メキシコ巨大地震、死者61人に 病院やホテルも倒壊

   2017年、酉年、長月9月9日(土)、晴れ、金沢の最高気温は30度。

 朝の散歩は、何時ものコースで、寺津用水の方向へ向かった。用水の流れはまずまずだ。体育館の駐車場には車が3台駐車していた。

 バス通りを越えて、途中から右折。角地ではホタルブクロに薄紫のムクゲが消えていた。越野さんち、雀のお宿では雀はいない。中村さんちの庭、薄紫や白の百日紅の花が咲いていた。

 右折した対面のお宅では、プランターにアサガオやコスモスが咲いていた。左折したところで朝陽が出てきてまぶしい。中村さんち、納屋におられた奥さん「お早うございます」。

 玄関先のアサガオは元気だ。才田さんち、玄関先の樹齢100年と言う老木ザクロの幹の元にはユリやアキズイセンが咲いていた。角地の畑には涌波からの親父さんが来ていない。

 隣の空き地、刈られた草も片付けられてすっきりしていた。紙谷さんの辺りを一回り。上村さんちの玄関先では真っ赤なバラにローズ・ラージが相変らず目に入る。

 槌田さんちの深紅のバラが待っていてくれた。何処からともなくキジバトの鳴き声聞こえた。ムクゲが咲いている西さんちの四つ角はまっ直ぐいき、大友さんちの三叉路は右折。

 角家、岡本さんちの裏では、ザクロは大きい実を十数個つけて、色づいていた。ツルバラの咲いている金子さんちの辺りを一回り。清水設備の畑の半分は道下の型枠工場の敷地。

 型枠工場の職人を乗せたボンゴタイプの車は出て行った。

 Dr小坂、隣の宇野さんもまだ出られていない。なかの公園の手前は右折。神社の方向へ。ペンキ屋さんちのザクロの花は散って、葉のみ。

 無花果の匂いがした。徳中さんち、風車が、廻っていない。ムクゲが咲いているのが少なくなった田畑さんは、まだ出られていない。清水さんち、消えたと思っていた裏の畑の

 アメリカ芙蓉が7、8輪しぼんでいた。更に、でっかい朝鮮アサガオも3輪しぼんでいた。湯原さんちの前庭では、鹿の子ユリ、オイラン草、トラのオ、ピラカンサスそれに

 ハマナスの赤い実とピンクの花、それに<薄紫のムクゲの花がいい。徳田さんちの三叉路を過ぎて、坂本さんち、石鎚パラはまた咲きだした。白の百日紅、玄関先のほうずきの紅の

 松本さんち前から、清水の御婆さんちの前へ。戸室山の方向から朝陽が出てきた。シュナイダー連れの井上さん、ホメラニアン連れの市谷の会い「お早うございます」。

 清水の御婆さん玄関横に座っていたので、「お早うございます」。公園の入り口にはサルビアのプランターがいくつもあり、きれいだ。

 清水のおばあさんちの裏の畑、里芋の葉は相変らずでっかい。帰路はペンキ屋さんち横のムクゲや無花果を見つつ行く。時々会う中山老夫妻に会い「お早うございます」、「天気が

 良くて気持ちいいね」。京堂さん前のバス通りを渡って、コンビニの裏通りから帰還へ。前方に田圃を見に来られた徳田さんが目に入り、頭を下げるの此方は手を挙げて朝挨拶。

 ひょっとこ丸は出られた後だった。鞄を持った谷内江さんの旦那がバス停へ向かうのが目に入った。四つ角、藤田さんちの玄関先には、生垣同様に深い紫のアサガオが伸びて咲いていた。

