95人死亡 トルコ史上最悪のテロ事件に
2015年、神無月、10月11日。石川県内は、曇りのち雨。金沢の最高気温は23度。
朝の散歩は、いつものースで、寺の方向へ。
寺津用水は、澱んでいたが、水量はまずまずたった。バス通りを渡った角家の朝顔はまだ健在だが、もうしばらくだ。ここで、柴犬連れの
夫妻に会い「おはようございます」。坂道を降りて、四つ角では、涌波からの親父さんが畑に来ていなかった。筑田さんちの前庭、深紅のバラが
待っていた。しばらく楽しめる。西さんちの四つ角は、まっすぐ。右の畑には浦野さんらが来ていなかった。柿畑のあたりを一回り。
Dr小坂、宇野さんはお休みかな。神社の方向へ一回りした。湯原さんち、蓼(たで)やムクゲがきれいだ。
みすぎ公園へは行かず。バス通りを渡って、コンビニの二本裏から、帰還へ。途中、土谷のお婆さんさんちの畑で、芋のツルをいただいてきた。
松本先生宅を右折して、先生の畑から藤田さんちの塀には、深紫の朝顔が健在。飯田さんちまえ、軽4でお出かけで「おはようございます」。
本田さんちの紫式部もなんとか元気だ。小屋の前の生垣には、白の山茶花が1輪咲いていた。いよいよ冬近しだ。
この後は緑茶を、一杯戴いた後、朝飯。後に、カフェを3杯分を点てた。
時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。
山梨。甲府地方気象台は、富士山(3776m)が、初冠雪したと発表した。
平年より11日遅く、昨年より5日早い。麓の富士吉田市もこの日、「初雪化粧宣言」を出した。
大震災の発生から、けふ11日で4年7か月になる。
東北の被災地では行方不明になっている人の捜索が行われた。気仙沼市の杉ノ下地区の高台は震災の前に「指定避難場所」とされ、
多くの住民が避難したが、津波に襲われ地区の住民の3分の1近い93人が犠牲になった。震災の発生から4年7か月のけふ、高台には
遺族らが訪れ、慰霊碑の前で花を供えて祈りをささげた。慰霊碑には、高台で犠牲になった人の名前とともに、「大地が揺れたらすぐ逃げろより
遠くへより高台へ」ということばが刻まれていて、津波の教訓を後世に伝えようとしている。
岩手県では今も1126人の行方が分かっておらず、岩手県警は震災の月命日にあわせて集中捜索を行った。
このうち、148人の行方が分かっていない山田町では、けふ宮古警察署の警察官16人が船越地区の海岸に集まり、海に向かって全員で
黙とうをささげたあと、棒を使って浜辺の砂を掘ったり草むらをかき分けたりして行方不明者の手がかりがないか探した。けふの捜索には
先月、岩手県警察学校を卒業し、宮古警察署に配属されたばかりの新人警察官2人も初めて参加し、真剣な表情で捜索を行っていた。
福島県いわき市の沿岸部では、いわき東警察署の警察官30人が捜索活動にあたった。海上では、警察官が警備艇に乗って捜索にあたり、
双眼鏡をのぞきながら沖合いを確認した。また海岸沿いの砂浜では雨の中、他の県から出向している警察官も一緒になって、棒のような
器具を使って砂をかきながら行方不明者の手がかりを黙々と探した。震災と原発事故からけふで4年7か月になるが、福島県では今も、
200人の行方が分かっていない。
警察庁によると、警察によって死亡が確認された人は、宮城県が9541人、岩手県が4673人、福島県が1612人、茨城県が24人、
千葉県が21人、東京都が7人、栃木県と神奈川県がそれぞれ4人、青森県が3人、山形県が2人、群馬県と北海道がそれぞれ1人で、
合わせて1万5893人となっている。死亡した人の99%は身元が確認されたが、依然として78人の身元が分かっていない。
また、警察に届け出があった行方不明者は、宮城県が1237人、岩手県が1126人、福島県が200人、千葉県が2人、茨城県と青森県が
それぞれ1人で、6つの県で合わせて2567人となっている。
秋の野に咲きたる花を指折(よびをり)かき数ふれば七草の花
山上憶良 万葉集 8巻1537
萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし)また藤袴 朝貌(あさがほ)の花
山上憶良 万葉集 8巻1538 ※朝貌は桔梗であるというのが定説。
鹿児島。口永良部島の噴火で、住民全員が島を離れる「全島避難」が始まってから、4か月になる。
関係機関による復興対策本部を先月25日付けで設置し、水道や電気などのインフラの復旧や、住民の帰島後の生活支援などについて
具体策を検討している。
対策本部では、口永良部島に常駐して、調査や復旧作業にあたる現地対策班を結成することを決め、火山活動の状況を見極めた上で
口永良部島に派遣する。
今年5月に爆発的な噴火が起きた口永良部島では今も島外への避難指示が続き、多くの住民が隣の屋久島に避難している。
気象庁が出した口永良部島の噴火警戒レベルは5(避難)のままで、仮設住宅などでの島民の避難生活は長期化している。
