本土復帰44年 基地負担軽減の見通し立たず 沖縄
2016年、皐月5月15日、晴れ、金沢の最高気温は27度。朝日がまぶしい。
今朝の散歩は何時ものコースで、寺の方向へ。道路脇、境内のツツジはもう終わりで、アジサイは間もなくだ。寺津用水は、水の量は少なく流れも遅かった。
体育館駐車場では15台が駐車していて、コートからは時折、ラケットの音がした。通りには相変わらず石川ナンバーの軽4が駐車してあった。バス通りを横切って四つ角を左折。
涌波からの親父さんが来ていて、「お早うございます」、「虫に食われたのか、サクラの木は枯れてしまった」草を退治するのに除草剤を撒いていた。そこへ、何時もの夫妻が
柴犬連れて通り過ぎて「お早うございます」。角から2軒目のお宅の赤白のセージや槌田さんちの深紅の七輪のバラが今朝も待っていてくれた。四つ角の西さんは草むしり中で
「お早うございます」。右手の畑には、永安町の浦川さんと相棒の爺さんが畑で肥やしを撒いていたので「お早うございます」。洋菓子屋さんの隣の畑から、一仕事終った
山市さんが目に入り「お早うございます」の合図をしたが気が付かず家に戻って行かれた。洋菓子屋さんの庭、ヤマボウシが咲き始めていた。Dr小坂、宇野さんはお休みか。
車が鎮座していた。なかの公園の手前を右折し、神社の方向へ。ペンキ屋さんの生垣のツツジはようやく色が褪せ、小さいバラが咲いていた。徳田さん、谷口の御婆さんちの
テッセンは見事だ。田畑さんはまだだ。湯原さんちの花壇は、相変わらずピンクのハマナスなどいろいろな花が咲いていた。土室さんちのオダマキやカキツバタも見事だ。
坂本さんちの夏椿、ピンクの高根バラもいい。松本さんちのブルーベリーの花に、白のオダマキなどを見つつ、左折。京堂さんち庭の濃紺のテッセンもいい。バス通りを渡って、
コンビニの裏通りから帰還へ。家の前で、清掃されていた北さんに「お早うございます、早いね」、ワンちゃんが20日前に亡くなったそうだ。時々会うのだが、コンビニへ
新聞を買いに来る親父さんに会い「お早うございます」。北さんちの四つ角を過ぎると、ダンプのひょっとこ丸は出られた後だった。道心の四つ角を過ぎて、修平さんち、
こいのぼりは、泳ぐというより、ゆらり、ゆらりしていた。やはり風があって何ぼだと思う。
瀬戸さんちの畑、エンドウの白紫の花が美しく実も大きくなっていた。
このあと小屋に戻って、緑茶。朝飯の後、カフェを立てて、時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。
群馬。下仁田町の荒船山(1423m)で、登山していた69歳の男と連絡が取れなくなり、警察などは男が遭難したとみて捜索している。
行方不明となっているのは茨城県結城市に住む69歳の男で、きのふ14日、所属するハイキングクラブに群馬県下仁田町の荒船山に登ると伝えていた。
ところが、一夜明けても連絡が取れないことから、ハイキングクラブの関係者が今朝9時半ごろ、下仁田町の交番に通報した。警察は男が遭難したとみて、群馬県の
防災ヘリコプターなどとともに荒船山の周辺を捜索している。荒船山は、妙義荒船佐久高原国定公園になっている。
沖縄。沖縄が本土に復帰してから、けふ15日で44年となる。
沖縄の経済は観光業を中心に成長を続け、基地関連の収入に依存する割合は復帰直後に比べて大幅に低下しているが、在日米軍基地の多くが今も集中したままで、
基地負担の軽減に向けた見通しは立っていない。
沖縄への変わらぬ基地集中は、構造的差別の実態を露呈させ、民主主義や自己決定権の在り方をも全国に問うている。
一昨日の13日から5・15平和行進が始まり、参加者は辺野古新基地建設反対や憲法改悪の阻止などを訴えた。2日目のきのふ14日も、市街地の中心に位置する
普天間飛行場などの周辺を行進した。けふ15日は正午から「復帰44年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が那覇市の新都心公園で、主催者発表で2500人が参加して開催された。
沖縄本島各地を巡った平和行進3コースの参加者らが集結し、米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をはじめとする米軍基地の強化などに反対する宣言文を
採択した。宣言文は沖縄復帰について「(基地の)『即時無条件全面返還、平和な島・沖縄』を強く望んだ復帰の思いとは裏腹に、日米安保条約により米軍基地が
居座り続けた」と指摘し、日米地位協定の改定などを求めている。
沖縄は、戦後、27年にわたって米国の統治下に置かれ、44年前の昭和47年5月15日に本土に復帰した。復帰後、沖縄の経済は観光業を中心に成長し、昨年度の
観光客数は過去最高の793万人と復帰直後の14倍となった。沖縄県などによると、県内総生産は復帰直後と平成25年度を比べると8.7倍に拡大し、基地関連の
