原爆犠牲者を追悼するミサ、早朝から 長崎の浦上天主堂

   2017年、酉年、葉月8月9日(水)、雨時々曇り、金沢の最高気温は31度。

 朝の散歩は、何時ものコースで、寺津用水の方向へ向かった。寺津用水の量は、元に戻ったが濁っていた。

 体育館には駐車している車は2台。バス通りの四つ角は渡って、途中から右折。角地ではホタルブクロに薄紫のムクゲが健在。越野さんち、雀のお宿では雀は来ていなかった。

 中村さんちの角を右折したお宅では、プランターにアサガオが咲いていた。左折。赤白のザクロや玄関わきのアサガオを見つつ、梨畑の三叉路へ。畑におられて家に入る朝日の

 おばあさんが目に入ったので手を挙げて朝の挨拶。中村さんち、京都の北山から求めてきた杉は、なかなか面白い。小津さんち過ぎると、才田さんち、玄関先の樹齢100年と言う

 老木ザクロの赤い花は1輪咲いていた。通りを横切ってところで、柴犬連れの松本夫妻に会い「お早うございます」。角地の畑には涌波からの親父さんが来て居たので「お早うござい

 ます」。紙谷さんの辺りを一回り。ヘチマの茎もかなり伸びて、花も葉もたびれていたが実は塀の中で分からない。上村さんちの玄関先では真っ赤なバラが目に入る。

 西さんちの四つ角は真っ直ぐいく。何処からかキジバトの鳴き声が聞こえてきた。右角の大柳さんちは右折。角家、岡本さんちの裏では、ザクロは大きい実をつけていて、アジサイは

 まだきれいに咲いていた。金子さんちの辺りを一回り。隣の空き地は草が刈られてすっきり。型枠工場の若い衆が3、4人乗せたボンゴタイプの車で出て行った。

 Dr小坂、宇野さんはまだ出かけていない。なかの公園の手前で、右折。神社の方向へ。ペンキ屋さんちのザクロにオニユリ、ヒオウギの花がいい。徳中さんち、角にノーゼンカツラが

 咲いて、風車が、廻っていなかった。辰治さんち、納屋の横の濃い紫のアサガオがいい。玄関先のムクゲが満開の田畑さんはお休みだが、車の前におられて「お早うございます」、

 「今日は休みやけど厨房を直すので、鍵を開けに行く」と。清水さんちの裏の畑では、でっかい真っ赤なアメリカ芙蓉に朝鮮アサガオがいい。湯原さんちの前庭では、ブラックベリーが

 色が濃くなってきた。鹿の子ユリ、ハーブやオイラン草、ピラカンサスそれにハマナスの赤い実がいい。徳田さんち前の三叉路を過ぎて、坂本さんち、石鎚パラはまだ咲いている。

 道路に垂れ下がったノーゼンカズラの松本さんちを過ぎていくと、土谷さんち前、かたわらの路傍に咲いていた深紅のタチアオイが刈り取られてなかった。

 清水の御婆さんちを過ぎて、みすぎ公園を一回りして、次の三叉路を左折して、住宅街。小雨がばらつきラジオ体操も始まっていない。

 ペンキ屋さんち前へ。畑には紫の花の百日紅がいい。京堂さんち前のバス通りを渡って、コンビニの裏通りから帰還へ。ひょっとこ丸は出かけたあとだ。道心の四つ角、住宅が建つ

 のだ。基礎を打つために垂木の枠が建てられていた。

 本田さんちの庭の手前、瀬戸さんのち畑、無数に咲いたムクゲに、2輪のバラが待っていてくれた。

 長崎市。松山町の「原爆落下中心地碑」では早朝から、若者が平和を願って「人間の鎖」をつくった。

 核兵器廃絶を求める署名を国連に届ける「高校生平和大使」たち。活動は今年、20年目を迎えた。長崎の市民団体が1998年に始め、昨年までに140万筆以上の署名を集めた。

 全国から選ばれた今年の第20代大使22人は今月下旬、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に署名を届ける。長崎県の大使、溝口祥帆(さちほ)さん(16)は「二度と核兵器を

 使ってはいけないと後世に伝えるのが私たちの役目。22人全員で被爆者の方々の思いを世界に広く発信し、『長崎を最後の被爆地に』と訴えたい」と思いを新たにした。

 けふ9日の原爆の日に合わせて、多くのOB・OGも長崎入りして大使の活動を支えた。今春、東京の大学に進んだ第19代大使の永石菜々子さん(19)は、7月に採択された

 核兵器禁止条約について「大使の地道な活動も後押しになったのでは。歩みを止めなくてよかった」。ただ、日本が参加しないことには「私たちの声が、一番近い日本に届いていない。

