日航ジャンボ機墜落事故32年 遺族らが慰霊登山 群馬・上野村

   2017年、酉年、葉月8月12日(土)、小雨時々曇り、金沢の最高気温は28度。

 朝の散歩は、何時ものコースで、寺津用水の方向へ向かった。用水は少なく濁っていた。体育館の角、シェパード連れの奥さんに会い「お早うございます」。ピーンとした耳がいい。

 この辺りで、シェパードを見るのは初めてだ。バス通りを越えて、途中から右折。角地ではホタルブクロに薄紫のムクゲが健在。越野さんち、雀のお宿では雀は居なかった。

 中村さんちの庭、薄紫の花が咲いている百日紅がいい。角を右折したお宅では、プランターにアサガオが咲いていた。左折。赤白のザクロや玄関わきのアサガオを見つつ、

 梨畑の三叉路へ。中村さんち、京都の北山から求めてきた杉は、なかなか面白い。小津さんち過ぎると、才田さんち、玄関先の樹齢100年と言う老木ザクロの紅い花は1輪咲いていた。

 通りを横切った角地の畑には涌波からの親父さんが来て居なかった。紙谷さんの辺りを一回り。ヘチマの茎もかなり伸びて、花も葉もたびれていたが実は塀の中で分からない。

 上村さんちの玄関先では真っ赤なバラが目に入る。西さんちの四つ角で、時々出会う山中さん夫妻に会い「お早うございます」、「雨ですね」。ここは真っ直ぐいく。何処からか

 キジバトの鳴き声が聞こえてきた。畑にメロンを採っていた徳田さんに「お早うございます」、「遅く植えたので‥」という。角家、岡本さんちの裏では、ザクロは大きい実を

 つけていて、アジサイはまだ咲いていた。金子さんちの辺りを一回り。ツルバラがいい。隣の空き地は草が刈られてすっきり。Dr小坂、宇野さんはお盆休みかな。今夜の盆踊り

 大会で、テントや舞台がしつらえられたなかの公園、今夜の開催はどうなるのだろう。

 手前で、右折。神社の方向へ。ペンキ屋さんちのザクロにオニユリ、ヒオウギの花がいい。徳中さんち、角のノーゼンカツラが終わり、風車が、廻っていなかった。

 辰治さんち、納屋の横の濃い紫のアサガオがいい。玄関先のムクゲが満開の田畑さんはお休みかな。清水さんちの裏の畑では、でっかい真っ赤なアメリカ芙蓉はしぼんで、朝鮮

 アサガオがいい。湯原さんちの前庭では、濃いブラックベリー、鹿の子ユリ、ハーブやオイラン草、トラのオ、ピラカンサスそれにハマナスの赤い実がいい。徳田さんち前の三叉路を

 過ぎて、坂本さんち、石鎚パラはまだ咲いている。道路に垂れ下がったノーゼンカズラ、白の百日紅、玄関先のほうずきの紅の松本さんちを過ぎていくと、土谷さんち前、路傍に

 咲いていた深紅のタチアオイが刈り取られて寂しいが、柿の実がなっているのはいい。

 清水の御婆さんちを過ぎて、みすぎ公園を一回りして、次の三叉路を左折して、住宅街。ペンキ屋さんち前へ。畑には紫の花の百日紅がいい。京堂さんち前のバス通りを渡って、

 コンビニの裏通りへ。道下の若い衆、けふも仕事で、朝飯の仕入れかか、ボンゴはコンビニの駐車場に停まっていた。ひょっとこ丸はお盆休みか。道心の四つ角、住宅が建つ看板が