収入に依存する割合は15.5%から5.1%に大幅に低下した。一方で、基地の返還は進まず、今も在日米軍の専用施設の74%が集中している。
日米両政府が20年前に合意した普天間基地の返還も、同じ沖縄県内の名護市辺野古への移設に沖縄県が強く反発し、国と裁判で争う事態にまでなった。今年3月、
和解が成立して国と沖縄県が円満な解決に向けて協議を行うことになったが、双方の主張は対立したまま。また、普天間基地以外の返還計画についても、多くが県内移設が
条件となっていることなどから県や関係自治体との調整が難航していて、基地負担の軽減に向けた見通しは立っていない。
沖縄が本土に復帰して44年だが、沖縄県内では71年前の沖縄戦で使われた不発弾の発見が相次ぎ、復帰から44年となるけふも浦添市で不発弾の処理が行われた。
沖縄県内にはまだ2000トンの不発弾が残っていると推計され、処理が終わるまでには70年ほどかかるとみられている。浦添市で、けふ処理される不発弾は、今年3月、
市内の工事現場で見つかった長さ50センチ、重さ35キロの艦砲弾で、71年前の沖縄戦で、米軍が使ったものとみられている。処理作業はけふ午前10時から、
周辺の住民500人を避難させ、沖縄本島で特に交通量が多い国道58号線も一部区間が通行止めになった。復帰後まもない昭和49年に那覇市で不発弾が爆発し、
3歳の女の子を含む4人が死亡するなど、不発弾が爆発する事故がたびたび起きいる。このため、国や沖縄県が協議会を設置して地中に埋まっている不発弾を探査する
事業を進め、復帰から平成26年度までに処理された不発弾は1968トンに上る。しかし、沖縄県内にはまだ2000トンの不発弾が残っていると推計されていて、
すべての処理を終えるまでにさらに70年ほどかかるとみられている。
熊本。地震発生から最大震度7の激しい揺れを2度観測した地震の発生から、きのふで1か月となった。
地震による死者は49人、安否不明が1人。ほかに19人について関連死の可能性があるとしている。住宅被害は8万657棟にのぼる。電気、ガスは
県内全域で4月中に回復したが、益城(ましき)町や西原村など2町2村の3千世帯で断水が続いている。
熊本市役所では、きのふ職員らが犠牲者へ黙とうをささげ、早期の復興を誓った。被災地ではこの日、繁華街のデパートが営業を一部再開。仮設住宅の建設が本格化するなど、
生活再建への歩みを進めている。
地震で甚大な被害の出た南阿蘇村は、避難所で生活を送る高齢者らがいる世帯を観光ホテルなどに移動させるいわゆる「二次避難」を始めた。
南阿蘇村では、今も600人が中学校の体育館などの避難所で生活している。長引く避難で体調を崩す人も出ていることから、村は高齢者や妊婦がいる家族を観光ホテルや
コテージなど村にある6つの宿泊施設に移動させる二次避難を始めた。二次避難する住民は「部屋部屋でテレビもあるし、温泉もあるから、ここよりは楽じゃないか」。
村は今後、さらに対象を広げていきたいとしている。
江戸東京。台東区にある浅草神社で、行われている例大祭、「三社祭」は、最終日のけふ15日、「宮出し」が行われた。
「宮出し」は、神社に奉納されている3基の「本社神輿」を担ぎ出す「三社祭」最大の見せ場で、今朝6時ごろ、一本締めを合図に氏子たちが重さ1トンほどの神輿3基を
一斉に担ぎ、笛や太鼓の音とともに、「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかけながら、境内を回った。神輿が観光名所の仲見世通りや雷門を通って街に繰り出すと、
詰めかけた大勢の人たちが拍手をしたり、写真を撮ったりして、鎌倉時代に始まったと言われている歴史ある祭りを楽しんでいた。茨城県から訪れた70代の女性は「宮出しを
見るために来ました。勢いがあるすばらしい祭りで元気が出ました」。神輿は、地元の町内会を順番に練り歩き、午後8時ごろに、神輿を神社に戻す「宮入り」が行われ、
浅草の街はけふ1日、祭りのにぎわいが続く。
京都。京都三大祭りの一つ、葵祭が、京都市で催され、平安装束に身を包んだ優雅な行列が、新緑の都大路を練り歩いた。
多くの観光客が沿道で見入った。700mに及ぶ行列は午前10時半すぎ、京都御所を出発。フタバアオイの葉を飾った武官や女官役の男女500人、牛や馬40頭、
牛車などが下鴨神社を経て、上賀茂神社まで8キロを王朝絵巻さながらの様子で歩いた。
祭りのヒロイン「斎王代」を務めるのは京都の老舗漆器店「象彦」社員の西村和香さん(26)。母(53)と叔母2人も過去に斎王代だった。
♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
哀しみは 島わる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で、沖縄が本土復帰し44年を迎えたけふ5月15日。ゲート前には、新基地建設に反対する市民50人が座り込みを続けた。
