「国の政治の堕落ではないか」翁長・菅会談 沖縄

 2015年、卯月、4月6日 。石川県内は、雨。金沢の最高気温は13度。

 朝の散歩は、なまごみ捨てのコースで、バス停の方向へ。100m手前で、黒の小型車で来た男がごみを捨ててそのまま立ち去ろうとしたのを

 見つけたので、「シートをかぶせんかい、カラスがつつくぞ」と声掛けたところ、しぶしぶシート被せていた。更に言いぐさ

 「当番のすることや」、「時間がない」と抜かしたので「早く来た人がやることや。皆、時間がないのだ」と言い返すとふてくされて、

 勤めに出て行った。車の助手席にはベビーシートがあったのでひとの親らしい。こんな輩に育った子供は親を見て育つので可哀そうだ。

 道心建材の四つ角はそのまままっすぐ行き、コンビニから右折して、バス通り沿いに左折し、大きなアパートの横路を歩いて、途中みすぎ公園

 前に出て、一回り。アパートの横では、2階まで届く雪柳が見事だった。園内の白の椿は綺麗だった。

 旧ため池、梨畑の手前では、ボンゴで、でかける男に「おはようございます」。途中、6年生らしき女の子に「お早う、今日は登校日?」、

 「ハイ、6年生だけです」。なかの公園を過ぎて、四つ角もまっすぐ行く。宇野さんは出かけたあとで、洋菓子屋さんも。

 西さんちまえの四つ角もそのまままっすぐ行と、長谷川さんちの姉ミホちゃん会い「お早う、どうしたの」、「今日は新6年生だけ登校で、

 明日の始業式の準備です」。舘山町の四つ角を右折して坂道。浅田の御婆さんはカラスにやられて、散らかっていたゴミステーションを

 整理されていた。「おはようございます、ご苦労様」。そこへ、野畠の御婆さん、両手で伐採された木の枝の袋を持ってこられて

 「おはようございます」。体育館の横の木蓮は散らずに咲いていた。寺津用水の枯葉は一掃されて流れは速い。

 高瀬さんちの桜幾分散っていたが、しばらく大丈夫だ。  この後は、小屋に入って、緑茶を戴いた後、豆を挽いて、カフェを4、5杯分を点てた。

 時間を見てゆっくり飲む時が至福のひとときだ。

 金沢。下安原町のJA金沢市砂丘地集出荷場で、春キュウリの出荷が始まった。

 今年は3月中旬から天候に恵まれ、ほぼ平年並みの初出荷となった。初日のきのふは120ケース600キロを出荷。

 春キュウリは、皮が薄く、みずみずしい甘みが特長。打木町地区の農家15戸が栽培し、主に県内で消費される。

 5月下旬に最盛期を迎え、7月上旬までに500トンの出荷を見込んでいる。

   長野。全国有数の花見の名所として知られる伊那市高遠町の高遠城址公園のタカトオコヒガンザクラが咲き始め、市などが、きのふ開花宣言をした。

 見頃は9日、満開は11日と予想している。花は小ぶりで、赤みが強いのが特徴。園内の1500本が咲き誇る様子は「天下第一の桜」とも呼ばれる。

 先月末から例年より暖かい日が続いたため、過去16年で3番目に早い開花となった。

 この日は、日当たりの良い公園南側の木を中心に花が開いた。家族連れらが散策や写真撮影をして、信州の春を満喫していた。

 公園は、きのふから散り終わりまで日没から午後10時にライトアップされる。「さくら祭り」が30日まで開かれており、桜や高遠にちなんだ催しが続く。

 来園者には、園内の祭り本部、観光案内所が対応する。

 あんずよ花着け
 地ぞ早やに輝け
 あんずよ花着け
 あんずよ燃えよ
 ああ あんずよ花着け
    抒情小曲集・小景異情 その六 室生犀星

 うちなー。沖縄基地負担軽減担当を務める官房長官菅は一昨日、沖縄県を訪問し、米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(宜野湾市、

