安倍談話 「私は」使わず おわび、最後は踏襲 何のために出したのか
2015年、葉月、8月15日。石川県内は、晴れ。金沢の最高気温は31度。
朝の散歩は、何時ものコースで、寺の方向へ。
久々に晴れて、朝日がまぶしいが、秋風が吹いて涼しい。寺津用水はゴミが無くて、水量は少なかった。角地の前さん、勤務に出ていくところで、
「お早うございます」。向かいの角家のアサガオの大輪を見ながらバス通りを渡って、坂道へ。今朝も芙蓉は咲いていたし、和田さんちのアサガオもいい。
舘山への四つ角では、何時もの親父さんが居て「お早うございます」。一回りすると、柴犬連れの尾田さんに会い「お早うございます」、「散歩は終わりました」。
西さんちの四つ角はまっすぐ。畑に居た末からの親父さんに、「お早うございます」。けふは相棒はいなかった。猫散歩していた角地の親父さんに会い
「お早うございます」、猫はじっと見ていて、隠れようとしたら「子どもや見知らぬ人には警戒する」という。Dr小坂、宇野さんはまだだ。
次の四つ角は神社の方向へ。軽4を停めて、納屋から出てきた湯原さんに「お早うございます、もうはや畑へ?」、「茗荷採りに行ってきた」と。
在所の中を出たところて、煙草でも買ってきたのか軽4の田畑さんに会い「お早うございます」。今朝は、みすぎ公園一回りは中止した。
旧ため池のあたりで、高瀬さんの孫、津から帰省している二人の男の子、柴犬連れら に会い「お早う」。京堂さんち前のバス通りを渡って、
コンビニの2本裏通りから帰還へ。途中の畑では、城南から来ている親父さんに会い「お早うございます」。道心建材の四つ角を過ぎて、
義弟の庭の水やりをみたところで、どこかで呼ぶ声がしたので振り向くと松本先生の奥さんで、手招きをしていた。近づくと先生が「(外国から、
クルドなどからお客さん二組が来られて、慣れない掃除等々で)ダウンして水やりに来た」と。で、小生を見たらあげてほしいと言われたそうな。
それで、実ったゴーヤにきうり、インゲン、チソの葉を戴いた。そのうち、先生も出てこられたので深謝して帰路に着くが、藤田さんちの紫のアサガオがきれいだ。
車庫の前におられた飯田さんに会い「お早うございます」。
この後は、小屋に入って、緑茶を、一杯戴いた後、朝飯。後に、カフェを3,4杯分を点てた。
時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。
日本列島。鹿児島市は、桜島の噴火警戒レベルが4(避難準備)に引き上げられたのを受け、島の3地区51世帯77人に避難勧告を出した。
気象庁によると、今朝7時以降、800回を超える火山性地震を観測しており、市は、居住地域に噴石や火砕流など重大な被害が起きる可能性が高まったと判断した。
気象庁は、噴石落下で6人が負傷した1986年と同程度の噴火の可能性があるとみている。
避難勧告の対象は、桜島の有村町の全域、古里町と黒神町の一部。市は勧告に先立ち、同じ地区に避難準備情報を出し、島内の温泉センターなど3カ所を
避難所として開設、住民らはバスなどで移動した。対象地区以外から自主避難する人のため、鹿児島市街地にも避難所1カ所をオープンした。
全島避難は想定していないという。桜島フェリーは通常通り運航しているが、一部展望所は閉鎖された。
敗戦から70年を迎えたけふ15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京千代田区の日本武道館で開かれ、全国から集まった5千人の戦没者遺族が
鎮魂の祈りをささげ、平和への誓いを新たにした。
安全保障関連法案をめぐる国会審議が続き、国民から「不戦の誓いが揺らぎ始めた」との懸念も出る中、安倍が式辞を読み上げ、正午の時報に合わせて参列者が1分間黙とう。
参列遺族の最高齢は、夫が1944年にビルマ(現ミャンマー)で戦死した京都市の松岡せいさん(100)。松岡さんは自身も「従軍看護婦」として
中国の野戦病院で勤務した。過酷な戦場で懸命な看護を続け、多くの若い兵士の最期をみとった。戦後70年の節目に「戦争はむごく、恐ろしい。
二度としてはいけない」と訴えた。最年少は曽祖父が沖縄本島で戦死した沖縄県の宮城天音ちゃん(3)。今年の追悼式には、戦争の記憶を
後世に引き継ごうと、戦没者のひ孫世代となる9〜17歳の男女6人も初めて「青少年代表」として献花した。
鹿児島。口永良部島の噴火で、住民全員が島を離れる「全島避難」が始まってから、先月の29日で2カ月になった。
屋久島町は、噴火で全島避難が続く口永良部島の全住民が3班に分かれて、けふ15日、それに17、19日に一時帰島する。
火山性地震の増加や台風13号の接近で延期になっていた。全住民を対象とする一時帰島は、全島避難後初めて。
住民ら72人が、一時帰島のため、隣の屋久島からフェリーなどで出発した。家の掃除や車の持ち出しが目的。一時帰島は17、19日も行い、
けふ15日を含めた3日間で住民120人が島を訪れる。
一行は正午過ぎ、町営フェリー太陽と漁船1隻に乗り、住民が多く避難している屋久島を出港。12キロほど離れた口永良部島に4時間滞在して戻る。
参加した林きくよさん(65)は「噴火後初めて島に入る。畑の様子を見て、お墓に手を合わせてきたい」と話した。
口永良部島では5月29日に起きた爆発的な噴火で137人の住民全員が島外に避難し、公営住宅や親戚の家に移った人を除いて、
あわせて21世帯35人が避難所での生活を余儀なくされた。仮設住宅には避難所などで避難生活を送っていた27世帯47人が入居した。
口永良部島の住民は、島に戻る見通しが立たない中、コミュニティの維持や避難先での仕事の確保など住民の生活をどう支えていくかが課題となっている。
避難生活の長期化に不安を抱えながら、島民たちは新たな暮らしをスタートさせている。
島の新岳は6月にも噴火し、火山性地震も続く。気象庁の噴火警戒レベルは5(避難)のままだ。
先々月29日の爆発的噴火の後、島の見どころや施設の情報を紹介してきた「口永良部島ポータルサイトひょうたん島」
(http://kuchi-erabu.org/index.html)のトップページに、島の高齢者ボランティアグループ「えらぶ年寄り組」の7人のメンバーが、
噴火当日、空を覆い尽くした噴煙の写真をサイトに載せた。「再び新岳が噴火しました!」。そして島の魅力を伝えるサイト本来の役割を変更し、
島民同士の情報交換の場として活用すると宣言。先月2日には避難者向けの住宅対策などをサイトで紹介した。
「一日も早い全員での帰島に向けて、島民が団結する懸け橋にしたい」。
必要な情報が伝わりにくいと、屋久島の避難所で暮らす住民らは、「えらぶ避難所ニュース」をほぼ毎日発行。「一日も早く全員が
島に帰るためには、受け取る情報に差があってはいけない」との思いを込め、インターネットで公開している。
ニュースを発行するのは、ボランティアサークル「えらぶ年寄り組」。5月29日の噴火後は島民向けの情報に切り替え、サイトに掲載。
印刷したニュースを屋久島に3カ所ある避難所に張り出した。家族と避難所に身を寄せる代表の山口英昌さん(72)は、公営住宅の
入居見通しや見舞金の申請方法などをまとめ、メンバーと協力してニュースに掲載している。
♪でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
