知事舛添 問われる説明責任

 2016年、皐月5月21日、快晴、金沢の最高気温は22度。今朝も朝日がまぶしかった。

 今朝の散歩は何時ものコースで、寺の方向へ。小森さんちの息子さんに会い、「お早うございます」。寺津用水は、綺麗で流れも早かった。

 アパートの前には相変わらず石川ナンバーの軽4が駐車していた。桝谷さんの奥さんが、花に水やり中。バス通りの、ヤマボウシの並木はいい。

 左前方、徳田さんが田んぼの田の草取り中が見えた。坂道を下って左折。長沢さんちの赤白のセージは元気だった。槌田さんちの深紅の7輪のバラ、残っていた4輪もしぼんでいた。

 西さんちの角は、前方の畑に浦川ら2人が居たが無視して、真っ直ぐ行く。洋菓子屋さんの御婆さん、草取り中だった。ヤマボウシは相変わらず元気だ。

 Dr小坂、宇野さんはまだだ。なかの公園手前を右折。ペンキ屋さんち、純白のシャクヤク、徳永、土屋さんの花ショウブも綺麗だ。2軒隣の土谷さんちの松葉ボタンや

 シャクヤクもきれいに咲いていた。徳田さん、谷口さんちのテッセンがいい。田畑さんはまだだ。湯原さんちの庭や花壇は、相変わらずピンクのハマナス、とんがりをした

 ユニークな形のルビナス、テッセンなどいろいろな花が咲いて、待っていてくれた。坂本さんちの夏椿やようやく咲きだした石鎚バラはいい。吉井さんちの黄色のシャクヤクは

 枯れて消えていた。この角は左折。京堂さんち前からバス通りを渡った。コンビニの裏通り、息子のボンゴは見当たらなかったが、親父のワーゲンは、歩道に停めていた。

 北さんちの四つ角を過ぎるとひょっとこ丸は、まだだ。そこへ田の草採りに見えた徳田さんに「お早うございます」。道心の四つ角、藤田さんちの花壇では、皐月が

 咲き始めていた。修平さんちのこいのぼり、風がなくて、ゆらりゆらり。

   このあと小屋に戻って、緑茶。朝飯の後、カフェを立てて、時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。