 対面の道心の跡地、パイプとシートに覆われた新築住宅は屋根も葺かれて、防水シートも張られて、新たに材木が届いていた。

 飯田さんち前の畑で、山本さんに会い「お早うございます、早いね」、「今年は頑張っています、キャベツも植えたし‥」なんて。

 小屋に戻って、緑茶を一杯、飯の後のカフェが至福のひと時である。

 秋田。昨夜10時23分ごろ、内陸南部を震源とする地震があり、大仙市で震度5強を観測した。

 気象庁によると、震源の深さは10キロで、地震の規模を示すマグニチュード(M)は5.3と推定される。この地震による津波の心配はないという。

 各地の震度は以下の通り。震度5強 秋田県大仙市 震度4 秋田県仙北市。

 北九州の豪雨。福岡、大分両県で36人が死亡、5人が行方不明となった甚大な被害が生じた九州北部の豪雨は、発生から2カ月が経った。

 災害後に現地でボランティアをした富山県高岡市在住の富山ムスリムセンターの代表理事サリム・マゼンさん(42)は、「九州は遠くなかなか行けない場所だが、もし現地で

 活動したい人がいるのなら私に声を掛けてほしい。車を出すので一緒にみんなを助けてほしい」と呼び掛けている。(問)マゼンさん090(9444)9877。

 新潟。暮れの大火から8カ月余り、糸魚川市の大火による住宅再建などの相談は「糸魚川市のホームページ」。

 鳥取。去年10月の鳥取県中部の地震で震度5強の揺れを観測して、先月21日で10か月になった。

   鳥取県の「災害被災地応援サイト」。

   ♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう

 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

 でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ

 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

 島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
       1992年 島唄  THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史

 福井。陸上の男子100mで、東洋大学4年生の桐生祥秀(21)選手が、福井市で行われた大学生の大会に出場し、日本選手初の9秒台となる9秒98の日本新記録をマークした。

 これまでの記録は、1998年に伊東浩司さんが出した10秒で、桐生選手は0秒02更新した。

 桐生は、好スタートを切ったあと、中盤から終盤にかけても伸びのある走りを見せて、1.8m追い風が吹く条件の中、日本選手で初めての9秒台となる9秒98の日本新記録を

 マークした。桐生は、高校3年生の4月に広島市で開かれた大会で日本記録に100分の1秒と迫る歴代2位の10秒01をマークして、一躍脚光を浴び、去年6月の大会で、

   3年ぶりに自己ベストに並ぶ10秒01を再びマークするなど、日本選手初の9秒台への期待が集まっていた。

 これまでの記録は、オリンピックに1996年のアトランタ大会と2000年のシドニー大会に2回出場している伊東浩司さんが1998年のアジア大会でマークした10秒00で、

 桐生選手は0秒02更新した。

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。

 午前10時半過ぎ、米軍キャンプ・シュワブゲート前では、新基地建設に反対する市民120人が米軍基地内に向かってシュプレヒコールを繰り返している。

 「米軍は沖縄から出て行け」、「嘉手納基地撤去」、「普天間飛行場撤去」などと訴えた。

 午後0時過ぎ、米軍キャンプ・シュワブゲート前には、新基地建設に反対する市民が那覇市、糸満市、沖縄市、うるま市などから出発するバスに乗って、180人が集まった。

 糸満市の女性が三線と歌を披露しながら、「平和の大切さ」を呼びかけた。

 午後1時半過ぎ、キャンプ・シュワブゲート前では、大分空港に緊急着陸したオスプレイが沖縄に戻ったことに「沖縄の空を飛ぶな」と声が上がっている。糸満市の女性は

 「ミサイルも怖いが、日常的に頭上を飛び交う欠陥機がもっと怖い。本土に持って行け」と怒っている。

 先月29日に大分空港に緊急着陸し整備後、きのふ8日に米軍岩国地基地(山口県)に移動した米海兵隊のオスプレイは今朝11時過ぎに岩国を離陸し、午後1時13分に

 沖縄県宜野湾市の普天間飛行場に戻った。緊急着陸から11日ぶり。

 普天間に戻ったオスプレイは先月29日、岩国基地から普天間に戻る途中、機体のトラブルが原因で大分空港に緊急着陸した。大分空港で左右両エンジンの全部か一部を交換した。

 駐機中にプロペラを回転させた際、機体から大量の白煙が上がった7日は、さらに整備が必要だとして離陸を延期。深刻なトラブルだった可能性もあるが、米軍側から具体的な

 説明はない。

 辺野古への新基地建設で、きのふは午前、米軍キャンプ・シュワブゲート前で40人の市民が座り込んだ。市民らはゲート前で「新基地建設反対」や「ジュゴンの海を壊すな」といった

 シュプレヒコールをしてデモ行進した。座り込みに参加したうるま市の伊芸佑得さん(70)は「4年前から週1、2回通ってきた。みんなで思いを共有し、工事を止めたい」と

 語った。午前中に資材の搬入はなかった。

 一方海上ではN5護岸建設予定地付近で網袋に入った石などを積んだ仮設道路の工事が進んでいる。市民らはカヌー13艇、抗議船2隻で抗議を続けている。

 午前9時前、シュワブ内から出てきた機動隊25人が市民らを排除し、砕石などを積んだ工事車両65台がシュワブ内に入った。

 「シュワブ内に工事車両が入ることがすごく悲しかった」。座り込みをしている兵庫県の女性が涙ながらに話した。2日から沖縄を訪れ、1カ月滞在し、座り込む予定という。

 女性は20年前から沖縄に足を運んでいたが、10年前に病気になり、闘病生活を迫られ、沖縄に足を運ぶことができなかった。しかし、体調が回復して今回、沖縄滞在を決断した。