 51ヘクタール)の返還式に出席した。きのふの知事翁長との初会談を前に、基地負担軽減をアピールし、米軍普天間飛行場の移設に伴う

 名護市辺野古への新基地建設に理解を求めた。しかし、今回の住宅地区が返還されても、日本国内にある米軍基地の4分の3が

 沖縄に集中する現状は変わらない。

 返還式では、菅と翁長が隣同士で着席し、昨年11月の知事選後、初めて顔を合わせた。2人は会場で握手したが、壇上では

 互いに視線を合わせることはなく、一度、短く言葉を交わしただけだった。

 菅は「一昨年に首相安倍と米大統領オバマの間で、沖縄の人口の8割を占める嘉手納基地以南の米軍基地の返還計画に合意した。

 西普天間住宅地は返還計画で事実上、最初の事例だ」と指摘。政府が跡地利用を積極的に支援する考えを示し、負担軽減の取り組みを訴えた。

 だが、日本全体の0・6%の面積しかない沖縄に、在日米軍基地(3万674ヘクタール)の74%がある現状からすれば、返還される区域は

 小さな「点」にすぎない。沖縄県によると、2013年に日米で合意した嘉手納基地以南の返還がすべて実現しても、沖縄の米軍基地の割合は

 73%へわずか1ポイント下がるだけで、過重な基地負担は続く。

 しかも、返還には辺野古への新基地建設など県内で別の場所に軍事施設を移転することが前提となるところが多い。地元では実質的な

 基地の整理・縮小につながらず、負担のたらい回しになりかねないという声も根強い。

 菅は返還式後、「普天間飛行場の危険除去が、辺野古へ移設する問題の原点だ」と言及。普天間の返還実現には、辺野古への新基地建設が

 不可欠と繰り返した。

 一方、翁長は「基地は銃剣とブルドーザーで強制接収された場所だ」と反論。前提条件なしで米軍基地を返すよう求め、辺野古への

 新基地建設に反対した。西普天間住宅には地元住民30人が敷地の周囲で、菅に抗議。返還式に先立ち、沖縄戦などで犠牲になった

 24万人の名前を刻んだ糸満市の「平和の礎」を菅が訪れた際には、地元住民の男が「沖縄のことは沖縄で決める。勝手にさせんぞ」と

 訴える場面もあった。

 移設問題をめぐって初めて会談した意義について、普天間問題と向き合った経験を持つ元知事大田昌秀は次のように語った。

 これまで拒んでいたのに急に沖縄まで来て知事と会うというのは、沖縄との溝がこれ以上拡大すれば、日米関係に悪影響が出ると

 判断したからだろう。だが、政府が歩み寄ることはまずない。「どこに基地を置くかは国が決める」という姿勢は、明治政府が

 琉球王国を解体した「琉球処分」の時と何も変わっていない。

 私が知事や参院議員だった頃、米国の議員や大学教授を沖縄に招いた。この小さな島に陸海空、海兵隊の基地があることに多くの人が驚き、

 沖縄から米軍は撤退すべきだと応援してくれる人も出てきた。知事もぜひ米国に効果的に働きかけをしてほしい。

 最近、長野や愛知の市村議会が辺野古移設を進める政府に対し「地方自治を侵害しかねない」とする請願や陳情を採択した。うれしかった。

 政府と地方自治体は対等なはずだ。こうした理解が全国的に広がれば、政府も強引なやり方はできなくなると思う。

    ♪ぼくらはきっと待ってる 君とまた会える日々を桜並木のみちの上で手を振り叫ぶよ

 どんなに苦しい時も 君は笑っているから くじけそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に あの日の歌が聞こえる

 さくら さくら 今咲きほこる 刹那に散るゆくさだめと知って  さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今

 今なら言えるだろうか 偽りのない言葉 輝ける君の未来を 願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで 僕らをせかすように

 さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる時を信じ 泣くな友よ 今 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ

 さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの  さくら舞い散るみちの上で
        さくら   作詞作曲 森山直太朗

 長野。57人が死亡するなど戦後最大の犠牲者を出した去年9月の御嶽山(3067m)の噴火から、先月の27日で半年が経った。

 この日、ふもとの木曽町に設けられた献花台では、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分、関係者が黙とうをささげ、亡くなった人たちを悼んだ。

 一方、噴火災害を受けて、地元では観測態勢の強化や、住民や観光客の安全を守るための取り組みが始まっている。

 気象庁は、先月の31日、昨年9月に噴火した御嶽山(長野、岐阜県)について、火口から半径3キロ圏内としていた噴火警戒範囲を、

 2キロ圏内に縮小した。噴火警戒レベルは3(入山規制)を維持する。

 長野。去年7月、南木曽町で大規模な土石流が発生してから先月の9日で8カ月になった。

 土石流が起きた沢の砂防ダムでは今も大量の土砂の撤去作業が進められているが、作業が終わるまでに2年はかかる見通しで、

 二次災害への不安は消えないままだ。南木曽町の梨子沢で起きた大規模な土石流では、中学1年生の男の子が犠牲になったほか、

 住宅など44棟が全半壊するなどの被害が出た。

 現地では壊れた建物の撤去作業はほぼ終わったが、住宅の再建は進んでおらず、10世帯の人たちは今も町営住宅などで生活を続けている。

 去年11月22日の震度6弱を観測した長野の北部地震から、先月の22日で4カ月になった。

 小川、白馬の両村では今も100人を超える住民が、自宅から離れて避難生活を送っている。例年より多い雪が復興の前に立ちはだかっている

 ものの、春の兆しが感じられるようになり、再起を目指す住民の背中を後押ししている。

 ♪白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
悲しかった あの時の あの 白い花だよ

 白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰 さよならと 云ったら 木霊がさよならと 呼んでいた
淋しかった あの時の あの 白い雲だよ

 白い月が ないてた ふるさとの 丘の木立に さよならと 云ったら 泪の眸でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の あの 白い月だよ
     昭和25年 白い花の咲く頃 作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる

 うちなー。ようやく実現した官房長官と知事翁長によるきのふの会談は、厳しい空気に包まれた。

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設への理解を求める菅に、翁長は口を極めて反論。辺野古移設をめぐる対立は収まりそうにない。

 「30分で、何か言い尽くしたような感じがしました」。那覇市のホテルでの会談後、翁長は満足そうに語った。

 事務方も同席しない2人きりの会談は1時間。冒頭から10分間程度を報道陣に公開する予定だったが、菅、翁長の順に15分ずつ

 持論を述べ、30分余りが公開された。翁長は辺野古移設を「唯一の解決策」とする菅に徹底的に反論した。

 菅が辺野古移設の根拠とした「普天間の危険性の除去」については、「普天間も含めて基地は全て強制接収された。普天間は危険だから、

 危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろと。こういう話がされること自体が、日本の政治の堕落ではないか」。