 日本列島。西日本や北海道を中心に広く高気圧に覆われ、各地で晴れて気温が上がっている。

 午前11時半までの最高気温は北の大地、北見市で32度1分と午前中から真夏日となっているほか、大分県日田市で29度8度、熊本市で28度4分などとなった。

 これから関東地方や東北地方の一部で曇りとなる見通しだが、そのほかの地域ではこのあとも晴れて気温が上がり、真夏日が予想されており、気象庁は熱中症に注意し、

 屋外で活動したり避難所で過ごしたりする際にはこまめな水分補給を呼びかけている。

 三重。伊勢志摩サミットまであと5日になったけふ、主会場の賢島(志摩市)への立ち入り規制が始まった。

 賢島に乗り入れる近鉄志摩線と三重交通バスは28日午前7時まで、志摩市内の賢島―鵜方間で運休になり、外務省が手配したシャトルバスが代行運行を始めた。

 鵜方駅の電車の発着時間に合わせ、シャトルバスは賢島~鵜方間を一日で延べ100便が行き来する。島内のホテルに勤める市内の40代の女性は、規制のことを忘れて

 車で賢島に向かい、島と志摩半島を結ぶ賢島橋の手前で引き返した。「警備はしっかりしないといけないことだから、不便もあるが仕方ない」。

 賢島への立ち入りは、外務省発行のIDカードを持つ住民らに限られ、英虞湾にある間崎島と賢島を結ぶ定期船の発着場所は賢島港から賢島の島外にあるホテル

 「志摩地中海村」に移った。

 熊本。地震発生から最大震度7の激しい揺れを2度観測した地震の発生から、1か月が過ぎた。

 地震に便乗して被災した住宅を訪問し、契約書を渡さずにずさんな修理工事を行ったとして、昨夜、59歳の男が逮捕された。

   逮捕されたのは、熊本市東区八反田の自称便利屋・亀井忠幸。亀井は今月17日、被災した熊本市西区の住宅を訪れ、79歳の女性と内壁などの修理契約を結ぶ際に、

 特定商取引法で定める契約書を渡さなかった疑い。亀井は「何か不便なことはないですか」と女性の家を訪ね、家の壁の隙間に補強効果のないシリコンを注入するなどの

 作業を行い、4万円を受け取った。しかし、仕上がりがあまりにもずさんだったことなどから、不審に思った女性が警察に相談して発覚した。亀井は以前、リフォーム会社で

 営業を担当していたが、修理の技術はなかったという。亀井は容疑を認め、以前、営業で行った記憶がある家を回ったと話しているということで、警察は複数の余罪が

 あるとみて捜査ている。地震に便乗した商法での立件は今回が初めて。

 一連の地震で大きな被害を受けた西原村の酪農家が牛舎などが壊れて飼育ができなくなり、育て上げた牛を、きのふ益城町の家畜市場で開かれた競りにかけた。

 熊本県は、生乳の生産量が北海道、栃木県に次ぐ全国3位で酪農が盛んで、一連の地震で県内540戸あまりの酪農家のうち100戸あまりが牛舎などに被害を受けたという。

 益城町にある家畜市場では、きのふ、今年度2回目となる乳牛などの競りが行われ、最初の地震直後の先月15日に開かれた前回の競りより34頭多い140頭が出品された。

 このうち、震度7の激しい揺れを観測した西原村からは、酪農家の大川充洋さんが6頭の牛を出した。大川さんの牧場は、地震で牛舎が傾き、地面に亀裂が入っていることから

 飼育ができなくなり、飼育していた牛のうち、北海道の牧場へ預けた6頭を除く残りの牛を売りに出した。きのふ競りで大川さんの牛は、最も高いもので67万円あまりの

 値が付けられた。 大川さんは「これまで育てた牛を売ったことがなかった。今後牧場を再建したとき、新しい牛を買う時の資金にしたい」。競りは6月も行われ、

 地震の被害にあった酪農家の牛が優先的に出品されるという。

 南阿蘇村では、阿蘇大橋の崩落などで買い物に行くのにも不便な状況が続いているため、流通大手の「イオン」は村を車でまわって食料品などを届ける移動販売を始めた。

 「イオン」では、南阿蘇村の人たちの買い物にかかる負担を減らそうと車で村の4か所をまわって食料品や日用雑貨を届ける移動販売をきのふ20日から始めた。

 車には、隣接する大津町の店舗で用意された商品150種類が積み込まれていて、このうち猶須公民館では主婦たちが次々と訪れ、食料品などを買い求めていた。

 2歳の子どもと訪れた30歳の主婦は、「牛乳や納豆などを買いました。買い物のために車に息子を乗せたうえ、山を越えて運転するのは大変だったので、本当にありがたいです」。

 また、隣の高森町に車で買い物に行っていたという70代の主婦は「一度にたくさんのものを買って運ぶ必要もなくなるので助かります」。 今回、移動販売に使われている車は

 大震災のときに導入したということで、イオンでは7月中旬まで月曜日、水曜日、金曜日の週3回、移動販売を行う。

 ♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう

 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

 でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ

 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

 島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
        1992年 島唄  THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史

 うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
                         大阪府 道浦母都子

 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前、午前9時半過ぎ、新基地建設に反対する市民ら30人が、うるま市の女性遺体遺棄事件の被害者に黙とうを捧げた。