哀しみは 島わたる 波のよう 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私の愛を
1992年 島唄 THA BOOM 作詞作曲:宮沢和史
ハワイ。戦後70年の敗戦記念日の15日と16日、太平洋戦争が始まったハワイ真珠湾で長岡花火が打ち上がる。
ともに空襲で多くの犠牲が出た長岡、ホノルル両市が合同で慰霊の行事を行う。長岡市の訪問団230人は日本時間14日までに現地集合。
15日に真珠湾・フォード島のヒッカム合同基地で、ホノルル側の220人と太平洋戦争終結70周年追悼式典を行う。
戦艦アリゾナ歴史顕彰碑で献花し、両市が共同制作した70周年記念碑を除幕。灯籠流しの後、慰霊の花火「白菊」3発を打ち上げる。
16日はこの会場で平和友好記念式典。長岡の中学生15人とホノルルの中高生8人が協力してつくった「青少年平和サミット宣言」を発表。
花火は白菊に加え、復興祈願花火「フェニックス」など2千発を上げる。
2007年、ホノルルでの日米市長交流会議が交流のきっかけ。真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官山本五十六の出身地から来たと
市長森民夫が明かすと、当時のホノルル市長が「立派な軍人だった」と受け、話が盛り上がったという。
翌08年に長岡市民51人がホノルルを訪問し、本格的交流が始まった。12年3月には姉妹都市提携を結び、ワイキキビーチで長岡花火を打ち上げた。
14年8月、敗戦70年の記念事業として、真珠湾での花火打ち上げを決めた。市長森は「15日を慰霊、16日を未来志向の日としたのは
ホノルル側からの提案だった。長岡花火を理解してくれている」と。
サミット宣言づくりに参加した新潟大学付属長岡中学3年の磯部伽周君(14)は花火は楽しみでしかなかったが、研修を通じ、「空襲のときは、
火が降り注いできたのか」と想像できるようになったという。今年の花火を見に来たホノルルの中高生たちは、長岡花火には慰霊の意味が
込められていることを分かってくれた。「お互いを理解することが平和につながる。僕はそれを一人でも多くの人に伝え、広めていきたい」。
真珠湾で打ち上げる白菊3発には「米国の戦没者への慰霊」、「日本の戦没者への慰霊」、「世界平和への祈り」の意味が込められる。
1879年に始まった長岡花火は戦争での中断を経て、1947年に再開した。
1日午後10時30分、70年前に1486人が犠牲となった長岡空襲が始まった時間にあわせ、慰霊の花火「白菊」が上がった。
上空で白い花が開くと、市内の寺院の鐘が一斉に鳴った。10秒間隔で3発。最後は鐘が連打された。
元長岡市仏教会長の春日浩三さん(82)は「戦時中は火薬を使う花火は禁止され、寺院の鐘は供出された。花火が上がり、鐘が鳴るというのは
平和な世界の象徴なんですよ」と語る。
市は「平和の祈り」として2日、3日の花火大会冒頭で上げていた尺玉2発を昨年から白菊に変更した。さらに今年は長岡花火の象徴「三尺玉」を3連発で上げ、
それぞれ慰霊、復興、平和の意味だ、とした。市長森民夫は「ハワイでの打ち上げで長岡花火の意味を世界に発信できる。市民にも大きく定着した」。
「慰霊の花火と思ったことはないですね」と話すのは長岡空襲で母を亡くした東條ミヨシさん(89)。38年に中止となる前の長岡花火を覚えている。
長岡駅から西に延びる大手通りで小間物屋をしていた生家の軒先は雪よけ屋根「雁木」になっていて、家族でその上で花火を見ていた。
空襲では母と逃げた。記憶はとぎれとぎれだが、最後は柿川に飛び込んで助かった。母は焼け焦げて、机をひっくり返したような形で死んでいた。
それでも背中側に残っていた衣服から身元が特定できただけよかった、と涙を流した。
慰霊と復興を掲げ、長岡市戦災復興祭が行われたのは、長岡空襲のわずか1年後の1946年8月1日。翌年には長岡花火が復活したが、
東條さんは「空襲を思い出すので、しばらくは花火が空に上がっても、下を向いていました」と。
長岡まつりは現在、1日に戦災殉難者慰霊の日として法要や灯籠流しを行い、前夜祭として民謡流しや神輿渡御を行う。
慰霊の象徴として51年に長岡駅前に設置された「平和像」は駅前開発に伴い、郊外の悠久山公園に74年に移設。その後別の公園に移され、
96年に平和の森公園が造られた際にようやく安住の地を得た。1日の夜に行われる灯籠流しも71年以来10年ほど途絶え、84年に復活した。
白菊を1日に初めて打ち上げたのは2002年。白菊は長岡空襲の慰霊の花火となった。
しかし、打ち上げ翌日、市役所に「なんでこんな夜中に上げる」「寝ていた子供が起きた」と苦情が殺到。市民の多くは白菊の意味を理解しなかったのだ。
4年ほど前、協議会のブログに同じような苦情が書き込まれると、「あれは慰霊の花火」「空襲の時間に合わせて上げている」と次々と書き込みがあった。
長野。57人が死亡するなど戦後最大の犠牲者を出した去年9月の御嶽山(3067m)の噴火から、9カ月過ぎた。
捜索活動は区切りを迎えたが、麓では観光再生への課題が残されている。
気象庁は6月に御嶽山の噴火警戒レベルを3(入山規制)から2(火口周辺規制)に引き下げ、警戒範囲を火口2キロ圏(8合目)から
1キロ圏(9合目)に縮小した。しかし、7月29日〜8月6日まで行われた噴火災害の行方不明者の再捜索に配慮し、木曽町は入山規制を
8合目までの範囲で維持している。
♪卯の花の、匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
さみだれの、そそぐ山田に 早乙女が、裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗植うる、夏は来ぬ
橘の、薫るのきばの 窓近く、蛍飛びかい おこたり諌むる、夏は来ぬ
楝(おうち)ちる、川べの宿の 門遠く、水鶏(くいな)声して 夕月すずしき、夏は来ぬ
五月やみ、蛍飛びかい 水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて 早苗植えわたす、夏は来ぬ
明治29年 夏は来ぬ 作詞:佐々木信綱 作曲:小山作之助
安倍が、きのふ戦後70年の談話(安倍談話)を発表した。
かつて戦後50年の村山談話を「一面的」と批判し、当初は上書きを目指した安倍だが、歴史認識をめぐる表現は周囲の進言にも配慮して
最終的に文言は踏襲した。ただ、この談話が幅広い層に受け入れられ、信頼を得るかははなはだ疑問だ。
きのふの午後6時過ぎ、首相官邸。地元・山口から帰京して会見に臨んだ安倍は、こう切り出した。安倍は談話を20分以上かけて読み上げ、
「一部を切り取って強調するより、談話全体としてのメッセージを見て受け取ってほしい」と訴えた。
戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話は、先の大戦における「植民地支配と侵略」によって多大の損害と苦痛を与えた事実を認め、
「痛切な反省」と「心からのおわび」の気持ちを表明した。二つの談話を「全体として引き継ぐ」と繰り返していた安倍だが、4月の民放番組では
「同じ単語を入れるのであれば、談話を出す必要はない」とも語っていた。安倍は8月に入り、与党幹部や閣僚らに根回しを始めた。