避難生活の長期化に不安を抱えながら、島民たちは避難先の屋久島で、新たな暮らしをスタートさせている。
爆発的噴火の後、島の見どころや施設の情報を紹介してきた「口永良部島ポータルサイトひょうたん島」
(http://kuchi-erabu.org/index.html)のトップページに、島の高齢者ボランティアグループ「えらぶ年寄り組」の7人のメンバーが、
噴火当日、空を覆い尽くした噴煙の写真をサイトに載せた。「再び新岳が噴火しました!」。そして島の魅力を伝えるサイト本来の役割を変更し、
島民同士の情報交換の場として活用すると宣言。先月2日には避難者向けの住宅対策などをサイトで紹介した。
「一日も早い全員での帰島に向けて、島民が団結する懸け橋にしたい」。
必要な情報が伝わりにくいと、屋久島の避難所で暮らす住民らは、「えらぶ避難所ニュース」をほぼ毎日発行。「一日も早く全員が
島に帰るためには、受け取る情報に差があってはいけない」との思いを込め、インターネットで公開している。
ニュースを発行するのは、ボランティアサークル「えらぶ年寄り組」。5月29日の噴火後は島民向けの情報に切り替え、サイトに掲載。
印刷したニュースを屋久島に3カ所ある避難所に張り出した。家族と避難所に身を寄せる代表の山口英昌さん(72)は、見舞金の申請方法などをまとめ、
メンバーと協力してニュースに掲載している。
死者58人・行方不明者5人と戦後最悪の火山災害となった昨年9月の御嶽山(長野・岐阜県境、3067m)噴火。
御嶽山の噴火から先月の27日で1年が経った。
登山の安全対策を強化したうえで、観光の復興についてもどう進めるかが課題となっている。
最愛の家族を山で失った遺族、山の恵みを受けて生きる地元住民は、悲しみを胸に刻みつつ、新しい一歩を踏み出そうとしている。
御嶽山では、6月に噴火警戒レベルがレベル3からレベル2に引き下げられ、先月19日には入山規制が緩和されて一部のルートで9合目まで登れるようになった。
ふもとの長野県木曽町ではスマートフォンや携帯電話で登山届を提出できる新たなシステムを導入し、町から登山者のスマホなどに火山情報を伝えたり、
登山者がけがをした場合などはスマホなどから救助を要請したりすることができるようになった。
さらに、気象庁は御嶽山に新たな観測点を設けて、年内には火山活動を観測するための機器を設置する。一方、ふもとの宿泊施設やロープウェーなどの
観光施設の中には、利用客が例年の3割程度にとどまるところもある。登山者の安全対策を強化したうえで、観光の復興についてもどう進めるかが課題となっている。
町は、石室山荘などを噴火時の避難場所として使えるように修繕を進め、緊急放送のスピーカーを山荘に2基、二の池本館に3基設置した。
今回の緩和に合わせ、八合目の山小屋「女人堂」から三ノ池までの登山道も、八合目から1キロ先までを通行可能になった。
石室山荘は、パトロール隊の待機所や登山案内所として使用し、今季は山小屋としては営業しない。
♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
哀しみは 島わたる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
トルコ。首都アンカラ中心部で10日、爆発が連続して起きた。
首都アンカラの中心部にあるアンカラ駅の近くで10日、2度に渡って大きな爆発があり、少なくとも95人が死亡、けが人も246人に上り、
地元メディアはトルコ史上最悪のテロ事件だと伝えた。トルコの政府軍は、今年月以降、クルド人武装組織に対して大規模な軍事作戦を
行っており、今回の現場ではこの軍事作戦に抗議して、和平を訴えるデモを行おうと、多くの人が集まっていた。会見した首相ダウトオールは
、
「2人の実行犯による自爆テロだという証拠がある」と明らかにした。トルコでは、7月に隣国シリアとの国境近くで過激派組織IS=
イスラミックステートとつながりのある男による自爆テロがあり、30人以上が死亡している。今回の爆発ではこれまでのところ
犯行声明などは出されておらず、治安当局は、ISと関わりがあるのか、それとも、ほかの組織の犯行なのか、背後関係について捜査を進めている。
大統領エルドアンは声明を出し、「国家の平和を標的にしている」と犯行を非難。「団結と決意こそが、最も意味あるテロへの反応だ」と呼びかけた。
国営アナトリア通信によると、爆発はアンカラ中央駅正面の交差点付近で10日午前10時過ぎ、2回続けて起きた。近くで公務員労働組合
連盟やNGOのデモが正午からある予定で、参加者ら1万4千人が集まっていた。
♪白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
悲しかった あの時の あの 白い花だよ