 そして、「命を返せ」などと抗議した。

 午後1時、ゲート前のテントでは、うるま市の女性遺棄事件の被害者の告別式に合わせて、市民らが手作りの祭壇をこしらえて、1分間の黙とうをささげた。

 のち、米軍車両を基地外に出さないようゲート前で座り込み行動を続けたが、機動隊に排除された。テント前では市民らが次々とマイクを握り、事件について「怒りや悲しみを

   どう表現したらいいのか分からない。全基地撤去に向けた大規模の集会が必要だ」、「怒りにとどめるだけでなく、行動に出さなくては」と怒りの声を上げた。

 米海兵隊員で軍属の男が死体遺棄容疑で逮捕(19日)された事件で、被害者の女性会社員(20)の葬儀が、けふ実家のある名護市の葬祭場で営まれた。

 知事翁長や防衛相中谷らも参列し、会場には家族や親せき、友人らが多数詰め掛け、20歳という早すぎる死を悼ん、悲しみに包まれた。県警は逮捕したシンザト・

 ケネフ・フランクリン(32)の供述に基づき、恩納村で遺体を発見した。遺体の損傷が激しく死因は判明していない。

 これまでの調べで、県警はシンザトがうるま市で女性を車に乗せて殺害し、恩納村で遺体を遺棄したとみて調べている。

 「強い憤りと、やるせなさをもって抗議する」、知事翁長はこの言葉を2度繰り返し、在沖米軍四軍調整官ローレンス・ニコルソンの目をにらむように見詰めた。

 米兵暴行事件で謝罪するため16日、県庁を訪れた在沖米軍トップからは、被害女性への謝罪の言葉は最後までなく、沖縄と米軍の認識の落差の大きさだけを印象付けた。

 「着任して半年間、大きな事件もなく過ごしてきた」「われわれにとって非常に恥だ」。ニコルソン氏の言葉には、被害女性に対する言及はなく、人ごとのように「遺憾」と

 いう言葉を何度も使った。威圧感漂う軍服姿と口調。その端々からは、まるで「事件の被害者は米軍側」とでも言いたげな印象さえ受けた。

 「今回の事件は、県民に過去の不幸な事件を想起させる悪質なものであり、激しい怒りを禁じ得ず、強く抗議する」。知事が読み上げた抗議文。通訳を通して聞き取った

 ニコルソンは、口を真一文字に結び、軽く数回うなずいていた。

 20分間の対談中、ニコルソンが強調したのは「良き隣人」という言葉だった。これに対し、知事は戦後70年間も米軍の事件事故が続いていることを挙げた上で

 「何十回、何百回もこういう形で抗議しているが、一向に良くならない。良き隣人と言う言葉が、実行された試しがないというのが、正直な気持ちだ」と強い口調で語った。

 そして、知事が問題の根本として挙げたのは、戦後70年を経ても変わらない沖縄の米軍基地の存在だった。「日本の面積のたった0・6%に73・8%の米軍施設がある。

 ずっと置かれていることに一番大きなことがある」。

 米軍属女性死体遺棄事件を受け、女性の遺体が遺棄された恩納村の現場には、けふも午前中から同級生などが次々と訪れ、友人の死を悼んで花を手向けた。

 このうち、小学校と中学校の同級生で、けふの告別式のために東京から帰ってきたという女子大学生は「人の気持ちを分かってくれる優しい子で、残念というか、ありえないという

 気持ちでしかないです。米軍の基地があることでこういう問題が起きるので、日本政府はもっとしっかり考えて行動してほしいと思います」。

 県内の16の女性団体が、きのふ共同で会見し、事件に激しく抗議するとともに、全ての基地・軍隊は沖縄から撤退するよう求めた。

 会見を行ったのは、県内の女性でつくる16の団体の代表たちで、このうち、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんは、「彼女がどれほどの

 恐怖と苦しみの中にあったか、私たちはみな、自分にも起こり得ることだと言葉を失っている。怒りが痛みを持って沸き上がるのを押さえることができない」と述べ

 激しく抗議した。また、亡くなった女性と同世代となる大学生の玉城愛さんは、「被害者の方には、私と同じように、幸せになるためこれから実現させたい夢があったと

 思います。基地がなければ事件は起っていないのではないかと思うし、これから沖縄で生きて行く1人として、人権や権利をないがしろにされ続けるのは嫌です」と

 声を詰まらせながら訴えた。団体の代表らは、基地と隣り合わせでは安全に暮らすことができないとして、全ての基地・軍隊が沖縄から撤退するよう求める要求書を

 米軍の司令官や大統領オバマなどへ送ることにしている。

 また、きのふは沖縄担当大使水上正史と沖縄防衛局長井上一徳がうるま市役所を訪れ、うるま市長島袋俊夫に「おわび申し上げる。再発防止徹底に努めたい」と謝罪した。

 市長の島袋は、目に涙を浮かべて時折声を詰まらせながら、「心から安心して住める町づくりが行政の務めであり、国の務めでもある。安全、安心な町づくりの確保を

 強く求めたい」と強く抗議した。

 面談は重苦しい雰囲気の中続いた。水上は終始うつむきながら、「われわれもやるせない思いだ」と話した。市長はこれまでにも米軍関係の事件発生後、再発防止の徹底を

 政府に求めてきたことに触れ、「こういった事件がいつまでも続くことが異常だ」と強く非難し、日米地位協定の改定を求めた。

 大使水上らはこれに対し返答せず、沈黙が続いた。さらに市長は「うるま市に魅力を感じて来てもらった若い、将来のある女性だったが、最悪の結果になってしまった。

 家族や知人、関係者の気持ちを考えると大変忍びない」と述べ、再発防止徹底を訴えた。

 うるま市の女性会社員(20)が遺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された与那原町の米国籍の米軍属、シンザト・ケネフ・フランクリン(32)が

 「女性をナイフで刺して殺した」「強姦した」と殺害と性的暴行を認める供述をしていることが、わかった。シンザトは調べに「女性をレイプした」と話したほか、

 「棒で頭を殴り、乗用車に連れ込んだ」、「ナイフで刺して殺した」などと供述。遺体を運んで遺棄したことも認めたという。

 また、シンザトの携帯電話には、女性のスマートフォンの画面を撮影した画像が残っていた。この女性のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の画像を

 表示させたもので、県警は女性と接触した重要な証拠とみている。スマホは見つかっていないという。

 ♪白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
悲しかった あの時の あの 白い花だよ

 白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰 さよならと 云ったら 木霊がさよならと 呼んでいた
淋しかった あの時の あの 白い雲だよ

 白い月が ないてた ふるさとの 丘の木立に さよならと 云ったら 泪の眸でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の あの 白い月だよ
     昭和25年 白い花の咲く頃 作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、一昨年暮れ12月の14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率に象徴されるように、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党にもあったのは今さら言うまでもない。