 70年前の沖縄戦で奪われた土地を返してもらうために、なぜ沖縄が基地を提供するのか、と問いかけた。

 強い姿勢で臨んだ翁長の胸の内を、周辺は「知事は菅の向こうに本土の国民を見ている」と解説する。翁長は基地問題をめぐる沖縄と

 本土の温度差を嘆いてきた。最近、周囲にこう語った。「本土に何を言ってもすぐ忘れる。ならば石を投げた方がましかも知れない。

 痛みは忘れないから。ウチナーンチュ(沖縄の人)は、ずっとその痛みに耐えてきた」。

 それだけに翁長は今回の会談に、挑発的とも取れる発言で政権に「石を投げる」思惑を込めた。会談用の原稿には「このまま政府が

 埋め立てを強行するなら、県は今後いかなる行政手続きにも応じられない、と申し上げる」という一文すらあった。

 ただ、ここにはペンで大きく「×」。翁長が冒頭発言で行政手続きに触れることはなく、政治的な議論に持ち込む策をとった。

 背景には、移設阻止に向けた戦略の変化がある。これまでの行政手続きによる対抗策が「やや無理筋になっている」という認識があるからだ。

 知事就任後、翁長は辺野古の海底ボーリング調査の「停止指示」など、行政手続きを駆使して作業を止める道を探ってきた。

 だが3月末、国に指示の効力をいったん止められた。県の最大権限である辺野古の埋め立て承認の取り消しや撤回に踏み切るかの判断は

 早くても7月となるため、移設阻止へ向けた成果をすぐには出しにくい状況にある。

 そうした中、菅は1日に沖縄訪問を宣言。翁長側もすぐに会談に応じる意向を表明した。4日には翁長側近の副知事安慶田光男が

 菅と非公式に協議。翁長によると、会談の段取りを調整したという。

 「行政手続き面で手詰まり感のある翁長にとって、会談はちょうどいいタイミングだった」。県関係国会議員の一人は翁長の胸中をこう読む。

 会談後、翁長は「(移設問題の)原点をお話ししたから、これから沖縄の主張は話しやすくなった」。

 局面を打開しようと沖縄に自ら乗り込んだ菅だったが、待っていたのは翁長の「上から目線」という激しい言葉だった。

 菅は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練の本土受け入れや嘉手納以南の米軍基地返還への取り組みのほか、3千億円台の沖縄振興予算を