 喜びより悔しさが大きい」と話した。

 神奈川県の大学院生で第15代大使の相原由奈さん(23)は、「20年」を節目とは感じていないと語る。「被爆者の思いを伝えるピースメッセンジャーとしての役割は、

 これからも変わらない。核兵器がなくなるまで、50年、100年と活動が続いてほしい」。

 豪雨の秋田。先月22〜23日の豪雨で住宅に浸水被害が出た17市町のうち、特に被害が大きかった横手、仙北、大仙の3市だ。

 大仙市では住宅の被害が全半壊32棟、床上浸水262棟に上った。先月、秋田県で降った記録的な大雨は、きのふ5日で降り始めから2週間になった。

 北九州の豪雨。福岡、大分両県で36人が死亡、5人が行方不明となった甚大な被害が生じた九州北部の豪雨は、発生から1カ月が経った。

 自宅を失うなどした500人超が今も避難を続け、生活再建への不安を抱えたままだ。

 新潟。糸魚川市の大火による住宅再建などの相談は「糸魚川市のホームページ」。

 鳥取。去年10月の鳥取県中部の地震で震度5強の揺れを観測して、先月21日で9か月になった。

 鳥取県の「災害被災地応援サイト」。

     ♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐、が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう

 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

 でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ

 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

 島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
       1992年 島唄  THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史

 長崎。原爆が投下されてから、けふ9日で72年。

 原爆で壊滅的な被害を受けた長崎市の浦上天主堂では早朝から、原爆の犠牲者を追悼するミサが開かれた。集まった信徒らはあの日を思い、静かに手を合わせた。

 けふは終日、長崎市内の各所で追悼行事が開かれる。長崎市の平和公園では、原爆が投下された午前11時2分にあわせて、長崎市が平和祈念式典を開催。

 被爆者や遺族ら5400人が出席した。市長田上(たうえ)富久は平和宣言で、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を「被爆地は

 到底理解できない」と厳しく非難し、条約を批准するよう迫った。一方、首相安倍は6日の広島市での平和記念式典でのあいさつと同様、条約に言及しなかった。

 長崎の式典には核兵器保有国の米露英仏中を含め、過去2番目に多い58カ国の代表が参列。原爆投下時刻の午前11時2分、黙とうをささげた。

 市長田上は平和宣言のほぼ半分を核兵器禁止条約に割いて、その意義を強調。「ノーモア・ヒバクシャ」という被爆者の願いが多くの国々を動かしたとし、「『ヒロシマ・ナガサキ

 条約』と呼びたい」と述べた。その上で「この条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、人類に問われている」とし、核保有国と「核の傘」の下にいる国に対し、

 核抑止論に基づいた安全保障政策の見直しを促した。唯一の戦争被爆国でありながら、条約を批准しようとしない政府に対する被爆者の失望は強い。広島市の市長松井一実は6日の

 平和宣言で、政府への直接的な批判や要求は避けたが、市長田上は「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、交渉会議にさえ参加しない

 姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難。「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めた。憲法改正の動きには

 言及しなかった。

 今年から公募となった被爆者代表に選ばれた長崎市の深堀好敏(よしとし)さん(88)は「平和への誓い」を読み上げた。放射線の脅威を挙げて「私は『核は人類と共存できない』

 と確信している」とし、原発偏重のエネルギー政策から転換するよう訴えた。

 首相安倍はあいさつで「核兵器国と非核兵器国双方への働きかけを通じて国際社会を主導する」と述べたが、核兵器禁止条約には触れなかった。非核三原則は堅持を誓った。

 式典では、この1年間で死亡が確認された原爆死没者3551人の名前を記した原爆死没者名簿4冊が奉安された。奉安された死没者の総数は17万5743人となった。

   広島と長崎。14歳のころ、弟と2人で2度の被爆を生き延びた女性がいる。青森市在住の福井絹代さん(86)。これまで体験をほとんど語ってこなかったが、その記憶を残そうと

 映画の制作に協力している。

 絹代さんは72年前、2歳下の国義さんと2人きりで広島市千田町の一軒家に住んでいた。長崎市で生まれたが両親が離婚。父に連れられて広島に来た。父は出征し、絹代さんが

 働きながら弟の面倒を見ていた。8月6日の朝は、平凡なきょうだいげんかで始まった。絹代さんは、朝食のご飯を残して洗面器で洗濯のりを作っていた。ところが国義さんが

 捨ててしまった。「もったいない!」。ひとしきり言い合った後、洗濯物を干そうと中庭に一歩、足を踏み出した。そこで、意識が途切れた。

 爆心地から1・8キロ。2階建ての家は崩れ、絹代さんは下敷きに。国義さんに引っ張り出されたが、目に壁土が入ってひりひりと痛んだ。左耳が聞こえなくなっていた。

 逃げる途中、消え入りそうな声で助けを求める声を何度も聞いた。何もしてあげられなかった。食べるものも住むところもない2人は、祖母のいる長崎を目指した。すし詰めの列車に

 揺られた。9日、その瞬間の記憶ははっきりしない。列車が止まり、大人たちが逃げ出した。「新型爆弾だ」、弟がそう耳にした。絹代さんは広島の記憶がよみがえり、怖さで

 動けなくなった。長崎の爆心地から北、4キロ地点だった。南へと歩いた。浦上天主堂のそば、爆心地付近も通った。黒こげの遺体で埋め尽くされていた。震える弟を連れ、遺体を