 沖縄県知事翁長は、米軍属による女性遺棄事件の対応を巡り、首相安倍と23日午前に官邸で会談する。翁長は23日に開かれる政府の沖縄振興審議会に出席するため

 上京することを踏まえた。官房長官菅はきのふの会見で「事件について県の考え方もあるだろう。しっかりと調整したい」と述べ、会談は事件への対応や県側の要望を

 聞くことが中心との認識を示した。また、外相岸田は、5月下旬の日米首脳会談で事件を巡る問題を取り上げるかを問われ「米国から誠意ある対応を引き出すよう

 求めないといけない」と述べた。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設計画の断念を求め、市民団体が呼び掛けた「レジスタンス大行動」が、けふ霞ヶ関の警視庁・警察庁前と国交省・海上保安庁前で開かれた。

 集会は当初、名護市辺野古の新基地建設現場での警視庁機動隊や海上保安庁の過剰警備に抗議する趣旨だったが、米軍属女性死体遺棄事件を受けて憤りの声が多く上がった。

 登壇者が事件について「基地を許すわけにはいかない」、「全基地撤去が必要だ」と声を上げると、事件を思い目頭を押さえる参加者の姿もあった。

 東京都知事舛添の政治資金をめぐる問題で、地方創生相石破茂はきのふ、TBSの番組収録で「納税者に負担を求める資格があるかが問われている」と指摘した。

 さらに「間違っていた、ごめんなさいと言う勇気も必要かもしれない」とも述べた。

 石破は都知事選の際、舛添の応援演説をしていた。だが、この日は「法的にちゃんとしていればいいということではない。この人なら委ねられると期待した部分に

 応えられるか」と語り、「信頼を回復するため、これ以上ない努力が必要だ」と苦言を呈した。一方、公明党の幹事長の井上義久もきのふの会見で「政治家の資質が

 問われるから、十分理解できる説明責任を果たしていただくことが重要だ」と。

 ♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

    呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 江戸東京。都知事舛添要一の政治資金の使途をめぐり、次々と出る疑惑に「公私混同だ」との批判がやまない。

 2時間15分で、「第三者」という言葉を発した回数は40回以上。きのふの会見で舛添は、前回13日の会見から一転、ほとんど笑みも浮かべず、繰り返し頭を下げ続けた。

 しかし、疑惑についての具体的な説明はなく、都民の批判は高まる一方だ。

 政治資金の使途をめぐる「公私混同」の批判を受けて、自ら再説明すると宣言して臨んだ会見。購入した美術品の保管場所は、自宅内においた事務所への「家賃」支払いは?。

 新たな疑惑への質問が相次いだが、舛添の回答は、ほとんどが「第三者の厳しい公正な目に任せたい」。自身の言葉での説明はなかった。舛添は、一連の政治資金を巡る

 問題について、きのふ先週に続き、釈明の会見。この中で、家族の宿泊代を支出したホテルで開いたとされる会議の実態やインターネットのオークションなどを通じて

 購入した美術品の活用方法など政治資金を巡るさまざまな疑念について質問が相次いだが、舛添は、弁護士など外部の専門家に調査を委ねるとして、具体的な説明は一切、

 しなかった。舛添に対しては、政治資金の使い方だけでなく、高額な海外出張費や公用車で別荘に行っていた問題についても、都民から批判の声が相次いでいて、これまでに

 都庁に寄せられた電話やメールなどは1万3000件に上っているという。舛添は弁護士などによる調査の結果をできるだけ早く公表したいとしているが、法的な問題の

   検証だけでなく、公私混同だという疑念に対して今後、どのように答えるのか、説明責任が問われる。

 都民の信頼が得られない状態で知事を続けたいと言っても、都政が停滞しかねない。そもそも6月の都議会までに十分な調査ができるのか、疑問だ。

   ♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊

 三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧

 鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
        1980年  風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎  作曲:船村 徹

 熊本。熊本県を中心とした一連の地震の発生から1カ月が過ぎた。

 地震で水位が下がり、底が露出していた熊本市中央区の水前寺成趣園(じょうじゅえん)(通称・水前寺公園)の池で、けふ湧き水が元に戻るように願って、「大掃除」作戦が

 行われた。地元の人や県内外のボランティアら500人が参加した。参加者は、お祓いの後、池に入ってスコップなどで砂利を上げ、池の外に出す作業をした。

 管理する出水神社によると、底にある砂利を上げればきれいな湧き水がかつてのように出るかもしれない、との願いを込めた。

 地震後、水位は雨の影響で一時は戻ったが、再び下がりつつあるという。参加したボランティアガイドの会「くまもとよかとこ案内人の会」の会長吉村徹夫さん(66)は

 「水の都、熊本の心のふるさとである風景を取り戻したい」。建設会社の同僚たちと参加した兵庫県西宮市の渡辺勇作さん(51)は「地域の人たちの憩いの場所を

 増やすためにがんばりたい」と。

 地震の被災地に「ふるさと納税」の寄付が続々と届いている。熊本県はきのふ、地震発生後1カ月間の受付額が前年度1年間の24倍を超える22億8千万円に達したと発表した。