 目に入る。飯田さんち、キャンピングカーで、既に琵琶湖へ出かけられたあとだった。本田さんちの庭の手前、瀬戸さんのち畑、無数に咲いたムクゲに、2輪のバラが待っていて

 くれた。

 山梨。南アルプスの北岳(3193m)で、きのふ下山中の男が滑落して大けがをした。

 きのふの午後3時半過ぎ、北岳の大樺沢登山道付近で、下山中の60歳代の男が滑落して動けなくなった。通報を受け警察の救助隊や山小屋関係者らが昨夜、男を救助し

 標高2200mにある白根御池小屋に収容した。男は山小屋に滞在予定だった医師の手当てを受けているが頭や腰などを打っていて重傷の模様。北岳周辺は雨となったため

 警察は天候の回復を待って、けふ、男を麓に搬送する。男は妻と一緒に下山する途中だったという。

 豪雨の秋田。先月22〜23日の豪雨で住宅に浸水被害が出た17市町のうち、特に被害が大きかった横手、仙北、大仙の3市だ。

 大仙市では住宅の被害が全半壊32棟、床上浸水262棟に上った。

 北九州の豪雨。福岡、大分両県で36人が死亡、5人が行方不明となった甚大な被害が生じた九州北部の豪雨は、発生から1カ月が経った。

 自宅を失うなどした500人超が今も避難を続け、生活再建への不安を抱えたままだ。

 新潟。糸魚川市の大火による住宅再建などの相談は「糸魚川市のホームページ」。

 鳥取。去年10月の鳥取県中部の地震で震度5強の揺れを観測して、先月21日で9か月になった。

 鳥取県の「災害被災地応援サイト」。

 長崎に原爆が落とされた日の9日、鳥取県内在住の被爆者の講演と非核・平和ソングのミニライブが倉吉体育文化会館であった。

 山陰両県に広島の「被爆アオギリ2世」の苗を配っている倉吉市内の自営業池原正雄さん(71)が企画し、市民ら20人が参加した。講演では県原爆被害者協議会の事務局長、

 鳥取市の石川行弘さん(76)が広島での被爆体験を語った。当時4歳。爆心地から北に2・4キロの自宅前で遊んでいた。ガラスの破片で血まみれになったが、建物の陰にいた

 ため助かった。「爆心地から離れていて家もつぶれなかった。生死を分けたのは本当に運しかない」。県内の被爆者の平均年齢は85歳を超えたという。「あと10年はとても

 もたない。被爆2世らの協力を得ながら(核兵器廃絶という)自分たちの願いを伝え続けたい」と話した。

 池原さんは今年、被爆者以外で初めて同協議会の賛助会員になった。ライブではギターの弾き語りなどで美空ひばりさんの「一本の鉛筆」など8曲を披露。「長崎以降も数千回の

 核実験や原発事故などで多くの被爆者が生まれている。核の時代に生きる者として活動していきたい」と話した。

     ♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう

 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

 でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ

 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

 島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
       1992年 島唄  THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史

 群馬。520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から、けふ12日で32年となり、墜落現場の群馬県上野村では、朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めた。

 昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になった。事故から

 けふ12日で32年となり、上野村では朝早くから、遺族などが墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を始めている。

 遺族らは、亡くなった人の墓標に花や線香などを供え、静かに手を合わせた。また、墜落現場にある慰霊碑「昇魂之碑」の前でも犠牲者を悼んた。夕方には、麓にある

 「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、遺族などが墜落時刻の午後6時56分にあわせて黙とうをして、空の安全を祈る。

 事故で叔父の石倉六郎さん(当時41)を亡くした茨城県ひたちなか市の磯禎典さん(45)は、親戚の子どもたちら20人とともに御巣鷹の尾根を登った。磯さんは「手を

 合わせて、みんな元気にやっているよと伝えました。ここにくると止まっていた時間が動き出すような気がします。子どもたちに当時の事故の悲惨さを現場で感じ取ってほしいと

 思います」。事故で妹の吉田仁美さん(当時28)とその夫の吉田哲雄さん(当時35)、娘の有紗ちゃん(当時3か月)の一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さん(67)

   は「遠いところで妹家族が一緒に暮らしているだろうと思いながら祈りました。あっという間の32年で、遺族にとって家族を失った悲しみは毎年変わりません。登山に来る人が

 少なくなったように感じますが、元気なうちは登るつもりです。二度とこのような事故は繰り返してほしくない」。

 妻を失った東京都足立区の建築士、工藤康浩さん(57)が昨夜、群馬県上野村で営まれた灯籠流しに初めて参加した。工藤さんは事故後に再婚した理佳子さん(55)と

 一緒に地域で安全について考える活動をしている。2人は「犠牲者の死を無駄にしないために安全安心について発信していきたい」と、志を新たにした。

 工藤さんは事故で、妻の由美さん(当時24)を失った。結婚半年。由美さんは神戸市の実家に里帰りするところだった。悲嘆に暮れる中、5年後に理佳子さんと出会う。

 92年、初めて墜落現場「御巣鷹の尾根」に連れて行った。事故当日、伊豆半島にいて事故機を目撃したという理佳子さんは、長く険しい登山道を号泣しながら上った。「山に来て

 (由美さんから)バトンタッチされたんだな、と腑に落ちた」。翌年、2人は結婚した。  2人は2年前から自宅のある足立区を拠点に「安全安心とは何か」をテーマに活動を始めた。住民と交通事故など危険な場所を点検し、安全なまちづくりへの提言をまとめようと