白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰 さよならと 云ったら 木霊がさよならと 呼んでいた
淋しかった あの時の あの 白い雲だよ
白い月が ないてた ふるさとの 丘の木立に さよならと 云ったら 泪の眸でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の あの 白い月だよ
昭和25年 白い花の咲く頃 作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
知事翁長は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を13日に正式に取り消す方針を固めた。
翁長は13日午前10時に県庁で会見し、発表する。今秋の本体工事着手を目指す政府側は、速やかに対抗措置を講じる方針だ。
辺野古反対を掲げる翁長が昨年12月に知事に就任して以来続いてきた双方の攻防は、重大な局面を迎える。
翁長は13日午前に承認取り消しに関する通知文書を決裁し、県の担当者が工事主体の沖縄防衛局に届ける予定。翁長は決裁後に会見する。
埋め立て承認が取り消されると、沖縄防衛局は、移設先で工事を行うための法律的な根拠を失うことになる。
防衛局は「承認に瑕疵(かし)はなく、取り消しは違法だ」と主張していて、移設に向けた工事を続けるため、直ちに、承認取り消しの
無効と効力の停止を求める申し立てなどを行う方針だ。県の権限を最大限行使して移設計画を阻止しようとする知事翁長事に対し、防衛局も
真っ向から対抗することになり、今後、両者の対立は激しさを増すことが予想される。
米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設に反対の意思を示そうと「沖縄本島一周帆かけサバニキャラバン」(実行委員会主催、
島ぐるみ会議、フーカキサバニ共催)が、今朝8時前に、名護市瀬嵩の浜を出発した。
帆かけサバニ1隻で北回りのコースで8日間かけて本島を一周し、辺野古に戻る。各地の島ぐるみ会議のメンバーを訪ね、移設反対の
メッセージを集める。米軍キャンプ・シュワブのゲート前では市民ら60人が集まり、移設反対の座り込み行動をした。
那覇から島ぐるみ会議のメンバーらが駆け付けた。午前11時ごろ、次世代の党の前衆院議員や支持者ら30人がゲート前で、移設賛成を
訴える街頭演説を行った。
宜野湾市の米軍普天間飛行場移設問題を巡り、政府は来月にも、移設先の名護市辺野古沿岸部での本体工事に着手する方針を固めた。
移設に反対する知事翁長は、前知事仲井真による埋め立て承認を来週中に取り消す構えだが、政府は間を置かずに工事に着手することで、
移設への不退転の決意を示す狙いがある。これに対し、県も法廷闘争を辞さない構えで、移設を巡る攻防は緊迫度を増している。
承認取り消しを受け、防衛省は当日中にも、取り消し無効を求める行政不服審査請求と、審査結果が出るまで暫定的に取り消しの効力を止める
執行停止の申し立てを行う。いずれも行政不服審査法に基づく手続きで、埋め立て関連の法令を所管する国交相が審査する。
不服審査の判断には数か月かかるが、執行停止は「2〜3週間」(政府関係者)で結論が出る見通し。
那覇市を中心に県内全域が米軍の無差別攻撃を受けた「10・10空襲」から71年。
第20回「なぐやけの碑」慰霊祭(那覇市連合遺族会主催)が、きのふ那覇市の若狭海浜公園で行われた。参加した185人が戦争で
亡くなった人々に祈りをささげた。「平和」の思いを引き継ごうと近隣にある若狭小学校と那覇中学校の児童や生徒も参加した。
1944年10月10日、那覇市を中心に離島を含む県内全域が無差別攻撃を受けた。延べ840機の米軍機が9時間にわたり爆撃を続け、
668人が死亡し、768人が負傷した。市街地は壊滅的な損害を受けた。那覇市連合遺族会の大嶺正光会長は戦争が終わり、70年経た現在も
沖縄に基地がある現状を踏まえ、「沖縄には他国との緊張感を高め、戦争を誘発する基地がある」と指摘。「いかなる理由だろうと、戦争は
してはいけない。戦争がいかに愚かなことなのか、戦争を知らない世代に語り継がないといけない」と語った。
沖縄が米施政権下だった1961年9月、当時の琉球政府立法院議員で、沖縄人民党所属だった那覇市の古堅実吉さん(86)が上京した際、
日本共産党などの政界要人と面談する古堅さんを尾行した記録が米公文書で残されている。
古堅さんがきのふ10日までに文書を初めて確認し、尾行されていた事実も初めて知った。古堅さんは「本土は米軍占領下でもなかった。
このような監視が許される理由もない。不当な人権侵害だ」と憤った。反共政策を掲げていた米側は1950〜60年代、共産主義とみなす
人民党の動向を監視していたが、監視網は沖縄にとどまらなかった。人民党委員長の瀬長亀次郎が50年代に上京した時も日本の警察に