 踏み越えて前に進んだ。「広島で、2人ともだめだと思っていた」、15日の夜、再会を果たした祖母に抱きしめられた。「戦争は、終わったよ」。その後の2カ月、2人の下痢は

 止まらなかった。戦後は結婚して夫の古里、青森に住んだ。2人の子どもに恵まれたが、30代後半、貧血とめまいで起き上がれなくなった。「まさか原爆のせいだろうか…」。

 怖くて医者にも被爆したとは言えなかった。10年、入退院を繰り返した。39歳のとき、長崎の親類に教えられてようやく被爆者健康手帳を取得した。

 6年前に夫に先立たれてから1人で暮らす。「もう一度、長崎に行きたい」、昨年、青森県の遺族代表として長崎市の平和祈念式典に初めて出席。それを機に一度だけ、人前で

 被爆体験を話した。その秋、映像プロデューサーの稲塚秀孝さん(66)が自宅を訪ねてきた。2度の被爆体験をした人の証言を記録し、知られてこなかった「二重被爆」に

 光を当てた人だった。絹代さんは「語れば、目の前に情景が浮かび、悲しくなる。でも、『伝えたい』という人の思いに応えたい」と協力を決めた。来夏公開を目指す記録映画の

 撮影が始まった。昨年10月に自宅でインタビューに応じ、今月下旬には再び撮影を予定している。

 国義さんは晩年を長崎で過ごした。証言の収録はかなわず、今年5月に84歳で亡くなった。生前、胃がんにも苦しんだ。後には被爆体験を記した数十枚の原稿用紙が残された。

 広島で家の下敷きになった女性を助けられなかったこと。長崎で震える足で踏み越えた遺体の感触が忘れられないこと…。絹代さんは弟の手記も手がかりにカメラの前で語り残そうと

 思っている。

 《二重被爆》 広島、長崎の両方の原爆で被爆した人数について、厚労省は調べていない。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館によると、今年7月末までに確認した同館所蔵の

 被爆体験記13万5796件(重複する人も含む)の中で、広島、長崎の情景が書かれたものは328件あった。長崎市発行の被爆者健康手帳を持っている人(6月末で3万359人)の

 うち、広島、長崎で被爆したと申告した人は15人いるという。広島市は把握していない。

 日本列島。台風5号は今朝3時に山形県沖で温帯低気圧に変わった。

 気象庁は引き続き明日9日夕にかけて、東北や東日本では土砂災害や河川の増水、氾濫に警戒するよう呼び掛けた。気象庁によると、台風から変わった温帯低気圧は、ゆっくりとした

 速度で北東へ進む見込み。東北や北陸では、明日昼過ぎにかけて、雷を伴い1時間に30ミリの激しい雨の降るところがある。明後日10日午前6時までの24時間予想雨量は、

 東北の多いところで120ミリ。東北や東日本を中心に、これまでの大雨で地盤が緩み、増水している河川があり、警戒が必要という。

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題。

 午前、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸の「N5」工事現場では、陸上で重機がブロックなどの建築資材を準備する作業が行われている。周辺ではカヌーに乗った市民が

 抗議を繰り返している。

 午後1時過ぎ、米軍キャンプ・シュワブ工事車両用ゲート前で座り込む市民ら60人を機動隊が強制排除した。市民らは「違法工事に荷担するな」などと抗議しました。

 車両8台が入った。

 辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議は、きのふ那覇市内で幹事会を開き、12日の県民大会でオスプレイの飛行即時停止と配備撤回を求める特別決議を行うことを決めた。

 幹事会後の会見で明らかにした。事務局長山本隆司は「基地や不条理が続く限り、何度でも(県民大会を)やる。裁判闘争と現地闘争で連帯して知事翁長を支える」と話した。

 県民大会は、辺野古新基地建設の埋立工事差し止めを求めて国に提訴した知事翁長を支える意味があることを強調した。

 幹事会では、琉球大学大学院教授高良鉄美を共同代表に追加することも全会一致で決めた。会議の共同代表は稲嶺進、呉屋守将、高里鈴代、玉城愛、高良の5人となった。

 任期満了に伴い2018年2月4日に投開票される名護市長選で、現職の市長稲嶺進(72)が3選を目指して出馬する意向を固めた。

 複数の関係者によると、23日にも正式に出馬表明する方向で調整している。稲嶺後援会はけふ9日、名護市内で幹事会を開き方針を確認する。稲嶺は7月31日、名護市議会の

 与党議員でつくる「稲嶺市長を支える市議会議員団」(団長・市議岸本洋平)の14人から出馬要請を受け、「重く受け止める。後援会とも相談をしたい」などと述べ、出馬に

 前向きな姿勢を示していた。稲嶺は1945年7月生まれ、名護市三原出身。琉球大卒。72年から名護市役所で勤務。総務部長、収入役、教育長を務め、10年1月から現職。

 市長選には名護市議の渡具知武豊(55)が出馬を予定している。

 3日の内閣改造で就任した沖縄・北方担当大臣江崎は、きのふの夕方、沖縄県庁を訪れ知事翁長と初めて会談した。

 この中で、知事は「沖縄の経済は、アジアのダイナミズムを取り入れ、自立型経済に向けて頑張っていこうと思っていて、沖縄が日本とアジアの架け橋となるようお力添えを

 いただきたい。基地問題については、整理縮小や沖縄の過重な負担の軽減にご協力いただきたい」と述べ、要望書を手渡した。要望書では、来年度・平成30年度も沖縄振興予算は