郵便局の退職者でつくる「沖縄郵政OB・OGの会」の男(77)は、「米軍基地がそのまま残る復帰は、我々が望んだ復帰ではなかった。複雑な気持ちは今も変わらない」と
あいさつ。「辺野古の警備に使う金は私たちの税金。熊本や東北の復興、貧困対策に役立てるべきだ」と、新基地建設を進める政府を批判した。午前10時半過ぎ、
うるま市(旧 具志川市 石川市 勝連町 与那城町)の60代の男が訪れ、千円カンパした。「日当なんてあるわけないさ。みんなで支えないと大変よ」。
去年から毎月続けているそうだ。座り込みは679日目。
米統治下初の公選主席で、復帰後最初の知事を務めた屋良朝苗(1902〜97)の生涯を描いた創作劇「沖縄偉人劇 屋良朝苗物語−一条の光を求めて」
(同実行委員会主催)が復帰44年を前にした、きのふ那覇市民会館で再演された。
復帰に伴うさまざまな課題に直面し、日米両政府と県民との板挟みとなった屋良の苦悩を描いた。演じたのは県内全域の中高生30人。那覇市青少年舞台プログラム、
現代版組踊「北山の風」のメンバーも出演した。敗戦直後の写真、復帰に向けた動きを伝える新聞などの上映を交え、生徒たちが屋良や米当局担当者らを熱演した。
主演(屋良朝苗役)の球陽高3年の知花杏樹さんは「劇を通して沖縄の激動の時代を知った。今につながるさまざまな問題を、自分のこととして捉えられるようになったと
思う」と話し、来場者に感謝した。
名護市辺野古の新基地建設に伴う陸上、海上の民間警備費が2014年6月〜16年12月の2年半で少なくとも159億円に上ることが分かった。
日数で割ると1日2千万円を超える期間もあった。一般競争入札には毎回、陸上、海上で各1社だけが参加していて、落札率は軒並み99%を超えている。
沖縄タイムスは業務を発注する沖縄防衛局に警備費の総額、99%超の高落札率に対する見解を照会したが、回答はない。警備費は資料が公表されていない期間があるため、
実際にはもっと膨らむ。 キャンプ・シュワブゲート前を中心とした陸上の警備業務は綜合警備保障(ALSOK、東京)、辺野古沖の海上はライジングサンセキュリティー
サービス(東京)が独占している。新基地工事が始まった14年当初、警備業務は大成建設(東京)が受注した工事業務に含まれ、2社に再委託されていた。
この期間の警備費は陸上が少なくとも39億円、海上が同じく40億円。その後、警備業務が独立して発注されるようになった。入札が計4回あり、陸上が19億円と15億円、
海上が23億円と20億円で契約された。落札率は99・8%、99・2%、99・5%、99・9%。1日当たりの費用が陸上900万円、海上1100万円に上る時期もあった。
自治体の元土木技師で、情報公開請求を通じて防衛局の資料を入手した北上田毅さん(70)は「全国市民オンブズマン連絡会議は、落札率95%以上は談合の疑いが
極めて強いとしている。今回のケースでは入札に1社ずつしか参加しておらず、官製談合が疑われる」と指摘している。
ライジング社は海上警備を沖縄市泡瀬のマリンセキュリティーに再委託している。
浪速大阪。在沖米軍基地の本土引き取りを考えるシンポジウム「県外移設から『県外移設』へ〜応答する人々 基地引き取り〜」(共催・沖縄に基地を押し付けない市民の会、
沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動)が、きのふ大阪府大正区の大正沖縄会館で開かれた。
長崎、福岡、大阪、新潟、東京で、在沖米軍基地を引き取る活動(引き取る行動)の参加者らが「米軍基地の押し付けという差別を解消するため、『引き取る行動』に
取り組むことが必要だ」と訴えた。全国で活動する人が一堂に会してシンポジウムを開くのは初めて。
行動を実行する本土出身者と沖縄県内外の県出身者らが発言。沖縄に基地が集中する現状について「日本本土の他の都道府県からの『県外移設』に由来する」と指摘。
米軍基地押し付けが日本人による差別だという自覚を促し、差別を解消するため行動の必要性を訴えた。発言者は「『引き取る行動』は反戦平和の活動をする人にも
覚悟を促すものだ」と指摘。県出身者は「沖縄は基地や反基地運動のための島じゃない」と訴えた。
沖縄の本土復帰から44年。読谷村出身で東京都三鷹市に住む元会社員の山内勝規さん(65)は、米軍統治下の古里で米兵とみられる黒人から渡されたビラを今も
大切に保管している。米国と日本で虐げられた者同士の連帯を呼びかける内容だった。
米軍への市民の怒りが爆発したコザ市(現沖縄市)の暴動から間もない1971年1月ごろ、市内の先輩の下宿近くを歩いていた山内さんと友人たちに、私服の黒人が
「ブラザー」と声をかけてきた。すれ違いざまにビラを渡された。