 している。きっかけは4人が死傷した東武伊勢崎線竹ノ塚駅近くの踏切事故(2005年)。工藤さんは「開かずの踏切」を保安係員が上げ下げする中で起きた人災だったと

 感じている。日航機事故も遠因は修理ミス。一方、大震災では、住民が声を掛け避難した話を見聞きし、「隣人の顔も知らずに助け合いができるのだろうか」と危機感を抱いた。

 工藤さんと理佳子さんは年3回の慰霊登山を欠かさない。多くの人が押し寄せる「命日」の前後は避けてきたが、同じ日に同じ悲しみを共有したいと今年初めて参加した。

 「私たちのような人を生まないためにも安全は大切だと改めて感じた」と工藤さん。理佳子さんは「慰霊行事が上野村など多くの地元の方に支えられていることを実感した。

 安全のための活動につなげたい」と話す。工藤さんは今後、他の遺族を訪ね、その声を本にまとめようと考えている。

    日航ジャンボ機墜落現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)のふもとを流れる神流(かんな)川ではきのふの夕方、犠牲者の冥福と交通機関の安全を祈る灯籠流しが

 営まれた。

 「御霊(みたま)よ やすらかに」、「二度と事故のないように」。それぞれの思いを書き込んだ灯籠300個を川面に浮かべ、事故で亡くなった歌手、坂本九さんの

 「見上げてごらん夜の星を」などを合唱した。事故で長女陽子さん(当時24)、次女満さん(同19)、三女純子さん(同14)を亡くした兵庫県西宮市の田淵親吾さん(88)は

 「三十三回忌という数字は関係ない。娘に会うために来るのだから、いつでも何度でもここに来る」と話した。早朝から遺族らが御巣鷹の尾根へ慰霊登山した。

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。

 午前8時半、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では、辺野古新基地建設に反対する市民ら30人が座り込んでいる。ヘリ基地反対協の代表安次富浩さんは「今日は

 県民大会がある。オスプレイが日本の空を飛ばないよう政府に訴えましょう」とあいさつした。

 午後3時前、県民大会は終わり、会場から近くのモノレール駅などを目指し参加者が移動中。けふは非常に暑く、気持ちはあっても参加を断念した人は多いでしょう。

 周辺の木陰も含め、多くの県民が参加した。

 沖縄への過重な米軍基地負担とそこから派生する事件・事故に抗議し、新基地建設に反対する「知事翁長を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」が午後2時から、

 那覇市の奥武山陸上競技場で開かれた。

 大会のイメージカラーで、辺野古の海を象徴する青色の洋服や帽子などを身に着けた4万5千人(主催者発表)が参加。午後3時、知事の登壇。オスプレイ事故後の飛行強行などに

 触れ「日本の独立は神話であると言わざるを得ない」と訴え、多くの拍手が上がった。また県民の民意について知事翁長は「民意はいささかの揺るぎもない。私の責任で

 必ず辺野古埋め立て承認を撤回する」と決意を表明した。更に「一連の選挙で明確に示されている。辺野古新基地建設反対はゆるぎのない正当な権利だ」と力を込めた。

 午後3時過ぎ、知事翁長は、「ぐすーよー、負けてはないびらんどー」と呼び掛けあいさつを締めくくった。

 普天飛行場所属のオスプレイがオーストラリア沖で墜落した事故を受け、急きょ採択を決めた特別決議では新基地建設反対と同時に、オーストラリア沖でのオスプレイの墜落にも

 抗議した。政府が4月に辺野古で護岸整備に着手してから初めての数万人規模の大会。辺野古の工事差し止めを求め国を提訴した知事翁長の後押しを目的に計画された。

 大会宣言では「政府は法解釈をねじ曲げ、沖縄の民意を圧殺し続けている。手続きを無視し、法をおかしてまで行う埋め立て工事は即中止すべきだ」と指摘。「私たちは知事翁長が

 提訴した辺野古新基地建設工事を差し止める訴訟を支持し、全力で支える」と宣言した。

   特別決議は「米軍は事故の原因究明を行わないまま事故からわずか2日後、普天間飛行場で同型機の飛行を全面的に再開させた。沖縄県民の生命を軽視する蛮行だ」と強く抗議。

 普天間の即時閉鎖・撤去、オスプレイの配備撤回や自衛隊への導入撤回などを日米両政府に要求している。決議は後日、両政府の関係省庁・機関に直接提出する。

 大会では知事のほか、名護市長稲嶺進、那覇市長城間幹子らが登壇。16日から米サンフランシスコなどを訪れ、市民団体や労働組合、米連邦議会議員などに辺野古反対を訴える

 訪米団も決意を表明した。

   ♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2016年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(現 民進党)の野田らにもあったのは今さら言うまでもない。

 福島。「寄付サイト 地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します」。

 山梨市の職員採用試験の成績改ざん事件で、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕された市長の望月清賢(せいき)(70)が午後、代理人弁護士を通じて市議会の議長小野鈴枝に