 被災した県内の市町村も前年度を上回るペースで、新たな被災地支援の方法として注目されている。

 熊本県内8市町村に新聞朝日が5月16日時点で把握している今年度の状況を尋ねると、南阿蘇村では前年度の5倍近い1億6700万円、嘉島町でも前年度の21倍の

 2840万円が4月中に寄せられていた。

 中でもインターネット上のふるさと納税仲介サイトを活用する例が目立った。被災自治体への寄付者には、自治体の「返礼品」を不要と申し出る人が多いという。

 「ふるさと納税が災害時の支援に活用できる仕組みとして広まりつつある」、と仲介サイト「ふるさとチョイス」の広報担当はいう。

 地震の被災地で奔走する公務員の中には、自らも住まいを失った被災者がいる。避難所暮らしの家族とほとんど顔を合わさず、被災者と向き合う日々も1カ月を過ぎた。

 まだ自らの暮らしさえ見通せないままだが、「大好きな町に尽くしたい」と気力を振り絞る。

 2度目の震度7が襲った4月16日未明、益城町政策推進課係長の吉川博文さん(53)は避難所の町立広安西小の体育館にいた。入り口で不審者が出入りしないか

 目を光らせる警備の担当だった。ドン。激しい揺れに、備え付けの下駄箱を握って耐えた。

 町内の自宅は、4月14日の震度7で、家具が倒れ家の中がめちゃくちゃになった。けがはしなかったが、妻と長女は、被害の小さかった菊陽町の妻の実家に避難した。

 普段は行政の効率化を担当している吉川さんの仕事は一変した。避難所で物資を配布したり清掃をしたり。夜間も交代で避難所の警備がある。食事は配給が余った時だけ。

 1週間は着替えもできず、車の中で1日4時間だけ眠る車中泊が続いた。2度目の震度7から数日後、30分間だけ避難所を離れる許可を得て、自宅を見に行った。

 15年前に建てた木造2階建て。懐中電灯で照らすと、基礎がむき出しになり、全体が傾いていた。今月16日、地震後初めて休みを取り、妻と一緒に自宅に向かった。

 地震保険に関する保険会社の調査で、結果は「全損(全壊)」。住宅ローンも残っており、保険金を受領しても、支出は避けられない。それでも吉川さんは「大好きな町に

 尽くそうと職員になった。住民と共に復興に向かいたい」。

 南阿蘇村総務課係長の古沢祐一さん(41)は4月16日の地震で、自宅アパートのすぐ近くで崖崩れが起き、敷地ごと崩落する危険性が高まったため、避難所暮らしになった。

 妻(41)と長女(13)、長男(11)、次女(8)は大雨による避難指示などで避難所を3回移り、古沢さんは4月16日の地震の直後から2週間、災害対策本部の

 置かれた村役場で寝泊まりした。救助活動や物資の手配などに追われ、机の横に椅子を並べて仮眠し、電話が鳴ると跳び起きた。

 「大変なのは皆同じ。仕事を失った村民もいる。自分は働けている分、幸せだ」と気持ちを奮い立たせた。5月に入ると、県内外の自治体から職員が派遣され、日常業務

 (村の財産管理)につく時間も確保できるようになった。しかし今も、週2回ほど避難所に泊まり込み、住民の対応に当たる。避難所の仕事がない夜は、家族のいる別の避難所で

 眠る日々だ。自宅アパートは取り壊される見通しになり、新たな住居も見つかっていない。「避難者が一人でも多く元の生活に戻れるように頑張りたい」。家族のためにも

 そう思う。

 ♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる

 捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音

 熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ  せめてあの娘に つたえてよ
     昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生

 米国。ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)の上級部長(軍縮・不拡散担当ウルフソル)は、日本の使用済み核燃料再処理を容認した日米原子力協定の

 効力延長について「大きな議論を呼ぶ問題になる可能性がある」と指摘、日本が核燃料サイクル政策を見直すなら「米国は支持する」と述べた。

 核物質プルトニウムを大量に生産する日本の再処理事業に対する米政府の懸念が改めて裏付けられた。現在の日米協定の期限は2018年。米国内では協定改定を求める

 意見も出ており、期限前に問題提起する思惑もありそうだ。

 秋田。今朝7時ごろ、鹿角市十和田大湯の山林で、クマに襲われたとみられる高齢の男の遺体が見つかった。

 遺体の顔面と左半身に多くの爪痕やかみ跡があるという。県警によると、鹿角市十和田大湯の高瀬佐市さん(79)が、きのふの朝から車でタケノコ採りに出かけたまま、

 帰宅予定だった夕方になっても戻らないため、家族が昨夜、警察に通報。今朝から県警などが捜索していた。遺体は高瀬さんの車から100m離れた山の中で見つかった。

 イラク。政治混乱の続く首都バグダッドで20日、改革を求めるデモ隊数千人が、政府施設が集まり警戒の厳重な旧米軍管理区域(グリーンゾーン)に入り、首相府にも突入した。