B4判ほどの大きさ。「基地内の黒人から沖縄の人びとへのアピール」と題し、上半分に日本語、下半分に英語で書かれていた。近くにある嘉手納基地の黒人米兵が
市民に向けて作ったものだと受け止めた。
〈黒人兵は、自分たちがオキナワで好かれていないのは肌の色のせいではなく、“ヤンキー”のイメージのためだということを知っています〉
沖縄がヤマトに支配されてきたのと同様の、米国での黒人差別の歴史をつづり、「私たちは同じ問題をかかえている」と訴えていた。
コザ暴動を「正当な動き」と評価し、「それ以外にヤツらをやっつける方法はない」と結んでいた。「ヤツら」とは、白人を中心とした米国の支配層を指すとみられる。
山内さんは暴動の直後に現場に駆けつけていた。ビラの文面に納得したのを覚えている。
沖縄の人々は米国の黒人差別を知っていたから、暴動の時も黒人米兵の車に手を出さなかった。黒人側もそうした配慮を感じたことが、ビラが作られた背景にあるだろうと、
山内さんは振り返る。ビラの黒人と再会することはなかった。その年に東京に出て、働き始めた。翌72年、沖縄が日本に復帰。家族ができ、定年まで懸命に働いた。
沖縄の基地負担はなお重い。時折、ビラを思い出す。米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移そうという日米両国政府。反対する沖縄。出口は見えない。
山内さんは「沖縄の人々の痛みを共有し連帯の言葉を発する人が米軍の中にもいた。ヤマトのあなたたちは何をしているのか、と問いたい」と。
沖縄の米兵を長く取材した琉球新報の前社長、高嶺朝一さん(72)は、コザ暴動の直後に現地で配られたビラを見たことがある。嘉手納基地の黒人米兵が英語の原文を
書いたのではないかと言われ、山内さんのビラと日本語文章の内容はほぼ同じだったと記憶している。勤務時間外の黒人米兵が街で配った可能性が高いとみる。
高嶺さんによると、当時は米兵が基地の外で黒人の地位向上を訴えたり、軍当局を批判したりする集会を頻繁に開いた。地元の反戦・平和運動の人たちとの交流もあった。
「当時に比べて、今は米軍が沖縄の社会から孤立していると言えるかもしれない」と話す。
《コザ暴動》1970年12月20日未明、コザ市(現沖縄市)中心部で、米兵が起こした交通事故をきっかけに数千人の人々が80台を超える米軍関係車両を焼き打ちにした。
沖縄返還は当時すでに決まっていたが、米兵によって繰り返される事件・事故や米軍の統治に対する市民の怒りが背景にあった。
♪白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
悲しかった あの時の あの 白い花だよ
白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰 さよならと 云ったら 木霊がさよならと 呼んでいた
淋しかった あの時の あの 白い雲だよ
白い月が ないてた ふるさとの 丘の木立に さよならと 云ったら 泪の眸でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の あの 白い月だよ
昭和25年 白い花の咲く頃 作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、一昨年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率に象徴されるように、衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党にもあったのは今さら言うまでもない。
憲法学者の慶応大名誉教授小林節が夏の参院選に立候補表明したことが、思わぬ波紋を呼んでいる。
徳島・高知選挙区(改選数1)に無所属の野党統一候補として立候補する予定の弁護士・大西聡の陣営は、2人の写真が並んだポスターを両県に掲示しているが、小林の
出馬表明で、公職選挙法に触れるおそれが出てきたため、ポスターを外すよう迫られ、一部を貼り替えた。同様の例は他にも起きる可能性がある。
小林は9日、参院選へ向けて政治団体を設立し、自らも比例区で立候補することを表明した。これを受け、徳島県選管は、大西を支援する政治団体に対し、2人の写真が
並んだポスターの掲示をすぐにやめるよう連絡した。
県選管によると、公選法上、立候補予定者のポスターの掲示は任期満了の半年前から禁じられている。一方、演説会の告知などの目的で、立候補予定者以外に応援弁士などを
掲載すれば、政治団体のポスターとみなされ、公示前日まで掲示できる。大西のポスターも、安全保障関連法廃止などで主張が一致する小林を応援弁士として紹介する形で
作製された。ポスターは徳島・高知両県に6千枚あり、大半がすでに掲示されていた。大西の陣営は新しいポスターを印刷し、すでに貼り替えを始めている。