 確保していることを訴え、辺野古への基地移設について理解を求めたが、翁長は「絶対に建設することができない」と譲らなかった。

 想定を超える翁長の強硬さに、官邸幹部は「日本と米国の約束は、辺野古への移転と引き換えの普天間返還だ。辺野古移設ができなければ、

 米国が普天間を返すわけがない」と不快感を隠さなかった。

 唐突な方針転換にも見えた菅の沖縄入りだったが、菅は3月上旬から、水面下で訪問に向けた準備を進めていた。

 翁長は昨年12月に沖縄県知事に就任して以来、たびたび菅との会談を求めた。だが、菅は選挙後の内閣改造や国会審議などを理由に

 一貫して拒否。会見では、「粛々と工事を進める」、「この期に及んで」という言葉を繰り返した。官邸の強硬姿勢には、野党だけでなく

 自民党内からも「『この期に及んで』と問答無用な感じで発言するのは非常に心配だ」(衆院議員山本幸三)などと懸念する声が上がり始めた。

 こうした世論を感じ取った菅は沖縄行きを決意。3月中に数度、沖縄と関係の深い衆院議員と面会し、沖縄訪問の意思を伝えた。

 選んだのは4月4日の西普天間住宅地区返還式典。米軍が接収していた土地の返還式ならば、埋め立て工事で注目されがちな辺野古から、

 菅が「問題の原点」とする普天間の現状に世間の関心を移すことができると計算した。

 菅は、普天間の危険性除去と基地負担の軽減、沖縄の経済振興を「政府の最重要課題」に掲げる。目に見える形で世論に訴えることができる

 返還式典に出席し、知事翁長との会談に臨むという日程は「最高のタイミング」(官邸幹部)のはずだった。

 しかし、安倍政権は予想を超える翁長の国に対する強い不信感を目の当たりにすることになった。菅は今回の会談について「話し合いを

 進めていく第一歩になった」と評したが、安倍と翁長の会談の見通しは立たないままだ。沖縄県選出の野党議員の1人はこう突き放す。

 「首相訪米をにらんだパフォーマンスに過ぎないと県民は分かっている」。

 普天間飛行場の移設計画をめぐる国と県の攻防は、今後も続く。

 翁長が設けた、前知事仲井真による埋め立て承認の経緯を検証する第三者委員会は7月に結果をまとめる予定だ。翁長はこれを受け、

 承認の取り消しや撤回が可能かどうか判断する。夏ごろをめどに訪米し、米政府に直接、辺野古移設阻止を訴えることも検討している。

 また、移設阻止をめざし抗議行動を続ける人たちは今月9日、活動を支える全国的な基金を設け、翁長の側面支援を続ける。

 一方の国は、現在進めている辺野古の海底ボーリング調査関連の作業を6月までに終え、夏にも埋め立て工事を始めたい意向。

 6月23日の沖縄「慰霊の日」の式典には例年、首相が参加しており、翁長はこの頃までには安倍との会談を実現したい考えだ。

 清明入りしたきのふ、県内各地で先祖の眠る墓をお参りする姿が見られた。

 晴天に恵まれた那覇市の識名霊園では多くの人が墓前に料理やお菓子、果物などを供え先祖にこの1年間の報告をし、一族の健康と繁栄を願って手を合わせた。

 豊見城市の比嘉政勝さん(73)が預かるお墓には、兄の政隆さん(75)や弟の政敏さん(67)をはじめ子どもや孫も集まった。

 政勝さんは「清明はご先祖さまとの交流の場だと思う。ご先祖さまに手を合わせて、みんなで楽しみましょうと話し掛けたよ」と笑顔を見せた。

 池宮家のお墓には4世代の18人が集まった。那覇市の池宮美佐子さん(70)は「子どもたちの近況を報告して、みんなの健康をお願いした。

 事前の準備が大変だったけれど、無事にできてよかった」。

 ≪清明(シーミー)≫ 中国から伝わった「二十四節気」の一つで、新暦の4月5日頃の「清明入り」から、二週間の間に行われる祖先供養の行事。

 家族、親戚で先祖が眠るお墓へ行き、墓庭を掃除しお供え物を準備したら、お墓の前で全員で食事をするのが一般的。

 シーミーは沖縄ではお盆とお正月と並ぶ盛大な行事であり、重要な行事。土地の神様に墓が無事に何事もなかったことを感謝した後に、

 先祖の供養を行い、親戚一同が顔を合わせて仲良く団欒を過ごす様子は、先祖もそれを見て喜ぶのではないかと言われている。

 シーミーのお供え物は・果物・線香 十二本(二組)三本(人数分)・お菓子 まんじゅうなどを奇数個・重箱料理 二重(昆布巻き、

 エビと魚のてんぷら、三枚肉、ごぼう、かまぼこなど、縁起の良い食べ物)・餅 二重の餅を奇数分。

   ♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春 季節が都会ではわからないだろうと届いたおふくろの小さな包み あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 雪どけ せせらぎ 丸木橋 落葉松の芽がふく 北国の ああ 北国の春  好きだとおたがいに言いだせないまま別れてもう五年あの娘はどうしてる  あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 山吹 朝霧 水車小屋 わらべ唄聞こえる 北国の ああ 北国の春  兄貴も親父似で無口なふたりがたまには酒でも飲んでるだろか あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
         1977年 北国の春 作詞:いではく 作曲:遠藤実

 解散総選挙。安倍内閣の2年間の評価を問う第47回衆院選は去年暮れの14日に投開票された。

 「景気回復、この道しかない」――。解散総選挙で安倍自民党が掲げた景気浮揚策は日本に「格差」という負の側面をもたらしている。

 戦後最低のわずか52%という投票率に象徴されるように、今度の衆院選をしらけさせた大きな責任が野党第1党の民主党にもあったのは

 今さら言うまでもない。

 去年、一番痛快だったのは、先月の沖縄県知事選挙で、普天間基地の辺野古移設に反対する前那覇市長翁長が当選したことだ。

 敗戦から70年となる年が明けている。

 日本は焼け跡から奇跡の高度成長を達成したが、バブル崩壊を経てデフレに陥り、少子高齢化という大きな転機に立っている。

 「戦争を知らない世代」が大半を占め、体験を聞く機会はどんどん減ってゆく。外に目を向ければ、東アジアはもちろん世界の環境も大きく変わった。

 くしくも、「戦後レジームからの脱却」を信条とする安倍が、衆院選の勝利を受けて新しい年へ踏みだしている。

   官房長官菅は、午前の会見で、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、これまで繰り返していた「粛々と工事を進めていく」との

   発言について、今後はやめる考えを示した。きのふ会談した沖縄県の知事翁長から「上から目線」と批判されたため、表現を改めることにした。

   菅は会見で「不快な思いを与えたということであれば、使うべきではない」と述べた。そのうえで、翁長との会談について「ともに

   取り組まなければならないことがたくさんある。対話を始める一歩になった」と語り、今後も対話を重ねる考えだ。

   菅は安倍と翁長との会談の可能性については「具体的にどのような要望なのかを詰めながら、検討したい」と述べるにとどめた。

   統一地方選の大阪市議選(12日投開票)を前に、新聞読売は3〜5日、大阪市内の有権者を対象に世論調査を実施した。

 大阪市を廃止して5特別区を設ける「大阪都構想」への賛否は、「反対」39%と「賛成」38%が拮抗している。

 昨年9月の前回調査では、都構想について、「どちらかといえば」を含め53%が「賛成」、40%が「反対」と答えた。

 住民投票実施が決まったことを受け、賛否を二者択一で尋ねた今回は、賛成派が15ポイントも減り、反対派を初めて下回った。

 5月17日の住民投票を1か月半後に控える中、市民の賛否は二分されている。

 大阪市長橋下徹を「支持する」とした人は46%。就任半年後の2012年6月には71%に達し、前回も56%だったが、

 初めて5割を切った。橋下の支持率低下も、都構想賛成の割合が減った一因とみられる。

 ♪泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ

 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)りんごのような 赤いほっぺたのよ あの泪(なみだ)

 呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに
    昭和30年 別れの一本杉  作詞:高野 公男 作曲:船村徹

 福島。東京電力福島第1原発事故で、ほぼ全域が避難指示区域に指定されている楢葉町で、帰還準備のための長期宿泊が始まった。

 原則3カ月間実施される予定で、これまで認められなかった夜間滞在が可能となる。宿泊を始める住民からは「この日が来るのを待っていた」と

 喜ぶ声が聞かれた。町によると、住民2712世帯7415人(3月末時点)のうち、5日までに182世帯382人が宿泊を届け出た。

 宮城。環境省は、きのふ、東京電力福島第一原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設に関する市民向け説明会を、仙台市で開いた。

 宮城県の住民160人が参加し「安全性が不十分だ」、「災害が発生したらどうするのか」などと県内の建設に反対する意見が相次いだ。

 処分場を建設予定の宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の五県で、広く市民を対象にした説明会は初めて。宮城では栗原市、大和町、加美町に