 治安部隊が発砲し、けが人が出たもようだ。首相アバディが首相府にいたかどうかは不明。AP通信などが伝えた。

 デモ隊は数時間後、グリーンゾーンから撤退した。イラク政府は夜間外出禁止令を発令したが、すぐに解除した。バグダッドでは4月30日、イスラム教シーア派指導者の

 サドル師率いるデモ隊がグリーンゾーンに入った。政治改革を要求しアバディが約束したが、議会の招集すらできていない。

   ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある

 なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
            昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 高知。一昨日の夜8時55分頃、北川村野友甲の観光施設「北川村『モネの庭』マルモッタン」内のカフェ「モネの家」から出火した。

 鉄筋コンクリート2階建て延べ400平方mを全焼した。けが人はおらず、園内の植物などに被害はなかったという。出火したカフェ「モネの家」は、印象派の画家

 クロード・モネが暮らした家の台所をモチーフにしたデザインで、地元の食材を使ったメニューが観光客の人気を集めている。カフェの営業時間は午後5時までで、

 19日は午後6時頃に従業員が帰宅していたという。第一発見者の庭園管理責任者によると、園内で作業していた19日午後9時頃、「ドン」という大きな音が数回し、

 音のした方向に向かうと、オレンジの炎が高さ3mも上がっていた。手の付けようがない状態だったといい、急いで119番したという。

 施設はけふ21日は臨時休園し、明日22日からはカフェなどを除いて通常営業する。運営会社「きたがわジャルダン」の社長を務める副村長鈴木康正は「村の重要な

 観光資源である施設で、庭が見頃を迎えているだけに、大勢の人にご迷惑とご心配をかけ、非常に申し訳なく思う」と。

 宮崎。今朝5時半ごろ、都城市の兒島正道さん(87)の住宅から火が出て、2時間半後に消し止められたが、2階建ての住宅1棟が全焼した。

 この火事、焼け跡から2人が遺体で見つかったという。住宅には、兒島さんと88歳の妻、それに54歳の娘の合わせて3人が住んでいたが、火事のあと、いずれも

 連絡が取れなくなっているということで、警察と消防が確認を急いでいる。現場はJR日豊線の五十市駅から南に2キロほど離れた住宅が点在するところ。

 台湾。民主進歩党(民進党)の新総統蔡英文は20日の就任演説で、中台は不可分の領土だとする「一つの中国」原則に言及せず、中国による同原則の受け入れ要求を

 事実上拒む姿勢を示した。同原則を認めて交流を進めた国民党前政権の対中融和路線からの転換を鮮明にした。

 民進党を「独立派」と批判する中国が公式対話に応じる見通しは当面なく、前政権下で接近した中台関係の一定の冷却化は避けられない情勢だ。

 中国・習近平指導部は今後の言動を慎重に見極めていく方針を示した。

 ♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
       昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村

 富山。富山市のイタイイタイ病の患者団体「イタイイタイ病対策協議会」(会長高木勲)が、結成から50周年となる11月に記念誌を刊行する。

 半世紀にわたる患者らの苦難の歴史やその救済運動を振り返り、「公害という人災を繰り返さない一助にしてほしい」という。イ病をめぐっては1968年、当時の

 厚生省が国内初の公害病として認定。患者らは原因企業の三井金属を相手取って富山地裁に起こした訴訟で71年に勝訴。72年に二審・名古屋高裁金沢支部で確定した。

 2013年には三井金属との「全面解決」に合意した。

 これらの訴訟で中心的な役割を果たした対策協議会は、1966年11月14日に結成された。以来、50年に及ぶ活動をたどる今回の記念誌では、イ病訴訟の元原告や

 弁護団、患者らを支援してきた医師や研究者、報道関係者ら40人前後に執筆してもらう。

 45年前、二審の金沢での口頭弁論や原告団長の小松義久さん、痛い痛いと訴えた患者らの面倒を見、最初にイ病を発見した婦負郡婦中町(現 富山市)の萩野昇医師らを

 取材しただけに感慨深いものがある。そのあとは、血液製剤キノホルムによるスモン病だった。

 福井。外交官・故杉原千畝の「命のビザ」で救われたユダヤ難民らを調査している東京在住のフリーライター北出明さん(72)が、杉原がリトアニアで領事館の閉鎖前後の

 極めてぎりぎりの時期に発給したビザと、それを所持するスギハラ・サバイバー(生存者)を米国で見つけた。

 1人でも多くの難民を救おうとした杉原の強い覚悟を物語る史料で、世界記憶遺産登録に向け貴重な“証拠”の一つとして、19日に国連教育科学文化機関(ユネスコ)