総務省選挙課によると、応援弁士として紹介された人が、参院の比例区から出馬を予定する場合、立候補予定者のみのポスターと見なされ、公選法に抵触する。
応援弁士が別の選挙区から立候補するなら、その選挙区の立候補予定者のみのポスターとは判断されないという。
生活の党と山本太郎となかまたち代表小沢一郎は、一昨日、那覇市内の会合で、「(民進、共産、社民、生活が協議している)野党の共闘体制だが、なかなか本当の意味の、
お互い信頼し合った連携は必ずしもぴったりといってはいない。沖縄では衆院でも参院でも野党が力を合わせ、譲るべきは譲って大きな成果を上げているが、その他の地区では
今のところ必ずしもそうでない。「共産党は嫌いだ」とか、「社民党も考え方が違うから嫌だ」とか、「小沢一郎は嫌いだ」とか、そんなことばかり言っているわけだが、
そんなことで天下の政治を決めてはいけない。好き嫌いで政治をやられてたまるか。本当に野党が結束すれば必ず自公に勝てる。わたしは最後まで野党の大同団結を目指して
頑張りたい」と述べた。
官房副長官萩生田光一は、今朝のテレビ番組で、東京都知事の舛添要一が政治資金問題を巡り美術品などへの支出が法的に問題ないとしたことに関し、疑問を呈した。
「ちょっと違和感を覚える。政治資金で蓄財できない仕組みになっている。きちんと説明責任を果たすべきだ」と述べた。舛添を巡る今後の動向については「都議会が
チェック機能を果たす分野だ」として、推移を見守る考えを示した。
♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
江戸東京。東京都知事舛添要一に私的なホテル代を自らの政治団体から支出した疑惑が浮上。
舛添は会見で「家族と泊まった部屋で会議をした」と釈明したが、会議の参加人数の説明を拒むなど、納得を得るには遠い内容だ。政治資金収支報告書に私的な会食の支出が
含まれていたことを認め、収支報告書の訂正や返金を表明した。舛添は謝罪と同時に知事を続投する考えを示したが、これでは公私混同の疑念を抱かざるを得ない。
宿泊費や外食をめぐる問題は「週刊文春」が報じた。舛添の政治団体は参院議員だった2013年1月と議員退職後の14年1月、千葉県木更津市のホテルに23万円、
13万円を会議費として支出し、収支報告書に記載した。ところが、2度とも会議は開かれておらず、家族旅行だったと文春は指摘した。
舛添は会見で2度の宿泊はいずれも家族旅行として予約したが、参院選や東京都知事選への対応なども事務所の関係者と協議したため、政治活動として処理したと説明した。
誤解を招いたとして収支報告書を訂正し返金する考えを示したが、家族の宿泊費も含む支出をなぜ政治活動と判断したのかは疑問だ。
ホテルで開いたとする会議について、舛添は参加者数を聞かれたが「政治的な機微に関わる」として、明らかにしなかった。参加者名はおろか、人数の説明すら拒むような
対応は理解できない。舛添は前知事猪瀬直樹が5000万円のヤミ献金問題で引責辞任した後を受けて知事に就任した。
元経産相小渕優子が政治とカネをめぐる疑惑で辞任した際、舛添は「政治資金規制は厳しくなっている。説明がつかないなら、閣僚として非常に責任は重い」と批判するなど、
厳しい姿勢をみせていた。にもかかわらず、私的な会食も含めて政治資金をずさんに処理していた。参院議員時代の政治資金には税金を原資とする政党交付金まで
事実上含まれている。都知事としての行動をめぐっても、舛添は公用車で都庁などと神奈川県湯河原町の事務所兼別荘をひんぱんに行き来していたことや、海外出張の際の
旅費の高額さも批判されている。公私の区別や公金の使い方をめぐる感覚が問われていることを重く受け止めねばならない。
20年東京五輪はもちろん、超高齢化や待機児童問題など都政の課題は山積しており、停滞は許されない。舛添は「批判を真摯に受け止め、都政を運営したい」と強調した。
だが、本当に疑惑を払拭したいのであれば、まずはホテルでの会議の状況を説明すべきだ。
♪破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る 泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊
三昧が折れたら 両手を叩け バチがなければ 櫛でひけ 音の出るもの 何でも好きで
かもめ啼く声 ききながら アイヤー アイヤー 小樽 函館 苫小牧
鍋のコゲ飯 袂でかくし 抜けてきたのか 親の目を 通い妻だと 笑ったひとの
髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー 留萌 滝川 稚内
1980年 風雪ながれ旅 作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹
熊本。熊本県を中心とした一連の地震の発生からきのふ14日で1カ月となった。