尾行されていたことが米国立公文書館の保管資料で分かっている。60年に県祖国復帰協議会が結成されるなど、60年代は復帰運動が高揚した。
当時、唯一の人民党所属の立法院議員だった古堅さんは要監視人物として尾行され、警察など日本政府が協力していたとみられる。
資料は、米国立公文書館に保管されていた米軍諜報機関作成の秘密指定文書(通称・IRR文書)。県公文書館が米国で収集し、同館にも
収蔵されている。米陸軍渉外分遣隊東京事務所が「秘密情報源」から1961年10月27日に情報を受け、英文で作成された。
61年9月15、16、20、25、27日における古堅さんの訪問先、面談相手を詳細に記録している。このうち16日には古堅さんと
日本共産党の議長野坂参三、20日には自由法曹団の宮川寛雄弁護士と面談したと記録されている。これは当時の古堅さんの日記と一致した。
一方、一致しない記載箇所もあった。古堅さんは「もはや占領下でもない本土で、このような監視活動が許されていいのか。まるで犯罪者扱いだ。
政治活動や市民運動は本来、自由に認められた行動だ。監視は許されない」と批判した。さらに「県民、日本国民に対し、日米両政府による
許し難い人権侵害行為が過去から継続していることも、今回の文書で浮き彫りになった」と指摘した。
沖縄北方担当相(参院沖縄選挙区)島尻安伊子が、きのふ就任後初めて地元・沖縄県入りした。
県選出議員が担当相に起用されたのは初。懸案の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設問題で知事翁長は反対を掲げる。
「地元閣僚」として振興策に積極的に取り組む意向だが、政府の移設強行で板挟みに陥る可能性もある。
島尻はきのふの午後、那覇空港で支援者ら50人を前に「思いを新たに臨みたい」と強調。7日の認証式の際には「一身に沖縄を背負う気持ち」を
表そうと、伝統の琉球かすりのドレスで臨んだ経緯もある。沖縄入り後、糸満市の平和祈念公園を訪れ、戦没者墓苑で献花した。
官房長官菅義偉は29、30の両日、米領グアムを訪問する方向で最終調整に入った。
日米両政府は、沖縄県に駐留する米海兵隊の一部をグアムに移転する計画。菅は移転先の米軍基地などを視察し、沖縄県内の負担軽減を
強調することで、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について理解を得たい考えだ。ただ、辺野古の埋め立てについては、
知事翁長が週明けにも承認を取り消す考えを示している。
♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春 季節が都会ではわからないだろうと届いたおふくろの小さな包み あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
雪どけ せせらぎ 丸木橋 落葉松の芽がふく 北国の ああ 北国の春 好きだとおたがいに言いだせないまま別れてもう五年 あの娘はどうしてる あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
山吹 朝霧 水車小屋 わらべ唄聞こえる 北国の ああ 北国の春 兄貴も親父似で無口なふたりがたまには酒でも飲んでるだろか あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
1977年 北国の春 作詞:いではく 作曲:遠藤実
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、去年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率に象徴されるように、今度の衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党にもあったのは
今さら言うまでもない。
札幌市で、きのふ原発の再稼働反対の運動を続けてきた人たちと戦争法廃止をめざす市民グループが共同で集会・パレードを行った。
全道から3500人が参加。思いを一つに「安倍はやめろ」と声を上げた。元経産省官僚の古賀茂明はスピーチで日本共産党の「戦争法
(安保法制)廃止の国民連合政府」提案にもふれ、「国民のたたかいが野党を動かした。この動きをさらに広げることで政治家は怖くなる。
勢いを見せよう」と呼びかけた。「泊原発の廃炉をめざす会」の北海道大学名誉教授小野有五は「日本には、安全に動かせる原発も
核のゴミを管理する場所もない」と訴えた。
戦争をさせない北海道委員会の小樽商科大学名誉教授結城洋一郎は「参院選で戦争法を推進した人を降ろし、平和のためにたたかった人に
交代させよう」と気勢を上げた。9歳の子どもと参加した江別市の男41)は「私たちは民主主義を壊した安倍の強引なやり方を忘れません。
共産党の言っている国民連合政府は実現してほしい」と。