 女性は兵庫県で被差別部落に住んでおり、差別を受け続けてきた。「沖縄に基地を押し付けている1人として、私は基地問題の加差別者であるが、被差別部落問題に関して私は

 被差別者だ」と話す。続けて「沖縄の基地問題を考えるとき、自分自身が受ける差別に対しては敏感で、自分が差別を加える側だと、それに対して鈍感だったことに気付いた」と

 シュワブゲート前に座り込む理由を話した。「差別を自分のこととして考えることで、連帯し、協力できることができる。それが差別の解消につながる」と強調した。

 名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部辺野古崎西側の「K1護岸」建設予定地付近では、午前10時現在、砂浜の資材搬入用道路工事で、沖縄防衛局の作業員が測量をしているのが

 確認されたほか、砕石を下ろしならす作業が行われた。辺野古崎では複数の重機が動いている様子も見られた。大浦湾北側では潜水調査作業なども確認された。「N5護岸」建設

 予定地付近の仮設道路工事では、大型トラックで砂浜に下ろした砕石をならす作業が行われた。

 新基地建設に抗議する市民らは、7艇のカヌーと抗議船2隻で工事の様子を監視した。抗議船には共産党の衆議院議員赤嶺政賢が乗船し、市民から工事状況の説明を

 聞いていた。

 知事翁長が11日に上京し、県が17年ぶりに刷新した日米地位協定の改定要請書を日米両政府へ提出することが分かった。

 外務、防衛両省のほか在日米国大使館を訪れ、基地外で事件・事故が発生した際の日本側捜査権など新たな要求項目を提示する。県はこれまで日米両政府に対し、協定の抜本改正を

 繰り返し求めてきたが一度も実現していない。元米海兵隊員で軍属の男による女性暴行殺害事件やオスプレイ墜落など米軍基地に起因する事件・事故が相次ぐ中、改めて協定の

 問題点と本格的な改定の必要性を訴える狙いがある。

 新たな改定項目では、昨年12月に名護市安部の海岸へオスプレイが墜落した際に日本側が事実上調査できなかった経緯を踏まえ、米軍施設外の事件・事故での日本側による捜査や

 差し押さえの権利を求める。

 ♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2016年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(現 民進党)の野田らにもあったのは今さら言うまでもない。

 民進党の衆院議員5人前後が離党を検討していることが分かった。

 東京都知事小池の側近である衆院議員若狭勝や、既に離党した元環境相細野豪志らとの国政新党設立を視野に入れている。早ければ来週半ばにも離党の是非について判断する方向だ。

 複数の民進党関係者が、明らかにした。

 5人前後がそろって離党すれば、1日に就任したばかりの代表前原にとって大きな痛手となる。執行部も集団離党の動きを把握しており、党最大の支持団体・連合を通じ、離党を

 踏みとどまるよう説得に努めている。党関係者によると、離党を検討しているのは、いずれも当選5回以下の中堅、若手だという。

 民進党はきのふの常任幹事会で、主要幹部以外の党役員人事を決めた。

 幹事長代行に元国土交通副大臣辻元清美、国会対策委員長代行に前国会対策委員長山井和則をそれぞれ充てた。辻元は代表選で、代表前原と争った枝野幸男陣営に入ったが、

 前原とも近い。また、幹事長代理に、自由党の代表小沢一郎と近い衆院議員松木謙公と参院議員の元国土交通相羽田雄一郎、役員室長には前原氏近の衆院議員小川淳也の就任が

 自民党の元復興副大臣長島忠美の死去に伴う10月の衆院新潟5区補欠選挙で、自民党の地元支部はけふ9日、新潟県長岡市で選考委員会を開いた。

 前新潟県知事泉田裕彦(54)の擁立に向けて協議したが、一部の地元県議らが反発し、正式決定は持ち越された。支部の選考委は2日、泉田に出馬を打診。回答を保留していた

 泉田は、きのふ出馬する意向を支部幹部へ伝えていた。泉田は加茂市出身。経済産業省を経て2004年の知事選で初当選し、3期12年務めた。

 自由党の代表小沢一郎が、きのふの元首相羽田孜の葬儀で読んだ弔辞(一部省略)は次の通り。

 昭和44年の初当選の同期の友であり、また同志であった2人は、子どものように「つとむちゃん」「いっちゃん」と呼び合って過ごしてきました。それから半世紀近く経ちましたが、