 辞職願を提出し、受理された。

 議長はこの日、公職選挙法に基づき、市選管に辞職を通知した。50日以内に市長選が行われることになる。議会事務局によると、望月は辞職理由を「市政の混乱の責任を

 取るため」としている。

 民進党を離党した衆院議員細野豪志と、都知事小池に近い衆院議員若狭勝が昨夜、都内の中国料理店で会談した。

 2人とも国政新党の結成を目指しており、今後の連携を見据え意見を交わした。会談は、細野、若狭のみで2時間以上に及び、終了後、細野によると、自身が民進党離党時に掲げた

 主張を若狭に説明し、地方自治のあり方や憲法問題について意見を交換したという。細野は「お互いに腹割って話せた」。新党構想については「積み上げが重要。一つ一つ

 すりあわせをしていく中で、何ができるかを考える。今日は第一歩」と語った。一方、若狭は「考え方に相違はない。方向性が同じことは確認し合えた。政策が一致しなければ

 新党を作っても意味がない。何度も協議していく」と語った。

   北朝鮮が米軍基地のある米領グアム島周辺の海域を狙ってミサイルを撃つと警告したことを受け、防衛相小野寺五典は、きのふグアムに向けたコースを外れて誤って日本に

   落ちてきた場合を想定し、地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」を中国・四国地方の4カ所の陸上自衛隊の駐屯地に展開する破壊措置命令を出した。

   展開するのは出雲(島根県)、海田市(広島県)、松山(愛媛県)、高知(高知県)の四つの駐屯地。航空自衛隊のPAC3の発射機などの移動をきのふから始め、けふ12日

   午前に4駐屯地への展開が終わる見通しだ。

   国家安全保障局(NSS)は、北朝鮮からグアムに向けてミサイルが発射された際の飛翔(ひしょう)コースを推定。度重なる発射によって北朝鮮は技術を向上させており、

   正常に飛べば島根県から広島県、高知県にかけてのはるか上空を飛ぶことになる一方、機器のトラブルなどでコースを外れ、日本に落ちてくる場合にも備える必要があると判断した。

   ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
        1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 米国。米大統領トランプは11日、自身のツイッターで、北朝鮮が米グアム島周辺への中距離弾道ミサイルの発射を予告したことについて「北朝鮮が愚かな行動を取った場合、

 軍事的な解決の準備は完全に整っている」と述べ、軍事的な報復も辞さない考えを強調した。一方で、対話による交渉の可能性にも触れるなど、言葉による神経戦が続いている。

 トランプは10日、休暇で滞在するニュージャージー州のゴルフ場で、副大統領ペンスや大統領補佐官(国家安全保障担当)マクマスター、大統領首席補佐官ケリーと北朝鮮問題など

 について協議を行った。その前後に2度、現れ、北朝鮮に向けて軍事と外交の両面からメッセージを発した。まず、8日の「(北朝鮮が挑発を続ければ)世界が見たことがない

 炎と怒りを受ける」という自身の発言に対し、北朝鮮が「たわごと」と批判したことについて「厳しさが足りなかったかもしれない。我々は我が軍や各国の指導者から百%

 支持されている」と強調。さらには、北朝鮮が8月中旬までの「グアム島包囲射撃」を予告したことを念頭に「15日までに彼(金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長)が

 グアムに何をするか見てみよう。何かをすれば、誰も見たことがないようなことが北朝鮮で起きる」と述べ、北朝鮮を再び牽制。北朝鮮がグアムに対してミサイルを発射すれば、

 軍事的な報復措置に踏み切る姿勢を打ち出した。

 「炎と怒り」発言を上回る対応が何を意味するのかと質問されると、「いずれ分かる」と語るのみで詳細を明かさなかった。北朝鮮への先制攻撃の可能性について「そのことは

 話さない。決して話さない。何が起きるか分かるだろう」と否定しなかった。

 北朝鮮。朝鮮通信(東京)によると、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は12日、「我々は米国の反(北)朝鮮策動と核の威嚇が続く限り、自衛的核抑止力を協議のテーブルに

 のせず、国家核戦力強化の道から一歩も退かない」などと強調し、トランプ米政権をけん制した。

 非核化などの交渉に応じる考えがないことを示したものだ。

 ロシア。外相ラブロフは11日、米大統領トランプが北朝鮮による米領グアム沖へのミサイル発射計画に関し、米国が対抗措置を取ると警告したことについて「ロシアは憂慮しており、

 そのようなことが起こらないよう全力を尽くす」と述べた。モスクワ東方のウラジーミル州で行われた若者とのフォーラムで語った。

 ラブロフは「(米国と北朝鮮が軍事衝突する)リスクは非常に高いと思う」と述べ、両国に自制を求めた。一方で「事態がけんかのような状態に至った場合にはより賢く、力のある