5日に自民党の幹事長谷垣と総務会長二階を個別に官邸に呼び、原案を示して同意を求めた。翌6日には政調会長稲田朋美のほか、公明党の
国交相太田昭宏ら閣僚が次々と官邸を訪ね、原案を示された。複数の政権幹部は、この時点では「原案にはおわびにつながるような表現は
見当たらなかった」と打ち明ける。
7日夜、官邸近くの日本料理店で安倍と谷垣、官房長官菅が公明党の代表山口と幹事長井上と向き合った。この場で原案を見せられた公明側は、
過去の談話を念頭に「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」と記された部分について、「それが何を示すのか、国民や国際社会に
意味が伝わるようなものにしてほしい」と求めたという。村山、小泉両談話の趣旨をより明確に踏襲すべきだとの要求だ。
首相は最終的に安倍談話でも、過去の談話の「痛切な反省と心からのおわび」という表現を引用した。侵略については、武力の威嚇や行使を
「国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」、植民地支配は「永遠に決別」と言及した。
この日の会見で、安倍は「より多くの皆さんの賛同をもらえるものを、と考えた」と繰り返した。だが、当初目指していた内容とは
かけ離れたものとなったことは明らかだった。
2009年の雑誌「正論」の対談で、安倍は村山談話を「あまりに一面的」と批判し、「村山さんの個人的な歴史観に、日本がいつまでも
縛られることはない」と断じた。会見では、今回の談話と過去の発言の整合性を問われたが、「日本がどのような国を作り上げていくべきか、
戦後70年の大きな節目にあたって取りまとめた」などと述べ、正面からは答えなかった。
安倍にとって、安倍談話を出すことは第1次政権からの悲願だった。09年の雑誌「WiLL」のインタビューで、政権時代を振り返ってこう語った。
「総理になった時、村山談話を踏襲すると言った。できれば、歴史認識に立ち入らない安倍談話を出したかった」。
その思いは再び首相に返り咲いた後も続いた。今年2月に有識者会議「21世紀構想懇談会」を立ち上げ、周到に準備を進めてきた。
だが、国会では、安倍が最優先課題に掲げる安全保障関連法案の審議が難航。衆院憲法審査会に招かれた憲法学者から6月、安保法案について
「憲法違反」との見解が飛び出した。野党や世論の批判が高まり、政権は戦後最長の9月末までの会期延長を選択せざるを得なくなった。
政府は「7月末には安保法案を成立させ、静かな環境で8月の談話を迎える」ことを目指した。だが、国会開会中の談話の発表を余儀なくされ、
首相周辺は「安保法案への影響を考え、野党に攻撃材料を与えるような談話は出せなくなった」と語った。
国民に支持を広げる目的で設置した有識者会議も、思わぬ方向に進んだ。会議では、従来の首相の主張とは異なる歴史認識が相次いで示された。
今月6日に提出された報告書は、先の大戦における日本の侵略と植民地支配の事実が明記されるなど、結果的に有識者会議の存在が首相を追い込む流れを生み出していった。
談話発表後の昨夜、国営放送NHKで、安倍は、「侵略の主語がはっきりしていない。日本が侵略したという認識なのか」と問われると、
言葉を選びつつ、こう語った。「なかには侵略と評価される行為があった。私もそう思います」。
安倍談話は過去の村山・小泉両談話のキーワードを用いる一方、歴史認識については直接の言及や評価を避ける「間接話法」が目立った。
バランスに配慮した結果だが、そのあいまいな姿勢が親安倍・反安倍の双方から不評を買った面も否めない。
自民党のベテラン議員は「かなり苦しい内容だった。安倍さんらしさなんて、何もない。少なくとも新味はない」と不満を漏らす。
首相の政策的ブレーンとされる保守系団体「日本会議」の幹部は「いろいろ政治状況が難しかったのだろう。仕方がない」とこぼした。
一方、村山談話を出した元首相村山は「(村山談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。引き継がれた印象はない」と強調。
その上で「(安倍は)もっと本心を素直に、きちんと述べた方が良かった」と指摘した。
自民党のある派閥会長は「あちこちに配慮した結果、キーワードを全部入れざるを得なかったのだろう」と評しつつ、こう漏らした。
「談話を出さないことが、一番良い選択だったかもな」。
思想、歴史認識のひとかけらもないのが、誰かの書いた作文を中国や韓国を意識して、無理やりつなぎ合わせて、主語もなく、誰の為、何のためか、
この時期に及んで「首相談話」なんて、大げさに発表すること自体、まったくずれていると思う。
♪白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
悲しかった あの時の あの 白い花だよ
白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰 さよならと 云ったら 木霊がさよならと 呼んでいた
淋しかった あの時の あの 白い雲だよ
白い月が ないてた ふるさとの 丘の木立に さよならと 云ったら 泪の眸でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の あの 白い月だよ
昭和25年 白い花の咲く頃 作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる
安倍談話。注目された「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「心からのおわび」について、安倍自らの歴史認識はあいまいにしつつ、
言葉を盛り込む手法をとった。「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にした村山・小泉両談話の姿勢とは大きく異なる。
戦後の歩みで中国の「寛容」に触れて配慮を示す一方、慰安婦問題は明記せずに「女性の人権」を強調する表現となった。
3300文字に及ぶ安倍談話は、「侵略」や「植民地支配」というキーワードについてこう言及した。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から
永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓った」。
この表現は有識者会議「21世紀構想懇談会」が提出した報告書に沿う。報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、
無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」、「特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した」と指摘していた。
さらに注目されたのは、先の大戦についての「反省」「おわび」の表現だ。
村山・小泉両談話は「わが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と明確に認め、
「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明している。この点、安倍談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、
痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と触れた。
しかし、同じ単語が盛り込まれたとはいえ、村山・小泉両談話と安倍談話には大きな違いがある。談話を語る「主語」だ。
首相(当時)村山富市は、談話の末尾を「私の誓いの言葉といたします」と結び、首相(同)小泉純一郎は「私は、終戦60年を迎えるに当たり」と
談話を書き出した。いずれも首相本人としての事実認定や思いを明確にする姿勢を打ち出していた。
これに対し安倍談話では、「我が国は」「私たちは」という主語が目立つ半面、「私は」という主語は日本語版では一度もない。
「侵略」「植民地支配」との決別は「我が国は誓った」という文脈で語り、安倍が、個人として侵略や植民地支配を認めるかどうかはあいまいにしている。
また、村山・小泉両談話は「植民地支配」と「侵略」が「アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」と明示しているのに対し、安倍談話は、
「侵略」や「植民地支配」の対象を示していない。特に「侵略」については、日本が国家として行ったかどうかも、はっきりとは読み取れない。
「痛切な反省」と「おわびの気持ち」の表明も同様だ。村山談話では「私は」が主語だが、安倍談話は「我が国」を主語として「隣人である
アジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきた」と言及。そのうえで、
「こうした歴代内閣の立場は揺るぎない」と表現している。過去の談話を「全体として引き継ぐ」と繰り返してきた安倍の姿勢を踏襲した形だ。
安倍談話には、村山・小泉両談話にない、新たな言葉も随所にみられた。
安倍がこだわる「未来志向」を示す形で「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける
宿命を背負わせてはならない」と表現した。
安倍は談話発表後に出演した国営放送で、謝罪について「次の世代も繰り返していくことは、多くの国々とともに未来に向かって、
希望を紡ぎ出していくことにはつながらない」と説明。安倍談話によって、日本の過去に対する謝罪に「ひと区切り」を付けたいとの認識を示した。
歴史の表現にもこだわりがみえた。100年以上前にまで歴史をさかのぼり、日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアや
アフリカの人々を勇気づけた」と礼賛した。
戦争に突き進んだ日本については「新しい国際秩序への挑戦者」と表現。転換点について、1929年の世界恐慌を挙げた。
「21世紀構想懇談会」がまとめた報告書では「1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた」と指摘。
安倍談話でも同様に「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けた」とし、
孤立感を深めた日本は「世界の大勢」を見失ったとした。ただ、報告書にあった「1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重い」という
責任論には触れなかった。一方、政権が関係改善を進める中国には再三言及して配慮をみせたが、韓国にはほとんど触れなかった。
談話では、日中の国交回復で帰還事業が進められてきた中国残留孤児問題を念頭に、「私たち」が忘れてはならないこととして「中国に
置き去りにされた3人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実」を盛り込んだ。
さらに「戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さん」とした上で、「それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、
いかほどの努力が必要であったか」と言及。中国の「寛容の心」により、日本が戦後、国際社会に復帰できたと位置付け、「心からの感謝の
気持ちを表したい」と配慮を示した。
一方、韓国が強く解決を求める慰安婦問題については「韓国」や「慰安婦」という言葉は直接使わなかったが、女性の人権問題を盛り込んだ。
戦死者や広島と長崎での原爆投下、沖縄地上戦などに続く犠牲者として「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、
忘れてはならない」と指摘。後半では、女性の尊厳が傷つけられた過去に触れて「我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」とアピールした。
うちなー。月桃の花咲く島に軍用トラックふさわしくないヘリ基地反対
大阪府 道浦母都子
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設で、海上作業が始まってから1年を迎えたことを受け、ヘリ基地反対協議会などは
けふ午前、辺野古の浜で抗議集会を開いた。市民ら300人が参加し、新基地建設阻止へ決意を新たにした。
ヘリ基地反対協の共同代表安次富浩は、きのふ14日に閣議決定された戦後70年の首相談話を「反省の言葉がない」と批判した上で
「日本が何をやったか受け止めた上で東アジアの人たちと交流しないといけない。そのためにも新基地は絶対造らせてはいけない」と力説た。
カヌー隊で大学生の池間優さん(23)は「沖縄を沖縄の人に取り戻すため、まずは新基地建設を止める。これからも皆と一緒に頑張る」と決意表明した。
沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設作業を巡り、県は、辺野古沿岸部の立ち入り禁止水域内での調査を19日にも始める。
県と在日米軍、沖縄防衛局が、きのふ同水域を一時的に共同使用する協定書を締結した。
知事翁長は2月、防衛局が設置したコンクリート製ブロック(アンカー)がサンゴ礁を壊している可能性があるとして、同水域内での調査を申請。
3月には調査終了まで移設作業を停止するよう指示した。県は今回、10日間程度の潜水調査を行う方針だ。
一方、知事の停止指示は不当として審査請求を行っている沖縄防衛局は、きのふ「指示の契機となった調査が可能となったことから、
指示は取り下げられるべきだ」などとする再反論書を農相林宛てに送付した。
米軍普天間基地の移設計画をめぐって、政府は、9月9日までの1か月間、移設先の名護市辺野古でのすべての工事を中断し、沖縄県との
集中的な協議を始めていて、官房長官と知事が先に会談し、双方の基本的な立場を確認した。
菅官房長官に続いて、防衛大臣中谷もけふ15日から2日間の日程で沖縄を訪問し、知事や名護市の市長稲嶺と会談することにしていて、
計画への理解を求めることにしている。
これについて、知事は、12日、抑止力の観点からも、安全保障を沖縄に頼るのはおかしいとした上で、「大臣中谷とは今月16日に会うことになっている。
沖縄に米軍が駐留することによる抑止力について意見を交わしたい」と述べ、会談に臨む姿勢を示した。