 僕の脳裏にある君は穏やかな笑みを浮かべ、物おじもせず部屋に入ってきたつとむちゃんであり、緊張して座っていた僕は、しばらく前の大学院の学生だった田舎者のいっちゃんでした。

 その2人の出会いは、政治の師である田中角栄先生の事務所が対面の場でありました。つとむちゃん。君は父上が病に襲われ、父が急逝した僕と同様、思いもよらず政治の世界に

 足を踏み入れることになりました。田中先生に「戸別訪問3万軒、みんなと握手をしろ」。そう命じられ、来る日も来る日も選挙区を歩き回って、ようやく当選を果たした2人に、

 先生は同期当選の名を一人一人挙げて、「県議会議員、県知事、中央官庁の役人等々、みんな政治や行政のプロだが、おまえたち2人はズブの素人だ。他の同期生と一緒になって

 ぼんぼんとその日を過ごしていたら、おまえたちの将来はない。命がけで勉強しろ。がんばれ」。そう叱咤激励されたことを今でもはっきり覚えています。

 僕はともあれ、つとむちゃんは終生、その教えを守りました。郵政の問題であれ、農政であれ、知らないことは知らないとはっきり言い、3人歩めば必ず我が師ありとばかりに

 謙虚に教えを請い、ついには誰からも一目置かれる存在になりました。君の周りにはいつも人があふれ、笑いに満ちていました。来る者は拒まず、去る者はそっと見送り、再び

 来る者は何もなかったかのように迎える包容力によるものだと思います。

 僕は生来の口べたで、無用な敵をつくったり、あつれきを生んだりすることがしばしばありました。そのたびにつとむちゃん、君は「いっちゃんはシャイで人見知りなだけなんだ」と、

 取りなしてくれていたと聞いております。百術は一誠にしかず。まさにこの言葉を実践された政治人生でありました。

 2人の政治生活には山もあり谷もありましたが、肝心な時にはいつも一緒にいました。恩師である田中先生の誤解を生んだ、そして先生の逆鱗に触れながら田中派の中に竹下(登)を

 中心とした新しい勉強会も結成いたしました。しかしまたその後、政治の改革をめぐる基本的な理念、考え方の相違から、自民党を離党し、新党を結成しました。節目になると

 いつも2人でとことん話し合いました。失敗すればもう政治生命はないだろう、という時になっても、つとむちゃん、君はそれこそ結婚式の仲人でも引き受けるような調子で

 「分かった、分かった、一緒にやろうや」と言ってくれました。正直に言って、「この問題の深刻さが本当に分かっているのだろうか」と、いぶかったこともありました。

 つとむちゃん。君はいつでも、分かっていました。分かった上で、自分の信じる道、自分の思う道を選んだに違いありません。

 先月の28日、突然の悲報を聞き、ご自宅にうかがいました。君を苦しめた病気の気配などかけらもなく、大事を成し遂げた人だけが持つ、穏やかで満足感に満ちたお顔でした。

 君が身命を賭し、全身全霊をかたむけた二大政党制は、いったん芽が吹きかけたように見えましたが、わずか2年余りでついえてしまいました。僕もその責任を痛感しております。

 本当に多くの先輩・同僚が旅立ちました。そして今、君もかつての仲間たちと一緒になって、さぞかしにぎやかな歓談の場の中心にいることだと思います。僕もいずれはその輪の中に

 入れて頂きたいと思います。

 ただ、今日の政界は、一強他弱と言われるような状況下にあります。君はいなくなってしまいましたが、残ったみんなで力を合わせ、もう一度政権交代を実現し、「この国に

 政権交代可能な議会制民主主義を定着させることができた。我々が歩んできた道に間違いはなかった」と、その時につとむちゃんに報告ができるようにしたいと思います。

 それだけを楽しみに、僕は君のいない、さびしい政界の中ですが、何として踏ん張ってがんばろうと固く心に決めております。つとむちゃん。安らかにお休みください。そして、

 これからも日本の政治を、私たちを、天上から見守っていてください。さようなら。

♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
        1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 米国。サンフランシスコの連邦高裁は7日、米国への入国制限の厳格化を目指すトランプ政権が実施していたイスラム圏6カ国を含む全ての難民の入国規制を認めない判断を出した。