 者が第一歩を踏み出すべきだ」とし、米国に事態の沈静化へ行動するよう促した。

 エジプト。北部アレクサンドリアで11日、列車同士が衝突した。

 地元メディアは保健省の情報として29人が死亡、100人以上が負傷したと伝えた。在エジプト日本大使館によると、日本人が事故に巻き込まれたとの情報はない。

 国営テレビは、交通当局者の話として、片方の列車が故障して停止したところに別の列車が衝突した可能性があるとしている。捜査当局が事故原因を調べている。

 中国。陝西省安康の高速道路で10日夜、大型バスがトンネルの入り口に衝突する事故が発生、バスに乗っていた36人が死亡、13人が負傷した。

 中国メディアが11日伝えた。中国の公安相郭声コンは事故原因の徹底調査を指示。詳細な原因は不明だが、中国メディアは専門家の話として運転手の疲労が原因との見方を示した上、

 当時乗客の大半が眠っており、シートベルトをしていなかった可能性を指摘している。

 香港の民主党は11日、党員の男が「中国の国家当局者」を自称するグループに一時監禁され、暴行を受けたと発表した。

 男は中国の有名な人権活動家、故劉暁波(リウシアオポー)の妻の劉霞(リウシア)さんとの関係を追及されたとしている。男は元同党幹部の林子健さん。林さんは、サッカーの

 スペイン1部リーグのバルセロナから、劉暁波が好きだったというメッシ選手のサイン入り写真を入手し、劉霞に渡そうとしていた。

 会見した林さんの説明によると、林さんは10日夕、香港の繁華街で突然、男2人に車に押し込まれた。「劉霞を知っているか」と追及され、「面識はない」と答えたが、太ももに

 ホチキスの針を十字架状に20カ所刺された。香港か中国本土かわからない場所に連れて行かれ、殴られて意識を失った後、11日未明、香港内の路上に放置された状態で

 意識を取り戻したという。香港では2015年、中国本土で発行を禁じられた本を扱っていた書店関係者が中国に拘束され、香港の高度な自治を保障した「一国二制度」が

 侵されたとして中国への不信感が高まった。民主党は今回の事件を「第2の書店事件」と位置づけ、香港警察に徹底的な捜査を求めた。

   アフガニスタン。独立人権委員会は11日、北部サリプル州で今月上旬、反政府武装勢力タリバンと過激派組織「イスラム国」(IS)が共謀して村を襲撃し、子どもや女性を含む

   住民ら50〜60人を殺害したとする調査結果を発表、「人道に対する罪だ」と強く非難した。

   調査によると、タリバンとISが村に攻勢を仕掛け、アフガン治安部隊を撤退させて村を占拠。5日に住民らの殺害に及んだ。471家族が避難を強いられた。

   ロイター通信によると、タリバンはISとの協力や住民の殺害は認めていない。アフガン治安部隊は村の奪還作戦を進めている。

   イスラエル。英ギネスワールドレコーズ社に昨年、世界最高齢の男と認定された113歳のイスラエル人、イスラエル・クリスタルさんが11日、死去した。

   114歳の誕生日まで1カ月だった。クリスタルさんは1903年9月15日、ポーランド生まれ。第2次大戦中のナチスによるポーランド占領に伴い、アウシュビッツ強制収容所に

   送られた。体重がわずか37キロと危機的な状態で救出された。戦後、イスラエル北部ハイファに移住し、菓子店を開いた。ホロコーストの体験を人前で語ることはめったに

   なかったという。

     ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある

 なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

   江戸東京。今朝5時過ぎ、港区高輪2のマンションの一室から、男の声で「人を刺した」と119番があった。警視庁高輪署員らが駆けつけたところ、女性が腹から血を流して

   倒れており、搬送先の病院で死亡した。警視庁は室内にいた男(52)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、容疑を殺人に切り替えて調べているが刺したことを認めているという。

   殺された女性は男の姉で、厚生労働省関東信越厚生局長(56)。男はこの部屋に住んでおり、精神科への通院歴がある。男が体調を崩したため、姉が早朝に部屋を訪れていたという。

   姉の近くに血の付いた包丁が落ちていた。

   千代田区丸の内3丁目のビル建設現場で男の作業員3人が転落死した事故で、警視庁は、けふ3人は、建築関連会社員の江戸川区の小林義行さん(48)ともに

   内装工の目黒区の土屋剛さん(51)、千葉県船橋市の生川信一さん(43)だったと発表した。

   丸の内署によると、きのふの午後4時半ごろ、土屋さんが5階で作業中、大きさが1〜2畳分ほどの足場の鉄板とともに25m下の地下3階部分まで落下。ほかの2人も

   巻き込まれて転落した。署は業務上過失致死の疑いも視野に、当時の状況を調べている。現場では、東京会館ビルなどを地上30階建ての複合ビルに建て替える工事をしていた。

   72年前、下町を焼き尽くす大空襲で大勢の子どもが親や兄弟を失った。

   江戸川区の主婦、岡本すゑ子さん(83)もその一人だ。江戸川区春江町の證大寺で、一昨日子どもたちが岡本さんの体験を聴き、当時の「すゑ子ちゃん」に手紙を書く会が開かれた。