 国内委員会にビザのコピーが提出された。

 領事代理だった杉原は、1940年7月中旬から日本の通過ビザの発給を始め、8月末ごろにソ連の命令で領事館が閉鎖となった後も、9月5日にベルリンへたつ間際まで

 発給を続けたとされる。これにより6千人がナチス・ドイツの迫害から逃れ、シベリア鉄道を経てソ連・ウラジオストクから船で福井の敦賀港に上陸した。

 「40年8月29日」の日付が記されたビザを持っていたのは、米ニューヨーク州に住むジェリー・シュモイスさん(92)。ワルシャワに住んでいたシュモイスさんは、

 両親とともにリトアニアとの国境へ逃れた。杉原からのビザを手にした後、41年1月中旬にシベリア鉄道に乗り込み、2月24日に敦賀に到着。すぐに神戸に移り

 1カ月余りを過ごし、その間は京都や鎌倉の観光も楽しんだという。4月下旬に横浜からサンフランシスコに向かった。シュモイスさんは、日本での生活やその後の米国での

 人生を静かに北出さんに語り、杉原と日本への感謝を伝えたという。

 北出さんは、かつての上司がウラジオ~敦賀間の難民の移送に関わっていた縁から、難民らの消息をたどっている。これまで十数人のサバイバーや難民の家族を見つけ出し、

 シュモイスさんのことは今年3月下旬~4月上旬の米国での調査活動で確認した。

 領事館を閉鎖した日ははっきりしておらず、8月28日から9月初めごろとみられている。一部では8月28日とも言われており、今回の8月29日の日付が入った

 シュモイスさんのビザは、領事館外での発給という杉原の執念に満ちた行動を裏付ける史料の可能性もある。北出さんは「領事館閉鎖後は滞在していたホテルでも

 発給しており、今回のビザは杉原の強い覚悟を示すもの。彼の勇気ある行動はもちろんとても尊いが、それを支えた日本人や他の国の人たちがいたことも知ってほしい」。

 能登。昨夜、11時50分頃、七尾市白馬町の西川績さん(77)の納屋と住宅、火事があり、西川さんの家に隣接する木造平屋建ての納屋を全焼。西川さんと妻が住む

 木造2階建ての住宅を半焼し、3時間半後に消し止められた。西川さんは逃げ出す際、手の指などに軽いやけどを負った。妻にけがなどはなかった。納屋には薪ストーブがあり、

 出火当時、火が付いた状態だったという。警察と消防では、今9時半から実況見分を行い、詳しい出火原因を調べている。

 国の文化審議会は、きのふ門前町(輪島市)黒島町の「旧角海(かどみ)家住宅」5棟を重要文化財に指定するよう文科相に答申した。

 指定されれば、県内の重文(建造物)は44件となる。旧角海家住宅は木造の主屋が明治前期、土蔵造りの家財蔵と小豆蔵が同中期、塩物蔵と米蔵が同後期に建てられたとみられる。