 入国規制については7月の最高裁判決が、高裁が判断するまで一時的に容認するとしていた。テロ対策の名目での入国制限を目指す政権には痛手となりそうだ。

 難民を早期に受け入れるよう求める難民支援団体から規制へ批判が高まっている。ただAP通信によると、司法省は上訴する構えを示し、入国が即時に認められるかは不明。

 最高裁は10月10日、大統領令の違憲性などを巡って審理を開く。高裁は判断で「難民の生活は(最高裁の判断先送りで)不確実な状態にある」と指摘、難民支援団体が

 受け入れを決めた難民は5日以内に受け入れるよう求めた。

 中国。日中国交正常化45周年の記念式典が8日、北京の人民大会堂で開かれた。

 40周年の2012年は日本政府による沖縄県・尖閣諸島国有化に中国側が反発して直前に中止しており、北京では10年ぶりの開催。式典開催には対日関係の安定を図りたい

 習近平指導部の意向があるとみられ、関係改善に向けて首脳の相互訪問などにつながるかどうかが今後の焦点となる。

 日本側からは元衆院議長河野洋平や、国交正常化を実現した元首相故田中角栄の長女、元文部科学相真紀子ら政界関係者に加え、経団連の会長榊原定征、長崎県の知事中村法道ら

 130人が招かれた。

 習近平(シーチンピン)指導部は、外交問題を総括する国務委員(副首相級)楊潔?(ヤンチエチー)を12〜13日の予定で米国に派遣することを決めた。

 北京の外交筋によると、国務長官ティラーソンらトランプ政権高官らと、北朝鮮の核・ミサイル問題の対応などについて協議するという。

 中国は北朝鮮の6回目の核実験を受け、北朝鮮への制裁強化を受け入れる姿勢を示しているが、米国が求める石油禁輸などには慎重な姿勢を崩していない。国家主席習は

 「総合施策による永続的解決の道を求める」とし、対話路線の重要性を強調。楊はこうした姿勢を米側に改めて説明し、問題解決に向けた道筋について米側と意思疎通を深めたい

 意向だ。一方、米中関係では、トランプが年内に中国を公式訪問する方向で調整が進められているほか、大統領上級顧問クシュナー夫妻が9月中にも訪中する計画も検討されている。

 楊はこうした一連の訪中計画についても、米側と協議を進める見通しだ。

 メキシコ。メキシコ沖で7日深夜に起きたマグニチュード(M)8・1の巨大地震から一夜明け、現地では次第に被害状況が明らかになっている。

 8日、死者数が61人に達した。震源地に近い南部チアパス、オアハカ両州などでは捜索活動が続いており、死者が増える恐れがある。現地ではM4以上の余震も続き、当局は

 「強い余震が起きる可能性がある」と警戒、住民に避難や注意を呼び掛けている。

 負傷者はチアパス、オアハカ両州で計370人に上った。現地では被災者の救援活動が続いている。地元メディアによると、メキシコの大統領はペニャニエトは8日、チアパス州を

 訪れ、被災状況を視察。死者は日本時間9日朝までに58人になった。AP通信によると、58人の死者のうち、45人が震源に近く被害が大きい南部オアハカ州だという。

 同州では斜めに傾き、倒壊しかかっているホテルなどがある。倒壊した病院もあり、患者は野外に運び出されて治療を受けている。現地ではいまも余震が断続的に続いており、  ミャンマー。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は8日、ミャンマー西部ラカイン州で続く治安部隊と武装集団の戦闘を逃れ、西隣のバングラデシュに避難したイスラム教徒

 ロヒンギャの難民が、推定で27万人に上ったことを明らかにした。

 同州では、先月末に起きたロヒンギャとみられる武装集団による警察施設襲撃事件をきっかけに、治安部隊によるロヒンギャの武装集団の掃討作戦が続いている。

 ミャンマー政府などは、ラカイン州で死者が400人以上にのぼったことを確認したという。国際NGOなどによると、数多くのロヒンギャの村が焼き打ちにあっているとの

 証言もあり、家を追われたロヒンギャは越境してバングラデシュ側に逃れているという。ミャンマーのバングラデシュ国境周辺には越境避難しようとするロヒンギャが多数いるといい、

 バングラデシュのロヒンギャ難民は増える可能性が高い。

 ノルウェー。ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャを巡る問題で、ノーベル平和賞の選考主体ノルウェー・ノーベル賞委員会の前事務局長ルンデスタッドは8日、ミャンマーの