政府としては、閣僚が相次いで沖縄を訪問することで、県側の意見を丁寧に聞く姿勢をアピールする狙いがあるものと見られるが、知事や
市長稲嶺に、移設計画への反対を変える考えはなく、会談は平行線に終わる公算だ。
県議会米軍基地関係特別委員会は、きのふ米軍ヘリうるま沖墜落事故に抗議し、事故の原因究明、再発防止などを求める意見書案と抗議決議案を
臨時会に提出することを全会一致で決めた。
臨時会は19日にも開催され、意見書案、抗議決議案とも全会一致で可決される見通し。県議会は17日に議会運営委員会を開き、19日の
臨時会開会など上程を決める。安全保障関連法案の廃案を求める意見書案も19日の臨時会に提出される。
沖縄県の知事翁長は、9月下旬にスイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会に出席し、演説する方針を固めた。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる政府との集中協議が平行線のまま終わるのをにらみ、移設反対の国際世論を喚起する狙いがある。
演説は、辺野古移設阻止を掲げる沖縄県の市民団体が国連側と調整し、9月21日か22日に行う方向だ。翁長は今月上旬、県庁で市民団体の
関係者らから演説に向けた要請を受け「基本的には行きたい」と応じた。
♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春 季節が都会ではわからないだろうと届いたおふくろの小さな包み あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
雪どけ せせらぎ 丸木橋 落葉松の芽がふく 北国の ああ 北国の春 好きだとおたがいに言いだせないまま別れてもう五年 あの娘はどうしてる あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
山吹 朝霧 水車小屋 わらべ唄聞こえる 北国の ああ 北国の春 兄貴も親父似で無口なふたりがたまには酒でも飲んでるだろか あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
1977年 北国の春 作詞:いではく 作曲:遠藤実
解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は、去年暮れ12月の14日に投開票された。
「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。
戦後最低のわずか52%という投票率に象徴されるように、今度の衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党にもあったのは
今さら言うまでもない。
元首相村山富市は、きのふ大分市で会見し、安倍が発表した戦後70年談話について「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小化されて不明確になった。
植民地支配や侵略などの言葉をできるだけ薄めたものだ」と批判した。村山談話が継承されたという認識は「ない」と述べた。
村山は「長々と言葉に配慮し、苦労して作った文章だというのが第一印象。しかし最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と述べた。
一方、安倍談話が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした点については「(政府の姿勢を)はっきりさせれば
謝る必要はない。安倍が最初から(村山談話を)継承すると言えば、それで済んだ。本来なら談話を出す必要はなかった」と反論した。
談話について、与党からは過去を踏まえた未来志向の内容だと評価する意見が相次いだ。一方野党は、おわびや反省などについて過去の政権が言及した
事実に触れただけで、「自らの言葉で語っていない」などと批判した。
また、元熊本県知事、第79代首相の細川護熙(もりひろ)は、戦後70年の談話(安倍談話)について、次のように述べた。
祖父の近衛文麿は、亡くなる前の晩に次男の通隆に宛てて遺書のようなものを残していますが、その中で、日支事変の拡大、仏印進駐は
自分の政治的誤りであったということを言っています。先の大戦は侵略戦争であったということを裏付けるような発言です。当時その責にあった人が
そう言っているわけで、その言葉は重く受け止めざるをえない。だから首相に就任した1993年8月の最初の会見で質問に答え、先の大戦について
侵略戦争だったと、間違った戦争だったと認識していると、首相として初めて明言した。私が言わなかったら村山談話も小泉談話もあそこまで
踏み込んだものにならなかったかもしれません。それまで歴代の総理は、戦争を通じて多大な損害を与えたことに対する真摯な反省の気持ちを述べられていたが、
「侵略」に関しては政権の内外とも奥歯にものが挟まったような発言が繰り返されていました。しかし、私には明確な歴史認識を示すことで、
近隣諸国の対日不信感を払しょくする一助になるのではないかという信念がありました。
私の発言は、中国と韓国はもちろん欧米の首脳にも広く歓迎されました。ロシアのエリツィンさんは、首脳会談で来日されたとき、私のあの発言が
なかったら、自分はここにいなかったとはっきりと言われました。おそらくあのときが一番、日本とほかの国との関係が外交的にはうまくいっていたときだと思います。
でも自民党からは、もう総攻撃でした。石原慎太郎さんや橋本龍太郎さんらから予算委員会でも徹底的に追及されました。当時の与党のみなさんも
びっくりされたと思います。与党の人たちからは特になにも言われなかったんですが「よく言った、そのとおりだ」と真っ先に言ってくれたのは
小泉(純一郎)さんだったというのも意外でしたね。安倍さんが戦後70年談話を出されるということですが、私の考えは極めて簡単で、
村山、小泉談話をそのまま継承すればいいということです。いささかでも私の発言や村山談話から外れてその精神を損なうものであれば、
それは有害なものになるでしょう。「侵略」とか「植民地」とかいくつかのキーワードを継承していかないと、「未来志向」と言っても意味がない。
そもそも10年ごとに談話を出す必要もないと思っています。過去に対して向き合うのが10年ごとに変わるのでは困ります。そして日本と中国、
韓国との関係においては、平和友好以外の選択肢はありえません。週刊朝日 2015年8月21日号)。
自民党の幹事長谷垣は、「先の大戦でのわが国の失敗の原因と、戦後、わが国が努力した成果を分析し、取るべき方向性を示した、非常にバランスの
とれた談話だ」とのコメントを発表した。政調会長稲田朋美も「満州事変以降戦争に進んだ日本について、何を反省すべきかを世界の中の日本という
視点で直視した」とした上で、「談話は首相の平和への思いと世界貢献への決意の表れだ」と評価するコメントを出した。
公明党の代表山口も党本部でに、「先の大戦への深い悔悟の念と不戦の誓いをしている」と語り、一定の評価をした。山口は7日に安倍から
談話の原案を提示された際、「侵略」などの文言を明確に位置づけるよう注文をつけていた。