一方、名古屋では「野党は共闘」、「アベはやめろ」、名古屋市中区の繁華街で青年のコールが響きわたった。
青年団体が呼びかけて、きのふ開かれた「ストップ・イット・アベ・ナゴヤアクション」。アクションは昨年10月から始め今回が6回目。
戦争法が強行されてから初めての行動だ。集会には、日本共産党の衆院議員島津幸広、民主党の衆院議員山尾志桜里(しおり)、社民党の
江南市議らが参加。各党のあいさつに、青年から「野党は手を取り合ってがんばれ」の大きな声援が湧き起こった。
集会後には「憲法守れ」、「NO WAR」と書いたボードや横断幕を持ち、ドラムを打ち鳴らしながらパレード。出発時は200人ほど
だったが、次々と市民が飛び入り参加し、300人を超える参加となった。
アクションを準備した男(26)は「最初は何人が参加するか心配でした。前回より多く集まり、安倍政権に対する若者の怒りと戦争法廃止を
求める声の広がりを感じました」。
大学3年の学生(21)は「総がかり行動実行委員会が提起した2000万署名に学内外で取り組みたい」と。
11月22日投開票の大阪市長選に立候補する自民党の市議柳本顕(41)の公約の概要が判明した。
大阪維新の会代表の市長橋下の下での市政を「名ばかりの改革によって失われた4年間」と批判。70歳以上の市民が市営地下鉄とバスで使える
優待乗車証(敬老パス)の負担緩和や、不祥事が相次いだ校長公募制度の抜本見直しなど、対決色が色濃い内容となった。
公約は「まずは経済を強く。都市を強く」と強調し、リニア中央新幹線の大阪同時開業や、北陸新幹線の早期接続など経済政策を第一に掲げる。
教育や社会保障を含む5本柱で、「対立から協調へ」と橋下市政との違いを強く打ち出した。
敬老パスの有料化は橋下が歳出削減策の目玉として実施。柳本の公約ではパスを発行する際の年3千円の負担は維持するが、昨年8月に始まった
乗車ごとの50円の負担は廃止し、上限の設定を検討する。柳本は4月、「高齢者の方々にいろいろな所へ気軽に行ってもらえれば健康や交流、
経済の活性化につながる」と、上限設定で大幅な歳出増を防げるとの見方を示していた。
市議会で議論中の地下鉄民営化は、市100%出資の株式会社化を目指し、バス事業は地下鉄会社の子会社とする内容。現在の行政区の権限を
強める「総合区」は合区を前提とせず、中央区と西成区での先行導入を検討するとしている。
民主党の参院議員有田芳生が今月27〜31日の日程で北朝鮮を訪問することが分かった。
朝日国交正常化交渉担当大使宋日昊ら北朝鮮当局者との会談を調整している。停滞する日本人拉致被害者の再調査に関し現状を聴取したい考えだ。
同行する東京都渋谷区議が、明らかにした。
有田の訪朝は2012年10月以来。北朝鮮に残る遺骨収集などを目的とした民間団体の顧問も務めており、埋葬地の視察も要望している。
♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
韓国。「朝鮮通信使」の足跡を自転車でたどる一行が今朝、ソウルを出発した。
ソウルから東京まで1900キロ、日韓国交正常化50年を記念した自転車の旅がスタートした。出発式には韓国の閣僚らも出席した。
日韓の自転車愛好家50人が参加し、下関から大阪、静岡を経て、来月1日に東京に到着する。
きのふも触れたが、歴史的に貴重な文書や絵などを対象としたユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」に、「舞鶴への生還―
1945〜1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録―」(申請 京都府舞鶴市)が登録された。
「舞鶴への生還」は、シベリアに抑留された後、舞鶴港に引き揚げた抑留者らの570点にのぼる記録。抑留生活の様子を200の和歌に
したため白樺の樹皮につづった「白樺日誌」や、靴の中に隠して持ち帰ったメモ帳などが含まれ、舞鶴引揚記念館に所蔵されている。
戦争によって引き起こされた過酷な歴史を扱っているが、国内選考時には「舞鶴市と姉妹都市であるロシア・ナホトカ市の理解と協力が
あるなど、広い視点から世界的な重要性が説明されている」と評価された。
♪母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに ひかされて ‥
歌手・二葉百合子が歌い大ヒットした、引き揚げ船を待つ母の思いを歌った歌謡曲「岸壁の母」の題材としても知られている。
引退した二葉の後を継ぐように演歌歌手・坂本冬美らによって今も歌い継がれるこの曲も、再注目されそうだ。
敗戦・戦を迎えた1945年から58年にかけて、大陸から舞鶴港に引き揚げてきた人たちは66万人超とされている。
大半がシベリア抑留からの帰還者だった。桟橋近くの小学校で用務員として働きながら夫を待つ妻もいたという。「岸壁の母」は、そんな夫や