 同賞受賞者国家顧問兼外相アウン・サン・スー・チーの対応に「非常にがっかりしている」と述べた。DPA通信に答えた。

 ルンデスタッドは「スー・チーはこの問題を単に(ロヒンギャ武装集団による)テロの問題と片付け、解決の努力をしていない」と批判。ただ、規定により賞を剥奪されることは

 ないと述べた。事務局長は5人の同賞委員を補佐する役目で、投票権はない。スー・チーは91年に受賞した。

 北朝鮮。けふ9日、建国69周年の記念日を迎えた。

 北朝鮮で重視される政治的節目の一つで、軍事挑発を強行して国威を発揚し、朝鮮労働党委員長金正恩の権威を高めようとする可能性がある。党機関紙、労働新聞は1面で

 「わが国は原爆、水爆と共に大陸間弾道ミサイル(ICBM)まで保有した核強国だ」と強調した。日米韓の防衛当局はICBM発射などに踏み切る恐れもあると警戒している。

 米国の国連代表部は8日、北朝鮮に対する国連安全保障理事会の制裁決議案の採決について、11日に実施することを安保理に要請したと発表した。

   ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある

 なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 江戸東京。都は、きのふ老朽化した都立広尾病院(渋谷区)を現在地で建て替える案を発表した。

 前知事舛添要一が在任中だった昨年1月、国立児童館「こどもの城」跡地(渋谷区)の国有地を370億円で購入して同病院を移転・新築する計画を示したが、都医師会などの

 反発を受けて、計画を見直していた。

 新たな案によると、患者数の減少にあわせて病床数を現状より80床少ない400床とする一方、災害時は拠点病院として病床数を2倍に増やせる機能を持たせる。

 工期や工費は今後精査するという。都は昨年、移転のための土地取得費370億円を予算計上した。しかし、都医師会が「決定過程が不透明」と反発したことなどから、昨夏就任した

 知事小池が予算執行を凍結した。外部有識者らを交えて同病院のあり方を検討する都の委員会が今年7月、現在地での建て替えを「望ましい」とする意見書をまとめていた。

 岩手。昨年8月の台風10号の豪雨災害から1年が過ぎた。

 20人が死亡し、1人が行方不明になっている岩泉町では、今も300人以上が仮設住宅で暮らす。自宅を再建できるのはいつになるのか。不安な日々を過ごしている住民もいる。

 豪雨災害から1年。大きな被害を受けた岩泉町で、町の特産物である二つのキノコの明暗が分かれている。岩泉町乙茂の原木シイタケ農家の藤田秀雄さん(73)は、小本川が

 豪雨で氾濫し、河原の林に寝かせていた3万本以上の「ほだ木」のほとんどを流された。自宅近くにあったビニールハウスや乾燥機などの設備も冠水。被害額は1千万円にのぼるという。

 かつて「シイタケの町」と言われた岩泉町では、原木シイタケの苦境が続く。最盛期の1950年代ごろは1キロあたり1万円だった。だが、安価な輸入品が入ってきたため、

 現在の生産量は20年前の7%ほどに。震災時の原発事故による風評被害を受け、一時は1キロが千円前後まで下がり、買い手がつかないことすらあった。

 熊本。昨年4月の熊本地震、今年7月の九州北部豪雨で被災した福岡、大分両県。

 九州北部豪雨の被災地、朝倉市から6年前、大震災の被災地、岩手県陸前高田市に贈られたひまわりの種が、去年の熊本地震の被災地、熊本県西原村を経て、朝倉市に里帰りし、

 きのふ8日、市内の仮設住宅にまかれた。

 ひまわりの種がまかれたのは、朝倉市にある杷木小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅で、この種はもともと、ひまわり畑で知られる朝倉市の「道の駅原鶴」が6年前、

 大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の人たちを励まそうと贈った。咲いた花から取った種は、去年、陸前高田から熊本地震の被災地、熊本県西原村に贈られ、今度は西原村から

 朝倉市に贈られた。種まきには、仮設住宅で暮らす人たちのほか、西原村の人たちらど、合わせて70人が参加し、用意された130個のプランターに種をまいて土をかけた。

 仮設住宅で生活する60代の女性は「仮設住宅での暮らしにもようやく慣れてきました。ひまわりの花のように力強く頑張って生きていきたいです」。

 陸前高田市にひまわりの種を贈った「道の駅原鶴」の当時の組合長の中嶋玲子さんは「被災地を巡ってきた種が花を咲かせ、被災した人たちの気持ちの復興に役立てばうれしいです」。

 ひまわりは順調に育てば、年内には花が咲くという。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ

 君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな

   君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
       昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