被害が集中した益城町の避難所、保健福祉センターでは昨夜、子供らが手作りした追悼キャンドルが並べられた。死亡した村上ハナエさん(94)、正孝さん(61)親子の
倒壊した自宅には親族や近所の人らが集まり、手を合わせ花を供えた。町長西村博則は災害FM放送を通じ「緊急対策から生活の立て直しに取り組む段階に移っていく」と呼び掛けた。
地震の発生時刻、午後9時26分になると、各地の避難所や役場で一斉に住民らが犠牲者に黙とうをささげた。
熊本市の市長大西一史は会見で「余震が続き、震災の渦中にある。一日も早く以前の生活を取り戻せるよう全力を挙げていきたい」と強調した。
崩落した阿蘇大橋(南阿蘇村)には、安否不明の大学生大和晃さん(22)の両親が訪れ、父卓也さん(58)は「自分たちでやれることをしないと」と話した。
熊本県の避難者はきのふ14日現在で238カ所に1万312人。仮設住宅は13市町村で、1192戸の建設に着手しているが、西原村など早いところでも完成するのは
6月中旬になる。避難所は生活環境が整っておらず、プライバシーも保ちにくい。南阿蘇村では、きのふ2次避難所として村内外の5カ所の宿泊施設に高齢者らが移動を始めた。
一方、県によると、13日の集計で10万1110件の罹災証明書申請を受け付けたが、交付は29・7%の2万9993件にとどまっている。
新聞朝日は県内の避難所にいる100人に現在の状況や求める支援策などをアンケート取材をした。生活再建に向けて不安な点や行政に求める施策を尋ねると、いずれも
住宅関連が突出して多く、住まいの確保が急務となっている状況が浮かび上がった。
12、13の両日、避難者が多い益城(ましき)町、熊本市、御船町、西原村、南阿蘇村、宇城市、嘉島町の7市町村の避難所で18〜88歳の100人に聞いた。
「避難している理由」(複数回答)は「自宅が壊れて住めない」が78人で、「自宅の水道やガス、電気が止まっている」(24人)や「余震が怖い」(18人)を大きく上回った。
避難所を出た後の当面の住まいについて、69人が「めどは立っていない」と答えた。
その69人が当面希望する住まいは「仮設住宅」が半数の35人、「民間の賃貸住宅」(みなし仮設)が14人、「公営住宅」「親類・知人宅」が各4人だった。
4月14日の前震から10日を機にアンケートした際は5割強が「余震が怖い」を避難理由に挙げ、最も多かった。今回、徐々に余震が減って当初18万人を超えた避難者が
1万人に減る中、今も避難生活を続ける人の多くが、自宅が壊れて見通しがないまま避難所に残る状況が浮かんだ。
一方で、中長期的に住む場所は、自宅を建て直すか移転するなどしても地元市町村に住み続けたいと考える人が9割にのぼった。また、「生活再建をする上で不安に
感じていること」(三つまで選択)は75人が「住宅」を挙げ、55人が「資金」、35人が「余震や大雨による追加的な被害」と続いた。
「今、行政に最も力を入れてほしいこと」は「住宅の支援」が70人と突出して多かった。一連の地震の精神面の影響(複数回答)は、なお余震への恐怖感が強いことを
うかがわせる。「眠れない、眠りが浅い」が45人と最多で、「建物に入るのが怖い」、「めまいや体の揺れを感じる」などもそれぞれ2割が選んだ。
余震への恐れなどから「この1週間の間に車中泊をした」という避難者も8人いた。「避難所で改善してほしいこと」(三つまで選択)は、「住宅などの情報提供」が28人、
「食事や生活用品」、「プライバシーの確保」がそれぞれ27人、「室温管理(暑さ・寒さ)」を18人が挙げた。
仕事への影響も、「失業した、失業しそう」を9人が選ぶなど深刻な状況が示された。
♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ
昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生
新潟。昨夜8時過ぎ、新潟市西蒲区間瀬の山中を通る路上に女性が倒れているのを通行人の大学生が発見し、119番した。
消防と警察が駆け付け、間もなく死亡が確認された。女性は頭部に外傷があり、西蒲署は事件事故の両面で捜査。死因や身元を調べている。女性は身長150センチ。
成人とみられ、横向きに倒れていた。茶色のハイネックの長袖シャツに灰色のズボン姿だったが、靴は履いていなかった。所持品は見つかっていない。
熊本。八代市出身で、元バドミントン日本代表の陣内貴美子さんが、きのふ、八代市に寄付金300万円を贈った。
一連の地震で八代市役所は倒壊の恐れがあるため、八代市は鏡支所に移して業務を行っている。陣内さんは親族と共に鏡支所を訪れ、夫で元プロ野球選手の金石昭人さんと
連名の寄付金を八代市長に手渡した。
米国。テキサス州ラレドで14日午前、地元の観光客とみられる50人を乗せて高速道路を走っていた貸し切りバスが、突然横転した。