息子の帰りを待ち、引き揚げ船の入港のたび舞鶴に来た女性たちの切ない心情をテーマにした曲だ。54年、「星の流れに」などの
「母もの演歌」で知られる歌手の故・菊池章子が発表して大ヒット。72年には二葉も歌い、再び知られるようになった。
JR舞鶴線の東舞鶴駅には、岸壁の母の歌碑が建っている。
ところで、中国が申請していた2件のうち、日中戦争のさなかに起きた旧日本軍による南京事件に関する記録も登録された。
一方、慰安婦に関する資料は、ユネスコが発表した新規登録リストに掲載されていない。中国の登録申請をめぐっては、日本政府はこれまで
「ユネスコを政治的に利用している」として、中国に取り下げを要求していた。
♪背のびして見る 海峡を 今日も汽笛が 遠ざかる あなたにあげた 夜をかえして 港 港 函館 通り雨
流す涙で 割る酒は だました男の 味がする あなたの影を ひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼
出船 入船 別れ船 あなた乗せない 帰り船 うしろ姿も 他人のそら似港 三崎 焼津に 御前崎
昭和44年 港町ブルース 作詞:深津武志 補作:なかにし礼 作曲:猪俣公章
茨城。関東・東北豪雨から、一か月が過ぎた。
常総市を中心に茨城県で4000棟が全半壊、いまも430人が避難所生活をしている。
常総市新石下の石下総合福祉センターで、きのふリサイクル商品の販売会が開かれた。
多くの被災者らが水害後の新生活に向け、家具や家電を買い求めた。引っ越しや家財の配送などを手掛けるヤマトホームコンビニエンスが
開催した。自宅が浸水し、失った家電を買いに来た新石下の大幡和子さん(74)は「冷蔵庫に水が入り、使えなくなって困っていたが、
買い換えられて良かった。新生活に向けて一歩踏み出せた」と笑顔を見せた。
一方、天満町の志田美代子さん(61)は「着いた時には、欲しかった冷蔵庫や洗濯機が売り切れていた。安くて良い品が買えると思っていただけに
残念。片付けの合間に来たのに」と肩を落とした。
社は今後、住民らの要望を受けて「新たに商品を手配し、販売会を開催していきたい」としている。市のホームページなどを活用して
被災者に告知する。
国交相石井啓一は、きのふ視察先の常総市内で、関東・東北豪雨で堤防が決壊した鬼怒川について、5年間で集中的に改修を実施する
「河川激甚災害対策特別緊急事業」の対象とする考えを示した。
国交省によると、同じ規模の災害に耐えられるよう5年間、堤防の整備や河道の掘削を集中的に実施するという。石井は「道路の復旧や
住宅の確保といった要望が寄せられている。生活の再建は喫緊の課題だ」とも述べた。これに先立ち、市長らと決壊箇所や常総市の避難所
「水海道あすなろの里」を訪問した。
茨城県は国の原子力災害対策指針に沿って東海第二原発から5キロ圏内に住む8万900人を対象に、原発事故が起きた際に甲状腺の
被ばくを防ぐヨウ素剤を今月から配付する。これに先だって県はヨウ素剤への理解を深めてもらおうと地区ごとの説明会を始めた。
このうち村内全域が対象となる東海村の舟石川地区で、きのふ開かれた説明会では、地元の20人が集まり、担当の薬剤師がヨウ素剤の効能や、
発疹やおう吐などの副作用が出る場合もあることを説明した。70代の男は、「これまで事故に対して無防備だったので少し安心しました。
ヨウ素剤を使うことがないように安全対策を徹底してほしい」。県薬務課では「茨城県は5キロ圏内の人口が全国で最も多いので、
引き続き万が一に向けた対策を徹底していきたい」と話している。
♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ
昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生
神奈川。今朝4時半過ぎ、小田原市久野の市道で「男が倒れている」と近くの男から警察に通報があった。
警察が確認したところ、男は、路上で頭や口から血を流し仰向けの状態で倒れていて、病院に搬送されたが、意識不明の重体。
男は50代くらいで、近くのコンビニエンスストアの防犯カメラの映像などから、倒れているのが見つかる直前に車で店に立ち寄り、
1人で買い物をしていたという。警察は、傷や現場の状況などから男が店を出たあとに何らかのトラブルに巻き込まれたと見て、傷害事件として
捜査を進めている。現場は、JR小田原駅から北西に1.5キロほど離れた住宅やアパートなどが立ち並ぶ地域。
現場近くでコンビニエンスストアを経営している女性は「店員から人が近くの路上で倒れているという連絡が入ったので、外に出てみると
路上の真ん中に男が仰向けで倒れていた。とても驚いた」と。
浪速大阪。昨年10月、大阪府内のアパートの一室。弁護士の男(36)がドアを開けると、室内は薄暗かった。
電気はつかず、カーテンのない窓から街灯の光が差し込み、ごみに埋もれた部屋を照らす。床には、携帯電話を充電するための乾電池が