 3000億円台を確保することや、3年後のオープンを目指す大型のMICE施設について、必要な財政支援を求めている。また、普天間基地配備のオスプレイが、今月5日、

 オーストラリアの沖合で墜落事故を起こしたことについて、県民は大きな不安と衝撃を受けているとして、配備を撤回するよう求めた。これに対し江崎臣は、「私は、沖縄の

 ファンで、海洋博も家族で見に来ている。沖縄の発展のために、交通の利便性向上やインフラ整備など様々な課題に積極的に取り組んでいく」と述べたが、オスプレイの問題に

 ついては触れなかった。

 東京大学公共政策大学院のキャンパスアジアプログラムで学ぶ日本、韓国、中国の3カ国の学生12人が7月26日から3日間の日程で沖縄を訪れ、沖縄の基地問題や沖縄戦などに

 ついて学んだ。同プログラムは東京大、北京大、ソウル大が相互の交換留学などで学び合い連携している。今回はフィールドワークで沖縄を訪れ、実現型ディスカッション企業

 「がちゆん」が行程をコーディネートした。学生らは宜野湾市の嘉数高台を訪れ、琉球大学・沖縄国際大学非常勤講師の北上田源さんの案内で米軍普天間飛行場を巡る状況について

 説明を受けた。学生からは返還問題や軍用地の補償などについて質問が上がった。

   ♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、2016年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党(現 民進党)の野田らにもあったのは今さら言うまでもない。

 福島。「寄付サイト 地域医療を守るため原発事故後唯一留まった高野病院を支援します」。

 青森県板柳町の町議松森俊逸(61)は、けふ会見し、秘書への暴言や暴力行為が問題になり自民党に離党届を出した衆院議員(埼玉4区)豊田真由子の政策秘書に就任したと

 明らかにした。妻は今年4月から議員豊田の事務所スタッフとして活動しており、5月から公設第1秘書として勤務。議員豊田の問題が発覚後、秘書が相次いで辞めて業務量が増えた

 ため、妻から手伝ってほしいと頼まれたという。「豊田への誤解を解きたい」と6月30日に就任した。これまで一度も議員の豊田と会ったことはないというが、後援会への

 あいさつ回りなどの業務を始めているという。

 「国会議員秘書給与法」では公設秘書の兼職は制限されているが、議員が許可した場合は他の職務に従事できるとしており、松森は衆院議長宛てに兼職届を提出したという。

 町役場での会見で、松森は「地方議員が永田町や中央官庁に直接アクセスできる手段があることは、議員活動にとって非常に有益。まずは古里に貢献したいとの思いなので、(町議の

 仕事を)粗末にする考えは一切ない」と理解を求めた。

 議会事務局によると、松森の秘書就任を問題視する声があることから、今月15日に町議会議員全員協議会が開かれ、議員たちが意見を交わすことになっているという。

 豊田は、衆議院埼玉4区選出の自民党の議員だったが、元秘書に暴行したなどと週刊誌で報じられたことを受け、今年6月、自民党に離党届を出している。

 《板柳町》津軽平野のほぼ真ん中の人口1万4000人余の町。

 民進党の国対委員長山井和則は、けふ自民党の国対委員長森山裕と国会内で会談し、「役所の原稿を朗読する」と発言した沖縄北方担当相江崎鉄磨について、明日10日に行う

 衆院安全保障委員会の閉会中審査への出席を求めた。森山は拒否した。

 森山は、南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽問題を巡り、野党が要求している元防衛相稲田朋美の参考人招致について改めて拒んだ。学校法人「加計学園」問題に

 関する衆院予算委員会の開催にも応じなかった。

 首相安倍は、けふ訪問先の長崎市で、「(国会答弁では)役所の答弁書を朗読する」と発言し、日米地位協定の見直しにも言及した沖縄北方相江崎鉄磨について「今後一層、

 緊張感をもって職務にあたってほしいと考えている」と述べ、続投させる考えを示した。長崎市で開かれた平和祈念式典などに出席した後の会見で語った。

 国連で採択された核兵器禁止条約への対応については、「署名、批准を行う考えはない」と従来の方針を改めて示した。「核兵器国が1カ国として参加していない。核兵器国と

 非核兵器国の隔たりを深め、『核兵器のない世界』の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と述べた。

 総務相野田聖子は、きのふ「民進党はある程度役目を終えたのではないか」と発言した。

 党支持率の低迷、元環境相細野豪志の離党届提出といった動きが念頭にあるとみられる。その上で「いろんな離合集散があり、与党と対峙して本当の政策議論をできる環境が良い」と