一方、民主党の代表岡田は国会内で、「植民地支配や侵略について日本のことを言っているのか一般論として言っているのか定かではない」と指摘した。
そして「今までの政治家安倍の考えとは違うものがかなり入っている。全部消化した上でいっているのか疑問は残る」と述べた。
また「こういう談話を出した以上、今後この考え方で進めてもらいたい」と注文をつけた。
維新の党の代表松野頼久は「村山談話以後、10年ごとに同様な談話が発表されていることに疑問を感じざるを得ない。村山談話に示された
歴史認識は広く普遍的なものになっている」とする談話を発表した。
共産党の委員長志位和夫は党本部で、「反省とおわびについて、歴代政権が表明したという事実について言及しただけで、自らの言葉で述べていない。
大変欺瞞に満ちたものだ」と批判した。元首相村山が名誉党首を務める社民党も、党首吉田忠智が党本部で、「注目された侵略とおわびの表現は
盛り込まれているが、本人の言葉として語られていない。村山談話よりも大きく後退した」と指摘した。
生活の党と山本太郎となかまたちの代表小沢一郎は盛岡市内で、「村山談話や小泉談話で謝罪したからこれ以上言うことはないという本音が出ている談話だ」と批判した。
次世代の党の党首平沼赳夫は、「おわびはもうやめるべきだ。次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと発言したことは評価する」との
談話を発表し、日本を元気にする会の代表松田公太は「未来志向の言葉が多いが、重要なのは行動だ」とする談話を出した。
安倍は敗戦の日のけふ午前、東京・九段北の靖国神社に玉串料を私費で奉納した。
参拝は見送り、先の大戦に関する「おわび」に触れた戦後70年談話に続き、中国や韓国に配慮した形だ。閣僚では総務相高市と女性活躍相有村が参拝した。
拉致問題相山谷もけふ中の参拝を予定している。安倍のの玉串料は「自民党総裁 安倍晋三」名で、自民党の総裁特別補佐萩生田光一を通じて奉納した。
安倍の靖国神社への対応は2013年、14年と同じになる。年内に中国、韓国との首脳会談を模索しており、靖国参拝で両国の国民感情を刺激したくない思惑がある。
一方、玉串料奉納で首相を支持する保守層にも一定の配慮をした。安倍は午前、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花した。
総務相は靖国参拝後、「どのように慰霊、お参りするかはそれぞれの国の責任の問題だ。外交問題になる事柄ではない」と指摘。
女性活躍相は「終戦から70年がたち、苦難の時に命をささげられた御霊に、心をこめて追悼、感謝の意をささげた」と語った。
けふ午前には自民党の政調会長稲田朋美が会長を務める同党の有志議員らの「伝統と創造の会」のメンバーと参拝。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する
国会議員の会」(会長・元参院副議長尾辻秀久)も参拝した。
♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ
遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)
呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
昭和30年 別れの一本杉 作詞:高野 公男 作曲:船村徹
中国。中国外務省は深夜に談話へのコメントを発表し、「過去の歴史を正確に認識・対応し、正義を守ることは日本とアジアの隣国との
関係改善の重要な基礎だ」と指摘。その上で「侵略の歴史に正面から向き合い、深く反省し、実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼を得るよう求める」と、
安倍の歴史認識を批判した。中国共産党関係者は「言葉は入っていても首相の誠意が感じられない」と、不信感を示した。
ただ中国政府は、安倍が間接的でも「侵略」や「おわび」を明記したことで、日中関係改善を進めていくとの方針は今後も堅持していくとみられる。
韓国でも、安倍談話は過去の歴史への反省や謝罪が間接的な表現にとどまっているとの批判が出ている。
韓国政府関係者によると談話発表後、外相岸田文雄が外相尹炳世(ユンビョンセ)に電話をして「歴代内閣の歴史認識は今後も揺るがない」と説明。
外相尹は「日本政府の誠意ある行動が何よりも重要だ」と強調したという。
与党・セヌリ党の報道官は「反省と謝罪に言及したという点では意味ある談話だ」と一定の評価をしたうえで、「慰安婦についても間接的にしか
言及していないことは物足りない」と指摘した。
最大野党・新政治民主連合の報道官は「キーワードはすべてあったが、巧妙なやり方で加害者としての責任を避けた」と指摘。村山談話から
大きく後退したと論評した。
大統領朴槿恵(パククネ)は2013年2月の就任後、安倍との二国間の会談を一度もしていない。米国からも関係改善を求められるなか、
首脳会談への環境を整えるには安倍談話の中身が重要で、外相尹も今後の日韓関係を左右する「試金石」と述べていた。
ただ、外交筋は「批判をしすぎれば関係改善の機運をそぐことになる。韓国政府にとっては難しい判断になるのでは」と。
オバマ米政権は安倍の歴史認識で日韓関係が悪化すれば、中国などを利することになり、米の外交戦略を狂わせかねないとの警戒から
「安倍談話」に注目。歴代の首相談話の継承を求めてきただけに、米国家安全保障会議(NSC)の報道官プライスは14日、「第2次世界大戦中に
日本がもたらした苦しみに対する痛切な反省を安倍が表明したことを歓迎する」との声明を発表した。
ところで、天津市浜海新区の港湾地域で、12日深夜、日本時間の13日、中国・天津の港の近くにある倉庫とその周辺で起きた大規模な爆発では、
14日よりも29人増え85人になった。また、病院で手当てを受けたけが人の数は、14日と同じで721人だという。
地元の天津市政府は、14日夜の会見で火はほぼ消し止められたと発表したが、現場では消防などが、くすぶっている場所に砂や消火剤をまくなどしている。
また、水に反応して爆発する化学物質に放水したのが事故につながったという見方が強まっているものの、爆発の詳しい原因などは依然明らかになっていない。
爆発から2日経ち、地元政府は、爆発で起きた大気汚染によって住民の健康への影響は出ていないとしているが、多くの住民は、当局の発表を信用しておらず、
外出する際、マスクをするなど現場に残る化学物質による健康への影響に不安が高まっている。このため地元政府は14日、多くのけが人が
入院する病院をメディアに公開し、医師が「全力を尽くしている」と述べるなど、当局の取り組みを強調した。一方で、中国政府は、インターネット上の
言論の取締りを強化しており住民の不安が高まる中、政府に批判の矛先が向かうことに神経をとがらせている。
♪背のびして見る 海峡を 今日も汽笛が 遠ざかる あなたにあげた 夜をかえして 港 港 函館 通り雨
流す涙で 割る酒は だました男の 味がする あなたの影を ひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼
出船 入船 別れ船 あなた乗せない 帰り船 うしろ姿も 他人のそら似港 三崎 焼津に 御前崎