 候補地があるが、一カ所に絞り込むための現地調査が地元の反対で滞っている。

 説明会で環境省側は、指定廃棄物が農家の敷地など県内30カ所以上に一時保管されている現状を報告し、早期の処分場建設が必要だと強調。

 専門家は、処分場のコンクリートは強固で安全性に問題がないと説明した。

 一方、栗原市の候補地近くに住む男は「2008年の岩手・宮城内陸地震で大規模な崩落が起きた地質で、処分場には向かない」と指摘した。

 東電に責任があるとの観点から、福島に処分場を集約してほしいという意見もあった。

   ♪背のびして見る 海峡を 今日も汽笛が 遠ざかる あなたにあげた 夜をかえして 港 港 函館 通り雨

 流す涙で 割る酒は だました男の 味がする あなたの影を ひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼

 出船 入船 別れ船 あなた乗せない 帰り船 うしろ姿も 他人のそら似港 三崎 焼津に 御前崎
     昭和44年 港町ブルース  作詞:深津武志 補作:なかにし礼 作曲:猪俣公章

   太平洋戦争末期、戦艦「大和」が米軍の攻撃を受けて鹿児島県沖に沈没してから、明日7日で70年となる。

 戦死した乗組員は3056人。このうちの一人が、海軍軍人として家族に宛てた40通ほどの手紙が、東京江戸川区の親類宅に残る。

 「兄姉ご一同も変わったことはないでしょうか」。文面には家族への気遣いと、死が避けがたい戦闘を前にしての覚悟がにじみ出ている。

 無骨な男ですが、女性に対して関心は持たなかった事でもなかった。皆がこれと決めてくれたら、(妻を)よろこんでもらうつもりでおります。

 宇田川秋三郎は、26歳だった1945年(昭和20年)春頃に出したとみられる長兄への手紙に、そう記した。

 戦況は悪化し、日本は追い詰められていた。4月6日、大和は沖縄に上陸した米軍を攻撃するため、瀬戸内海を出発した。

 帰還するあてのない特攻だった。江戸川区の農家の三男に生まれ、20歳で海軍入りした秋三郎さんに、両親と7人いる兄姉妹は

 縁談を勧めた。手紙はそれに対する返事だが、訪れる運命を予感したように、こうも書いてあった。軍人故ゆえに時機がないというのでしたら、

 私には一生良い時機はないと思います…。

 戦艦大和は2日後の1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、3000人が戦死した。

 18歳で水兵長として乗り組んでいた名古屋市在住の畦地哲(さとし)さん(88)は、今も自問する。「死を前提とする作戦だった。

 それは作戦と呼べるのか」。4月6日、沖縄に向け山口県を出港した。仲間たちは艦上で「覚悟を決めた」「いざとなれば自決する」と

 言い合ったが、ぴんとこない。「戦死は当然と考えていたが、実際に自分が死ぬのだとは毛頭思えなかった」。

 25ミリ3連装機銃の射手だった。敵機に照準を定め引き金を引く。照準器は最新鋭で、敵機の速度や進入角度を入力すると発射角度が

 自動的に計算される。艦首を0度とし時計回りに160〜180度(右舷最後部)が受け持ち範囲だった。

 運命の7日昼過ぎ、見張りの声が響いた。「大編隊発見」。見上げると100機以上の敵機が近づき、高度2500mから1機ずつ

 急降下を始めていた。日本の戦闘機より急角度でスピードも速い。照準を合わせ、射程1500m前後で引き金を引く。

 全機を狙う余裕はなく、1番機の次は3番機と一つおきに狙うのが鉄則だった。

 次々に照準を合わせるため命中の確認はできない。畦地さんの右手人さし指に、引き金を引く感触が今も残る。

 恐ろしいのは直撃弾だ。「爆弾が向かってくるのは何となく分かる。これは死ぬ、と何度か思った」。それて海中に落ちると艦橋を超す

 水柱が上がる。びしょぬれになり、そのたびに「俺は生きてる」と実感した。

 攻撃はどれほど続いたか。ある時点でぴたりとやんだ。「また来ると身構えていたが、もう現れなかった。気づいたら船体が大きく傾いていた」。

 戦闘終了を意味する「総員退去」の声を聞いた。持ち場を離れて最上甲板に出ると、遺体の一部が転がっていた。砲声はなく、静けさが広がっていた。

 仲間が何人か寄り添うように座っている。「いよいよだ」、「思い残すことはない」。みなさばさばした表情だった。

 船がゆっくり傾いていく。傾斜がきつくなると、一人で船の横っ腹を歩いた。黒色から赤色に変わる喫水線まで行き、そこで靴を脱いで

 息を吸い、頭から海へ飛び込んだ。

 ♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる

 捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音

 熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう
鴎ゆくなら 男のこころ  せめてあの娘に つたえてよ
     昭和21年 帰り船 作詞:清水みのる 作曲:倉若晴生

 ケニア。東部のガリッサにある大学で2日、武装グループが銃を乱射し学生など148人が殺害された事件では、ケニアの隣国

 ソマリアに拠点を置くイスラム過激派組織「アッシャバーブ」が犯行声明を出し、キリスト教徒の学生を狙ったと主張している。

 ケニアでは国民の多くをキリスト教徒が占め、事件の発生から初めての週末となった5日はキリスト教の復活祭と重なったことから、

 町の教会で開かれたミサには多くの市民が出席した。しかし、アッシャバーブがケニア国内でさらなるテロを予告していることから、

 教会には武装した警察官が配置されるなどものものしい雰囲気の中で祈りがささげられた。

 一方、今回、殺害された学生たちの多くは地方の出身者で、遺体は、いったん首都ナイロビに移送されたあと、遺族による身元の確認作業が

 進められている。5日も遺体の安置所にはケニア各地から犠牲者の家族が集まり、遺体との対面を果たしたあと怒りや悲しみの声を上げていた。

 北の大地。きのふの午後5時半過ぎ、木古内町のJR江差線札苅〜木古内間で、電線に設置された絶縁用器具の破損により停電が発生し、

 江差線と青函トンネルを含む海峡線で電車の運転がストップした。JR北海道は3時間後、復旧作業を終えて運転を再開した。

JR北海道によると、器具の破損で電線が垂れ下がり、電車に電気を供給する架線と接触して停電が起きた。停電により、函館発新青森行き

 特急スーパー白鳥38号が木古内駅で緊急停車。他に特急3本がトンネル両側の駅や信号場で出発できなくなった。

 ♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこに男の 夢がある

 好いた惚れたとけだものごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。好いた惚れたはもともと「こころ」が決めるもの…

 こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。

 一つの心に 重なる心 それが恋なら それもよし しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もあり 夢に消される 意地もある

 なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。
       昭和46年 傷だらけの人生 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

 栃木。きのふ、横田さん夫妻は小山市へ、(拉致され 帰国した)蓮池薫さんの講演を聞きに向かった。

 蓮池さんに直接、伝えたいことがあった。「(横田めぐみさんが北朝鮮で)『1人で海岸や飛行場へ行けば何とか(日本に)帰れるのでは』と

 思い、捕まったこともあった。 蓮池さんが『そんなことをしたら大変なことになるから』と(めぐみを)諭してくださったり、

 非常にお世話になった」(横田滋)。「若かっためぐみのことを、どんなにか手助けしていただいて・・・(めぐみは)何とか

 生き延びていると私は思っています。去年の3月にウンギョン(キム・ヘギョン)ちゃんが、 『蓮池さんはとっても親切な、いい人だった。

 大好きでした』と」(横田早紀江)。講演後、控え室で面会した蓮池薫さんは、「キム・ヘギョンさんは賢い子ですから」と、

 横田さん夫妻をこう励ましたという。「何とか助けるために一生懸命、いろんな形で頑張ります」、「倒れないでくださいよ。帰ってくるまでは」(蓮池薫)。

 ♪白い夜霧の灯りに濡れて 別れ切ないプラットホーム ベルが鳴る ベルが鳴る
さらばと告げて手を振る君は 赤いランプの終列車

 涙かくして 微笑み合(お)うて 窓に残した心の温み あの人は あの人は
いつまた逢える旅路の人か 赤いランプの終列車

 遠い汽笛に うすれる影に 一人たたずむプラットホーム さようなら さようなら
瞼の奥に哀しく消える 赤いランプの終列車
        昭和27年 赤いランプの終列車 作詞:大倉芳郎 作曲:江口夜詩

 タイ。東南アジアのタイでは、兵役に就く男を決めるくじ引きが行われ、兵役を免れた人が喜びを爆発させる一方で、最長で2年間の

 軍隊生活が決まった若者が、肩を落とす姿が見られた。

 タイでは21歳以上の男に兵役の義務があり、公平を期すために毎年4月に各地でその地区に割り当てられた数の若者を徴兵するための

 くじ引きが行われる。このうち、タイ西部のカンチャナブリのお寺では5日、身体検査をパスした200人余りの若者が運命のくじ引きに臨んだ。

 つぼの中には、最長で2年間の兵役を意味する赤いくじが2割ほど入っていて、家族が見守る中、1人ずつ名前を呼ばれてくじを引いた。

 免除を意味する黒いくじを引き当てた若者が、家族とともに喜びを爆発させた一方で、赤いくじを引いた若者は、その場で配属先を

 言い渡され、がっくりと肩を落としていた。最後の赤いくじを引いた男は「ほかの人が悪いくじを引くのを願っていたが、その悪運が

 自分に来てしまった。まだ生後4か月の娘に会えなくなるのが寂しい」。また、出生証明では男として登録されているものの、その後、

 性転換などで女性として生活している人も会場で審査を受け、身体検査の段階で「兵役には不適格」とされた。

 軍側は今年10万人の新兵を必要としているというが、去年5月のクーデター後も、徴兵される若者の数に大きな変化はないという。

 一方、タイでは軍の幹部は社会的な地位が高く、将校を養成する士官学校が人気を集めており、今月2日には、日本の中学卒業の年次の

 学生を対象に士官学校予科の入学試験が行われ、このうち、陸軍の試験会場では、200人の定員に対して1万8000人の受験生が集まった。

 合格率1%ほどの超難関で、試験に訪れた学生は「軍の将校になって国王を守りたい、それが私と家族の誇りになります」。

 去年5月のクーデター後、タイでは軍の政治的な影響力がますます高まっていて、暫定首相プラユットをはじめ強いエリート意識を持つ

 士官学校の出身者が政権の中枢を固めている。

 あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ
                            法隆寺にて 会津八一

 愛知。今朝1時前、岡崎市本宿町の東名高速上り線で、岐阜県羽島市福寿町の自営業篠原宏和さん(37)の運転する軽トラックが、

 渋滞で停止中の滋賀県草津市青地町の会社員(41)の中型トラックに追突した。篠原さんは全身を強く打ち、2時間後に病院で死亡した。

 会社員にけがはなかった。現場から5キロ先で別の物損事故があり渋滞が発生していた。現場は片側3車線の直線道路で見通しは良い。

 この事故の影響で、岡崎〜音羽蒲郡間で一時通行止めとなった。

 埼玉。今朝2時すぎ、秩父市大野原の薬剤師、糸永明子さん(58)の住宅から火が出て、3時間後に消し止められたが、

 木造2階建ての住宅1棟が全焼し、1階の玄関付近の焼け跡から1人が遺体で見つかった。糸永さんは1人暮らしで、火事のあと

 連絡が取れなくなっているという。警察は、亡くなったのは糸永さんとみて、確認を進めるとともに火事の原因を調べている。

 現場は、秩父市の中心街から北に4キロほど離れた住宅街。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても

 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて

 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
            犀星  抒情小曲集から

 富山。あいの風とやま鉄道は、きのふ富山駅の上り線(金沢方面)とJR高山線が20日から乗り入れる高架ホームの見学会を開いた。

 駅2階の高架ホームは、全長280mで、地上9mの高さ。北陸新幹線ホーム北側にあり、両ホームの仕切りがないことから、

 在来線側から新幹線を見ることが可能。20日からは、中2階の新幹線改札口も利用できる。下り線の高架化は3年後に完了する。

 この日は鉄道ファンら30人が県や担当者から説明を受けながら、ホームの様子を見学。時刻表がはめ込まれていない駅名表示板や

 電光掲示板を見て回った。特別に線路に下りる時間もあり、富山大付属中学三年の山田航生君(14)は「ここから新幹線が見られるので、

 待つ時間も楽しみになった」と喜んだ。

 19日夜はホームの切り替え工事のため、同鉄道と高山線の12本が運休、9本が最大26分遅れて運行する。バスによる代替輸送を行う。 

 福井。福井県警は、同居する10代の孫が自宅で産んだ女児を殺害したとして、殺人の疑いで、きのふ県内の70代の女を逮捕した。

 祖母の認否は明らかにしていない。逮捕容疑では、先月31日午後1時ごろ、生まれて間もない女児を自宅で窒息させて殺害したとされる。

 孫は自宅トイレで出産。女は孫がいない場所で犯行に及んだとみられる。

 女は孫を車で病院に搬送し「出産し出血がひどい」と診察を求めた。不審に思った病院関係者が通報した。女と孫は同居で、2人とも

 出産まで妊娠に気付いていなかったという。女児は体重3000グラムだった。県警は「少女の身元特定につながる」として、

 逮捕した女の名前や住所などを明らかにしていない。

 夜もすがら 春のしろへの 風ふけど
 増穂の小貝 くだけずにあれ
                 福永武彦

 能登。三年前、群馬県の関越自動車道高速ツアーバス事故で、母を亡くした能登町出身の山瀬俊貴さん(22)が、群馬県警の警察官になった。

 警察や地域から親身な遺族支援を受けたことがきっかけだった。「被害者を支えることで、恩返しをしたい」。今朝、県警警察学校の入校式に臨んだ。

 事故は2012年4月29日未明に、群馬県藤岡市で発生。母直美さん(当時44)ら乗客7人が亡くなった。山瀬さんは当時、

 能登町の実家を離れ、岐阜県で大学生活を送っていた。「暮らしはどう?」と、いつも気遣ってくれた母を突然失い、「頭が真っ白に

 なった」と振り返る。事故当日から群馬県警の警察官は、山瀬さんら遺族に寄り添った。宿泊先を手配し、事故現場に花を手向け、

 ともに手を合わせた。「何も知らない土地で過ごす遺族らを支える姿に、心を打たれた」。県警はその後も、事故を起こしたバス運転手の

 裁判に参加する遺族の送迎や付き添いを続けた。山瀬さんは「母が最期にいた場所で、警察官として事件事故の被害者を支援したい」と

 群馬県警の採用試験を受験。昨年8月に合格した。大学卒業後の今年3月、実家近くにある直美さんの墓前を訪れた。「不安もあるけど、

 新しい仲間をつくっていくから見守って」と伝えた。

 ≪関越道ツアーバス事故≫ 2012年4月29日未明、群馬県藤岡市の関越自動車道で、高速ツアーバスが防音壁に衝突し

 富山、石川両県の乗客7人が死亡、ほかに38人が重軽傷を負った。28日夜に金沢市を出発、富山県高岡市を経由して千葉県の

 東京ディズニーリゾートに向かっていた。自動車運転過失致死傷罪などに問われたバス運転手は判決で「眠気を感じたのに運転を続けた」と

 指摘され、懲役9年6月、罰金200万円の刑が確定している。

 塩サバと包丁をくくりつけたまな板を掲げて踊り、今年の豊作を祈願する「サバ踊り」が穴水町の白山神社で行われた。

 「サバ踊り」は穴水町木原地区で、450年前から続く伝統神事。「サバ踊り」は侍が、田畑を荒らすムジナを退治し、喜びの舞を

 踊ったことが始まりとされている。神事では当元(とうもと)と呼ばれる今年の当番を石本文夫さん(62)が務めた。

 ムジナに見立てた2匹の塩サバと侍の刀の代わりに包丁をくくりつけたまな板を掲げ、左右に飛び跳ねながら今年の豊作と地域の安全を祈った。

 当元が大きな音を立てて踊ると収穫が増えるとされていて、見守る住民たちは拍手で石本さんを盛り上げた。

 木原地区では「サバ踊り」が終わると農作業の準備に取りかかる。

 七尾市で、5月3〜5日に行われる国指定重要無形民俗文化財「青柏祭の曳山行事」に向けて、今年も準備が始まった。

 祭りを担う三町のうち、鍛冶町と府中町の関係者は、きのふ巨大な山車「でか山」の組み立てや資材出しの作業に汗を流した。

 青柏祭は、七尾市の山王町の大地主(おおとこぬし)神社の春の例大祭。「山町」と呼ばれる鍛冶町、府中町、魚町の三町から、

 高さ12m、重さ20トンのでか山が奉納される。でか山は各町の若衆とともに、市街地の狭い道を勇壮に練る。

 この日、鍛冶町では若衆60人が大地主神社でお祓いを受けて安全祈願した後、でか山を組み立てる「山建て」を開始。雨の中、重機で

 木材を運んで土台や骨組みを作った。

 府中町では、若衆60人が矢田町の体育館で、でか山を包む畳大の143枚のむしろを、でか山の形に合わせてひもで縫い合わせた。