 つらい心の痛みを手紙を介して共有し、未来を担う若い世代に祈りを託す試みだ。

   「疎開先では夜になると小さい子たちがお母さんを呼び、家に帰りたいよと泣きました」、岡本さんが話し出すと4〜12歳の34人の子どもたちは座り直し、真剣な表情で

 聴き入った。疎開先で栄養失調になった岡本さんは10歳だった1944年暮れ、浅草の家に戻された。翌年3月、東京大空襲。

   一家はリヤカーに家財を積み、炎の街を逃げた。父母とはぐれた岡本さんは翌日、隅田川にかかる言問橋に山をなす黒い固まりに気付いた。「人間でした。苦しくて、もがいたままの

   姿で、真っ黒焦げになって」。その中に母と5歳の弟がいたかもしれないと知ったのは、数日後、父と再会してからだった。

   「以来、言問橋を見ればつらかっただろうと涙が出て。10年渡れなかった」と岡本さん。「そんな時代がいつ再び巡るか、わからない。だから強く戦争に反対し続けて下さい」。

   1時間に及んだ話を結ぶと、大きな拍手がわき起こった。

   田中満里愛さん(9)は「戦争は怖い。焦げた人の中にお母さんがいるなんて悲しすぎる」。比嘉唱瑛君(11)は「僕なら泣いちゃうかも。人間同士、心を一つにすれば戦争を

   防げないかな」と話した。手紙にも共感がつづられた。「すゑ子ちゃんは怖くても頑張っていてすごい」と柴山花奈恵さん(8)。長瀬里菜ちゃん(5)は、オレンジ色の

   クレヨンで「せんそうこわい」とだけ大きく書いた。

   戦時に大人だった世代は90歳を超え、子どもだった世代も70〜80代。「都会の子の多くは疎開し、空襲の実体験は少ない。私にしか話せないことを語り継ぎ、次の世代に

   正しい未来を選んでほしい」と岡本さん。

   證大寺は故人と遺された人の思いを書くことでつなぐ「手紙寺」で知られる。住職井上城治さん(44)は「己の心と向き合う手紙を書けば、遠い戦争の話も実感を持てる。

   戦争のむごさを生々しく伝え続けるためにも、体験談を聴き、手紙をつづる活動を広めたい」と話す。手紙はお経をあげ、岡本さんに渡す予定だ。

 浪速大阪。中戦争が始まる半年前の1937年1月、満州(現 中国東北部)を事実上統治していた関東軍が、所在不明の在郷軍人1300人を捜索するために作成した手配文書が

 大阪府泉佐野市で見つかったことが、分かった。

 日本女子大の名誉教授(日本近現代史)吉良芳恵によると、同様の文書は敗戦で廃棄されたとみられ、これまで確認されていない。吉良さんは「網の目のように張り巡らされた

 召集制度の恐ろしさを垣間見ることができる」と指摘している。

 文書は37年1月9日付でB5判29ページ、題名は「所在不明在郷軍人ノ居所届出ノ件」、差出人は「関東軍司令部」と記されている。

 福岡。古賀市の海岸で、きのふ福岡県宇美町、会社員小野克弘さん(36)と長男(7)、次男(5)がおぼれ、次男と助けに向かった男(49)の2人が死亡した事故で、

 福岡県警粕屋署によると今朝、小野さんと長男の健君が現場付近で見つかり、死亡が確認された。

   岩手。花巻市は、このほど第27回の宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の選考結果を発表した。

 宮沢賢治の名にふさわしい実践活動を顕彰するイーハトーブ賞には、歴史家の色川大吉さん(92)が選ばれた。研究や創作などを表彰する宮沢賢治賞の該当者はなかった。

 イーハトーブ賞に選ばれた色川さんは、学徒出陣を経て東京大に復学した経験があり、民衆の立場から日本近代史を掘り起こし、憲法や民主主義の意味を問い直す活動を続けている。

