついたが、命に別状はないという。倉園は調べに対し、「首を絞めたことは間違いないが、金は貸してもらった
だけ」と容疑を一部否認している。警察は、2人の間にトラブルがあったとみて調べている。
野町・弥生地区商店街連盟の「のまちのまち夏まつり」は、きのふにし茶屋街で行われ、地元住民や芸妓(げいこ)、観光客ら千人が、盆踊りや地域に伝わる町歌で
踊りの輪を広げた。
午後5時半から茶屋街の通り200mが歩行者天国となり、踊り流しが繰り広げられた。西検番の夏祭りに出演した芸妓も踊りに加わり、「百万石音頭」、「いいね金沢」の
ほか、2002年に地域で制作した「野町 いい町 愛の町」などを披露した。会場では、加盟店や茶屋街の店が縁日屋台を並べた。
踊り流しは、茶屋街の一層のにぎわいと花街文化の発信につなげようと、初めて企画された。
加賀。今朝3時前、白山市平加町の北陸自動車道下り線で道路脇に停まっていた乗用車から火の手が上がっているのを通りかかかった人が発見し、警察に通報した。
火は乗用車1台を全焼したほか道路脇の法面30平方mを焼いて40分後に消し止められたが車両内から1人の遺体が見つかった。
遺体の損傷が激しいことから身元や性別は分かっておらず、警察では身元の確認を急ぐとともに事故と自殺の両面で調べている。
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
もののふの、八十(やそ)娘子(をとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、寺井(てらゐ)の上の、
堅香子(かたかご)の花 家持 万葉集第19巻 4243
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
葉月8月12日。時の経つのは何とも早い。
江戸に居る達也君から。頬がこけた姿を見て・・・もしかしたら・・・という思いはありました。翁長は、10年前胃がんで胃を全部摘出しています。それで、10年も
生きたのだから・・・よしとせねば。身を削る思いで、辺野古と取り組んでいたのか?ご苦労様としか言いようがありません。残された者が、オール沖縄の意思を引き継いで
頑張るしかない。そうでないと、今後も植民地沖縄は続く。朝日が、社説で、天声人語で、沖縄を書いています。朝日の輝きが戻ってきた。さすがだ、と納得した。
群を抜いています。知事選はオール沖縄が勝利すると思うけど・・・では、誰が、立候補するのか?私は、那覇市長城間幹子を推薦しているが・・・、なんて便り。
午後の散歩はいつものコース。蒸暑さがぶりかえした。真柄の寮の対面の空き地、ヒルガオが萎んでいた。寺津用水は泡や濁りなどがあり、水量も極めて少なかった。
体育館の駐車場には12台。体育館横ではバスケの音が聞こえた。
バス通りを越えた坂道は下りて、左折して。尾田、上村、槌田さんちから山津さんちの四つ角を右折すると道路脇の畑のヒルガオは萎んでいた。
墓場には墓参りする親父さんが居た。ここを過ぎて、型枠工場前、溶炉は動いていないがオーナーががおり三人の若い衆が型枠を作っていた。金子さんちの御隣の新築現場では、
基礎の鉄筋にコンクリートを流し込んだままだった。Dr小坂は、お休みか車が停まっていた。宇野さんはまだ帰っていない。
清水の親父さんちの百日紅はいい。なかの公園では紅白の幕やテント櫓など昨夜の盆踊りの後始末がされていた。四叉路で、右折。土井さんちの新築現場、大工さんは来ていて、
音がした。徳中さんちの風車は回っておらず。
小原さんち、玄関前の木々は刈られて、すっきりしていた。萎んだアサガオの辰治さんちの納屋を過ぎて、清水さんちの朝鮮アサガオも萎んでいた。
谷口の御婆さんち、キキョウとセージがいい。湯原さんちのハマナスの花や実、ユリ、百日紅、ムクゲは元気で、鹿の子ユリもあちこちで咲いていた。
坂本さんちの石鎚バラは5輪に成っていた。松本さんちの白の百日紅や鉢のホウズキ、ピンクのガーデパラソルも元気だった。
みすぎ公園へは向かって一回りした。途中、土谷さんちのミカンやデコポンは5cmくらいに成っていた。コンビニの駐車場の横で清水さんちの百日紅がいい。ひょっとこ丸は
まだ帰られていない。
北さんちの畑、ヒマワリは皆下向きだった。手前のお宅、簡易プールで男の幼児が親父さんからホースで水かけられておおはしゃぎしていた。
四つ角の藤田さんちのアサガオはしぼんでいたがユリとケイトーは元気だった。飯田さんちのバラやのマツバボタンは元気で、キャンピイングカーの横に梯子が掛けられていた。
奥村さんちの白の百日紅、瀬戸さんのゴーヤの花にムクゲの花が待っていてくれた。
朝夕の散歩は〆て1万714歩、距離は7、1キロ、活動量4、7Ex、消費カロリーは309Kcal、脂肪燃焼量は22g。
汗はかいたので即シャワーを浴びた。
それにしても西日本の豪雨の被災者やボランティアは、猛暑の中、熱中症を気にしつつ、後かたずけはなんともお気の毒だ。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
年ごとに語り部の減り原爆忌
身ほとりに どかと居座る残暑かな
初燕 造り酒屋の軒先を(呉春の酒蔵)
軒下の土塊に生れ つくづくし
落椿 産土(うぶすな)の径 明るうす
袋帯 ぽんと叩きて年新た
年の瀬や 独り第九をイヤホーン
おでん屋の棚に鎮座し 招き猫
思う事多くなりけり 年の暮れ
桜蘂降るを踏みしめ女坂
のどけしや ゆったり動く象の耳
春光に映ゆるステンドグラスかな
耕人の影うごき初む朝まだき
紅椿 一輪部屋を明るうす
突堤に巨船の泊つる晩夏かな
学びたし夏の球児の一途さを
盂蘭盆や 人見て法を説けと母
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
掃けば散る掃かねばなおもよりつもる 庭のもみじもおのが心も
詠み人知らず
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2018年 葉月8月12日(ふ)
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