この事故で乗客8人が死亡したほか、運転手を含む40人余りがけがをして病院に運ばれたという。テキサス州ヒューストンにある日本総領事館によると、これまでに
日本人が事故に巻き込まれたという情報は入っていない。貸し切りバスは、テキサス州南部のリオグランデバレーから内陸部にあるカジノ付きのホテルに向かう途中で、
当時、現場は雨が降っていたというが、バスが単独で横転した原因は分かっていない。地元当局は、運転手の回復を待って当時の状況について話を聞くことにしているほか、
米国NTSB=国家運輸安全委員会も現地に調査チームを派遣し、原因を調べている。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
ロシア。インタファクス通信などによると、ロシア南部ダゲスタン共和国で14日、警察とイスラム過激派の銃撃戦が起き、警官2人と過激派4人が死亡した。
過激派組織「イスラム国」(IS)は警官を殺害したとの声明を出した。警察は、ダゲスタン共和国のデルベントで、警察幹部を誘拐した過激派を制圧するため
アパートに突入し、銃撃戦になったとしている。警官15人も負傷したという。ISは最近、イスラム教徒が多いロシア南部に浸透し、治安部隊と衝突を繰り返しているといわれる。
ロシアはシリアでアサド政権に肩入れし、ISへの攻撃を支援してきた。
北朝鮮。米大統領オバマの広島訪問を非難した。
14日付の朝鮮労働党の機関紙・労働新聞は、「大統領オバマの『核なき世界』は欺まんだ」との論評を掲載した。この中で「米国が朝鮮半島を核戦争へと追い詰めている」とし、
大統領オバマの広島訪問の目的は、「核の犯罪者としての正体を隠すためだ」と非難している。北朝鮮が大統領オバマの広島訪問に言及するのは初めて。
宮崎。きのふの午後5時ごろ、三股町の沖水川で、川に入って泳いでいた町内に住む中学3年生の今永蓮君(14)の姿が見えなくなったと消防に通報があった。
消防が捜索したところ、30分後に今永君が川底に沈んでいるのが見つかり、都城市内の病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。今永君は同じ中学校に通う
友人たち5人と一緒に川を訪れ、泳いでいたという。警察は、今永君が川で泳いでいるときに何らかの原因で溺れたとみて、友人から話を聞くなどして当時の状況を
詳しく調べている。
♪遠き別れに 堪えかねて この高楼(たかどの)に 登るかな 悲しむなかれ わが友よ 旅の衣を ととのえよ
君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの くろかみも またいつか見ん この別れ
別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば 夢はずかしき 涙かな
君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな
昭和20年 惜別の歌 作曲:藤江英輔 作詞:島崎藤村
富山。作家の落合恵子さんが、射水市で講演し、憲法や民主主義について意見を述べた。
この講演会は射水市の市民団体「9条平和小杉の会」が開き、講師を務めた作家の落合恵子さんは、今年夏の参議院選挙で首相安倍が争点に掲げている憲法改正について
「憲法は権力者を縛るものなのに今は逆になっている」と、400人の来場者に訴えた。そのうえで、「おかしいことはおかしいと言わないと、その社会はそのまま続く」として、
成熟した民主主義の確立のためには市民1人1人が声をあげていくべきだと呼びかけた。
砺波市庄川町示野の「道の駅庄川」で、きのふから山菜まつりが始まっている。
朝採れなどのキノシタやウドなどが1袋200〜300円で割安販売され、主婦らが新鮮な山の幸を買い求めた。山菜は生産者協議会のメンバーが当日朝などに採った
新鮮な品で、割安で店頭に並べた。開店に合わせて、大勢の市民が訪れ、新鮮なワラビやタケノコのほか、山菜の瓶詰めなどの加工品を品定めした。また、雄神手打ち山菜そばも
販売され、買い物の合間に味わった。最終日のけふ15日には、地元産エゴマを練り込んだオリジナル麺「庄川エゴマうどん」に山菜を盛ったうどんを一杯500円で提供する。
福井。越前市余川町の越前の里味真野苑で、3千株のカキツバタの花が見頃を迎えている。
きのふは、せせらぎを吹き抜ける風に揺れる紫色の花が新緑に映え、訪れ人たちがゆったりと見て回っていた。味真野苑を管理する万葉菊花園によると、カキツバタは
万葉集をはじめ、和歌などの題材として取り上げられることが多いアヤメ科の植物。苑内では5日ごろから花が咲き始め、今月末まで楽しめるという。
菊花園では「観賞に来て、気持ちを和ませてほしい。カキツバタが終わると、スイレンの花が見頃を迎える」。
金沢。屋外でワインとグルメを堪能できる「ワイン金沢2016」が、金沢市広坂の「しいのき迎賓館」石の広場で開かれた。