 「歴史家の見た宮沢賢治」、「東北人論―賢治の銀河系の思想」など賢治に関する論考も多く、日本近代史の中での賢治を考察した業績が評価された。

 宮沢賢治賞には13件が選考にのぼり、同賞の対象に1件が選ばれたが、該当者が辞退したため2年連続で該当者なしとなった。

 熊本。熊本地震の経験や教訓を後世に伝える仕組みを議論する益城町の「記憶の継承検討・推進委員会」の初会合が、きのふ開かれた。

 町の暮らしを根底から揺るがした災害を伝える主体は「住民すべて」、取り組み期限は「なし」とし、震災遺構の保存・活用や震災記念公園の整備のほか、語り部の育成や

 「避難所体験ツアー」の実施などが提案された。

 委員会は町議会や地元住民の代表者らで構成。犠牲者の追悼を続ける「いのちの記憶」、地震後の生活や復興の取り組みを映像に残すなどの「くらしの記憶」、「活動の記憶」、

 地震をもたらした地質などを保存して学ぶ「大地の記憶」の四つを継承の方針の柱として議論する。

 この日は住民に地震体験の「語り部」になってもらうことや、住民の「まちづくり協議会」と連携した断層などの震災遺構の保存と防災教育への活用、体育館での宿泊を伴う

 「避難所体験ツアー」など、地震の記憶を伝える取り組みを住民の日常生活に取りこんでいく仕組みが提案された。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ

 君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな

   君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
       昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

   富山。立山信仰の中心地としてかつて宿坊が軒を連ねていた立山町芦峅寺(あしくらじ)と江戸城との関わりを示す石造物を巡る見学会が、きのふ開かれた。

   参加者は、江戸城の中枢部から寄進された地蔵などを見ながら信仰の広がりや歴史に思いをはせた。立山博物館学芸課主任の森山義和さんが参加者7人を案内。館に隣接する

   宿坊「教算坊」から片道1キロを歩き、「旧宝泉坊跡」、「布橋」、「相栄坊の墓地」を訪ねた。

   教算坊から道を挟むと旧宝泉坊跡があり、江戸時代後期に老中松平乗寛や11代将軍徳川家斉の正室らが寄進した石柱や石塀、灯籠が残る。森山さんは、こうした江戸城の

   中枢にいた人物が石造物を寄進した史実に触れ「立山信仰が江戸城の中心に広がっていた証左になる」などと解説した。

   その後、加賀藩とも関わりのあった布瀬橋を渡り、宿坊「相栄坊」の墓地へ。13代将軍家定の大奥でも最高位の一人だった八重嶋が晩年に石仏の寄進を願い、死後に実現したという

   地蔵菩薩像を見学した。砺波市から参加した中川隆茂さん(72)は「芦峅寺と徳川家のつながりは知らなかった。奥深い」と感心していた。

 福井。福井大と慶応大の両大学院生らがタッグを組んで進めている「福がこい」プロジェクトが、事業化に向けた一歩を踏み出す。

 プロジェクトは、防災用の備蓄品としても使えるサバの缶詰や天然の塩などの県産品を詰め合わせ、土産物として提供する試みで、13、14の両日、福井市のハピテラスで

 200セットをテスト販売する。今年2月に開かれた「福井発!ビジネスプランコンテスト」でグランプリに輝いた、大野市出身の慶応大大学院2年竹原朋子さんらのグループの

 提案を基に試作。福井大チームもコンテストに向けたアイデアづくりに関わった縁で、共同プロジェクトとして進めている。

 福井の良さを全国に発信し、防災意識も高めてもらう狙いで商品化した試作品は、コシヒカリで作ったおかゆとサバの缶詰、天然の塩、和ろうそくの4種類の詰め合わせ(税込み

 2480円)。福井県内の製造企業に足を運んで交渉を重ねたという。福井大チームの木下誠也さん(23)と宝生拓巳さん(23)は「県内にも良いものがあることを知る

 きっかけになった」と振り返り、「防災と土産をつなげたプロジェクトを、全国に広めていきたい」と意気込んでいる。

 テスト販売は明日13日まで、慶応大チームにより群馬県の上信越自動車道横川サービスエリアでも行われる。来場者らへのアンケート結果を踏まえて改良を加え、11月に

 東京都内で行われるイベントで販売する計画だという。

 能登。大震災や東京電力福島第一原発事故で被害を受けた福島県の子どもらが、9〜14日の日程で奥能登を訪れている。

 石川県内の有志でつくる「ふくしまっ子チャレンジスクール実行委員会」が招待し、きのふは海水浴場で能登半島の夏を満喫した。石川県に避難した被災者が故郷への思いを語る会に

 出席した実行委代表の野々市市の岩井繁樹さん(63)が周囲に呼び掛け、活動は6年目になる。

 「せめて夏休みくらい、放射線量の心配をしなくていい地域で遊ばせ、安全な食を味わってもらいたい」という親たちの願いに沿い、イベント盛りだくさんの保養キャンプを企画した。