   富山。南砺市五箇山で古くから栽培されるカボチャ「五箇山ぼべら」のブランド化に向けた協議会が、きのふ県、市、JA、生産者らによって設立された。

 市役所福野庁舎で開かれた設立総会で、関係者が五箇山ならではの農法で作られる伝統野菜の継承と全国発信を誓い、産地振興を期待した。

   総合スーパー「イオン」などを運営するイオンリテール(千葉市)が全国の食文化を守る「食の匠(たく)」活動の一環で、関係機関が連携して取り組む。会の名称は「五箇山

 ぼべら推進協議会」で、総会で規約を承認した後、各機関の代表者らが趣意書に署名した。今後、イオン店頭で販売するほか、インターネットでのPR、加工品の開発、生産技術の

 研究などを進める。ラグビーボール状の五箇山ぼべらはみずみずしく柔らかいのが特徴。合掌造りの屋根の古茅を畑に敷いて育てる昔ながらの栽培法が守られている。

 現在は上平地区を中心に12人が生産しており、今年の出荷見込み量は2トン程度とわずか。五箇山ぼべら生産部会の小林誠さんは「協議会は生産者の励みになる。地域活性化の

 引き金になればいい」と期待した。会場には五箇山ぼべらのコロッケやパイ、アイスクリームなど加工品も並べられた。試食した市長田中幹夫は「カボチャはさまざまな料理や

 菓子に使われるので大きな可能性がある。生産基盤の確立へ支援したい」と話した。イオンリテールではけふ9日から県内のイオン、マックスバリュ各店で五箇山ぼべらを販売した。

    福井。あわら市の北陸新幹線のトンネル掘削工事中に、きのふ土砂が崩落し、地上のグラウンドが直径15mにわたって陥没した現場では、工事を発注した鉄道・運輸機構が、

    原因究明に向けた調査を続けている。

    きのふの朝、あわら市の北陸新幹線「柿原トンネル」の掘削工事の現場で、土砂が崩落し、地上にある市営グラウンドが、直径15m、深さ最大8mにわたって陥没した。

    トンネルには作業員5人がいたが、直前に壁のコンクリートが剥がれ落ちるのに気付いて避難し、けが人はいなかった。  工事を発注した鉄道・運輸機構は、陥没の埋め戻しを急ぐととともに、職員を現場に派遣して原因究明に向けた調査を続けている。このトンネルは、北陸新幹線の延伸に伴い

    3年後の完成を目指して本格的な工事が続けられていて、鉄道・運輸機構によると、トンネルの天井から地表までは14mあり、「砂れき層」という砂や小石が多い層だが、

    事前の地質調査で地盤改良の必要がないと判断されたため、地盤改良は行っていなかったという。工事を再開するめどは立っていないということで、鉄道・運輸機構は、今後、

    専門家にも依頼して原因究明を進めるとしている。

    土砂崩落に伴って一部が陥没したグラウンドの近くに住む、30代の男は「ふだんは小さな子どもたちがグラウンドを使っているので、もしそのときに事故が起きていたらと思うと

    怖いし不安です。なぜ事故が起きたのか原因の究明をしっかりしてもらいたい」。

    15年前の日朝首脳会談で拉致被害者の帰国を実現した元首相小泉純一郎が、きのふ小浜市を訪れ、拉致被害者の地村保志さん(62)と再会した。

   地村さんは、拉致問題の早期解決を首相安倍に働きかけるよう小泉に要望した。地村さんと妻の富貴恵さんは、日朝首脳会談の1カ月後の2002年10月に帰国。子ども3人は、

   04年5月に再訪朝した小泉とともに帰国した。

   この時以来13年ぶりの再会に、2人は笑顔で握手を交わした。地村さんは「家族一同、元気でやっています。一度お会いしてお礼を言いたかった」と伝え、小泉は「お礼を言われる

   状況じゃない。15年も経ったが、進展がないのは非常に残念だ」と話した。富貴恵さんの兄の浜本雄幸さん(88)も同席した。

   小泉は面会後の講演で、当時の日朝交渉を振り返り、「外交には秘密交渉が必要。トップが行けばいいという問題じゃない」と強調。現在の朝鮮労働党委員長金正恩(キムジョンウン)に

   ついて「国際社会から孤立し、耳を貸さない」と指摘し、「日本政府は一日も早く北朝鮮とのつてを見つけ、拉致問題の解決の糸口にしてほしい」と述べた。

   金沢。がんの予防と早期治療を啓発する「がん征圧全国大会」が、きのふ金沢市石引の本多の森ホールであり、日本対がん協会ほほえみ大使で歌手のアグネス・チャンさんが講演した。