50個以上転がっていた。住んでいたのは高校3年で18歳の少年と、無職で17歳の妹。一緒に暮らしていた父親は3週間ほど前に失踪した。
家財道具は炊飯器と洗濯機と毛布1枚で、所持金は110円。ハムスターだけがえさを与えられ元気だった。弁護士は「このままでは死ぬ」と
感じた。児童福祉法の「児童」は18歳未満をさす。児童養護施設への入所は児童に限られ、2人がすぐに入れる施設は見つからなかった。
弁護士は親から引き離し2人を独立させようと家を探したが、20歳未満のため親権者の同意がないと契約もままならない。
生活保護の受給も渋られた。「みんなが少しずつ泣いてこの子らを助けませんか」と説得して回った。事情をくんだ大家が部屋を貸してくれ、
生活保護を受けて布団も買った。「布団なんて3年ぶりやな」。少年は言った。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
中国。上海で6月、50代の日本人女性が、スパイ活動を取り締まる国家安全省に拘束されたことが、分かった。
中国当局に逮捕、拘束されたことが判明した邦人は4人となった。北京で6月に拘束されたのが明らかになっている60代の男=札幌市在住=の
身柄を確保したのが、国家安全省だったことも判明。この男は中国にパイプを持ち、現地に進出しようとする企業の支援も行っていたという。
今年6月、「これから北京に行く。1週間で戻る」と話していたというが、その後、連絡がつかなくなり、外務省から家族に「男と連絡を
取る際は外務省を通してほしい」と打診があったという。拘束は長期化しており、日本政府は解放へ向け情報収集を急いでいる。
国家安全省は政府の情報機関。海外の情報収集を担うほか国内でのスパイ活動を監視、摘発する。新たに判明した50代の女性は、東京都新宿区の
日本語学校の経営に携わっているという。
中国で、今年5月に拘束された日本人2人は、愛知県と神奈川県に住むいずれも50代の男で、これまでもたびたび中国に渡航していた。
このうち愛知県在住の男は、人材派遣会社などに勤めたあと、名古屋市で中国人の人材派遣や中国人などを相手にした不動産の仲介を行う
会社を経営していたという。男は頻繁に中国に渡航していたということで、今年5月、浙江省の沿岸部にある軍事施設の周辺で、スパイ行為に
関わった疑いがあるとして中国当局に拘束された。もう1人の神奈川県在住の男は日本で生まれ、昭和34年から始まった北朝鮮への
「帰還事業」で、在日朝鮮人の父親や日本人の母親らとともに北朝鮮に渡ったという。その後、家族と一緒に北朝鮮を逃れ、平成13年に
日本に入国して日本国籍を取得し、現在はパチンコ関連の事業を行っているという。男は、定期的に中国を訪れていたということで、
今年5月、遼寧省の北朝鮮との国境地帯で、スパイ行為に関わった疑いがあるとして中国当局に拘束された。
越後佐渡。北朝鮮による拉致被害者、佐渡市の曽我ひとみさん(56)が、市内で、第3次安倍改造内閣で拉致問題担当相が加藤勝信に
交代したことについて「また新しい人に代わってしまった」と苦言を呈した。その上で「(加藤は)自分の家族が被害に遭ったと思って
取り組んでほしい」と述べた。曽我さんはこの日、市内のイベントで母ミヨシさん(失踪当時46)ら今も行方が分からない拉致被害者の
救出を訴え署名活動。15日で2002年の帰国から13年を迎えるのを前に「早く問題解決し、家族そろって過ごせる日が来るよう願う」と。
♪白い夜霧の灯りに濡れて 別れ切ないプラットホーム ベルが鳴る ベルが鳴る
さらばと告げて手を振る君は 赤いランプの終列車
涙かくして 微笑み合(お)うて 窓に残した心の温み あの人は あの人は
いつまた逢える旅路の人か 赤いランプの終列車
遠い汽笛に うすれる影に 一人たたずむプラットホーム さようなら さようなら
瞼の奥に哀しく消える 赤いランプの終列車
昭和27年 赤いランプの終列車 作詞:大倉芳郎 作曲:江口夜詩
富山。街全体をギャラリーに見立てたイベント「まちなみアートinいなみ2015」が、南砺市井波地域中心部で開かれている。
きのふは井波別院瑞泉寺や近代建築物の特別公開があり、散策の観光客らでにぎわった。「井波の近代建築めぐり」は、江戸〜−昭和初期に
つくられた5カ所の建物、敷地が対象。ふだんは立ち入れない場所もあり、来訪者たちの関心を誘った。
このうち、国登録有形文化財の斎賀家住宅では、漫画家の森みちこさんとイラストレーターの藤井智子さんが合同作品展を主催し、町家の居間に
飾られたイラストや棟続きのどっしりした土蔵などを親子連れらが楽しんだ。東洋紡富山事業所の井波工場では、整然と並ぶモダニズム様式の
建物に見学者たちがカメラを向けていた。街中の民家や商店など100カ所では芸術作品300点の展示も。山見の工房「石井彫刻」は、