 江戸~明治中期に北前船で栄えた黒島地区の代表的な廻船問屋住宅で、主屋は一部2階建て330平方m。明かりを採る中庭を座敷や茶の間がコの字に囲む「ミツボガコイ」と

 呼ばれる間取りは、全国でも黒島地区のみという。

 2007年の能登半島地震で被害を受け、08年に市へ寄贈、11年に復元された。県有形文化財に指定されているほか、09年に国重要伝統的建造物群保存地区に

 選定された黒島地区の核となる建物として、現在も公開されている。

 金沢。きのふの午前10時半頃、金沢市天神町1丁目の市道で、バイクが道路を歩いて横断してきた御婆さんをはねた。

 はねられたのは金沢市田井町に住む本多恭子さん(82)で、頭を強く打ち、1時間後に死亡した。バイクを運転していたのは金沢美術工芸大学の教授城崎英明(58)で、

 通勤の途中だったという。現場は見通しの良い片側1車線の直線道路だったが、横断歩道や信号機の無い場所で、警察は詳しい事故の原因を調べている。

 金沢大学の60代の教授が、女子学生に対しセクハラの行為を行ったとして、20日付で懲戒解雇の処分を受けた。

 60代の男の教授は一昨年の8月頃から去年5月にかけて、指導する女子学生2人に対しセクハラとパワハラ行為を繰り返していたという。去年5月に女子学生から

 大学側が相談を受けたことで問題が発覚し、調査の結果を受け学内のハラスメント防止委員会がセクハラを認定、20日付で懲戒解雇の処分とした。この教授は女子学生に

 対して、これまで謝罪や反省の態度を示していないという。会見で金沢大学は、被害者保護の観点からセクハラの具体的な行為や、教授の名前を公表できないとの主張を

 繰り返した。金沢大学が法人化された2004年以降、ハラスメント行為による懲戒解雇処分は初めてだ。

 加賀。若い衆の進軍ラッパに先導され、豪華絢爛な台車やみこしが港町を勇壮に練り歩く、美川地区(白山市)の「おかえり祭り」が始まった。

 800年以上の歴史がある「おかえり祭り」は美川地区・藤塚神社の春祭りで、午前6時から美川校下青年団による紋付き袴姿のラッパ隊がみこしを先導し、かつて

 北前船の寄港地として繁栄を極めた港町を勇ましく練り歩いた。伝統工芸「美川仏壇」の技術の粋を結集した豪華絢爛な台車13台や、おかえり獅子も町内を練り歩き、

 祭りを盛り上げた。美川の初夏を彩る「おかえり祭り」は明日22日深夜まで行なわれ、美川の町は祭り一色だ。

 JA小松市労働組合は熊本地震の被災地支援のため、熊本県益城町産のスイカを260玉購入した。

 熊本県と小松市は同じトマトの特産地。組合の委員長東出達哉さん(39)は「災害があればお互いさま。復興の助けになれば」と話す。支援は、被災地の農家が

 ビニールハウスで避難生活を送りながら農作物の出荷作業に追われている状況を知ったのがきっかけ。農家や現地のJAを支援したいと、組合員が積み立てた組合費で

 特に被害の大きかった益城町産の農作物の購入を決めた。

 購入した益城町産のスイカはこの時期が出荷最盛期の小ぶりなスイカ。組合の人数分を輸送費込み35万円で購入した。労組が今月中旬に電話で同町産スイカを扱う

 JAかみましき(熊本県甲佐町)に購入の意向を伝えると、感謝の言葉が返ってきたという。

 第一陣として、きのふ、130玉のスイカを載せたトラックがJA小松市営農センター(小松市上小松町)に到着。組合役員6人が荷受けをし、各支店の担当者が人数分の

 スイカを持ち帰った。23日には残りのスイカも到着予定。東出さんは、届いたスイカを早速食べ「実がしっかり詰まっていて甘くておいしい」と笑顔。「これからも

 熊本県産品を見つけたら買って支援したい」と話す。

 Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 苦しいこともあるだろう。
 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
                 山本五十六 「男の修行」

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。

 回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 早くも皐月21日。月半ばを過ぎた。

 午後も暑くなってきた。散歩はいつものコース、たかみ公園横のらとの音を聞きつつ、バス通りを渡ってなかの公園手前から神社の辺りを一回りした。ペンキ屋さんの前で

 「コンニチワ」、「一日二回歩いているのか」、「ハイ、先日よく似た人がいましたが、御兄弟ですか」、「そうや、彼は弟で、二丁目に居る」。玄関先にシャクヤクが

 咲いている京堂さんちの前から、コンビニの裏通り経由で帰還。修平君ちのこいのぼり、風が出てきたので、泳いでいた。

 この後三時から、特老ホームの理事会で、田上へ行ってきた。山側環状は、相変わらず渋滞していた。帰路は、小立野経由で帰還す。

   うちなー、うるま市の強姦殺人事件は何ともむごい。老いドンはベトナム戦争のころから都合6回沖縄へ行っているが、昔も今も同じことの繰り返しだ、確かに

   米軍基地がある限り、事件は無くなるとは思えない。

 一服した後は、短いコースで一回りした。バス通りの四つ角では、畑におられた和田さんに会い「ご苦労様」、「(無臭ニンニクの茎)そこに新聞紙に来るんであるので

 持って行って」と。深謝して、橋本さんちの小路から松本先生宅の四つ角を過ぎたところで、裏の山下さんの奥さんと話しておられたので「コンニチワ、お久しぶりです」、

 そうこうしているうちに奥さんが手にエンドウをもいで来られて「上げます」と畑へ案内されて、一掴みほど戴いてきた。夫妻は熊本出身で、親族もかなりひどい震災に

 あったとか。奥様曰く、旦那は家の鍵をなくして、落ち込んでいたが、探したら車のシートの下で見つかりホッとしたそうな。いやはやいろいろあるわい。

 元社の同僚の玉ちゃんから。お久しぶりです。相変わらず病院通い、首手術しても思ったほど良くならず、手の痺れも拡大している感じ。それに1月、目の手術しましたが

 視力回復ままならず苦労、ゴルフもできなくなってしまいました。そんなこんなですが、今は孫の学童バレーに精力的に取り組んで病を吹き飛ばそうと頑張っています、なんて便り。

 そうか、それは不便だ。松任の安田君同様に、何とかしてよくなって欲しいなぁ。

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
             唐代の詩人 劉 希夷(651~678)

 だっておやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
 おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
                   立原道造「眠りの誘ひ」から

 隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬 
            箕面市 藤堂俊英

 漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
          松尾芭蕉  山中温泉にて

 水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
          萩野浩基

 能登はやさし海の底まで小春凪
         東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。

 九条を骨抜きにする多数決
         小松市 妻木義山

 trust me.
 I Have a Dream

                 2016年 5月21日(ふ)

・∴・--------------------------------------------------
■ご感想はこちらへ。


【戻る】

日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】

【気象情報】

積雪情報などは【金沢地方気象台】

回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