 述べ、与党に対抗し得る野党勢力の再編が望ましいとした。

 野田は、政党支持率がトップの自民党についても「『相対評価で(他党と)比べたら自民党』という人が相当数いるのではないか」と指摘し、支持基盤はもろいとの見解を示した。

 民進党の元官房長官枝野幸男はきのふ会見し、21日告示、9月1日投開票の代表選への立候補を正式に表明した。

   民主党政権時に決めた「2030年代原発ゼロ」の年限前倒しは可能との見解を明らかにした。原発ゼロ方針をめぐっては、代表蓮舫が3月の党大会で「30年ゼロ」を

   表明することを検討したが、連合が猛反発して断念した経緯がある。一昨日7日に立候補会見した元外相前原誠司は「30年代ゼロ」を踏襲しており、論戦テーマの一つとなりそうだ。

   枝野は「再生可能エネルギーの普及や技術革新などが(30年代ゼロ決定時より)前倒しで進んでいる」と指摘。「30年代まで自民党政権が続いていれば(ゼロは)無理。

   衆参で過半数を持たせて頂ければ様々なことが進められる。前倒しできる」と述べた。

   共産党を含む野党共闘は継続の意向だ。野党再編については、「自民党に代わりうるのは民進党以外あり得ない」と断言。「第2自民党では本物に勝てるはずがない」とも述べ、

   多様性を認めて支え合う社会像や、情報公開の徹底、原発ゼロの実現、専守防衛に基づく安全保障政策などを党の旗印にする考えを示した。

 文部科学相林芳正は、きのふ、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設について、今月下旬にも出される文科省の大学設置・学校法人審議会の答申を尊重して認可の可否を

 判断する考えを示した。「最終的には審議会の結論を尊重して、判断を行うことに尽きる」と述べた。

 林は、加計学園の問題を通じて文科省の信頼が損なわれたとの認識を示し、「行政の信頼を回復する前提に立てば、法律に基づいた手続きに沿って進めていくことが大事だ」と強調。

 審議会について「静かな環境で、専門的な観点から見ていただきたい」と語った。

 また、文科省の信頼が損なわれた理由として、「総理のご意向」などと書かれた文書の調査で「1度目に見つからなかったものが、2度目に出てきた」と指摘。さらに、前文科事務

 次官前川喜平が「行政がゆがめられた」などと証言し、政府内でも文科省と内閣府で主張や認識が食い違った点を挙げた。そのうえで「プロセスをもう一度精査しながら、説明に

 改善の余地がないのか、詰めていきたい」と話した。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で、防衛省の陸上幕僚監部防衛部長前田忠男は、きのふ「陸上自衛隊が隠蔽組織ではという報道もあったが、そういうところは

 一切ない。文書管理上のミスはあった」と語った。

 東京・目黒の陸自幹部学校で開かれた、今後の陸自の役割を有識者を交え議論する「陸自フォーラム」の主催者あいさつで語った。先月末に公表された同省の防衛監察本部による

 特別防衛監察では、陸自が日報を情報公開の対象から外すことを狙い、文書開示請求に対して該当文書はないと回答。その後、一部を捨てたことが明らかになっている。

 前田の発言は、こうした指摘への認識の甘さを示したものと言えそうだ。前田は発言後、「監察結果を詳細に読まず発言した。詳細に読み、真摯に受け止める」と語った。

   米軍普天間飛行場(宜野湾市)に配備されているオスプレイが豪州沖で墜落した問題に関連し、沖縄北方相江崎鉄磨はきのふの閣議後会見で、「日米地位協定は少し見直さないと

   (いけない)」と述べた。日本政府は地位協定の改定方針は掲げておらず、閣僚の発言としては異例。江崎はその後、「地位協定のあるべき姿を追求していくべきではないかとの

   気持ちを申し上げた」と釈明した。

   閣議後の会見では、過去の米軍機事故に触れて、「地位協定は直すところは直すという交渉に(するべきだ)」と主張。「沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止め、米国には

   言うべきことは言いながら(見直すべきだ)、という考えを持っている」と語った。

   4時間後、就任後初めて訪れた那覇市で、発言について自ら説明。「地位協定については安倍政権で2度にわたり、大きな見直しを行った。安倍政権においても目に見える改善を

   積み上げていくなかで、日米地位協定のあるべき姿を追求していくとの姿勢であり、その方針に沿ったものだ」と、一方的に手元のメモを読み上げた。

   地位協定は、日本に駐留する米軍人・軍属らが公務中に犯罪を起こした場合、米側に刑事事件の裁判権が優先的にあることなどを定める。不平等との指摘があるが、協定そのものは

   1960年の締結から一度も改定されていない。江崎は、安倍政権が軍属の範囲などに関する「補足協定」を見直したことを取り上げて、「閣内不一致」との指摘をかわそうとしたと

   みられる。

   ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
        1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹

 中国。四川省アバ・チベット族チャン族自治州で8日夜に起きた地震で、地元政府は9日早朝、死者は9人、負傷者は164人になったと明らかにした。

 震源地近くには日本人を含む外国人観光客が多く訪れる世界遺産の景勝地、九寨溝がある。地元当局は救出作業を続けているが、死傷者がさらに増える可能性がある。

 国営通信、新華社によると、死者のうち5人は観光客。日本人30人が地元旅行社による九寨溝へのツアーに参加しているが、全員と連絡が取れ、けが人はないことが確認されたという。