昭和44年 港町ブルース 作詞:深津武志 補作:なかにし礼 作曲:猪俣公章
ドイツ。安倍が発表した戦後70年の首相談話について、第2次大戦中のナチスの過去と向き合ってきたドイツの主要紙は、緊張が高まる
近隣諸国への配慮や与党内の圧力を受け、歴代首相の言葉を踏襲したなどと分析した。
フランクフルター・アルゲマイネ紙(14日付、電子版)は、「謝罪――しかし疑心は残る」との見出しで、安倍が近隣諸国の不快を和らげるため
歴代首相の謝罪の言葉などを盛り込んだが、「首相自身の言葉でおわびは言わなかった」と指摘した。
「日露戦争がアジアやアフリカの人々を勇気づけた」との箇所については、「侵略がどのような行為か歴史家の議論にゆだねた」と解説した。
一方、南ドイツ新聞(14日付、電子版)は「安倍は圧力に対して頭を下げた」との見出しを掲げ、「首相が半年前は侵略や謝罪について
話すつもりはなかったが、与党内や歴代首相、多くの国民からの圧力に屈した」と分析。ただし、「首相自身の見解を変えたわけではない」などと伝えた。
♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ
昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生
他の作品のデザインによく似ているとインターネット上などで指摘されていた東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムの制作者で
アートディレクターの佐野研二郎が手がけたビールメーカーのデザインについて、佐野の事務所は、共同で制作していたデザイナーが
第三者のデザインをそのまま使っていたことを明らかにした。
これについて佐野は、ホームページ上で「決してあってはならないことで責任を痛感している」と陳謝している。
この問題は、「サントリービール」がノンアルコールビールのキャンペーンで購入者にプレゼントしていた佐野がデザインした一部のバッグが
ほかの作品のデザインなどによく似ていると指摘されたもの。メーカーは佐野からの申し出を受け、13日から30種類のうち8種類のデザインについて
取り扱いを中止した。これについて佐野は昨夜、ホームページを通じて、共同で制作していたデザイナーが第三者のデザインをそのまま使っていたことや、
佐野はこれについて報告を受けておらず今回初めて知ったなどとする調査結果を明らかにした。そのうえで、「法的問題以前に第三者のものと思われる
デザインをそのまま使用すること自体が決してあってはならない。私自身のプロとしての甘さ、そしてスタッフ教育が不十分で責任を痛感し
厳しく受け止めております」などと陳謝するコメントを掲載した。
♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある
好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…
こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。
一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある
なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
奈良。今朝4時すぎ、葛城市疋田の福井加代子さん(81)方から出火して木造2階建てを全焼、2時間後に鎮火した。
焼け跡から3人の遺体が見つかった。足が不自由で杖つえを使っていた50代の福井さんの長男、稔さんと長女、順子さん(54)のほか、
下宿していた中学1年の井本千晴さん(12)の3人と連絡が取れなくなっている。警察は遺体を3人とみて身元確認を進める。
福井さんと、旅行で不在だった孫の女性(23)は無事だった。井本さんは三重県出身で、奈良県内の中学校で、柔道をするため、4月から下宿していたという。
現場は近鉄南大阪線尺土駅の南東600mの住宅街。
浪速大阪。高槻市の運送会社の駐車場で8〜15歳の少女とみられる遺体が見つかった事件で、女性が倒れていた付近から血痕が確認されたことがわかった。
血は大量ではなく、府警は女性が別の場所で事件に巻き込まれ、死亡後にまもなく遺棄されたとみて調べている。
府警は司法解剖の結果、女性は首を絞められたか、顔に巻かれた粘着テープで呼吸が困難になって、一昨日13日午後7時ごろに窒息死したとみている。
一方、体には30カ所以上に刃物で切られたような傷があり、発見場所のあたりに血だまりがあった。現場周辺ではほかに目立った血痕は確認できなかったという。
現場の駐車場は砂利敷きで、女性がはったり、歩いたりした痕跡は見つからなかった。複数の配送会社員は府警に対し、「13日の日中に
遺体はなかった」と証言。現場で確認された血液の量などから、何者かが夜間に死亡後まもない女性を車で運び込み、立ち去ったとみて、
府警は目撃者を探したり、付近の防犯カメラ映像を調べたりしている。
♪白い夜霧の灯りに濡れて 別れ切ないプラットホーム ベルが鳴る ベルが鳴る
さらばと告げて手を振る君は 赤いランプの終列車
涙かくして 微笑み合(お)うて 窓に残した心の温み あの人は あの人は
いつまた逢える旅路の人か 赤いランプの終列車
遠い汽笛に うすれる影に 一人たたずむプラットホーム さようなら さようなら
瞼の奥に哀しく消える 赤いランプの終列車
昭和27年 赤いランプの終列車 作詞:大倉芳郎 作曲:江口夜詩
鹿児島。気象庁は、鹿児島市の桜島に噴火警報を出し、噴火警戒レベルを3(入山規制)から4(避難準備)に引き上げた。
規模の大きな噴火が発生する可能性が非常に高くなっているという。鹿児島県は災害対策本部を設置した。桜島を対象にした警戒レベル4は初めて。
気象庁は、昭和火口や南岳山頂火口から3キロ以内の鹿児島市の有村町、古里町では、大きな噴石と火砕流に警戒が必要として、避難準備を呼び掛けた。
鹿児島市も住民に避難の準備を促すメールを配信した。気象庁によると、今朝7時ごろから桜島を震源とする地震が多発し、山体の膨張を示す地殻変動が大きくなっている。
神奈川。きのふ、水難事故が相次ぎ、4人が死亡した。
藤沢市辻堂西海岸の海岸では、茅ケ崎市赤羽根、小学5年榎本侑茉さん(11)と父親で会社員の武志さん(36)が心肺停止状態で相次いで見つかり、
死亡が確認された。藤沢署は溺れたとみている。横須賀海上保安部によると、三浦市南下浦町上宮田の三浦海岸の400m沖に
東京都大田区の及川健治郎さん(71)が浮いているのを水上バイクに乗っていた人が発見、及川さんは病院で死亡。死因は溺死。
葉山町一色の沖合では、東京都江東区毛利の鈴木久夫さん(67)が浮いているのが発見され、病院で死亡が確認された。
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
犀星 抒情小曲集から
富山。越中宮崎駅と石動駅を結ぶあいの風とやま鉄道の4〜6月期の1日当たり利用者数は4万3206人で、同じ区間の11年度の利用者数である
4万200人を7.5%上回った。定期券を使わない利用者の伸びが大きい。北陸新幹線の開業や特急で大阪方面から来て、同線に乗り継ぐ
観光客やビジネス客の利用が増えている。あいの風とやま鉄道では「順調なスタート」とした。