 作業後は印鑰(いんにゃく)神社に移動し、でか山を支える直径2mの車輪四つを蔵から出した。魚町は12日にむしろ編み、

 19日から山建てを始め、短期間で一気に組み立てる。

 加賀松任。白山市内の工場に放置された車の中から男の遺体が見つかった事件で、被害者の男に金銭をめぐるトラブルがあったことが分かった。

 事件は今月3日、白山市橋爪町にある工場の建物で、ワンボックスカーの中から背中を刃物で刺されるなどした男の遺体がブルーシートに

 包まれた状態で見つかったもの。遺体の身元は富山県生まれの水上龍さん(38)で、生前、金銭の取り立てなどに携わっていたとされ、

 事件前には、知人との間に金銭をめぐるトラブルがあったことが分かった。さらに、警察は、きのふ事件に関与したとみられる関係者の車1台を

 新たに押収し、調べを進めている。前日に市内の路上で、「4、5人の男が、倒れている男を取り囲んでいた」という目撃情報があったことが分かった。

 警察は男たちがその後、男を車で連れ去り、遺体の遺棄に関わった疑いがあると見ている。

 水上さんは遺体が見つかる前日の2日の夜11時ごろに、工場から南に4キロほど離れた白山市部入道町の市道で、何者かに

 車で連れ去られたと見られている。その時間帯に車で通りがかったという人から、「男が路上に倒れていて、4、5人の男が取り囲んでいた」

 という目撃情報が警察に寄せられた。現場の近くには3台の車が止めてあり、このうち1台のヘッドライトで、倒れた男の周りを

 照らしていたという。警察は取り囲まれていた男は亡くなった水上さんで、男たちがその後、車で連れ去り、遺体の遺棄に関わった疑いが

 あると見て、特定を進めている。

 金沢。高齢者向け電動カートを製造販売する「パルパル」(埼玉県戸田市)は、金沢市長町で自社製カートの有料貸し出しを始めた。

 会長の内山久美子さん(75)は「足が不自由なお年寄りでも市内観光を楽しめる」と利用を呼び掛けている。

 内山さんは70歳を前にカートの利用を始めた。しかし既製品の機能や乗り心地に満足できず、経営企業で自社製品を開発。

 昨年8月から本格的に販売を始めた。貸し出し事業は歩行が難しい高齢者にカートを手軽に利用してもらおうと企画。

 金沢市は北陸新幹線開業もあって需要が大きいと見込み、せせらぎ通りに「パルパルSHOP」を初出店した。9日に長野県軽井沢町にも出店する。

 カートは道交法では歩行者扱いで運転免許も不要。歩道を時速4キロで通行する。自らもつえを突く内山さんは「足が不自由な人が

 兼六園やひがし茶屋街、街中を回るのはひと苦労。カートは自分の意思で、好きな場所に行ける」とPR。「歩行者や車への気配りは

 忘れずに」と。貸し出し料金は1日2千8百円、3日間6千6百円などのコースがある。ホテルや自宅への配送も受け付ける(料金は別途)。

 利用には健康保険証や運転免許証などの掲示が必要。営業時間は午前9時から午後6時。問い合わせはパルパルSHOP 076(260)8686。

 Do it!(ともかくやりなさい)
 Go against!(風に向かって走れ)
                  熊川哲也

 朝の来ない夜はない 春の来ない冬もない 人生万事地球と同じ春夏秋冬 花も咲けば雨も降る。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
            酒井雄哉 高倉健の座右の銘

 他人から「どう思われるか」より、他人のために「何ができるか」。

 冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
                                    高倉健

 人に愛 花に水
 People love to water the flowers

 弥生3月も、過ぎて、もはや卯月6日。月日の経つのは、何とも早い。

 空はどんより、今朝もいささか肌寒い。ストーブは点けている。

 四万十の武さんから。我が家では椿、水仙が咲き終え、よく見るとモミジが芽吹いています。今朝はこれから散歩、なにかを見つけてきますね、なんて便り。

 江戸の近藤さんから。体調は如何でしょうか。金沢にも春が訪れていることと思います。先日は金大病院を見学するという稀有な

 体験ができましたが、今度はきちんと一席出来ればと思っております。新幹線ができて話題が集中しているようですが、切り離された

 在来線のことを思うと何とも言えません。第一、倶梨伽羅なんて山の中の無人駅が鉄道の分岐駅になるのは全く不可解なのですが、

 無理が通れば道理引っ込むということなのでしょう。それでは、またお目にかかるのを楽しみにしております、なんて便り。

 午後の散歩、相変らず小雨だ。冷えるのでウインドブレーカーは欠かせない。コースはいつもの通りだが、バス通りの歩道から

 橋本さんちの小路から左折して四人の大工さんで新築の建物の仕上げを急ぐ現場や基礎のコンクリートを流し混んでいる現場を見て帰途に就いた。

 何時も三分の一だ。本田さんに会い「散歩ですか、コブシはまだ咲いているね」に「そうや、もう散るやろ」と返事あり。

 小屋の玄関横では、コブシが咲き始めていた。

 自由さに慣れて不自由 懐手
            箕面 藤堂

 trust me.
 I Have a Dream

                 2015 卯月、4月6日(ふ)
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