 重慶の日本総領事館は日本人の負傷者がいないかどうか情報収集を急いでいる。

 オーストリア。7月に国連で採択された核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約の主要推進国・オーストリアの在ジュネーブ代表部大使ハイノッチが、条約は

 「核の傘」の下にとどまることを禁じていないとの見解を示した。条約に否定的な日本などが、米国の「核の傘」で守られた現状のままでも条約に加盟できる可能性を示したものだ。

 ハイノッチはオーストリア政府代表として多国間交渉の事実上のまとめ役を担った一人。「ヒバクシャ」という言葉を条約前文に入れることにも尽力した。

 「核の傘」とは、核保有国が「核を使う」と思わせることで相手の攻撃を思いとどまらせる「抑止」を、同盟国にも適用するという安全保障上の概念だ。核禁条約は、核使用を

 ちらつかせる「脅し」を禁止項目の一つとしている。

 南米ベネズエラ。国連は8日、混乱が続くベネズエラ情勢を巡り、反政府デモに過剰な武力を行使しているとして同国のマドゥロ政権を非難した。

 また、4月以降に少なくとも73人のデモ参加者が死亡したことについて、治安部隊や政権支持派グループに責任があるとみられるとの見解を示した。国連の人権高等弁務官ゼイドは

 声明で、反政府抗議者への拷問を含む虐待はベネズエラにおける「法治の機能停止」の一端を示していると指摘。「われわれが記録している人権侵害の責任は政権の最高レベルにある」と

 した。ベネズエラの左派政権は今のところ、国連の非難に対して反応を示していない。ただ、政権は反政府デモに対する弾圧を強化する中で、海外からの批判を無視する傾向を

 強めている。

   ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある

 なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
         昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

   江戸東京。太平洋戦争末期、米軍の襲来におびえる太平洋上の神津島の住民が、北へ170キロ離れた山間地の奥多摩町などへ全島疎開した。

 それから72年――。人々の記憶が薄れるなか、奥多摩町の診療所医師らが6月に神津島に渡り、高齢の3人から証言を聞き取った。そのビデオが明後日11日に公開される。

 医師は町内の双葉会診療所で20年以上地域医療を守る片倉和彦さん(56)。町で毎夏催す「平和のための戦争展」の実行委員長も10年前から務める。疎開の歴史を知ったのは

 1年前だった。一冊の文集を近くの障害者支援施設の書棚で見つけた。神津島村社会福祉協議会が20年前から、村内の高齢者に戦争や伝統行事などの話を聞き取ってまとめた冊子

 「神津島のお年より作文集」。村内では全戸に配布され、施設にも寄贈されていた。その中にあったのが奥多摩町への全島疎開だった。

 福島。昨夜10時半過ぎ、須賀川市越久の東北自動車道の下り線で、大型トラックが走行中に横転した。

 この事故で、トラックに乗っていたいずれも青森県の運転手の岩谷俊さん(27)と竹内和寿さん(44)が車の外に投げ出され、2人とも病院に運ばれたが、その後、死亡した。

 現場は見通しのよい直線道路で、警察は、当時、2人のどちらが運転していたか確認を進めるとともに、事故の原因を調べている。事故の影響で、東北自動車道は須賀川インター

 チェンジと郡山南インターチェンジの間の下り線が6時間余りにわたって通行止めになった。

 茨城。今朝5時半ごろ、ひたちなか市馬渡の黒沢ふく江さん(81)方から出火し、木造2階建て住宅が全焼し、焼け跡から性別不明の2人の遺体が見つかった。

 黒沢さんは長男一浩さん(57)と2人暮らしで、いずれも連絡が取れていない。警察は、遺体は黒沢さん親子とみて身元確認を進め、出火原因を調べている。

 現場はJR勝田駅の東5キロで、畑の中に住宅が点在している。

 岩手。岩手大の大学院生5人と米ハーバード大の学生5人が、きのふ8日までの4日間、陸前高田市で震災復興の取り組みを学びながら、異文化交流する「グローバルセミナー」を

 初めて行った。今年度、岩手大が新設した総合科学研究科地域創生専攻の必修科目「グローバルコミュニケーション」の一環。参加者は防潮堤や震災遺構を見学し、900年の

 伝統を誇る「けんか七夕」にも参加した。きのふ8日は市長戸羽太から復興の現状について聞いた。市長は「自然災害は計算通り起きるものではない。想定外のことが起きることを

 頭に入れておかなければならない」と話した。ハーバード大2年のモトイ・ルイスさん(20)は「復興に向けて努力する人々の姿が印象的だった。津波の教訓を伝えていきたい」。