3月14日開業の富山鉄道には前年度の営業実績がないため、富山県並行在来線対策協議会が実施した11年度の調査結果と比較している。
1日1キロ当たり何人の乗客を運んだかを示す「輸送密度」も発表した。4〜6月期の平均値は8063人で、開業前に予測した7383人を
9.2%上回った。年間にならすと、8139人(県内区間)。富山駅以西が1万2029人、同駅以東が5373人で、富山駅以西ほど
乗車効率がよいといえる。1日当たりの駅別乗車人員(推計値)は、富山駅が1万2122人でトップ、高岡駅(6534人)、小杉駅(3424人)が続く。
会社は6月に実施した利用状況調査を踏まえた混雑緩和対策として、9月7日から平日朝に黒部行き、同夕方に高岡行きの列車をそれぞれ1本ずつ増発する。
福井。国が4月に日本遺産に認定した若狭町熊川の熊川宿で、昨夜、陶器の灯籠を並べた企画「街かど陶の灯(あか)り展」が始まった。
熊川宿の魅力を内外に伝えようと、町の有志らがつくる実行委員会が主催し、5回目。13日からの予定だったが、雨天で1日遅れのスタートとなった。
熊川宿の沿道1.2キロに、200個ほどの灯籠が並べられ、ろうそくや発光ダイオード(LED)の光が歴史ある街並みを7色に彩った。
今年は9日から12日まで、町に体験学習に来ていた大阪市の学習塾の小中学生らが制作した灯籠も展示されている。
県内に親戚の家があるという千葉県鎌ケ谷市の根岸真一さん(58)は「地元では見られない。風情があっていい」と幻想的な光景に見とれていた。
実行委員会では「日本遺産という冠をいただき、一層誇りを持っていきたい」と。灯(あか)り展はけふ15日まで。
能登。キリコ祭りの一つ穴水の「沖波大漁祭り」が、行われ、巨大な灯籠・キリコが海へと担ぎ込まれた。
「沖波大漁祭り」は穴水町で、海の安全と大漁を祈願して続けられている祭り。地元の神社が海から流れ着いた神様をまつっていることから、
海水で禊を行うのが特徴で、海にキリコを担ぎ込んでの乱舞が最大の見せ場だ。能登では人口減少や若者の流出で祭りの担い手の確保が課題となっているが、
この地区では近年、金沢の学生らも多く参加しており、今年も地元の人と一体となって祭りを盛り上げていた。
輪島市の伝統芸能「三夜踊り」が昨夜、市役所前三角州広場で始まった。
明日16日まで毎夜、踊りを繰り広げる。市内の児童によるお囃しで踊りが幕開け。輪島塗や御陣乗太鼓など地元の風物を歌詞に織り込んだ
三夜音頭の歌声と笛や太鼓、三味線の音色に合わせて、浴衣姿の人たちが行きつ戻りつしながら踊りの輪を広げ楽しんだ。
起源は諸説あるが、豊作と無病息災を願って3百年前から踊り継がれている。江戸時代の元禄期に最も栄えたとされる。
金沢。先月31日、市内の介護施設で、病気の容体が悪化した90代の御年寄りを、救急隊員がストレッチャーに乗せて救急車に運び込もうとしたところ、
ストレッチャーが傾き、御年寄りが1mの高さから転落した。この事故で御年寄りは足の骨を折ったほか、頭や腕に切り傷を負う大けがをした。
御年寄りは5日後に搬送先の病院で死亡し、金沢市消防局は「御年寄りが亡くなったのは病気が原因で、事故は関係ない」としている。
ストレッチャーは救急隊員3人が運んでいて、救急車に乗せる直前に傾いたということで、消防局は、何らかの原因で過ってバランスを崩したと見て調べている。
金沢市消防局の局長小谷おだに)正利は(「市民の命を守るべき救急隊が患者にけがを負わせてしまい、深くお詫び申し上げます。
職員の指導や教育を徹底し、再発防止に努めてまいります」とコメントしている。
熱戦が続く夏の甲子園。早朝から多くの人が訪れ、熱戦に4万を超える観衆が大歓声をあげた。
正午を迎えたのは第2試合、鶴岡東(山形)―花咲徳栄(埼玉)の五回が終わった後。サイレンの音が響き、両校の選手や観客らは
30秒間、静かに目を閉じた。第三試合、石川代表の遊学館ナインは、優勝候補の一角・神奈川代表の東海大相模に、11対2で敗れた。
加賀。「盆迎え」の行事が一昨日13日の夜、吉原釜屋町の海岸であった。
子どもからお年寄りまでが集い、先祖の霊を出迎えた。盆迎えは、松明を持った子どもたちが「おしょうらい」、「ぼんむかい」と唱えながら浜辺を歩く行事。
先祖の霊はその火を目印に各家庭に帰ってくるといわれる。昔は県内各地で実施されていたが、吉原釜屋町のみが継承している。
午後7時すぎ、老人会の会長山吉信守さん(75)が園児から中学生まで32人に行事の意味を説明。浜辺に木で組まれた高さ4mの親火に点火し、
子どもたちがお手製の松明を近づけて次々と火を付けた。その後、先祖がいる極楽浄土のある西に向かって浜辺を100mほど歩いた。
行事後は子どもたちと町民が食事や花火を海岸で楽しんだ。町内会長の森山直喜さん(66)は「地域の大切な伝統行事。絶やさぬよう
三世代が一緒になって後世に伝えたい」と。
Do it!(ともかくやりなさい)
Go against!(風に向かって走れ)
熊川哲也
朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
酒井雄哉 高倉健の座右の銘
他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
高倉健
「出合いこそ力」と訴えていたのは白山麓ゆかり、作家の故高橋治。
回光返照(えこう へんしょう)
自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みること。
人に愛 花に水
People love to water the flowers
風薫る皐月も今や、葉月、8月入りしている。
葉月、8月15日だ。旧盆。月日の経つのは、何とも早い。
時折、ジッと移動する鳴き声がする。
蝉しぐれ。午後、山科に居る義母のところへ行く。この辺りは、百日紅の花が目に入る。帰路、山科の小野木さんを訪ねたが不在で、
かつて町会をご一緒した近くの宮崎さんの御婆さんを訪ねたら、御元気そうで、小野木さんは妹さん、それに義母と同じ隣の老人ホームにいるという。
更に、山側環状から、大桑の元社の中野さん宅へ立ち寄ったら、奥さんも御元気そうで中野さん逝ってからもう12年経ったという。
年月は何とも速いとつくづく思った。
宝町の別荘に居るけんたくん、お盆は別荘から、実家へ戻らないという。木場潟ほとりの出身、高尾の北さん、小松で、いろいろイベント等々あり、
ほとんど小松へ行っているそうな。
夕方の散歩は、陽が陰ってから、何時ものコースを歩いた。
安保法案協力した公明党の行動は、万死に値する。
元公明党副委員長 二見伸明(80)
枯れ芝よ団結をして春を待つ
鶴彬
笹鳴(ささなき)や馬込は垣もまだらにて
犀星 昭和3年「馬込日記」 「萬福寺」(東京・大田区南馬込)境内の石碑
聞き流すことも処世や心太(ところてん)
箕面 藤堂
薔薇美しき 真紅のバラの就中
(々)
trust me.
I Have a Dream
2015 葉月、8月15日(ふ)
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日々のことなどは【東風 (あいのかぜ)に吹かれて】
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回天蒼生塾 『能登・加賀 東風に吹かれて』創刊