    がん征圧月間(9月)に合わせて行われ、全国の健康推進員や医療関係者ら1300人が参加した。

   アグネスさんは2007年、胸にしこりを感じて病院に行き、初期の乳がんと診断され、手術した。術後にホルモン治療の副作用で顔のむくみに苦しんだが「子どもが中学を

    卒業するまでは生きていたいと思い、治療を続けた」と振り返った。

    健康に気を使っていたが、乳がんが見つかるまで検診を受けたことがなかったといい、「完全な予防法はないが、早期発見はできる。ぜひ検診を受けて」と呼び掛けた。

    がん克服者でつくる「石川よろこびの会」などは23日午前11時から正午、金沢市広坂のしいのき迎賓館広坂緑地周辺で、乳がん検診啓発キャンペーンを実施する。

   加賀。加賀路の秋を彩る小松市の「安宅まつり」で、北前船をモチーフにした曳船が港町を練り歩き、祭りを盛り上げた。

   一昨日に幕を開けた安宅住吉神社の秋季例大祭「安宅まつり」で営まれる曳船神事は、幕末から明治にかけて北前船の寄港地として栄えた安宅町で、大漁を祈り、明治時代から

   始まったと言われている。長さ7m、重さ1.5トンの曳舟には、恵比寿や大黒天など七福神の像が飾られていて、海の男たちが木遣音頭を威勢よく歌いながら港町を練り歩い。

   また、きのふは地元の小学生も曳船を曳き、祭りを盛り上げた。「安宅まつり」は、けふ9日まで開かれ、曳船神事のほか日本髪に赤襦袢をまとった女性による伝統の輪踊りなどが

   行われた。

    Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 早くも長月9月9日。きのふに引き続き晴れた。

 午前中は笠舞で、「憲法9条加憲論」についての、勉強会が開かれて、弁護士の飯森和彦さんが、加憲論は有害、無益と説いた。

 午後は、いつものコース。真柄の寮の前を経て、寺津用水脇へ。水量はきわめて少ないが、スムースに流れていた。体育館の駐車橋には20台が停まっていた。

 バス通りを越えて、坂道を降った後、坂道下から左折。涌波の親父さんちの畑の隣の空き地を過ぎて、槌田さんち前、またまた深紅のバラが2輪目に入る。

 外壁工事が行われている宅には二人の職人さんが来ていた。ムクゲの咲いている西さんちの四つ角から大友さんち前を右折。左の徳田さんの田圃には、長男次男の夫妻らが来て

 コンバインで稲刈りをされていた。角家、岡本さんちの裏では、ザクロは大きい実をつけ色づいていた。金子さんちの前から型枠工場の敷地の周りを過ぎて三叉路、

 Dr小坂はまだ帰っておらず。宇野さんの車は駐車中でお休みだったのかも。なかの公園の手前は右折。清水設備の親父さん、畑でアブラムシの消毒されたのか洗っていた。

 「虫もだんだん強くなって、あんまり効かん」と。神社の方向へ。隣の修平さんち、屋根の修理が終わっていた。徳中さんちのノーゼンカズラが3ケ咲いていたが、風車が、廻って

 いない。辰治さんち、納屋の横の濃い紫のアサガオがしぼんでいた。土谷さんちの庭、コスモスがようやく咲きだしていた。

 谷口のおはあさん宅、ユリとセージの花がいい。玄関先のムクゲの花が少なくなった田畑さんはまて帰られていない。清水さんちの裏の畑では赤のアメリカ芙蓉、朝鮮アサガオも

 しぼんでいた。湯原さんちの庭では、鹿の子ユリやトラのオ、ピラカンサスそれにハマナスの赤い実や薄紫の花がいい。

 徳田さんち前の三叉路を過ぎて、坂本さんち、石鎚パラは4輪かろうじて咲いていた。白の百日紅、玄関先のほうずきの紅の松本さんち前、白のユリがいい。

 柴犬連れの高瀬さんに会い、「こんにちわ」、「暑くなりましたね」。清水の御婆さん、畑の方から来られたので「コンニチワ」、畑では息子さんが白菜の畝を作っておられて

 「ご苦労様」。みすぎ公園を一回りして、次の次の三叉路は左折。バス通りから一本入ったお宅、重機、大型のユンボが入っていたがけふはお休みで作業員はいなかった。

 帰路は、京堂さん前のバス通りを渡って、コンビニの裏通りから帰還へ。ひょっとこ丸はまだ帰られていない。道心の四つ角、鈴木さんがミニダックス連れで「こんにちわ」。

 本田さんちの庭の手前、瀬戸さんちの畑、ムクゲもバラも消えていた。

 けふの散歩は〆て、7、9キロ、1万226歩だった。

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
             唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2017年 長月9月9日(ふ)

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