パッチワークなど40点が並んだ。神代杉に布を貼り合わせ桜やボタンを表現した押し花絵もあり、制作した石井みゆきさん(73)は
「違った素材の組み合わせを楽しんでほしい」と。八日町通りに面した「春田酒店」は座敷にスケッチ画を飾ったほか、100年以上守ってきた
日本庭園を開放。訪れた人が青々とした木々と風格ある庭石を眺め、落ち着いた空間に心を和ませた。この催しは18日まで。
福井。福井市江上町と御所垣内(ごしょがいち)町にまたがる「宮ノ下コスモス広苑」で、一億本のコスモスが広がっている。
きのふは多くの家族連れでにぎわった。トラクターで台車を引っ張り畑を回る「花トラ車」や「コスモス迷路」などがあり、風に揺れる白や
ピンクのコスモスをバックに写真を撮る家族や、迷路内を元気よく走る子どもの姿が見られた。
「花トラ車」に乗り、手を伸ばしてコスモスに触ったという福井市春山小一年の大橋聡君(6つ)は「とてもきれい。迷路も楽しかった」。
けふ11日は、福井コスモスまつりが開かれ、高校生による演奏や、よさこいイッチョライチームの踊りなどが披露される。
能登。3連休初日のきのふ、輪島市の国名勝「白米(しろよね)千枚田」を夜間、2万1千個の発光ダイオード(LED)で彩る「あぜの
きらめき」が開幕した。ピンクと黄色に変化する幻想的な光が世界農業遺産「能登の里山里海」を代表する棚田を包み込み、観光客から
「きれい」と歓声が上がった。
金沢。金沢の湯涌温泉がモデルのアニメ「花咲くいろは」に登場した祭りを再現する湯涌ぼんぼり祭りは、きのふ温泉街で行われ、
昨年を2千人上回る1万4千人(主催者発表)が来場した。
北陸新幹線金沢開業や、SNS(インターネット交流サイト)を通じた口コミが広がったとみられ、5年目を迎えたアニメ発祥のイベントは、
今年も大きな集客力を見せつけた。
加賀。高速道路ののり面に作られた難場所に、津波の際、避難する手順を確認してもらおうと、小松市で、避難訓練が行われた。
この訓練は、小松市草野町に、高速道路ののり面を利用した避難場所が完成したのに合わせて地元の住民が参加して行われた。
今回、作られた津波避難場所は津波の際に、高速道路の一部を避難場所として利用できるよう、小松市と中日本高速道路が結んだ協定に基づいて、
設置されたもので、海抜6、5mの位置にある高速道路ののり面に、20人が避難できる。訓練では、住民たちが実際に高速道路の
のり面までのぼり、避難場所のようすを確認していた。高速道路ののり面を利用した津波避難場所の設置は北陸地方で初めてだ。
小松市防災安全センターでは、「津波が起きた時に逃げ遅れた場合に備えて設置しました。今後、訓練を行ってもらい、津波への意識を
高めてもらいたいです」と。
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓、白峰に「僻村塾」を開いて、ゴルフ場などの乱開発を戒めた直木賞作家の故高橋治。
回光(えこう)返照(自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること)
人に愛 花に水
People love to water the flowers
神無月、10月に入って、もはや11日だ。月日の経つのは、何とも早い。
江戸は雨、という達也君から。台風が、「第二の硫黄島に近づく与那国島!」を後押し?言葉もない、なんて便り。
曇っていた空は、昼過ぎから雨に変わった。いささか、冷えてきた。
午後の散歩は、寺の境内横を流れる寺津用水脇の歩道から、曲がりくねった坂道から末町へ。途中、真如苑から帰りの信者多し。
末町の郵便局も外装の修理中で、足場はテントが覆われていた。バス通りでは、車のしぶきがかかりそうになる。
一服したのち、土砂降りの中、たかみ公園よこから、いつものコース。神社のあたりを一回りして、コンビニの裏通りから帰還す。
来月にはうちなー、宮古島から仕事を頼まれていると言っていた宇野さんは、突貫工事があるのか、車がなかった。土村さんちの裏では、
柚が大きく垂れ下がっていた。
「とぅぬは゛てぃや たてぃばてぃ かんぬ ばてぃや どぅりーどぅー」(どなんの神々は、即座に、しかし静かに天罰を下すの意)。
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠(かく)らく惜しも
柿本人麻呂 『万葉集』 巻2-0169
九条を骨抜きにする多数決
妻木義山 小松市
この庭や樫の落ち葉のとこしなえ
高浜虚子 富山県旧福野町
枯れ芝よ団結をして春を待つ
鶴彬 旧高松町
笹鳴(ささなき)や馬込は垣もまだらにて
犀星 昭和3年「馬込日記」 「萬福寺」(東京・大田区南馬込)境内
ふるさとの天気図を見る 厄日かな
箕面 藤堂
trust me.
I Have a Dream
2015 神無月、10月11日(ふ)
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