各国のワイン300種類に加え、25の飲食店が露店で提供する和洋中の本格料理やつまみ、デザートを楽しめる。金沢市内の酒屋などでつくるワイン金沢実行委員会の主催。
5回目の今年は、予約がなかなか取れない有名店同士が協力した当日限りの創作料理が振る舞われた。ハンバーガーをイタリア料理風にアレンジした「ハンバーガー&
ゴルゴンゾーラバーガー」(800円)や、フランス料理とイタリア料理がコラボした「本州鹿の手打ちパスタ」(同)などオリジナリティーあふれる一品が味わえる。
ワインはグラス1杯200円から。希少価値の高い「プレミアムワインコーナー」もある。ジャズやベリーダンスの余興も披露された。当日は午前11時?午後7時。
1枚200円券が15枚つづりになった飲食チケットを事前購入し、各出店で商品と引き換える仕組み。チケットは前売り・当日ともに3000円。着物姿の来場者には
グラスワイン1杯がサービスされた。チケット購入などに関する問い合わせ先は事務局の「ワイン カーヴ マルコ」(076・264・1242)。
加賀。午前10時50分ごろ、小松市にある鞍掛山(477m)で、登山中の57歳の男が山頂で、手のしびれやおう吐の症状を訴えた。
石川県の消防防災ヘリが点検中だったため、福井県の消防防災ヘリが出動して男を救助し、小松市の病院に搬送した。搬送された当時、男の意識ははっきりした状態で、
熱中症の疑いがあるというす。小松市では、日中の最高気温が、今年最高となる29・8度を記録していた。
曳山250年を迎えた小松市のお旅まつりは、きのふ小松市細工町交差点で、節目を記念して昼間に初めて「曳山八基曳揃え」があった。
夜に加え昼にも初めて子供歌舞伎が上演された。上演前には記念式典が開かれた。式典では、曳山を所有する市内8町の若衆たちが、各町の曳山舞台からお礼の口上を
力強く披露。小松曳山八町連絡協議会の会長の福島利雄さんは「観客とごひいき衆のおかげで、250年続いてきた。これからも伝統文化の保全と観光誘客のために、
ごひいきをよろしくお願いします」とあいさつ。
会場のテレビモニターには、10月に市内で公演予定の歌舞伎役者市川海老蔵さんからのビデオメッセージが流された。海老蔵さんは曳山250年の節目を祝い、
「これからも子供歌舞伎が発展して、未来に受け継がれることを願っています」と語った。
式典後には、昼の上演に臨む当番町の材木町と西町の子供役者たちが会場後方から和傘を持った若衆に付き添われて会場入り。一人ずつ紹介を受けて壇上に立つと、
会場からは「頑張れよ」、「待ってました」と掛け声が上がった。
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
山本五十六 「男の修行」
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
早くも皐月15日。月半ばになった。
午後の散歩の前に、野暮用で、三口新町へ行ってきた。のち、たかみ公園横で、ラケットの音を聞きつつ何時ものコースを歩いた。
バス通りを渡って、右手前方の畑の辺りを一回り。途中、不要な枝を切り落としていた白崎さんに会い「コンニチワ」、束ねて明日、ゴミステーションに出すというので、
「明日、(ストーブ用に)戴きにきます」と伝えて、神社の辺りを一回りしてきた。帰路、谷口の御婆さんから「採っていいよ」と言われていたフキを戴いてきた。途中、
ワンちゃんと孫を連れて散歩中の徳中さんに会い「コンニチワ」、「ワシも戴いたが出来るだけ、でっかいのがいい」と仰るので、言うことを聞いてでっかいのを戴いてきた。
帰路はバス通りの歩道から橋本さんち横の小路を経て帰還す。コーギー連れの山市さんが目に入り合図してもわからず。持木さんがワンちゃん連れて散歩中で、今年春ワンちゃんを
亡くした蚊谷さん夫妻が、ワンちゃんに話しかけて、抱っこするなど可愛がっていた。それにしても暑かった。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
唐代の詩人 劉 希夷(651〜678)
だっておやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
立原道造「眠りの誘ひ」から
隣り合ふ 受験子の絵馬 恋の絵馬
箕面市 藤堂俊英
漁り火に 鰍(かじか)や浪の 下むせび
松尾芭蕉 山中温泉にて
水鳥の往くも帰るも後絶えて されども道は忘れざりけり
萩野浩基
能登はやさし海の底まで小春凪
東京日野市 棚山波朗 歌碑は出身地の明蓮寺(志賀町長沢)にある。
九条を骨抜きにする多数決
小松市 妻木義山
trust me.
I Have a Dream
2016年 5月15日(ふ)
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