 岩手大大学院1年の張磨陽祐さん(23)は「防災について世界的な視点から考えられ、視野が広がった」と話した。

 熊本。熊本城で、きのふ熊本地震で被災し、解体された大天守の6階部分の再建工事が始まった。

 来年の夏ごろには、以前と同じ形の最上階が完成する。鉄骨造りの6階は地震で柱が損傷。5月下旬から1カ月かけて解体された。熊本城総合事務所によると、再建する6階は

 以前と同じ鉄骨造り。コンクリートの床の上に鉄骨を設置するなどして、耐震化を図るという。この日は、クレーンで柱やはりなどに使う鉄骨を運び込む作業が続いた。

 お盆のため帰省し、市役所の14階から城内を撮影していた大阪府枚方市の早田清一さん(63)は「こんな熊本城の姿は悲しいけれど、今見ておかないといけない。復旧に

 20年かかると言われているが見守っていきたい」と話していた。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ

 君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな

   君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
       昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

   富山。富山米新品種戦略推進会議(委員長・県農協中央会長伊藤孝邦)は、きのふ富山市の県民会館で開かれ、県側は富山米新品種「富富(ふふ)富(ふ)」を10月中旬から

   富山市内や東京の県アンテナ店で限定販売する方針を示した。県が県内外で開くイベント時にも会場で販売し、周知を進める。他産地の新品種やコシヒカリの相場動向を確認した上で、

 9月上旬ごろに販売価格を決定する。

   2017年産は38トンの収穫を見込み、このうち19トンを限定販売する。10月上旬に県内で開催するイベントを皮切りに、来年3月ごろまで富山駅前のCiCビル1階の

   県アンテナ店「ととやま」、東京の「日本橋とやま館」と「いきいきとやま館」で数量限定で販売する。11月に県内で開催する越中とやま食の王国フェスタ秋の陣や、来年2月に

   東京で開く県観光物産展などの会場でも販売する。

 福井。台風5号による大雨で、敦賀市内を流れる笙(しょう)の川がきのふの未明、氾濫する恐れがある水位となり、市災害対策本部は近隣13地区の3千世帯、7024人に

 市では初めての避難指示を出した。市内は一時緊張感に包まれたが、しばらくして水位が下がり、避難指示は解除。避難所に集まった市民はほっとした表情で家路についた。

 小浜市では川の増水で水田が冠水する被害があった。

   敦賀市は7日午後6時、市防災センター内に市長渕上隆信をトップとする災害対策本部を設置。張り詰めた空気の中、夜を徹して近隣道路の交通状況や避難所に集まった避難者数の

   確認、被害情報の収集などにあたった。市長は「後始末もある。気を引き締めてやってほしい」と職員を激励。業務はきのふ正午まで続き、避難勧告の解除、避難所の閉鎖を終えて

   解散した。敦賀市内では、要支援者向けと合わせて避難所10カ所が開設され、ピーク時には737人が身を寄せた。避難所の一つとなった東洋町のプラザ萬象ではきのふ早朝、

   市職員が支援物資を運び込んだり、食料を配ったりと慌ただしい雰囲気。避難者はソファや床に敷かれたブルーシートに座り、天候が回復するのを待った。笙の川流域の結城町に

   住む磯見文子さん(78)は「川と海の近くに家があるので、台風が来る度に心配」と疲れた表情で話した。

 能登。夏の甲子園が、きのふ兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕した。

 昨年優勝の作新学院(栃木)を先頭に、全国の49チームが入場。前日の晩に宿舎の駐車場で行進練習をしたという航空石川の選手18人は、白いユニホーム姿で、息を合わせ

 大きく手を振って行進した。石川大会の優勝旗を持って入場した主将(3年)三桝春樹は開会式の後、「人が入ったら全然、雰囲気が違った。あの中でプレーさせてもらえることが

 ありがたい」と。行進でかけ声をかけていた選手(2年)井岡啓吾は「入り口に入った時に観客席が見えて全身に鳥肌が立った。最高でした」。選手(2年)原田竜聖は「試合する

 のが楽しみになった」と笑顔。選手らの保護者30人も駆けつけ、バックネット裏から雄姿を見守った。選手(3年)兼田鳴海の母みさきさん(45)は8日が誕生日だといい、

 「雨で日程がずれて誕生日がすごい記念日になりました」と感無量の様子。投手(3年)佐渡裕次郎の父光善さん(50)は「一生に一度のことだし、うれしい。航空石川に

 入ってよかった」と目を細めた。

 宝達志水町押水地区特産のイチジクが、きのふ金沢市の市場へ向けて初出荷された。

 押水地区の44人が8ヘクタールで栽培し、北陸三県で最大の産地。セレモニーには、JAはくい押水いちじく部会の部会員らが参加。町長宝達典久が「イチジクは町の顔として

 定着している。町の宝として発展していくよう祈っている」と述べ、いちじく部会長高崎進さんは「天候に恵まれて着色が良く、糖度も十分」と出来に太鼓判を押した。

 初日は主力品種の桝井(ますい)ドーフィンのハウス栽培ものを1・5キロ入りで12ケース出荷。中旬以降は露地ものが出始め、カドタバナーネや希少品種で「幻のイチジク」とも