 今年も「サマースクール」と銘打ち、小中学生32人と低学年の子どもの親4人が招かれ、県立能登少年自然の家(能登町)で宿泊している。実行委のメンバー15人が指導し、

 ボランティアの大学生20人も手伝っている。初日はミニ運動会で汗を流し、野外炊飯で作ったイノシシ丼を味わった。能登町の五色ケ浜海水浴場では、浮輪やビーチボールを

 持って海に入り、浜辺で砂遊びをしてはしゃいだ。後半はカヌー体験や広島県のシンガー・ソングライターによるコンサートなどを予定している。

 4回目の参加という福島県郡山市の中学2年佐藤圭さん(13)は「新しい友達ができるし、すごく楽しい。いい思い出ができる」と喜んでいた。

 金澤。昨夜、10時ごろ、金沢市百坂町のファミリーマート金沢百坂店で、市内に住む18歳の高校生が運転する乗用車が店内に突っ込んだ。

 この事故で店に入ろうとしていた10代の男が巻き込まれ左ひざに軽いけがをした。運転していた高校生は今月、運転免許証を交付されたばかりで、警察ではアクセルとブレーキを

 踏み間違えたものとみて原因を調べている。

 金沢名物の「金箔ソフトクリーム」などに使われる食用金箔を、誰でも手軽に張ることができるようにした商品が考案された。

 金沢市内の金箔製造業者が金箔と台紙のフィルムの間に和紙を挟み、はがしやすくした。9月から土産物店や飲食店で販売を始め、ソフトクリーム以外の菓子や料理などに

 使ってもらい、金沢金箔の魅力を広める。

 加賀。「山の日」のきのふ11日、開山1300年を迎えた霊峰白山(2702m)は、大勢の登山者でにぎわった。

 最高峰の御前峰は未明に濃い霧に包まれ、御来光を拝むことはできなかったが、日の出とともに天候が回復し、室堂(2450m)では多くの登山者が御前峰を背に記念撮影する

 光景が広がった。室堂の宿泊施設などを運営する白山観光協会によると、10日の宿泊者数は439人と前年より113人多かった。きのふ11日の宿泊予約数は565人と

 なっており、前年実績より180人多く、開山効果がうかがえた。

 2年目を迎えた「山の日」の御来光を拝もうと、きのふの朝3時半ごろから、多くの登山者が室堂を出発した。日の出時刻の5時8分に霧は晴れなかったが、20分後には

 東の空を覆っていた雲の切れ間から日の光が差し込む雄大な光景が広がり、200人以上の登山者から歓声が上がった。

 Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 早くも葉月8月12日。

 午後の散歩は、何時ものコ―ス。(雨が)降るかと思って傘を持って出た。境内下、犀川から取水して流れてくる寺津用水。水量は少なくて、濁っていたが流れは速かった。

 体育館の駐車場には5台り。バスケットやテニスのラケットの音がした。ここから、バス通りを越えて、坂道のを下りきって四つ角は左折。空き地には、けふも草と共に無数の

 ヒルガオが咲いていた。白アリにやられたお宅、足場は組んで、ブルーシートは外されていたが、作業員はお休み。西さんちの四つ角はまっすぐ。大柳さんちまえの三叉路は

 右折し、大友さんちの角を経て、金子さんちの辺りを一回りした。Drの車が無いので、仕事に出かけたのだ。なかの公園では今夜のボ踊り大会のテントの周りには準備が

 行われていた。その手前で右折して神社の辺りを一回り。徳中さんちの風車は回って居なかった。徳田さんちの裏の畑、真っ赤なアメリカ芙蓉がしぼんでいたが、朝鮮アサガオは

 咲いていた。湯原さんちの前庭では、紅いハマナスの実に薄紫の花が特に目に入る。大筆さんち<前を過ぎて、坂本さち前の庭では、石槌バラは元気だ。

 松本さんち、紅いほうずきがいい。やがて、シュウカイドウが咲きそうだ。みすぎ公園の手前で、清水のおばあさんが電線の上の雀の見物中で、「こんにちわ」と言ったら

 びっくりされていた。公園のまわりを一回りし、帰路は、ペンキ屋さんち横のムクゲを見つつ、京堂さん前のバス通りを渡って、コンビニの裏通りから帰還へ。

   ひょっとこ丸は休みだがお休みだが、ブルが入って水回りの工事をされていたので「何か建つのですか」に、「(自分の)家です」。すぐ隣がスウェーデン式の住宅で、道心の四つ角、

 で新築が建つようで、この辺りは賑やかになりそうだ。持木さんちの赤や白の百日紅を見て、瀬戸さんちの畑では、真っ白のムクゲにバラ2輪が待っていてくれた。

 四つ角の辻さんち、プランターのオクラが、薄黄色の花をつけていた。

   けふの散歩は、〆て7、3キロ、1万479歩だった。

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
             唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2017年 葉月8月12日(ふ)

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