 呼ばれる黒イチジクのビオレソリエスの出荷が続く。金沢ほか七尾、富山の市場へ11月中旬まで5万ケースの出荷を目指している。

 金澤。明治から昭和30年代にかけての野町広小路の活気を伝える展示会が、広小路に面した「安藤芳園堂ビルヂング」(野町1丁目)で始まっている。

 周辺住民に出品を呼び掛けたところ、古い写真や老舗の看板、住民でつくる相互扶助組織「講」の集金箱などが集まった。4月に完成したビルのお披露目を兼ねた催しで、訪れた

 地元住民は展示を眺めながら往時のにぎわいの復活を願った。

 展示はビルのオーナーである安藤薬局などが企画し、2階の空きテナントで開かれた。大正中頃の写真には、木造2階、石置き屋根の薬局の建物が写っている。犀川大橋方面から

 現在の国道157号を写した1933年(昭和8年)の写真には、北國銀行野町支店などの洋風建築や市電が写り、当時の活気を伝える。

 昭和30年代の撮影とみられる写真では、金沢百万石まつりの百万石行列が通りを練り、町家の2階に鈴なりになった子どもたちの姿が見て取れる。ビルでは展示のほか、

 11日まで「野町広小路の灯(あか)り」と銘打ってさまざまな催しを企画している。

 加賀。政府主導で日立製作所、東芝、ソニーが事業統合でつくった中小型液晶パネル大手ジャパンディスプレイ(JDI)は、けふ能美市の能美工場の生産停止やグループ従業員の

 3割弱に当たる3700人超の人員削減を柱とする経営再建策を発表した。

 リストラ関連費用として1700億円程度の特別損失を計上し、2018年3月期の連結純損益は4年連続の赤字が確実となった。国策会社の経営の限界が露呈した。

 JDIは政府が推進する産業政策の目玉として12年4月に発足した。だが合理化の遅れや市況悪化から経営難に陥り、政府系ファンドの産業革新機構や主力銀行に支援を

 要請していた。

 中宮温泉薬師まつりは、きのふ白山市中宮温泉で行われた。

 関係者や湯治客らが白山開山1300年、中宮温泉開湯1300年の節目を祝い、湧き出る温泉の繁栄を願った。台風の影響で風雨が吹き付ける中、薬師堂前で薬師如来祭事が

 営まれ、神前に「胃腸の湯」として知られる温泉の湯が奉納された。中宮温泉旅館協同組合の理事長林繁さんらが玉串をささげた。

 Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 葉月8月9日。小屋の裏から、8時半過ぎから、ツクツクボウシが鳴きだした。

 午後の散歩は、何時ものコ―スで出た。寺の境内下、犀川から取水して流れてくる寺津用水。水量は少なくて流れは速かった。

 用水の崖上から落ちていた黄色の実は小屋の裏のあんずと同じだった。体育館の駐車場には15台余り。ここから、バス通りを越えて、坂道のを下りきって四つ角は左折。

   坂の途中で柴犬連れの高瀬さんに会い「こんにちわ」。空き地には、けふも草と共に無数のヒルガオが咲いて、蝶々が舞っていた。白アリにやられたお宅、足場は組んで、

   ブルーシートは外されていたが、作業員はお休み。槌田さんちに金子さんが来ておられて談笑中で「こんにちわ」。西さんちの四つ角はまっすぐ。大柳さんちまえの三叉路は

   右折したところ、水浸しの畑で、徳田さんが簡易ポンプのエンジンがかからず四苦八苦されていて「ご苦労様」。大友さんちの角を経て、金子さんちの辺りを一回りした。

   なかの公園の手前で右折して神社の辺りを一回り。徳中さんちの風車は回っていた。徳田さんちの裏の畑、真っ赤なアメリカ芙蓉が元気だった。湯原さんちの前庭から、大筆さんち

   <前を過ぎて、坂本さち前の庭では、石槌バラは元気だ。清水の御婆さん、家の裏で、養子さんと談笑中で「こんにちわ」。みすぎ公園を一回りし、帰路は、ペンキ屋さんち横の

   ムクゲを見つつ、京堂さん前のバス通りを渡って、コンビニの裏通りから帰還へ。台風で倒れたトマトやキウリの棚を見ながら「やられてしまった」とぼやく畑の北さんに

   「お疲れ様」。ニドまめを戴いたので深謝して帰還へ。道心の四つ角、分乗売り出し中の看板が建てられていた。持木さんちの赤や白の百日紅を見て、帰還へ。瀬戸さんちの

 畑では、真っ白のムクゲにバラ2輪が待っていてくれた。

 けふの散歩は、〆て8、1キロ、1万1580歩だった。

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
             唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
ちょ  おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

 桜蘂降るを踏みしめ女坂
 のどけしや ゆったり動く象の耳
 春光に映ゆるステンドグラスかな
 耕人の影うごき初む朝まだき
 紅椿 一輪部屋を明るうす
 突堤に巨船の泊つる晩夏かな
 学びたし夏の球児の一途さを
 盂蘭盆や 人見て法を説けと母
 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

            2017年 葉月8月9日(ふ)

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